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98.3までのレビュー


(満点:星5つ。ただし、辛口のつもり。★は星半分というか要注意本)



3.31
「推定相続人」 ヘンりー・ウエイド 国書刊行会(99.3) ☆☆☆★
 貴族の血を引く放蕩人ユースタスは、男爵位の相続人である親子が事故死したのをきっかけに、一族の者があと2人死ねば、自分に爵位のお鉢が回ってくることを知る。借金まみれのユースタスは、爵位と財産の相続を狙って、親族の殺害を企てるが・・。
 ミステリの一ジャンルのようにいわれながら、代表作以外には、意外に接することのできない、いわゆる「倒叙物」の長編。
 冷血漢ながらどことなく線の細いところもある主人公にスポットを当て、テンポのよい場面展開で読む者を巧妙にひきずっていく技は確か。人物造型もいきとどいていて、同時代のクロフツ当たりと比べて、かなり格上に感じられる。作者自身、準男爵で高給行政職だったというだけに、貴族社会や法廷などの描写のリアリティは、小説全体に一本筋が通っている。特に、スコットランドの領地での鹿狩りシーンのみずみずしさ、迫真性は、英国余裕派?の貫禄か。
 で、ミステリとしての出来なのだが、(書きにくいな)、何らかのサプライズが待っていると考えながら読むと、伏線の張り方に無防備なところがあるせいで、結末が読めてしまう人が多いのではないか(かくいう愚生もその一人)。しかし、このミステリの構造は、史的にも特筆に値する。倒叙物の傑作とされる「クロイドン発12時30分」が34年だが、この作品はその翌年の作。倒叙という形式を逆手にとった反倒叙とでもいうべき再度の転倒がこの時点で試みられているということは、大いに強調されるべきだろう。残念ながら、そこに、作者による「絵解き」はあっても、登場人物による「謎解き」がないので、アクロバットの徹底性に欠ける面は否めないとしても。この作品の構造は、昨年少し話題になった日本の旧作と同じ(もちろん、ウェイドが先)。陽の下に新しきものなし、とうことか。 
 


2.1
「金のゆりかご」 北川歩美 集英社(98.7) ☆☆☆
 30近いタクシードライバー野士に、今をときめくCCS幼児教育センターから、高給での就職話が舞い込む。かつて、そのセンターで英才教育を施された野士は、その申出の背後にある事情を探ろうとして、9年前にセンターの4人の子供が次々と精神錯乱を来した事件にぶつかる・・。一見、幼児英才教育を素材にしたメディカルサスペンス風だが、真価は別のところにある。謎は、一つに収斂せずに、斉放に咲き乱れ、本当に解かれるべき謎が不明なうちに、終盤の執拗なまでの逆転劇が導かれる。(双子交換プラス○○交換というギミックによる終盤のねじり具合は見事)。そして、ラストで明かされる犯人の意外性。推理と伏線の部分が弱いため、「本格」かどうかは微妙なとこだが、結末に至って判明する犯人の悪意の凄さが、物語の構図を悪意の空間に変えてしまう。久々に読んだ名犯人小説。ただ、動機の核心になる部分が、日本の法を無視していると思われ、この点は瑕疵かも。



「恐竜文学大全」 東雅夫編 ☆☆☆(98.11)
 日本恐竜文学のアンソロジー。収録作は、SF系を中心に、宮沢賢治、吉田健一の異色作から、中谷卯吉郎のエッセイ、詩・短歌までと幅広い。作品選択もバラエティに富んでいるが、その配列具合も、また絶妙。幻想文学系には、隅々まで目配りの効く名アンソロジスがいるものだ。恐竜について考えるとき、茫洋たる時空にさらされ、人は、つい、人類や人生についても考えてしまう。そんな意味では、星新一の名作「午後の恐竜」は別格として、ジャンル小説以外の中谷宇吉郎「イグアノドンの唄」、吉田健一の「沼」、清岡卓行「恐竜展で」が興味深かった。乱歩ファンは、カーティス「湖上の怪物」にも要注目。

