韓国旅行記 【韓国新正月旅行記】 1/5(全5話)


1998年12月30日(火)


01またまた金浦空港へ

 僕は再び金浦空港に降り立った。今回の旅も最近の傾向である「友達と会って交流する」ものになりそうだ。以前は韓国人の知り合いもなく、ただ観光して回るというものだったが、知り合いが増えるにつれてその割合が急降下していったのだ。そして宴会などをするため、だんだんソウルから離れなくなってしまった。僕の韓国語の実力が上がるにつれてその知り合いの数も増えていく傾向にあり、いわゆる「旅」という範疇からは外れつつある。それが自分にとってどうなのかはよく分からない。でも、多くの国々を漂泊するタイプの旅もあれば、このように一つの国をじっくりと攻めるのも、またそれでいいものなのかも知れない。韓国の、或いは韓国人の内面に迫る旅なのかも知れない。

 ところで今日は韓国のパソコン通信「チョルリアン」(千里眼)の「日本語同好会」のメンバーとの交流会が予定されている。僕が韓国に行くと知って、集まってくれるというのだ。チョルリアンとは日本のニフティやPC−VAN(現BIGLOBE)のような大規模商用BSSのことで、韓国でも指折りの大きさを誇っている。僕はそこに日本から接続して、韓国人との通信を楽しんでいるのだ。(注1)

 チョルリアンにはニフティのフォーラムに当たる「トングオフェ」(同好会)がたくさんあって、それぞれ好きな話題に花を咲かせている。「イルボノ トングオフェ」(日本語同好会)もその中の一つだ。基本的には日本語を学んでいる人たちのためのサークルなわけだが、ほとんど日本語をしゃべることが出来ず、ただ日本文化や日本の音楽が好きだと言う人も多い。同好会の運営陣はそういう人の割合を少なくしたいようだが、実際は後者の方が多いのだ。(注2)

 日本でも広く知られたことだが、韓国政府は日本の音楽を輸入禁止にしている。(注3) しかし、実際はかなり普及しているのだ。街角では海賊版のテープが売られ、CDを手に入れる手段もある。だた禁止措置のお陰で、偏った普及をしているのも事実だ。そういった中で、この同好会がそれなりに機能しているとすれば、それはそれでいいのではと僕は思っている。相手の国に興味を持つきっかけというのは、たいてい映画であるとか音楽というのが普通だ。日本語が喋れなくても、大いに興味を持って欲しいと心から願っている。

くりぐり
鬱陵島出身で、ソウル近郊のクリ市在住(だからハンドル名がくりぐり)小柄で可愛い女性
かんねぎ
くりぐりさんのお友達。いっこ下らしい。よく喋る女性。(^^;
よんひ
僕を出迎えに空港まで来てくれた。酒井法子のファンらしい。
かすみ
村上里佳子似の女性。リゾート関係の会社に勤めるOL。日本語はうまい。
こま
テグ(大邱)に住んでいる。ユーモアのある面白い男性。
パイザ
この旅行記の作者で、このホームページの管理人です。

(注1)1998年の旅行記当時はインターネットの普及期で、まだいわゆる「パソコン通信」も生き残っていたのである。
(注2)同好会は任意に設定することが出来た。おおらかな時代だった?
(注3)その後、開放されたのは周知の事実だ。でも、この旅行記当時は開放されることなど想像できなかった。



02韓国人の友達がお出迎え・・・

 さて、韓国に来る前に、幹事の「くりぐりさん」(本名:キム ヒョジョン・女性)から、空港に「ヨンヒくん」(男性)を迎えにやらせるから、合流して一緒に来てくれという連絡があった。ヨンヒくんかぁ・・・。実は一度あったことがあるんだけど、顔を覚えているかなぁ・・・。実は少し心配をしていた。しかし、空港のゲートを出るとすぐにわかった。向こうがしっかりと覚えてくれていたようだった。早速挨拶を交わして地下鉄の駅に向かう。宴会の場所はカンナム地区にあるヨクサム(駅三)だ。

 ヨンヒ君はまだ高校生で、まだまだ初々しさの残る少年だった。ひょろっと背が高く、メガネをかけていて、いわゆる典型的韓国のコンピュータ少年といった感じだ。僕はお土産用にと手荷物を持っていたのだが、それを早速持ってくれた。そして地下鉄の駅に向かいがてら、話を始めた。

 「ところで、ヨンヒ君は日本語を喋れたっけ?」
 「え?・・・いえ、だめなんです・・・」
 「じゃ、韓国語で話をしましょう」
 「お願いします」

 ヨンヒはまだ日本語会話が出来ないようだった。でも、これから覚えていけばいいことだ。そう思っているうちに地下鉄が来たので乗り込んだ。

 地下鉄は比較的空いていたので、二人並んで座ることが出来た。するとヨンヒ君はカバンの中からクリヤーファイル取り出して、何やら僕に見せてくれた。雑誌などの切り抜きよようだった。よく見てみると、すべて「酒井法子」に関するものだった。

