98年10月はこの15公演

 


劇団M.O.P.「夏のランナー」

シアターサンモール 9/30〜10/4
10/1(木)観劇。座席 A-5

作・演出 マキノノゾミ
 昭和20年、戦後のゴタゴタが残る九州・小倉を舞台に、対立する老舗のヤクザ・若松村雨組と新興勢力のヤクザ・大文字組が、縄張りを賭けて野球で勝負する物語。野球を心の糧とする当時の人物模様を描きつつ、ヤクザの抗争を本筋に置いた異色作。中等野球北九州大会決勝戦での隠し玉が、キーポイント。94年に初演された作品の再演である。

 スカっとするスポーツものと、スカっとする仁侠モノを一緒にしてしまった芝居、とのフレコミだったが、感想としては“いいとも悪いとも言えない芝居”かなっ。“若松ストロングス”の助っ徒・花山銀次を演じた小市慢太郎と大文字組若頭であり“大文字組ファイアーズ”のピッチャー・羽暮研一を演じた三上市朗は持ち味を出し、とても良かったし、ラストは清々しい気持ちにもなった。が、決して面白かったと喜べない。何がどうとか具体的に言えないのが釈然としないが、そんな気持ちになってしまった芝居である。マキノノゾミの自信作らしいが、これが自信作なら、次回公演は観なくていいかなっと思ってしまう。


“劇団M.O.P.”自分が観た公演ベスト
1.遠州の葬儀屋
2.夏のランナー

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ク・ナウカ
「饒舌なるサイレントムービー 第一夜『ルル』」

中野・テルプシコール 9/24〜10/4
10/3(土)マチネ観劇。座席 自由(最後列中央)

原作 フランク・ヴェーデキント「地霊」「パンドラの箱」
台本 久保田梓美
演出 宮城聡
共同演出 中野真希
 ルイズ・ブルックス主演、G.W.パプトス監督による1929年の無声映画『パンドラの箱』と、その原作と知られるフランク・ヴェーデキントの戯曲『地霊』『パンドラの箱』を題材に、次々と男を破壊させていくルルと「破壊」によって男たちにもたらされる救済を描いた作品。小空間で「無声映画との対決」をテーマに、暗く濃密な、表現主義的な時間の構築を目指す。

 と案内から抜き出してみたが、正直言って“つまらん!”と憤慨したい程、眠気を抑えるのがやっとの芝居であった。一役をムーバーとスピーカーの二人で演じるという、いつものク・ナウカ式芝居ではあるが、退屈このうえない。新しいアイデアとして、サイレントムービーを所々に挟むというのは、おもしろいとは思う。しかし、それが生かしきれていず、映画の方が数段魅力があったというのは、困ったもんだ。宮城氏の語る“対決”なら、「あんたの負け」と言いたい。演じる役者の力量不足か、気持ちが伝わってこない。と言うか、眠くて何をやっているのかわからない。情景が全然見えてこないのである。原作では切り裂きジャックにルルが殺されるところで終るらしいが、この作品では切り裂きジャックが子供を産み落すところで終る。でも、切り裂きジャックが出た事自体わからなかったのが事実。男を翻弄するルルに全然魅力がなかったのも、この芝居に引き込まれなかった要因かもしれない。
 観劇後のアフター・ショー・トークでわかった事なのだが、今回の演出は、ほぼ全てが中野氏によるものだという事。宮城聡は名前だけで肝心な演出にはあまりタッチしてなかったそうだ。どうりで芝居自体が青く感じたわけだ。ラストの男から子供が生まれるシーンは、宮城聡が、男が赤ん坊を産むくらいじゃないと驚かない、という事で出来たそうだが、何の前ぶれもなく赤ん坊を産んでも意味不明である。その解釈についても、演出家である中野真希さえ理解してなかったみたいで、新しい誕生だとか、ルルが男に子供を寄生させただとか、世界の終りを象徴しているだとか、さまざまな事を役者と演出家で話していた。“こんなんじゃおもしろいわけないや”という印象しか残らず。結果、ク・ナウカの芝居は誰がやってもいいものではなく、美加理+阿部一徳+宮城聡の三人が揃ってこそだと再認識させられた。


“ク・ナウカ”自分が観た公演ベスト
1.エレクトラ
2.桜姫東文章
3.天守物語(彩の国さいたま芸術劇場)
4.ルル

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reset-N「TECHNO」

渋谷・シアターD 10/2〜10/4
10/3(土)ソワレ観劇。座席 自由(椅子席最前列上手)

