第6回「日本史王」

 

 2000年7月2日、立命館大学OB千馬洋毅くんの主催で行われた第6回「日本史王」の観戦記です。
 オープン参戦記を書くのしばらくぶりだ…。なにせ、出てないからねえ、オープンに。

 

1.プロローグ

 1999年10月24日。
 立命館大学恒心館731教室。

 手塚聡くんは6−6から一気に3連取を決め、あっという間にリーチをかけてしまった。
 対戦している僕の胸の中に「敗北」の2文字が色濃く浮かんでくる。
 しかし、そこから状況は動かない。スルーは多発。いくつか僕が誤答し「万事休す」と思われた問題もまた、手塚くんの「…分かりません」の一言によってスルー扱いとなっていった。
 その間隙を縫って「梅田雲浜」「善隣国宝記」を拾い、8−9の1点差に。そして、31問目、「隠元隆g」を正解し、遂に9−9のタイ。こうなったら、全てを天に任せて次の問題を待つのみ。
 「三河長篠城主奥平信昌の家臣で、1575/年に…」
 僕のランプがついた。ある程度自信のある押しではあったけど、確信までではなかった。
 おっかなびっくり、小声で答える「…鳥居強右衛門?」
 正解のチャイムが鳴る。
 それ以降のことはあまり覚えていない。どんなガッツポーズを取ったのか、司会の丹治くんのインタビューに何と答えたのか。
 第1回「精華杯」。
 僕が欲しくて欲しくてたまらなかった「最強の日本史王」という称号を手にした瞬間だった。

 あれから9か月。
 再び「オンリー日本史」のオープンが開催されるという。
 クイズ休止中の身とあっても、日本史系の大会だけは別。
 「精華杯」とは別個の大会なので「ディフェンディング・チャンピオン」として臨むわけではないけれど、やはり今回も狙いは1つ。
 いかに「はかなくも、美しい花」を咲かせることができるか。
 そこにこだわって、勝負を繰り広げることができれば…。

2.上洛物語

 さて、大会前日。土曜日はわしは勤務日。この日は仕事的に休みの取れない日だったので、17時までたっぷり仕事をこなして帰宅。
 で、「精華杯」のときは朝1番で当日輸送をかけたんだけど、今回は余裕を持って前日輸送をすることに決めていた。前日に少しでもゆっくり寝ときたかったからね。いや、「気合入ってた」わけでもなんでもなくて、単に「ここんとこ体力低下が著しい」のがその主たる理由であって…悲しい。
 家に帰って、着替えて、既にまとめていた荷物を片手に出発。道中大したトラブルもなく、スムースに新横浜に到着。新幹線は時間的にかなり余裕を持って遅い便にしていたので、新横浜についた後のーんびりすることができた。で、遅めの夕食を取ることに。ヒレカツ弁当。いや、別にゲン担いだわけじゃなくて。空腹に耐えかねて、新幹線を待っている間にあっという間に平らげる。
 新幹線の車中では爆睡。ホント、寝ているうちに気づいたら京都に着いてた、って感じ。こんなに京都までの道中を早く感じたのも珍しい。ていうか、爆睡するぐらい疲れてただけなのかもしれないけど。途中、名古屋駅に着いた記憶ないし。
 京都駅。「精華杯」のとき以来。しかし、この駅ビル、いつ見てもミスマッチだよなあ…。いや、ビルとしてはすんごいビルだし、綺麗で快適ではあるんだけどさ、やっぱり「古都・京都」の玄関口としてはいかがなものかと思うよ。「同志社オープン」のときからずーっと思ってたけど。
 さて、この日の宿にバスで向かおうと、バス乗り場へ。宿の最寄のバス停「堀川下長者町」は、奇しくも「立命館大学行」に乗っていくところなんだけど…遅かった。まさに1分前に最終バスが出た直後。バッド運。いや、京都って終バス早いのね。
 仕方なく、タクシーで宿まで動くことに。途中通り過ぎた西本願寺や二条城はライトアップされていた。知らなかった。ちょっとだけ感動。横目に見ながら進むと、そこにはくだんの立命館大学行の終バスが。あっさりオーヴァーテイク。ありゃりゃ。そりゃないってもんですぜ。
 荷物を置いた後は、近所のローソンで買い出し。カミソリや歯ブラシなどの日常雑貨から、飲茶楼、たらみゼリーなどの食べ物まで。この飲茶楼にはオマケの「モーニング娘。マスコット」がついていた。で、買って帰ってきたペットボトルを手に取ってみると、ついていたのは…偶然にも保田圭。これを明日への予兆としてどうとらえればよいのであろうか?

