99年4月はこの7公演

 


NYLON100℃「薔薇と大砲〜フリドニア日記#2〜」

スペース・ゼロ 3/28〜4/13
4/10(土)観劇。座席 H-23

作・演出 ケラリーノ・サンドロヴィッチ

 架空の町フリドニアでは、壁が東西を仕切り、勢力を競い合う日々が続いていた。そんなある日、葬儀が行われている教会に、一人の謎の営業マン・ハーバート(小宮孝泰)が現われる。その謎の男が“開発”の為に仕掛けたものが引き金となり、さまざまな事件が教会の周りで勃発し始める。架空の町フリドニアを舞台に、住人達が繰り広げるファンタジックかつブラックな物語の第2弾。

 奇妙な町に住む奇妙な人々の物語である。大笑いするほどの話ではなかったが、奇妙な世界感がとてもいい。第一弾である96年に上演された『フリドニア』は観ていないのだが、話がわからないという事もなかったので、繋がりはなかったように思えたが、どうなんだろう。まぁそれはともかく、私としては、ナンセンスギャグ路線より、こんな不気味で不思議なおとぎ話的要素が強い物語(チラシの言葉を引用すれば“笑いと狂気と不思議が一杯のブラック・ファンタジー”)の方が面白くて好きだ。まっ、これは前作の『ロンドン→パリ→東京』が面白くなかったのも一因なんだけど・・・
 あれだけ登場人物が多い芝居だと、各々のキャラクターが霞んでしまいそうだが、今回は出演者それぞれが印象深い。奇妙な力を持ったちょっと頭の悪い娼婦を演じる峯村リエなんかもいい味出していたが、静かにチチ先生を演じる犬山犬子もいい。ホント良い役者が増えたなぁと思う。でも今回飛び抜けてイイのが、村岡希美演じるヒトマイマイ。これはヨモギだんごを食べて変化した姿なのだが、もどかしい動きにあの美声が妙にマッチして最高であった。伊藤潤二のマンガから引用したキャラ(『うずまき』からの引用だと思う)で、オリジナルではないが(違っていたらご免なさい)、伊藤潤二ファンの私としては楽しさ二倍である。それも私のお気に入りの村岡希美が演じたのだから満足この上ない。『イギリスメモリアルオーガニゼイション』で見せたチャイニーズドレスも素晴しかったけど、今回のヒトマイマイもなかなか。って比較する対象がおかしいか。

 そして何より良かったのが、「たま」の演奏。たまが奏でる音楽が、ケラが作り出した世界にみごとに調和していた。その音色が心地よく、聞き惚れてしまった。以前、維新派『青空』において知久寿暁がソロで歌った『青空』は、それまでエノケンの歌でしか聞いた事のなかった私の頭に強烈なイメージを送り込んだ。エノケンの歌も味わいがあったが、その歌からは情景が浮かんでこなかった。しかし、知久の歌声が流れた途端、頭の中に澄んだ青空が広がったのは今でも忘れられない。そんな事を考えれば、たまの演奏がすばらしいのは、不思議でもなんでもなく、当り前の事なのかもしれない。たまのステージを見た事はないが、今後の方向は“芝居との融合”これっきゃない。って余計なお世話でした。

 付け加えて『フランケンシュタイン』を彷彿させる、スペース・ゼロならではの豪華なセットもよかったと思う。しかし、ただ一つ残念だったのが、舞台から本当に漂ったという“薔薇の香り”が、私の席までは届かなかった事かな。


“NYLON100℃”自分が観た公演ベスト
1.カラフルメリイでオハヨ'97
2.ファイ
3.フローズン・ビーチ
4.吉田神経クリニックの場合
5.ザ・ガンビーズ・ショウ Bプロ
6.薔薇と大砲〜フリドニア日記#2〜
7.偶然の悪夢
8.フランケンシュタイン
9.イギリスメモリアルオーガニゼイション
10.ロンドン→パリ→東京
11.下北沢ビートニクス
12.ザ・ガンビーズ・ショウ Aプロ

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NODA MAP「半神」

シアターコクーン 4/2〜5/2
4/13(火)観劇。座席 A-13

原作・脚本 萩尾望都
脚本・演出 野田秀樹

 醜いが高い知能を持つ姉シュラ(深津絵里)と、美しいが頭の弱い妹マリア(加藤貴子)。二人は生まれた時から半身を共有するシャム双生児の姉妹であった。二人は、反発し合いながらも、互いに依存し生きてきた。しかし、身体への負担の大きさから双方ともに衰弱し、10歳を目前に死の危険に直面する。二人の身体が持つ心臓は一つ。しかし、分離手術によって二人を切り離し、どちらか片方を生き延びさせる方法しか、救う道はなかった。生き残るのはシュラかマリアか・・・。螺旋方程式の謎が渦巻くなか、タンゴのリズムにのって悲しい物語が展開する。
 萩尾望都の短編『半神』をもとに、萩尾と野田が共同で脚本を手がけて86年に初演、88年、90年と再演を重ねた、夢の遊眠社時代の代表作の再演。野田秀樹が人の作品をアレンジした初めての作品という事でも話題になった。

