98年5月はこの10公演

 


劇団ショーマ「ある日、ぼくらは夢の中で出会う」

シアターサンモール 4/24〜5/3
5/1(金)観劇。座席 J-5

作・演出 高橋いさを
ドラマや映画の世界にあこがれて刑事になった男と、これ又映画の世界そのものを信じる犯罪者の男が「フィクションとは違う現実」の世界にとめどもなく翻弄されていく姿を一人二役で描く。

主人公だけでなく他のキャストも刑事と犯人を一人二役で演じているのがおもしろい。その演じ分け、人物が交差していく見せ方ともに観ている者を飽きさせない。それどころか、観ている者を混乱させていく演出には、ちょっとワクワクさせられた。川原和久が暗闇の中、声の変化だけで二役を演じる力量はさすがと感心。
でも、これだけ見応えがあった芝居なのだが、物語の結末はなんかしっくりこないまま終わってしまった。主人公は現実の世界に自己崩壊するのだが、その葛藤が見えてこない。誘拐事件の結末もない。気持ちが非常に中途半端なまま終わってしまった。こんなラストの為か物語の重みが感じず、うわっつらの芝居だったと感じてしまったのは、なんかもったいない気がしてならない。


“劇団ショーマ”自分が観た公演ベスト
1.八月のシャハラザード
2.ある日、ぼくらは夢の中で出会う
3.VS.

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NYLON100℃ SIDE SESSION #5
「吉田神経クリニックの場合」

中野ザ・ポケット 5/7〜5/15
5/9(土)観劇。座席 D-2

原作 別役実「受付」
   モンティ・パイソン「モンティ・パイソンズ・フライング・サーカス」
脚本・演出 ケラリーノ・サンドロヴィッチ
脚本協力 故林広志
1980年に発表された別役実作の二人芝居「受付」に、モンティ・パイソンのショート・スケッチをコラージュした実験的な作品。
会社ではダメ人間の烙印を押されているエノモト39歳(みのすけ)は日々の暮らしに神経をすり減らしていた。そんなある日、治療を決意したエノモトは、歯が痛むと嘘をつき『吉田神経クリニック』に足を運んだ。しかし受付に座る女(犬山犬子)は、早く治療を済ませたいというエノモトの心とは裏腹に、クリニックの受付をせず、他の階で営業しているカンボジア飢餓救済援助・角膜提供などの勧誘を始めてしまう・・・。

物語のダークさをモンティ・パイソンの毒のある笑いで包んだ傑作と絶賛したいところだけど、今回は役者の功績を強く感じた。蛇に睨まれた蛙のごとく、受付嬢に翻弄される気の弱い主人公を、みのすけが難なく演じている。犬山犬子が演じる受付嬢も神経にさわってとてもいい。又このビルに住み着く変な住人を大倉孝二、村岡希美、小林高鹿が演じているのだが、これまたいい。昭和32年という時代背景もなんか幻想的というか奇妙な世界に迷い込んだみたいで、おもしろい。自分はその時代には生まれてないので、勝手な事言うけど、非現実的な現実みたいな感じ。そんな感じの時代設定に、モンティ・パイソンの笑いはミスマッチか?なんていう懸念がすっ飛ぶ程に大笑い。笑いのツボにはまってしまった。


“NYLON100℃”自分が観た公演ベスト
1.カラフルメリイでオハヨ'97
2.吉田神経クリニックの場合
3.ザ・ガンビーズ・ショウ Bプロ
4.フランケンシュタイン
5.下北沢ビートニクス
6.ザ・ガンビーズ・ショウ Aプロ
 

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ク・ナウカ「桜姫東文章」

目白・旧細川侯爵邸 庭園 5/8〜5/15
5/13(水)観劇。座席 自由

原作 四世鶴屋南北
演出 宮城聰
清水寺で生き仏とも崇められる高僧清玄(mover高田恵篤&speaker阿部一徳)には、17年前白菊丸と衆道(男色)の関係に陥り、心中を図るが自分一人が生き残ったという人に言えない過去があった。折しも名門吉田家の息女で今年17になる桜姫(mover美加理&speaker原郁子)が、生まれつき左手の指が握ったまま開かない身をはかなんで、清玄のところへ出家したいと申し出る。清玄が念仏を授けると左手が開き、中から小さい香箱の蓋がころげ出た。これこそ清玄が17年前の心中の折に形見として白菊丸と取り交わしたものだった。清玄は桜姫が白菊丸の生まれ変わりと悟り、宿命の愛を覚え、桜姫に夫婦の契りを迫る。が、桜姫は二の腕に釣り鐘の彫り物をした盗賊権助(高田&阿部二役)を思い続けていた。しかし、権助こそが吉田家から家宝を盗んだ敵であった…。

