CROSSandSHADOW
Current News 27 Mar,2009

 

2008

「宝塚BOYS」終了以降、「傾く首〜モディリアーニの折れた絵筆〜」「AKURO〜悪路〜」「Jewel」そして「スーザンを探して」と、ひっきりなしに舞台が続いていった吉野圭吾さん。昨年後半の公演についてのインタビューをまとめてお届けします。

◆前のニュース(2008.10.8)
◆次のニュース(2009.6.1)
◆目次
◆最初のページにもどる

-「傾く首」で、アメディオ・モディリアーニを演じられたご感想を。
圭吾:モディリアーニがどういう人間かっていうのを、周りがしゃべってるようなお芝居だったじゃないですか。自分で、モディリアーニ自身のことを、こうなんだ、ああなんだ、っていう態度で示すっていうことが少なかったので、それがけっこう難しかった。モディリアーニがどうするっていうよりも「周りに作ってもらってる」感じがあったよね。自分がああしようこうしようっていうのではなく、周りの人がモディっていう人物を表現している。で、僕は白いキャンパスとして居る、そういう部分だった。…そういうお芝居だった気がする。
-一回一回の公演が新しいと思いましたが、舞台の側もそうだったのでは。
圭吾:そうだね。毎回毎回が勝負だからね。 やっぱり「生きた空間になる」っていうところは、心がけていました。
-周囲の人々との関係も生き生きと描かれていましたね。
圭吾:そうだね…俺は台詞も少なかったから、その少ない台詞の中でいかに、そういう「関係」を表現していくか、お互いに作っていくか。どういう過去で、どういう友達なのかとか、どういう仲間なのか、どういう夫婦なのか…っていうことを表現するってことが、すごく面白いところでもあり、たいへんなところでもあった。
-晩年のモディリアーニの日常を切り取った構成が新鮮でしたね。
圭吾:お話自体が途中だからね。別に、ジャンヌとの出会いのところからやってるわけじゃないし。モディリアーニが死ぬところまでやってるわけじゃないし。
やっぱり一番難しかったのは、一番最後の一言だね。「僕は幸せだよ」っていう。あれは難しかった。結局、行き着いたところは「終わらない」っていうところだったんです。「この物語はここで終わりません」…みたいなところで終われるのが、あのお話を表現するにあたってベストだったなって。「まだ続いていきます」っていうところで終わるところがよかったっていうか、そこが勝負だったね。

-舞台と客席が非常に近い空間でしたが、そこから生まれてくるものもあったのでは。
圭吾:うん。やっぱり、みんなが同じ空間を共有するっていう緊張感とか「その場に、います」っていう、その場で目の当たりにしてますっていう感覚は、いいよね。逆に、アラが目立つっていうところもあるし。だから、いかに集中させるか、集中して観てもらえるかっていうところは、勝負だね。
-場面の切り替えで苦労されたところは?
圭吾:セットは変わらないし、照明で区切るしかないからね。やっぱり、今、外なのか中なのか、どういう場所に来てるのか、みたいなところは意識しました。
-「酔う」ということが繰り返し表現されていますが、圭吾さん自身は酔いきることはあると思いますか?
圭吾:どうだろうねえ…いや、酔いきれないんじゃないかな。その前にセーブがかかるから俺は天才ではない。セーブができない人たちのお話だからね。…セーブができない人たちのお話をセーブができない人がやったら困るもんね(笑)。
-登場人物それぞれの狂い方と、それを見つめるモディの心情が深く表現されていましたね。
圭吾:それぞれ何かに没頭するがあまり行ってしまう世界…っていうのが、あのみんなの中にあるんだよね。でもモディリアーニは、それができないんだよ。行きたいところに行けない。みんなは行ってしまえるのに、自分は行けない。だから、ハシシとか、そういう力をつかって行ける世界に逃げていった。「だから描けるものもあった」…ということだなと。

