2004年6月はこの6公演

 


クロカミショウネン18「レンタル。」

王子小劇場 6/10〜6/16
6/10(木)観劇。座席自由(5列目やや左:招待)

作・演出 野坂実

 舞台は、結婚式の打ち合わせ風景から始まる。新郎は芸人で、結婚を機に芸の道から足を洗い、一般人として暮らすと心に決めていた。その最後の晴れ舞台が結婚式。なので、司会者にはどんな事をしてでも盛り上げてもらいたい・・・ってな設定で司会の練習をする司会者役の店員・森田将人(和田良)と新郎役の司会者・芦原優治(加藤裕)。ネタに使ったスライドは昼間の披露宴で客が忘れたもの・・・。そんな昼間の客をネタに労いの宴を始めようとしている店員達。その日は、オーナーが予約を入れていたのを告げずに旅行に行ってしまった為、残された店員達でてんやわんやの1日であった。急遽現役を引退している芦原を呼び寄せたり、あり合わせで食事を作ったり・・・。でも一応無事終了し、安堵のひと時を味わおうとしていた。しかし、今までのバタバタはほんの序の口。昼間披露宴を行ったスライドの男が、とんでもない事を仕出かしていたとは誰一人として知らなかった・・・。
 平穏を壊すように、「昼間の婚約式を7時に変更した」と言うお客から連絡が入る。加えて夜の結婚式のお客も現われる。全て申し送りが一切ない・・・。で、調べてみると電話のメモ帳にオーナーの文字で小さくメモが残されていた・・・。それだけでも大変なのに、2件の結婚式と婚約式の相手の男は、昼間結婚式を挙げていた村田連慈(玉山悟)である事が発覚する。村田連慈のトリプルブッキング。加えて、昼間の披露宴の家族はレンタル家族だったって事も発覚し、結婚詐欺説も浮上する。
 そんな事情を婚約式を挙げる予定だった丸岡真由実(山田奈々子)と父親の丸岡誠(渡辺裕也)に話すも、婚約の破談を病後間もない妻・順子(内山裕香子)が知ったら病気が再発しかねないので、知らせる訳にはいかないと言う。一方、三国亮子(仁田原早苗)も、なかなか結婚しない事に父・隆(青木十三雄)から文句を言われている身なので、今さら破談なんて言えない。そんな状況を打破する為に、三国亮子の弟の孝一(久米靖馬)や、店員の森田を引き込み裏工作を企てるのであった・・・。
 三股男・村田連慈が作ってしまった極限のダブルブッキング。そんな二組の結婚式と婚約式を“嘘”でもいいから成立させようとする、被害者と店員達の努力の物語。

 この芝居をどう観ていいか正直悩んだ。三谷幸喜が得意とするワンシュチュエーションコメディのように、観る者が納得してしまうほどの展開は見られない。だから、嘘がばれないかハラハラして観るというところまでの完成度はない。穴だらけで、なんとなく成立しているって感じなのである。いや、完成度ってのは語弊があるか。なんと言っていいか適切な言葉が見つからない。う〜む困った。まぁ、言葉は悪いが“嘘臭い”というのが頭に浮かぶ。そもそも設定が嘘臭い。結納の品も無理矢理だし、披露宴の食事だって無理矢理。現実にあの状況で普通の感覚の人なら怒るわ、って言うかあんなんで騙されるかなぁ〜と思う。

 しかし、裏を返して“嘘臭さも承知の上で楽しんでしまおう”と考えると、作品のイメージが一転する。なんとなく暖かさがじわりと伝わってくる、すごく不思議な感覚に陥るのである。三股をかけた側ではなく、かけられた側が“嘘”を仕掛け、偽装工作に奔走する様がそんな感覚を呼び覚ますのかもしれない。“エゴ”のみで突っ走ったらそうは感じなかったかもしれないが、そこに人間のやさしさが見え隠れしているから、なんとなく応援してしまうのかもしれない。観客が“嘘”を容認してしまうところは、作者の良心の為せる業なのだろうか。って本人をそこまで知ってないので憶測なんだけど。ただ“悪人”である村田連慈にまで優しき配慮をしてしまったのには、若干不満が残るが、強引な“嘘”が笑いに繋がっているのはうまいと思う。