 「なんだ、ヨンヒ君はのりピーのファンだったんか」
 「ええ・・・そうなんです。星の金貨を見ました・・・」
 「なるほどね。で、この雑誌とかはどうやって手に入れたの?」
 「いろいろ、もらったりとかしました」

 なるほど。しかし、かなりの量で、歌のリストなんかも用意されていた。酒井法子は台湾では人気があると聞いていたが、韓国でも相当なものなのだろうか。そしてヨンヒ君は「星の金貨」の本も持っていた。今、読んでいるらしいが、難しくてよく分からないようだった。

 そうこうしているうちに2号線との乗換駅に来たので、乗り換える。こちらはいつもの通り、とても混んでいた。このままヨクサム方面へ直行だ。そして1時間あまりで目的地に到着した。



031次会:ホプ(居酒屋)へ

 既に宴会は始まっている時間だった。急いで駅を出て宴会場に向かう。とあるビルのホプ(居酒屋)に入っていくと、既に宴会が始められていた。20名以上の人が集まっているようだった。僕が到着すると、早速ビールをつがれ、乾杯攻めにあう。

enkai そして早速、みんなに挨拶をする。以前会ったことのある人がほとんどだった。しかし初めて会う人もいて、想像とのギャップに驚かされる。これは日本でも韓国でも同じだ。僕はあらかじめ三宮で作っておいた「名刺」に「プリクラ」で撮った写真を張り付けて配った。ちびまる子ちゃんのプリクラだったのだが、何人かはそれを知っていた。

 久しぶりに会ったので、いろんな話に花が咲いた。幹事の「くりぐり」さんは、相変わらずだし、その友達のカンネギさん(トウモロコシという意味:女性)、カイ君(男性)、コマ君(ちびちゃんという意味:男性)、かすみさん(女性)、アンニョさん(悪女さん:女性)、ビルさん(女性)なども変わりなかった。

 くりぐりさんは、鬱陵島出身(!)で、現在ソウル近郊のクリ市(だからハンドル名がくりぐり)に住んでいる。小柄で可愛い女性だ。僕は鬱陵島出身の人を見たのは、この人が初めてだった。で、未だに2人目を見ていない。日本に語学演習(短期間の語学留学)をしに来たことがあり、日本語は喋れる。

 カンネギさんはそのお友達の女性だ。くりぐりさんを「オンニ」(おねえさん)と呼んでいるところを見ると、くりぐりさんよりは年下のようだ。とってもとってもよくしゃべる女性で、僕に対しても韓国人に対するように早口でしかも難しい言い回しでしゃべるので、正直言って何を言っているのかよく分からない場合が多い。でも、そういう風にしゃべってもらえるのって、幸せなことなのかも知れない。因みに日本語はダメらしい。義理と人情に溢れる、まさに典型的韓国人女性という雰囲気を持っている。

 カイ君コマ君は日本に興味のある男の子だ。実は韓国の男性の友達って、彼らが最初なのだ。カイ君は大柄な男性で、とても韓国人ぽい雰囲気を持っている。それに冗談も多く、面白い。日本語の実力の方はよくわからない。

enkai2 かすみさんは、くりぐりさんと同じクリ市にすんでいる女性で、リゾート関係の会社に勤めるOLだ。村上里佳子に似た、大人の雰囲気を漂わせる美女だ。日本語もかなり堪能なようだ。日本に来ればさぞかしもてるだろうと思う。

 アンニョさんはとてもスノッブな雰囲気の女性だ。芸術系の大学に行っているらしく、まさに「そんな感じ」だ。スノッブなメガネにスノッブな帽子をかぶっている。(左写真の緑色の帽子をかぶっている女性)建物の中にいるに帽子をかぶっているのは、それなりのこだわりがあるのだろう。芸能人でうまくたとえられないが、あえて言えば森口博子か?(顔ではなく雰囲気が)

 これ以上続けると紹介ばかりになってしまうので、話を前に進めよう。

 ところで、今いる「ホプ」だが、いわゆるドイツスタイルの居酒屋だ。イスとテーブルが並べられていて、日本の「ビヤホール」「洋風居酒屋」に相当するものだろう。ただし、見た目とは違い、出される料理は韓国料理が中心だ。テンジャンチゲ(韓国風の味噌煮込み鍋)なども頼めば出てくる。最初は「面白いなぁ」と思っていたのだが、考えて見れば日本のビヤホールでも子エビの空揚げとか、シシャモとか、揚げ出し豆腐とか、そういうものを頼むじゃないか。ドイツ人が見れば、どっちもどっちなんだろう。韓国旅行をしていると、こういった形で日本の現状を振り返らせてくれるものがある。興味の尽きない点のひとつだ。