今回の作品は、開演前にSTORYの序幕を読んでおかないと物語がわからないという難物だったが、友人の助言により読んでからの観劇だった為、すんなり芝居に入り込めた。宮城聰によると桜姫を“地球に遣わされた破壊と創造の神”に見立てたク・ナウカ版の『桜姫東文章』との事だが、そう見てとると又違ったイメージがわき面白い。紅蓮の炎で地上を焼き尽くす桜姫、この破壊、この殺戮こそが救済…という事は不条理に身を滅ぼす清玄も桜姫の手により殺される権助や赤ん坊も、死して救われたという事なのか…。まっ、そんな深い解釈は抜きにしても楽しめたので、これ以上考えるのはよそう。
今回も二人一役の手法が生きていて、どんどん引き込まれていく。中でも無表情で怒りを表現し、殺戮を犯す美加理は本当にすばらしく、ぞくぞくしてしまう。刃物をかざし客席を見据えたまま歩み寄ってくるラストシーンは脳裏に焼き付いて離れない。ただ、せっかくの野外劇なのにその良さが芝居に生かされていなかった。江戸歌舞伎が庭園に合わなかったのもあるが、ひと工夫欲しかった。風に運ばれる香の匂いはとても気持ち良かったんだけど…。
フランス語のspeakerは新しい試みとしてはいいと思うが、フランス語を理解できない自分には辛い仕打ちであった。まっ、わからないなりに理解はできたけど。


“ク・ナウカ”自分が観た公演ベスト
1.エレクトラ
2.桜姫東文章
3.天守物語(彩の国さいたま芸術劇場)

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KOMACHI「ツクヨミ」

萬スタジオ 5/15〜5/17
5/15(金)観劇。座席 自由(審査員)

ある空間に紛れ込んでしまった二人の女性。そこでは満月の夜に人身御供を捧げ、その人間を喰わないと生きて行けないという習わしがあった。そんな世界の物語。

結末を言ってしまうと、紛れ込んだのは死後の世界で、“いけにえ”になり喰われる事が生まれ変わる事だという輪廻転生を描いた作品。それはいいんだけど、いけにえがどうとか話が展開する前に、今まで生活してきた空間ではない世界に紛れ込んでしまった事で葛藤するのが、本当ではないだろうか。その根本的なズレが最後まで尾を引き、作品に入り込めなかった。ナンセンス作品ならありかなとは思うけど・・・あと客席に向かって二人が横に並んで会話をする不自然さはどうにかならないものか・・・電車の吊革につかまって会話しているんじゃないんだから。
萬スタジオBACK UPシリーズ参加作品だが、まだまだそのレベルではないし、きらめくものもなし。

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大人計画ウーマン・リブVol.3
「ニッキー・イズ・セックスハンター」

THEATER/TOPS 5/20〜5/31
5/21(木)観劇。座席 K-1

作・演出 宮藤官九郎
舞台はある寺の隠し部屋。住職である父を亡くし、跡を継いだオギノムツオ(松尾スズキ)は議員選挙を控え、キャバクラ遊びを自重させられ、悶々とした日々を送っていた。そんなムツオに、妹のカツエ(伊沢磨紀)は、生きた玩具として若い女キクカワニセコ・通称ニッキー(猫背椿)をあてあがった。コンビニで誘拐され監禁状態のニッキーだったが、いつしか逃げる事より、ムツオの異常性に感心が高まってしまう。そしていつしかニッキーの行動が、寺に巣喰う人々を崩壊の道へと導いていく…