作・演出 夏井孝裕
 物語は、テクノを売る男・テクノを作る男・テクノを配る女・テクノを探す男・テクノを嫌いな女・テクノを好きな女・テクノを待つ女の7人が登場する。この7人のそれぞれの話を切り取って描いているオムニバス。

 reset-Nの公演を初めて観たのだが、予想に反してと言っては失礼だが、期待以上におもしろかった。人々の心の奥底まで深く踏み込みはせず、その境界をいい具合に触れて、去って行く。だからと言って上辺だけ描いているわけではなく、人物描写もいい。こんな人物だと説明されなくても、自然と人物像が浮かび上がってくる。何と言ったらいいのか…冷めた視線で描いているという感じだろうか。そんな感じが妙に心地良かったのか、思いのほか作品に引き込まれてしまった。
 物語はそれぞれ単独の話になっているのだが、時には交差し、微妙に関係を持つ。そういう話の繋がりって、前のシーンがぼんやり残っているところに次のシーンがかぶさるので、私は好きだ。まっ、それがうざったい時もあるんだけど。この作品は、好きに傾いたみたいだ。しかし、何故テクノなのかは最後まで理解できなかったんだけど。
 舞台に掛けられた意味深な数字(7、21、15、9)は、特に意味がないそうだ。そんな所はちょっと残念。欲を言えば、場面によっては、もっとテクノミュージックが溢れんばかりに流れても良かったのではないかと思う。テクノが好きな女に恋する男なんてのは、溢れんばかりの音楽に正常心を忘れてしまってもいいし、テクノ欲しさに身体を売ってしまう“テクノが好きな女”などは、“音楽さえあればいい”みたいな気の狂い方を見せてもいいんじゃないかと思う。観終った時には、自分もテクノに侵されてしまった、みたいな感覚もおもしろかったのではないか。でも、帰り道でYMOが聞きたくなったので、それはそれでよかったのかもしれない。腹八分だからこそいいって事もあるし。あっ、付け足しになってしまうが、照明もよかった。

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ロリータ男爵
「恋は日直(ときめき・ナゾめき2本立て)」

北沢タウンホール 10/3〜10/4
10/4(日)観劇。座席 27-Q(招待)

作・演出 田辺茂範
 1本目は「ときめき」(“恋のひらめき”のサブタイトル付き)。
聖エステ学園には、“日直になった二人は結ばれる”という伝説がある。しかし、何故か今は、日直禁止例が引かれていた。生徒が一人しかいない分校では、はなっから日直はないのだが、この伝説にあこがれを持った一人の少女がいた。名前は美白ヒメ子(斎藤マリ)、中学3年生。恋する乙女ってな設定で本編の主人公である。ヒメ子は、本校に二泊三日で修学旅行に来た時に、オールマイティモテ男(松永雄太)に出会い、一目惚れしてしまう。そんなヒメ子の恋の騒動を描いているのがこれ。まっ、出会い編ってとこかな。
 2本目は「ナゾめき」(“恋のざわめき”のサブタイトル付き)。
ヒメ子に引率して本校にやってきたキャミソール先生(中西恵子)に恋をしてしまい、先生を追って本校から分校に転校してきたモテ男とヒメ子のドタバタ恋物語のホラー仕立て、って言うかラブコメ・ホラー。まっ、ホラーって言っても、ちょっとおばけが絡むだけだけど。そんな感じの解決編。

 そんな恋の2本立て同時公演。2つの公演の間には「一角二朗の愛のトーク&歌謡ショー」のおまけ付き。どっちか片方だけ観るのは半額(999円)。でも途中入場してくる人はいなかったような気もする…。

 まとまりが良くなった分、前回観た時に感じた“勢いのあるバカ臭さ”が、影を潜めてしまったのは残念だった。しかし、相変わらずバカやってておかしい。こーいう馬鹿さ加減が大好きなので、非常に好感が持てる。そして、今回特に感じたのは“歌がうまくなっている”って事。そーは言っても普通に音程をはずさずに歌っているだけで“うまい”という表現からは程遠い。でも、ちょっとヘタクソなのが、ロリ男の良さなのかも知れない。
 今回タタララタタは、奇を狙いすぎたキャラクターだった為か、イマイチ生かしきれていなかった。それとは逆に“その子校長”は、やっぱり出たかという感じはあるものの、うまく芝居にはまっていた。ただ、“美白の女王、鈴木その子”のディープなファンからは、「まだまだ白さが足りない、もっとハレーションを起こさないとダメだ」という意見がでるかもしれない。しかし、私は本山みどりの素人っぽく下手な演技共々、ツボにはまってしまった。加えてにゃんまげ教頭など、くっだらねぇ〜と喜べるキャラクターの登場も嬉しい。また、ビデオ録画してあるものを見るシーンがあるのだが、そのテープの最後にチロッとテレビ録画が入ってしまっていたりする、些細なくだらなさもいい。そんなところが最高におかしい。オリジナル曲の中では、「恋は日直」(作詞 田辺茂範/作曲 中林ヒサカズ)は曲・詩ともに良くできていた。ついつい♪恋は日直 日直 日直よ♪と口づさんでしまう出来映え。でもこんな歌を町中で口づさんでしまっては、危ない奴と言われても仕方がないので、頭の中だけに留めておこうと思う。


“ロリータ男爵”自分が観た公演ベスト
1.恋は日直
2.地底人救済

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自転車キンクリートSTORE
「絢爛とか爛漫とか(モボ版)」

