東京グローブ座 9/4〜9/6
9/5(土)観劇。座席 G-12
作・演出 松村武
かつて、ツルハシという男が荒野に井戸を掘り始めた。100年経った今でも掘り続けていると噂される。その井戸の周りには何時しか人が集まり、町を作った。町はやがて都市となり、都市は“ツルハシ”という名の国となった。井戸を掘る男は伝説の革命家となり、その伝説を信じるマサゴ(相島一之)達はブライアンツと名乗り、ゴア連邦の支配下にある自国を独立させようと革命を起こす。そんな架空の国“ツルハシ”の興亡劇。ゲストに文学座の小林勝也、元東京サンシャインボーイズの相島一之を迎えての公演。カムカムミニキーナの公演を観るのは初めてなので、決めつけるのはいけないとは思うが、観劇後の感想は“野田秀樹のコピー”いや“夢の遊民社”のつまらなかった時のコピー。どこがという訳ではないのだが、そんな作風を感じてしまう。物語は壮大でありながらも、マグマ大使などを登場させ、くっだらなく面白くしているのだが、よくわからない。なんか盛り上がらないまま終ってしまったって感じ。なもんで、内容もよく覚えていない。
作・演出 小池竹見
精神病院に入院している明星(明星真由美)は夢の中(空想の中?頭の中?)で、鎧を着た見知らぬ男・佐藤(佐藤拓之)に出会う。実はその佐藤も入院している患者であった。明星は現実に出会った佐藤に連れられ病院を抜け出す。抜け出した世界では、明星は王様の娘・プリンプリン、佐藤は王子ボンボンであった。そんな世界で繰り広げられる、恋あり、浮気あり、復讐ありの双数姉妹版オペレッタ。明星の空想の物語・コバヤシイタル君物語は面白かった。夏休みが終った始業式の日、登校してきた友人の言葉がわからない。それは自分だけでなく、友人全てが同じ症状に陥る。しかし、よくよく聞いていくと一人の言葉だけは聞き取る事ができる。そして言葉を伝える為に伝言が始まる。そして、話の内容が色恋ざたになり混乱が始まる…。言葉が伝わらないおかしさには大笑いしてしまった。そして、伝わらない事を良いことに自分の本心を語るところもいい。ここだけは面白かった。そう、ここだけ。
佐藤の病気である“頭の言葉に従ってしまう”は過去の公演(『3 BALKAN BOYS』)でやったネタの焼き直し。この公演を観た時はむちゃくちゃおかしかったが、まるっきり同じネタを使うのってどうかなぁと思う。正直ここで、この芝居の興味を失った。
音楽と芝居の融合を目指すとか某雑誌には書かれていたが、融合されていない。むしろ邪魔であるとさえ思える。必要のないアカペラが減ったと思ったら、今度はバンドである。最後には、なんかつまらないを越して、腹が立った。双数姉妹の芝居を楽しみにしている一要因として、舞台美術やその美術をうまく使う演出があるのだが、そういった双数姉妹らしさが影をひそめ、違う方向に向かってしまっている事が非常に残念だ。演劇と物語の“お約束”を徹底的に疑うとの事だったが、私は双数姉妹の方向性を疑う。
“双数姉妹”自分が観た公演ベスト
1.ハクチカ'96 2.オクタゴン 3.3 BALKAN BOYS 4.オペレッタ―王女Pの結婚― 5.SHOCKER
作・演出 福島三郎
明治時代に仙台にいた知的傷害を持つ四郎と名乗る男は、民家、商家を渡り歩き生活していた。その四郎が立ち寄った先が、その後不思議と繁盛するようになったため、生き神様として後生まで崇められるようになった。その”仙台四郎”の伝説をモチーフにしたホームドラマ。
昭和10年、東京の下谷のせんべい屋のお茶の間が舞台。そこには、主人(石丸謙二郎)とその妻(左時枝)、ひとり娘(西牟田恵)そして下宿人(桂憲一・菊池均也)が生活していた。夏のある日、ちょっと訳ありな新たな下宿人・速水光太郎(三宅弘城)がやってくる。そんな日にドテラ姿の見知らぬ男・本所五郎(岡山はじめ)が現れる。その容姿から仙台四郎の再来かと話は展開していく。仙台四郎をモチーフに、本所五郎の話を絡ませているが、特にその話が物語の核心に関わってくる訳でなく、ただ単にスパイスになっているという感じで、期待はずれであった。期待はずれと言っても、それだからつまらなかったというのではなく、それなりに面白かった。しかし、本所五郎を登場させなくても話が成り立ってしまうのではないかと思う所に、不満が残る。最後に、「仙台四郎が立ち寄った先は繁盛し幸せになるが、本所五郎は幸せな家庭を見抜き、立ち寄る」という事で話はまとまってしまったが、まるでテレビのホームドラマを見ている様な芝居であった。そう感じるのには、人物描写が希薄だった事も影響している。役者がうまかったので救いだったが、日常を切り取ったにしろ、もう少し人物の内面というか、人となりを映し出すものが欲しかった。上っ面の関係は読めても深く描いてないので、登場人物の誰にも感情移入が出来ず、どうしても傍観している感じが強い。前回泪目銀座を観た時も同じ感じを味わったが、ここのところが良くなれば、今後どんどんおもしろい芝居になるのではないかと思う。
