パイザの韓国釜山の旅(韓国旅行記:釜山旅行記)(3/3)



01コインロッカー

 朝起きて、荷物をまとめる。今日は帰国しなければならない。しかし船の時間までかなりある。午前中はいっぱい使えるし、2時ごろまでぶらぶらできるだろう。宿のアジュマに別れを告げ、街へと繰り出す。とりあえず中央洞(Chungang-dong)駅に向かうことにした。この地下鉄の駅のコンコースにコインロッカーがあるからだ。昨日のうちにチェック済みだ。

コインロッカーに近づいていくと、若いにーちゃんが僕と同じ様なリュックを出しているところだった。さて僕もリュックを降ろし、中に入れようとした。しかし、ちょっと気になる看板がロッカーに立てかけてあった。ハングルでなにか書いてある。何やろ? 気になるのでその若いにーちゃんに聞いてみることにした。にいちゃんによると(英語で)、床をきれいにしましょうという意味だそうだ。使うのに問題ない訳だ。僕ががちゃがちゃと金をいれていると、そのにいちゃんが、

『 Oh! Step by step! 』

と叫んだけど後の祭。ちゃんとコインを入れたはずなのに入れた分の表示が出ていない。ゆっくり入れないとちゃんとカウントしてくれないようなのだ。しぶしぶもう一枚コインを入れる。



02釜山駅 → 大廳公園(Taech'ongPark)

 さて荷物を預けて身軽になったので、最後の釜山観光を始めよう。今日のお目当てである『大廳公園』(Taech'ong Park)へ行くことにした。ではまずこの公園の解説をしておくことにしましょう。この公園は、釜山タワーのある竜頭山公園(Yongdusan Park)の北というか奥の方にあって、亀峰山(Kubongsan)の中腹くらいに位置している。高さ70メートルの忠魂塔が建っていて、港からもその塔が見える。釜山タワーより多分高い位置から港の全景が望めるはずだ。高いところに目のない僕には絶対見逃せない場所なのだ。

 とりあえす大廳公園(Taech'ong Park)行きのバスが出ているらしい釜山駅に行くことにした。釜山駅前には日本語を喋る人のいるツーリストインフォメーションもあるので、新しい資料かなにかも手にはいるかもしれない。

 駅に移動し、インフォメーションを尋ねてみる。いろいろ最新のパンフレットをもらい、大廳公園(Taech'ong Park)行きのバスも教えてもらった。行き方については『地球の**方』にも載っているのだが、あまり信用出来ないので確認をとったわけだ。一応正しい情報が書かれているようだ。43番のバスに乗ることになった。

 バスは程なく現われ、大廳公園へ向かって走り出した。しばらく街中を走ってたかと思うと、急な坂をぐんぐん登り始めた。道も狭くなってきた。対向車もあったけど、お構いなしでぐんぐん登っていく。 丘の上でバスが停車した。みんなどやどやと降りていった。どうも終点らしい。僕も降りたみた。ほ〜、なかなかの眺めだ。公園はこのバスの終点からさらに少し登っていったところにあるようだ。しかし、こんな所にまでアパートが建っている。土地が無いのかなぁ、なんて考えたりして。

 バス停から少し登ったところに公園の入り口があった。公園内をぐるっと回ってみる。公園そのものは別にどーってことなかった。しかし、眺めはなかなかのものだ。港の写真を撮ってはいけないらしいが、何枚か撮ってしまった。

 さて公園内には朝だというのにお年寄りがたくさん集まっていた。おそらくそういう場所なんだろう。どこの都市にもそういった場所があるものだ。

 しばらくぶらぶらしていて、少し気になることがあった。鞄を持った若い、そう中学生から高校生っぽい子達が、たくさん歩いていることだ。なんで?と思って後をつけてみると(変な趣味は無いぞ!)図書館に行っていたのだ。なんとこの山の上に中央図書館があったのだ。勉強しに行っているのだろうなぁ。

 すこし観察してみることにした。図書館に入っていく子供達は、入り口のゲートの台の上に置かれた小さな紙切れの束から一枚だけちぎって中に入っていく。なんの紙だろう?ほとんどの子がちぎって行くのだ。『一人一枚』と書いてあるのは分かったが、僕のハングルの実力では何の紙なのかまでは分からない。僕もちぎって中に入っていくことにした。
 階段を上がっていくと入り口があって、建物の中に入る。図書館の中は中学生、高校生で渦巻いていた。なんなんだいったい! ものすごい盛況振りだ。どこかの学校に迷い混んだんではないだろうか? そんな錯覚を覚える程だ。

