■本の評価は、☆☆☆☆☆満点
☆☆が水準作
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12月31日(金) 山風作品リスト更新
・新しいパソコンにデータを移行しほぼ、4ヶ月ぶりに、サイトの更新です。
・山田風太郎作品リスト及び少年物リスト更新しました。。今年も、匿名希望氏ほかから、貴重な情報を戴きながら、1年ぶりの更新となりました。怠惰な管理人をお許しください。
・密室系blog?〜あんまり更新できませんでしたが、画像を簡単に貼れたりして面白いので、もう少し続けてみることにします。
・今年も残すところ、数時間になりました。サイトをご覧いただいている皆様には、お世話になりました。良いお年をお迎えください。
7月25日(日) blogへ仮移転
・土曜日、ISDNから光ファイバーへ切り替えのため、NTTの人が来る。光ファイバー、マンションタイプへの移行には、管理組合の同意が必要だとかで、申し込んでから随分時間が経っている。今のデスクトップは、設定のためのディスクの読み込みもできなくなっているので、とりあえずサイ君用のパソコンに繋いでもらう。担当の人が作業に慣れていなくて、わからなくなる都度、携帯で指示を受けていた。都合1時間は、話していたのではないか。作業から2時間以上かかって、インターネットがつながったときは、お互い、ある種の達成感があったような。その後のIP電話用の設定などは、こちらの仕事だということで、「カンタン」とか書かれているパンフと首っびきで、なんとか設定。でも、メールの設定を3時間ほど試みて、ギブアップ。こちらの方は、一夜明けてヘルプデスクの指示を仰ぐ。トラブルの原因がわかるのに、随分時間がかかったが、携帯で、指示どおりに設定して、やっとなんとかなった。これまで使っていたパソコンは、月曜日にSDNが使えなくなるということなので、ただの箱になってしまうのだが、新機の方にホームページソフトを導入してサイトのデータを移行
するところまで、手がまわらない。
当面、日記だけは、最近、流行している?blogに移行してみることとした。
「密室系blog?」
http://lockedroomcastaway.at.webry.info/
これまでのwHat's new?程度には、更新していく予定なので、たまに覗いてみてください。。。
7月22日(木) 『郵便配達は二度ベルを鳴らす』解釈
・先日、'46年版『郵便配達は二度ベルを鳴らす』を観た。かねてから観たかったのだが、これもいつの間にか、GEOのレンタルDVDになっていた。
映画の終わりの方で、このいささか奇妙なタイトルの意味が、登場人物の台詞で、絵解きされる。この件について、この前読んだ小鷹信光『ペイパーバックの本棚から』に書いてあったはず、と同書に当たってみると、原作には原題名の意味についての言及がなく映画版のオリジナルな解釈らしい。で、その解釈というのは、「不吉なことが二度繰り返される」というもので、「そのあと数多くの評論家が映画屋さんの後知恵で生まれたこの台詞をもとにして作品論を展開させてきたのがおもしろい」と結んでいる。
もう、うろ覚えなのだけれど、映画の中の台詞の流れは、「郵便配達のベルは、庭にいて一度目が聞こえないときも、二度鳴るから必ず聞こえる」→「神様の鳴らす警告のベルは必ず罪人に届く」というような感じではなかったかな。殺人の罪を逃れた主人公が、その後に発生した単なる事故について、殺人犯として訴追されるという映画版のストーリーに沿った台詞になっている。だから、「不幸なことは二度繰り返される」というのは、少し違うような。
むしろ、意訳して「神様は全部お見通し」→「天網恢々疎にして漏らさず」というのが、近いような気もする。でも、この作品の邦題が「天網恢々」だったら、ちよっと嫌だ。
7月21日(水) 『深夜の告白』
大きなレンタルビデオ屋にもなくて中古ビデオをネットで買ったのに、いつのまにか、GEOのレンタルDVDになっていた。
・『深夜の告白』('44・米)
監督/ビリー・ワイルダー 主演/バーバラ・スタンウイック フレッド・マクマレー
原作は、ジェイムズ・ケイン、脚本はワイルダーとチャンドラー、音楽は、ミクロス・ローザ。フィルム・
ノワール最強の布陣ともいえる本作は、逸話の多い作品だ。1ヶ月で書き上げたチャンドラーの脚本を読んだワイルダーは、チャンドラーに向かって脚本を投げつけ、その後お互い憎みながら、数ヶ月にわたって脚本を書いたとか、ケインのことも作品のことも嫌いだったチャンドラーは、ケインが同席した席で小説の台詞が饒舌すぎるといったとか。主人公によって回想される甘美と背徳という、フィルムノワールの文法を確立させた作品といえようか。バーバラ・スタンウイックとの運命的な出逢いのシーンから、犯行、計画の破綻まで、引き締まった演出が緊張を持続させる。犯行の瞬間、殺人そのものは描かれず、代わりにバーバラ・スタンウイックのうるむような瞳がクローズアップされる見事さよ。犯罪者側がちょっと探偵小説的なトリックを使っている点も、面白い。