舞台中央に掛けられた仙台四郎の写真が、苦笑いを浮かべているように感じてしまったが、本当は写真でさえ幸せで笑ってしまうというような芝居を作ってもらいたいもんだ。
“泪目銀座”自分が観た公演ベスト
1.春まるだし 2.バカの王様
作・演出 後藤ひろひと
96年に公演された密室会話劇の傑作『びろ〜ん(Belong)』(96年の自己ベスト1)の続編。前作は司会者や執事など、何かに属さないと存在意義を持てない人々を描いたが、今回は“Beyond(越える)”という言葉をテーマに「何かを越えたい人々」を描いたオムニバス。常識を越えようとする前衛芸術家(後藤ひろひと)、利根川を越えて越境する群馬県人を取り締まる河岸警備員(西田政彦)、美術館の警備ラインを越えようとする人々、師匠を越えようとする空手家(池津祥子<大人計画>)などのエピソードが展開する。笑いあり、恐怖ありのオムニバスが、何らかのつながりを持ち、展開していく。そして、それが、あるイベントで一つにつながるのだが、そういう構成って私は好きなのでニタニタしながら観入ってしまった。ただ、前作の『びろ〜ん』からすると“笑い”のパワーダウンは認めざるを得ない。正義道場とか、偽の楽屋裏だとか、むちゃくちゃおもしろい所もあったのだが、残念ながら前作は超えられなかったので、題名負け。ただその分と言ってはなんだが、“恐怖”の作り方はうまい。引っ越した先のマンションの部屋の壁の話(西村頼子<そとばこまち>、楠見薫)などは、話の筋は読めてしまうものの、その話の持って行き方がうまい。『人間風車』で見せた手腕がますます冴えてきているように感じた。
あ、あと怖かったのが客入の悪さ。開演10分前くらいに客席に入ったら、客より空席の方が多い。というより客20人くらいしかいない。なんか、ぞ〜としましたよ。開演時にはそれなりに客が入っていたが、空席が目立つ。この日は台風が近づいているという悪条件ではあったが、ひどい。本多劇場であんながらがらの状態は、私にとっては初めての経験。こんな状態が続いたら、東京公演しないんじゃないかと心配でしょうがない。関係者じゃないので口出しする事ではないが、観る為にわざわざ大阪まで行けないので、この状況をどうにか打破して欲しい。
まっ、それはともかく谷省吾のグリーンホーネットや久保田浩の羽曳野の伊藤など、お馴染みのキャラクターの登場もあり、満足できる公演ではあった。
“遊気舎”自分が観た公演ベスト
1.びろ〜ん(Belong) 2.源八橋西詰 3.じゃばら 4.ダブリンの鐘突きカビ人間 5.人間風車 6.びよ〜ん(Beyond) 7.イカつり海賊船 8.タッチャブルズ 9.PARTNER
作・演出 政岡泰志
舞台は、まぐろ漁船まんぷく丸の甲板。その航海での喜怒哀楽を描いたシチュエーション・コメディと言えるかどうかわからないが、そんな作品。初めて動物電気を観たのだが、そのべたべたと言うか、くっだらねぇ〜って言うか、そんな笑いが心地よい。ハイレグジーザスの役者としての政岡泰志しか知らなかったので、どんなものか恐怖感があったのだが、全然普通の芝居なんで安心しちゃったというか、なんというか。小林健一演じる船長が舞台上でフンドシに着替える時も、見えないようにと手で隠している。まっ、これが普通なのだが、ハイレグで全裸になっている政岡の演出という事を考えると、逆におかしい。その政岡氏の語るところによると今回の作品は「プロレタリアート演劇」なんだとか。まっ、それに関しては疑問が残るが、特に問題じゃないので省きたい。
役者では、作業監督役の辻修人が最高におかしい。変な動きと変な顔、声もちょっと変でいい。私は辻に注目してしまったのだが、見渡すと他の役者も味がある。こんないい役者を揃えていた劇団だったのか、と認識を新たにした。
作・演出 天野天街
