title




「10月27日、姉は死にました...」


−と映画「ふたり」の中で石田ひかり演ずる主人公、北尾実加が神永智也(尾美としのり)に悲しみに沈みながら告白した北尾千津子(中嶋朋子)が亡くなってから早くも10年(あくまでも映画公開1991年を基点としてです)。
私も所属する大林監督のOfficial FanClubであるOBs Clubはこの映画上の登場人物である北尾千津子を偲び、同時に新尾道3部作公開10年、大林宣彦監督商業映画進出25周年を祝う意味でこの10月27日、28日の両日、大林映画の古里、広島県尾道市で「千津子記」というイベントが開催された。



私はこの日、いつもの週末よりはかなり早く起床、9:05発の「ひかり113号」に乗り遅れないように8時前には自宅を出発した。当初、心配した天候も今のところ大丈夫そうで一安心。
それでも市バス、地下鉄と乗り継ぎ、名古屋駅に到着したのは8時50分を過ぎ。既に列車の発車時刻を知らせる電光案内板には「ひかり113号」が掲示されていた。
とりあえず車中で眺める雑誌などを購入し、あの独特な自動改札を潜りエスカレーターで新幹線ホームに上っていくとタイミング良く「ひかり113号」到着のアナウンスが流れてきた。
なんとか ここまでは予定通りに事は運んでいるようだ。
問題なく乗り込んだ「ひかり113号」は予想以上に混んでいるようで、空席も見あたらない。それは次の停車駅「京都」で乗り込んだ修学旅行の生徒によってより助長された。それに車内は修学旅行生の為、よりいっそう騒がしくなり雑誌にさえ集中出来ない。列車はその後「大阪」「神戸」「岡山」と定刻通りに到着、次はいよいよ乗り換えの「福山」だ。尾道へは「新尾道」という新幹線の停車駅もあるが、尾道中心部から離れていることや、在来線で尾道駅に近づく瞬間、視界に広がる尾道水道の風景を感じたくて福山で降り、在来線に乗り換えることを私は常としている。
ただ意外だったのは福山で在来線である山陽本線に乗り換え口に急ぐものの、今のところ「千津子記」参加予定のOBsらしき人たちを全く見かけないのはなぜだろうか? それに昨日、尾道入りされた私も所属する「OBs東海支部」の支部長さんとも連絡が取れないのも気に掛かるところであった...
しかし山陽本線の広島方面へのホームへ移動し、時刻表などを確認しているとある人から声を掛けられた。「OBs関東支部」のSさんだった。彼女とは2年前に関東支部の支部会にお邪魔して以来の再会である。
挨拶もほどほどにホームに滑り込んできた列車に乗り込み、いよいよ尾道を目指す。
思えば「あの、夏の日」の完成披露試写会以来、2年半ぶりの尾道に感慨深いものがこみ上げてくる。「松永」「東尾道」と通り過ぎ、次は「尾道」だ。
尾道駅に近づくにつれ映画の中で見た風景、記憶の中に刻み込まれた風景が目の前に広がり既に気分は尾道モードへと変わりつつあった。そして偶然にもその時、CD Walkmanで聞いていた曲が映画「ふたり」の印象的な主題歌「草の想い」にタイミングよく切り替わったのには驚いた。(なんとも今回の旅のテーマに沿っているではないか!)