7月20日(火)
・東京は、39.5℃。くー。札幌は正午に24.8℃。ネットがこれだけ普及しているのだから、7、8月は、北海道で仕事し、生活するようなライフスタイルが定着しないものか。
・霞流一・杉江松恋『浪人街外伝』(宝島文庫)をやっと購入。昭和3年マキノ正博監督で映画化さされた本格時代劇が今年マキノノゾミの脚本によりが舞台化。その舞台版の前日譚というから、ややこしい。霞パートは、二重密室を取り扱った捕物帖になっている模様。
7月19日(月・祝) ある映画史
・カバヤのガム、サンクスを含む5店のコンビニとスーパーを廻ったけど、みつからなかった。_| ̄|○この分野、興味なかったが、赤塚不二夫劇場とかアタックNo1とか、ピンクレディシングルCDとか、おっさん目当ての食玩って、色々あるんですね。
・蓮實重彦『ハリウッド映画史講義』(筑摩書房/'93)読む。この映画史には、ハワード・ホークスも、ジョン・フォードも、ラオール・ウォルシュも、その他大勢のハリウッド映画の監督もほぼ登場しないことが、冒頭で宣言される。本書がフォーカスを当てるのは、ジョゼフ・ロージー、エリア・カザン、ニコラス・レイ、ロバート・アルドリッチら、50年代の作家たち。1940年代後半から50年代にかけて「ハリウッドで起こったほどの「悲劇的」撮影所システムの崩壊を、二十世紀の人類は、いまだ他の領域では経験していない」という著者は、50年代作家たちを襲った悲劇の原因を30年代にさかのぼって跡づけていく。端的にいって、撮影所システムの崩壊は、メジャー会社に対する独占禁止法の適用、赤狩り、テレビの普及、に帰せられる。ドイツ等からの亡命者の流入により、戦時中は、小ワイマール共和国の趣を呈したハリウッドが、戦後、政治的圧力により才能ある自国の作家たちの海外亡命を阻止できなかったのは、歴史の逆説といえようか。
著者の定義によれば、「ハリウッド映画」とは、「イメージの独走をおのれに禁じ、もっぱら説話論的な構造の簡潔さと、リズムの経済的統御に専念するもの」であり、視覚よりも物語が優位に立つ映画であった。それが50年代の撮影所システムの崩壊とともに変質していき、60年代半ばの「ヘイズコード」(自主規制)の終焉ともに、物語に代わって、過剰な視覚的装飾性が優位に立ち、アメリカン・ニューシネマ以降は「見せ物化」が進行していった、という。最近、4〜50年代の映画の簡潔で、必要にして十分な語りに惹かれている身としては、断言癖に幻惑されつつ、目から鱗の思い。B級映画の「B級」の語源は、撮影所の建っていた場所「B地域」より来たとか、トリビア的な楽しみもある。
7月18日(日) スクリューボールコメディと足跡の謎
・最近よく参考にさせていただいているサイト「素晴らしき哉、クラシック映画!」のBBSによると、以前から話題になっていた、カバヤの映画DVD付き食玩シリーズが販売されはじめたらしい。「水野晴郎が選んだ洋画を同梱する「DVD付きお菓子」−洋画1本をすべて収録し、価格は315円」。ちょっとやそっとでは観られないクラシック映画のラインナップ。これが315円のチューインガムについてくるというのだから・・。映画も、お菓子のおまけになる時代になったのか。管理人の方によると、今のところ、コンビニではサンクスとイトーヨーカ堂のみでしか取り扱っていないそう。探しにいかなくちゃ。
・『赤ちゃん教育』や『ヒズ・ガールフライデー』など、3、40年代のハリウッド映画を席巻したコメディの形、スクリューボール・コメディ。そこでは、スクリューボール(変人、風変わりな人)が入り乱れる戦闘的ラブコメが繰り広げられる。そのジャンルの起源については、フランク・キャブラ監督『或る夜の出来事』('34)をもって嚆矢とする、というのが映画批評会の常識らしい(加藤幹郎『映画ジャンル論』(平凡社)。同書によれば、映画史家ボブ・スクラーは、ずっとこの常識に反対し続けていたのだが、『世界映画史』('93)の中で、ついに、自説を撤回したという。映画学業界というのもなかなか大変なものである。)
最近、この『或る夜の出来事』をビデオで観た。金満家の家出娘(クローデッド・コルベール)と新聞記者(クラーク・ゲーブル)とが、互いに惹かれ合いながら、意地を張って過ごす数日の物語。『ローマの休日』の原型ともいうべきラブコメで、ゲーブルがヒッチハイクで車を止める方法を伝授するシーンなど、やたらおかしい。ニンジンネタなどの性的暗喩にも富んでいるところも多く、二人がやむなく同じ部屋で過ごすために部屋の仕切りに毛布を吊し、「エリコの壁」と呼んでいたりする。(先日観たトリュフォーの『恋のエチュード』でも「引用」されていた)。全体は、やや穏やかで、『ヒズ・ガールフライデー』などの狂騒ぶりとは、少し違う感じ。