番外公演ウーマン・リブの第三弾。みんなどこか狂っている大人達の密室劇。なのだが、予想ほどダークさはなく、かるーい悲劇だった。題名から受けるスケベさも薄かったし。まっ、ストーリーは暗く陰湿なんだけど、登場人物がどこか抜けてて愛嬌があるというか、あきれかえって逆に愛くるしいというか、そんな気持ちに包まれてしまった。でも、登場人物のうち一人として感情移入できる人物はいないし、実際自分の身近にいたら激怒しそうな人物ばかり。しかし、実際にはいなさそうな人物なので、対岸の火事的というか、傍観者的な感じで観てしまったので“軽い悲劇度”と感じてしまったのかもしれない。いや、そう感じるのは、大人計画に慣れ親しんでしまったせいかもしれない。良いことなんだか悪いことなんだか…。劇中のせりふで「インポで童貞、工業高校レベルの生ぬるい地獄」というのがあるが、意味はよくわからないけど、その雰囲気がこの芝居を表現していると思う。
今回の脚本は前作の『ずぶぬれの女』と比べてしまうと薄く感じるが、それを役者がカバーしていたと思う。特に松尾スズキのキレ方は、宮藤官九郎演出なればこそだと思うが、気持ち悪さはピカイチ。猫背椿も生胸を出す熱演(?)を見せていたが、残念ながら、ラッキーてな感情は沸きませんでした。


“大人計画ウーマン・リブ”自分が観た公演ベスト
1.ずぶぬれの女(ウーマン・リブ)
2.ニッキー・イズ・セックスハンター
3.熊沢パンキース
※『熊沢パンキース』はウーマン・リブじゃないけど、宮藤官九郎作・演出と言う事で挙げてあります。
 

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ロリータ男爵「地底人救済」

フジタヴァンテ 5/22〜5/24
5/23(土)マチネ観劇。座席 自由

時代は23XX年(聞きもらしたけど、たいした意味あいはない)地球は人工過密によりパンク状態に陥っていた。どのくらいパンクかと言うと、人が直立して立った場合、地球全土を覆ってしまうくらいだそうだ。それを打破する為に全生命体を他の惑星に連れて行き、第二の地球をつくる「ノア計画」が実行された。しかし、ロケットが発射する間際、搭乗員の一人が積み込まれた生命体を見て「地底人がいない」と叫んだ。ロケット発射まで1時間。地底人を探しだし、積み込む事ができるのか・・・。というような内容をミュージカル仕立てでくっだらなく展開する。

初めて観るロリータ男爵だったが、劇団のカラーが掴めなかったというのが正直なところ。SFミュージカルなのだが、踊るわけでもなく棒立ちで歌うだけ。おまけに歌はヘタ。自分達はかっこいいと思って真面目にミュージカルをやっているのか、それを笑いとしてやっているのか、最後までわからぬまま終ってしまった。そのSFってのもお粗末な内容なので、おばかな芝居を意図してやっているのか、未熟なだけなのかそれもわからず。
しかし、つまらなかったかと言うとそうでもなく、楽しんで観れた。テレパシーの伝わり方が変な方向へ行ってしまうところや、意味なくスーパー小学生が脱皮するシーンでは大笑いしてしまった。ただ見せ方がダラダラしてしまい、尻つぼみになってしまっているとは感じた。その不安定さもこの劇団ならではなのだろうか。役者に関しても個性派すぎる個性派のタタララタタ(女優)の芝居の流れを止めてしまうヘタクソな演技は、何と表現したらいいのかわからない凄さを感じる。そーいえば、本山みどりもヘタクソ故に印象が強かったりする。

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げんこつ団「トランポリン」

タイニイ・アリス 5/21〜5/24
5/23(土)ソワレ観劇。座席 自由(招待)

