紀伊国屋サザンシアター 11/24〜12/4
12/2(水)観劇。座席 1-15
作・演出 鈴木聡若い男(植本潤)ができた妻(谷川清美)と離婚した村田富男(平田満)は、とあるマンションに一人暮らしを始めた。そこで出逢った、向かいの部屋に住む深沢マリコ(渡辺絵里子)に恋するが、彼女は別の男・松坂幸夫(木村靖司)に惹かれてしまう・・・。
中年男の恋物語がメインのストーリーになっているが、それだけに終始せず、恋する対象である深沢マリコの波乱の人生を描いたのが気に入った。でもそこには、“渡辺絵里子が好きだ”という私情が大いに含まれてはいるけど。本当に渡辺あっての芝居であった。「かわいいけど、デブ」って台詞に、ついついうなずいてしまう。本当に渡辺絵里子の魅力たっぷりで、ファンには嬉しい作品であった。が、しかし、肝心の物語は、可もなく不可もなくって程度のものに落ち着いてしまっていて、正直物足らない。ラストでは、ほんの些細な出来事が人生を大きく変化させてしまう、という事を深沢マリコと松坂幸男にスポットを当てて見せるが、それは違うだろ、と言いたい。主人公である村田富男が深沢マリコに出逢わなければ、この物語は始まらなかったのだから、そこを見せなくては駄目ではないか。そんなところが未消化感を感じさせ、不満が残った。
“ラッパ屋”自分が観た公演ベスト
1.サクラパパオー 2.凄い金魚 3.マネー 4.中年ロミオ 5.エアポート'97 6.裸天国 7.鰻の出前 8.阿呆浪士
作・演出 西島明乙女たちの話・・・。って言ってもわかんないですよねぇ。でも、これと言った内容はなかったような・・・。けど、むちゃくちゃおかしい。舞台は家政婦紹介所。そこに勤務する乙女達の物語。そこに、家政婦の一人新田ちゃん(渡辺道子)をふった、医者になりそこなった男・篠田三郎(猿飛佐助)などが絡んで展開する。深みのなさってのも時には心地よい。噂によると、台本は本番3日前にできたそうな。
チラシの案内が内容を的確に表現していたので、無断転用しちゃいます。西島さんごめんなさい。『一昔前のドラマや漫画では、必ずショックで気絶する女がいた。恋も道の曲がり角でぶつかって始まったし、「イッー」とか言ってすねたものだ。しかし近頃は見かけない。彼女らは懐かしい人になってしまった。そこでベターポーズが彼女らをルネッサンス(復興再生)する。女達は純正乙女を追求するがゆえに、暇さえあれば八方美人の練習をし、ヤムチャと帰国子女にこだわり、フルーツの生ジュースは手でしぼり、なにかあるとすぐ塾へ行ってしまう・・・。』いきなり「くもくもがけにこんちたびなし」という呪いのような言葉で始まるが、逆からこの文を読んでもらえれば、くっだらなさが良くわかると思う。そのくだらなさが、非常に心を揺さぶる傑作であった。バナナの皮で転ぶなんて事もいい。そんな中でも、特に良かったのが、チラシにも触れられている『八方美人の踊り』。ダンスの世界で注目されている永谷亜紀の振付により、踊りのテンポが良く、おかしい、おかしい。そしてなにより、必死に踊る加藤直美がグー。まさにオトメチックって感じ。
そして、ラストに登場する西島明の『んっん少女』は、ちょっと卑怯過ぎるくらいに面白い。反則技と言いたい。終演後もメイクを落とさないまま、ロビーにでてきた西島氏はちょっと綺麗だったりした。このハマリ方がまたまた卑怯。余談になるが、99年のベタポの年賀状はこの『んっん少女』のイラスト入りで、又々笑ってしまった。
“ベターポーヅ”自分が観た公演ベスト
1.オトメチック ルネッサンス 2.カエルとムームー 3.GREAT ZEBRA IN THE DARK'98 4.ボインについて、私が知っている二、三の事柄
原作 鈴木翁二
作・演出 天野天街90年に奈良・一条高校の文化鑑賞会と京都・同志社大学文化祭でのみ上演された舞台の改訂再演。