この映画の原作者が、サミュエル・ホプキンス・アダムス。といっても、ピンとこないかもしれないが、「飛んできた死」('03)という短編で、砂浜には死体が転がっているが、現場には「プテラノドン」の足跡しかない、という「足跡の謎」の「ほぼ」発明者といってもいい人なのである(『密室殺人コレクション』(原書房)所収。ロバート・エイディは、子供向けの短編で「足跡の謎」の前例はあるが、大人向けのきっちりとした探偵小説で用いたのはアダムスが最初としている。「密室ミステリ概論」(『密室殺人大百科』所収)
『密室殺人コレクション』の解説によれば、アダムスは、探偵小説は余技にすぎず、普通小説の書き手・ジャーナリストとして知られたということだが、不可能犯罪の一つの型の発明者にして、スクリューボールコメディ第一作の原作者というのは、作家の栄光なのではあるまいか。ちなみに、『或る夜の出来事』は、'56にジッャク・レモン主演『夜の乗合自動車』としてリメイクされているらしい。
7月17日(土) 『白い恐怖』(映画)
・15日、3月までの同僚が不慮の死。34歳二児の父。ただただ、やるせなし。16、17通夜と告別式。ここ数年、何度、葬送に立ち会っただろう。
・夜、先延ばしの結婚記念日で、なかなか予約がとれないという、二条市場の裏にあるイタリア料理店「BOSE」という店で食事。店名は、主人がボウズだったからなりか。話題は、復活鉄人日記など。「本ごと部屋をオークションにかけてはどうか」とか。
・『白い恐怖』('45/米)
監督/アルフレッド・ヒッチコック 主演/イングリッド・バーグマン グレゴリー・ペック
再見。女性精神分析医が、一目惚れした記憶喪失の男の分析により、冤罪を晴らす、というストーリーは、ビーディングの原作とは、まったくといっていいほどの別もの。ヒッチコック−トリュフォーの『映画術』では、監督は原作について、「気狂いじみたメロドラマ」といっているが、本作については、「精神分析というオブラートにくるんであるけれども、これは、要するに、いつもながらの亭主狩り(マン・ハント)の物語だよ」と、手の内を明かしている。トリュフォーは、この映画のストーリーをよくつかみきれないし、説明的台詞も多く、イマジネーションの遊びが少ない、といっているが、逆にミステリ的興味からいうと、−御都合主義的な部分や説明不足の部分はあるけれど−かなり本格的な謎解きが行われており、真犯人も意外。イングリット・バーグマンが探偵役の本格ミステリ映画なんて、楽しいじゃないか。サルバドール・ダリの美術が有名だが、グレゴリー・ペックの恐慌の際に、被さってくるテルミンも見逃せない。台詞「女はみな優秀な分析医だ。恋をするまでは。それ以降は、優秀な患者になる」
7月13日(火) 『死を呼ぶペルシュロン』
・『死を呼ぶペルシュロン』ジョン・フランクリン・バーディン(04.4('46)/晶文社)☆☆☆
これで、三部作が全部紹介されたバーディンの第一作。精神科医のもとを訪れて、ハイビスカスの花を髪に挿していると、小人が10ドルくれるというという話をする青年。興味を惹かれて青年に同行した医者は、自身が悪夢のような事件に巻き込まれて。とにかく、発端の奇妙さは抜群。気がつくと、医者は別な人物として精神病院に収容されていて、本名を名乗るとその人物は既に死亡していると告げられる。奇抜な展開に、どんな結末が待ち受けるのかという興味で、ぐいぐい引きこまれる。エピローグまで、主人公のアイデンティティが揺さぶられるストーリーは強烈だが、結末は破綻気味。実際、なぜレプリコーン(小人)なのか、なぜペルシュロン(馬)なのか、読み終わっても釈然としないのである。純粋なミステリとしてみると、粗が目立つのは、『致死のシナリオ』同様だが、一種異様な結末といい、作者の奇なる想像力の質そのものを楽しむべき小説かもしれない。作中、ロングアイランドのカーニバルで働く者たちの集まるレストランの描写が印象に残る。
7月12日(月) 『白い恐怖』
・大復活鉄人4350冊処分。うはあ。
・日曜日、近所のGEOでレンタルビデオ・DVDが7泊8日で39円。月1くらいで55円というのもやっているが、果たしてこれでもうけがあるのか。ツタヤつぶしなのか、地底人の陰謀か何かなのか。5本借りてくるが、これで200円に届かないから、一本も観られなくても得した気分。
・『白い恐怖』 フランシス・ビーディング('04.2(27、'28/ポケミス)☆☆☆★