ある夏の日。ひとりの男・ヒトシ(小熊ヒデジ)の元に、ここでクダンを飼っていたというウラシマタロウ(寺十吾)と名乗る男が現れる。クダンとは、顔は人間、身体は牛で、大災害が起こる前に生まれ、その悲惨な結果を予言して死ぬという伝説上の生物である。二人の男の会話は、過去・現在・未来を混沌と流れ、夢か現実かわからぬまま迷走していく。それは、35年間日射病で眠っていた男の頭の中の物語なのか、全てが現実なのか・・・わからぬまま、迷走はその先のオシマイへと続く。中国の「件(くだん)」伝説を元に、天野天街が独特な世界を展開した傑作。ともかく「凄い」としか表現できないほどに、凄いのである。“天野天街氏の頭の中は、一体どんな構造になっているんだ!”と大声で叫び、発散したいほど、その凄さに打ちのめされた。少年王者館の公演を観るのは今回で二度目だが、言葉の裏に隠された真実を見つけるたびに、鳥肌が立つ。同じ台詞や動作を延々と繰り返す無限地獄も、感覚を麻痺させられ気持ちいいが、「二階の牛が」という台詞の後に「二階・脳死?」と聞き返すところなどを知った途端、ぞわぞわと鳥肌が立つ。私は少年王者館の観客としてはまだまだ甘く、言葉をストレートに受け止めてしまい、肝心要の意味は聞き逃してしまうのだが、観劇後、良き知人の解読を聞くに及んで凄さを知り、作品世界にどっぷり漬かってしまうのである。本当はこんな楽しみ方じゃいけないんだけど。
解読の一例。まずは、主人公二人の名前。ウラシマタロウは浦島太郎であり、もちろん時間性を表現しているのだと思う。で、もう一人のヒトシがくせもので、“ヒトシ”は、“ヒト・ウシ”に解体され、“人+牛=件(クダン)”になるのだそうだ。それを聞いただけでも、唸ったのだが、天野天街氏によると、二人の名前を組み合わせると「夢」という字になるのだそうだ。もう茫然自失である。
時間性と言えば、劇中で繰り成す時間(夢時間?)に“宅配ピザ”という現実時間を挿入させ時間をねじっていたのも面白い。このピザは最後のシーンで夢から覚めた→世界が終わった→芝居が終わった時に、なにもなくなる空間に、ピザの箱だけが残され、現実的時間のオシマイをも見せる。こう使われるはずだったのだが、私が観た回ではピザは間に合わず、舞台には登場しなかった。“注文したピザはどうなった?”という疑問を残したのまま、芝居は幕を閉じてしまったのだが、そのピザがどうなったかと言うと、打ち上げの時みんなの輪の中にポツンと置かれる羽目になってしまったのだった。まっ、これも現実時間なのだなっ、と打ち上げに参加した私は、感慨深くピザの箱を見つめてしまった。
また『2』へのこだわりも見せていた。二人芝居、カレンダーも2なら時計も2時。増えるコップは2つから始まり2つに終る。そして、2時という時間は、丑の時(午前2時)参りとつながり、ここにもウシの登場である。
ここまで芝居の構造を緻密に練っているのかぁ〜。いやはや神業である。なお、今回の芝居は、1998年度の「アリス大賞」に選ばれたそうである。
“少年王者館”自分が観た公演ベスト
1.OSHIMAI 2.それいゆ
作・演出 唐十郎
16年前、下北沢・本多劇場のこけら落とし用に書き下ろされた『秘密の花園』の改訂版。
舞台は東京・日暮里。キャバレー勤めの一葉(いちよ/飯塚澄子)の部屋に、アキヨシ(堀本能礼)が通い始めて2年になるが、二人はなかなか結ばれない。一葉の夫・大貫やアキヨシの姉・双葉(もろは/飯塚二役)の妨害、アキヨシの転勤話などが渦巻くなか、アキヨシは、一葉と双葉に挟まれ葛藤を繰り返す。改訂版では、アキヨシの心理を分析し、ズタズタに切り裂く謎の精神科医・野口(金井良信)を新たに登場させている。なんと言っても飯塚澄子に魅せられた舞台であった。唐十郎が出演しないのに加えて(劇団に問い合わせたところ、ダブルキャストで中年男を演じた回もあったらしい…あー悔しい)、雨降りのテント公演というのが災いしてか、客席は空間が目立つ、と言うより寝て観れるほどのスペースが空いている。非常にもったいない事である。初演を観ていないので比較はできないが、緑魔子に当てられた脚本という事を聞き、なるほどと思うところはあった。しかし、それを補って余りある程、私は飯塚の魅力に引きつけられてしまった。今まで観た飯塚澄子の中では、一番と言いたい。薄ぐらい部屋の中に佇む飯塚の姿が、徐々に現われるオープニングのシーン、それを観ただけで私の胸の鼓動はバックンバックン音をたててしまった。胸を露に出し一葉を演じた時には、鼓動は最高潮に達してしまい爆発寸前であったが、本当の良さは姉・双葉を演じた時の飯塚である。性悪な感じの中にかわいらしさと言うか、女の性というか、そんなのを感じ、惚れ惚れしてしまった。
物語は主人公であるアキヨシの葛藤がメインなのだと思うが、飯塚の二役が強く、一人の男をめぐる一葉と双葉の物語となってしまった。しかし、唐十郎のインタビューに“アキヨシと精神科医というもうひとつの対立関係を置く事によって、いちよともろはの関係を鮮明にさせる。”とあったので、意図通りではあったみたいだ。
“唐組”自分が観た公演ベスト
1.ジャガーの眼 2.改訂の巻 秘密の花園 3.汚れつちまつた悲しみに・・・