 今回途中休憩が入る二幕芝居なのだが、休憩が入った時は、温度が下がるので「休憩なんていらない」と思ったが、前半の状況説明から後半の特定の人物を騙す方向へと芝居を一新させるにはちょうどいい間であったと思う。まぁ、いい熱さましって感じ。そんなところに演出の妙を感じたのは自分だけだろうか。

 熱さましとは関係ないのだが、庭に池があって、壁を乗り越えてやってきた人が池に落ち、水浸しになって登場するシーンが何ケ所かあったのだが、そのシーンは無意味だったと思う。水に濡れる事が面白ければ、まだ救いなんだけどそれほどじゃないので、濡れ損って感じ。濡れる事が意味を持っているならともかく。

 でもまぁ、今回が初観劇だった訳だが、楽しめたのは確か。次回作も期待できるのではないだろうか、って予感はしている。

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猫のホテルプレゼンツ 表現・さわやか
「熱海→ラスベガス」

下北沢OFF・OFFシアター 6/9〜6/15
6/11(金)観劇。座席自由(最後列中央:招待)

作・演出 池田鉄洋

 まずは、海外のどこか。舞台右手に大きな世界地図が描かれていて、メイン舞台になっている場所のライトが光るって構図にはなっているんだけど、遠くて良く見えなかった、って言うか地理は苦手。フランス人の刑事(いけだしん)が、コーヒーショップで電話をかけている。珈琲を待っている間に用事を済まそうとしたらしいが、店員は困った様子。実はコーヒーメーカーが故障していて珈琲がいれられないのだ。電話が終わり喉を潤したいと思った刑事は、珈琲がない事にあきれ顔。何故初めに言わないだ、とかの押し問答。そんな話とは関係なく、この刑事は日本から逃走している3人を追っていた。その3人とは、修学旅行先の熱海で行方不明になり、そのまま15年間逃避行をしている中年男3人組であった。場所は変わりドイツ。アドルフ・ヒットラー(菅原永ニ)と愛人(池田鉄洋)は人生の最後を迎えようとしていた。その時偶然、その場所にいた男にヒットラーのチョビヒゲが渡される。その男(佐藤真弓)こそ加藤茶(とは直接言わないがそのもの)であった。男は、社員全員がいかりやという会社を拠点に独裁者となっていく。一方ハリウッドでは、巨匠スティーブン・スピルバーグ(村上航)とジョージ・ルーカス(岩本靖輝)がSF映画の撮影に取りかかっていた。主演に大抜擢された永井大(いけだしん)だったが、行動がどうもピンボケ。時間を数秒だけ止められるタイムコントロールメン(菅原永ニ)は、危険が迫った人を救おうとして自分が被害にあってばかり。修学旅行の班長をしていて行方不明者を出してしまった男(岩本靖輝)は、その事が心に引っかかり、未だに3人を探していた。今日は歌舞伎町へ。電車のちかんコースを選んだが、目の前にはさえないサラリーマンの男(村上航)が立っていた。
 修学旅行で行方不明になり、そのまま熱海からラスベガスまで逃避行している中年3人組を主軸に、3人と関わっている人も、そうでない人も巻き込んでのオムニバス・コント・・・で、逃げている3人は修学旅行先が京都だと思い、京都の国宝を盗み逃避行を続けていると勘違いしていたって結末。結局手にしていた物は熱海の秘宝舘から盗んだ男根であった・・・。

