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Current News 9 Feb,2008
LINK 2007年11月から12月にかけて上演された「Mozart!」についてのインタビューです。
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-「Mozart!」も三演目となりましたが、雰囲気は如何でしたか?
圭吾:初演から比べてみると、みんながいろんなところで勉強してきて、役者として成長している。シカネーダー一座の人たちにしても、すごい成長してる感がありまして。それは自分もかもしれないんだけど、またもうひとつ、深いところへ突っ込めた感じがする。
-今回は振付も大きく変わりましたね。
圭吾:「ちょっぴり」の振りは全部変わりました。体になじむまで、前の振りが出てきちゃってしょうがなかったです。でも、今回はモーツァルトとシカネーダーの関係が表現できるっていうか、すごくモーツァルトを「かまえる」時間が多くなったわけ。モーツァルトに対して何か訴えてくっていう感じがします。
-初めて出会って、乗せてしまうという。
圭吾:大変だけどね。モーツァルトも、お母さんが死んですぐに居酒屋に来て、あれだけ盛り上がらなきゃいけないから。やっぱりシカネーダーには、「ピンチにフォロー」みたいな、彼が下向きになると、俺が登場して、ちょっと上げ目にしていくっていう役割があるので。
-ヴォルフガングとのステッキのやりとりなども、それぞれ味が出ていて面白かったですね。
圭吾:うん…大変なんだよ、二人とも違うから(笑)。いちおう同じ振付なんだけどね。「人が変わるとこうも違うか」と思いました。
-細かい改良もあって、見ごたえのある場面になりましたね。
圭吾:居酒屋の後ろの雲が、流れてるところに感動したんだ。 背景の雲が、実は動いてるんですねー。夕方になって、ネオンのついた看板の映像が出てきて、後ろの雲は流れてます。名乗った後は後ろは見えないから、どうなってるかわからないんだけど、綺麗でした。
-ステッキを一旦放して手の振りをする部分なども、振付で決まっていたのですか?
圭吾:「ちょっぴり目と耳にアピール」って手を空けなきゃいけないから、その間ステッキをどこにしようかと。最初は脚に挟んでたんだけど、これはダメだなと(笑)。足の上において、ひょいって、持てるようにしました。ホントはひょいって高く蹴り上げて胸の前で取りたいんだけど、でもあそこで落とすしたらオケピまで落ちちゃうし、危ないので短めにしました。
-千秋楽の居酒屋では、シカネーダーの名乗りにKENTAROさんが「気持ち悪い!」と叫んでいましたが…。
圭吾:そうだね。また(名乗る前に皆から)「エマニュエル・シカネーダー!」って来るのかと思ってて、そういうのはなんとなく覚悟してたんだけど、あれが来るとは思わなかった(笑)。
-ある意味、あの居酒屋でありそうな光景の一つでしたね。
圭吾:いろいろみんな、あの中で役作りがあるんですよ。それぞれのキャラクターで。 KENTAROさんは俺の「エンターテイメントをご覧に入れよう」っていう言葉に「おお、どんなんだ?」って興味を持ってるんだけど、「私が誰だかご存知か?」って言うところで、「なんだよせっかくエンターテイメント観れると思ったのに気持ち悪いなあ!これかよ!」っていう思いで「ぷいっ」ってしちゃう(笑)。その「ぷいっ」っていう声が「気持ち悪い」っていう表現になるわけで。他にも、ニンジン持って「モーツァルトの息子は」って言ってる鈴木智香子さんは、俺が出てくると「はっ!前の大家さんだ!」とか「前、付き合ってた人だ!」とか(笑)…いろんな設定があるらしい。
-シカネーダーが名乗るときの女優陣の動きも良かったですね。
圭吾:それぞれいろいろ考えててね。俺は正面を向いてるからわかんないんだけど、信頼してやってました。
-彼女達にも設定があるのでしょうか。
圭吾:あるみたいだよ。(碓氷)マキちゃんはカルメンっていう名前で、橋の下でシカネーダーに拾われたらしい(笑)。
-素敵な一座でしたね。
圭吾:よかったよ。本当に劇団っていうか「一座」だった。「友だち甲斐」のところも、団結力が深まった感がありました。
-「友だち甲斐」は作曲するヴォルフに対してあらゆる邪魔をしていましたね。
圭吾:うん。「やめてくれないか」っていろいろ言ってくるけど、やめるわけにもいかないからね(笑)。「今ね、忙しいんだよ。やめてくれよ」とか「ほっといてくれ!」って言われるんだけど(笑)、それにめげてたら話が続かないし、あえて聞こえないフリしなきゃいけないわけですよ(笑)。
-ヴォルフが「僕の新しいコンチェルトだ!」と叫ぶ場面で、二人で楽譜を見ながら盛り上がる部分が加わりましたね。
圭吾:小池さんが「もっと広がりがほしい」と。譜面の中だけじゃなくて、もっと「外へ広がっていく」感が欲しいってことで、やりました。もっと細かくやるとすると「おぉー!すごい!ああ、こんな感じか?」「うん、そうだよ!」みたいな(笑)。「じゃあここで、こういう奴が出てきて!」とか「おお、いいね!で、そこへ馬が飛んでくる!」とか、そういう世界が表現できれば…あの短時間で(笑)。最初は台詞でやってたんだけど、でも途中で「これ、台詞じゃないな」と思って「おぉぉぉーー!!」って(笑)。「おお牧場のイメージ!」って言って(ヴォルフに)「違うよ」って言われた時はガッカリしました(笑)。
-その曲を使った光景が見えているわけですね。
