Current News 16 Jun,2011

2010-11

2010年冬の「モーツァルト!」、2011年2月「LOVE LETTERS」についてのインタビューです。

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ぱーま -2010年の「モーツァルト!」、過去の公演と印象が違ったことはありましたか?
圭吾:自分の言う台詞の意味が、前よりすごく「落ちる」ようになった気がする。以前よりも、とってもよく腑に落ちた形で喋れたような気がしますね。 年とってきて人生観が広がってきたっていうか、吐く言葉が重くなってきたのかな。言葉の裏が。
-「ちょっぴり」ではシカネーダーだけでなく、一座全体でヴォルフガングを盛り上げる感じになりましたね。
圭吾:女優たちが「お抱えの女の子に見えないほうがいい」っていうのは、今回のテーマなのね。シカネーダー一座の座員として居る。決して「なんとか組」とかではない、個性的な一人一人の女優であってほしい…一番はじめ、稽古をやる前に、俺はそう思うんだって話しをしました。 「シカネーダーと、はべってる女たち」ではなく、一座でこのシーンを動かしていく、モーツァルト一座で引き込んでいく。それの代表として俺がいる。
-女優たちの踊りもそれぞれ練られていたんですね。
圭吾:「愛・嘘・苦しみ、陰謀に奇跡」っていうところの、彼女たちの振りが好きで(笑)。振付してたときに「やるなあ!」って思いながら見てました。本番では(シカネーダーには)見えないけど。「愛」「嘘」「苦しみ」でちゃんとそれをワンシーン、ワンシーン、変えるっていう。それを四人でやる。やるもんだなーって思ってました(笑)。
-「モーツァルト君を巻き込む」為に自分で工夫した仕草などはありますか?
圭吾:前はけっこうワンマンショー的な感じだったけど、すごく、モーツァルトを「見る」ようにしたの。「楽しそうじゃん?」「いいんじゃん?」って。でも彼ばっかり見てるんじゃなくて、決めるところは正面向きのほうがいいんだろうな、って、いろいろ考えたりもした。でも、彼が正面向いてても、俺は彼のほう向いてるって、すごく、芝居的にいいじゃない。バーン!ていう見え方は正面向きの方が決まるかもしれないけど、そうじゃなくて「まとわりついていく」っていう。彼あってのシカネーダー、っていうシーンのほうがいいだろうと思ってやってました。

-プラター公園の最初のところでは、ヴォルフと何を喋っているんでしょうか
圭吾:「あの双子、どっちがいい?」とか(笑)「双子の片方はホントは男だ」とか「どっちが胸がでかい?」とか「チャック閉めろ、チャック」とか…そんなことをぱぱぱぱっと言って(豹変して)「すべてはイカサマ…」
-コンスタンツェと会ったところでも、よく会話していましたね。
圭吾:ヴォルフがしゃべりかけてくる(笑)。「知り合いかー!」って言うと「かわいいでしょ?」とか「彼女が好きなんだ」とかいろいろ言ってくるから、「うんうん、うんうん」「…じゃ勝手にしろよ。」(笑)。
-「美女の胴斬りに挑戦してみない?」というところで碓氷マキさんとのやりとりも加わりましたね。
圭吾;そうそう。「どうぞ?」「やだあ!」みたいな、そういう振りを入れて、ということで。「奥さんどう?」「わたしはちょっとー」そんなお芝居をしてました。
-「並の男じゃない」のシカネーダーの踊り出し方は変わっていましたね。
圭吾:はじめは「ふうん、どうしてくれるの?」って、俺は動かない。「言ったね?」っていうところから、おおー、どうすんの?おおー、いい動きじゃない。って言って。
-だんだん足先からステップに入っていく。
圭吾:そうそう。うまく足をやりたいんだけど、下に段差があって引っかかってくる(笑)。「あーもう!」