 私の記憶に狂いがなければ、私が『半神』を観るのは今回で3度目である。しかし、悲しいかな、その作品が表現する小難しいところや深い意味は、正直言ってチンプンカンプンだったりする。某所から引用してしまうが“伸縮性のある衣装を着用させ、役者の自由を束縛し、対立の構造をひとつの身体の中に求めたことで一層際立たせた。”などは、なるほどとは思うが、対立の構造うんぬんを考える前に、束縛された身体を自由な動きでみせる素晴しい衣装に注目してしまう私なので、物語を理解するのではなく、感覚で楽しんでしまっている、みたいなところが無きにしもあらずである。言い訳じゃなく、こんな見方もいいじゃないかと思っている。

 で、今回の『半神』がどうだったかと言うと、期待を裏切る事なく良かった。しかし、初演と比較してしまうと物足りなさを感じてしまう。脚本上での変化はあまりないように感じたが、どうだったのだろうか。2分の1の身体を共有するシャム双生児、2分の1+2分の1は1にはならず、4分の2となる螺旋方程式、そして4分の2のリズムを刻むタンゴ・・・それぞれが渦を巻く展開は脳を混乱させるが、心地よい。
 逆に大きな変化を見せていたのが、舞台装置。いや、大きな変化と言うほどのものではないが、初演時にあった“螺旋階段”が今回は姿を消していた。再演時の舞台装置を思い出せないのだが、その螺旋階段を上り降りし、螺旋方程式の謎を解こうとする先生と老数学者が交差する、そんなシーンが視覚的にも楽しめて好きだったので残念でならない。今回の再演では、重要な役割を果たす“螺旋階段”はイメージで作るしかなく、どうもシックリこなかったのは本音である。舞台の稽古から芝居に入る冒頭のシーンに変わりはないが、今回はそのまま“芝居の稽古場”が舞台となった。小さい劇場での公演ならそれも面白かったと思うのだが、シアターコクーンという場所を考えるとどうかと思う。
 役者を見てみると、シュラを演じた深津絵里が期待以上に良かった。意外と言っては失礼かもしれないが、自分のイメージを覆す良さであった。ただ今回は深津だけでなく、マリアを演じる加藤貴子や、先生を演じた勝村政信などいちいち挙げたら切りがないほどいい役者が揃っていた。右近健一の着ぐるみみたいなデブっぷりが気になったのを除けばだけど・・・。夢の遊眠社の野田秀樹と第三舞台の勝村政信が同じ舞台の上に立っているってのも新鮮であった。ただ、ここでも初演と比較してしまうと劣ってしまうのである。この物語の要でもあるシュラの悲しみが、初演ほど強く伝わってこなかったのが一番の原因なのだが、深津が良くなかった訳ではなく、あくまでも比較してしまうとである。その初演でシュラを演じたのが、円城寺あやなのだが、今では“おばさん”というキャラになってしまっているが、夢の遊眠社時代の円城寺あやは魅力的であり、切り離される前の孤独、切り離された後の孤独をみごとに演じていた。それと比較してしまうと深津の演じたシュラは物足りないのである。比較さえしなければいいんだけど・・・。

 まぁ拾い上げればいろいろあるのだが、『霧笛』の悲しみを表現した「そんな音を作ってやろう」という台詞は何度聞いても涙が出てしまう。顔の一つや二つという台詞に対してシュラが言う「その一つが大切なの」ってものちょっとした台詞だけど好きな台詞である。

 今回の舞台とは離れてしまうが、自分の中では、円城寺あやと竹下明子が演じたシュラとマリアがベストな配役なのだが、野田秀樹と山下容里枝が演じたシュラとマリアを観る事ができなかった事が、今さらながら悔やまれる。野田秀樹なら“醜いが高い知能を持つシュラ”にピッタリだったかもしれない。


“野田地図(NODA MAP)”自分が観た公演ベスト
1.キル(初演)
2.Right Eye
3.半神
4.ローリング・ストーン
5.贋作 罪と罰
6.TABOO