おぼろな記憶ながら、ヒッチコック映画との内容の隔たりに一驚。サイコ・スリラー、異色恐怖小説として、独自の存在を主張しうる秀作だ。舞台は、ヨーロッパの山中、古城を改装した精神病院。若い女医が赴任してくるが、介護師が殺される事件を発端に、怪しげな事件が頻発して・・。因習に囚われた人々が暮らす山岳地帯にぼっかり浮かぶ古城、ゴシック小説の舞台のようなその場所で最新の精神病理学に基づいた治療が行われている、という空間設計が、まず上手い。奇妙な精神の病にとらわれている患者たちの描写に気をとられているうちに、訪れる87Pの不意打ち。事件を小出しにして、なにやら不穏な事態が着々と進行しているの読者に伝え、恐怖を盛り上げていく演出も巧みだ。宙づり状態が断ち切られてからは、ヒロインは、迫りくる敵から逃げ惑うだけではなく、戦いの姿勢をみせる。ゴシック小説の古い革袋に、(当時としては)新しい酒が盛られているのが実感でき、今日でも古びてない要素が多い。特に、印象深いのは、入院患者たちの個性で、時にブラックユーモア的で、時に儚いそれぞれの言動は、この小説に厚みを与えていると思う。
7月11日(日) 赤い収穫
・7月に入ってから、梅雨模様の肌寒いような天気が続く。本道の景気も、天気並みで、全国的には好況が伝えられるのに一向に改善のきざしをみせていない。昨日の選挙で旧五区のムネオ票が予想外の健闘をみせたのは、長引く不況のが最大要因か?
・本棚を3本組み立て、国書の全集、ポケミスやらの背を全部出して悦に入る。一瞬の喜びかも。
・H文庫、再チャレンジが2冊とも当たってしまった。小づかい的には、ややほろ苦い。山前謙編『推理小説雑誌細目総覧T』('85/浦和推理小説文献研究会)と松本泰『炉辺と樹影』(昭和10/岡倉書房)。後者は、随筆集で、ミステリ関係も少しあるようで、面白いのがあれば、いずれ報告予定。論創社の叢書も「松本泰TU」「松本恵子集」を買ったまま、よくチェックもしていないんだよなあ。
7月9日(金) 意外なつながり
・ネットで、リタ・ヘイワースのフィルモグラフィーを観ていたら、端役時代に『ピラミッドの殺人』(1935)
というミステリ映画に出ている。原題は、'CHARLIE CHAN IN EGYPT'で、チャーリー・チャンがエジプトで活躍する話らしい。
1936年には、『完全犯罪』というミステリ映画にも出演。原題は、MEET NERO
WOLFEで、ネロ・ウルフ物『毒蛇』の映画化か。ウルフ役は、エドワード・アーノルド(最近観たキャブラ監督の『我が家の楽園』で押し出しのいい金満家を演じていた)。
40年代にスターダムにのし上がった後、『醜聞(スキャンダル)殺人事件』(1952)
(原題AFFAIR IN TRINIDAD)という映画に出演しているが、この脚本家の一人が、なんと、ジェイムズ・ガンであった。
Imobで検索をかけると、ジェイムズ・ガンの映画脚本デヴューは、バーバラ・スタンウィック主演のLady
of Burlesque (1943) (別題 The G-String Murders,)で、ジプシー・ローズ・リー(実際は、クレイグ・ライス)原作ミステリの映画化であった。
充実したデータベースからは、思わぬつながりが出てきて、検索遊びは、なかなかやめられない。
・『晴れて今宵は』('42)
監督/ウィリアム・A・サイター 出演/リタ・ヘイワース フレッド・アステア
ブエノスアイレスに出かけてきたニューヨークのダンスの第一人者アステアは競馬で一文なしに。ホテルの劇場で踊り、帰りの旅費を稼ごうとするが、オーナーは色よい返事がない。リタ・ヘイワースは、オーナーの次女役。長女は嫁にいき、三女、四女も婚約者がいるが、「冷蔵庫の女」と評される彼女は、男に見向きもしない。一計を案じた父親は、架空の崇拝者をでっちあげ、彼女の情熱を呼び起こそうとするが、それがアステアの仕業と誤解され・・、という典型的な取り違え喜劇。ギャグがいささかもったりしていて、「踊る結婚式」よりは落ちるが、ラテンのリズムがいい感じだし、踊る二人は、やはり素晴らしい。当時「フレッド・アステアの旋風のごときパートナー」と評されたようだが、リタの踊りは、まさに旋風のごとく、溌剌としている。
7月8日(木) 「二十年がかりでも読めない本」
・購入本
『山田風太郎忍法帖短編全集4 くの一死ににいく』順調に4冊目。ボーナストラックとして、70頁を超える「絵物語版 忍者石川五右衛門」を収録。
マイクル・リューイン『探偵学入門』(ポケミス)「探偵家族」やパウダー警部補ら多士済々のメンバーが集結する短編集」
ノルベルト・ジャック『ドクトル・マブセ』(ポケミス)フリッツ・ラングの映画で知られる「犯罪界の知られざる王者」21世紀のポケミスに登場!