-「ここはウィーン」ではサリエリとのバトルが発展していきましたね。
圭吾:あんまりぶつかり合ったりすると子供っぽく見えるからよそう、ってKENTAROさんと話し合ってました。「大人のぶつかりあいがいいよ。」だからあえて、あんまり行かないようにしたんですよ。
-そうですか?
圭吾:最後は大人げないけど(笑)。それは残しといた。
-ヴァーゲンザイルとのやりとりも面白かったですね。内緒話をしたり。
圭吾:あの曲の、歌詞の表現をしようとしていくうちに、ああなっちゃったの。「子供のころから悪だくみ楽しんでいる」の「悪だくみ」の部分を、出したいなと。
-後半で、お互いに反対方向から振り向くと…。
圭吾:チューしそうになる(笑)。いつからああなったのか…。
-男爵夫人とも仲良しでしたね。
圭吾:香寿さんは落ち着いた感じの男爵夫人を保ってるんだけど、涼風さんはキャピキャピしててびっくりしました(笑)。「まあ!きれいな衣装ね!」「ああ、ありがとうございます!」「ご婦人こそおきれいですよー」「ありがとう!」みたいな(笑)。

-今回あらたにやってみたこと、追求してみたことは?
圭吾:追求してみたこと?(魔笛アトリエの)「パパパパパー(笑)」あれ、入れてよかったなーと思って。はじめ高いキーで歌ってたんだけど、低くしてみて「低い方がいいじゃん!」と。ある時から井上君が、俺たちの「ぱぱぱぱぱー」に「あ、いいね!」って(楽譜に書き込みを入れる)芝居をするようになった。
-魔笛の「モーツァルト!」幕はシカネーダーの心尽くしなのでしょうか。
圭吾:そうだね。うち(一座)からプレゼント。今回は幕が絡んだりすることはあんまりなかったね。絡まるとたいへんなんだよ、俺が(パントマイムで)引っ張らなきゃいけないから(笑)。
-フランス革命からアトリエ、「Mozart!Mozart!」への流れは、再演を重ねるごとに深まっていますね。
圭吾:「魔笛」をもっと、モーツァルトの描いている世界にしていきたいね。モーツァルトの人生の終着点として。例えば彼一人が、彼とアマデだけがいて、それが表現できたらそれでも、すごくいいと思う。音楽と照明と、彼の表現のしかたで。そして一番の「モーツァルト!」の大喝采が響くと。「やっぱりモーツァルト!」っていうところの表現がもっともっと深められたらいいね。
-「魔笛」がモーツァルトの人生の頂点だという感覚は、深まって来ていると思うのですが。
圭吾:そうだね。アマデと二人で書いて、大喝采浴びて。で「自分ひとりで書け」って言われて、書けないで死んでいくわけだから。あそこがよければもう、お話は決まる感じがするんだよ。
-ヴォルフの「大人になった男は…」という場面も強く関わってきますね。
圭吾:俺たちはあの台詞を大きくしてるわけじゃないですか。次のフランス革命「人は自分の足で歩いて、初めて人間になれる」は、あのヴォルフと同じことを言ってるんだよね。そこを受けてのフランス革命だからね。

-「Mozart!Mozart!」で今期さらにこだわったところは。
圭吾:こだわったところ?…「熱狂」の、静と動。ただ攻めればいいってもんじゃないなと思ったの。と、わ、に、か、が、や、く、ってとこ。ずっと乗り出しているんじゃなくてもいいんじゃないかと。で、(直立から入るバージョンを)やってみたら「これいい!すてき!」(笑)。
ちょっと狂気じみてるところを表現したかったんですよ。ストレートに行くだけじゃないな、と思って。コンサートなんかでも「マイケルー!」って言ってて失神しちゃうとか、ただ泣いてるとか、「キャーッ!」て行くだけじゃない表現があるんじゃないか、って今回、思ったんですよ。以前の表現の仕方に限界を感じてきたんだ。
-前へ乗り出していくだけではなく
圭吾:うん。まあ最終的には行くんだけど、でもそこにいく「段階」って、あるよな。この(「永久に輝く真実」の)十拍の。この十個の瞬間のありかたが。
-「生まれつきの定め」の部分の振りの切り替えも鮮やかでしたね。
圭吾:…我ながら、すばらしい振りだと思った(笑)。あの表現はねえ、今まで生きてきた過程あっての表現でした(笑)。いろいろ踊ってきて、いろんな先生の振りを受けて来てなかったら、この振りは出てこない(笑)。