 「本公演では見せなたことのない顔がまだたくさんあって、そういう一面を客演先で見せられたりすると、嬉しいと同時に悔しくて」と某雑誌の記事に池田鉄洋の言葉が書かれてあった。その言葉通り、他の公演でまだまだ個性を発揮しきってない6人のキャラクターを、いい具合に引き出した公演だったと思う。内容そのものはストーリー性の薄いオムニバスコントなのでコメントするほどでもない、って言うかまだまだ内容では笑わせていない。役者のキャラで笑わせているって感じが強い。猫のホテルの役者だったから面白かったという印象がとても強いのである。でも、前述したコメントが本公演のコンセプトなら大成功だったのではないだろうか。会場も満員だったし。でも、池田鉄洋の個性はもっともっと凄いと思うのだが、過大評価し過ぎか?次回公演があるなら、今回以上に、はちゃめちゃなものを期待したい。

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回転OZORA「N.O.−nervous oasis」

ザムザ阿佐谷 6/11〜6/14
6/12(土)マチネ観劇。座席自由(6列目左端:招待)

作・演出 村上秀樹

 自殺の名所みやま湖畔にある老舗の旅館「鶴菊」。夏の避暑シーズンなのに、ここ数週間客足は跡絶え、不況の嵐が吹きまくっていた。それに加えて、オーナーの菊地彦三郎は入院。頼みにしていた雇われ女将は、2、3日前に夜逃げ同然に姿を消してしまった。従業員の何人かも見切りをつけて、働き場所を探しに逃げ出していた。もう、つぶれるのが目の前って状況・・・。そんな中、オーナーは孫娘の菊地美帆(桑門そら)を女将に指名し、仲居の三人、松居幸子(今藤洋子)、新村弘美(市木裕子)、吉沢香(村山なおこ)の中から、客の要望を叶えるコンシェルジュを選び、“コンシェルジュのいる旅館”としてアピールすると病床から宣言した。それを伝えた経理課長の福山良弘(鎌倉康太郎)は、三人の中から一人を選ぶ為に客に扮した審査員がやって来ると加えた。そして、選ばれた一人は給料が1.4倍になる事も付け加えた。
 そんな状況の中、一人の思い悩んだ女性・渡辺由佳里(桐島みすず)と、胡散臭いTVプロデューサーを名乗る男・東亮太(松吉)がやって来る。二人の内のどちらかが審査員なのか、それとも・・・。新村弘美の別れた旦那で刑事の沢渡光一(森田ガンツ)も現れ、「鶴菊」はてんやわんや。そんな、老舗の旅館を守る従業員達の奮闘を描いた作品。

 久々に観る回転OZORAである。前回観た時(2002年3月)は、意外と面白く、今藤洋子に非常に興味を持った記憶が残っている。しかし、欠かさず観たいと思えるまでのインパクトはなく、今日まで遠のいていた。で、今回観てどうかと言うと、ユニット名に込められている“発展してゆきたい”って言葉が理解できる様な成長をみた思いがした。前後逆になってしまったが、劇団名(今回の公演から“劇団”にしたそうだ)の由来は、「くるくると変化する空〜oozora、aozora、yozora、etc...のように発展してゆきたい」という思いが込められて命名されたらしい。どこに“発展してゆきたい”という心を見たのか、具体的には挙げられないが、前回は感じなかった“心地良さ”を強く感じた。気持ちよく観れるってのはとても良い事だと思うんですよ。ただ、大人になった分、子供の持つはちゃめちゃさと言うか、平均化されない子供特有の一部分だけが突出した、みたいなものは影を潜めてしまったようにも感じる。ただ、そう思うのは、自分が芝居に求めるものが、普通とは違うかも?って事に関係する。安心していい物語を楽しむより、不安定でも観た事のないものが観たい、と思う願望の強さがそう感じさせてしまうのであり、作品を評価する基準ではない。だから、私がいい芝居を観て満足できなかったからと言って、その作品が、駄作とは限らないし、自分が求める芝居がいい芝居とは限らない、ってのが最近よく判るようになった。って自己分析はこのくらいにして作品に戻るが、今回の作品は、シチュエーションコメディーの王道って感じで充分に楽しめた。しかし、心に残るほど大絶賛とはいかなかった。もう少し琴線に触れると心に残る芝居になると思うんだけど、寸前のところで止まってしまったって感じ。本当に「いい芝居」なんだけどね。今回のようなシチュエーションコメディーは2回目らしいが、昔の作風とは全然違うように感じた。ただ、次回も今回の路線で行くとは限らないらしく、劇団名のごとく「変化していく」らしい。それは、それで楽しみである。まぁ今回の作風も好感を持ってるんだけどね。