・古本屋で購入した、小鷹信光『ペイパーバックの本棚から』(早川書房/'89.3)を読む。著者がつきあって、30余年、1万冊を超えるペイパーバックの蒐集から、ハードボイルドを中心としたミステリ関係の話題を拾って綴っていく愉しい本。カラー写真のギャラリーのほか、ペイパーバックブランドリスト、ペイパーバック・アーティスト名鑑までついていて、有益な本でもある。
個人的関心から、注目した点が二つ。
・アダム・ナイトというハードボイルド作家は、シリーズ第一作『Stone Cold
Blonde』という本で、「ソフト・ボイルド作家ラリーへ」という献辞を掲げているそうで、このラリーというのは、高名な漫画家であった自分自身だったそうだ。
・前に、フランスの哲学者ドゥールズが褒めたセリ・ノワール叢書のジェイムズ・ガン『優しい女』という小説に触れたことがあって、掲示板で、米国作家である旨坂本浩也さんに教えてもらったりしたのだが、この本で、「二十年がかりでも読めない本」という1章を設けて、ジェイムズ・ガンの長編が紹介されていた。あちゃー。おそらくは、この本Deadlier
Than the Male('42)というのが『優しい女』の原題なのだろう。著者は、20年間気になる未読本にあげながら、今回も読み終わらなかったとして、物語の途中まで本について報告している。男よりしたたかな女たちが出てくる、殺人の物語。「不快感を催させる場面は、とても通俗小説のものとは思えない」といい、著者の肌に合わないという点でジム・トンプスンとの共通性を挙げている。'47に「Born
to Kill」というタイトルで映画化されていると書いてあるので、やはり、Deadlier
Than the Maleは、このロバート・ワイズが『罠』で売り出す前に手がけた『生まれながらの殺し屋』の原作なのだろう。
7月7日(水) 『大聖堂は大騒ぎ』
・『大聖堂は大騒ぎ』 エドマンド・クリスピン(国書刊行会/04.4('61)) ☆☆☆★
クリスピンの第2作。デパートでのおっかけというコミカルなシーンを冒頭に、戦時下の雰囲気も濃厚に、個性的な登場人物が紹介されていく。かつて魔女狩りが横行したという町の雰囲気、魔物の存在を疑わせるような奇怪な事件に引き続いて起きる密室状態の大聖堂での殺人、清楚な美女とのロマンスと予感に、敵国ドイツと通謀しているらしいスパイの存在までほのめかされて、カーの傑作群に連なるような道具立ては、申し分なし。さらに、昆虫採集でこの地を訪れているという、フェン教授の奇矯な言動と引用癖が彩りを添える。18世紀魔女狩りを首謀した聖職者不気味な手記は、インパクト強い。ただ、本格ミステリとしてみると、盛りだくさんな道具立てが、いささか消化不良に終わっている気味もある。終盤のエスピオナージュ風の要素も、それはそれで楽しいが、謎解きの面からは真犯人提示のインパクトを削いでいる。「こんどの事件には、純粋な論理の要素がなかったような気がする」というジェフリイの述懐は謙遜としても、せっかく大胆なトリックを用いていのだから、犯行や犯人の指摘には、もう少し周到さが欲しかった。
7月6日(火) 『セメントの女』
・ フィルム・ノワールの傑作5本を収録した米国版DVD「
The Film NoirCollection: Volume 1」
(アスファルト・ジャングル / 拳銃魔 / ブロンドの殺人者 / 過去を逃れて
/ 罠) というのが出たらしい。評判の高いジョセフ・H・ルイス監督『拳銃魔』、ジャック・ターナー監督『過去を逃れて』は、是非観たいところだがー。本気でリージョンオールのDVD機が欲しくなってきた。
・ある方から、本サイトに載っていた「エリナー・リグビーの謎」に関して質問があり。そういえば、以前そんなのも書いたっけ、と思ってググってみたが、出てこない。過去日記を2年前から遡っていったら、4年ほど前にあった。忘却とは忘れ去ることなり。質問の内容「ポールが「エリナ−・リグビー」の墓から曲のヒントを得たという説を、一笑に付した」というインタビューの出典は、なにか。というもので、当時、立ち読みしたインタヴュー集にそんな記述があったような気もするのだが、はっきりしない。