 宴会もたけなわとなり、各自入り乱れていろんな話をした。僕は忘れないうちに幹事役のくりぐりさんにプレゼントとして「トトロのぬいぐるみ」を渡しておいた。韓国では手に入りにくいと思うのだが、どうなのだろうか? その他「トトロの絵本」や「コアラのマーチ」(ロッテ製品:韓国にも全く同じ物がある)をみんなで分けてもらった。

 宴会には遅れてくる人や途中で帰る人もありながら、盛況のうちに終了した。



042次会は、カムジャタンの店

 宴会が終わったので、女性陣を中心に帰る人はここで帰っていった。時刻はもう11時近くになっており、マクチャ(終電)の時間帯だ。そこで「実はまだ泊まるところが決まっていないんです」という話を切り出すと、出席者の中の一人が「じゃ、うちに泊まればいい」と言ってくれた。結局、その男性(ホン サンス君)の家に泊めてもらうことにした。

 泊まるところも決まったので、2次会に向かうことになった。年輩でリーダー格のMACFANさん(韓国のマックユーザー:男性)や、ッコンメギさん(女性)らを先頭に6〜7人で「カムジャタン」を食べに行くことになったのだ。・・・え? まだ食べるの? 韓国人の食欲は本当にとどまることを知らない。日本の場合は2次会といえば、カラオケか喫茶店と相場が決まっているのだが、韓国の場合はそうでない「場合」もあるのだ。特に彼らは大学生を中心とした層で、若いからかも知れない。それとも僕に韓国の美味しいものを死ぬほど食ってもらおうと言う腹なのだろうか?

 「カムジャタン」とは読んで字のごとく「ジャガイモ鍋」のことだ。ジャガイモと豚の随を煮込んだもので、韓国ではポピュラーな食べ物だそうだ。

 そのカムジャタンの店は、1次会のホプの近くにある「ットゥンテギ」(ふとっちょという意味)という店だった。地下に向かう真っ暗な階段を下りていくと、狭いスペースにイスとテーブルが並べられており、なんだかアングラ劇場にでも迷い込んだかのようだった。そして、この時間だというのに客が数名食事をしていた。どうやらこのカムジャタン、酒を飲んだ後に「シメ」で食う、日本のラーメンに当たるものなのかも知れない。

 店の奥の方には座敷席もあったので、そこに陣取った。そしてカムジャタンの他にもいろいろと食べ物を注文する。とにかくよく食う連中だ。さっきまでビールを飲みながらさんざん食ったんではないのか? 全く韓国人の胃袋ってどういう構造になっているんだろう。それに驚くべき事に、これは男性に限ったことではないのだ。こんなに食べるクセがついているから、中年以降に急激に太るのかも知れない。

 しばらくして、目の前にその「カムジャタン」がデンとのせられた。ジャガイモと骨がこぼれんばかりに山盛りで出てきた。日本で「**鍋」というと、汁の中に具が沈んでいるというのが普通だと思うが、この店の場合は、具の量が汁の倍ほどある。湖に浮かぶ島のようだ。カムジャタンが一般的にこういうスタイルなのか、この店だけがこういうものなのかは定かではない。

 僕は正直言って「満腹」であったため、肉を少ししゃぶってみる程度にしか食べることが出来なかった。ただ、韓国の場合、箸が進まないと、「何で食べないのか?」とか「美味しくないのか?」とか、いらぬ心配をかけてしまうことになる。今回のメンバーは比較的日本の事情に詳しいので、「日本人は韓国人に比べて小食」という事実を知っているから、その点では気が楽だった。しかし、日本人の中でも小食の部類に入る僕は「おなかいっぱいなんです」と言っても信じてもらえない場合が多い。僕より小柄の女性が僕よりたくさん食べるというのは、よくあることなのだ。

 仕方ないので、僕はソジュ(焼酎)を中心にやることにした。イルチャ(1次会)はビールだったので、それだけでおなかがいっぱいになってしまったのだが、ソジュなら大丈夫だ。



05日韓・・・その溝と現実

 そうやってソジュを飲みながら話をしていくうちに、日韓関係の話になってしまった。そして、日本が好きだという人たちであっても「朝鮮民族が南北に分断されているのは日本のせい」と言う意見を言い出した。これはどう理解したらいいのだろうか? マスコミや、学校教育から来るものなのだろうか? 日本人からすると、「とんでもない言いがかり」と感じると思うのだが、その心理的な過程を、もっと考えないといけないのかも知れない。でも、日本と日本人との区別がちゃんと付いているので、少し安心した。

 ただ、話をしていて感じることなのだが、彼らの年代は「日帝時代」(日本が侵略していた時代)と、それに引き続いておこった苦難を実体験として感じることが出来なくなっているようだ。当たり前の事なのだが、改めて感じてしまう。

