「タイムショック21」参戦記(その1)

 

 2002年5月5日、「タイムショック21」の収録に行ってきました。
 結果は…まあ、ご覧いただけた通りです。
 そのときの様子や心境など、思いつくままに書きたいと思います。できるだけ舞台裏にまで筆致が及ぶよう努力します。

 

1.プロローグ

 「なんだ、このイスって、高い高いってみんな言ってたけど、思ったより高くないじゃん」。
 それが、あの席に実際に座ってみての私の感想。
 こう思えた時点で、時の女神は自分に微笑んでくれるようになったのかもしれない。

2.タイムショックと私(大昔編)

 タイムショックとの付き合いは、こう見えてけっこう古い。
 1番最初の記憶は、なんと田宮二郎時代。今から30年以上も前のこと(!)。
 当時幼児だった僕は、あの恐怖感あおりまくりのオープニングに恐れおののいて泣きわめいていたそうである。
 毎週毎週。
 自分とこのガキがそんなにおびえてるんだから見なきゃーいーのに、うちの両親は毎週欠かさずタイムショックを見ていたらしい。よくよくクイズ好きだったのかな。今となっては確かめようにもはぐらかされるばかり。
 そんなこんなで、タイムショックについての僕の最初の記憶は「ただただコワかった」ということになろうか。

 その後、小学生になった僕は、オープニングにおびやかされることもなく、両親と並んで毎週タイムショックを見るようになっていった。
 その慣習は、高校生になるまで続いていったのである。
 しかし、高校生になった頃、同じ木曜19時の枠で放映していた裏番組にハマり、タイムショックは全く見なくなってしまった。
 そして、いつしか、タイムショックがひっそりと番組表から消えていたのに気づいた。
 大学生になったら出ようと思っていたのに、浮気したのがいけなかったんだろうか。
 がっかり。
 ちなみに、その裏番組とは…『北斗の拳』(笑)。

3.タイムショックと私(それなりに昔編)

 さて、大学生になって、早稲田大学クイズ研究会に入会してから1年半が経過した89年10月、終了してから数年が経過していたタイムショックが復活した。結局、この復活版は、わずか半年、2クールで再び姿を消すことになったのだが、その最終回、「100人のタイムショッカー編」と題したスペシャル版にお呼びがかかって、早稲田の面々10人弱とともに出場することになった。これが自分にとっては「TVデビュー」だったので、喜び勇んで六本木のテレビ朝日スタジオに出掛けたのをよく覚えている。
 ルールは、100人で早押しを行い(!)、1問正解でタイムショックに挑戦、誤答は即失格、というキビしいものだった。チャンスを待っていたらいつまでたってもイスには座れない。さりとて早まってしまうと取り返しつかなくなる。なんともいえないジレンマ拷問状態だった。
 1問目を能勢さんが正解し(彼はこの後「99人に早押しで押し勝った男」を自称するようになる(笑))、その後も次々と早押し正解しタイムショックにチャレンジする人が出てくる。今にして思えば、若さゆえの焦りがあったのかもしれない。「今年、平成2年は西暦1990年ですが/、…」という、なんともバカ丸出しのムチャ押しをしでかしてしまう。今の自分なら、こんな押し若者がしでかしたらどんなバリゾーゴンを浴びせかけることやら…。なーんも問題文の続きが思い浮かばず、苦し紛れに「…2650年(皇紀(笑))」と言ってみたものの、もちろん誤答。ちなみに、問題は「…昭和が始まった年は西暦何年でしょう(正解:1926年)」と続いたのである。
 名前もテロップで紹介されなければ、誤答の様子もオンエアされない(わずかにエンディングに失格者の様子を次から次へとフラッシュで流した場面でほんのちょこっとだけチラっと写った程度)、という、ほろ苦いTVデビュー戦となった。ちなみに、同じように「TVデビュー戦だったのに失格し、その様子が全く電波に流されなかった」という苦い思いをした同士のなかに、当時一橋大学2年だった草間がいた。後に知った話。

4.タイムショックと私(ほんのちょこっと昔編)

 さてさて、大学を卒業し、TVにも何度も出演を果たし、それなりに結果も残してきて、それでいてクイズに対する熱も若干沈静化を見せ始めていた2000年、タイムショックが3たび復活した。そのタイムショックに出場しないかと誘いがあった。僕に声を掛けてくれたのは、早稲田の先輩である新崎盛吾さん。新崎さんによくよく話を聞いてみると、「早稲田Q研OBのなかで、先代(あるいは先々代)タイムショックに出場した経験のある5人を集めてリヴェンジを図ろう」というコンセプトでチームを編成したいとのことで、前回何もできずに高木ブーの如く敗れ去った僕に白羽の矢が立ったという。他のメンバーは、先輩の西脇正純さん(85年マンオブチャンプ)、西嶋多聞さん(言わずと知れた早稲田Q研の生き字引き)、後輩の三浦潤司(僕の1コ下で、門口浩一や山崎淳也と同期)。新崎さん、タモンさん、三浦は優勝経験者。いや、僕が知らないだけで西脇さんだって先々代時代に優勝しているかもしれない。つまり、そうなると「負け小僧」は僕だけ、なのである。正直ちょっとだけ肩身が狭かった。けど、今現在の僕を評価してくれてメンバーに加えてくれようというのは素直に嬉しかった。というわけで、一も二もなくお誘いを受け、いざ神谷町まで面接にはせ参じたわけである(ちなみに、当日の2000年9月23日というのはクイズ部葉山合宿の初日で、しかも自分は例会の企画担当者だった。そんな自分を快く面接に送り出してくれたクイズ部のみんなにここで改めて感謝したい)。
 50問の筆記予選を経て、5人まとめて面接。そこで、みんなかなり筆記ができていたことを知る。僕が45点ぐらいだったかな。でも、1番できたのは西脇社長。46、7点は取っていたはず。さすが。
 しかし、この当時のタイムショックは明らかに「その筋の人(=クイズ屋)お断り」という雰囲気がスタッフの間にプンプンしていた。「クイズ屋さん大集合」になっている昨今からは想像もつかないけど。結局、このチームで収録に臨む機会は遂に訪れなかった。まあ…みんなして筆記取りすぎたのかもしれないなあ(笑)。
 そんなこんなで「ケッ。別に『クイズ屋お断り』ならそれでいいよ。出てやらんし、見てやらん(←なんと尻の穴の小さいヤツ…)」とばかりに、僕はこの番組は見ないようになっていた。その間、誰が出ようと、彼が高額賞金をゲットしようと、てーんでお構いなし。猫の目のように変わるルール改正もどこ吹く風。てなわけで、ずーっと番組にソッポ向いたまま、アタック25のイタリア・パリ旅行からの帰国直後、あの運命の(というとちとオーヴァーだけど…)2001年12月3日を迎えることになるのである。