作・演出・音響・映像 吉田衣里
全体を通して一貫した物語が、あるのかないのかわからないけど、テンポが悪かった分、前作(「げんこつ対げんこつ」)みたいに物語が妙に張り巡らされている面白さが味わえなかった。盗聴マニアの家族、惨殺ショッピング、犯人の出前など個々の話はおもしろく場面転換の映像もいい。母を背負ったサラリーマンの話から、母を売る「マザーズコーポレーション」のコマーシャルにつながったかと思うと、逆に前の話を壊すように話が貼られる。そんなコラージュの仕方はいいのだが、何か物足りない。テンポの悪さもあるが、物語を破壊させてしまう程の役者がいないのも、物足りなさの一因だと思う。植木早苗が一人で暴れてはいるが、何か落ち着いてしまって危険な匂いがしてこない。自分の等身大のパネルを数人背負って登場する侍の場面はその無意味さに大笑いしてしまったし、おやじを演じる時の動きは相変わらずいい。しかし、爆発的な笑いが少ない。ダークな笑いでくっだらねぇのは最高なんだけど、そんな危険さも必要なのではないだろうか。
客入りがそれほど良くないのも残念でならない。まっ、正直言って、暗い所でこっそり悪い事しているみたいな匂いがあるので、大きな劇場は似合わないとは思う。でも、もっと客を呼べるおもしろさなのにと思うと残念でならない。それからチラシのセンスが、もうちょといいといいんだけど・・・とも思う。


“げんこつ団”自分が観た公演ベスト
1.げんこつ対げんこつ
2.トランポリン

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猫100℃ー「山脈」

中野 ザ・ポケット 5/26〜5/29
5/26(火)と 5/29(金)観劇。座席 自由

猫ニャーとナイロン100℃の合同公演。「猫 100 ℃ー」の『ー』は「猫ニャー」の『ー』だそうで「ねこひゃくどしぃぃぃぃ」が正式名。まっ、今回きりの公演だと思うのでどうでもいいです。と書きつつも第二回公演があったらいいなとは密かに思ってたりしますが…。

作・演出 ブルースカイ
企画・傍観 ケラリーノ・サンドロヴィッチ
ストーリーはオイスター山脈で遭難した女学生4人(一人は自力で下山し、別な方面から話に関わってくる)の救助に絡む、山婆、レスキュー隊、高い金でしか救助を請け負わないレスキューのプロ“レスキューガイ”(ブラックジャックのパロディ)らの物語。それ以外でもレスキューガイの相棒マリリンやホンダーナンと素晴らしいキャラ達も登場する。
しかし、救助の話はその状況や登場人物の関係性を表現するだけで、重要なものは何ひとつない。と言っては身も蓋もないが、ストーリーを追っても、辻褄が合わない。出だしで女子学生が遭難しているのだが、3日間さまよっているのに自分達が遭難している事すら気がつかなかったり、遭難の事実を「昨日の朝刊に出ていた」とあっさり言ってのける。ボケっぱなしである。「どこでそんな新聞を手に入れたんだ!」と突っ込みを入れたくなる場面で、あえてそうしないで話を進めてしまう。それが、かえって面白い。
物語も破綻しているのだが、芝居の構造自体も破綻している。舞台の半分で芝居に関係なくドミノを並べたかと思うと、倒すことなくモップで、掃き片づけてしまう。そのドミノも意味なく日本地図になっていたりする。また、山婆と捕まった女学生との会話は同じ意味あいの言葉を何度もしつこいほどに繰り返す。その繰り返しが奇妙なおかしさを醸し出す。そのタイミングも絶妙である。
起承転結はなく、ラストは「レスキューガイと山婆は実は双子の姉弟だった」を、いとも驚くべき真実として発表する。終演のあいさつも同じ言葉を使って終わる。劇場の外に出れば、柱にも同じ「驚くべき真実」が貼ってあったりする。そのくだらなさには脱帽してしまうし、脱力した笑いが尾を引く。又、存在の根拠がわからないものも多く、靴下を履かずに足の上に乗せている人々や、人の肩に付けた風車、山婆と仲がいい山本などあげたら切りがない。「孤児 院に寄付を して いたよ ガイ さん」というどーでもいい歌は終演後も頭の中をグルグルまわる。

ブルースカイ独自のズラスいう感覚(猫ニャー的とでも言おうか)にも磨きがかかり、「ナンセンスコメディ」と簡単に表現してはもったいないほど、完成されたものを感じる。そのズラシというか解体は、物語だけでなく、演劇の根元的な部分にまで及ぶ。それを確信犯的に行っているとは思うのだが、そこには考え抜かれたというより、自然と沸き上がってくる面白さを感じてしかたがない。この凄さは日本一、いや、世界一と言いきってもいいのではないだろうか。8月の猫ニャーの本公演が非常に楽しみである。
最後になってしまったが、小村裕次郎や池谷のぶえなど猫ニャーの役者の成長ぶりは特筆したい。これは、ナイロンとの合同公演の賜物だと思うが、ブルースカイの脚本にはやっぱこの役者だなぁと感じた。でも、澤田由紀子や新谷真弓などナイロンの役者も良かったので、やっぱ第二回公演を期待するっきゃないか。

