「PRIDE-3」(ミニレポート)

 

 2003年3月22日、慶應義塾大学クイズ研究会の主催で行われた「PRIDE-3」のミニレポートです。
 ホントにちょこっとだけ。

 

1.当日のRyu、総括

 予選55位、ブービー通過。これに尽きる。例えば遠藤聡さんと春日が参加してたらそれだけで予選落ちだったってことだぞ。こんな体たらくじゃ何も語る資格はない。まず一層の奮励努力を自分に課す。
 とにかく、恵まれ過ぎた。要所要所で自分向きの問題が出たことに助けられた。準決勝パート1の「F1系2問」とか。差し込みかと思ったくらい。他のジャンルの問題では準決勝パート1以降は身動き取れなかったもんなあ。いかんいかん。
 「試合に負けて、勝負に勝った」、そんな勝負の連続。ふがいないところ見せ続けて申し訳ありませんでした。今の自分は、準決勝パート2で秋田がアンパイだと思って微笑みながら指名するぐらいの力しかないってことなのでしょう。ていうか、俺が秋田ならやっぱりノータイムで俺を指名したし。勝負ならそれは至極当然のこと。

2.例のコーナー別最終問題に関連して

 もう、かびすましいぐらいに各所で語られているそうですね。一応、当事者の1人たる私としては、あのときのマギーさんの押しについては何も語らないでおきます。自分が同じ立場だったらどうしたかも含めて。
 自分が井田くんに申し訳ないなあと思うのは、そこでタナボタ同然に勝ち上がったという点ではなく、別の点。その後の勝負で、「もし俺が残っていれば、Ryuみたいなあんなふがいない勝負はしない」と井田くんに思わせてしまったかもしれないようなヘボい勝負しか自分が見せることができなかったということに対して(井田くんが本当にそう思ったかどうかは別問題として)。後ろめたいことこのうえない。「井田くんだったらもっと早く勝ち抜けしてたかなあ…」なんて後から思うと、次に会ったときに何て言葉をかければいいか分からない。
 これは、井田くんに対してだけじゃなくて、準決勝パート1で破ったヨーくん、仲西くん、木谷に戸田くん、コーナー別で破ったマギーさんや水島くんたち、2Rで破った多くの人たちに対してもそう。みんなが納得してもらえるような内容の勝負を見せられなくて申し訳ありません。重ねてお詫びします。なんか謝ってばっかり。

3.とはいえ…

 こういう「誰もが認める難問大会」でベスト8まで残ったのは初めてだったので、内容のふがいなさは猛省するにせよ、単純に結果を嬉しく思う自分がいるのもまた偽らざるところ。
 5年半前の「K−1」では予選落ちだった。そこから考えると、まがりなりにも準決勝パート2まで残ることができたというのは、1つの結果としてはささやかな自信を持っても許されるだろう。
 とはいえ、これだけで満足しているようなら、所詮はそこまでの男。まだまだ満足なんてしないし、納得なんてしていない。コンスタントに結果残していかないと「フロック」「1発屋」ってことになっちゃうし。それ以前に「準決勝進出で満足」じゃ、あまりにも志が低すぎる。

4.これからどうするドッコイショ

 心の中で火がついちゃったからねえ…。残された時間は少ないけど、もう1度、やれるところまでやってやりますよ。過去の実績なんてくそくらえ、今を戦っていくクイズ屋たれ、そう自分に言い聞かせて。我々ヴェテラン勢は「誇りを失ったら終わり」ですからね。
 なんかやけにテンションの低いレポートで申し訳なかったけど、最後は前向きな発言でシメ。うまく帳尻合ってくれたかな?

 1つ余談。準決勝パート1で、Ryuらしからぬジャンルの問題で正解出すことができた「ピルゼン(かいつまんで言えば「ピルスナービール発祥の地」)」。タネ明かしをすると、今を去ること12年前、第19回森屋杯で山崎淳也が出題した問題だったんですよ。そのときの問題は国名の「チェコスロヴァキア(当時)」を尋ねるものだったんだけど。長く続けてりゃいつかはいい目を見ることもある、ってことで。てなわけで、そのとき現場にいた後輩たちよ、これ見てたらメールの1通でもおくんなまし。

 おっと忘れてた。スタッフのみなさん、お疲れさまでした。仕事ほっぽらかして参加した甲斐のある大会でした。ありがとうございました。

(「PRIDE-3」(ミニレポート)完)

 

 

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