-観た人によって、さまざまな印象を持つ作品でしたね。
圭吾:すごく、正解がない話に感じるんだよね。だから、何を持って帰ってもらえるかっていうのは、ホントにそれは、お客さんそれぞれ違うと思うし。これほど「持って帰るものは自由です」っていう作品はなかなかないなって。だから、こだわり、悩みました。
-「こういうのを見せればいい」というものではないわけですね。
圭吾:そうそう。もう、あのお芝居で生きていく、それぞれ真剣に、生きていく。 ぶつけあって、違う作品を作っていって…っていうところはすごく面白かったね。…で、何が言いたいんですか?っていうのは、ないんだよ。
美術館とか行って絵を見て「何が言いたいのかわかんねえなあ、でも、なんか感じたな…あ、うん、なんかこの絵、好きだな」っていう、そういう感覚だと思うんだ。

-「AKURO」再演にあたって特に意識されたことはなんでしょうか?
圭吾:「まず、お参りに行こう」と(笑)。大阪の片埜にある、アテルイの首塚に行って来ました。(片埜神社:大阪府枚方市)。 そしたら、その首塚の後ろからアテルイとモレが現れたさ。…黒猫と、ぶちの猫が、迎えてくれた(笑)。
-どちらがアテルイ?
圭吾:黒いほう。(首塚は)公演の中にあるんだけど、お参りして帰ろうとしたら、公園の出口まで、モレはついてきた(笑)。ついてきて、だけど決してその公園からは出ようとしなかった。そこから見送ってくれました。
-処刑されたのが大阪ということで、首塚は大阪にあるのですね。
圭吾:本当のところはわかってないらしいんだけどね。まあ、気持ちのもちようだから。「また、やらせていただきます」という。おかげさまで。怪我もなく通せました。

-再演で、特に新たにしていったところは?
圭吾:今回は、謝先生ともいろいろお話して、もうちょっと荒々しい感じに表現しようかなと。そこを心がけてやりました。
-八百屋舞台で苦労されたところは?
圭吾:斜めは疲れるね(笑)。疲れるし飛び降りなきゃいけないし。もう、俺も含めておじさんたちばっかりじゃないですか(笑)。あぶないあぶない。簡単に飛び乗れると思ったらけっこう辛かった(笑)。
-役名は謎の「若者」ですからね。
圭吾:もう、そろそろ駄目だね(笑)。「謎」だけにして欲しい。ナゾモノ。
-語り部が舞台後方から飛び乗って、舞いながら正面に一気に踏み込む振りがありましたが、八百屋舞台では難しかったのでは?
圭吾:そうだね。ヘタに下、向くとダメなんですよ。目線を平行に持っていかないと足元を見るときに絶対ユラつく。ああいうとこへ立つ時は、正面をキッて見る。自分を信じて(笑)。目線を下に向けるとだめ。

-「闇に眠る真実」はメロディが完全に変わりましたね。
圭吾:うん、変わってたね。あれがまた難しいんだよ…。でも、いい曲だった。一幕終わって休憩中に、「AKURO」の音楽をピアノで演奏してるのが流れてるんだけど、それの「闇に眠る真実」が、すごい感動的なんだよね。…いいんだよ。グッと来るよね。あれをどこかで使ってくれないかなとずっと思ってました。 例えば、俺が「頼んだぞ高麿!」って言っていなくなって、次に「血のー川はー」って出てくる代わりにあの「闇に眠る真実」みたいなバラード系の曲が流れてきたら…。「ひーかーりーのなかーにいきーるーうそー…」
-それは泣きますね。
圭吾:それか、高麿が喋ってるバックに流れるとか。そういう風に使われたらいいなあ。

-お芝居が進行していく間の若者の「居方の工夫」は今回もあったのでしょうか。
圭吾:ありましたね。謝先生には「あなたはもう、何でも知ってる人になってて」って言われていました。この先どうなっていくか、どう運んでいくのか、っていうのがすべて見えてる人。
…でもたまーに、不思議な力でなにかを止めようとする(笑)。クスコが高麿をやっちゃおうとしてるときに「これはヤバい!」…って(笑)、不思議なハンドパワーで止めようとしたら、イサシコさんが「待てー!」って出てくる(笑)。それを引き出してるハンドパワー(笑)。
-直接干渉する力はあまりなさそうですが。
圭吾:そう。自分は手、出せないんだけど、誰かをつれてきたりする力はあるんだよね。…でもけっこう触ってるけどね、絵とか。
-高麿の剣もそうですね。
圭吾:(笑)ピンってはじいたら「おおっ!」てなる。あれは今回からだね。「不思議な力で剣がぴょん!なるんやわー!」みたいな(笑)。不思議な力を、たまに出す(笑)。