 地下のほうに降りていくと自習室があって、みんな熱心に?勉強していた。あっ!もしかして・・・、そう!さっきの紙には番号が書いてあった。あの小さな紙は、自習室の席番号だったのだ。しもたなぁ。一枚ちぎってしもた。僕の番号の席に行くとやはり空いていた。隣の人が荷物を置いていたけど。
 自習室の隣には食堂があって、これまた大盛況だった。おまえら勉強しに来てるんかぁ? きゃーきゃー言ってるやつらもいる。しかし、勉強しているやつは熱心にやっていた。日本以上に受験戦争が厳しいとは聞いていたけど、なるほどと思わせる光景だ。

 しばらくぶらぶらしてから、ジュースでも飲もうと自販機コーナーに行ってみる。コーナーでジュースを飲んでいると雑誌が目についたので手に取ってみる。ハングルの洪水で暗号解読に近いものがあったけど、中に珍しく漢字まじりの記事があったので読んでみることにした。

 その記事は、どうも漢字を復活させようという呼びかけのようだ。戦後、漢字使用は日本的(倭的)で、ハングル専用者が愛国者ということで今日のハングルのみの使用になっている。しかし、漢字の表現力をもっと評価すべきだ。文学とか哲学など日本生まれの漢字語も知らずに使っている現実もある。をもっと理性的に判断して欲しいといった内容だった。
 しかし、このような論文は韓国ではどのように評価されているんでしょう?気になるところです。しかし漢字使用にもっと『理性的に』と書いてあるところに、今日の複雑な日韓関係が見えてくるような気がしました。しかしこの『愛国者』という表現は、韓国(朝鮮)を理解する上で重要なキーワードの一つのような気がします。

 さて、山の上にある図書館を後にして街に戻るとしよう。再びバスに乗って戻ることにしたけど、釜山駅に戻ってもしょうがないしどうしよう。時間もまだあるし『西面』(Somyon)に行ってみよう。昨日の夜に少しぶらぶらしたところだ。西面は若者の街らしいし、楽しみだ。



大廳公園とは?
テチョン公園という名前で知られている中央公園は、釜山で一番最近になって開発された市民公園である。海抜 197mのテチョン山の山頂に造られたこの公園は、朝鮮戦争の時に全国あちこちから釜山に集まってきた避難民がバラック村を作ったことでも知られ、釜山市民の休息所として利用するため、1970年 9月 2日「テチョン公園」と名づけて区画整理が始まり、1983年9月7日には公園造成工事が終了し、1986年に「中央公園」と改称された。
公園内ににょっきと立っているのは『忠魂塔』(70メートル)。公園北にあるこの忠魂塔は、1948年大韓民国建国以後、国と同胞を守るために戦って壮烈に散って行った釜山出身警察官と国軍の英霊を仕えている神聖な慰霊塔である。9個の列柱の下にある半輪になった霊安室に位牌が安置されている。



公園からの眺め



忠魂塔



公園マップ

03西面(ソミョン)

 山を下るバスが来たので乗りこんだ。路線図を見てみると、このまま乗っていれば『西面』まで行くようだ。ラッキーなのだ。バスは北に向かって走り出した。しかし間もなく渋滞に引っかかる。ちっとも進まなくなった。これは困った。時間にヨユガオプソヨなのだ。
 仕方ないので適当なところで降ろしてもらう。そこから歩いて西面まで向かった。西面(Somyon)は太和百貨店を中心に地下街、映画館、予備校などがあって、若い雰囲気だった。マッキントッシュの専門店もあった。ロフトもあったが中はがら〜んとしていた。

 さて、そろそろ港に戻るとしましょうか。帰国しなければ。帰り支度をするとしよう。荷物を出す前に、何も買わないと思うけど免税店に寄ることにした。
 釜山の免税店だが、僕が毎回寄っているのは南浦洞(Namp'o-dong)から少し中央洞(Chungang-dong)に戻ったところにある東和(Dongwha)免税店だ。あんまり混んでいないし、早めに行けば船の便にも間に合わせてくれるのだ。つまり出国の日の昼に行っても夕方の出港までに港に持って来てくれるのだ。これは便利。免税品は基本的に空港か港で受け取る方式になってるからね。
 ということで、中に入って行ったけどやはり何も買うものはなかった。職場のお土産にお菓子を少々。

 免税店を早々に退散した僕は、荷物をほり込んでいたコインロッカーに行って、リュックを引っぱり出した。釜山港のフェリーターミナルへ向かうのだ。

 港に着いてすぐさま手続きをすませる。出航まで時間があったけど、疲れていたので屋上で横になって空を眺めていた。そうこうしているうちに船に乗る人々が集まり始める。韓国人なのか日本人なのか・・・・、外見ではまったくわからない。とても不思議で変な感じだ。親子連れや若いにいちゃんもいる。なに人だろうか?
 間もなく乗船とあいなる。次回の為に少しウォンを残して後は円に換金する。いよいよ日本に戻るのだ。さらば韓国!