-本番を重ねていく中で発見したことはありますか
圭吾:「Mozart!Mozart!」の、「かーみーのー(申し子)」っていうところで、目の前に碓氷マキちゃんがいるんだけど、その歌声に何か感じちゃって、涙が止まらなくなったことがある。たぶん俺の声もみんなの声も重なってたんだけど。「あ!これでしょ!」って思った、あの瞬間はよかったです。
-今期は、ナンネールのお芝居の流れが大きく変わりましたね。
圭吾:最後に箱を開けるときのナンネール、良かったよね。今回から喪服のままになったんだけど。(舞台袖から)いつも見てました。あの「箱」を開ける瞬間が大好きなの。あそこは絶対見逃さないんだけど、最高に好き。いいよなー…箱から音楽がいっぱい飛び出してきてさ。見てたら、そこで、泣いちゃうからね。
-そのあと、全員で舞台に入っていくわけですね。
圭吾:曲たちがあの箱からぴゃーって出てくる、それが見えるんだよ。「おぉー出た!出たぞ!」…で、フッとひと息、吐いて、「デーーーーン」ていうイントロに乗って出ていく。あの瞬間もたまらなく好きです。
-いい作品ですね。
圭吾:本当に。アンサンブルの人たちも、すごく充実感のある作品だって言ってました。
また、何年かして会いたい作品です。

-「ラブ・レターズ」これまでにご覧になったことは?
圭吾:ないです。あの本は見かけたことがあったけど。俺が高校生のころから書いてる絵に似てるなって思ってました(笑)。
-原作はお互いの手紙だけでつづられていくので、物語の雰囲気は読み手に負うところが大きいですね。
圭吾:一回読んだ時はピンと来なかったんだけど、何度も読んでくうちに面白くなってきました。 初めての稽古で合わせてみた時に「あ、面白いんだこれ!」て思った。それまでは面白さがよくわからなかったんですよ。
-二人の読み方の違いが、面白い雰囲気になっていましたね。
圭吾:片やずっと本にしがみつき、片や(前に向かって)話そう話そう、って感じで、バランスとれたっていうことなのかな(笑)。俺のほうは、お芝居的に読むのは「unbalance」でやっちゃったので、今回はあくまでも朗読を貫こうと思って。 この「本」の力を信じてみようと。あくまでも、この「本」と、それを読む「声」に、魅力があるはずだ!と思ってやってました。

-読み始めるところは不思議な雰囲気でしたね。
圭吾:挨拶して、座った後、アンディになるまで間をおこうと思ったの。しばらく「ラブ・レターズ」っていう本を見て、集中して、初めてページを開いて。…表紙とページを一気に開けるかと思ったらもう一枚あった(笑)。それが汚点だった。表紙と、台詞が書いてあるまでのページ、両方いっぺんに行きたかったんだけど「あぁー。もう一枚あった」(笑)
-最初のきっかけの部分ですね。
圭吾:「やる前」って大事だなと思ったから。自分が「やりたくなる」まで待とうとか思ったの。そしてその緊張感たまらないでしょ?っていうのも、お客様に味わわせたかった(笑)。「俺、ここから変わるからね?」っていう。