5.そしてめぐり合い

 その頃になると、タイムショックの制作サイドも若干軌道修正し、「その筋の人お断り」的な雰囲気はだんだんと影を潜めるようになってきていた。で、知り合いも少しずつ出場を果たすようになってきているとのことだった。とはいえ、実際に放送は見ていなかったので、噂で聞いただけの話。
 「へえ、風向き変わってきたのね。でも、過去のいきさつがあるからなあ…。出るのはどうかなあ…」と思っていた僕の偏見を、あっという間に打ち砕いてくれた放送、それが12月3日OA分だった。
 登場したのは「寿司屋ドリーマーズ」の名を借りた、新潟クイズ○○会の面々。メンバーのなかに早稲田の後輩であるMUこと木下和彦がいるとのことなので、彼に義理立てして久しぶりにこの番組を見ることにしたのだが、何と言ってもインパクトが強烈だったのは、リーダーの平沢辰好さんという方(この方は新潟の会長もしていらっしゃる)。実は、僕は以前某草クイズで何回か彼とご一緒させていただいたことがあったんだけど、そのあまりのいい味出し具合に、僕や深澤、クロスといった面々は1発で彼にノックアウトされていた。彼の「いい味」については…もう言葉では説明できない。新潟の面々にでも聞いてください。
 で、12月3日の様子に戻る。オンエアを見るや、ソッコーで深澤のPHSに電話。「深澤、深澤、深澤、見てるか!? 新潟の寿司屋の大将(←極めて失礼な言い方ですが、うちらは彼のことこう呼ばせていただいてました)出てるぞ!」「見てますよ。『うちは回転寿司じゃねーんだ!』、相変わらずいい味出してますねえ」なんてライヴで語り合いながら放送見たりなんかして。
 とかなんとかしながらずっと放送見てたんだけど、そのうち、ふっと思った。「…へえ、タイムショック、じっくり見たの事実上今日が初めてだけど、思ってたよりずっと面白いじゃん」。番組に引き込まれまくってる自分がそこにはいた。ただ夢中で見ていた。もはや1年前のわだかまりはなかった。
 そして、放送終了後、ふつふつと沸き起こる気持ちを抑えられなかった。
 「…クイズ部でこの番組に出たい!」。

6.歌えなかった歌

 腹を決めると、自分は行動は早い。
 早速、番組終了後すぐに能勢さんに電話して「クイズ部でタイムショックに出よう!」と誘ってみた。
 能勢さんからも快諾をもらい、とりあえずメンバーを集めることにした。その結果結成された「クイズ部ドリームチーム」、そのメンバーとは、能勢さん、僕の他には、準決勝のジャンル別タイムショックに備えてスポーツに絶対的な自信を持つ宮坂望さん、若いながらもキャリア・実力ともに満点の深澤岳大、そして紅一点として「女だらけのクイズ大会」での優勝経験もある小川マミ嬢の5人。手前味噌で恐縮だけど、とてもバランスの取れたメンバー構成だったと今でも思っている。
 その後、この5人で時事問題をメールで出し合ったりして、出場に備えてずーっと調整を続けていた。「ホノルルチーム参戦」の噂を聞きつけ、対決を避けるためにエントリーを遅らせたりしたものの、2月23日にインターネットでエントリーを完了。その間、2か月の間絶え間なく時事問題をメールで送り続けてくれた能勢さんと宮坂さんには本当に頭が下がる思いである。
 一方、メンバーの間で想定していた僕の出番は、最初の4チーム→3チームへの絞り込みの際のタイムショック。トルネードスピンする相手が出るかもしれないけど、余裕を持って次のステージに進むためには10問以上の正解が望まれるところ。それに備えて、出ると決めてから、毎回毎回番組をビデオに録画し、実際の出題に合わせて1分間で12問を解く訓練を続けてきた。まあ、調子が出ないときには8問なんてこともあったけど、平均してコンスタントに9〜10問、問題によってはパーフェクトも取れるようなペースで調整は続いていた。これだけやったんだし、これだけのメンバーが揃ったんだし、必ず1000万円は取れるはず! 僕はそう信じていた。
 しかし、スタッフからの連絡はその後なんもなし、おかしいなあ…と思いつつ、日本史Ryu杯の準備に追われていた3月21日、能勢さんから衝撃のメールは届いた。