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弘前劇場「春の光」

ザ・スズナリ 4/15〜4/18
4/17(土)マチネ観劇。座席 自由(4列目中央)

作・演出 長谷川孝治

 8年目を迎えた映画祭の開催が近づいているとある地方都市。結婚式の控え室である神社の社務所では、静かに時が刻まれていた。仲人である野上健太郎(福士賢治)と妻(佐藤てるみ)が控室にいる。市教育委員である健太郎は、映画祭で上映したい映画の許可がなかなかおりないので苛立っていた。その苛立ちの影には、ガンで余命幾ばくもないという事実が潜んでいた。そんな健太郎を中心に“結婚式”という儀式に集まった人々の抱えるドラマを描いた作品。

 96年に上演された『五月の光線』のリニューアル版である。と言っても『五月の光線』を観た事がないので変化はわからない。聞いた話ではそんな違いはないらしいが、ガンを告知された主人公・野上健太郎の年齢が45歳で、演じる福士賢治が年齢的に近づいた事での変化はあったらしい。まぁそもそも、弘前劇場の作劇法である“生活口語への翻訳”は、長谷川孝治が標準語で書いた脚本を、演じる役者の生活している言葉に翻訳することにより、登場人物に生命感というか生活感が生まれる訳なので、脚本の変化がなくとも役者の成長と共に変化は起こり得るのだろうとは思う。しかし、再演ではなく、題名まで変えてのリニューアルは何故?という疑問が残らない訳ではない。

 それは、さておき芝居はどうだったかと言うと、期待通りにおもしろいものであった。前半は若干眠気に襲われもしたが、主人公がガンに侵されているとわかったあたりから俄然おもしろくなった。ガンに侵されているとわかった時初めて、冒頭のシーンで見せた妻の健太郎へのいたわりが生かされてくるなどの構図は、初めから“ガンに侵されているのだ”と表面化させ解りやすくするより、静かだが“死”への反発や、辛さ、やるせなさが強烈に伝わってきて身震いした。“不親切だ”という感想も聞いたのだが、この点を指しているなら残念でならない。死の影が濃い物語だが、死の匂いや陰気な雰囲気はない。サブタイトルに“LUMINESCENT OF LIFE”とあるように、命が発光し射す光の暖かさは『春の光』のごとく暖かかった。


“弘前劇場”自分が観た公演ベスト
1.秋のソナタ
2.家には高い木があった
3.打合せ
4.春の光
5.アメリカの夜

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パルコプロデュース「温水夫妻〜Mr.&Mrs.Nukumizu」

PARCO劇場 3/8〜4/18
4/17(土)ソワレ観劇。座席 1階 I-10

作・演出 三谷幸喜

 昭和16年の2月下旬。越後湯沢から一つ新潟よりの雛美駅が舞台。雪の為にそこで足留めされ一夜を過ごすことになった、流行作家・太宰治(唐沢寿明)と温水夫婦(角野卓造/戸田恵子)、駅員であり旅館の主人でもある打雷修(梶原善)の四人。その架空の1日を描くシチュエーション・コメディ。
 温水夫婦は、ひなびた温泉宿に一泊し、帰路につこうとしていた。しかし、駅まで来たはいいが、汽車は大雪の為止まっていた。その待合室にはこれから温泉に向かおうと、折り返しのバスを待っている男がいた。そこ男こそ有名な作家・太宰治であった。しかし、温泉宿への道も大雪で通行不能となっていた。一時は作家を目指していた浩一郎は、男が太宰治であると知るや、喜び上がり盛んに話しかけるが、妻の光子は気が気でない。実は二人は若い頃左翼運動の同志であり、恋人だったのである。そんな事を知らない浩一郎を交え、駅の待合室に閉じ込められ一夜を過ごす羽目になった三人の関係は、あらぬ方向へと転がり出す。

