制作は90年3月頃、発売は90年4月となっているようである。テレビに初出演したのが89年の12月と読んだ気がするので、まぁ、そんなものなのだろう。
まずアルバムのアラを最初に見つけておくと、オケに如何にもお金・手間がかかってない(それでもいいものはいいんですけど)。アルバム中を通して良く使われてる音源が、当時・というか1988年に発売されて一世を風靡した KORG M1のプリセット音なのである。この機械のオーナーなら、聞き進むにつれて、「へへへっ」と、懐かしい思いに顔が緩むに違いない。
それから、トラック3で使われているフェンダーローズ(だと思うが)の音、妙にノイズが多い。カセットでとったのではないかとおもえるくらい。
ジャケットもシンプルだし、正直笑っちゃうくらいである(苦笑)
が、このアルバムでカン・スージーのファンになった人も多いと思うし、また、なる人も居るのではないかとおもえる。
以前、アメリカ生活をすることになった経緯やら、韓国に再び戻ってくるときの話などを、韓国のテレビ雑誌「TVジャーナル」で読んだ事があった。彼女のデビューのきっかけというのは、韓国の民放局MBCが毎年主催する大学歌謡祭なる物に出演したことに始まる。確か、中学2年か3年位の頃、家族全員で移民(お父さんの事業の失敗で破産、それで親戚を頼ってアメリカに移民)し、マンハッタンのドラマスクール出身、在学当時からニューヨークにある韓国語放送局のアシスタントなどをしていたとか。確か、韓国内でのマネージャーは、当時の放送局の正社員氏だったと読んだ記憶が。
まぁ、そんなこんなで(どんなだ?)、そのMBCの大学歌謡祭、本国だけではなく、韓国人の多い地区(おそらくNYCとLAだと思うが)でも、予選が開かれていたそうであるが、そこにカン・スージーも出場し、見事、NYC大会の優勝者となって、本国の本選にも出たはずである。
学生時代、ゴスペルバンドでコーラスとサイドギター(アコギ)を担当、って読んだので、その頃からきっと音楽は好きで、色々歌詞とか、あるいは単純なコード進行の曲などを書き溜めていたんだろうが、大学歌謡祭予選では、作詞・作曲した曲で参加している。その曲は、実はファーストアルバムに収録されていて、よく聞くと「なるほどぉ」とうなずけるはず。もったいぶらないで紹介すると、それはトラック9の「スチョチナヌン サヨンドゥル(すれちがう理由(ことば?どっちでしょう?))」という曲。このアルバムにはもう一曲、「チングエゲ(親友へ)」という曲で、作詞作曲の両方をやっていて、実はこれが彼女のもともとの芸風なのである。
作曲までしている曲が入っているのは実はこのアルバムしかなく、その後は作曲は常に他人で、フォークソング調からは、より複雑なコード進行(といっても結構可愛いもんだけど)をもった曲を歌うようになっていくのだが、このアルバムの「スチョチナヌンサヨンドゥル」を聞く限り、アコギのアルペジオ弾き語りでこの曲を聞いてみたい気はする。きっと本国ではお宝映像と化しているにちがいない。
やはり、一番古くから持っているCDなので、一番回数も聞いているが・・・私自身のお気に入りはトラック1、5、10の3曲。特にトラック5は、テンションの使い方は未熟だけど、トニックが最後まで出ず、また、最後もメジャー転調しておわるという曲で、通して聞いたときの不安定感がたまらない(とはいえ、前衛ではなく、普通の曲です)。
他には、日本の歌謡ポップスを聞いてきた耳には、「(昔の)香港がはいってるかな?」と感じるトラック4と7、韓国歌謡だぁ!という感じの残るトラック2など、一枚に色々入っている、という非常に面白いアルバム。特にこのトラック2は、音域が広い(特に下に)という感じで、一生懸命歌っているし、新人で声に張りがあるしで、カン・スージーファンには絶対お勧め。韓国歌謡の変遷をたどる上でもはずせない一枚だと、僕は思っている。
入手の容易さ:★★(最近、少しずつみかけなくなっている気もする。一時は4枚目までは廃盤だとも。)
アルバムの魅力:★★★★★(やはり、これです。これが彼女です。)
あ、ここまで書いて思い出した。彼女の両親は、音楽学科が割と有名な大学の同級生だったそうで。二人とも「音大」出らしいです。