「バトルロワイヤル2001」(ミニレポート)

 

 2001年3月11日、関西学生日本史連盟の主催で行われた「バトルロワイヤル2001」のミニレポートです。
 最近はあんまり長い文章書けないので(第6回「日本史王」もまだ書き終わっていない…)、要点要点を絞ってレポートしたいと思います。

 

1.まずはリザルトから

 優勝。競技日本史3連覇達成。あ、これだけじゃダメですか? ではもう少しだけ細かく。
 1Rペーパー、相変わらずヘボいミスは散見されたものの(なぜ「三内丸山遺跡」が出てこない…)、なんとか予選4位でシード権獲得。でも、2Rもやってもよかったような気もほんのちょこっとだけ。2R、そんなわけでシードされたので出ていない。3R早押しボード、第1組目、怒涛の1位通過。「現在では出光美術館が所蔵してお/り…」「伴大納言絵詞!」の単独正解がハイライト。気持ちよかったー。前夜に見直したRyu杯の問題につけといた解説とモロにカブってくれたもんなあ。そんなわけでカンじゃないです。
 ただ、そこからは、またも苦戦の数々。4Rボードは2位通過。1位取れなかったのは痛恨だけど、まあ上出来と考えるべきか。準々決勝、これはまあ後ほど。準決勝、序盤でかなり優位な立場を作ることができたのにもかかわらず、中盤モタつく。不本意。そして決勝、50問限定の間に10点取ることができなかった。心残りでしょうがない。対戦相手の亮には勝ったものの、出題者の友澤くんには勝てなかった、そんな感がしてやまなかった。そこらへんの気持ちがインタビュー時の「…手放しでは喜べない」という一言の背景にあったわけです。
 確かに、勝つことができた。それについてはとても嬉しい。ただ、遠征前に自分で設定した「どのラウンドもぶっちぎりで、圧倒的な強さを見せつけて勝つ」という目標は達成できなかった。「圧勝」じゃなくて「辛勝」。そんな事実が、僕の優勝した嬉しさに1点陰を落としていたのも、また偽らざる心境だった。

2.大会について

 よかったと思います。前半にルールがスコアラーに徹底されていなかったなど多少バタバタした面はありましたが、それでも実質的に1人で準備してこれだけの大会を実施できれば大したものだと思います。胸を張っていいと思うよ、友澤くん。
 こういう個人で企画するオープンの場合、サポーターがどれだけサクサク協力してくれるかで大会は良くも悪くもなってしまうんだけど、今回サポーターを努めていたRUQS勢の当日の動きは…まあ、充分合格点かな。前半はちょっとモタつき気味な部分もあったけど、後半はそんな部分は見受けられませんでしたし。まあ、このへんのモタつきは、主催者とサポーター、どちらに非があるとも一概には言えないんですけれどね。自分が大会やるときはサポーターのみなさんに伝えるべきことはちゃんと伝えなきゃいけないなと思いました(今回の大会がそうじゃなかったって言ってるんじゃないよ、念のため)。「個人杯は、サポーターあってのもの」を再認識させられ、「Ryu杯」でサポーターになってくれたクイズ部のみなさんに改めて感謝して、内心密かに頭を垂れた次第。
 今回の大会は、「競技日本史界の最強を決める」というコンセプトからか、ルールとかで一昔前の「久保杯」を下敷きにしたところが数多くあったけど、それはまあ「そのルールが完成されたものであるならよいのでは」と思います。準々決勝、準決勝、オリジナリティはなかったけど、とても盛り上がったのではないでしょうか。どの対戦も白熱してたように思いますし。
 あ、そうそう。最後に。クイズ侍くん(本名知らない。ゴメン)の司会はよかったよ。飄々としてて。個人的にはかなりツボにハマったなあ。

3.例の準々決勝の勝負について

 自分としては、今回の大会はこれに尽きます。「精華杯」での対手塚くん戦、第6回「日本史王」での対友澤くん戦に匹敵する、いや、ヘタしたらそれを凌駕する勝負だったと思います。その後に戦った前田くんと亮には申し訳ないけど。
 問題数としては、たったの11問。「日本史王」の4分の1弱です。でも、すっごい濃い戦いでした。「もう1度こんな勝負をしろ、そして勝ってみせろ」なんて言われても、多分2度とはできないと思います。13年のクイズ歴のなかで、多分ベスト5に入るぐらいの、忘れられない勝負になってくれました。
 というわけで、この準々決勝だけは、ぜひぜひ記録として残しておきたいので、以下に詳細にレポートします。

4.再現ドラマ

 (この項未完・つづく)

  

 

 

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