尾道駅に到着し、改札口へ。駅構内は2年前と変わらぬ佇まい。
駅を出ると広がる海、でも「しまなみ海道」開通に伴い大きく変わってしまった駅前の風景は2年半前に訪れた時(その時が正に「しまなみ海道」開通の時であった)と変わらぬのだがやはり複雑な思いがする。尾道には、かなり久しぶりなSさんの驚きはそれを見事に物語っていたようだった。
結局、支部長さんと連絡が取れずじまいだったが OBsの仲間で同じくStaffであるZさんとようやく連絡が取れた。予想以上にお忙しいということで 我々だけで昼食にしようと心に決めていたが 果たしてどこにしましょうか....尾道の飲食店関係に詳しくない自分としては少々心配が残る。
駅横のコインロッカーに荷物を預け、また駅前に戻ってくると見慣れた人がSさんが佇んでいる所を目指し歩いてくるのが見える。同じOBs東海支部のYさんだった。
Yさんは既にちょっとしたロケ地巡りを終えられてきた様子で この尾道独特な季節はずれな暑さ(!)でうっすらと汗をかかれていた。我々は荷物のこともあり偶然にもお二人が投宿される「ホテル アルファー1」に向かった。
そして荷物をアルファー1に預けた我々は昼食の為、今来た道を戻り商店街の方へ向かう。
商店街はいつも通り変わりが無いものの、所々お店が閉まっていたりして ここにも着実に不況の波が襲っていることに悲しくなってくる。
Yさん、Sさんとも昼食をどこで取るべきか決めあぐねていたので 失礼かと思いながら私の独断でお好み焼きで有名な「いわべえ」でということに決定。
商店街を散策しながら ようやくたどり着いた「いわべえ」は幸い満員でもなく、なんとかここで昼食にありつけそうである。思えば この店も2年半ぶり。
ここで3人とももち入りのお好みを注文したせいか思いほか食べるのに手間取るが やっぱりお好み焼きの本場、広島で食べるのは美味しい。
「いわべえ」での食事を終え店を出ると時間は12時50分を回ろうとしていた。
集合時間が13:00ということを考えれば 予定よりは少々遅れぎみだ。そんなこともあり我々の足も集合地点である「ふたり」千津子の事故現場、吉田邸前を目指し早くなっていった。
千津子の事故現場である吉田邸は浄土寺横を抜け 筒湯小学校という小学校の近くなのだがまだまだここから距離がある。はたして間に合うのか?
そんな状況の中、支部長さんから携帯に入電。やっと連絡がとれこちらも一安心である。
吉田邸に向かうまでの道のりは工事中の箇所などもあり、やや迷いながらも尾道市立図書館を通り過ぎ、「姿三四郎」のモデルとなった西郷四郎像の前を通ってようやく筒湯小学校に到着。あと少しだ。



LINE



小学校前のやや急な坂を上っていくと やっと見慣れた人がトランシーバーを片手になにやら指示しているご様子。関西支部のMさんだった。なんでも 「ふたり」劇中シーンの再現の為、車止めとか、案内とかされているらしい。正に映画の現場そのままの雰囲気だ。
Mさんとあいさつを交わしながら再び坂を上っていくと なにやら楽しげな話声が聞こえてきた。角を曲がって やがて広がる豪奢な作りの吉田邸の門構え。 
私は何度もこの場所を訪れたが ここはいつまでも映画のシーンそのままだ。
もう10年も前になるだろうか、初めて尾道を訪れた時、真っ先に目指したのがこの場所なだけに私にとってもココは特別な場所なのだが そこで今回のようなイベントが行われるとはなんと思いがけないことか!千津子写真

そんな感傷に浸りながらも 吉田邸の前ではOBsの女性の方が千津子の衣装(高校の制服)を身にまとい「ふたり」最後のシーンをデジタルビデオで撮影、再現している。撮影しているのは先程、携帯で連絡を取った関東支部のZさん。撮影のタイミングなどを指示されている関東支部のOさんの懐かしい声も聞こえてくる。
我々も撮影の邪魔にならぬよう横(映画劇中で事故を起こしたトラックが止まっていたあたり)にはけ、他のOBsの方々の輪に加わる。懐かしき人々との再会を喜び、色々あいさつをしながら撮影の様子を静かに見守る。(途中、コミュニティーFMであるFMおのみち79.4の番組「内海亜子のしまなみガイドFM」で今回のイベントに合わせ大林映画音楽特集をするということで数日前に「草の想い」(唄:中嶋朋子)をリクエストしておいたのだが 番組開始早々いきなり自分のPNが呼ばれリクエスト曲が掛かったのには驚きました)
そんなOBsに混じって 今回のイベントにおける最大の協力者である吉田多美重さん、尾道市役所の職員花本さんなど大林映画にはお馴染みの地元スタッフの方々の顔も見え正に新作の尾道映画を今、撮影していると言っても過言でないくらいの雰囲気だ。


入れ替わり立ち替わり何人か女性の方が千津子に扮し、劇中で事故を起こした大前均さん扮するトラックドライバーの役を男性が演じ映画のラストそのままに事故現場に献花するシーンが再現され、その様子をすぐにプレビューし 映画のシーンそのままであるか撮影を検証する徹底ぶり。さすが大林映画ファン、OBsです。