紀伊国屋ホール 10/7〜10/20
10/8(木)観劇。座席 I-7

作 飯島早苗
演出 鈴木裕美
 舞台は昭和のはじめ。小説家を志す4人の若い文士達が苦悶しつつ、呑んで騒いだり、友達の恋の成就に奔走したり、取っ組合って大喧嘩する、馬鹿馬鹿しくもセンチメンタルな日々を描いた、青春群像劇。93年に初演した作品の再演。モボ版というのはモダンボーイズの略。今回は女性版としてモガ版も公演。

 デビュー作しか書けなくて、うじうじ悩む主人公・古賀大介(京晋佑)と仲間達である、猟奇小説家の加藤常吉(岡田正)、才能はあるのに文学に固執しない諸岡一馬(佐々木蔵之介)、評論家志望だが書いた小説が思いのほか好評だった泉謙一郎(吉田朝)の“お気楽な日々”を描いた芝居、としか思えなかった。
 小説が書けなく苦悶していると言っても、女中を雇って、のほほんと暮している。そんな男が主人公では、どうも真剣さがないというか、“甘えるんじゃねぇ”と怒りたくなる。道楽でやってるとしか思えない。文士の悩みなど到底伝わってこない。人生いろいろあるという事は伝わってきたが、なんの感動も起きず。

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維新派
「ヂャンヂャン☆オペラ『王國』」

大阪・南港ふれあい港館野外特設劇場 10/9〜10/26
10/10(土)観劇。座席 自由(7列目中央)

作・演出 松本雄吉
 昼は暑くても夜の南港は寒い。しかし、寒さを忘れる至福の2時間であった。舞台は現在の都市「オオサカ」(私は、いつとも言えない別世界の現在という感じを受けた)。その都市が産み落としたタケル(岩村吉純)は、廃屋のビルや橋桁をねぐらにしていたストリート・キッズである。ある日、タケルはボロボロのリュックを背負った不思議な少年たちと出会う。その6人・キギス(田辺泰志)、トビオ(近藤和見)、トロ(森田広宣)、ツノミ(石本由美)、スガル(春口智美)、アシオ(ちくりん)は、風の民と名乗り、長い旅路の川筋を辿り、日輪の子<太陽の子>タケルに会いに来たと云う。時を越え古代から現代へ流れているという移動の民の幻の川、少年たちはその川へタケルを誘う・・・

------維新派の世界を感じてもらうには、松本雄吉氏の言葉をそのまま載せた方が一層理解できるのではないかと思い、ちょいと借用しちゃいます。
(関係者の方々御了承を)------

『ヂャンヂャン☆オペラ『王國』は現在の大阪の街を題材に、超現代的側面の享楽的都市像とその根底に息づく土着的(古代的)文化の奇妙に混ざり合った都市像をネオ・ユートピアな「王國」というイメージに凝縮させます。
 地下の下水道を疾駆するネズミの群れ、都市ノイズを真似る野鳥たち、ゴミ箱を漁り肥満したカラスやムクドリ、化学物質に群がる蜂や蠅、埋め立て地に捨てられ野生化した犬や猫、ビル街に産卵する蝉などの昆虫類、光を拒絶する植物、コンクリートや鉄に寄生する植物群、汚染された運河、移動民としての浮浪者やストリート・キッズ、そして都市の闇から突如姿を現すであろう都市幻獣たち……。ヂャンヂャン☆オペラ『王國』は、都市に棲息するあらゆる生きものの疑似自然的風景を舞台に、都市の魔、都市の欲望が産み落とした現代のモンスタータケルの都市漂流譚です。
 物質たちの王國、死者たちの王國、都市動物の王國、植物王國、そして、浮浪少年タケルが幻視する移動の民の王國……、さまざまな王國のイメージの重層が現代の街、オオサカとクロスします。』

------ここまで。

 今回の作品はストーリーを追うと言うのではなく、松本氏が語る“イメージの重層”を感じる作品になっていた。なかでもオープニンがいい。私の場合オープニングの善し悪しが、芝居全てを左右してしまう傾向が強いのだが、丸太の林に登場する少年たちが、丸太の上に立ちあがり、吠えるが如く歌い出すシーンでいきなり鳥肌がたってしまった。少年たちが都会を眺めているのか、都会自体がジャングルなのか…野外劇ならではの解放感、夜の闇、丸太の上で演じるという離れ業も手伝ってか、そのイメージは今でも脳裏に焼き付いている。
 維新派が追い続ける“巨大な生きものとしての都市”というテーマを感じるオオサカの街のオブジェもいい。そのオブジェは、2100年のオオサカ・シティをイメージしたものだと、どこかに書いてあった気がする。遠近感のおもしろさ。見せ方のおもしろさ。野外劇を知り尽くした維新派ならではの視点がとても良かった。なかでも屋上のシーンは空の上から眺めているようで格別。
 そして、ラストの叙情的とも言えるシーン・銀の雨の中に立つ少年たちは、本当にすばらしい。ただ、物語自体は、新たな王国を探しに旅立つところで終ってしまった感じを受けたので、もっと続きが観たいという不満も残る。しかし、3部作の1作目という話も聞くので今後の展開を楽しみにしようと思う。
 役者では、スガルを演じた春口智美がいい。前作『南風』が良かったのもあるが、縁あって『維新派大全』(松本工房刊)の発刊記念パーティに出席したのだが、そこで松本氏と話しをしている春口を見た。その熱心な表情を見た時、非常に魅力を感じた。今回の少年も輝いていたと思う。まっ、思い入れはあるけど。
 ともかく、東京から足・宿代を使ってもお釣りがくるというのは真実。私は夜行で東京に戻ったのだが、待っているベンチで年配の方が維新派のパンフを読んでいた。ここにも私と同じ人がいたと、嬉しい気持ちでいっぱいになった。