-衣装は、アンディのキャラクターに合わせて考えられたのでしょうか。
圭吾:一応、なんとなくそれっぽい格好はして行ったけど、それはあくまで自分の気持ちを持っていくためで。普段の吉野圭吾の格好では出られない、と思った。本当は衣装とかは、観客の視覚に不要なんだけど。
-「プレッピースタイル」でしょうか?
圭吾;それそれ。プレッピー。そういうのを売ってるお店の人に「全部、それで揃えて下さい」ってお願いして。 で、揃えてくれたお店の人が「これで、あと、メガネすれば完璧です」って、伊達メガネ持ってきてかけさせてくれたの。「あ、ホントだ。これいいじゃん!」と。じゃあ、自分の眼鏡あるから、それでやろう!」と。

-年齢が変わっていくごとに雰囲気が工夫されていたと思うのですが
圭吾:朗読だから、目をつぶって聞いてて、それで想像力が膨らむようなものにしたかったんです。たとえば海軍に入ったら、ちょっと軍人ぽく喋ったり。その年齢をしっかり追いたかったんだ。
-手紙にも様々なシチュエーションがありましたが。
圭吾:けっこう難しかったです。いろんな人に送る「報告」みたいな部分と、彼女宛に送る「手紙」とは違うからさ。本の文章を見ればそれはわかるんだけど、それを「音色」で聞かせなきゃいけないじゃない。
-返事が来ない間の表現も面白いですね。
圭吾:シーンとしてる「間」が楽しいね。(手紙が)一年あいたりする時間てさ。立て続けに自分で言わなきゃいけない時もあるけど。その時間をどう、この短い「間」で表現していくか、っていうのは面白かった。 続いてる手紙なのか、一ヶ月経っての手紙なのか、っていうのが。そこの空白の部分が、みんなに見えるだろうな、そういう表現にできてるといいな、と思いながらやってました。
-いろいろな表現がありましたね。
圭吾:「勝手にしろ」っていうところであんなに受けると思わなかった(笑)。「間」の力はすごいなと思いました。 「ここ、面白いんだ!」。文章だと面白い部分とは限らないじゃない。
-「お盆かあ!」でも笑いが起きたのも印象的でした。
圭吾:手紙を読んでたらさあ、彼女(妻)が「お盆よ」って言うわけでしょ。で「ああ!お盆かあ!」彼女の手紙を読みながら、後ろで(包みを)開けてる妻の姿が見えたらいいなって(笑)。 そういう、本の内容がよく見えるように。キャンプとかで忙しくしてる姿が見えるように「時間がないからじゃあねー」みたいな。
-朗読としての面白さは、さまざまな可能性がありそうですね。
圭吾:うん。…今回は、大事なのは「覚えない」ことだと思いました。俺は、覚えると離したくなるんですよ。「unbalance」とは違うから。
いつか「TOY BOX」で朗読しようかな。なに読もうかな。「北斗の拳」とか。

-素敵な脚本でしたね。
圭吾:ホント、いい経験でした。すごい緊張するかなと思ったら、本番ではぜんぜんしなかった。 初めての読み合わせ、一回だけの稽古のときはすごい緊張して、終わったらなんか口の中がネバネバしてきて(笑)。「こんな緊張しちゃうのか」って思ったんだけど、いざ本場やったら楽しくてね。稽古の時に青井さんが「みんな緊張するんだよ?」って言ってて。それはするだろうなあ、すぐ前にお客さんいるし、と思ってました。
-稽古は一度だけ、それで生まれるものを重視しているのですね。
圭吾:それが良さなんだと思うんだよね。相手を、拒否しないで、受け入れていって最後まで読み切るっていう。どう転ぼうがそれを受け入れる、っていうのが「ラブ・レターズ」なんだと(笑)。
「こんな感じで読まれた手紙に対しての返事は、こんな感じだろう」って、考えてもそうなるとは限らない。そして最後どうなってしまうか…っていうのは、本人たちにもわからない。
だから続いてるのかも知れないし、いろいろな人で、一回しか稽古しないっていうのはそこ狙いなわけだよね。一期一会なわけじゃないですか。 そこで生まれるものを体感してもらう、っていう企画なんだろうな。
-また、ぜひ機会があれば
圭吾:そうだね。あと10年ぐらいしたらやりたいね。

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