こまばアゴラ劇場 3/7〜3/8
3/7(土)マチネ観劇。座席 自由(招待)
路上で泥酔した女性を5人の男女が偶然を装い保護し、家まで連れ帰る。女性の名前は亜加里と言い、3年前までインターネット上でリボンちゃんの名で詩を書き、絶大なる人気を呼んでいた女性であった。しかし、盗作騒動で中傷を受け、自宅に隠りっきりになり、その間の記憶すら消し去っていた。そんな亜加里に何かしら関わりを持っている5人の男女により、亜加里は序々に記憶を取り戻す。そして真実が浮かび上がってくる。嫌な記憶は思い出さないように記憶から消し去ってしまうというフロイトの法則に基づいた記憶探しの物語でもあり、人と人との関係をパソコンという媒体を持って、冷めた視線で見せてもいる。しかし、着目はおもしろいのだが、「だからどうした」と難癖を付けたくなるような中途半端な作品でもあった。消し去った記憶がたった一晩で戻ってしまうなんて(まぁ進行上しゃぁないけど)興ざめしてしまうし、亜加里に関わる人間の描き方なんて最低と言い捨てたい程ヘタっぴ。役者のヘタさも手伝っていたけど、この辺りをうまく描けたら、亜加里の閉ざされた心が序々に開放されていく過程が浮きでてきて面白かったと思う。記憶喪失の一番の原因は彼氏を階段から突き落としてしまった事なんだけど(ネタバレ御免)、今を維持したいが為に「パソコンのスイッチを切るように」人とのつながりを切ってしまうのは現代的で面白かった。
作・演出 後藤ひろひと
出演者は久保田浩・山本忠・楠見薫の三人。短編三作のオムニバスで、三人の内の二人が一話ごとに相手を変えて演じる二人芝居の形をとっている。その内訳は山本忠・久保田浩で「気違い屋の話」楠見薫・山本忠で「看板女優の話」久保田浩・楠見薫で「童話作家の話」となっているがどれもこれも面白かった。いつものキャラクターを廃し(前作「人間風車」もそうだったが)物語で勝負をしかけている。って程じゃないかもしれないけど、おちゃらけに走らず直球勝負って感じ。でも、それが成功し、いい作品に仕上がっていた。あれだけ笑わせといて物語はしっかりしている。さすがは後藤ひろひと。あっ、おちゃらけに走らずと言っても客いじりはしっかりありましたよ。でもちゃんとストーリーに沿っていたので、そのいじりが気にならなかった。まっ、なくてもいい場面でもあったけど。ここでゲストで登場したのが、筋肉もりもりの衣装を身に着けたサモ・アリナンズの小松和重。受けないギャグが何故かとてもおかしい。やっとサモアリの良さがわかてきた今日この頃。あっ、話がそれた。
エピローグで気違い屋(山本忠)童話作家(久保田浩)女優(楠見薫)が源八橋西詰に立つ。そこで気違い屋が語る言葉がこの作品の世界であり、私の心にも突き刺さった。「・・・二人とも僕とおんなじ顔をしてた。・・・これから現れるのは絶対に恋人なんかじゃない。・・・僕にはわかる。・・・あの時・・・あの交差点に立って奴らはみんな・・・悪魔に魂を売る約束をしてたんだよ。」やってはいけないと思いながらもやってしまうのは、悪魔に魂を売ってしまったんだと気づく。昨今のニュースを見ると悪魔に魂を売ってしまった人間があまりにも多い。嘆かずにはいられない。
“遊気舎”自分が観た公演ベスト
1.びろ〜ん(Belong) 2.源八橋西詰 3.じゃばら 4.ダブリンの鐘突きカビ人間 5.人間風車 6.イカつり海賊船 7.PARTNER
60年代終わりから70年代にかけてイギリスで爆発的な人気を呼んだテレビ・ショウ「ザ・ガンビーズ・ショウ」という架空の出来事をでっちあげ、あったことにして、そのショウの中から3本をチョイスして見せる。約50分の中編を3本製作し、うち2本ずつを組み合わせて公開。その中のAプログラム。『GO!GO!ガンビーズ』
作・演出 宮藤官九郎/児島雄一/ケラリーノ・サンドロヴィッチ
超能力集団「ザ・サイコガンビーズ」vs極悪美女集団「ロバート・ゼメキス・カトマンズ」の戦いを描いた作品。おかしかったけど、いい話っぽくまとめてしっまたのは、ちょっと好ましくなかった。役者ではトミーを演じた小林隆志が良かったかなっ。池津祥子はキレ方がイマイチ。まっ、他の役者から見ればキレてる方だけど、見た目とは違う変な言葉使いのアンバランスさとかおかしいのに生かされていなかった。ここら辺の脚本は宮藤官九郎かな。全体的にもなんか中途半端と言うか内容がスカスカで3本の内では一番つまらなかったと言うのが正直なところ。『ガンビーズ絶対絶命』