今から50年後くらいの崩壊された未来。学生帽を被った子供と富山の薬売りのオッサン・富山平太郎(とろろ)が暗がりで佇み、漫画の話しをしている。この時代には“漫画”というものは存在しないようだ。そして、マッチを擦る。マッチの光と共に平太郎の心は少年の姿となり過去、そして漫画の世界へと記憶をたどる旅に出る。そんな物語が不思議な空間の中で綴られていく・・・マッチを擦った時の匂いが漂う中、光とともに浮かび上がる世界に引き込まれ、時間や空間のねじれに体を委ねながら、物語の中を浮遊しているような、そんな感じを味わった。
私は、物語のキーポイントとなる漫画『少年』を読んだ世代ではないので“懐かしい”とストレートには感じなかった。しかし、その匂いを非常に感じた。懐かしい匂いのする世界・・・。漫画を何人かで囲んで見ている、そんな光景も懐かしい。そのシーンの中で、本のページをめくらず何度も読み返す為に、同じシーンが延々つづく所がある。その過剰な繰り返しの連続に、おかしいのと感覚が麻痺していくのとが重なり、失神寸前であった。しかもそれが、「おならブーブーの介」「同じくおしっこシャーシャーの介」という武士が自分の名を名乗る、くっだらない所だというのもいい。ビックリマークや押し花やルビ、誤植、裏の記事を切り取ってしまった為にないコマといった話もいい。
又、ベタな言葉遊びも忘れてない。「からかってんの?」「そんなもの買ったことない」とか、ついつい笑みが浮かんでしまう。
ラストは、天井から日付カレンダーがドバーーーーーーって客席まで降ってくるシーンで終わるのだが、時の流れが一気に降り注ぐ中に、自分自身も入り込んでしまった感じで、不思議な感覚を味わった。しかし、その重さに押しつぶされるわけではなく、その美しさに、気持ちいい感動を覚えた。
余談になるが、今公演は、天野天街の“踊る役者紹介”のおまけ付き。これをやったのは久々らしい。
“少年王者館”自分が観た公演ベスト
1.OSHIMAI〜くだんの件 2.それいゆ 3.マッチ一本ノ話
作・演出 はせひろいち97年初演作の再演。一家の主である志郎を亡くし通夜を迎えた恋沼家。その台所に集う人々の関係性を通して、日常とは異なる空気を描いた、ちょっとホラーっぽい会話劇。
初めて観るジャブジャブサーキット。携帯電話等に対する注意の前説から、いきなり芝居に入る。通夜の席での携帯電話に対する注意という感じでの前説は、聞き流しそうだが、ちょっと小粋。
芝居が始まってすぐは、青年団的静かな演劇かぁ〜と肩を落としたが、それとは違った空気がすぐに流れた。多くを語らないでちょっとした身振りで状況を表現するという手法は変わらないが、そこに非日常的な空気を入れ、単なる日常とは一線を引いた。葬儀屋という立場に立って見れば“通夜”というものは日常なのかもしれないが、一個人として(特に親族として)通夜に列席する機会と言うのは、現実的ではあるが非日常的だと思う。そんな状況を作った上に、さらに非現実的な“もののけ”を紛れ込ませる。これが、逆に現実感を醸し出し、面白さを引き出していた。いや、現実感というのは少々語弊がある。そんな事も本当に起こるかもしれない、起こっても不思議はない、という感じか。
案内文によると、『故人がまだ、そこにいるような残像感。もしかしたら通夜とは、初めてづくしの緊張感の中、「あちら側」と「こちら側」、「行く者」と「残る者」、「日常」と「非常」が只の一度だけ交錯を許された夜なのではないか』そんな想いから、この芝居ができたそうである。どこかに『通夜は合法的に死体と同居できる空間』とも書かれていた記憶がある。最近、義父が他界し、現実にその機会があったのだが、通夜というのは本当に不思議な空間である。不思議と言っても心霊現象が起こった訳ではない。何も起こらないのである。当り前だが。その人はそこにいるのに、いないという感覚がとても不思議でならなかった。そんなリアリティをこの芝居にも感じた。