3.宴の前

 翌2日。起きたのは9時。おかげでいーっぱい睡眠時間取ることができた。当日輸送なら5時起きだったところだよ。うん、頭はスカっとしている。結果はどうあれ、ベストだけは尽くせそうなノリになってきたな。
 宿を引き払い、「堀川下長者町」バス停から立命館大学へ。車中に知った顔がいないかどうかビクビクものだったけど、確認した限りではいなかった模様。いや、もしかしたらわしが知らないだけで乗ってたのかもしれないけど。
 バスの座席に腰掛け、いろいろと考える。思い起こせば、これが自分にとって20世紀最後のオープン参加になるんだよなあ…。年末に「Ryu杯」無事に実施することができたら、21世紀にはもうちょっとだけ関東のオープンにも出てみたいもんだな…。でも、そんな時間あるのかなあ…。
 …とまあ、そんなことを考えているうちに、車窓には北野天満宮。おお、こんなところにあったのか。密かに手を合わせる。お願いしたのは2つ。今日の自分自身の健闘と、そしてあと1つはナイショ。
 さてさて、バスは渋滞にハマることもなく順調に行程を進んでいき、開場時間より若干早いくらいの時間に立命館に着。しかし、いつものことだけど、立命館ってどこに何ていう建物があるのかビジターには分かりづらい。今回も田舎者っぽくウロウロキャンパス内をさまようハメになる。
 開場までまだ時間があるので、近所に時間ツブせるところを探す。ゲーセン発見。最小の金額で長時間遊べるゲームといったら…そりゃクイズゲームしかない。おあつらえ向きに『マイエンジェル』を発見。100円で30分くらい時間ツブす。よしよし。もういい頃合いだろ。いざ行かん、戦いのステージへ。

4.法螺の音

 改めて、立命館大学の以学館(だったっけ?)へ。会場となる3階(だったっけ?)に着くと、既に受付は始まっていた。「精華杯」のときにもちょっとお話したことのある立命館の女の子にルール表をもらい、教室の中へ。
 中に入ると、「精華杯」の主催者である友澤くんの姿が。さっそく、問題集に掲載する優勝手記の締め切りを落としてしまったことをお詫びする。で、少し世間話をしたんだけど、そこで彼の口から、手塚くんが公務員試験とバッティングしたために今日は欠場するということを聞かされる。衝撃。はっきり言って、今回の自分のモティヴェーションの半分は「手塚くんとの再戦」にあったと言っても過言ではなかった。前回の勝負は「試合にこそ勝ったものの、内容的には惨敗」だったと自分としては思っていた。今回、勝っても負けても、再び手塚くんと勝負がしたかった。「日本史で自分にかなうヤツなんているはずない」と思い上がっていた自分の鼻っ柱をカツンと叩き折り「自分以外にもこんなに強いヤツがいたのか…」と骨の髄まで思い知らせてくれた手塚くん。再戦がかなわなかったのは残念だったけど、まあ、いずれかの機会に…。
 となると、今回最大の強敵となるのは…彼だ。今自分の目の前にいる、「関西学生日本史連盟会頭」を自認する友澤くん。その実力のほどは、「精華杯」で出題された問題群でも、「乾坤一擲杯」の問題集でも充分すぎるぐらい垣間見ることができる。はっきり言って、自分が勝てるという保証はどこにもない。惨敗するかもしれない。でも、勝ち負けは別として、強い相手と戦えるのはとても楽しみだ。ワクワクしてくる。今回の決勝でも、できれば友澤くんの隣に自分がいられれば…。
 メールで何回かやり取りしていた主催者の千馬くんに挨拶。そして、会場を見渡すと、ムレネコもいる。「…最近やる気ねーらしーじゃねーか(笑)」「…あなたに言われたくない(笑)」というさわやかさのカケラもないやり取りを経て、自分の席を決め、そこでビデオカメラを広げる。こんなん持ってきて2Rでコロっと負けたらカッコ悪いなあ…。せめて、準々決勝ぐらいまでは行かないと…。
 会場が暗転し、BGMが流れる。千馬くん入場。カンタンな前フリがあった後、すぐペーパーへ。問題は基本問題が大半。しかーし! 恐れていた事態勃発! 記憶障害のストーム! ペーパーを解きながら「なんでこんなんが出てこないんだよ!」と1人自分で自分自身に憤っていた。取ってしかるべき問題をムザムザと何問も落としてしまう。それにも増して、今回は特にケアレスミスも多かった。その最たる例が、「仁徳陵の正式名称は『大山古墳』。では、応神陵は?」という、超得意ジャンルともいうべき古代史問題(←ならなぜ「履中天皇陵」?(笑))で、「誉田御廟山古墳」を「誉田山御廟古墳」と入れ替えてしまい誤答扱いとされてしまったこと。模範解答を見たら「誉田山古墳」だけでも正解になっていた(注.最近の考古学会の動きでは「御廟」という2文字が追加される流れにあるらしい)。くっそー、余計なことするんじゃなかった。さらに1点損した。
 かくして、結果発表。ダントツ1位の友澤くん、日本史に自信ありの登里くんに負けたのはまあしょうがないとしても、総合5位で、2Rシードを逃してしまう。相変わらずのペーパー弱者ぶりだ。競技日本史系オープンでもシード取れないんじゃ相当重傷だ。もしかして…「昨日コンビニで手に取った飲茶楼のマスコットが保田だった」ってのは、このことの予兆だったのか。「不幸の始まりだあー!!」((C)野比のび太)じゃなきゃいいけど…。