 5年ぶりに三谷自身で演出した作品である。“やっぱり三谷幸喜は面白い”と断言できる程、大笑いした。しかし、三谷の得意とする“あて書き”の面白さで笑ったに過ぎないのではないか?この作品を別の役者が演じても面白いのだろうか?という懸念が渦巻き、手放しで喜べない気持ちでもあった。まぁ、台詞やタイミングなど三谷が作り出したものがおかしさを醸し出しているわけだし、役者の良さを引き出すのも三谷の才能なのだから、それら全てを含めて見れば、満足出来る作品だったと言える。ただ、脚本のみを見ると納得できない点もある。特に引っかかったのが、太宰治の描き方。自分の中にある太宰治像というのが、以前、相原コージが描いた「死ねなくてごめん」と自殺を繰り返す情けない男そのものなのだが、今回、三谷が描いた太宰治が、自分の中では完全にダブって映ってしまった。実際の太宰治がどんな人物か知らないし、三谷幸喜がこの漫画を読んでいたかどうかも知らないが、オリジナリティのない二番煎じはいただけない。これは自分だけが感じてしまった事かもしれないが、それが意外と重かったりもする。
 しかし、ナンダカンダ言っても、おかしかったのは隠しようのない事実である。で、そのおかしさの要所要所を締めていたのが、打雷修を演じた梶原善である。舞台出演は東京サンシャインボーイズの最終公演『罠』(94)以来らしいが、キャラクターを生かした演技は、さすが梶原である。まぁ、今回のキャラは梶原善の為にあった役と言っても過言ではないんだけど。その梶原のおもしろさを引き出せるのは、やはり三谷の才能である。そんな三谷を、“あて書きの達人”いや“あて書きの名人”いやいや“あて書きの天才”と呼びたい。

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reset-N「COVER」

渋谷スペースエッジ 4/24〜4/26
4/24(土)マチネ観劇。座席 自由(3列目だけど変則的な会場なので曖昧)

作・演出 夏井孝裕

 ある一人暮らしの女性・マリコ(町田カナ)の部屋に、以前一緒に暮らしていたユミコ(矢下瞳子)が訪れたところから物語は動きだす。ユミコは同性愛者でマリコの彼女でもあった。ユミコは人を殺して来たと告白する・・・。ユミコをかくまう為に再び二人の暮らしが始まるが、その部屋を盗聴していたトミナガと名乗る男(山本尚明)の登場により急変する。

 同性愛、盗聴・・・現代社会の歪みたいな物を加味し、精神的、心理的な混沌から90年代を描こうとしたのだとは思うが、いま一つ伝わってはこなかった。私にとっては、小難しい台詞が弊害にもなっていたのだが、閉鎖的なイメージが90年なのだろうか、という疑問を持って観てしまったので、作品の感じ方が根本的に違っていたと思う。第4回劇作家協会新人戯曲賞を受賞した夏井孝裕の受賞後第一作品だが、物語としては深みのないつまらない話であった。
 深みのなさと言えば、登場人物の描き方も薄っぺらに感じた。精神的に病んでいる部分から、人間臭い生臭ささが出てもいいはずなのに、全てにおいて無機質な冷たさを感じた。それを意図としているなら、私の読み違いなのだが・・・。
 マリコとユミコにレズの匂いがしないのも、致命的な欠陥である。抱き合っても艶美さも猥雑さも感じなかった。二人が再会し抱き合う場面をどれだけエロチックに描けるかによって、二人の関係の深さがわかるのに、暗転でお茶を濁してしまったのは、失敗と言ってもいいのではないだろうか。もう一人の同性愛者でマリコの部屋を盗聴しているエリ(川原京)からは、うっすら漂う狂気の匂いを感じたのだが、それだけでは芝居の空気を変える事はできなかった。残念だけど。

 余談になるが、この日は雨の降りが凄く、会場を探すのも一苦労であった。今回の芝居を観る状況としては、雨降りというのがピッタリではあったが、土砂降りの雨の中、知らない場所を捜すのは、肉体的にも精神的にも苦痛であった。既成の劇場ではない空間を使うのはいいが、観客の身にもなって欲しい、と自分勝手だがムッとしたのは、隠しようのない事実である。


“reset-N”自分が観た公演ベスト
1.TECHNO
2.COVER

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遊気舎「FOLKER」

本多劇場 4/22〜4/29
4/24(土)ソワレ観劇。座席 A-10

作・演出 後藤ひろひと

 舞台は咲花にある女囚刑務所。この刑務所では、終身刑や死刑を宣告されている囚人に対し“フォークダンス”による更正プログラムが実施されていた。その話を聞きつけ、フォークダンスの全国大会『フォーカー』のプロデューサーのマイキー(後藤ひろひと)は、このチームの参加を促す。この『フォーカー』は、フォークダンス・バトルと名が付いており、フォークダンスで勝敗を決める大会であった。単なる話題作りとマイキーは、女囚チーム、スティール・キャッツを参加させたが、その思惑ははずれ、スティール・キャッツは順調に勝ち進んでしまう。八百長で常勝のフォーク・ウォリアーズのリーダーでもあるマイキーは危機を感じ、スティール・キャッツに対し数々の罠を仕組む。しかし、スティール・キャッツはその強さで、決勝戦まで勝ち進み、ついにフォーク・ウォリアーズと戦う事になった・・・。

