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終演後、支部長さんと私は2階から1階に降り、しばらく雑談をしながら 時間を潰しつつロビーの様子を伺ってみた。
15分ぐらい過ぎた頃だったろうか 支部長さんが 花を預けた係の人に、林さんとお会いすることになっていることを 伝えたところ 準備等で30分はここにいらっしゃる事は出来ないとのこと。
30分したら またここにいらして下さいということだったので 我々は他で時間を潰すことにして会場を後にした。
近くの喫茶店できっかり30分ほど時間を潰し会場である厚生年金会館に 戻ると既に入り口は封鎖され 入り口付近でファンの方や出演者の子供達の 友人、家族でいっぱいになっていた。ガラス越しに中を覗き込みと 出演者のみなさん、スタッフ、関係者の方々がロビーに集合されているのが 見える。
それから10分経ち、20分経ちと時間が過ぎて 30分が経過したぐらいだろうか 結局、ここから出演者の方々は出てこられないということを係の人に説明され 会館から出されてしまった。まあ 中にいて日の光を浴びているよりは 外の方が涼しかったので良かったのだが(苦笑)......
それで出演者の方々が出てこられる楽屋口の方へ移動したが このように 楽屋からの出待ちをするのも随分久しぶりな事である。
ただこの時の気持ちとしては ホントに林さんにお会いすることが出来るのか 非常に不安であったのも偽らざるをえなかったのだが。

楽屋口では 次第に子役の子達が三々五々帰宅の途につきつつあり、いよいよ 大人の役者さんも楽屋から出てこられるようだ。
楽屋口にはタクシーも止まっており これに乗車され帰られる俳優さんもいらっしゃるらしい。
しかし、これに林さんが乗車されて帰られてしまうと我々にとってアウトであるという不安も頭をよぎる。
そしてそのタクシーがいよいよ動き出して 我々の横を通り過ぎてゆく。 乗車されているのは加藤さん、榛名さん、日向さんのようだ。
みなさん 外の我々ファンに向かって手を降られて挨拶されている。
その後も 出演者らしき方々が次々と今度は歩いて少し離れた我々の方に向かってくる。するとその中に、帽子を被った見慣れた女性の方が....。

なんと林優枝さんだった!!

支部長さんは自分より林さんの存在に気づくのは遅れてしまったが 私がすぐにお知らせし、林さんに呼びかけた感じで やっと林さんの方でも気づいてもらえご対面となりました。
この時は軽いご挨拶という感じではありましたが、林さんが荷物を宅急便に出してくるのでここで待っていてと言われ我々は再び待機状態に。
お会い出来たことに私的には非常に舞い上がってしまったが 林さんは5分ぐらいで戻られて「これからナゴヤ駅に行きますが ご一緒できますか」と言われたのには 驚いた。...ということはこれから地下鉄をご一緒するということなんですか?
そんな驚きを感じつつ林さんと最寄りの池下駅を目指し歩き始めると まわりは主要な出演者ばかりとなっていた! あの伊崎充則さん(ドラマ、映画でご活躍されてますね。最近も松たかこさんのドラマでお見かけしました) や、孤児院の職員を演じられていた加藤小次郎さん(加藤剛さんによく似ていらっしゃるのでもしかして息子さんかと思ったのですが..)がすぐ前を歩いていらっしゃる。
(みなさん普通に地下鉄に乗って帰られるようでこれにもちょっと驚きました。)
林さんは役者仲間、スタッフの方々に挨拶されながら駅に向かって我々と共に歩いていらっしゃったが両手に荷物を抱えかなり大変そうでしたので 我々は失礼かなと思いながら荷物を変わりに持ってお手伝いをすることにし、”にわかマネージャー”に変身。



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駅のホームでは電車が来るまで少々時間があったので さきほどまでのコルチャック先生のお話や 林さんが大林監督作品に久しぶりに復帰された作品(「淀川長治物語 サイナラ」)の話などにおよび、支部長さんと私もその作品にエキストラで参加していたことをお話したら驚かれてしまいました。
そんなお話は地下鉄に乗り込んでからも尽きず、名古屋駅に到着するまで時間も あっという間でした。
私も人波にもまれながら 地下鉄を下車し改札に続く階段を上り改札を出たところでちょっとした問題が発生。いつまで待っても支部長さんと林さんが改札口から 出てこられないのだ。改札口は2箇所しかないのでもしかして反対側だったのか? すかさず携帯を取り出し、支部長さんに電話をかける。

「今、どこにいらっしゃいますか?」

案の定反対側の改札口付近にいらっしゃり こちらの改札口に手を振っている。 (一時はどうなるかと思いましたが 携帯はこういう非常時にはホント役立ちますです(苦笑))

