銀次郎物語 第二章 −騎乗開始−
私の勤める牧場は、北海道の本場の近くにある牧場を借り、分場として本格的に育成もはじめました。私は北海道では、その分場の方に手伝いに行きました。さすがに北海道。放牧地がものすごく広く、坂路コースもあるのですが、800メートルもの長さです。休憩室には、今年の期待の2歳牝馬の新馬、500万のゼッケンが飾ってありました。(多分今頃は、ファンタジーSのゼッケンも飾ってあることでしょう。)
特にアクシデントもなく、牧場の手伝いも終わったとき、明日朝7時に馬運車に積む予定でしたが、午後1時に変更になったと言われました。今回積む馬達は、結構うるさい馬だと聞かされ、馬輸送初体験の私はどうしようかと思うものの、本当に馬が暴れ出したら止められるわけがないと開き直って、当日馬を積みました。
思ったよりみんな素直に馬運車に乗り込んだ、銀次郎の同期の馬達と共に、私は北海道の門別を出発しました。夜8時20分のフェリーで函館から青森へ移動し、高速道路で千葉へ。何事もなく千葉へ着いたのは、2日の午前11時でした。こんな感じで私の馬輸送初体験は終わり、千葉へ戻ってきました。
次の日から、私は今までと同じように仕事が始まります。もちろん、銀次郎にも乗ります。しかしさすがに3日ぶりの銀次郎は、調教が崩れていると言いますか、以前のように悪いところが戻ってきていました。
しかし、そんなことはすぐに直りました。が、銀次郎のグループはしばらく休みにはいることになりました。これは昨年からおこなっていることなんですが、馴致で馬に溜まったストレスみたいなものを、とろうという意味があります。3週間から4週間ほど騎乗はお休みです。次に乗る頃はまた少し、覚えたことを忘れているかもしれません。ま、それはその時。しょうがないことです。どうせすぐに思い出すことでしょう。
それから2、3日後。銀次郎が放牧地で怪我をしてきました。左トモの管の内側です。それほど大した怪我ではありませんが、腫れてしまいました。少しずつ腫れが下の方へ下がってきて、管全体が腫れ、それからすぐにひいたのですが、傷口のところが腫れたままです。薬で消毒はしているのですが、放牧するとすぐに泥だらけにしてしまいます。傷口のとこを触られるのを嫌がるので治療が大変ですが、傷が完治するまでこれからも消毒が必要です。このままだと少し腫れが残ってしまうかもしれません。ただ、競走能力に影響するような大きな怪我ではありません。
ところで、我が牧場の期待の2歳牝馬が熱発のため、(旧阪神3歳牝馬S)には出走しないそうです。勝てる力はあるのに、GTの壁は厚い。
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この物語はフィクションであり、実際の馬、人物、団体等とはたぶん関係ありません。
写真と本文はたぶん関係ありません。