また、通夜を表舞台とはせずに、通夜の舞台裏である“台所”を舞台としたのがうまい。故人の隠している事が露呈してしまう長い一夜なのだが、隠し子が現われるごたごたなども、通夜の席で描く事によって(実際の舞台では見えない)、芝居を壊さずにおもしろい流れを産み出していた。隠し子が現われましたーってのを舞台上でやってしまうとそれがメインストーリーに成りかねないし、そんな事をしてしまったら、この物語は単なるコメディか、どろどろした悲劇になり、つまらない物になっていたかもしれない。そして、この芝居のスパイスになっているのが“もののけ”の登場。座敷わらしと河童というのはわかったが、もう一人がわからない。で、聞いたところ、台本には河童にしろ座敷わらしにしろ書かれていないそうだ。答えてくれた人の個人的な見解としては、もう一人は土地神様ではないかと言う事だが、私としてもそんなところかなとは思う。そんな土地神様が故人と間違われて皆に手を振られるシーンは、おかしくも悲しいシーンであった。そんな様子を「家族の中の静かな風景でありたい」と願った故人は、雲の上から見ている・・・。そんな風景が頭をよぎった。
これだけいい作品なのだが、ただ一つ、不満な点がある。それは葬儀屋が茶髪だった事。やっぱり人の葬儀に携わる人間なら茶髪にはしないのではないかと思う。ましてや地方の葬儀となるとなおさらではないか。私の偏見だろうか?ちょっとした些細な事だが、この一点が非常に悔やまれる。
構成・演出・振付 大島早紀子92年、93年に上演された作品を、98年版の新作として上演。パンフに『扉を開ける…目をこらすと見える、夢の輪郭…』と書かれてあるように、ある秘密クラブを訪れた人がさまざまな部屋に迷い込んでいく情景を幻想的に描く。
秘密クラブに迷い込んでしまった自分は、そこで様々なものを見る(感じる)のだが、そこに物語的な繋がりはなく、まるでドラッグ中毒で混沌としている頭の中のようでもあるし、別次元に迷い込んでしまったようでもあった。いや、夢…それも覚める事のない悪夢かもしれない。雑誌に『簡単に言えば世紀末の不安です。大きな飛翔ではなく妙な浮遊感。秘密クラブは“自分自身”の中にあるいろんなイメージなんです』(びあより抜粋)と大島早紀子の言葉が載っていたが、そのイメージが自分にぶつかり、新たなイメージを呼び起こす。まるで生きているかのような暗闇、そこを這うように動くライトの光、浮遊する黒い堕天使。現代の暴力性・退廃的な美意識、そんな中で感じた猜疑心、欲望。自分の中の“暗闇”を突きつけられている様な舞台であった。ただ、舞台が終った途端、不思議と気持ちが晴れ晴れとした。何と言うか、至福の時を感じてしまったのである。心の中に溜まっていた何かが舞台を見る事により表面化され、癒されてしまったのだろうか。そんな効果があろうとは思いもよらなかった。って、こんなの自分だけか。
H・アール・カオスを観るのは今回で二度目。前回は白河直子のソロだったので、あえて感じなかったのだが、今回観て、白河直子の存在は大きいと強烈に感じた。中性的(無性別的)な堕天使(悪魔)は、演じているというより、白河そのものであった。そして、何故か、その堕天使に女の色気というか、毒というかそんなものを感じてしまった。そんな事を思った時、惑わされている自分に気が付き、まずいと思ったりもした。そこまで引き込む魅力が白河のダンスにはあった。
H・アール・カオスの特徴の一つといっていい、ワイヤーによる宙づり技法も素晴しかった。激しい動きで見せるのもいいが、静かに堕天使が浮遊しているのに使われるワイヤーもいい。今回初めて数人のダンサーが舞台に立つ作品を観たのだが、今後白河に続くダンサーが登場した時、H・アール・カオスが新たな飛躍を見せてくれるのではないかという光を感じた。これ以上何を望む、と言われるかもしれないけど。
“H・アール・カオス”自分が観た公演ベスト
1.ロミオとジュリエット 2.秘密クラブ…浮遊する天使たち'98
