Current News 3 Mar,2004
河岸 2003-4

「レ・ミゼラブル」、「Winter Rose」を終えたのもつかの間、まもなく「ダウンタウン・フォーリーズ」。稽古たけなわの吉野圭吾さんにお話を伺いました。

◆前のニュース(2003.12.21)
◆次のニュース(2004.5.12)
◆目次
◆最初のページにもどる

-「レ・ミゼラブル」博多座公演のご感想は?
圭吾:なんだろうね、やっぱり、東京で3ヶ月やってて慣れたのかな。 落ち着いてできたような気がしますね、博多のときは。 帝劇でやってたときは「引っ張らなきゃ、引っ張らなきゃ」みたいなのがすごくあった。でも、博多では「無理に引っ張る」のはやめた。引っ張るのは当然なんだけど、無理やり、「なあ、そうだろう?!来いよ!」っていうのは、強く意識してやめた。別の部分で、太いもので、ドン!とその場にいることにした。その感覚が良かったんじゃないかなと思ってます。
-キャストも同じ組合せが続くことが多かったですね。
圭吾:そうだね。それもやりやすかったのかも知れない。ずっと一緒だし。やっぱり、毎回変わっていくのは難しいね。

-ハプニングなどはありませんでしたか?
圭吾:なかったねえ…いや、俺がバリケード壊したことがあった。撃たれて一回転するじゃない?その時、バリケードの裏側に板があって背中が当たるようになってるんだけど、その板を2回ほど壊しました。いつもその板にそってぐるって回った後、当たって落ちていけるように板があるんだけど、その板がベキっと…。
-後半ではバリケードの場面で岡田さんのマリウスに抱きつかれていましたが。
圭吾:うん。「行かせないそれは危険だ」って言って、「行かせない」んだからやっぱ放さないよな、えいって振り払われるまでは、と思ってて。で、グッと(マリウスの両腕を)つかみ続けていたら、急に、ガっと来て。「おぉー…そう来たか」(笑)。
-千秋楽のお気持ちはいかがでしたか。
圭吾:無事、勤められてよかったなと(笑)。「怪我もせず無事に勤め上げられてよかったな」っていうことが一番大きいです。
-この1ヶ月は長かったですか、短かったですか
圭吾:あっという間だった。やっぱり、自分の住んでいる環境じゃないところでやるっていうのは、なんか新鮮でいいね。そう思います。
-博多ではどこかへ行きましたか?
圭吾:大して「行った」っていうところはないね。やっぱり心のどこかに「明日もある」っていうのがあるんで。実際、休みも2日3日ぐらいしかなかっし。だから「体を休めなきゃ」っていうのがすごくあった。おいしいもん食べて、いっぱい寝て。で、本番やって。終演後に(タンゴの練習で)踊って。…すごい充実してたな俺(笑)。
-この夏にはコンサートがありますが、「レ・ミゼラブル」で歌っていて特に気持ちのいい部分をあげるとしたらどこでしょうか?
圭吾:「築けーいーまーバーリーケード」って言ってる時は気持ちいいというかなんというか…もう世界に届けっていう感じ(笑)。

-「Winter Rose」ですが、12月の神戸公演と2月の博品館公演で少し雰囲気が変わりましたね。
圭吾:神戸の時は結構それぞれの役割が孤立したものだったんだけど、それがもうちょっとこう手をつないだというか、なんだろう…ひとりひとりの「役割」がはっきり果たされてきた感じはあったと思います。
-登場人物はなんと呼ばれていたんでしょうか?
圭吾:「姉さん」と「医師」と、「弟」と、「もう一人の姉さん」と、「男」みたいな。
-出演者の間で流行った言葉などはありますか?
圭吾:「台詞に詰まったら、まず『姉さん』て叫べ」(笑)。 とにかく、せりふがわからなくなったら「姉さん!」って叫ぼう、っていうことをみんなで話し合ってました(笑)。でも僕は困っちゃうんだよ。「姉さん」て言えないから、なんだっけ…「錯乱」(笑)。自分を指して「錯乱」て言ってました(笑)。
-全体に、いろいろな意味で台詞回しが難しそうだと感じました。
圭吾:ねえ。俺の台詞はなんかすごく説明っぽくて、ふつうの会話ができないところが難しいわけでございますよ(笑)。「おはよう」「こんにちは」「元気?」っていう台詞がなくって「胸にうがたれた小さな穴から滲むように流れ出た赤い血だ」とか「かなえられなかった愛を象ったような薔薇の花が醜い欲望をまるで清らかな美しさに見せかけて咲いている!」とか(笑)、大変なわけです。最後にやっと、ちょっとだけ普通の会話ができるけど。