1.12
「秘密」 東野圭吾 文芸春秋(98.9) ☆☆★
 バス事故で奇蹟的に助かった小学生の娘に、同じ事故で死亡した妻の人格が宿る。外見は、娘である妻と主人公の夫との奇妙な生活が始まる・・。リーダビリティ抜群。「直子」もよく書けてると思う。
 ただ、登場人物の出し入れやエピソードがテレビドラマ的だなと思っているうちに、凡庸な主人公に感情移入が困難になり、山下公園でユーミンがかかるシーンで、すっかり醒めてしまった。情報過多だったせいか、結末も予想がついてしまったし。本と出会う時機が悪かったのか。#このミスの千街文、秘かな「秘密」批判だったりして。


1.11
「赤き死の炎馬」 霞流一  ハルキノベルス(98.6) ☆☆★
 「奇蹟鑑定」を生業とする団体職員の私(魚間武士)が、岡山の田舎町で起きたテレポーテーション現象の鑑定を依頼され、調査を続けるうちに、連続殺人事件に遭遇。まず、設定がいい。奇蹟の鑑定が商売だから、必ずや怪奇現象に遭遇することが保証されているわけで、本事件も、密室殺人、ポルターガイスト現象、足跡のない殺人、監視下の人間消失など不可能犯罪がてんこ盛り。本能の名探偵、天倉真喜郎とのコンビも、フランク・グルーバーなど海外の先達を思わせていい感じ。バカミスの利点を最大限に生かした無理めのトリックもさることながら、真相解明のロジックは、クイーンばりの王道路線。後は、ギャグに耐性があるかという読み手の問題だけだ。(私は、多少ヒキ気味)。
 昨年、出た三作、本書、「ミステリー・クラブ」、「オクトパスキラー8号」は、どれも水準以上。(中では笑いに正面から挑んだ「オクトパス〜」に一日の長ありか。今年も快進撃を期待したい。


「ポップ1280」 ジム・トンプスン  HMM98.11〜1 ☆☆☆☆★
 パルプノワールの古典の名に偽りなしの傑作。とにかく、主人公の保安官のような人物を見たことがない。女には多少モテ、争いは避け、仕事には怠惰な保安官。どこにでもいるような人物だが、瓢然と人を罠に落とし、殺人も厭わない。といって、内面が空洞なわけでもない。それどころか、哲学的
思推に満ち、諧謔に富んだ人物であることが物語の進行とともに明らかになっていく。主人公は、制御のきかない情動ゆえ、大小さまざまなトラブルに巻き込まれるのだが、悪魔的な機転で問題を解決していく。この辺り、悪意版「赤い収穫」の趣がある。しかし、ここにはコンチネンタル・オプの義はない。この無意識の悪意を成立させているのが人口1280人の村そのものであることに言及されるとき、本書がアメリカの南部の村の物語を超えて、コズミックな広がりすら獲得していく。
 物語は、保安官選挙を一つの山場として(この男は選挙運動にも怠りない)、黒いユーモアを噴出させながら、カタストロフを迎え、主人公を取り巻く人物たちの素顔もまた暴力的なまでに暴かれる。唐突に挿入される最後のモノローグで、主人公がたどりついた結論に慄然とさせられるのは、保安官が我々自身の似姿であるからにほかならないからだろう。


1.9

「屍(かばね)の王」 牧野修 ぶんか社(98.12)☆☆★
 愛娘を惨殺されたショックから立ち直れず、今は風俗ライターとして糊口をしのいでいる元人気エッセイストのところに、小説の執筆依頼が舞い込む。主人公は、再起をかけて、架空の自伝的小説を執筆するが、身辺に怪事が頻発し、自らのアイデンティテイも揺らいでいく・・。最近の「赤い額縁」と同様、小説にまつわるホラーという意味でメタ・ホラーだと思うが、こちらは、日本神話をモチーフに、かなりすっきりとした解決(無論ホラー的な)がつく。むしろ、整然としすぎて、肩すかしなくらい。したがって、大きな読みどころは、現代のダークサイドに対する鋭敏な感覚と、様々な恐怖シーンの描出にあるのだろうが、こちらの方は、優れた言語感覚が脈打っていてさすが。(ただ、一文ごとの改行は、ホラー詩みたいで、どうなんだろう)。
  「非−知工場」みたいな哲学的な思索と途方もないイメージが融合したようなものを期待してたのだが、こちらの勝手な思い込みには、届いてなかったみたい。