 「タイムショック… どうやら4月から個人戦になるようです」。

 …目の前の目標が1つ消えたような気がした。かくなるうえは「個人戦に目標をシフト」しかないんだけど、現実にはメールをもらうや否やすぐさま個人戦のエントリーをしたんだけど、それでも…できることなら、せっかく何か月も一緒に頑張ってきたこの5人でぜひ番組に出たかった。2月に出場して優勝を収めたホノルルチームの話を聞くにつけ、団体戦特有のチーム一体となった感動を我々も味わいたかった。でも、それはもはや叶わぬ夢。
 今日までの仲間が明日以降はライヴァルとなることになった。でも、気持ちを切り替えるしかない。こうなったら…目標は個人で1000万円取ること。

7.いよいよ予選参戦。出だしは至極順調

 予選会のオファーはあっちゅー間にやってきた。3月30日の土曜日。当然の如く職場は休暇を取り(え?)、意気揚々と予選会場である神谷町のテレビ朝日別館へと臨むことになる…はずだったんだけど、会場に到着したのは12時の集合時間ギリギリになってしまった。前夜遅かったからかなあ。あわや寝過ごしそうになっちゃったもんなあ。まあ、「余裕のなせる業」といい方向に考えようか。
 まず100問の筆記。当時は4択じゃなくて全問記述形式だった。やっべー、「元彌ママ」の本名が分かんねえ…。時事に疎いのもここまで来ると大問題だな。いつか自分は時事で身を滅ぼすような気がするよ。絶望的な気持ちで終了。まあ、それでも落ちることだけはないだろうけどさ。幕間はクイズ部チームの盟友だった能勢さん、宮坂さんたちとトークをしてつなぐ。で、結果発表。合格者は20人。とりあえず、知り合いは全員通過。ま、そりゃ…ね。
 続いて、実際の番組本番同様のシチュエーションで、MDに録音された問題(本当に矢島さんが読んでいる!)を1分間で12問解かされることに。足切りラインは「7問」とのこと。本番でトルネードスピン喰らう「5問以下」からは1問敷居が高くなっている。「ここで確実に7問以上正解してもらえないと、本番でもおぼつかないでしょうから」とスタッフ。キツいなあ…。ま、でも、そりゃそうかな。
 しばし待たされた後、別室に呼ばれる。「1から3のなかでお好きな番号を…」とスタッフ。選んだのは2番。「なんとなく」としか言いようがない。で、スタート。無我夢中のうちに終了。…やば、かなり辛く自己採点してるけど、6〜7問ってとこか、これじゃ微妙だぞ、「今こそ別れめ、いざさらば」はイヤだなあ、なんて考えていると、「…おめでとうございます、9問正解でクリアです」とスタッフ。ハァ…。ホッとした。カンで答えた部分がナイスカンだったのか。
 ここでのクリア率は13/20。宮坂さんはクリアしたものの、能勢さんが6問でまさかの「いざさらば」。信じられない。よっぽど波長が合わなかったのか。ショッキングな出来事だった。まあ、1番ショックだったのは当人なんだろうけどさ。宮坂さんと自分には「能勢さんの分まで」という十字架が課されることになった。
 さて、最後は面接。面接官がとてもフレンドリーなヒトだったので、いつものように終始楽しくトーク。アタックの旅行でイタリアに出掛けた話などで盛り上がる。どうせクイズ屋であることを隠してもいつかはバレるんだろうし、だったら逆に、実績と実力をアピールして、スタッフの求めに応じて堂々と出場してやるほうを選んでみた。この番組、今となっては「クイズ屋さんいらっしゃい」的な雰囲気になってきてるし。
 で、そのなかのやりとりのいくつかを抜粋。
  面「筆記はできました?」
  R「いや、全然ダメでした」
  面「? (当惑して)何点だったかはご存知ですか?」
  R「いや、7割ぐらいじゃないですか?」
  面「(笑いながら)89点ですよ。かなり優秀な成績でした」
  R「(驚いて)じゃあ、元彌ママができてれば9割正解だったんじゃないですか!(双方笑)」
 …ていうか、まさかそんなにできていようものとは。採点ミスじゃないの? 足し算間違えたとかで、ホントは79点だったとか。
 最後に「やるからには自分が1番強いという意気込みで臨みたい」「ぜひ個人戦での1000万円第1号を狙っていきたいです」と力強く宣言して、面接は幕。うーん、最近いろんなところで吹いてばっかりだなあ。まいっか。吹くだけならタダだし。
 これで予選は全て終了。あとは今後スタッフからお呼びが掛かれば晴れて「収録へ」ということになるんだけど、いかんせんそこから先も「ペーパーで50人→10人」だもんなあ…。「マタイによる福音書」もビックリの狭き門だ。まあ、もっとも、本気で1000万狙うのなら、それぐらいでビビッてたら先には進めないんだけどね。気持ちだけは強く持ち続けることにしよう。
 近所のジョナサンで能勢さん、宮坂さんたちと合流。軽く食事した後、彼らと別れて渋谷へ。この後の展開など、当時は知るよしもない。

8.待ちぼうけ。そして、オファーは突然に…

 「この後、収録は、4月7日、21日と隔週日曜日に行います。基本的には、今回面接まで進まれた方は、いつかは必ず最終予選の席にお呼びします」、と、スタッフは確かに言っていた。
 が、7日の収録にも、21日の収録にも、自分に声は掛からなかった。
 …何がいけなかったのよ。
 自問自答したけど、答えは出なかった。
 明らかにTVには向かないと思われるイタげなキャラの人間が何人も最終予選に呼ばれてて、自分が呼ばれていない。
 つまり、自分はそいつら以下ってことかよ…。
 やっぱ、とことんこの番組とは縁がないのかな…。
 だんだん自暴自棄になってきている自分がいた。