 

 ということで、普通ならここで旅行記が終わるはずなんですが、ところがどっこいまだまだ韓国から逃れるなんて甘かったのだ。




西面

04自転車兄ちゃん

 何がきっかけか分からないが、船を降りる段階になって(つまり下関を目前にして)僕を含めて3人の男がなにやら相談をしている。3人とは、僕、自転車を持って船に乗り込んできた広島出身の日本人、それに韓国人の若いにいちゃんだ。

 さてさて何を相談しているかは後回しにして、この『自転車にいちゃん』の話から始めることにしよう。なかなか面白い話を聞くことができたのだ。

関釜フェリーで一緒になった『自転車にいちゃん』の話

 その『自転車にいちゃん』は釜山港で船に乗る段階から異彩をはなっていた。なんと言っても自転車を押しながら税関を通っていたからだ。痩せ型で無精髭がはえている。いかにもって感じだ。しかし、関釜フェリーって自転車はOKなんやね。知らんかった。因にバイクは乗せてもらえません。

 Tシャツには天津−大阪の乗船記念と書いてあった。このあたりから話は始まる。この『自転車にいちゃん』の話によると、まずこの船で天津入りをしたようである。天津はもう解説の必要がないと思うけど、北京の南東にあって海に面している。海上から北京にアクセスするにはここが便利だ。

 まずここから汽車(中国語では火車だ!)で北京に入る。そして北京で自転車を仕入れたとのこと。それにしてはスポーツタイプのかっこいいやつなのだ。実は僕も北京には行ったことがある。自転車と言えば大部分があの『人民』が乗るタイプのやつだった。しかし、かっこいいのも売っていたような気がする。随分高額だったけどね。といっても中国人にとってってことだけど。

 そしてこの『自転車にいちゃん』は自転車で北京から釜山まで来たというのだ。世の中にはいろんな人がいるもんだ。しかし間には北朝鮮があるのでは???通過できるんか、おい!ってな感じだけど、聞いてみたら仁川(Inch'on)まで船に乗ったらしい。おお、その船なら聞いたことがあるぞ。しかしそこでひどい目にあったとのことだ。
 因に仁川とはソウルの西にある港街。仁川直轄市といって韓国でも指折りの市だ。

 まず船に乗り込むところからだけど、中国人の『列を作らない』習慣は多分いろんな人が経験していると思うが、それがこの船の乗り場でも存分に発揮されたらしい。切符を持っていない人が、乗り場の入口にわっと押し寄せてにっちもさっちもいかなくなったのだ。こっちは切符を持っているのに、人が殺到しているので(それも切符を持ってないやつらがだ!)入口にまでたどり着けない。しかも自転車があるのでよけい進みにくいのだ。あげくのはてに(切符を持っていない)中国人に邪魔だからその自転車をどけろ!なんて言われる始末。この中国人達は切符もないのにここに来れば(或いは)何とかなるんでは?と思っているらしい。

 数時間にわたる『おしくらまんじゅう』の末にやっと乗船できた。船は当然大幅に遅れて出航する。 そして第二の衝撃! なんと船のなかでは韓国ウォンしか通用しなかったのだ。その『自転車にいちゃん』は当然のことながら中国元しか持っていなかった。飯も食えない状態で数日過ごしたらしい。さすがに水だけは食堂からもらってきたらしいけど・・・。
 そしてぐらぐらと景気良く揺れる船。精も根も尽き果てた状態で韓国入りした。韓国に入国してからは“あの”荒い運転のなかを自転車で南下してきてやっとのことで釜山までたどり着いたそうだ。

 この船については以前から興味があって一度乗りたいと思っていたけど、この話を聞いて乗る気をなくしてしまいました。聞いといて良かった。無事韓国旅行を終えて釜山港から下関に向かう船に乗った。しかし、この船で知り合った『自転車にいちゃん』と『韓国人の若いにいちゃん』と僕の3人で相談をしている。


05韓国のソン君

本題!