-一幕の最後、去り際の流れも大きく変わりましたね。
圭吾:「…頼む!」頼むよ高麿、あとは、頼んだぞー…って消えたいんだけど、その消えるイメージを、あの、フッて反っていく幽体離脱みたいな表現で。
まあ、高麿とひとつなわけですよ。気持ちはね。で、その高麿の肉体から俺は抜けていく、その、すうっと消えていくイメージを表現しました。俺の思いを。 そういう思いでやったら、ああなったんだよね。「すぅー…っ」ていなくなりたい、いなくなるっていう表現をしたいなぁー…と思ったら、体がああなったの。
-初演では壁が隠して行く去り際でしたが、今回の形では儚い感じが強かったですね。
圭吾:曲の「たりらりらりらりらりらりらりら」っていうところが、そうさせるんだ俺を(笑)…ミュージカルっていいなあ!ミュージカル俳優でよかったなあ!っていう瞬間があそこでした。

-架け橋のシーンで、後ろに座って静かに聴いているというシーンが追加されましたね。
圭吾:前は(アケシの娘の)姫が出てたところで、今回は出ないので、出てみました。うんうん、って見てる。俺は見守ってるぞと。鹿と。
-ラストシーンで剣を振るうアテルイが実体で登場する形になりましたね。
圭吾:前にやったときは謝先生が「かぶる感じがいい」っていうから(ラストシーンのアテルイは)映像だったんだけど。今回は生だったね。でも、生でやったほうが、俺的にも「ああ、『AKURO』をやり遂げました」みたいな感じがした。ああ、よかった、なんか俺も、一員になったんだ!みたいな(笑)。生で出られて良かったです。
-「AKURO〜悪路〜」を通してのご感想を
圭吾:やっぱり、いい作品だなと思いました。すごくやりがいがあった。俺はこういう作品大好きだなと思いました。これまたミュージカル俳優でよかったなと、思った作品でした。

-笹本玲奈さんの「Jewel」で、特に楽しかったところは
圭吾:「夜桜お七」かな(笑)。いろいろやってしまいましたが、あくまで笹本玲奈さんを輝かせるためにやってることなんで、誤解しないでくださいね(笑)。…だって俺を虚無僧に選んだということは「やれ」っていうことだろう。
-「AKURO」直後の日程でしたが、稽古スケジュールが大変だったのでは?
圭吾:やっぱり、みんなと一緒に、同時に稽古できないことが多かったから。だいたい後からの参加だったし。なかなかみんなについていけない部分があって、たいへんでしたね。
-王子様が引いてくる「馬」は最初からあったのでしょうか
圭吾:そうだよ。玉野さんが「圭吾はここで、馬を連れて出てきて」って。俺が勝手にやってるんじゃなくて、演出です(笑)。
-馬の背中を撫でる仕草も演出だったのですか?
圭吾:それはなかった(笑)。 元々は、馬だけ残していくっていうアイデアもあったんです。「残ったのは馬と玲奈」っていうところでシュールにオチをつけたかったんだけど(笑)。それは退場の都合でダメだった。

-久々の東山義久さんとの共演でしたが、息があっていましたね。
圭吾:ねえ。お互いに嬉しかったからね。
-二人のアンジョルラスでの「民衆の歌」はいかがでしたか?
圭吾:気持ちよかったです。最後に「二人で見合って、ビックリする」(笑)…っていうのをやりたかったんだけど、「決して二人は顔を見合わせないで下さい」って言われちゃったから(笑)。もしくは、背中合わせになって、歌う番が来たら裏っかえしにひっくり返る(笑)「あくまでも一人です」みたいなこともやりたかった…それもダメでした(笑)。

◆前のニュース(2008.10.8) ◆次のニュース(2009.6.1) ◆目次 ◆最初のページにもどる