結局にお役に立てずじまいだった。
・『セメントの女』 マーヴィン・アルバート(ポケミス/04.4('61)) ☆☆★
B級ハードボイルド映画として評判が高いというフランク・シナトラ出演の同名映画('68)の原作。沈没船の宝探で優雅な休日を送っていたマイアミの私立探偵シドニー・ロームは、セメントの重りをつけられて沈む女の死体を発見。直後に、鮫が女の顔を食いちぎってしまって―という発端こそ異色だが、あとは、軽ハードボイルドの文法に則って進行していく。情緒不安定な女富豪、ギャングの大立物、一癖もふた癖もある前科者、怪しげなクラブの支配人といった定番の登場人物、趣味で事件を追う探偵に関係者から依頼が舞い込み、やがて、探偵は殺人の濡れ衣を着せられて、逃走する羽目に。フォーマットどおりの展開は、いっそ清々しいくらい。欲望と快楽の町の雰囲気がよく出ており、廃車場の乱闘シーン、泳ぎで逃走する探偵といった場面にも工夫があって楽しめる。
7月5日(月) 分析医のポケット
・浅倉三文『ラスト・ホープ』、『本格ミステリベスト2004』(創元推理文庫)購入。前者はいつか書くといっておられたウェストレイク風犯罪コメディらしい。
・H文庫の目録で思案。和洋ともに往年の作品が新刊でどんどん出てるので、あまりときめかなくなってしまった。2冊は再チャレンジ。
・クリスピン『大聖堂は大騒ぎ』(国書刊行会/滝口達也訳)で、登場人物、ピースという精神科医の言動に笑ってしまった。
事件が巻き起こる車中に向かう列車の中で、この医師は、主人公ジェフリイに語りかける。
この医師、ふと思い立って、分析心理学の前提となる「無意識」の根本概念の由来というか、原理的説明を調べてみたという。
「「すると、ヴィントナーさん、とんでもないことになりました」と、ひざを乗り出し、ジェフリイのひざをポンとたたいた。「『無意識』の存在を証明する実証的で合理的な説明など、どこにもないのです。」」
考えれば考えるほど、無意識なんてものはどこにも存在しないと思い当たったこの医師は、自分は菜食主義者の肉屋も同然と嘆息するのである。
フロイトの玉座はとっくに揺らいでも、「無意識」の存在は疑われていないような気がするが、なるほど、無意識こそは、精神分析家や文芸評論家の飯の種。手品師の帽子、ドラえもんのポケットには違いない。深刻なアイデンティティ・クライシスに陥っているこの医者がどうなるかは、結末まで読んでのお楽しみ。
7月4日(日) 『毒薬と老條』
・3日、父の一周忌、実家にて。一年は早い。夜、出張で来札した学生時代の友人と、すすきの。9時間以上のロングランとなる。4日、結婚記念日だが、1日中伏せっていることに。
・『毒薬と老嬢』('44) ☆☆☆★
監督 フランク・キャブラ 主演/ケーリー・グラント プリシラ・レイン
ブロードウェイ舞台劇の映画化。演劇評論家は、二人暮らしの老伯母が、身寄りのない老人達を次々とあの世に送っていることを知って、恐慌に陥る。ヒューマニズム溢れる作風で知られるキャブラ監督がとんでもないブラックな題材を扱ったコメディ。グラントは婚約中で、夜には新婚旅行に向かう約束をしている。限られた時間の中で難問を処理しなければならないのに、犯罪者の兄まで何十年ぶりかに帰宅して…事態はさらに紛糾。自分がルーズベルト大統領だと思いこんでいる息子をはじめ、登場人物は、ネジが弾けてる人間ばかり。ややオーバーアクトの気味があるもののケーリー・グラントのコメディセンスも光る。犯罪者の兄役は、ボリス・カーロフ(「ボリス・カーロフ」に似ているというくすぐりが何度も出てくる)、その相棒の医師役にピーター・ローレという配役も見所。
7月2日(金) 『四日間の不思議』
・『踊る結婚式』に出てくる興行師を演じているのが、ロバート・ベンチリー。いつも、若いダンサーの尻をおいかけてはいるが、女房に頭があがらないオヤジ役をコミカルに演じていた。ユーモアスケッチでおなじみの作家(にして『ジョーズ』のピーター・ベチンリーの祖父)と同名だと思ってネットで調べてみたら、どうやら、同一人物らしい。『海外特派員』(1940)『奥様は魔女(』1942)』ほか、幾つもの出演作があるほか、ディズニー映画や「珍道中」シリーズにも登場するらしい。『ミセス・パーカー ジャズエイジの華』('94/アラン・ルドルフ)という、ドロシー・パーカーやロバート・ベンチリーら、ニューヨーク派の文人連中を描いた映画もあることを初め知った次第。