“維新派”自分が観た公演ベスト
1.南風
2.王國
3.青空

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少年社中
「LIFE IS HARD−DIRECTOR'S CUT」

大隈講堂裏劇妍アトリエ 10/7〜10/14
10/13(火)観劇。座席 自由(3列目中央)

作・演出 毛利亘宏
 世紀末型エレベーターアクション「ライフ・イズ・ハード」の改訂再演。
とあるビルのエレベーターが突然止まり、3人の市民<取引の為にビルにやってきた守屋行人(木村慎一)、このビルの34階にある大手ゲーム会社ナムコから最新ゲームを盗もうと侵入した足立圭(水野真澄)、33階にあるゲームソフトメーカー、ナメコ勤務の大友涼平(佐藤春平)>、が閉じ込められる羽目にあってしまう。そこに間違えて侵入してきた一人のテロリスト・生田竜一(井俣大良)。この生田の登場により、事態は思わぬ方向へと展開する。銃撃、地球外生物との接触、巨大戦闘マシンの出現。彼らは未曾有の危機の中、この狭い空間で生き残る為に戦闘体制をとる。果たして彼等は無事生還できるのか。

 自信作の再演との事だったので期待したのだが、期待の半分も満足せず。前作は古臭さはあるものの、物語の展開がおもしろく、かつ登場人物の個性も生かされ、満足できる作品であった。しかし、今回は導入部が非常に弱く、それを引きずったまま展開してしまったのか、ワクワクもせず盛り上がりのないまま終ってしまった。話の舞台がエレベーターの中という事があったにしても、芝居から感じられる世界が狭い。外の世界が見えないからこそ、想像が妄想を産み、話がでかくなり混乱していくのではないか。そんな世界をうまく描いてこそ、人物像も浮かび上がり、ラストのどんでん返しも生きてこようというもんです。奇想天外な状況を作るのはいいが、テンポが悪く、且つパニックの真実味が薄いのは、芝居をつまらなくしていると思う。肝心な“現実なのか嘘なのか”というところの描き方も弱く、面白さが出ていなかった。


“少年社中”自分が観た公演ベスト
1.アルケミスト
2.ライフ・イズ・ハード

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ベターポーヅ
「GREAT ZEBRA IN THE DARK'98」

青山円形劇場 10/16〜10/18
10/16(金)観劇。座席 自由(最前列)

作・演出 西島明
 大金持ちの鳥類学者(西島明)が住む、海辺の屋敷が舞台。屋敷の中には巨大な馬の足の剥製が置かれている、そんな屋敷。そこでは、定期的に鳥の数を数える夕べが催されていた。蟹が異常発生したある日、ハトサブレ工場の女工・ふき(阿部光代)は、蟹にハンドルをとられ、車を庭に突っ込みビーナス像を壊してしまう。その償いとして住み込みで働くことになるのだが…。
 彼女の身請け金を捻出しようと工場長を殺してしまった女工頭・木村(市川菜穂)はその金を使い込み、教会再建の為、屋敷で電気屋のアルバイトをする神父(猿飛佐助)は女工に一目惚れ。屋敷暮らしを妬む女工仲間・モバラ(加藤直美)達は自分の欲望の事だけしか頭にない。そんな欲望に突き動かされ、流されていく様を、洗練された“かわいくてブキミで奇妙な空間”に醸し出す。

 西島氏によると『薄暗の檻の中にいる大きなシマウマの模様は、檻の鉄格子の影なのかシマウマの模様なのかわからないと同様、善悪は判断しにくい』という事だそうだ。ここにこの作品名に含まれた意味や、自分の事しか考えていない人々の欲望、悪意が読み取れる。ところで、舞台には大きな馬の足が置かれているのだが、初演の写真を見るとシマウマの足なのに、今回は白馬の足に変更されている。この違いに何か意味があるのだろうか。私には残念ながら、そこから何も読めなかったんだけど。
 それはともかく、今回もニタニタって感じでベタポワールドに浸った。ただ最前列で観てしまった為、舞台が見渡せず、加藤直美ばかり見てしまう羽目に陥ったのはいいんだか悪いんだか。まっ、好きな役者をじっくり観れたのでいいんでしょう。中でも“ミス鳩サブレコンテスト”は、阿部光代の色っぽさも堪能できたし、涙が出るほど笑えた。しかし、加藤直美は何故あんなにHなのだろうか。女性の色気とかとは違う、なんと言うか“Hな空気”を所有している。いやらしい顔をしている訳では決してない。かわいい顔で「手慰み」なんて言葉を平然と言ってしまうところに、そのHさがあるのだろうか。まっ、ともかく、そんな加藤直美が非常に好きである。