和やかな雰囲気な中、再現撮影はその後2時間ほど続き、先程までの暑いぐらいの日差しもやや陰り始めた3時頃、今回のイベントの本来の趣旨である千津子の霊を弔い献花、黙祷の儀式に移る。劇中の、それも想像上の人物を弔うというのも少し奇妙な感じがしなくもなかったが振り返ってみればその昔「あしたのジョー」力石徹が連載誌上で亡くなった時、大々的に葬式が行われたことを考えれば 案外その葬式に参加した人たちも私と同じ気持ちになったのではなかろうかと想像した。
そして、いよいよ献花、黙祷となったところで、地元中国新聞から取材が入り献花の様子を写真に収めたいという申し出が。明日の朝刊に載るらしい。紙面が楽しみだ。
献花、黙祷も滞りなく終わり「千津子記」の初日の主なイベントは無事に終了。あとは夕方から始まるOBsの仲間たちとの宴会&クイズ大会etcと まだまだ盛りだくさんである。
吉田邸からの帰りもYさんと一緒に今夜泊まるホテルがある駅方向を目指し、今夜の宴会会場である「にんじんハウス」を探しながら海岸沿いの道を歩く。途中、先に戻られた関東のOさんとばったり遭遇し、「マヌケ先生」の撮影で使われた「瀬戸内キネマ」のロケ地を紹介される。今でも何かの倉庫として使用されている処らしいが、スタッフでもあったOさんに紹介されないと 全く気づかない処だ(詳しくは 先日出版された「新版 大林宣彦のa movie book 尾道」P161を参照下さい)。
何気ない場所を このように一場面に登場させ映画に違和感なく同化させる。これが正に大林映画のマジックなんですね。
我々はガイドをして下さったOさんとも別れ、なんとか「にんじんハウス」の所在を迷いながら突止め、ホテルに急ぐ。駅前でアルファー1に向かうYさんとも別れ、私は今夜の宿である「ホテルグリーンヒル」を目指した。このホテルもしまなみ海道開通と同時期にオープンした新しいホテルで利用するのも今回が初めてであった。フロントが二階というのもちょっと戸惑いを覚える。
フロントでチェックインを終えようやく6階の客室へ。荷物をベットに置き、窓からの風景を見てみるが海沿いのホテルでありながら 見えるのは懐かしき「あの、夏の日」の完成披露試写会が開かれた「しまなみ交流館(テアトロ・シェ・ルネ)」の屋根ばかり。今回、インターネットで部屋を予約したのだがインターネットで 予約するとやはり海側の部屋ではないようだ。夜景が綺麗なだけにちょっと残念。
そうこうしているうちに 時間も刻々と進み気付けば5時45分。宴開始6時まであと15分しかない。急いでフロントに鍵を預け、会場である「にんじんハウス」を目指し、先程来た海岸沿いの道を戻っていく。 10分ぐらい歩いただろうか、日も落ち辺りは暗くなって判りにくいものの、ある一帯だけが人で賑わっている様子が見える。あそこが「にんじんハウス」であることは間違いない。