 役者では、今回も今藤洋子が素晴らしく良かった。作品以上に心に残ってしまいそう。今藤洋子観たさに次回も劇場に足を運びそうである。間違いない。(意味もなく長井秀和風でしめてみました)


“回転OZORA”自分が観た公演ベスト
1.N.O.−nervous oasis
2.Silent Snow Song

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げんこつ団「ゴールデン」

下北沢駅前劇場 6/10〜6/13
6/13(日)観劇

作・演出 吉田衣里

申し訳ありません。まだ書けていません。

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THE SHAMPOO HAT「肉屋の息子」

ザ・スズナリ 6/15〜6/23
6/19(土)マチネ観劇 座席 H-7(招待)

作・演出 赤掘雅秋

 舞台は、肉屋の店鋪の奥にある自宅部分のキッチン。そこで食事も取れるように、テーブルが置かれてある。奥には母親の寝室。2階が息子夫婦の部屋になっている。店の冷蔵庫で電気代がかかるからと、部屋にク−ラ−はなく、扇風機が力なく回っている。外では飼い犬のジョンが、暑さの所為か、いつになく吠えている。どこの商店街にでもありそうな、精肉店の裏側の風景。
 その肉屋に喪服の男二人がやってくる。一人はこの家の長男・明(野中孝光)。彼は、テレビドラマの脚本家として自立していた。と言うか、実家との絆を一切断絶したような関係(に見えた)。もう一人は明のマネ−ジャ−の石井(多門優)。彼等は母の死の知らせに何年かぶりに実家に戻ってきたのである。しかし、見渡す限り葬儀の準備はない。いや、それどころか、葬儀をする気配さえない。その事を肉屋の実質的な店主である弟の清(黒田大輔)に問いかけるも、「金がかかるから葬式はしない。明日焼いて終わり」と素っ気無い返事が返ってくるだけだった。妻の秀子(滝沢恵)も何ごともなかった様に普段通りに日常を過ごしている。アルバイトの池田(児玉貴志)も同様であった。そんな中、近所に住む小林(日比大介)が突然やってくる。その時、母の死そのものが隠されている事実が発覚する・・・。
 20年前突然行方不明のままだった父(赤堀雅秋)の霊が、明の前だけに現れ、過去の真実を告げる。(床の下から現われたって事は、もしかしたら殺されて床下に埋められているって可能性もあり?)。そして、母の本当の死因を清が語り始める・・・。

 嫌〜な空気が充満していて、息苦しい芝居であった。場の空気を読めない小林の存在、住む世界が違う兄弟、子供ができない苦悩を抱えた夫婦(清が「毎日セックス、セックス、セックス」と言っている言葉と、明が「子供は?」と聞いた時の清夫婦の一瞬見せる苦痛な表情で、そう感じたのだが)、年老いた母と同居している苦労、池田の存在、夫婦の危機の明・・・なぜ明は家を出て、家族との関係を途絶えているのか(お互いの結婚式にも呼んでいない。それどころか、明が結婚した事すら伝えていない)は、語られないが、様々な人間関係が渦巻いている。でも、テーマの中心は、血の繋がり、兄弟の絆なんだと思う。