作・構成・演出 大倉孝二/峯村リエ/村岡希美/ブルースカイ(猫ニャー)ナイロン100℃の番外公演だが、ケラが関わらずに4人だけで、作・構成・演出・出演までこなした作品。ケラがブレーンとしても参加しないのは今回が初めてだそうな。日変わりでゲスト出演があるのだが、この日のゲストは入江雅人。
舞台は、ロンドン郊外にある“イギリスメモリアルアパートメント”。イブの夜、ディナーショーを行なっていたアンリー(村岡希美)が殺された。連続殺人事件5人目の被害者である。ベッカム警部補(大倉孝二)は、オーエン博士の元で犯罪心理学を学ぶチェリンガム(峯村リエ)を助手に迎え、事件解決にのりだした。そんな最中アパートの一室では犯罪計画が練られていた。連続殺人事件は、100人、500人と被害者を増やしていく。アパートの一室で練られている犯罪計画と連続殺人事件の関連はあるのだろうか・・・
こんな感じのサスペンス物なんだけど、この4人が考える事、まともにストーリーが運ぶ訳が無く、アパートの他の場所で起こる出来事が突拍子もなく挿入される。例えばそれは、アパート内マラソン大会の給水所だったりする。それ自体も間抜けな設定だが、ランナーを待ち続ける事3ヵ月というバカ臭さ。
題名を訳すと「イギリス記念組織」だそうだが、物語の内容とはあまり関係がない。もしかして、犯罪計画を練っている奴らの組織がそうなのかもしれない。たった4人の集まりで、頭弱いけど。
で、ラストはこの犯罪計画を練っている奴らの部屋にある『赤ベコ』が連続殺人の真犯人だった?と謎を残したまま終るんだけど、そのくだらなさがいい。犯人としても以外だし。だんだん大きくなっていたという伏線も張ってたし。まっ、こんなんでいいのかーて気持ちもあったけど、笑えたからいい。
でも、この芝居は、「まともに観てはいけない芝居」だと思う。なんか言い方が変だが、「中途半端加減が良い」と思うくらいの見方が正解なのではないか。入れ込んで観た日にゃぁ「なんじゃこれ(松田優作調で)」と叫んでしまうかもしれない。でも、そんなくっだらなさが大好きなんだけど。
役者では村岡希美が非常に魅力的。ブルースカイもなかなか、はりきってたんだけど、まっ、あんなもんでしょう。ゲストの入江雅人の飛ばし方に、素の表情になっているブルースカイが妙におかしかったんだけど、それほどゲストがはりきっていた。でもその為、大倉の影が薄くなっていたという印象も残った。
“NYLON100℃”自分が観た公演ベスト
1.カラフルメリイでオハヨ'97 2.ファイ 3.フローズン・ビーチ 4.吉田神経クリニックの場合 5.ザ・ガンビーズ・ショウ Bプロ 6.偶然の悪夢 7.フランケンシュタイン 8.イギリスメモリアルオーガニゼイション 9.下北沢ビートニクス 10.ザ・ガンビーズ・ショウ Aプロ
作・演出 野田秀樹物語は野田自身が脚本を執筆していシーンから始まる。そして「突然シャーターが降りるように」右目は光を失う。10年前に野田自身が病気で右目を失明したことをメインの話に置き、25年前、カンボジアで消息を絶った報道カメラマン・一ノ瀬泰造の話を織り込む。
必死にチケットを確保した甲斐があった、と心底思った舞台は久しぶりである。「ノンフィクション演劇」と銘打った公演だが(パンフレットでは「ノンフィクション演劇などあるはずがない」と否定しているが・・・)、どこまでが真実で、どこからが虚構なのかわからない。野田秀樹が「芝居の面白さは虚実の間にある」と語るように、実話と寓話のシンクロがいい。野田秀樹が失明したのも、一ノ瀬泰造がカンボジアで消息を絶ったのも事実である。しかし、そこに野田が書いた物語が付加する事により、単なる悲劇に終わらず、芝居としての面白さを醸し出していた。