作 ブルースカイ/故林広志/ケラリーノ・サンドロヴィッチ
演出 ケラリーノ・サンドロヴィッチ
故林広志のガバメント・オブ・ドッグスを観た事がないので、どこまでガバメント色が強いのかわからなかったが、猫ニャー大好きな私には、満足できるくらいに猫ニャー色の強いものになっていたと思う。どっかの紙面での対談でブルースカイが「みんなセリフまわしがいい」みたいな事を言っていたが、あの独特の間はいつもの猫ニャーじゃないと、どうもしっくりこない。でも、大人計画やそとばこまちやナイロンやジョビジョバの役者がブルースカイの世界にいるだけでなんかシュールでおかしかったりもした。オープニングは本編となんの関係もない「谷村新司と宇宙」のスライドショウ。こんな事をしようとする心構えがいい。続くコマーシャルは「使い道のわからないもの」の通販CM。これまたわけがわからないおかしさ。思わず欲しくなっちゃいましたよ。ウソだけど。ほんと「くっだらねぇー」と大声を張り上げて絶賛したい最高のオープニング。
本編は「ザ・スペースガンビーズ」が地球を救う旅にでる話だが、そのロケットには先住民族のヌー族がいたりと訳がわからない。ケラはよくこんな脚本を演出したもんだと感心してしまう。そして最後は、これが猫ニャーだよーんと言わんがばかりの終わり方。笑いました。なんかありそうな伏線を張っておいてほったらかしです。
Bプログラム。おおまかな内容はAプロの感想を参照してちょ。『ガンビーズ絶対絶命』
内容は前日観たのと同じ。ただ1本目にこれだとラストがさらに強烈で「おいおい、ほったらかしかい」てな冷たい空気が輪をかけて強調され、とてもいい。『ガンビーズ大爆発』
作・演出 ケラリーノ・サンドロヴィッチ
ザ・ワイルドガンビーズの青春学園もの。他2作がストーリー的にはどうしようもないものだったのに対し、きっちりいい作品に仕上げたのは、さすがはケラと言いたい。個人的な嗜好では「絶対絶命」が好きだけど比べてしまったら「大爆発」が一番おもしろかった。宮藤官九郎やブルースカイの要素もところどころで感じた。敵対するザ・シャークスのキャラクターもいい。キャスティングを誰がしたのかわからないが、役者が一番生きていたのがこの作品だった。宮藤・山西なんてはまり過ぎだったと思う。3本全部観て、今公演では犬山犬子が良かったと思う。いろんな役をうまくこなしていたのがすごく印象的。ブルースカイはやっぱりへなちょこ。まっ、演技は期待してないからいいんだけど。
“ナイロン100℃”自分が観た公演ベスト
1.カラフルメリイでオハヨ'97 2.ザ・ガンビーズ・ショウ Bプロ 3.フランケンシュタイン 4.下北沢ビートニクス 5.ザ・ガンビーズ・ショウ Aプロ
作・演出 平田オリザ
舞台は2004年の東京の美術館のロビー。ヨーロッパでは戦争が勃発し、絵画が一時日本に避難している。そのおかげでフェルメールの絵画展がこの美術館で行われている。美術好きな長女の上京を機に、バラバラになった兄弟が集まってくるという一つの物語はあるが、ロビーを行き交う人々それぞれの人生の一部を垣間みせている芝居。ちょっとの言葉のやりとりでその人物像や関係を浮かびあがらせているのには驚いてしまった。静かな演劇の旗手としてその名は知っていたが、「月の岬」(脚本は松田正隆)しか観ていず、本公演は初めてだったが、凄いと思った。静かに揺れ動く心の動きがあんなに観ているものの心に響くとは思いもよらなかった。ラストで次男の妻好恵が義姉の由美に向かって絵を描いて欲しといい「しっかり私を見て描いて」と言うセリフには夫から見放された妻の心が痛いように伝わり、見ている自分の心も痛くてしかたがなかった。その心を読みとったように「泣いたら負けよ」と好恵と由美がにらめっこをするシーンが、とても悲しかった。多くは語れないが久しぶりにいい作品に出会った。
振付・演出 井手茂太