 嬉しかったのは、7日の収録に呼ばれた宮坂さんが、10問正解で見事初代の勝ち抜きチャンピオンになったこと。
 あれだけ時事問題をコンスタントに作るなど努力を積み重ねていた宮坂さんが栄光を掴むのは、ある意味では当然だと思った。
 宮坂さんにお祝いの電話を入れたところ、「自分は能勢さんやRyuさん、深澤やマミさんが挑戦してくるまで王座を守り続けたい。クイズ部の仲間同士で勝負できればこんな幸せなことはない」とおっしゃっていた。
 あくまでクイズ部の一員であること、ドリームチームの5人の1人であったことに誇りを持っていてくれている宮坂さんの姿勢が、すごく嬉しかった。
 でも、自分にオファーが来る日はあるんだろうか…。
 宮坂さんの言うように「クイズ部対決」を実現させることが自分にできるのだろうか…。
 そんなふうにテンション低かった僕に、宮坂さんはこう言って励ましてくれた。
 「…まあ、スタッフは『面接まで進んだ人は、早い遅いの差こそあれ必ず最終予選には呼ぶつもりだ』って言ってたから。きっとRyuさんは、スタッフの切り札としてキープされてるんですよ。案外、次の5月5日の収録には呼ばれるんじゃないですか」。
 そう励ましてくれる宮坂さんの言葉が、すごく優しく胸に響いた。弱気になってきていた時期だけに、本当にありがたかった。けど、5月5日かあ…。旅行に行こうと思ってたんだけどなあ、ゴールデンウィーク…。

 21日の収録。
 2本目の撮りに深澤が呼ばれているということだった。
 宮坂さんの悲願、「クイズ部対決」は、しかし実現しなかった。
 目の前で片岡の「バーン!」を見せつけられて平常心を失ってしまったのか、宮坂さんは8問正解に留まり。2週目で姿を消すことになった。
 2本目の収録、首尾よく最終予選をクオリファイした深澤の目前に宮坂さんがチャンピオンとして姿を現すことはなかった。
 そして、深澤も…。
 普段の深澤ならおおよそ考えられない歴史的ミスを犯し、チャンピオンの椅子に1問届かずに消えていった。
 仲間たちが次々と敗れ去った「時の迷宮」。
 自分がそこに辿りつく日はあるのだろうか…。

 そんな4月24日。
 テレビ朝日からの連絡は突然にやってきた。
 留守電に録音されていたメッセージは、「5月5日の最終予選に来てもらえないか」とのことだった。
 その頃はというと、病気して食事が全く摂れなくなったり、何だかんだで心身ともに弱っていた時期だったので、正直すぐに食いつく気にはなれなかった。旅行だって結局中止にしちゃったし。
 「…どうしようかなあ」と思い、返事は何日か留保させてもらった。
 宮坂さんにもいろいろと相談に乗ってもらったりした。
 迷いに迷い抜いた。

 しかし、自分の中での結論はあっけなく出た。
 「迷ってるヒマあったらまず出てみる。そんでもってダメなら再度チャレンジすりゃーいーじゃん」。
 至極単純な結論だった。
 このチャンスを逃す手はない。
 確かに準備期間はほとんどないに等しいけど。
 でも、自分の力を信じて、精一杯やってみるのみ。

 気持ちが固まりさえすれば、心中は実に晴れやかだった。
 もはや胸中に一点の曇りなし。前進あるのみ。

 宮坂さんに出場する決意を固めた旨を報告するメールの末尾に、僕はこう書いていた。
 「タイムショックはぜひなんとかしたいですねえ…。5週勝ち抜きが厳しいなら、せめて個人戦初の全問正解とか…」