圭吾:そうそう。ディスカッションしてるわけです。
-プラター公園では、ヴォルフガングの動きによっていろんなリアクションを入れていましたね。
圭吾:「ちょっぴり」でモーツァルトと出会って、関わった後の場面では、俺がどんどん盛り上がっていかないとだめだなって、今回すごく思った。ただの傍観者ではなく、モーツァルトが「僕が豚なら」って乗っていくことに対して、どんどん俺からも盛り立てて行かないとダメだな、って。「ちょっぴり」の時は助けてもらってて、プラターの時は、今度は逆の立場になるんだと思うんだ。 ヴォルフがあれだけ踊ったりすることには、きっとシカネーダーの影響もあると思う。で、その素質とか、モーツァルトのセンスに対して高揚していくというか…「もっとやっちゃえ!」みたいな、そういう部分もある。共に楽しめちゃえばいいんじゃないかと。
-「ちょっぴり」で出会って以降、終盤の「魔笛」に至るまでに、一貫した流れがあったと思うのですが。
圭吾:そうだね。「オペラを作ろうぜ!」って言ったけど、結局、書くのは一番最後だから。「俺と一緒に組んでいつかオペラを作ろう!」「大衆が喜ぶオペラを作ろう!」っていうのがどこか「星から降る金」にもひっかかってくると思うんだよ。 だから「魔笛」をやるメンバーと、そこをすごく追求していった。一番の頂点が「魔笛」だっていうところをすごく今回は意識した。 「作ろう」って言ってから何年もたって、やっと、一緒にやれて「魔笛」が成功して、で、モーツァルトの中でも「これがやりたかったんだ」っていう感じになればいいなと思ってやっていました。
-「フランス革命チェイサー」では表情がキラキラしていますね。
圭吾:やっぱり、モーツァルトの中に何か変化が見えたんだろうね。お父さんが死んで「フランス革命」で「大人には父は要らない」って出てきて、「皇帝陛下の存在もいらないというのか」「いらない!」で…何かひとつ飛びぬけた、親父の死によって変わった部分があって。で、次の「人間の価値は…」っていう言葉を聞いたときに「これはいよいよ時が来た!」っていう。じゃあ、いよいよ民衆のために立ち上がろうぜ。みんなにわかるように、俺たちの国の言葉で、みんながわかる言葉で「魔笛」を作ろう、「おとぎ話さ」と。で、その「おとぎ話」には「星から降る金」が関わってくるわけです。
-世界のうねりも感じて、ヴォルフガングの変化も感じているわけですね。
圭吾:そう。それを感じるし、俺たちの革命でもあるわけだよね。
-パパゲーノの髪の毛の立ち方が評判でしたが。
圭吾:「アホ毛、ぴょんって立たして下さい!」ってお願いした。そこは大事です(笑)。
-「Mozart!」幕が下りてきて、ヴォルフに語りかけるところでは、成功を祝っているのでしょうか。
圭吾:マイク入ってないかも知れないけど、「お前は最高だ!」「お前もな!」みたいな会話がなされているわけですよ(笑)。モーツァルトの一番頂点になったところで(「Mozart!」幕を引っ張る)アマデが「僕の成功だ」「いや俺の成功だ!」…ってならないとね!
-「Mozart!」幕の効果もさらに増した感じでしたね。
圭吾:そうだね。今回は本当に、みんないろいろ成長して、こだわってきたと思います。みんな「前のをなぞる」雰囲気ではなかった。新しいものを作るぞ、もうひとつ先へいくぞっていう思いが、それぞれにあって。それを出し合えた、いい舞台だったと思います。
-「Mozart!Mozart!」の最後に何かを捕まえていくという動きが加わりましたね。
圭吾:そうだね。でも、それはもう前からやってたことなんだよね。前は別にああいう「取る動作」っていうのはなかったけど、でも、その思いを「持っていって、それがいつも逃げようとして、それをまた引き戻す」っていうのはずっとやってることで、同じようなことなんだよ。みんながあそこで、いっぱい持ってっちゃわないといけない。あいつの精気を、魂を持ってかないと、ヴォルフガングが死ねない。「もう何もなくなった」っていうところへ行かなきゃいけないから。
俺としては…やっぱり、あいつの才能を、自分の望むものを、もっていく。もっていって自分はもうひとつ大きくなる。そこがやっぱり(シカネーダーが)ただの友達ではないところだね。「その存在を俺のものにする」っていう思いがあるし、非情な部分があると思う。
-今年の「Mozart!」全体的なご感想を。
圭吾:本当に、それぞれが大人になって、全体が、もうひとつ深いところに行けたんじゃないかと思う。「Mozart!」は最後、みんなで終わるじゃないですか。そこもすごくいいよね。やっぱり「みんなで作っている」という意識が、すごく持てる作品だから。それぞれがそれぞれとして、しっかり立たないと、やれない作品。一人一人が責任もってやらないと、やれない作品。だからすごくみんなを大きくさせる、役者を大きくさせてくれる作品だと思います。
-まもなく「タン・ビエットの唄」ですね。
圭吾:一役だけじゃなく、いろんなところで出てきたりするので。久しぶりにそういうのがあって、ちょっと楽しいです。着替え、出て、着替え、出て、着替え、出て(笑)。ひとつひとつの役を、違う感じにできるといいんだけどね。
-音楽座の頃一緒だった方々との共演でもありますね。
圭吾:やっぱり、土居さんとか畠中さんとかとディスカッションするときに、なんか懐かしく感じることがある。こんなことがあったなあ、とか。 場面的に一緒に出てるところも多いので、素敵なことが生まれればいいなと思います。畠中さんと絡みっぱなしなんだけど、やっぱり楽しいね。歯止めがきかなくなる。