“ベターポーヅ”自分が観た公演ベスト
1.カエルとムームー
2.GREAT ZEBRA IN THE DARK'98
3.ボインについて、私が知っている二、三の事柄

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BeSeTo演劇祭日本委員会制作
「ゼウスガーデン衰亡史」

増上寺境内 野外特設ステージ 10/16〜10/20
10/17(土)観劇。座席 自由(3列目中央)

原作 小林恭二
構成・演出・『オーディション』脚本 安田雅弘
美術・音響 飴屋法水
 舞台は“ゼウスガーデン”内のオーディション会場であるらしい場所。参加者は大きな積み木の課題に取り組んでいる。積み木が終り、不合格者が通達される。採用基準は誰にもわからない。そもそも、そこがどんなアトラクションになるかさえ、知らされていない。しかし、オーディションは続く…。

 第11回三島由紀夫賞を受賞した、小林恭二の『ゼウスガーデン衰亡史』の舞台化である。小説は読んだ事がないので、案内に書かれた【大量消費社会の行き着く先として出現した“巨大な遊園地”としてのニッポン。『ゼウスガーデン衰亡史』は遊園地“ゼウスガーデン”が日本国すらをはるかに凌駕して発展し、突如として消滅する過程を描き、消費社会小説として未来を予見した。】という事でイメージを膨らませての観劇だった。その為、観劇直後の感想は、「芝居自体は興味あるものの、これから国家規模に話が膨らんでくる前の序章程度の内容に終わってしまったのは残念であった。」というものであった。しかし、パンフを読んで自分の勘違いに気づく。本当に読みが浅い、と反省しきり。
 この作品では原作にない『オーディション』場面を設定し、舞台としている。それにより安田氏が語るところの【何のアトラクションのオーディションだかわからないが、登場人物が「何のオーディションだろう?」ってことをいろんな言葉で表現していく過程で、ゼウスガーデンはどうあるべきなんだろうという姿を描く。】(パンフより抜粋)となる。これを読んで、裏のストーリーを読めてこその面白さがあったのか、などと恥ずかしながら思った次第である。こんなもの簡単に理解しろよ、と言われるかもしれないけど…。それはさておき、理解した途端、自分の中での作品世界も広がりをみせた。この作品は決して序章ではなく、終章を描いていたのだと気づく。そして、人間をインプリントしようとするアトラクションの出現により、間違った方向へと向かう「快楽の追求」を描いたラストに、今さらながら寒気を覚える。
 美術に関しては、今までの飴屋法水を期待していた私にとっては、少々物足りなさを感じた。東京タワーの模型を線対称になる所に置くことにより、東京タワー自体も遊園地の一部にしてしまい、さらに、増上寺本堂さえも作り物なんじゃないか、という感じで見せたのはおもしろいが、もっとサイバーパンク的なものを期待していた私には、「もっと冷たく突き刺さる美術が見たかった」などと言う不満も残る。まっ、それじゃ“遊園地”というイメージからは外れてしまうけど。宣伝文句の、【日本の過去=増上寺本堂、高度成長期=東京タワー、現在=隣接する高級ホテル】は、全然違うんじゃないかと思う。
 まっ、ともかく、一番の印象は、“雨の中の野外劇は寒かった”という事。いやぁ〜観劇後の熱燗は最高にうまかった。

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ク・ナウカ「天守物語」

増上寺本堂前 野外特設ステージ 10/23  
10/23(金)観劇。座席 自由(2列目中央)

作 泉鏡花
構成・演出 宮城聰
 時代は戦国。姫路城天守閣に棲みつく魔界の者たちをつかさどる富姫(美加理&阿部一徳)と鷹匠の姫川図書之助(宮坂庸子&大高浩一)の恋物語。富山県利賀村の野外劇で初演された代表作の再演。

 今年の3月に彩の国さいたま芸術劇場で再演されたばかりだが、今回は初演と同じ“野外劇”という事で期待は膨らむ。で、どうだったかと言うと、期待通り素晴しいものだった。スピーカー、ムーバー、パーカッションの三位一体で構成されるク・ナウカの手法と野外空間が泉鏡花の世界に溶けあい、妖艶で甘美な一代絵巻を展開していた。中でも、富姫が登場するシーンは最高。このシーンさえ観られれば満足だ、と断言してしまってもいい。増上寺の奥から、まるで浮遊するように登場する富姫の美しさは、この世のものとは思えない妖艶さ。野外劇ならではの“風”も最高の効果を上げていた。また、階段を使った舞台も、面白い動きを見せていたし、階段の効果で衣装がよく見れたのも満足した要因。
 ただ、どうしても恋物語が苦手な私としては、後半がどうも満足できない。あれだけ妖艶さで満たされていた富姫も、恋をした途端に魅力が半減してしまう。人間との恋で魅力がなくなってしまうんじゃ、ちょっと…。でも、【人間と妖怪という設定こそが、純粋な恋を描く手はずだった】とパンフに書かれてあったので、富姫からやさしさがにじみ出てくる事は、意図したことかもしれない。ただ、それが自分にはだめだったという事。それにしても、人間と妖怪という設定をしないと純粋な恋を描けないって、泉鏡花が生きていた時代も現代も大差がないという事か…。
 この日は雲行きが怪しかったが、雨はラストにチラッと降っただけ。でも、そのチラッと降った雨がライトに照らされキラキラ輝き、さらに効果を上げていた。野外劇の素晴しさをさらに実感。