 中盤、母親の死因がわかったところで芝居が終わってもいいんじゃないか、後半の食事のシーンは必要ないんじゃないかと、観劇中は感じていた。しかし、ラストまで観た時に、その思考は覆った。全て必要なシーンだと。否、最後の食事のシーンこそが重要であるとさえ思えた。犬がやたらと吠えているのも重要な意味を持っていたし。そして何より凄いと思ったのが、ハエの使い方(チラシのデザインも最高)。キッチンを飛んでいるハエは、暑さで臭いも出て来たであろう母に集ったハエかもしれないのである。そのハエがブンブン飛んでいるなかで食事を取る。そもそも臭いもあるであろう中での食事のシーンの凄まじさは、ラストまで観た時、どーんと心に重く圧し掛かってきた。何かに取り憑かれたように食べる姿に、生への執着(と言うか、生きる為に食べるという原始的な行動)を感じると共に、生きる事の難しさをも感じてしまった。「あーうまいなぁ」と本当に感心してしまった次第である。そして、一番印象的だったのが、兄として弟に接するラストシーン。兄が父譲りの奇妙動きで踊りだすシーンは最高。男二人の兄弟にしか解らないであろう、感情の揺らぎを見事に表現していた。素晴らしい。

 2000年にはワースト1のレッテルを貼らせてもらったが、前回の“エスラボ”を観てからは、違うぞと感じ、今回観て一気に好きな劇団に変貌した。『アメリカ』あたりから作風が変わっ たと、知人から聞いた。芝居は観てないが、私も『アメリカ』を深夜番組の演技者で観てから、気になっていたので、この評判もあながち嘘ではないのであろう。


“THE SHAMPOO HAT”自分が観た公演ベスト
1.肉屋の息子
2.月が笑う
※THE SHAMPOO HAT presents“エスラボ”は除いてます。

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北京蝶々「Othello」

早稲田大学大隈講堂裏劇研アトリエ 6/17〜6/21
6/19(土)ソワレ観劇。座席自由(5列目中央:招待)

原作 W・シェイクスピア
作・演出 大塩哲史

 1971年、牛乳配達員と老人により「オセロ」が発見される。1993年、オセロマシンの開発。人間への挑戦状が送られる。しかし、誰一人挑戦を受る者はいなかった。1995年、オセロの世界チャンピオン長田太朗(赤津光生)は、その挑戦を受ける事を決心する・・・。
 世界最高のオセロマシン・デスデモーナ(帯金ゆかり)と対戦する長田太朗。太朗の妻・ヤー子(鈴木麻美)、弟子の前田勝男(三浦英幸)は長田の勝利を確信していた。デスデモーナ開発に関わる技術者・村田翔(森田祐吏)は、毎秒19万手の先を読むデスデモーナの勝利に、絶対の自信を持っていた。試合は開始された。結果はデスデモーナの勝利であった・・・。
 それから太朗は、とり憑かれたようにデスデモーナに毎日挑戦し、毎日負け続けた。「はさんで ひっくり返す はさまれて ひっくり返される はさまれないように ひっくり返されないように 石を置く」 ただそれだけのゲームに太朗は勝てない。それでも彼は戦いをやめない。オセロに入り込んでしまった太朗に、ないがしろにされ続けた妻のヤー子は、勝男をそそのかし、デスデモーナのコンピューターを徐々に壊していく策略をたてる。果たして人間はコンピューターに勝てるのか?いや、勝つ事の意味とはなんだろうか?
 シェイクスピアの「オセロ」をモチーフに、オセロの盤上での熱き戦いを、人間関係に反映し描いた、北京蝶々第二回目の公演。

 まず、「オセロ」の発見が日本という事が信じられず、調べてしまった。若干違いがあるものの「オセロ」を考案したのは、茨城県水戸市の長谷川五郎氏だった。本当に日本人なんでびっくり!!原形は、1945年に生まれ、牛乳の蓋でも行っていたらしい。商品化されたのは1973年で「覚えるのは1分、極めるには一生」というのがキャッチフレーズだとか。
 調べついでにオセロの名の由来も調べてみた。調べて又びっくり。ゲームの名は、シェイクスピアの劇「オセロ」から取ったものらしい。「オセロ」の内容は、黒人将軍のオセロが、腹心の部下イアーゴに唆されて、美しい白人の妻デズデモーナの不貞を疑い、ついには殺害してしまう物語らしい。白人の妻と黒人の将軍の物語がそのままゲームの白面と黒面って事になる。で、今回の芝居は、オセロゲーム自体をシェイクスピアの「オセロ」にリンクさせるという複雑な構造になっている。白人の妻・デズデモーナがオセロマシン。腹心の部下イアーゴが名前からすると妻のヤー子・・・う〜む複雑すぎて関係性がわからん。