9.出陣。まず目指すは予選1位

 ホントに大した対策もできずに、5月5日の収録当日を迎えることになってしまった。ただ、2本目の組で14時30分集合だったのはラッキー。おかげで、ゆっくり朝寝を決め込むことができた。入浴して身を清め、タケオ=キクチの勝負スーツ(笑)に身を包みいざ出発。
 今回の収録、最初の目標としては、とりあえずは「予選1位」だろうか。ただ、できることなら、究極の目標は、単に1位を取るだけじゃなくて、石貫がマークした464点を上回ること。それがまず自分に課せられた最初の関門だった。
 そのため、全く調整できなかった埋め合わせをするべく、行きの東海道線の車内では、大門の作った『TVクイズ番組攻略マニュアル』に掲載されていた4択問題を時間が許す限りひたすら解きまくった。中級編は茅ヶ崎から東京までの車中で全部ツブした。このおかげできっと数問は上積みできるであろうことを信じつつ。
 東京駅から地下通路を進み、大手町駅で東西線に乗り換える。大学生時代に4年間通い慣れたルート。ただ、大手町からの進行方向は正反対。目指すは東陽町駅。
 駅を降り立つと、某番組の予選で知り合ったイージオスの子たちとすれ違う。彼らは1本目の最終予選を突破できず、みんなでメシ食っててこの時間になったんだとか。「松本(裕輔)さんも2本目ですよ」とのこと。うーん…今回最大のライヴァルかな。
 さて予選会場。思ったより知り合いのクイズ屋は少なかった。1本目にはけっこう有名どころが呼ばれてるって話なのに。もしかしたら…無風区なのかな、この2本目の組って。これなら、松本さえ抑えることできれば予選1位も夢ではないぞ。
 指定された席に着き、やってくるTVカメラを向けられても平然としたふうを装いつつ、いよいよ予選開始。隣に座っていた少年がやたらと消しゴムを使いまくり、そのたびに机が揺らされたのには若干ペースを乱されたものの、それ以外は大した波乱もなく順調に問題をこなしていく。しかし、500問全部終わったのは、アナウンサーによって「残り時間1分!」が宣言されたあたりだった。あっぶねー。終わんないとこだったよ。後で松本に聞いたら、彼が500問解き終えたのもちょうど同じぐらいの頃だったらしい。…まあ、でも、とりあえず、これで落ちることだけはないでしょ。
 1本目の結果が確定するまで30分程度待たされた後(予選通過人数が何人になるかは前回の結果を見ないと確定しないので)、いよいよ結果発表。…尊大な言い方だけど、あとはいつ呼ばれるかのみ。
 「予選1位。得点432点。神奈川県、山本剛さん」。
 うん、とりあえず「予選1位」は確保したぞ。まずはよし。でも、石貫から32点遅れか…。同じ問題解いてるはずの1本目組の予選1位日高からも15点遅れらしいし。こりゃ「めでたさも中ぐらいなり」ですな。ましてや、いくら予選で好成績取ったって、本番でサッパリだったら全然意味ないんだし。
 2位は松本。まあ、順当でしょ、うちらで1−2って結果は。自分が予選で負けるとしたら松本ぐらいしか考えられなかったもんなあ。3位の魚住祐輔くんは、失礼ながらこれまで全然存じ上げなかった。ただ、ちょっと話をしてみると、熊本クイズ愛好会に所属しているとのことで、会長のBこと高野泰宏が早稲田Q研で僕の同期だったという関係でいろいろヤツをくたして盛り上がったりもした。面識があったのは、あと6位の中川智景さんぐらいだったかなあ。7位の中山亮輔さんは確かどこかで見たことあったかも。
 通過者だけ集められて、1人ずつインタヴュー収録。予選1位の特権で、まずは僕から。
 「山本さん、432点で予選1位という結果についてはいかがですか?」
 「不満です」
 「え?(戸惑うスタッフ)」
 「いや、1位を取れたこと自体は嬉しいんですけど、点数が。石貫くんが出した464点から32点も離されてますし。1位といってもとても威張れるような成績じゃありません」
 …さぞやカワイくないヤツに見えたことだろう(笑)。
 その後、これからの意気込みを聞かれる。「自分としては、出される問題は全て正解するつもりで。個人戦になってからまだパーフェクト出てないと思うんで、狙ってみたいと思っています」。オンエアでも使われた、あのコメントはここで収録されたもの。予選の得点がイマイチだった時点で、次の目標は「パーフェクト」に軌道修正。このへんから、僕は針の飛んだCDプレーヤーみたいに繰り返し繰り返し「目標はパーフェクト」と口にしていた。
 インタヴューが終わった時点で、別棟からスタジオへ誘導され、挑戦者控室へ。後の人のインタヴューがおしまくってたので、かなり待たされた。スタッフが気を遣って「…弁当余ってるけど、よかったら食べませんか?」と言ってくれた。僕は収録時には空腹でいたいヒトなので感謝しつつ辞退したけど、一緒にいた魚住くんはペロッと平らげていたなあ。