“ク・ナウカ”自分が観た公演ベスト
1.エレクトラ
2.桜姫東文章
3.天守物語(増上寺本堂前野外特設ステージ)
4.天守物語(彩の国さいたま芸術劇場)
5.ルル

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NYLON100℃ SIDE SESSION「偶然の悪夢」

青山円形劇場 10/21〜10/29
10/24(土)マチネ観劇。座席 B-1

原作 ギュンター・アイヒ(『列車』『治療』『敵』)
作・演出・脚色 ケラリーノ・サンドロヴィッチ
 ドイツの作家、故ギュンター・アイヒが書いた放送劇『夢』を舞台化した短編6本のアンソロジー。6本のうち3本はケラのオリジナル。

第一の夢『列車』

何十年も貨物列車で暮す5人家族の話。何故拉致されたのか、目的は何なのか、貨車はどこをいつまで走っているのか、何もわからず日々を送る5人。ある日、貨車の一部から光が差し込む。そこから外の世界を覗いたが…。
第二の夢『友達』
何かに選ばれ北極へと向かう姉弟。見送りに来た三人の友達から、送別の品にオドラレクという生き物をプレゼントされる。しかし、その中に入っていたものは、オドラレクではない狂暴な生き物だった。そのプレゼントに隠された本心が浮き彫りにされる…。
第三の夢『治療』
貧血症の治療に子供の生き血を呑むという、吸血鬼伝説をアレンジした話。ある親子が子供を売りに屋敷を訪れる。交渉はまとまり、早速女中に料理を頼むが、女中が料理したのは、買った子供ではなかった…。
第四の夢『停留所』
死後の世界にある停留所の話。そこでは、死と現世が交差しているが、自分の死を理解できない人は、そこで苦悩し“死”という現実を受け止める…。
第五の夢『死』
死というものが、一個人を肉体とその個人とに分けるという事を、ある三流小説家の死を通してみせる…。
第六の夢『敵』
幸福な家庭に突然訪れた“敵”の話。その敵が現われた一家は全ての物を置いて逃げ出さねばならない。しかし、子供の一人が人形を持って逃げてしまう。敵はそれを探して一家を追ってくる…。

 悪夢の六話は静かに展開する。チラシに【「笑い」は一回お休みです。】とケラの言葉が載っていたが、その通りに笑いを抑えた演出は、観ている者の心を、嫌〜な気分にさせる。その嫌〜な気分はまさに悪夢を見た時に感じるそれである。物語も理屈では片付けられないものばかり。その理屈があるようでないのも、夢独特の世界を表現していて、なかなか深みにはまってしまった。そんな不快感に満ちた悪夢の世界は、笑いに慣れてしまったケラの作品をいい意味で裏切り、素晴らしいものにしていた。又、昼間の青山円形劇場ということで、会場を出た途端、子供・子供・子供の群れ。その現実感が、今まで観た芝居を一層“悪夢”にしていた。まっ、それはともかく、こんな芝居もたまにはいいもんだ。いつもだと気が滅入っちゃうけど。六話の中では、ストーリーが読めてしまったという気持ちはあるものの『治療』が一番面白かった。


“NYLON100℃”自分が観た公演ベスト
1.カラフルメリイでオハヨ'97
2.ファイ
3.フローズン・ビーチ
4.吉田神経クリニックの場合
5.ザ・ガンビーズ・ショウ Bプロ
6.偶然の悪夢
7.フランケンシュタイン
8.下北沢ビートニクス
9.ザ・ガンビーズ・ショウ Aプロ

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HIGHLEG JESUS
H.J総代、演劇村への報復スペシャル「お茶の魔」