「この闇と光」 服部まゆみ 角川書店(98.11) ☆☆☆
 どこともしれぬ国。山荘に幽閉された盲目の姫君レイアと復権のときを待つ父王。姫君を虐待する侍女。三者の緊張関係を横糸に、幼い姫君の知的成長を縦糸として、父王と姫君の「甘い蜜の部屋」が描かれる第1章(全体の5分の3)。
 この耽美色濃厚な要約を読んで、本書を手に取らなかった人は大きな損をする。この後、本書は、優れたミステリでも稀にしか見られない眼の覚めるような展開を見せるのだ。しかも、2度にわたって。読者は、主人公とともに光でもあり闇でもある結末に向かってすべりおち、ここに至って、再び第1章の輝ける日々が、薄明るく世界全体を照らし出すという本書の構成の巧みさに溜息をつかざる得ないだろう。粗雑なメタ・ミステリが裸足で逃げ出す、揺るぎないこの構成力。


1.7

「殉教カテリナ車輪」  飛鳥部勝則 東京創元社(98.9)☆☆★

 第9回鮎川賞受賞作。図像学ミステリが売り文句。前半の図像学による絵画分析の部分が後半のモロ本格部分と遊離しているのには、やはり相当な違和感を感じる。後半の事件部分は、ほぼ同時刻に同一の凶器を使った二つの密室殺人というかなり魅惑的な設定だし、二重底の解決、叙述の仕掛けなどにも工夫があるのだがカタルシスまで至らない。一つには、叙述の仕掛けが十分な説得力をもたないということもあるし、登場人物をつき動かしていくパッションを十分に描く筆力が伴っていないのも大きい。美しいタイトルに美しい装幀、著者自身による袋とじの絵を見ながら、本文を読み進むのは、結構な快感だったのだが。

「MOUSE」 牧野修  早川文庫JA(96.2) ☆☆☆★

 5話構成のオムニバスのSF長編。「ブレードランナー」以降というか、死と退廃が渦巻く廃墟島「ネバーランド」を舞台に、24時間ドラッグを摂取しつづける少年少女たちのフリーキーな「愛と死」(笑)が描かれる。とにかく、乱舞する異形のイメージが圧巻。ドラッグ漬けゆえに、どのような幻想も可能となる世界なのだが、言語による「秘孔突き」というアイデアで、紡がれるイメージの連なりはさらに高密度になっている。物語は、少年少女達の幾つかの事件を切り取りながら、舞台設定そのものの謎にゆるやかにたどり着くのだが、単純な「家畜テーマ」に回収されるのを回避しているのも、極めて今日的。読者を惑乱させるイメージに満ち満ちた秀作。

「フリッカー、あるいは映画の魔」  セオドア・ローザック 文芸春秋(98.6) ☆☆☆☆  

 ドイツからの亡命した映画監督マックス・キャッスルのB級映画の魔力にとり憑かれた「ぼく」ジョナサン・ゲイツがその秘密を探る長い旅の果てでみたものは・・。上下2段組560ページの長尺。裏返しの聖杯探求譚でもある本書は、さながら大人の児童文学。主人公の映画をめぐる冒険(性的冒険を含めて)の行く末を見つめ、息を呑んで頁を繰るという至福の読書体験が味わえる。ジョン・ヒューストンの「マルタの鷹」製作にまつわるエピソード、オーソン・ウェルズの語りを堪能し、ルイズ・ブルックスの消息を知り、エド・ウッドのサイテ−映画を賞味し・・おびただしい数の映画のトリビアにまみれていくのも、映画にハマった人なら、心底、快楽的な体験だろう。さらに、本書は、ヨーロッパ映画のアメリカでの受容を描いた興味深いテキストであり、60年代に青春を過ごしたカウンターカルチャー世代の年代記であり、良いジャンクと悪いジャンクをめぐる興味深い考察でもある。成長しない主人公とか、宗教観とかアメリカ西海岸風のある種の浅薄さを感じる部分もあるが、随所に挿入される架空の映画の質・量の豊かさには、映画館の暗闇で鍛えぬかれた作者の無類の想像力が発揮 されていて、ただただ圧倒。