 韓国は日本と違って、1945年の光復(独立)以降、朝鮮戦争(1950年)、南北分断など日本に比べると比較にならないほど厳しい時代を過ごしてきた。しかし、70年代中盤から80年代生まれの彼らにとって、光州事件(1980年)ですら「実体験としての記憶」がない状態になっているのだ。そして今の高校生世代の場合、親が朝鮮戦争前後の生まれとなるわけで、日帝時代の生き証人世代からますます隔絶されつつある。結局、日韓関係については「歴史」として教育されてきたわけだ。だから「その教えられたことが事実なのか」「客観的に捉えられているのか」というのを確かめようのない状態におかれつつあると考えられる。これが「客観的に歴史を捉えることの出来るきっかけ」となるのか、或いは「純粋培養された反日的歴史観」となるのかは、これから注視していかなければならないだろう。楽しみでもあり、恐くもある。

 もちろんそれは日本人とて同じ事だ。年がばれてしまうかもしれないが、僕の父親はかろうじて戦争を記憶している。しかし母親はほとんど記憶がないそうだ。僕自身は父親から父親の実体験として、空襲から逃げ回った話などを聞いてきた。しかし、20年後、30年後を考えるとどうだろう。この太平洋戦争をどのように伝えているのだろうか?

 激論をかわしながらすっかりカムジャタンを平らげた一行は店を後にした。時間はもう夜の12時を回っていた。さすがに韓国だけあって、心から冷えてくる寒さだった。



06韓国人の家へ・・・

 店の前でみんなと別れた後、今日泊めてもらうホン君の家に向かうことにした。タクシーを拾いに大通りまで出る。そして走っていくタクシーに向かって手をあげた。するとタクシーが減速してこちらに近づいてくる。客が既に乗っていても構わずに「***!」と行き先を叫ぶのがルールだ。方向が一緒なら乗せてくれる。韓国では相乗りが普通なのだ。

 しかし、なぜか車は一向に止まってくれなかった。行き先を叫んでも運転手は首を振って走り去ってしまうのだ。震えるような寒さの中で次々と来るタクシーに向かって、ひたすら叫び続けた。と言っても、僕が叫んでいるわけではなくて、ホン君が叫んでいるのだ。そのうち「もしかして逆方向?」ということになって、反対側に渡るとあっさりつかまった。

 ホン君の家の近くで相乗りタクシーを降り、本人につれられて深夜の住宅街の中を歩いた。いわゆる一戸建てではないが、低い建物が並んでいた。ホン君に「これはアパトゥ?」(日本のマンションに当たる単語)と聞いてみると、「いや、ビラです」と憤然と答えてきた。どうやら「アパート(マンション)ではない」と言いたいみたいだ。

 その韓国語でいう「ビラ」は3階建てほどの低層マンションといった感じのもので、確かにデラックスな雰囲気が漂っている。日本ではあまりお目にかからないタイプの住宅で、テラスハウスとマンションの中間ぐらいと理解すればいい。「連立住宅」という韓国語の単語を昔習った気がするのだが、これのことなのかなぁ、などと思ってしまった。

 その中の一つに入っていく。人が近づくと階段の電気がさっとつく仕組みになっていた。この手の高級感が韓国人にはたまらないのだろうか? そして2階に上がり、鍵を開けて中に入った。

 中に入ると広い空間があった。リビングのようだ。そして奥に部屋が二つ見えた。一つがホン君の部屋で、もう一つはお兄さんの部屋らしい。両親は別に住んでいるということだ。ホン君に話によると、お兄さんは現在、宣教師になる修行をしているらしい。気むずかしいので起こさないように気をつけて欲しいと釘を差されてしまった。

 ホン君の部屋にはいると、机、オーディオ、本棚などが並べられていた。本棚には日本に関する本が山のようにあった。そしてオーディオの上には「マリア像」が置かれていた。クリスチャンだったのか・・・。

 先にシャワーを浴びるように勧められたので、お兄さんを起こさないようにシャワー室へ移動する。そこはトイレと一緒になった空間で、なんと湯船がなかった。最近のマンションはこのタイプが増えているらしいが、実物を見るのは初めてだった。湯船に入りたくなったら、風呂屋に行くってことなんだろうか? シャワーをひとしきり浴びて、部屋に戻ってくる。ホン君が次に浴びに行った。

 ところでホン君は日本に留学していた経験もあって、日本語がかなりうまい。それによく聞いてみると、母親は在日韓国人だった。なるほど上手なわけだ。そして日本に日本人の彼女がいるらしい。結婚する予定だそうだ。

 そのあとホン君の持っていた「クレヨンしんちゃん」のビデオなどを見ながら話をしたあと、床についた。

(第1話終了/全5話)