博品館劇場 10/21〜10/25
10/24(土)マチネ観劇。座席 B-23

脚本 宮藤官九郎
演出 河原雅彦
 かつては、一世風靡した“お茶の間公開番組”をモチーフに、ハイレグ風にアレンジした作品。

 伊藤潤二のイラストを使用したチラシ、大人計画の宮藤官九郎の脚本と言うことで、ドロドロと嫌気がさすような地獄絵図を楽しみにしていたが、期待はずれであった。あっ、いや、あんまり期待はしていなかったので、裏切られる事なく、つまらなかったと言ったほうがいいか。TVのお茶の間番組をパロディにして、毒を入れようとしているのはわかるが、ネタ的にも使い回しが多く、やっつけ仕事ってのがミエミエ。この舞台でハイレグのネタである“全日本なめプロレス”をやる意味があるのか?と疑問をぶつけたくなる。マジで“演劇村への報復”という名が泣きます。1回目の『隷族08』、2回目の『モンスターロックフェスティバル』とそれなりのポリシーで続けてきたこのシリーズだと思うのだが、こんな単にプロデュース公演的なものでお茶を濁していいのか。ちょっと嘆かわしい。ところで、この公演にテレビカメラが入っていたが、こんなもの放映していいのか?日本テレビ。“ピー”音とモザイクで一体何やってんだかわからないぞ。頭悪すぎ。
 面白かったところを捜すとすれば…地獄の昇天(笑点にかけてこれってのもトホホです)の大喜利で突如舞台にあげられた宮藤官九郎。おもしろい事を言えなくてオロオロする姿が逆におかしい。でも、こんなんが可笑しいってのも寂しい話。あと救いは、パンツまで降ろすモリマンの芸が妙におかしかった事かな。さすがお笑い芸人。モリマンがゲストの日で良かった〜と実感。あと現役女子高生が歌う後ろで、全裸で踊るハイレグ、というのは絵的にはおもしろかったのだが、「ひょうきん族でやってたものと、基本スタンスは変わらんのでは」という指摘を受け、そう言えばと記憶を辿る。全裸じゃないけど(あたり前か)ベストテンでそんな事してたと思い出す。なんも新しいものがないじゃないか!とちょっと憤慨。まっ、そんなこんなで決して褒められる舞台ではなかった。あっ、映像センスは相変わらずいい。


“HIGHLEG JESUS”自分が観た公演ベスト
1.男がいて、そして女がいて…
2.隷族08
3.モンスターロックフェスティバルin亀有
4.桃色慢遊
5.お茶の魔
6.若くして死ぬしかない

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G2プロデュース「子供の一生」

PARCO劇場 10/15〜11/1
10/26(月)観劇。座席 Z-12

原作 中島らも
演出 G2
 今回が4度目の上演となるこの作品は、90年にMOTHERの前身である『売名行為』のために書き下ろされ、92年にMOTHER、95年にリリパット・アーミーが再演している。G2の演出は、初演も含めこれが3度目。
 舞台となるのは、瀬戸内海に浮かぶ孤島。その島にある「MMMクリニックランド」では、現代社会の様々なストレスに病んだ人々に「こども返り」という画期的な治療を行っていた。それは、催眠療法と薬によって患者を子供時代に戻し、ストレス社会から解き放つというものだった。この施設にやってきた5人の患者たちは、徐々に「こども」に退行していく。やがて、一人のいじめっこに対し、ある“遊び”を思いつき、その遊びで仲間外れを実行する。しかし、その遊びが、想像を絶する恐怖を生み出してしまう。

 リリパット・アーミーの公演を観た時も正直言って、おもしろさを感じなかったが、今回はそれ以下。中村有志、升毅、生瀬勝久、古田新太、入江雅人、小沢真珠、西牟田恵、芳本美代子とキャストも豪華だし、伝説となっている古田新太の“山田のおじさん”を見れたのも嬉しい。物語もいい出来だと思う。しかし、つまらないのは何故?答えはもちろん“ぜんぜん恐くない”という事。PARCO劇場の広さもこの芝居には合わなかったと思うが、山田のおじさんが登場し、これから恐怖が始まるってところで、あっさり終演ってのは納得いかない。山田のおじさんが暴れまくり、不死身の恐怖が客席まで蔓延したところで、あのラストにもっていかなければ、この物語の真の面白さが出ないのではないか。おかげで、笑いから恐怖へと繋がる面白さが全然味わえなかった。加えて、芝居をぶち壊しているとしか思えない、あの衣装はなんだ!嫌い以上に嫌悪感を感じる。
 と、不満ばかり言っているが、いいところもあった。古田の「よろしいですか?」は、たったこれだけの台詞なのに恐怖がにじみ出ていたし、島を買収するもくろみで、調査の為に治療にやってきた会社社長・三友を演じた生瀬は、キャラを生かしたいい演技だった。入江もへんてこでおかしい。となると失敗は演出という事か…。こんな出来では幻の舞台のままにしておいた方が良かったかも。

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故林プロデュース 当時はポピュラー
「奥本清美さん(23才、OL)」

銀座小劇場 10/29〜11/2
10/30(金)観劇。座席 自由(6列目中央)

作・演出 故林広志
映像協力 吉田衣里(げんこつ団)
 ガバメント・オブ・ドッグズを率いる故林広志のプロデユース公演。ある誘拐報道を軸に不条理な世界を描いたオムニバスコント。
 流れを列挙すると、個人遺失物捜査→とある誘拐報道→半端倶楽部→地震の避難訓練(奥本清美やっと登場)→誘拐報道の話に戻るがライターと記者との方言のやりとり→コントサンプル(連続幼児殺人事件やら車内販売やら)→気のふれたカウンセラーの話→誘拐報道(誘拐されたマサオミ君の塾の手品先生と記者)→不安倶楽部→奥本さんの会社→誘拐報道→高山広ライブとなる。列挙しただけじゃ、なんだかわからないけど、そんな流れ。