10.いよいよ時の迷宮へ。勝負の始まり

 そんなこんなしているうちに、1人、また1人と出場者が控室に集まってきて、いよいよ全員集合。スタッフから最後の注意を聞かされ、スタジオの中へ。あのセットを初めて見たときにはさすがに感動した。ここで前週の勝ち抜きチャンピオンともご対面。かつて次の会で同じ釜のメシを食っていた大山尚志と、「女だらけ」2勝の名にし負うクイズ女王奥畑薫嬢。うん、やっぱり厳しいメンバーが残ってるなあ。ま、ここで弱気になっても仕方がない。強いメンツと戦うのは望むところ。自分が勝ちたきゃ、どんなに強い相手でも倒すしかない。あちらにしてみても挑戦者のなかに自分がいるのはきっとイヤなはずだし(とかいってホントはRyuなんか眼中なかったりして(笑))。
 さて、いよいよ1人目の挑戦者が呼ばれて、本番開始。控室内もいやがうえでも緊張感が高まってくる。
 まずは予選8位の鹿児島県の本村昭人くん。モニターを通して見てもちょっと緊張していたみたい。7問という結果は彼としては不本意か。僕は10問。まあ、チャンピオン2人のこと考えると10問は解かないと勝ち残れないと思うので、僕的には無難な滑り出しかな。いやいや、パーフェクトするつもりなんだろRyu。そんなことで満足していてどうするのよ。
 続いて予選7位の中山亮輔さん。どこかで見たことある人だなあ、と思っていたら、「予備校設立の夢を…」のフレーズで思い出した。以前に団体戦に出ていた人だよ。あのときTVの前で「この人カタギのわりに強いなあ…」と驚嘆させられたのをよく覚えている。これは思わぬところで強敵出現といった印象。果たして、中山さんは、10問目まで正解を積み重ねていく。おいおい、いきなりパーフェクトかよ、ビビらされたけれど、最後2問をはずし、結局中山さんは10問。いきなりボーダーが10問までハネ上がったけど、まあこれは「予定通り」といったところ。チャンピオン控室で奥畑嬢が全く同じコメントを残していたことを知ったのはオンエアを見てから。
 予選6位の中川智景さん。以前「史上最強」とかでご一緒させていただいたことがある方。正直コワい相手だったけど…1問足りずに9問で敗退。控室でいろいろとスタッフに演出の注文つけられてて「…気の毒だなあ。勝負の直前なのに」と思ってしまった。心理的に微妙に影響したのかも。だとしたらホントに気の毒。
 予選5位の荒井祐介くん。「これが初めてのTV出演になるんですよ」とインタヴューですごく嬉しそうに語っていたのが印象的だったのに…6問で敗退してオンエアでカットされてしまったのはかわいそうの一言だった。くじけず頑張れ。またそのうちどこかでTV出演の機会はあるはずだから。
 予選4位の佐藤浩秀さんも8問で敗退し、オンエア時にはカット。関西で頑張ってられてる方みたい。もっとたくさんしゃべっておけばよかった。またどこかでお会いしたときにはよろしくお願いします。
 予選3位の魚住くん登場。モニターで挑戦者のクイズを見ていて、スタッフに「今の問題何問できましたか?」と聞かれるときに、調子の出ない僕や松本を尻目に「11問でした」「今のなら12問いけてたと思います」とけっこう正解できている様子だったので、俄然僕の中では中山さんに続く「第2の強敵出現」といった感じに急浮上してきた存在。そして、控室の調子そのままに正解を重ね、10問正解で中山さんに並ぶ。実は、11問目「トランプ、英語で『オールド・メイド』といったら何?」という問題に対しての魚住くんの解答「ババ」は最初は○とされて、一旦は「11問正解」と表示されていたのである(オンエアで僕が「出たー!」と驚いていたのには「(ああ、やっぱり、11問正解が)出ちゃったか」といった意味があったのです)。しかし、審議の結果判定が覆り×とされて、10問正解・同点でリーダーズシートへ、となってしまったのである。魚住くんにはちょっと気の毒。逆に中山さんには命拾いとなった。まあ、クイズ的には×が賢明な判定だとは思うけど、だったら最初から○を出すなよ、と僕は思った。とはいえ、正直ポイントリーダーが10問のままでいてくれたのはやっぱり心理的に大きい。いかにパーフェクト取るつもりであるとしても。
 そんな僕の弱気の虫を見透かしたように、スタッフが僕にインタヴューをふってきた。「10問という壁についてはいかがですか?」。
 答える。
 「自分は、今日勝つためにここにやってきたんで、勝つためには越さなきゃいけないと思います。たとえそれがどんなに高い壁であったとしても」。
 インタヴューに答えるというよりは、ほとんど「自分に言い聞かせている」のに等しかった。「自分は勝つためにここにやってきた」、その言葉は、3か月前にホノルルクラブチームで優勝を果たした石野まゆみさんから贈られた言葉。「苦しいときには『自分は勝つためにここにいるんだ』と言い聞かせなさい」というアドヴァイス。そう思って、自分の力を信じていくしかない。勝ちたいと思う気持ちが活路を開いてくれるはず。
 いよいよ予選2位の松本の出番。控室に1人で残された。これまでは松本と話しながらモニター見てて気が紛れた部分も多かったけど、とうとうホントに1人になってしまった。今日「最大の強敵」と目していた松本は、たった1問のイージーミスに泣き(「宮本武蔵駅」はFNS世代にはベタなんだけどなあ…)、9問で敗退。これで自分の越さなきゃいけない壁は「10問」で確定。いや、ここまで来たらそんなことは考えまい。自分の持っているものを100%出し切るのみ。悔いの残る負け方だけはしたくない。
 最後の最後の土壇場で、不思議と透明な気持ちになることができた。スタッフが「祈るような絵が欲しい」と注文つけてきたのでサーヴィスしてちょっと祈ってやったりもしたけど、全然緊張はしていなかった。不思議なぐらいに緊張感は身体中から消えていってくれた。もはや待ったなし。早くみんなの待っている「時の迷宮」に入りたい。

11.そして、奇跡は舞い降りた

 スタッフに控室からスタジオに誘われ、いよいよ入口の扉前で待たされることに。ドライアイスの煙がチョロチョロ吹きだしつつある。「キューを出してからスタジオに入ってください」とAD。キューの後ね。ハイハイ、分かってるよ。
 ところが、ここで事件勃発! あれだけ言われていたにもかかわらず、キューを待たずに扉が開いた瞬間にスタジオ入りしてしまうRyu。しまったー! 何やってんだよ俺。TVに出るのこれが初めてってわけじゃないだろ。振り返って両手を合わせて、スタッフと観覧のみなさんに「ごめんなさい!」。NG、撮り直しという扱いにしてもらった。あーあ、他の出場者はみんなちゃんと入場してたのになあ…。
 でも、NGを出したことによって、逆に不思議と気持ちが落ち着いていくのが自分自身でも手に取るように分かった。いや、NG出す前も自分としては落ち着いてるつもりだった。だけど、結局のところNGを出してしまったということは、自分で気づいてなかっただけでやっぱり多少はあがっていたのかもしれない。そう考えると、NG出しておいてホントによかった。スタッフと観覧のみなさんには申し訳なかったけど。「これはいける!」と思った瞬間だったかもしれない。
 入場シーンテイク2。今度はつつがなく終了。一旦カメラが止まり、シートベルトで手足をイスに固定される。うんうん、心地よいぐらいの緊張感だな。持てるパワーを発揮できる範囲内だぞ。
 ベルトを装着し終えたスタッフが席のそばを離れていく。いよいよ本番スタート。気持ちが引き締まる。
 イスが上がっていく。
 全然高くない。
 みんな異口同音に「高い」「高い」って言ってたのに。
 よし、俺はあがってない。
 これは本格的にいけるぞ。