LINE



「にんじんハウス」の前に来ると、みなこの「千津子記」お手製パンフを持ち、それをのぞきこんでいるので自分もさっそく受付で参加費を支払いパンフを頂く。受付の横では私の地元ではほとんど目にすることができない「(新版)a Movie Book 尾道」などが臨時に販売されている。宴(交流会)開始まで しばらく時間があるということで店の外に出てパンフを眺めながら時間を潰す。
パンフには本日と明日の予定、明日挙行されるオリエンテーリングのチーム分けなどが記されている。なんでも 自分は「時をかける少女がふたり」チームらしい。
準備が整ったということでほどなく会場入り。大きなスピーカーもあるステージが前方にせまる。指定された席につきしばらくすると司会のOさん、Hさんの開始のあいさつでいよいよ交流会がスタート。
まずは今回の参加者の自己紹介から。参加者が40人ということもあり簡単なあいさつだけで済み、進行も流れるように進む。
そして ここからが交流会の本番。急遽用意された大林映画Goodsのオークションとなった。
まずは それに先立ち「あした」に登場した”呼子丸”再建計画の趣旨説明をオークションの司会をされる尾道市役所職員、花本さんから受ける。(呼子丸は映画公開以降、向島のバス停近くに接岸保存されていたが昨年、突如船が沈みあえなく解体処分されてしまったのだ。)今回は 大林映画の象徴でもある呼子丸の8/1縮小 モデルを建造し保存していくという計画の一環としてのオークションで 全額それに充てられるとのこと。
さぞや高額な取引となるかと思ったが 主催者の意向で金額は低く抑えられ全商品それぞれが希望した者の手に渡っていった。
白熱したオークションの後は、大林監督から我々に寄せられたビデオメッセージが後方のスクリーンに映し出された。監督から聞く「ふたり」の思い出話は 近日発売される「ふたり」DVDの特典映像よりもある意味貴重なものかもしれない。また最新作「なごり雪」の事も話されてOBsにとってはとても興味深いものでした。
拍手の中、監督のビデオメッセージ上映も済み今度は「ふたり」の原作者 赤川次郎氏から文書によるメッセージも紹介された。それは著作の中で「ふたり」を特に大事にされてきた赤川さんの作品への愛が強く感じられるものでした。
熱いメッセージ紹介の後は前述した「ふたり」など 一連の大林監督作品のDVD化を押し進めていらっしゃる(株)トリプルドメイン社長・芝原靖史氏がステージに立たれた。
主に「ふたり」DVD、及びメイキングDVDについてお話され、ここで「ふたり」DVDの特典映像(未公開映像及び、中嶋朋子さんが歌った「わたし、いないの」PV(Promotion Video))が我々OBsに本邦初公開された。
「わたし、いないの」のPVは今回、DVD化にあたり監督自ら映像を編集されたという力作で「ふたり」の印象的な名シーンが紡がれていた。それに映画本編ではカットされた未公開映像には個人的にはとても驚いてしまった。「あのシーンの前に こんなシーンがあったから、ああなったのか」(内容はDVDで確認してください) と頭の中で映画を再構築して納得してしまいました。自分にとってはちょっと衝撃的でありました。
DVDの映像紹介の後は今回の交流会で一番盛り上がると思われたクイズ大会へ。 テーブルで指定されたチーム対抗のクイズ大会であった訳ですが OBsが作るOBsの為のクイズということでそんな簡単な問題など出るわけはありません!!
一応、難易度ごとに三ランクに分かれていたものの 後半などはもう「カルトQ」の域に達していました。
例えば「さびしんぼうに登場した渡船の名前は?」(答え:福本渡船)という簡単な問題から 「映画 ふたりで千津子が亡くなった日はいつ?」(答え:1988年10月27日)と映画では直接表記していない難問まで出され チーム間でかなりエキサイト。その結果、自分が所属するチームは4チーム中、2位となり私は10年以上前の監督のサインをゲットすることが出来たのでした。


とっても盛り上がったクイズ大会の後は ステージに椅子が用意され尾道映画を長年支えてこられた「こもん」のマスター大谷さん、先程もご一緒だった吉田さん、大道具の太田さん、山陽日日新聞の幾野さん(あの映画監督、森崎東氏の甥っ子さんだそうです)らが登場された。
特に太田さんは 美術監督の故薩谷和夫さんと共に大林映画を支えてこられたファンにとって『伝説な人』なので ここでお会い出来るとはなんてすばらしいことでしょうか。
ステージでは大谷さんから順に大林映画や監督との関わりを絡めながら自己紹介されていったが流石みなさん ベテランの地元スタッフだけあってお話する内容が面白い。ここではあまり詳しいことは書けませんが色々撮影での裏話が聞けそれだけでも今回の「千津子記」に参加した甲斐があったというものです。
大谷さんからは さきほど花本さんもお話された「呼子丸1/8再建計画」について補足説明があり、実は呼子丸が知らず知らずに太田さんとも少なからず縁があったという話に及び 色々なことが映画が縁で繋がっていることに我々は感動したものです。


交流会ではその他、昼間撮影した事故現場での再現ビデオの上映などがあり、「草の想い」の合唱の後、最後に全員そろっての記念撮影で幕となった。そして、みなそれぞれ明日のことを期待に胸膨らませながら宿へと戻っていったのだった。









続き