 ではいったい何を相談しているかだが、この韓国人の若いにいちゃんの日本での行動についてなのだ。名前は Son ho sung と名乗っていた。ソン君と呼ぶことにしよう。

 ソン君の話によると、東京に兄弟がいるらしくて、そこを訪ねに来たとのこと。その兄弟は東京で鍼灸の勉強をしているらしい。そこでぶらぶらして、京都なども観光して帰るとのことだ。ふむふむ、それはええ。しかし、問題はそのソン君の所持金が3万円しかないことだ。おいおい、そんだけでは下関から東京往復だけで消えてしまうぞ。どうするつもりなんや???

 ソン君はガイドブックを一冊持っていた。韓国版『地球の歩き方』が出ているのは有名だけど、それではなくて別の分厚いガイドブックだった。しかしどういう計画をたてて来たんだろうか? さらに詳しく聞いて見ると、どうも東京の兄弟からこづかいを少しもらえるらしい。にしても、日本を旅行するには心細い額であることは間違いない。

 面白いことにその話をかつぎ屋のおばちゃんにしたらしくて、おばちゃんからも

『そりゃ、あかんで!』

と言われたらしい。下手したら入国できないかも知れないということで、お金を借りているようだった。見せ金に使うのだ。不法就労の問題などから、入国は予想以上に厳しいのであろうか?船だからか?よく分からない。それでもって、

『君、いったいどうするつもり?』

と予定を聞いてみた。するとまず京都に行ってしばらく観光してから東京に向かい、兄弟と会うとのこと。「自転車にいちゃん」と僕の意見は一致していて、

『それは金銭的に無理』

というものだった。第一移動費だけしかないような感じなのに、京都に泊まれる訳がないでしょ? 僕らならカプセルホテルとかいろいろ方法はあるけど、彼に出来るとは思えなかった。
 僕らは彼に、まず東京に行ってこづかいをもらってから、ゆっくり観光したら? というアドバイスをした。ソン君は『う〜ん』と唸ったままだ。そして『ポス、ポス』と言い出した。やはりそう来たか。バスのことを韓国では『ポス』と言うのだ。ご存じのように韓国は高速バスが非常に発達していて、例えばソウル釜山間などでは十数分おきくらいに、バスが出ている。しかもかなり安い。予約などはいらないし、ターミナルに行けばほいほいと乗れるのだ。日本も同じだと勘違いする韓国人は多い。
 確かに関西方面に『ふくふく号』という高速バスが出ている。しかし、これは夜行のバスだ。しかも予約が必要だ。これをどう説明したらいいのか??? これは困った。とにかくおとなしく東京に向かってもらうように説得した。

 ソン君は『阪九フェリー』はどうか?と聞いて来た。う〜ん、その手があったなぁ。でもやはりモトデが足りな過ぎるぞ。東京に行ったほうがやはりいい。
『僕は姫路まで新幹線で帰るから一緒に帰ろう』
と誘ったけどまだ迷っているようだった。仕方ないので、
『じゃ、とりあえずふくふく号の予約状況を見てからにしようか』
と、なだめたのだ。

 船が着き、僕と「自転車にいちゃん」は苦もなく入国。日本人はそれほど何も言われないようだ。しかしソン君はかつぎ屋のおばちゃんに混じって入国するのでかなり時間がかかっているようだった。ソン君を待っている間に、前回書いた例のいろいろな話を聞いたのだ。かなりたってソン君も無事入国。3人は連れだって下関駅に向かって歩き出した。 

 早速、旅行代理店に飛び込んで『ふくふく号』の予約状況を聞いてみる。案の定、満席だった。その旨ソン君に伝えて新幹線に乗ることにした。駅の前で3人で写真を撮って、そのままそこで「自転車にいちゃん」とは別れた。

 結局名前も聞かなかった。下関から広島まで自転車で帰るとのことだったが、無事帰れたのだろうか。 その後、電車のなかで徳山の高専に留学しているタイ人と一緒になって新下関に向かい、新幹線に乗った。タイ人留学生とは早々に別れ、ソン君とも岡山で別れた。彼が無事東京に着いたか、そして韓国に帰れたかは、今となってはもう分からない。

 いろんな出会いがあって・・・・やっぱり旅はやまられまへんなぁ。


1994年 7月23日(土) 
全3話終了

 

第1話
1994.7.21
釜山上陸後、南浦洞から国際市場、太宗台、そしてサムゲタン(参鶏湯)
第2話
1997.7.22
マクドナルド、郵便局、海雲台ビーチ、パラダイスビーチカジノ、梵魚寺(ポモサ)、トンネ温泉、虚心庁
第3話
1994.7.23
コインロッカー、釜山駅、大廳公園、西面、帰国