銀次郎物語 第五章 −デビュー−


 デービューしてから全くいいところのない銀次郎は、放牧に出されることになりました。前走の大敗でタイムオーバーになり出走停止処分になったからです。一応、短期放牧ということで、出走可能になる一ヵ月後にはレースに使うということでしたが、私はそんなことは信じられませんでした。きっと長い牧場生活が始まるのだろうと思いました。なぜなら、すぐ持って行くと言っておきながら、なかなか持って行かないことがこの世界では多いからです。
 年が明け、銀次郎も3歳になりました。徐々にクラシック候補として勝ち上がっていく馬達がいますが、銀次郎は予想通り牧場生活をおくっています。特に異常もなく元気なのですが、何故か競馬場に戻る指示がでません。冬も終わる2月下旬、私は銀次郎に会ってきました。
 夕方、牧場に着くと全ての馬が馬房の中で夕飼いを食べていました。まだ夜は冷え込むため、全ての馬房の扉は閉められていました。私が銀次郎の馬房の前戸を開けると、以前より少し大きくなったような気がする銀次郎が、馬服を着て、飼い葉を食べていました。
 私のことを憶えていたのでしょうか?いや、いきなりの訪問客に興味があっただけでしょう。飼い葉を食べるのを止めて顔を出してきました。私が鼻梁を撫でてやると、気持ちいいのでしょうか?いや、「何だこいつ?」と考え込んでいたのでしょう。大人しく撫でられていました。しかし、しばらくすると飽きてきたのでしょう、上唇を動かし、私の手を食べようと(口の中に入れようと)してきました。
「オレの手は食べ物じゃない。」
 私が手を引っ込め、顔が届かない位置まで退くと、銀次郎は何事もなかった様にまた飼い葉を食べはじめました。私がせっかく30分かけて車で会いに来たというのに(近いじゃないか!?)銀次郎は冷たい奴でした。人間ならば久しぶりにあったのならば飲みに行くかという話も出てくるのですが、相手が馬ですからそうはいきません。
「このまま終わるなよ。必ずもう一度競馬場で走れよ。」
 私の思いが銀次郎に伝わったかどうかはわかりませんが、銀次郎はただ、飼い葉を食べ続けていました。

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この物語はフィクションであり、実際の馬、人物、団体等とはたぶん関係ありません。
写真と本文はたぶん関係ありません。