Current News 21 May,2006
すたじお

 

Revolution

2006年1月博多、2月東京で上演された「屋根の上のヴァイオリン弾き」についてのインタビューです。

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-九州と東京と2ヶ月、74回の長丁場でしたが、体調など大丈夫でしたか?
圭吾:一回、インフルエンザが流行ったころがあって、それがちょっと怖かったけどね。でもなんとか、乗り切りました。
-パーチックは自分の意志でいろんなことを言い切る人だと思うのですが、人間像に共感するところはありますか。
圭吾:なかなかああいう風に正直には生きられないよね。 あれだけ正直に自分の考えを言うから、今の時代だときっと「青いな」とか「若いな」とか、「若気の至りであんなこと言っちゃうんだな」って言われると思うんだ。でも、そういう捉え方をしちゃうのって、どうなんだろうなと思うんだよね。若いからそういう言葉が出ちゃう、っていうことじゃあないと思う。そんなことは百も承知で、でも、その時代を変えたいっていうか、人として生きるためにはどうするべきかっていうことを、彼は一所懸命伝えたかったんだろうなと思うんだ。けして「若いからできる」とかそういう問題じゃあないと思う。
よくそうやって「青いな」とか「若いな」とか言われがちだけれども、それは大人になってからでも、「そういう、自分に正直に生きるっていうことが、できるんじゃないの?本当はそうしなきゃいけないんじゃないの?」と。きっとああいう考えを持ってる人は、若い人たちだけじゃなかったと思うんだ。あの時代だからなのかも知れないけど、「何かを変えてやろう」と思ってるのはそういう若い連中だけじゃなかったと思う。

-パーチック自身はしきたりに批判的ですが、ユダヤの生活様式を全否定するわけではなくて、彼なりに守っている部分もありますよね。
圭吾:うん、あるね。自分の理想に近づけるために「こういう解釈で」っていう考え方をするんだろうね。昔からのそういう掟や習慣や、それはそれですごく尊重している。でも、「本当はこういうことなんじゃないのか」ってきっと考えてるわけなんだよね。自分なりに捉え方を変えて、それを発信していってるんだろうな。
-司祭の息子のメンデルとはちょうど真逆ですね。
圭吾:そうだね。彼は司祭の息子として、きっと疑問も感じずに、そのしきたりに沿って、お父さんの言いつけに沿って生きてきたんだろうと。 でも「それじゃあ何も変わらないだろう」ってパーチックの方は思ってて。結婚式のところでも、「踊りたい人は踊ろう」、それで司祭の息子にも「君も一緒に踊ろうよ」と。別にホーデルが昔好きだった人とか、そんなことはどうでもいい話で「共に、二人のことを祝おうよ!」と。別に男と女が手をつないだっていいじゃないか、そういう古い時代は終わったんだから、「君も踊ろうよ」と。でもメンデルは拒否する。そういうところですごく出ると思うんだよね。パーチックの思想と、メンデルの思想と。
踊りの前に、一回、騒ぎになるじゃない?テヴィエが「席につくんですね」って言って、その場は収まって、「さあ楽士さん、演奏を始めてくれ」ってまた踊りが始まるところでさ。メンデルが、ある日ぼそっと「よそもの!」ってつぶやいたんだよね。 あれはすごい「ああ…!」と思った。もう…すっごい胸に響いたんだよ。 そもそもパーチックには、なんのためにもめてるのかわからないじゃないですか。「とにかく、モーテルとツァイテルは、二人は愛し合ってるんだよ!それが結婚であるべきじゃないか!」と。でもそれを拒否されるじゃない。 そこへ、「よそもの!」…と。「うわぁ…」と思った。それでその後、あの柵を跳び越えるシーンがあって。あれはね…前回も含めて今までやってきた中で、新しいっていうかホントにガツーンと来た。全てが結びついたっていうか、自分の中のパーチックが、一本筋が通ったっていうか。そんな日だったんですよ。
-メンデルの言葉が突き刺さったわけですね。
圭吾:そう…でもそれに負けないっていう。グワ!ってむちゃくちゃ深く刺さるんだけど、それに負けそうな自分を奮い立たせつつ、「そりゃ『よそもの』だけども、でも、変えなきゃ!」っていう気持ちで、柵を越え。…自分の中の凄いプレッシャーを飛び越えるシーンだよね、あの柵越えは。それが結局成功したわけだから、それは嬉しいよね。そこへロシア人が入ってきて滅茶苦茶にされてさ。やっぱり「こんな時代を変えなきゃいけないんだ!」っていうところで二幕に繋がっていく。

