2000年1月はこの4公演

 


中島らも事務所プロデュース「お正月」

スペース・ゼロ 1/11〜1/16
1/15(土)観劇。座席 N-7

作・演出 わかぎえふ

 95年に初演した作品の再演。わかぎえふ曰く「完成版」。前回は入れたいと思いながらも上演時間を1時間半にまとめる為にカットした、大正時代の娼婦が登場する場面と、昭和の学生運動に走る家族の出現シーンを加えたという事で完成版となったらしい。そんなところも含めて、わかぎえふは再演ではなく、完成版であるとパンフで語っていた。

 物語は、大阪に住む鈴木家の正月風景だけを切り取り、明治から平成まで100余年に渡って描く“家庭内大河ドラマ”。このフレーズもパンフからの流用なのだが、“ホームドラマ”+“大河ドラマ”って感じ。鈴木家の正月を通して20世紀が見えてくる、そんな感じの物語。

 今年の初観劇という事でそれらしい芝居を選んだ訳ではないが、1本目がこの『お正月』であった。立ち見が出るほどの盛況ぶりは、関係者じゃないけど嬉しい。感想としては、まずまずと言ったところか。淡々と描かれる家族の姿を観ているのはいいが、100年以上に渡って物語が進行する上に、一人何役もこなす為、正直言って誰が誰なんだかわからない時もあった。パンフに鈴木家家系図が載っていたが、それを見ても混乱してしまうほどである。メイクや衣装に頼らずに演技で年齢を見せる演出は、おもしろいとは思うが、だいの大人が子供を演じるのは、観ている方が気恥ずかしい。演技がヘタとか言うのではなく、なんとなくね・・・しかし、観終って心が暖かくなれる良い芝居だったので、概ね満足かなっ。

 今回は、好きな役者が出演するので観に行ったというのもあるのだが、物語の初め(明治23年の元旦)で登場する鈴木万太郎を演じた小市慢太郎(劇団M.O.P.)は、相変わらずイイ味を出していた。あの演技のうまさには惚れ惚れしてしまう。そして、いつの間にか名前を元に戻していた内田淳子もいい。特にレイ(大正時代の娼婦)を演じた時の悪女の色気は最高。そして後半鈴木家の中心となるハルを演じた楠見薫(遊気舎)もいい。いやぁ〜あげたらきりがない。

 100余年に渡って登場する小道具もおもしろい。毎年増える『まねき猫』『高野豆腐』。そして小道具ではないが、100年に渡り登場する(舞台に登場するのは最初と最後だが、毎年年賀状という形で登場)村山一之進(粟根まこと@新感線)の存在もいい。「長寿の国の日本人。律義な性格の日本人。そしてどんどん毛筆から離れて行く日本人を強調するための人物」らしいが、話を一貫する重要な役割を果たしていた。

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弘前劇場「召命」

こまばアゴラ劇場 1/21〜1/22
1/22(土)観劇。座席 自由(3列目中央)

作・演出 畑澤聖悟

 舞台は、青森県のある地方都市。そう遠くない未来。公立中学校の校長室。部活も廃止され、学校は今より更に荒廃している。学校で起こるまさかの事件、まさかの不祥事。この「まさか」の頻度は信じられないほど上がっている。それでも校長は責任をとらねばならない。その為、校長の椅子は出世の最終目的でも羨望の的でもなくなってしまった。事実この時代、中学校の校長は原発の職員よりも死亡率が高い。学校というカミサマに捧げる生贄として、校長という名の「愚者の王」を定め、何か不都合があったとき、その王に民衆の厄を背負わせ、生贄としてあの世に送る・・・。
 放課後。前校長の死去に伴う新校長の役選を行うために、抽選で選ばれた運の悪い8人の教員が集まってくる。学年主任(長谷川等)、ベテラン国語教師(鈴木飴)、無口な若手教員(佐藤誠)、怖いものなしの国語教員(佐藤てるみ)、新採用の女子教員(今咲子)、校務員(高坂明生)、養護教員(船水千秋)、社会人特別雇用制度適応の期間限定のレンタル教員(後藤伸也)。義務教育におけるすべての教育力、拘束力を失った文部省は学校における「校長」の職を教職員の互選によって選び出す制度を導入していた。話し合いによる決定を主張する者、公開の選挙を主張する者。様々な人間模様を織り込みながら、議論は白熱するが、誰一人なりたいと思わない校長の座はなかなか決まらない。そして、最終手段として他人に選ばれるより自力を信じる方法“じゃんけん”で決定することになるが・・・。