・『四日間の不思議』 A・A・ミルン(原書房/04.6('33) ☆☆☆
『赤い館の秘密』の著者によるユーモア・ミステリ。英米で刊行以来一度も再刊されていないという、まさしく幻の作品。かつて暮らしていた邸宅で叔母の死体に遭遇したジェニーは、驚きのあまり現場に多数の手かがりを残したまま逃走。警察の手をおそれてロンドンを離れる・・。再刊がされていないというのが不思議なくらいユーモラスで愉しい読み物で、冒険好きなヒロインを中心に、幼なじみのナンシー、人気作家とその弟ら個性的な面々がおかしな騒動を繰り広げる。『赤い館〜』のような本格味はほとんどないが、この時代特有の大らかで機知に富んだ作品が好きなむきには、ご馳走といえる一品。手紙や新聞記事、暗号などの挿入により読者を飽きさせない工夫にもぬかりない。
7月1日(木) 『ピアニストを撃て』
・『ピアニストを撃て』 デイヴィッド・グーディス(ポケミス/04.5('56))
トリュフォーの同名映画の原作の待望の邦訳。読んでみると、先日観たトリュフォーの映画が、ほぼ原作どおりの筋でつくっていることが判る。冬の話にもかからず、雪をみせず、終盤、雪山の鮮烈な白をみせる辺りの呼吸は、映画的設計だったのか。有名ピアニストだった過去と決別し、場末のピアノ弾きに甘んじているエディのもとに、犯罪者の兄が転がり込んできたのがトラブルの始まりだった・・。『狼は天使の匂い』や『華麗なる大泥棒』もそうだったが、グーディスの物語では、男女の愛は唐突に訪れる。外界から身を閉ざしている男は、愛ゆえに、外界に身をさらし、大きなトラブルに巻き込まれていく。ロマンティック。このロマンティシズムが通俗に墜さないのは、主人公の感傷に甘さがないせいだろう。外の世界と隔絶を求めている男は(『狼は天使の匂い』の主人公や本書のエディも、コートを求めるシーンがある)は、いっとき現実に触れるが、再び運命の如く元の世界に戻っていく。まぎれもない恋愛小説にもかかわらず、それらしい科白が一切ない本書も、グーディス流の甘くない感傷が味わえる一冊だ。
・『踊る結婚式』」(1941・米)
監督/シドニー・ランフィールド 出演/ フレッド・アステア リタ・ヘイワース
これは、イイ!41年『血と砂』(タイロン・パワー主演の闘牛士映画。主人公を誘惑する貴族の婦人を演じるリタ・ヘイワースは確かに妖艶だった)で大役を得たリタは、続いて本作に出演、大スターの地位を得る。41年末「タイム」誌の表紙を飾った彼女について、「アステアのこれまでの最高のパートナー」と書いたという。
興行師ががコーラス・ガールの1人に恋をした。彼は豪華なアクセサリーを彼女に贈るのだが、それが妻にばれてしまう。問い詰められた彼は振付師(アステア)の仕業と嘘をつき…。
冒頭、ダンススタジオで踊るアステアとリタの息のあったダンスからして、素晴らしい。トラブルから逃げ出すために、ズルをして!従軍が決まったアステアの出征祝いに、鉄道駅にホットパンツの美女軍団がやってきて踊りまくるのだから、彼我の差を感じるというもの。お話は、なにやら軍隊喜劇の趣を呈するが、慰問にやってくるのは、リタ。婚約中の大尉にリタを奪われそうになったアステアは、慰問で催されるミュージカルの中の結婚式のシーンに本物の判事を登場させ、合法的に結婚してしまうという大胆な作戦に出る。リタ&アステアの華麗なダンスに加えて、ちりばめられたギャグ、それに輝くばかりのリタ、と楽しめること請け合い。
6月30日(水) 『リジー・ボーデン事件』
・『リジー・ボーデン事件』 ベロック・ローンズ(ポケミス/'04.3('39)) ☆☆