 天の声によるインタヴュー開始。
 「山本さん、予選1位という結果についていかがですか?」
 「1位という事実自体は嬉しいですけど、1位取ってもここで負けちゃったら何にもならないんで、勝つことだけを考えます」
 オンエアではカットされてたけど、最初のやり取りは概ねこんなもんだった。大事なのは予選の成績じゃない。これからの結果だけ。クイズの世界は全てリザルトオンリー。
 「あなたの最大の武器は何ですか?」
 「長年やってきた経験です」
 この期に及んでも大してあがりもせずに平然としていられてるのは、15年のキャリアに裏打ちされたもの。TV、オープンを問わず、多くの戦いの場を越えてきたんだという自負が、自分自身に落ち着きとパワーを与えてくれているかのように思えた。
 「ずばり、今日の目標は?」
 うん、最後はやっぱりこれで来たか。
 一言一言、噛みしめるように答える。
 「…はい、12問、パーフェクトです」
 絶対取るつもりで臨んだって、なかなかみんなパーフェクトはそうそう取れるもんじゃない。ましてや、取るつもりがなければ、ハナっからパーフェクトなんて夢のまた夢だろう。今日の僕が、針のとんだCDプレイヤーみたいに終始パーフェクト、パーフェクトって繰り返してたのは、それだけの不退転の決意を秘めてのことだった。

 天の声の鉾先は、リーダーズシートの中山さん、魚住くんへと移っていく。
 「ポイントリーダーの中山さん、いよいよ、予選1位の山本さんの登場ですが、今の心境はいかがですか?」
 「そうですね、まあ、かなり迫ってきはるとは思うんですけれど、まあ…とにかくじっと見守りたいと思います」
 以前に出演されたときに中山さんのことを拝見したときにも思っていたことだけど、この中山さんという方は、さすが元予備校講師だけあって、クイズ屋でもないのにナチュラルに物を知ってる人だなあ、と感心させられることしきりだった。それだけの知識量を持っているんだという自信に裏打ちされているであろう、堂々とした受け答え。乗り越えるべき相手として不足はない。
 「魚住さんはいかがですか?」
 「そうですね、ここに来るのはかまわないんですけども…」
 控室で話をさせてもらったときからずっと控えめで物静かな印象だった魚住くんがここに来て自分に闘志をムキ出しにしているのか…と思いきや、つづきがあった。
 「…ただ、一緒にいさせてください」
 隣にいる中山さんと会場は大爆笑。…ヤラれた。1本取られた。自分の勝負直前じゃなかったら、自分だってきっと大ウケしていたと思う。

 「それでは、問題を選択していただきます。目の前の番号ボタンを押すと、クイズがスタートします。それでは、番号を選んでください」
 あのムダにハイテクを駆使した問題選択ボタンのアームが自分の手前に伸びてきた。
 残っている問題は、2番、8番、10番の3つ。予選会のときにも選んでいて、今回も最初から選ぶつもりだった、自分のラッキーナンバー2番が残っている。こういうところにも自分に運が向いているのを感じた。かくなるうえは、これに乗っかっていくしかない。迷わず、2番のボタンを押す。
 アームが引っ込み、天の声がスタジオ内に響く。
 「…2番の問題です」
 カウントダウンが始まる。今自分がなすべきこと、それは1問1問の問題に集中して取り組むこと。もはや心中に1点の曇りなし。
 「予選トップいよいよ登場。10問の壁をいかにして打ち破るか、山本剛へのタイームショック!」
 鹿賀丈史さんのコメントも、自分の耳にはロクに飛び込んでこなかった。聞くべきは、1問目の問題のみ。

 「上流の反対語は下流。上昇の反対語は?」
 ラッキー。1問目はカスみたいな問題だ。1問目につまずくと心理的にバタバタいきかねないケースもあったので、まずは一安心。「下降」。正解。
 「ペガサス、ユニコーン、フェニックス、翼がないのは?」
 …一瞬詰まった。フェニックスは不死鳥なので消去。2択だ。でも、よくよく落ち着いて考えてみれば、ペガサスには翼がある。時間ギリギリで「ユニコーン」を正解。どうでもいいけど、後にOAでこの問題を聞いたとき、なぜか『聖闘士星矢』のことが思い出されてならなかった(笑)。
 「自動車の4WD、『D』って何の略?」
 「W→Wheel」のほうでくるかと思ったので、若干肩透かし。でも、そこは冷静に切り返して「Drive」を正解。
 「山口県と陸地で接する県、広島とどこ?」
 …急にガクッと難易度が下がったような。またサーヴィス問題。「島根」。間違うはずなし。
 「遣唐使、派遣をやめたのは何時代?」
 肩透かしその2。「遣唐使…」と聞いた段階で「菅原道真」という答を用意していたんだけど、問題はもっともっと易かった。「平安時代」。この問題も、日本史王たる私こと俺様が間違うはずなし。
 「大リーグのオールスター、これまで出場した日本人は何人?」
 …1つ目のピンチ到来。イチロー、佐々木はよく覚えていたけど、あとが出てこない。もう1人ぐらいいたよなあ…。考えてもしゃあないので、とりあえず即答。「3人」。正解だった。ナイス運(後になってよくよく落ち着いて思い出してみれば、野茂だっていたんだよ。危ない危ない)。
 「唱歌『春の小川』、最初に出てくる花は?」
 子供の頃よく歌った歌だもんなあ。自分にとってはラッキーな問題。「スミレ」。正解。ここまで7連勝。
 「ケムンパスとウナギイヌ、『天才バカボン』に出てくるのは?」
 「…なぜ今頃『天才バカボン』?」とチラリとは思ったものの、これまた子供の頃毎週欠かさず見ていた番組。サーヴィス問題が続いてくれた。「ウナギイヌ」。8連勝。あと2つ。いや違う、「あと4つ」だった。
 「3以上7未満の整数、いくつある?」
 頭の中で黒丸と白丸書いて(←何のことだか分かるよね?)数えてみた。ちょっと時間かかったけど、「4」を正解。9連勝。とりあえず、勝ちだけは見えてきた。
 「今何問目?」
 …ここできたか。でも、正解数と誤答数(←なかったけど)を指折り数えていた自分には楽勝。「10問目」。これでリーダーズシート行きは確保。
 「おとがい、こめかみ、みけん、漢字1文字で書けるのは?」
 …最大のピンチ。全然頭の中で漢字のイメージが湧かない。「みけん→眉間」はまず消去。さてどっちだ…って、迷ってる時間はない。「こめかみ」って、確か「米噛」だったはずだよよなあ、語源。ええい、ままよ。言ってしまえ。「おとがい」。時間ギリギリでセーフ。ラッキー。これは大きいぞ。あと1つ。ここまで来たら、何としても…。
 (ちなみに、「こめかみ」は「顳+(需+頁)」という組み合わせの2文字だそうな。「おとがい」は「頤」1文字)
 「初めて聖火リレーを行ったのは、何オリンピック?」
 …たったコンマ数秒の間に、いろいろなことが思い出されてきた。まだ自分が早稲田に在学中、僕はこの「初めて聖火リレーが行われた大会→ベルリン」という問題と「初めて選手宣誓が行われた大会→アントワープ」という問題の答がごっちゃになってしまうという症状に困っていた。でも、そんな僕に対して誰か(多分山崎淳也)がこう言ってくれて以来、両方を取り違えることはピタリとなくなった。「聖火リレーってのは、ヒトラーの国威高揚目的ってのもあったんですよ。これでもう間違わないでしょ?」。
 …万感の思いを込めつつ、答える。
 「…ベルリン!」