-柵を越える場面では高々と跳んでいましたね。
圭吾:何回か、柵のたるみがピーン!と張られてるときがあって(笑)。「なんだこれ!」とか思いながら跳んでました(笑)。でも毎回、意識はあの柵のたるみの高さじゃなくて、柵のポールの上を飛ぶように、と。意識は、持ってました(笑)。…博多座のスタッフの人に「お願いだから『ジャンプ!』って言ってくれ」って(笑)。「『跳躍』とか言ってくれ」って言われました(笑)。
-ホーデルに手を差し伸べるところでは、踊りに応じてくれることを確信しているのでしょうか。
圭吾:ああ…確信してるっていうか、信じてるでしょう。でも、ホントに来たときには、信じてるけどビックリだよね(笑)。「時は来たぞ!」みたいな。「時は来たぞホーデル!さあ!」(笑)。きっとはじめて自分の意見に賛成してくれた瞬間だったんだと思うんだよ。それまでダンスを教えたりして、それからももしかしたら会ったかも知れないし、いろいろ、意見をぶつけ合ったかもしれない。初めて、こっちに近寄ってくれるっていうか、その思いに答えてくれた部分があのシーンだと思うし。
-周りの人たちの反応も面白かったですね。
圭吾:うん。全員が全員、変わるわけじゃないけどね。
あの中でホーデルがすごくこう、周りを見てるんだよね。今まで拒否して来た人たちが輪に入ってくるさまとか。なんかこう、彼女の中で変わっていくものを俺は感じるわけですよ。
キラキラしてウルウルして、周りを見てることが多かったから。ここが駅のシーンの、「彼がこの私の夢を変えてくれた」っていう部分に繋がってるんだろうなー…って感じながら踊ってました。本人に聞いたわけじゃないからわからないけど。彼女の中で、大事なところなんだろうなと。
-前回出演された時は、結婚式の最後にテヴィエの家に入ってから疲れ切って倒れていたとのことでしたが、今回もそうでしたか?
圭吾:もちろん。ヘロヘロです(笑)。あそこで俺が手を抜くわけには行かないからね。…汗の量がハンパじゃないよパーチック。結婚式の後どうわー!って出てました。冬の衣装だから暑いんだ(笑)。

-最後に、パーチックを演じられてのご感想を。
圭吾:この役をやることって、すごいエネルギーのいることで、絶対自分に負けられないんですよ。どんなに調子が悪かろうと、疲れていようと、それを許さないんだよ。吉野圭吾は疲れてるけれども、パーチックは疲れてない。そこが大変でした。
すごくこう、背負ってるものが大きいんだよね。背負いきれてないかも知れない、こぼれてるかも知れないんだけど、でも「人類」を背負って生きている。そういうところが「熱い人ね」って言われちゃうのかも知れないんだけど、彼は、冷静でもあると思う。 勢いだけで生きてるわけじゃないし。
観てる人への問いかけでもあると思う。「あの人若いわね」って考えちゃうことって、どうなんだろう。あの人みたいに正直に生きられるわけがない、と思う自分ってなんだろう。でも昔も、今も、きっとああやって生きてる人がいるんだよね。そういう人が時代を変えてきてて、それに俺たちは乗っかってるわけだから。
まあ、勘違いや自分の信念で空回りしてる風に見える部分もあるのかも知れないけど。 彼の信念を伝えようとするときに、どう感じてもらえるかなんだろうな。

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