 弘前劇場では初めて、作・演出の指揮をとった畑澤聖悟は、昨年、自らの作・演出によるラジオドラマで、ラジオ番組部門ギャラクシー大賞を受賞している。演劇部顧問として作・演出した『生徒総会』も全国高校演劇コンクールで優秀作品となったりと破竹の勢いである。今回は、主宰の長谷川孝治が“劇作家二人体制”を掲げるなど、満を持しての登場となった。
 で、その作品はどうだったかと言うと、畑澤聖悟の高校教師という側面が生きた、なかなか面白い作品であった。また、畑澤聖悟が演技で見せる遊び心を前面に出したと思われる、教頭・安達賢治のキャラクターも良かった。それを堅物である(というイメージが強い)福士賢治が演じるというのもなかなか見物であった。以前、畑澤聖悟と話す機会があった時に、長谷川孝治がいない事をいいことに(この時は所用で東京に来ていなかった)アドリブでギャグを入れた、と楽しそうに語っていたが、それを思う存分舞台で発散した感じの“つまらないギャグを言いまくる教頭”というのは、畑澤聖悟の分身だったのかもしれない。

 ただ、全てが満足できた訳ではない。教育現場が抱える問題を暴き出してはいるが、荒廃しきったという生徒の姿がまるで見えないのである。作品の元となったのが級長を決める学生の話らしいが、それなら学級という一つの世界を描く事で人と人との関係性が表現できたと思う(観てないけど)。しかし、今回の教員におきかえての話では、教員という世界と生徒という外部の世界との交わりを描く事により、もっと深い関係性が生まれたのでないだろうか。教頭の話で生徒との交わりがあっただけで、生徒との接点がまるでない。いや、まるでないと言うのは言い過ぎだが、養護教員の口から出る生徒の話では“荒廃”は感じられなかった。いくら校長の死亡率が高いと言葉で言っても、生徒との緊迫感がなくては、面白さは半減である。目に見え無くとも荒廃した学校・生徒を感じる事により、現実感が増してきておもしろさが増加したのではないだろうか。

 最後になるが、畑澤聖悟が舞台にいないというのは寂しい。自分が作・演出する作品でも出演して欲しいというのが個人的な願望である。


“弘前劇場”自分が観た公演ベスト
1.秋のソナタ
2.家には高い木があった
3.打合せ
4.召命
5.春の光
6.アメリカの夜

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THE SHAMPOO HAT「月が笑う」

新宿SPACE107 1/28〜1/30
1/29(土)観劇。座席 自由(8列目左側)

作・演出 赤掘雅秋

 時代に取り残されたようなひなびたスナック街。たばこ屋、コインランドリー、スナック、ピンクサロンが並ぶ路地裏。猫道という名の小路がひとつ・・・。その街に不動産会社の社員(日比大介)が一人、土地買収のために派遣される。しかし、買収どころか住人達に翻弄されていく・・・。

