初日に行けなかった私は、気になってネットに貼り付いてました(笑)
今はブログなどで個々の感想が簡単に早く見れて便利。それがいいことかどうかは分からないけどまあ、
便利だと思う。
微妙・・・
その日はこの言葉が、多かった。
実際に見てみて納得。
これは好き嫌いあるだろなぁ〜〜と思わずにはいられない。
初見の時は、圧倒されたというのが一番の感想。
エネルギーがうめいていた。
マルグリットの怒りやオルレアン公のたくらみ。民衆の現状への怒りが
すべて王妃の存在に終結してくる様は怖かった。
それが発散されたものでなくて、なんだか渦巻いているからよけいに。
王妃の結末は、知ってのとおりで・・それまでの過程も今までの描かれ方とは違った視点でみている。
マリーアントワネットとしてどこか美化されていた部分ではないところに光が当たる。
子供と引き裂かれて「私を殺して」と叫ぶ姿は生々しい。
不協和音で叫ぶ「自由」。あっちこっちで主張するもんだから、何が言いたいのかは1度ではわかりにくい。
1度目はとにかく泣いてたし(笑)。
正直理解できたとは言えなかったけど、私はこの作品に惹きつけられた。
いつだったか9時間というギリシャ神話の舞台があったがその時に感じた感覚と似てるかも。
帝劇という大きな箱で皆がある程度の好感を持つものにしてはシュールすぎるとのだとも思う。
血を思いおこさせる紙ふぶきに、ローマの時代のコロシアムのようなセットの中の王妃の最期。
赤いギロチン。
そこで、人が叫ぶように歌う。生々しいってば。
時代を超えて、伝えたいメッセージが重くのしかかってくる。
ここの客が、ミュージカルに求めるものとはずれがあるんじゃないかと。
マリーアントワネットと聞いてロココの宮殿の華やかさをイメージしてくると
裏切られた気分にもなるだろ。
高揚感を舞台と同化したいと思ってくる方にも違うんじゃないかな。
ただ、出演者はよいし・・だからって悪いと言い切れる(言い切る人もいるけど)ものではないので
微妙・・・なんだろな。
重い話だし・・
救いがない話ならせめてラストに王妃のドレス姿を拝んで帰る・・ってのも一つの手。そんな声も多い。
ただ、大地さんが演じられた舞台の時に、それは違う!!と実感しているので・・
ほんとに綺麗だったんですよねぇ・・大地さん。目が覚めるようなピンクで。でも、
そこまでの舞台もすばらしかったのに・・記憶に残るのはそこってある意味悲しい。
結局、それってすごく考えなきゃいけないことを棚に上げて、綺麗なものだけ見て帰
る状態ですから。
・・で、こういう声って以前にも聞いたなぁ〜〜と。
宝塚の退団公演の「グランドホテル」の時のこと思い出しました。
あの時も散々、題材が宝塚らしくない・・とか、ラストの作品で死にかけた中年はかわいそう・・とか。
最後だから羽背負って出てきて欲しい・・・とか(これはショーの方ですが)
えらい昔の話・・・(笑)
そういうめぐりあわせなのかもしれませんねぇ・・かなめちゃん^_^;。
週末、また王妃に会いに行きま〜す♪
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