5.名刺代わり

 てなわけで、ノンシード組となった僕は、すぐさま2Rの2○2×に臨むことになった。とはいっても、6人中5人抜けだから、まあお気楽極楽であることは正直否めない。ここで負けるなんてカケラも考えられない。チンタラやったって、自分なりのいつもの押しを維持できれば、少なくとも勝ち抜けだけなら固いだろう。かえって「いっぱいクイズできるからいっか」ぐらいの気持ちだった。シード落ちのショックはもはやほとんどないに等しかった。
 1問目の「坂上田村麻呂」(注1)、2問目の「高山右近」はともに押し負け。まあ、ゆっくりいこう。3問目、「最初の夫が和泉守橘道貞、父が式部丞/大…」ランプがついた。え、「和泉守」と「式部丞」だろ? いくらなんでも「和泉」と「式部」と来たらそれは…「和泉式部」。正解(注2)。ナイスカン…って、カンと言ってしまっていいのか? これだけまんまなのに。とりあえず、1ポイント取った。よしよし。ますますゆっくりいこう。続く4問目、「1186年7月29日に男児を出産したものの、源頼朝に/取り…」うわ、ゆっくりいこうと思った矢先に自分向きの問題が振ってわいてきた。単独押しになった。答える「静御前」。正解(注3)。1抜け。
 結果として、問題に恵まれた感もなきにしもあらずではあるものの、今回もキッチリと1抜け。よしよし。締めるところキチっと締めたし、とりあえずのメンツは保たれた。「いやお強い」とムレネコにからかわれつつ退場。じゃかましいわ(笑)。さてさて、3Rはどこのコーナーに行くとするかな?

(注1)「…日本初の征夷大将軍」って問題文にあったけど、日本初って「大伴弟麻呂」じゃなかったっけ?
(注2)問題は「…式部丞/大江雅致であったことからその名がつけられた」と続く
(注3)問題は「…頼朝に/取り上げられ、由比ヶ浜に捨てられてしまった」と続く

6.やりすぎ

 というわけで、3R。結局、3つあるコーナーのうちの2つ目の「アタック風サヴァイヴァル」を選択。そのこころは…あとの2つのコーナーがいずれも15問限定だったのに対して、このコーナーだけ30問限定だったから。せっかく遠いところをやって来たんだし、1問でも多く問題をこなしたかった。「精華杯」でちぎって勝った「早押しボード」にしようかとも一瞬思ったものの、問題多くやりたいという心からの欲求には勝てなかった。友澤くんがよそのコーナーを選んでくれたのを確認しつつ、予定通りアタサヴァへ。
 この3Rでは、いずれのコーナーも7人中5人抜けという超大盤振る舞い。ということは、前の2R同様、よっぽどのヘマをしでかさない限り4R進出はカタい、と正直思っていた。でも、前のラウンドと心理面で決定的に違った点、それは「何が何でも1位で勝ち抜ける」と気合が入っていたということ。それも、ただ1位で通過するだけじゃなくて、スコア面でも、勝負内容面でも、他を寄せつけないぐらいの強烈なインパクトを与えたうえで勝ってやろう、と目論んでいた。痩せても枯れても自分は精華杯チャンプ。勝ち抜けがある程度カタい以上、ここではその勝負内容がより問われる局面だと自負していた。
 メンバーを見ると、登里くん、橋本くんと西の強豪がエントリーしていた。日本史に強いと評判で、上野をしてかつて「Ryuさんと登里くんの対戦を見てみたい」と言わしめた登里くんと念願の初対戦を迎えることになった。これは我がことながら楽しみ。また、橋本くんは、言わずと知れた全日本ラストチャンプ。普通のクイズなら今現在の自分では逆立ちしたって勝てる相手ではない。現代クイズっぽい問題を持っていかれないように気をつけないと…。

 (以下未完・つづく)

 

 

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