 こう簡単に書いてしまうと、TVの2時間ドラマででもやっていそうな、まぁきつく言ってしまえば、ありきたりで展開が読めてしまうようなストーリーなのだが、その物語に詰め込まれたものは、今までの遊気舎のカラーを吹っ飛ばす、とんでもないものであった。この作品を傑作と呼ばずして何を傑作と呼ぼうというのだ、と言ってもいい。今現在、今年の一番はこれに決まりだ!とまで私は思い込んでいる。まぁ先は長いが・・・

 中村(谷省吾)と言う男が持ってきた脱獄犯の手記(中村は小説だと思っているみたいだが)を編集者の森(信平エステベス)が読むという形で物語が進行して行くのだが、その場面処理のうまさにワクワクしながら見入ってしまった。これは後藤ひろひとの思う壷にはまったな、とは思うが、引き込んで離さない演出はさすがである。そしてなんと言っても、フォークダンスを持ってきた着眼点の良さは、後藤ひろひとの天才的才能を見た思いである。舞台でフォークダンスを踊ると聞いて、なんか間抜けなものを想像していたのだが、とんでもなくカッコ良かったのである。そして、そのフォークダンスで泣きそうにもなってしまった。いや、泣いてしまった。本多劇場では舞台の上で円陣を組んで踊っていたが、大阪では四方囲みの舞台だったらしい。その中央で踊る姿は、さぞやカッコ良かったに違いない。そしてラストの星が降り続けるシーンの美しさはなんと表現したらいいのやら・・・笑顔で踊るスティール・キャッツの姿が、涙で霞んだ瞳にしっかり焼き込まれた・・・って書くとちょっとキザったらしいけど、それくらい感動してしまった。

 今回特に良かったのが、主人公空那(ソラナ)を演じたギャグなしの楠見薫。最前列で見る楠見薫はすごいの一言であった。あの眼光の鋭さは、羽曳野の伊藤が目から光線を出す動きをよくするがそれどころじゃない、って当り前か。思いっきり短髪にした楠見薫の顔には、何者をも寄せ付けないという恐ろしさが現われ、瞳はギラギラと光っていた。台本に書かれた『彼女の目はあたかも全てを焼きつくす光線を発する武器のような、そんな強く呪われた光を放っていました』と言う台詞通りの凄い眼光であった。このシーンがあったからこそ、ラストの天使のような笑顔が生きたのは一目瞭然。
 また、ガンちゃんことピーター・ガンを演じた福田転球(転球劇場)の存在感にも脱帽である。設定もグッドでした。余談になるが、世界フォークダンス連盟の名誉ダンサーという役どころを演じた福田転球は、大阪芸大ミュージカル専攻出身らしい。あー顔に似合わん。(失礼)
 松岡を演じた山本忠も良かった。「笑ってくださーい」は今年一番の名セリフである。そして、こんなストレートプレイっぽいストーリーなのに羽曳野の伊藤(久保田浩)が妙にいい味を出していたのも遊気舎らしいところである。また、どんな容姿でも魔瑠の役名がミキってのも遊び心のなせる技か。
 そして、この日は三上市朗(M.O.P)が艦長ルックで審査委員長役でゲスト出演していたのにも狂気乱舞であった。


“遊気舎”自分が観た公演ベスト
1.FOLKER
2.びろ〜ん(Belong)
3.源八橋西詰
4.じゃばら
5.ダブリンの鐘突きカビ人間
6.人間風車
7.びよ〜ん(Beyond)
8.イカつり海賊船
9.タッチャブルズ
10.PARTNER

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動物電気「キックで癒やす」

中野ザ・ポケット 4/29〜5/3
4/30(金)観劇。座席 D-9

作・演出 政岡泰志

 じじい二人と同居している青沼一家。この家に、ボランティアで老人介護にやってきた大谷フミ子(伊藤美穂)を中心に青沼一家を描いた、ぬる〜い福祉劇。

 福祉という重っ苦しいテーマを肉体を使ったベタなギャグで笑い飛ばしているが、やっぱりぬるい。まぁそのぬるさも好きではあるが、物足りなさも感じた。
 息子の六郎を演じた辻修人の動きは、相変わらずトリッキーで笑えたが、そのトリッキーさを売りにして失敗しないで欲しい、と言う老婆心もなきにしも非ず。でも、もしかしたら、あの動きが自然なのかもしれないが・・・家庭教師の太田先生を演じた小林健一もいい味をだしていた。この劇団は個性豊かな役者が揃っているのが宝だなぁと痛感。


“動物電気”自分が観た公演ベスト
1.キックで癒やす
2.人、人にパンチ

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