-星奈優里さんとのダンスのご感想は
圭吾:どこかのインタビューで言ったかも知れないんだけど「踊りでおしゃべりできるようになりたい」って言ってて。「喋れた」んじゃないかなあと思います。あんな素敵な人と踊れて、幸せでした。
-4人で踊るタンゴも評判でしたが。
圭吾:タンゴ、好きだったな。タンゴをもっともっと勉強しようと思いました。レミゼの間中稽古してたんだけど、あの振付を知らない人に「ちょっと一緒にやってくれる?」ってお願いして、相手してもらったの。その人に誘導していく、リードしていくってことですごく勉強になったんだよ。相手は振りがわからないから、「こうなるから、こうなるんだよ」とか「次はこっちの振りだよ、こっちへ行くんだよ」とかそういう「リード」の勉強ができたからすごく良かった。ジャストのタイミングで変えるともう間に合わない。ちょっと先行してかなきゃいけない…そういうことが、すごく勉強になった。

-公演を通して思い出深いことはなんでしょうか?
圭吾:そうだね。少人数だから、けっこう「ああでもないこうでもない」ってぶつけあい易いんだよ。そういうことがたくさんできたので、良かったなと。 同じ年ぐらいのいろんなジャンルの人が一緒になって、刺激しあいながら作れていったっていうことが、ホントに…思い出深い作品だよね。荻田さんも同い年だし、「ああ、この人たちがこれから、この世界背負ってくんだな」っていうのを、なんか、終わったときにふと思ったの。「俺もがんばらなきゃ」と思いました。
ホントにみんな生き生きやってたのよ。もう、おかしいぐらいにみんな前向きでね!「立ち止まることを知らない人たち」そんな印象を受けました。わずかな時間だったけれども、すごくこう「同志」っていうか…ひとつの作品に集まって、こうやって作っていくスタンスが、俺にはすごく…素敵な時間だった。そんな風に思います。
-終わって寂しかったのでは?
圭吾:うん。でもまたきっと、この作品じゃなくても、みんな、誰かしらまた一緒になることもあるだろうって思ってます。

-荻田浩一先生の作品についてのご感想は?
圭吾:荻田先生が見せたいものって、あんまりお客に強要しないっていうか、なんだろう「こう見てください」「ああ見てください」とか、そういう風には作りたくないみたいで。最小限の演出しか敢えてしない人だったのではないだろうかと。だから、「これは君にとって余計なことだから君には言わない」とか言われたり(笑)。 心理的に読まれてるというか、あの少人数だから、一人一人に対してすごく、なんだろう、心理的に忍び込んで来るんだよね!そんな感じの人でした。やっぱあの人の表現しようとする世界は、好きです。
-振付の先生は3人いらっしゃいましたね。
圭吾:ケンジ中尾先生は、前の大浦(みずき)さんの「チェ・タンゴ」、安寿(ミラ)さんのショー(female)でもいっしょだったんですけど。今回、演出・振付って形になってるから、ホントによく見てくれて、「ああ…先生カッコいいわ」と思った。すごくいろんなこと知ってるんですよ。ニューヨークに行って、舞台に立ってたし、その引出しをいっぱい開けて、提供してくれて。僕らの引き出しにもホントにいっぱい入ったから、すごくありがたかったよ。伊賀(裕子)先生は宝塚の振付をされてる方なんだけど、先生の独特な「伊賀ワールド」というか!一番最初に登場するところの振付とかがそうなんだけど。すごく「空気」を大切にする人で。その先生にも会えてホントに良かった。港ゆりかさんは、あの「赤い血だ」の後からのあの曲と、その後の「CRY」っていう曲を振付けてもらったんだけど、いいんだよねー…。「CRY」のサビの部分、俺がなかなかニュアンスつかめないでいたら「じゃ、一緒に踊ろう!」って先生が横で踊ってくれて。「先生、わかってきた気がする!もう一回だけ一緒に踊ってください!」とか言ってまた踊ってもらったり。みんな一生懸命だった。ホントに…「ありがとう!」って感じ。今回、いっぱいもらったよ…素敵な、すごいいい出会いだったね。
-素敵な作品でしたね。
圭吾:ねえ…千秋楽、キラキラ紙ふぶき落ちてきちゃってさ、音楽も千秋楽バージョンで豪華だしさあ…「もう言葉いらないよー」って思ってたんだけど、どうしても挨拶しなきゃいけなくって…(笑)。

クリスマス前の神戸での「Winter Rose」に始まり、お正月は博多で「レ・ミゼラブル」、2月は再び博品館での「Winter Rose」…とかけぬけた冬が終わり、まもなく今年の春を彩る次の作品が開幕しようとしています。また間違いなくここまでの2作品とは違った顔が見られるであろう(笑)「ダウンタウン・フォーリーズ」、一昨年の作品をご覧になった方もそうでない方も、新たな「吉野圭吾」に出会えますように。
◆前のニュース(2003.12.21) ◆次のニュース(2004.5.12) ◆目次 ◆最初のページにもどる