包丁の持つ日常性と狂気。狂気の後の葬式の滑稽さ。そんな感じを受けた。できるだけ意味を見つけようとせずに全体を感じるように観た。静と動、予想出来ない動き、音楽の良さ、全体のバランス、初めて観たイデビアン・クルーは衝撃であった。足を上げたら降ろすと言うのが自分の頭では常識的な動作であるが、イデビアン・クルーのダンスは足を上げたまま一歩踏み出す。そんな予想に反した動きがとてもいい。葬式と自分が感じたシーンでは、意識が吸い取られていくような感じがした。うまく表現できないが目では舞台を観ているのにまるで夢でも見ているような、なんて言うか無意識感が体を包むと言うのか、すごく不思議な時間であった。
作 泉鏡花
構成・演出 宮城聰
時代は戦国。姫路城天守閣に棲みつく魔界の者たちをつかさどる富姫(美加理&阿部一徳)と鷹匠の姫川図書之助(宮坂庸子&大高浩一)の恋物語。スピーカー、ムーバー、パーカッションの三位一体が織りなす恋物語は、泉鏡花の幽玄な世界とク・ナウカの二人一役がみごとにかみ合い、独特の世界を構成していた。オープニングから鳥肌立ちまくり。中でもムーバーの美加理とスピーカーの阿部一徳の存在感は特筆したい。もう芸術の域に達してます。凄い、凄い、凄いと大絶賛です。鯉のぼりを使った(んだと思う)衣装も一見の価値あり。ただ前作と比較してしまうと「恋」を描いている分感情の起伏が伝わって来なかったのが正直なところ。恋愛ものが苦手なのが響いたみたいなので私だけがそう思うのかもしれないが…。「エレクトラ」で復讐心の塊となっているのに無表情で仁王立ちする美加理がどうしても脳裏から離れないのも原因かもしれない。それほどに衝撃だったんだよ〜。次回作「桜姫東文章」は復讐が入っているみたいなので必見間違いなし。
“ク・ナウカ”自分が観た公演ベスト
1.エレクトラ 2.天守物語
作・演出 村上大樹
ヒップとは何ぞやと言うのがまず思った事。ごあいさつによると世の中のカッコいいものは「スクエア」と「ヒップ」に分類できるらしい。で、安っぽくて、ジャンクなカッコよさが「ヒップ」なんだそうな。それを読んでもようわからん。それはともかく、初めて観る拙者ムニエルなのである。率直な感想はごった煮。よくも悪くもごった煮なのである。で、そのごった煮が嫌かというと私は大好きだったりする。本筋のストーリーは一応あって、ヨシツネと言う男が彼女からもらった木彫りの熊のキーホルダーを傍若無人な将軍に奪われてしまう。打倒将軍に燃えるヨシツネは大統領になる決心をする。そんなヨシツネの軌跡を描いているのだが、それとは関係なく運命の女を捜し求める天狗の話や河童の妹尾の話、ニックのテレビショウやら一休さん、奇妙な京都弁でおくる密室劇など『くっだらねー』を越して『どーしようもねー』と嘆きたくなる話がぐしゃぐしゃに盛り込まれている。今回は「第一期拙者ムニエルの集大成」との事なので余計にごった煮感が強いのかもしれない。まっ、つまらない所もあったけど(ちょっと睡魔と格闘)気に入った劇団が又増えてしまったみたいだ。
作 つかこうへい
演出 岡村俊一
「沖田総司は女だった」という発想を元に幕末を描いたつかこうへいの『幕末純情伝』を岡村俊一の演出でリニューアルした作品。主演の沖田総司に藤谷美和子、その沖田に恋する坂本龍馬に筧利夫というなかなか興味をそそられる配役。そして『つかこうへいオールスター顔見世興行』とうたわれているように春田純一、山崎銀之丞、山本亨と出演者も豪華絢爛。しかし、役者の演技は楽しめたが、つかこうへい作品がすっかり“娯楽作品”になり下がり(個人的嗜好により、あえてこう表現)、すっきりと綺麗に納まってしまっていたのは残念でならない。私のつか作品の初体験が90年に初演された『幕末純情伝−黄金マイクの謎』であり、初演時のなんとも言えない猥褻さというかバタ臭さが衝撃だっただけに余計に感じてしまう。選曲も初演時の演歌じみたものに対してポップな曲が時代の流れを感じる。初演時のマイク片手に『愛がとまらない』を歌いながら人を斬っていく沖田総司が今もって忘れられないほど良かったので、どうしても今回のインパクトのなさが目立ってしまった。まっ、過去の作品と比較ばかりしていてもしょうがないので、ここまで。
