銀次郎物語 第六章 −初勝利を目指して−


 6戦目で初連対の2着となった銀次郎は、2週間後、同じ新潟競馬場の芝1800m未勝利戦に出走してきました。前走2着が評価され、銀次郎は3番人気になりかなりの期待を背負いました。
 思い起こせば第1戦、7頭立て6番人気の6着に終わり、そして第2戦では11頭立ての11番人気11着のシンガリ負け。しかし今回の第7戦では12頭立ての3番人気になったのです。初勝利が目の前にまでやってきたのです。しかし7月31日、銀次郎の第7戦、新潟競馬場芝1800mは、3番人気3着と人気どおりの結果に終わりました。
 一般的に白い色は濃い色よりも夏場の太陽などに強いとされ、それは競馬にも当てはまり、芦毛馬は夏場に強いといわれていました。この、未勝利馬にとって最後の夏は競走馬として何とか勝たなくてはならない季節なのです。
 銀次郎の8戦目は、さらに2週間後の8月15日に同じ新潟競馬場でおこなわれました。芝の2000m戦で今までで一番長い距離でした。私はもちろん期待しましたし、ここで勝てなくても、いつか近いうちに勝てると信じていました。しかし結果は5着。そして短期の放牧に出されることになりました。
 短期放牧というのも様々な理由があってのことだと思います。私が育成牧場で働いていた頃、一週間だけ放牧というようなのがありました。その馬は放牧明けにすぐレースに使えるように、乗り運動を欠かさないようにということでしたが、何を見越しての放牧だったのでしょうか。心身とも特に休まるとも思えません。数の限られた馬房数でやりくりする厩舎の運営方法だったのか、あるいは担当厩務員に何かあり、つごうが悪くなったからかも知れません。
 今回の銀次郎の場合も、どのような理由で放牧に出されたのかは、調教師に聞かなければわかりません。とにかく銀次郎が放牧に出されたことは確かなのです。短期放牧で一ヵ月費やしたとしたら、残る時間は2ヶ月ほどになってしまいます。銀次郎に残されたチャンスは、順調にいってあと2レースほどでしょうか。私はそのように思っていました。
 いつ、どこで、何がおこるかわからない。これは競馬だけではなく全てにいえることです。もちろん銀次郎も例外ではありません。
 私の思いに反し、銀次郎はこの後、レースに出走することなく引退への道を歩んで行くことになったのです。

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この物語はフィクションであり、実際の馬、人物、団体等とはたぶん関係ありません。
写真と本文はたぶん関係ありません。