 第二回目の公演(旗揚げ試演会を含めれば三回目の公演)で初観劇である。さすが“早稲田演劇研究会”だけあってレベルは高い。で、肝心な芝居の感想だが、とても興味の持てるものだった。シェイクスピアの原作をよく知らないので関連性は理解できていないのだが、ゲームの「オセロ」は人間関係のゲーム(ちなみに将棋やチェスは王の首を取る合戦ゲームで、碁は陣取りゲーム)だとする解釈でのラストシーンは、なかなか面白かった。ただ、原作との絡みがあるのだろうが、デズデモーナを破壊し太朗が勝つというところに自分としては不満が残る。他人の策略で破壊された(殺害された)後に真実を知るってのがシェイクスピア的悲劇なんだろうけど、自分としてはデズデモーナは自己判断で負け、自分の意識の変化から破壊を招いて悲劇的なラストを迎えて欲しかった。勝手に改変すると、ヤー子は策略を練るが勝男は実行できなかった。デズデモーナは負ける事が解っていながらも挑戦してくる太朗の「勝つ」という意味を考え始め、相手に「勝たせたい」と思う感情が生まれてしまった・・・みたいな。デズデモーナに人間的感情を芽生えさせ、本当の意味での「人間関係」を構築しても良かったのではないか。まぁ、そうなるとテーマがコンピューターに感情は生まれるのか?って事に変わってしまうのだけどね。

 “北京蝶々”の目指すテーマは「ささやかなSF」らしい。科学や情報という題材を映画的な派手さに求めるのではなく、普段日常生活で用いる言語でわかりやすく演劇として表現することを目標にしているらしい。他劇団にはない新しい表現を今後も期待したい。
 ちなみに劇団名の“北京蝶々”の由来をHPから引用すると「北京で蝶が羽ばたけば、ロサンゼルスでハリケーンが起こるという一種の俗説で、「風が吹けば桶屋が儲かる」という、ことわざと全く意味は一緒。物理学におけるカオス理論から導き出される科学神話であり、些細なことが最終的には大きな問題を引き起こす一例。日常における些細な出来事の結果が行き着く先は、大きな世界の問題であるということが根本的なスローガン。」との事。

ころころと文脈がなく恐縮だが、役者も達者なので驚いた。学生演劇の域を超えている。特に良かったのが鈴木麻美。策略を練り始めるあたりの表情とかが素晴らしい。残念だったのが、帯金ゆかりが、ほぼ全編“箱”だった事。全然顔が見れん。まぁ無機質的なところとかは、うまく表現してたと思うけど、どんな表情で演技をするのか観たかった。残念!!女優だけでなく、男優もいい演技をしており、本当にレベルの高さに驚いてしまった。

 で、まったくの余談だが、アトリエの夏は暑いって事を忘れてたのは失敗だった。もっとラフな格好で観劇すべきだった。で、できれば椅子の下に氷を敷き詰めて冷気で冷房するとか(まぁ掛かる金額を考えたら無理だろうけど)、待ち時間の客席のライトを極力落とすとか、気持ちよく観れる工夫が少し欲しかった。まぁ、あの暑さも思い出にはなるんだけどさ・・・でもあの小屋は暑過ぎ。あっ、そうそう客席にゴザが引き詰められ、涼感を醸し出してはいたんだけど、土足で上がるのには抵抗があった。う〜ん日本人的感覚。面倒かもしれないけど土足でなく、裸足で上がりゴザの感触を楽しみたかった。って、速攻で靴を脱いじゃったんでいいんだけど。

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ポツドール「激情」

下北沢駅前劇場 6/23〜6/29
6/26(土)観劇

作・演出 三浦大輔

申し訳ありません。まだ書けていません。

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