役者に目を向けると、主演の藤谷美和子には正直いってもうちょっとがんばって欲しかったと思う。やっぱりつかこうへい本人の演出で見たかったなぁと感じる程に良さが引き出されてはいなかった。ファンだから間近で見れただけで満足はしてるんだけど、物語の要だけに残念でならない。紅をひきつつ涙を拭う総司の姿は、女を捨てねばならない心情が浮き彫りにされていて良かったが、男として育てられた総司の描き方がイマイチだったので対比の面白さが出てはいなかった。藤谷の演じ分けも欲しかったと思う。筧利夫が演じる明るくスケベなキャラクターは天下逸品。久々に自分の持ち味を出していた。こんな坂本龍馬像は許せないと憤慨している人もいるとは思うが、私は絶賛したい。死に際「国とは女のことぜよ」の台詞は坂本の生きざまと連動して妙に気持ちよく、清々しささえ覚えた。筧の台詞だとその言葉も生き生き聞こえてくるからたいしたもんです。
作・演出 天野天街
言葉が音となり響き渡り幕が上がる。そしてなんとも言えない独特の世界が展開する。少年王者館を観るのは初めてだが、その独特な世界は懐かしいと言うより今生きている世界とは別の次元の世界を見ているような気分にさせる。しかし恥ずかしいかな、初めのうちは言葉の連射についていけず馴染むのに少々時間を要した。そんなんだからせっかくの言葉遊び(こう表現していいか疑問は残るが)も表面的なもの例えば、糸という文字をひっくり返し「トイ」としたり冬という文字を付け「終」とする、そんなところは感心しながら楽しんだが、深い意味合いを楽しむまではいかなかった。野田秀樹の言葉遊びとは異なるかもしれないが、久々に“言葉”のおもしろさを味わった。「びつくりした」が→「くびつりした」に変わったり、「ダン小人(コビト)」を逆から読んで→「トビコンダ」にしたあたりから死の臭いが漂い始める。主人公の正太郎(あの鉄人28号を操縦している正太郎)が何人も登場し頭の中が混乱し始めるが、死と生の間にいる感じがしてなんとも言えない陶酔感に浸る。ただし、肝心の“原爆”については観ている時は正直言ってピンとこなく、後から感じる始末であった。情けない。「井戸の中の蛙になってしまいますよ。」「ケロ」「イド」とかストレートに表現してたのに原爆・被爆の話につながりをもっていけなかった。ラストの赤い太陽が原爆を表現している事すら後からわかる始末。重ねて情けない。
そんな事を理解できないで観ていたが、それでもおもしろかったんだからこの作品の凄さはただものじゃない。ラストで「シ」「ニ」「タ」「ク」「ナ」「イ」「イ」「キ」「タ」「イ」と言葉が描かれたパネルが、乾いた空気の中でパタパタとひっくり返されるのを見ていると、一文字、一文字が自分の心に突き刺さり痛い程だった。役者が「死にたくない生きたい」と叫び声を上げるよりも深い感情表現を味わった。
この公演ほど二度観れなかった事を後悔したものはなかった。もう一度観れたら又違う感じを味わえ、楽しめただろうと思うと残念でならない。余談だが脚本には「コノママイタイ」という台詞などは「このまま遺体」と書かれているそうだ。凄すぎる。
作・演出 長谷川孝治
舞台は本番間近の小劇場。その劇場で稽古をする劇団員達の日常を描いている。公演の演目は太宰治の「人間失格」。標準語の劇中劇が入る事により津軽弁の日常が浮かび上がる。しかし、劇団員の日常というのが自分にとっては非日常なので、太宰の世界も劇団員の世界も共にリアリティがなく、弘前劇場の持ち味なのだろう(弘前劇場を観るのは今回が2度目なのだが・・・)日常を切り取ったというか、舞台空間を感じさせない日常感は感じられなかった。それに劇中劇と現実との間の関連性がなにも感じられず、何故太宰治なのかも理解できずであった。きっと何かあるのだろうが・・・。そのあたりは自分の責任もあるので深追いはやめておくが、劇中劇が人間の業を露骨に描いていて面白かったので、現実の世界にも引きずるものがあって、表面的には見えないが何か関わりがあったりすると面白かったのではないだろうか。芝居と現実の差を描いていたので作品の方向性と自分の思うところはまるで噛み合わないとは思う。しかし感情があっさりし過ぎていて上辺だけの世界しか見えなかったので、もうひとひねり欲しかったと思ったのが正直なところ。
“弘前劇場”自分が観た公演ベスト
1.家には高い木があった 2.アメリカの夜