野田流の言葉遊びも健在。ライトアイには「右目」という意味だけでなく、「正しい」という意味あいも持たせている。そしてレフトアイには「左目」というだけではなく、「残された目」という意味も含まれていた。一つの言葉がいろいろな意味あいを持ち、関連し合いながら展開していくのは、“まねのできない野田秀樹の世界”って感じがして、“やっぱ凄いやぁ”と純粋に感動してしまった。
そしてライトという言葉のつながりという訳ではないが、ライティングの素晴らしいさには酔いしれた。モノクロに舞台を映しだす照明は、映画でしか見れないと思っていた世界を舞台上に出現させた。セピア色の世界が自分の裸眼で見れる不思議さと、現実(色が着いた世界)との対比の素晴らしさで我を忘れる。こんなライトがある事は常識なのかもしれないが、それを知らない私には余りにも新鮮であったし、それがもたらす効果は絶大のものであった。
“野田地図(NODA MAP)”自分が観た公演ベスト
1.キル(初演) 2.Right Eye 3.ローリング・ストーン 4.贋作 罪と罰 5.TABOO
作・演出 松尾スズキ91年8月に松尾スズキ・岡本圭之輔・村松利史が作ったユニット『悪人会議』の公演として、ザ・スズナリで初演、絶賛された作品の再演。
ミスミ製薬の薬害“ミスミ病”の為、大きな頭で生まれたスガマナツオ(阿部サダヲ)は、その風貌から“ふくすけ”と呼ばれていた。ミスミ製薬の社長(山本密)の趣味で監禁されていたが、発見され入院。そして、病院を抜け出し見せ物小屋のスターに。そして、新興宗教の教祖へと突き進んでいく。一方ふくすけの母であるエスダマス(片桐はいり)は、新宿歌舞伎町を牛耳るコズマ姉妹(銀粉蝶・宍戸美和公・伊勢志摩)に出合い、才能を発揮する。そして、コズマ姉妹の策略で都知事選に出馬する。家出をしたマスを追って上京したエスダヒデイチ(綾田俊樹)は風俗嬢のフタバ(美加理)の紹介で、スクープを狙っているライターのタムラタモツ(皆川猿時)と知り合い、マスの行方を追う。ふくすけを病院から連れだしたコオロギ(松尾スズキ)は盲目の妻サカエ(犬山犬子)の啓示により、ふくすけを教祖と崇める“福助おんみょう研究会”を始める。ふくすけの回りで人々は破滅への道を歩みだす。生きるのが嫌になってしまうほどの芝居だが、やはり、『ヘブンズサイン』には及ばなかった。作品の出来は素晴しいのだが、何故かウワの空って言うか、傍観者的な見方になってしまい、悲惨さが伝わってこなかった。悲惨さが伝わればいいって訳ではないんだけど・・・それより私は、ふくすけの悲惨な末路に触れ、それらを背負って育ったふくすけの子供・メイジを描いた『ヘブンズサイン』に、大きく心を動かされた。『ふくすけ』も初演の時代に観ていたら伝わってくるものは大きかったかもしれない。しかし、この芝居で描かれている世界より、悲惨過ぎるのが現代という時代であり、この作品で描いた事はすでに起きてしまったのではないか、と思われる。この作品から“今”は見えても、それ以上のものは見えず、気持ちを掘り起こす衝撃もなかった。
誰の台詞か忘れてしまったのだが、劇中の台詞(だったと思う)で「人間は死ぬ動物でよかった。」というのがあるが、この台詞は心に染みた。死が心を安らかにしてくれる要因になるのは大人計画ならでは。
“大人計画”自分が観た公演ベスト
1.Heaven's Sign 2.冬の皮 3.ファンキー 4.ふくすけ(日本総合悲劇協会) 5.愛の罰(初演) 6.カウントダウン 7.ちょん切りたい 8.ずぶぬれの女(ウーマン・リブ) 9.なついたるねん!(松尾スズキプレゼンツ) 10.ドライブイン・カリフォルニア(日本総合悲劇協会) 11.生きてるし死んでるし 12.ニッキー・イズ・セックスハンター(ウーマン・リブ) 13.インスタントジャパニーズ 14.紅い給食(大人計画・俺隊) 15.イツワ夫人(部分公演) 16.猿ヲ放ツ 17.愛の罰(再演) 18.SEX KINGDOM 19.ゲームの達人 20.熊沢パンキース(部分公演)