 自分としては、正直今1つ状況が把握して切れていないでいた。「おとがい」の正解音が12問目の問題の読みはじめとかぶったこともあって、「…いったと思うけど、11だったらどうしよう」とチラリと思ったりもした。たったコンマ数秒の間だけど。
 でも、会場がざわめいている。これで「大丈夫だ」と確信を持った。
 そして、天の声。
 「正解は、12問。パーフェクトですので、ポイントリーダー交代です」

 何と言ったらいいのだろうか。
 必ず取るつもりでいた。
 必ず取れると信じていた。
 でも、いざ現実として、この状況に直面してみると…。
 ウソみたいだという浮遊感。
 やり遂げたんだという充実感。
 これで1週勝ち抜きチャンピオンが確定になったという安堵感。
 「個人戦パーフェクト第1号」としてクイズの歴史に自分の名前を永久に刻むことができたという達成感。
 全てがゴチャ混ぜだった。
 そして…。

 「まだまだ1/5。ここがゴールじゃなくて、ここからがスタートだぞ」
 と、自分自身に言い聞かせてくる戒めの声が聞こえてきた。

 そう、あくまでも最終目標は「5週勝ち抜きで1000万円」。
 これしきのことで満足していたら、クイズ屋として到底上がり目はない。

 とはいえ。
 今日だけは。
 せめて今日だけは。
 この喜びに浸っていてもいいかな。
 そんな気もした。

 明日になれば新たな戦いが始まる。
 そのことはよく承知しているけれど。
 せめて。
 自分にとって一生忘れることができない1日となったこの2002年5月5日の間だけは…。

 僕のパーフェクト達成によって、中山さん、魚住くんの2人は、リーダーズシートを失い敗者となっていった。10問正解。本来なら充分すぎるぐらい立派な成績である。9問でチャンピオンになっている人も何人かいるのに、運が悪かったとしかいいようがない。ごめんなさい。勝負の世界なんで、許してください。でも、2人とも、実力のほどを存分に見せつけてくれたと思います。
 そして、天の声に促されるまま、念願のリーダーズシートに腰掛ける。何の変哲もない単なるソファーだったけど、どんな王座よりも座り心地がよかったような気がしたのは気のせいだったのだろうか。とりあえず、今日に限って言えば、このシートを自分が失うことは、もうない。

12.戦いの終わり。そして見よ、勇者は帰りぬ

 チャンピオンステージ。目の前でパーフェクト達成劇を見せつけられた2人の勝ち抜きチャンピオンは、一体どんな心境だったのだろうか。後にOAを見た限りでは、少なからず衝撃を受けていたみたいに見えたけど(違ってたら申し訳ないです。メールででも反論してやってください(笑))。「自分だったら、別にまだ負けが決まったわけじゃないんだから、とにかく『自分の12問』をどうにかすることを考えるけどなあ」なんて、リーダーズシートに座りながら呑気に考えていた。まさか2週間後に自分が全く同じ境遇になろうとは、このときはつゆほどにも思わず。
 まずは大山の登場。表情が多少カタいように見受けられる。ま、パーフェクト達成劇の直後だけにムリもないか。自分の出番の前に何人かを間に挟んでからの挑戦だったらもう少し違ったんだろうけどね。かつては「次の会」で同じ釜のメシを食ったこともある間柄で、その底力はよっく知っているだけに、注意して見守る。ただ、申し訳ない言い方だけど、緊張の色隠せない今回の彼の様子なら「パーフェクト返し」はチト厳しそう(もっとも「パーフェクト返し」をされたところで自分の1週勝ち抜きはもう揺るぎないんだけど)。

 (以下未完・つづく)

 

 

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