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ポかリン記憶舎「Parade」

フジタヴァンテ 5/29〜5/31
5/30(土)マチネ観劇。座席 自由

作・演出 明神慈
とある公園を行きかう人々の話。それはOLのランチタイムだったり、おいしいビールを呑む為にジョギングしている大学のサークルだったり、フリーマーケットを出している男だったりする。そんな人達がちょっと交差し、いろいろな話を展開していく。

しかし、話がだらだらと垂れ流されるとしか言いようがないほど、退屈な作品だった。スタッフの和服姿の女性におもしろい空気を感じ、オープニングの映像の横溝正史か江戸川乱歩かと言わんばかりの猟奇的映像にもわくわくする。映像のテンポもいいので嫌が応でも期待が膨らむ。しかし肝心の舞台はだらだらと何も起こらない。わくわくした映像も舞台とは全然関係ない。完璧に裏切られた形になってしまった。いい意味での裏切りなら「こんちくしょー」と笑顔でいられるが、今回は違う。退屈過ぎて眠くなってくる始末。しかし、ウトウトと眠ってしまっても話は一向に進んでいない。こんな苦痛は久しぶりである。ポかリン記憶舎が提案する「もっと軽くなれる場所」ってのは自分にとっては眠気と格闘する場所だったのかもしれない。ちょっといい空間を作ろうとして退屈過ぎる空間を作ってしまったという感じだ。
この舞台もおおざっぱに言ってしまうと“静かな演劇”という事になると思うが、この舞台を観て感じたのは、静かな演劇は、ちょっとのズレでとんでもない退屈を生んでしまうという事。切り取った日常風景だからこそ、そこの潜む心の動きを表現しなければこんな結果になってしまうのではないか、などと偉そうに痛感した。

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唐組「汚れつちまつた悲しみに・・・」

雑司ヶ谷鬼子母神 5/29〜5/31
5/30(土)ソワレ観劇。座席 自由

作・演出 唐十郎
動物工場で働く女工・染谷リサ(飯塚澄子)の物語。それに絡むのは、隠された謎を解く為に侵入したカンテン堂灰田(唐十郎)。

「隠された物語まで読み取れなかった。」というのが正直な感想。ストーリーはわかるが、何か隠されていて、しっくりこないのである。染谷リサは元香水工場勤務で、豚の尿から香水の原料を摂取していた。そして動物工場では「豚の乳」の摂取である。愛豚の行方を追う男も登場する。この“豚の匂い”がこの物語の隠された物語だと思うし、この謎を追うのが灰田である。しかし、核心を究明する間際で灰田は劇場の外に飛ばされてしまった。自分の読みの甘さか、見落としか、核心は灰田と共に闇の中に消え去ってしまった感じだ。
この豚の謎とは別に、この物語は染谷リサと同僚でナルコレプシー病(突如眠りについてしまう病気)の持ち主の明日香との悲しい恋物語であると感じた。うまく表現できないが、豚の乳を隠れて飲み続けていた二人には、親友以上の恋愛感情が存在していた。しかしそこには同性故の悲しさも混在してみえた。「汚れつちまつた悲しみに・・・」とはそんな染谷リサの心情を表しているように感じた。

唐組を観るのは「ジャガーの眼」に次いで二回目だが、あの独特な雰囲気は麻薬である。神社でのテント芝居というのも手伝って、抜け出せない迷宮を彷徨っている感覚が残る。以前秩父の夜祭で見た、見世物小屋を何故か思い出した。外から見学しているお客の妙に歪んだ顔が見れるのだが、祭の喧騒の中でそこだけが別世界に思えた。そんな別世界感が共通しているのか芝居を観ながらも脳裏に浮かんでしかたがなかった。

余談だが唐十郎の登場シーンは、毎度の事だが拍手喝采が起こる。そのカリスマ性が客を引き付ける。その一人が自分だったりするのだが…。


“唐組”自分が観た公演ベスト
1.ジャガーの眼
2.汚れつちまつた悲しみに・・・

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