 と言う内容だが、主人公であるこの不動産屋が、駄目人間過ぎて怒りを覚える。住人達に翻弄されて右往左往するおかしさを描きたかったんだと思うのだが、駄目人間が右往左往したってイライラするばかりで面白くもなんともない。役柄もそうだが、演じた日比大介が生理的にも駄目。もー見ていてムカツク。
 まぁ、それは置いておくとして、物語はどうかと言うと・・・まるっきりダメ。“面白味に欠ける陰気な静かな芝居”と言っていいほどのつまらなさである。某雑誌には「不器用に生きる人間たちがすれ違い、あるいは触れ合う姿をセンチメンタルかつシニカルに描いた作品で、注目を集める劇団」とか書かれたあったが、全然描かれてないじゃん!って言いたい。幕が開く前は、凝ったセットできっちりと街の一画を作りあげていたので、それなりに観れる芝居だろうと期待したが、騙された。いやはや時間とお金の無駄使いであった。噂には「歌わないカクスコ」だとも聞いたが、カクスコ自体観たことがないので、この噂は闇の中に葬り去り聞かなかった事にしようと思う。
 『月が笑う』というタイトルは、たばこ屋が言う(セリフは正確ではない)「人生の大切な時間を無駄に過ごしている人を月が見て笑っている」ってところからとったんだと思うが、この芝居を見て大切な時間を無駄にしてしまった自分も、月に笑われてしまったのかもしれない。

 THE SHAMPOO HATの役者はダメだったが、たばこ屋を演じた小林健一(動物電気)は良かった。精神に障害を持った弟と住んでいるのだが、その事で自分の感情がなくなってしまったかのような、不気味な男を見事に演じていた。笑顔に隠れた本心が見えなかっただけに恐かった〜。しかし、そんな事はまるで関係のない内容で物語は進行し、いつの間にか終わってしまった・・・残念でならない。
 あと、スナック純の女を演じた平田敦子(サモアリの人かと思ってたらフリーなんだ・・・知らなかった)も良かったけど、もっと壊れて欲しかった。

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鳥肌実「集会」

ザ・スズナリ 1/31
1/31(月)観劇。座席 自由(椅子席6列目左側)

作・演出・出演 鳥肌実

 日本復興の為、海に沈んだ戦艦大和を引き上げ、その大和を囮に敵国を攻撃するという計画案が持ち上がった。その指揮を任せられたのが、鳥肌中将。鳥肌中将は、自分勝手な極右翼的憂国論をぶちかまし、今後の計画案をスライドにて説明しはじめる・・・。

 去年上演された「全軍突撃せよ」で、日本インターネット演劇大賞の最優秀パフォーマンス公演を受賞している鳥肌実であるが、私は次々と公演を見逃し、単独公演を観るのは初めてだったりする。1998年8月に行われたHIGHLEG JESUS主催の『モンスターロックフェスティバルin亀有』において、その狂気の姿を拝見したことはあるが、その異様な空気は今だに脳裏に焼き付いて離れない。その鳥肌実をスズナリという濃密な小空間で観るということもあって、恐怖と期待が渦巻く中での観劇となった。一回限りの公演の為か、会場はすごい混雑である。鳥肌実が立つ空間を残して、会場は人、人、人の山。客席を見ると若い女性が多い。鳥肌実の公演って若い娘が大挙して押し寄せる代物なのだろうかって疑問の中、スーツを着てぎゅうぎゅう詰めの中にいる私の姿だって異様かもしれない、ってな感じの変な気分に巻き込まれる。まーそんなこんなで、30分押しでスタート。

 菊の御紋を背負い(スーツに刺繍されているんだけど)日の丸の前で立つ姿はさすが。その姿で、演説スタイルの狂った自己主張を展開するのだが、これがおもしろい。真剣に自己主張すればするほど狂気が見えておもしろいのである。ただ、今回は、30分でネタ切れ。その後はだらだらとトーク。工場勤務の話をさわりだけしてみたりで、時間を潰すが続かない。そして、困り果てて、つい素をさらけ出す始末。しかし、そのフツーの笑顔を見てびっくり。私はマジで真の狂人一歩手前の人間かと思っていたのだが、まるっきり普通の人じゃん!!いやぁ〜驚いた。その素の状態がおもしろかったのだが、芸人として見せて欲しくなかった一面でもあった。しかし、素顔を知って『モンスターロック〜』で見せた鳥肌実の凄さを再認識した次第である。凄い役者である。
 素顔を見せてしまった本人は「今日観に来たお客は二度と来ないかもしれないけど・・・」という凹みきった発言をしていたが、私は素顔を知っても「でぇ〜ございます」という鳥肌節の狂人演説には、心がときめきく。きっと又劇場に足を運ぶことだろう。

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