 全体を通して楽しめたが、詰め込み過ぎって感じも無きにしもあらず。おもしろいものをどばーと出そうという心意気はいいが、腹八分目って事も考えて欲しかった。だからって、つまらなかったという訳ではないので、誤解なきよう。ただ、今年の5月にナイロン100℃ SIDE SESSION『吉田神経クリニックの場合』に脚本協力という形で「赤ちゃんコアラ」(気のふれた精神科医の話。もともとはガバメント・オブ・ドッグスで94年に演ったネタらしい)を提供し、演じられているにもかかわらず、今回持ってきたのはどうかと思う。まだ記憶が新しいのだから、外した方が良かったのではないか。アンケートには誤解され「マネではないか」とまで書かれてあったと話に聞く。なんか非常に残念である。
 あと、あえて言ってしまうと、高山広のソロは余計だったと思う。それはそれで面白かった(特に「ギフト」が良かった)のだが、長く引っぱってしまった為に本編が霞んでしまった。いや、それどころか、ごちゃごちゃ感が拭えなく、結局どんな話だったのか印象を薄くしている。何故こんな構成にしたのか疑問を感じる。
 役者では、村岡希美(ナイロン100℃)・水沼健(MONO)のとぼけ具合が最高であった。特に村岡がいい味を出していた。奥本清美(題名にはなっているが特に主役じゃない)を演じた三谷智子もきれいでよかった。個人的な好みだけど。
 あと、付け加えるようでなんだけど、映像協力の吉田衣里は、良さが発揮できてなかったと思う。 

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弘前劇場「秋のソナタ」

青山円形劇場 10/31〜11/1
10/31(土)観劇。座席 自由(最前列)

作・演出 長谷川孝治
 とあるホテルのロビーが舞台(モデルになったホテルは確か十和田湖にあるホテルだったと思う。名前を聞いたのだが、忘れてしまった…めんぼくない)。物語のメインは結婚式の前日に打ち合わせに来た家族。そして、その家族を取り囲む人々。ロビーを行き交う人々は、自分の物語の断片を残し、去って行く。静かな舞台とは裏腹に、激しい感情が交差する、群像会話劇の傑作。

 前回観た『アメリカの夜』(弘前劇場の公演としては前々回)では、酷評してしまったが、今回は今まで観た弘前劇場の公演の中では、ベストワンにあげたい。『アメリカの夜』の話になってしまうが、東京での公演はグローブ座ということで、舞台上に舞台装置である客席を作らなければならなかったのだが、青森での公演では、客席と同じ視点に舞台装置の客席が作られ、あたかも客席の中で芝居が行なわれているような感じになっていたらしい。これなら芝居も生きたかもしれない。私が弘前劇場に感じる一番の魅力は、“臨場感”なのだが、今回はホテルのロビーの喧騒さと静かさを味わい、自分がホテルのロビーにいるような錯覚に陥った。臨場感を醸し出している要因の一つに、弘前劇場ならではの“日常生活の音や匂い”があると思う。決して匂いが出る物を舞台にあげているわけではないし、あえてガシャガシャと音をたてているわけではない。逆に生唾をのむことすら出来ないくらいの静けさだ。しかし、舞台上には生活の音や匂いを感じさせる何かが潜む。そこが又いいところなのだが。
 様々な人を登場させ、伏線を張っておきながら、最後まで本編とは関わらない人がいたりするのも、ホテルのロビーという事では非常に現実感があっていい。長谷川氏の言葉を借りるなら、「世界は無数の物語で構成されている。日常は一見平板で味気なく見えるが、実は個人にとっては劇的な空間である。」その言葉通りの舞台であった。

 今回はテーマが“悪”という事もあってか、何気ないところに悪意が見え隠れしていた。表立ててそれは見せないが、その中心は、舞台には登場しない新郎。舞台上に登場しなくとも序々に現れてくる人物像は“ろくでなし”である。観劇後の打ち上げに参加し、新郎の兄・三倉環を演じた畑澤聖悟と話す機会があったので聞いてみたところ、畑澤氏が感じた弟像は「どうしようもない人間なんでしょう」との事だ。とても、うなずける。ろくでなしと知りつつも平静を保つ、その見かけ上の善意の中にこそ悪意が潜んでいる。そんな事が冷たく伝わってくる、素晴らしい舞台であった。
 そして、この芝居の中に、こっそり忍ばされた映画『卒業』。この話を聞いた時、「あぁ」と全ての謎が解けたかの如く、芝居の全てが頭の中で瞬時に蘇り、感動を新たにした。
 最後になってしまったが、渡辺の妻(新婦の母)を演じた佐藤てるみが非常に良かったと付け加えておきたい。


“弘前劇場”自分が観た公演ベスト
1.秋のソナタ
2.家には高い木があった
3.アメリカの夜

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