作・演出 岩松了未婚のまま中年になった仕立て屋(竹中直人)は、13年前不慮の事故(自殺?)で亡くなった弟の嫁(樋口可南子)に想いを寄せて日々を送っていた。そんなある日、家業に興味がなく放浪癖のある兄(串田和美)は、権利の一切を弟に譲ると言い出す。そんな状況の中、中年男の想いが通じ結婚へと到達する。しかし、一緒に生活するに及び、仕立て屋は、妻の行動に不審感を抱いていく。そして、微妙なバランスで保たれていた穏やかな暮らしや人間関係が、ふとしたきっかけで壊れ、悲劇へと加速する。
妻の行動に疑心暗鬼の塊になる夫の心が、次第にきしんでいき、後戻りのきかない感情に支配されるのだが、その心情が、とても切なく、やるせない。まさに岩松世界の真骨頂という感じ。純愛劇にして愛憎劇。愛と憎しみは紙一重であり、愛情が深いが由に憎しみも深い。いや、この作品の場合、憎しみと言うより嫉妬の深さが悲劇を生む。妻の行動がどこまで真実であるのか、どこまでが嘘なのかわからない。そのわからなさ加減が、主人公同様に観ている者の心を惑わせる。ふとした感情で動いてしまったラストシーンは、そのあっけなさに心に穴が空いたような、そんな気持ちが支配した。それは、悪い意味で言っているのではなく、いい意味でのあっけなさである。この感情こそが、この芝居の主人公の心ではないだろうか。嫉妬心の塊はこの行動を起こした途端にすーっと消え、そこには空虚な心が残り、やがて後悔が押し寄せてくるのだろう。芝居は後悔するまでは描かず、プッツリと切れる。そのあっけなさが逆に私の心を支配した。
竹中直人の会は役者を見るのも楽しみの一つである。竹中直人はいつも通りにいいのだが、特筆したいのが、樋口可南子。樋口可南子ほど適役はいない、まさに樋口可南子の為に書かれた脚本のようであった。女の怖さがにじみ出る視線、刺のある冷たい台詞、その美しさから見え隠れする女の悪魔性、どれをとっても素晴しい。
又、兄の恋人である中国人の女性を演じた李丹の好演も印象深い。聞いた話では、日本での初舞台は自由劇場の「上海バンスキング」だそうだ。串田和美とはその時以来の共演となるみたいだが、串田との掛け合いも息が合っていた。その串田もいいし、尾身としのりもいい。なんかみんな魅力があっていいのである。次回はどんな役者が登場するのか今から楽しみである。
“竹中直人の会”自分が観た公演ベスト
1.月光のつつしみ 2.水の戯れ 3.テレビ・デイズ
作 三谷幸喜
演出 添田忠伸96年に初演した作品を、三谷幸喜自身の加筆により決定版として再演。
とある日曜日の午後、場所は代々木上原にある高級マンション「フォートネス・アパッチ」の301号室。離れて暮らしている娘が父親(カブラギ/佐藤B作)に結婚の報告をしに来ている。くつろいだ雰囲気の中、娘は婚約者を呼びに行くのだが、リビングに入ってきたのはゴルフバックを抱えた中年男(伊東四朗)だった・・・。
娘に恥じをかかせたくないという父親の一心で、数日前に手放してしまったマンションを、他人の家と言えない男の右往左往する様を描いたシチュエーションコメディ。初演には登場しなかったカブラギの元女房(松金よね子)を登場させる事により、脚本を大幅に加筆したらしい。私は初演は観ていないのだが、元女房の登場により話の展開がより面白くなったのは一目瞭然であった。マンションの主は帰ってくるは、娘の婚約者の両親は来るは、元女房は来るはで、悪い方に転がって行く様は最高におかしい。さすが三谷幸喜と言いたい。が、今回は脚本のおかしさに加えて、役者のおかしさが作品を引き立たせていた。マンションの持ち主は伊東四郎だから面白かったとも言える。この作品を伊東四郎抜きでやってしまっては、面白さの半分も出ないのではないかと思う。都合で地方公演には出演されなかったみたいだが、それを観た人には残念でしたとしか言えない。もし、再演があるのなら、今度は全公演に出演してもらいたいものだ。