このようにちょっとした騒動がありながらもなんとか合流した我々は階段を上り、地上に出て名古屋駅構内へと入っていく。すると林さんから我々ともっとお話したいということで帰りの新幹線が到着するまで時間を作って頂きました。女優さんと差しでお話が出来るなんて感謝感激です。
その前に新幹線の切符を手配しなければいけないということで林さんは「みどりの窓口」へ。
〜終演後、役者のみなさんがそれぞれマネージャーさんやお付きの人もなく帰宅の途につかれるのも驚きましたが 切符の手配も林さんのように自分でされるというのも非常に驚きましたね〜
約10分ぐらいでしょうか無事に切符の手配を済まされた林さんが我々のところに戻ってこられ新幹線の時間まで50分ぐらいあるので喫茶店でお話しましょうということになり、近くのそう広くない喫茶店へ。
林さんを含め3人ということで お店の人に案内されたのは店の奥まった場所。
そこに林さんを取り囲みような形で座る。林さんの隣りに支部長さん、そして私は林さんと向かい合う形になり、自然と目があってしまう。
それでお互い飲み物などを注文し、またまた先ほどの話の続きとなりましたが まず支部長さんから林さんに用意していた色紙をお渡し、東海支部あてのメッセージを書いて頂くことにして戸惑いながらもペンを走らせる林さん。
そうこうしているうちに注文していた飲み物が届くが、林さんがメッセージを書き終わるタイミングで私はとっておきのものを取り出しお見せした。
開口一番「まあ 懐かしい!!」と仰る林さん。
それもそのはず私がお渡ししたのは「さびしんぼう」のパンフレットだったのである。
「さびしんぼう」の公開が1985年ということで 林さんにとっては16年目の再会という感じでしょうか。
私は映画「さびしんぼう」を象徴するかのような言葉「ひとがひとを恋うるとき、ひとは誰でもさびしんぼうになる」
が書かれたパンフの最後のページにサインを頂きましたが パンフの写真に写った林さんをこちらがあらためてご紹介すると懐かしさと共にその場が笑いに包まれました。

そういうこともあって自然と話は大林映画関連、特に「転校生」や「さびしんぼう」の頃のお話へ。
例えば「転校生」の吉野アケミ役はオーディションで選ばれたこと、この吉野アケミ役や「さびしんぼう」木鳥マスコ役はその頃の自分のキャラクターにはないものだったので監督のおかげで芸域が広まったこと、またこれら映画がきっかけで色々な人々と出会え今の自分の財産になったことなどを話され 大林映画ファンとしては 普段聞くことができないお話を当時の出演者の方からお聞きするというこの上もない貴重な経験をすることが出来たのです。
それに林さんのお話の中で「聡美ちゃん(小林聡美さん)」「尾美くん(尾美としのりさん)」「稔侍さん(小林稔侍さん)」というお名前がポンポンと出てくるあたりでは あらためて「すごい方と今、ご一緒しているんだ」と思い忘れかけていた 緊張感が戻ってきてしまった。(林さんと向かい合わせということもあり目が合うたびにドキドキのし通しでしたし....)
そして小林聡美さんのお話が出たところで 聡美さんの旦那さんで林さんも大ファンという三谷幸喜さんにも話が及び林さんが三谷さんとお会いした時のエピソードは 三谷さんが演出家、映画監督でありながらかなり(監督作の「みんなのいえ」 「ラジオの時間」のキャンペーンやCMなどで)面白いキャラクターをお持ちであることを以前から感じていた為、その場を想像して我々の間では自然と笑いがこばれたほどです。

そんな笑いや懐かしさに包まれた楽しい時間もあっという間。
「林優枝さんを囲む夕べ」(!)はお開きとなり林さんをお見送りする為我々二人も新幹線乗り場口に向かうのだった。

新幹線の改札で林さんとお別れとなりましたが 我々の手を取り一人ずつ感謝されて かえってこちらの方が恐縮してしまいました。
そして新幹線独特の自動式改札を通り過ぎたあとも、いつまでもこちらに向かって手を振っていらっしゃる林さんその姿に女優さんのオーラを私は感じぜずにはいられませんでした。
その後、支部長さんとも別れ私も帰宅の途についたのですが その車中で、先ほどまでの林さんの笑顔と「転校生」や「さびしんぼう」での林さんのお姿が微妙にダブって再び緊張が蘇ってきてしまったのです。






林優枝さん



先日は お疲れのところお時間を作って頂きありがとうごさいました。 まさかあのようにお話する機会を持つことが出来ようとは 思いませんでしたが 我々二人にとっては正に至福の時でありました。
ありがとうございました。
いつの日か お会い出来る日もあるかと思いますが そのときはまたよろしくお願い致します。

今後の益々のご活躍期待しております。








追記 1

このレポートを書いている途中(2001.9.11)、ニューヨークとワシントンで 史上最悪のテロ事件が起きた。
犯人はまだ捕まっていないが、イスラム原理主義に基づくグループなのだそうだ。 そのイスラム原理主義がうずまく中心地、中東ではイスラエルとパレスチナの問題を 発端にイスラエル建国からこれまで多くの血が流されてきた。
この「コルチャック先生」で描かれたユダヤ人への迫害は、結果的にユダヤ人を国を持たない流浪の民へと変貌させ、その後イスラエル建国へと導いたという経緯を考えるともし、ナチスドイツのユダヤ人への迫害、大虐殺が無かったら、また違った歴史が創られていたかもしれないと今回のテロ事件を見てそう思わずにはいられなかった。






追記 2

先日手に入れた「大林宣彦の a movie book 尾道」(たちばな出版)の P87に 「第19章 林優枝と(転校生)」と題して林さんが紹介されています。
それによると「転校生」で林さんが演じられたSF好きな文学少女 吉野アケミの「わたし、書くわ」という台詞は後の「ふたり」における 主人公、北尾実加に受け継がれていくものと知りまたまた驚いてしまった。
私的には大林映画に本格的にハマッたのが「ふたり」であったことを 考えると今回の林優枝さんとの出会いも偶然ではなかったのかもと 思えてしまうのです。







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