学生時代、関が好きな作家として、ベロック・ローンズを挙げていたが、ほんまかいな。『下宿人』しか邦訳のない作家の数十年ぶりの邦訳第二作である。犯罪史上に名高いアメリカの手斧殺人に材をとった一種のノンフィクション・ノベル。現実の事件に虚構を織り交ぜながら、作者は、リジーの犯罪として、事件を再構成する。綿密な調査の上書かれたのだろうが、まさに、見てきたように嘘をつき、であり、真相の大部分が作者の想像した虚構の上に成り立ってるいるようなのは、いただけないし、酸鼻な殺人となった理由もあまり説得力があるようには思えない。再現される19世紀末のアメリカ東部の雰囲気は、それなりに床しいものはあるものの。今、なぜ、ボケミスで、と思うが、近く出版予定という訳者(仁賀克雄)のリジー・ボーデン研究書のプロモーション的意味合いが強いのだろう。
6月29日(火) 『終わりなき負債』
・『終わりなき負債』 C・S・フォレスター(小学館/04.1('26)) ☆☆☆★
海軍士官ホーンブロワーシリーズで知られる著者のクライム・ストーリー。正直いって驚いた。20年代イギリスにこんな犯罪者小説があったとは。借金に追われる銀行員マーブルは、海外から甥が訪ねてきたのを奇貨として殺害したことから、マーブル氏のほんの少しの天国と長い煉獄の日々が始まる。家族を含め登場人物いずれにも感情移入を拒み、淡々と筋を運ぶ筆致、主人公の崩壊していく世界は、やや突飛な連想だが、ジム・トンプスンのようだ(と思ったら、解説にもそう書かれていた)。物語を駆動させていくのは、金銭への欲求であり、リアルな外貨取引のシーンをはじめ、ここまで、金銭にこだわった小説は珍しい。主人公は一介の庶民にすぎないが、投げ込まれている世界は、仮借なき経済の論理が支配する世界である。そこでは、「代償」が求められ、家族は一人ずつ物語の外に放り出される。鈍い戦慄が押し寄せる小説である。
・『ミュージック・イン・マイ・ハート』
監督/ジョセフ・サントレイ 主演/トニー・マーティン リタ・ヘイワース
リタ・ヘイワースがまだスターダムに昇る以前の作品。まだ、黒髪。歌手のロバートは移民局から退去を命じられている身。出国の船に向かう途中、自動車の衝突事故に遭う。相手方の車が大破したため、乗車していたパトリシアを送る羽目になる。お気楽ラブコメ。主人公が歌手だけあって、ミュージカルの体裁をとっているが、ダンスシーンは、少ない。失意の富豪をみかねた執事は、歌手が家族持ちであるという新聞記事を偽造するという策略を施し大騒動となるが、最後に、主人公は富豪の養子となつて永住権を獲得という、なかなか破天荒のハッピー・エンディング。カメラは、ほとんどフィックスだし、ローバジェットとしかいいようのない作品だが、脇役陣が工夫されていて、そこそこ楽しめる。
・このDVDボックス、ブックレットも付いていないんだよな。
6月28日(月) 新しい『太陽黒点』論
・26日は、義母の三回忌。ホテルで。一周忌の次が三回忌とは、これいかに。
・ネットで衝動買いした、リタ・ヘイワースの主演作7本を収めたDVDボックスが届く。コロンビアスタジオ屈指のミュージカル全7作品初DVD化。本邦初登場2作品含むというのが、売り。【収録作品】「カバーガール」(1944年)「今宵よ永遠に」(1945年)「地上に降りた女神」(1947年)「雨に濡れた欲情」(1953年)「ミュージック・イン・マイ・ハート」(1939年)「踊る結婚式」(1941年)「晴れて今宵は」(1942年)
・新青年研究会の谷口基氏から以前、氏の新しい論考、山田風太郎『太陽黒点』論をオ送っていただいていたにもかかわらず、これもサイトで紹介しようと思いつつ、すっかり遅くなってしまった。誠に申し訳なし。
・タイトルは、「山田風太郎『太陽黒点論』―最後の〈敗戦小説〉―」。昭和文学研究 第48集(2004年3月1日発行)に掲載された二段組み12頁ほどの力の入った論考である。
氏の文中で触れられているが、今日、山田風太郎の最高傑作のひとつに数える声が少なくない『太陽黒点』も、発表当時は、「非常に非現実的」「どうしても納得がいかない」「風俗小説みたい」な「観念スリラー」等、当時の評判はけっして芳しいものではなかったそうだ。谷口氏の目論見は、同作を「推理小説のくびきから解き放ち」、「山田風太郎、最後の〈敗戦小説〉として位置づけることを試みるものである。」
氏の探索は、作中の登場人物の心理に分け入り、戦中派と呼ばれる世代特有の原質を探り当てるところから始め、その特有の心情を「前後の歴史からの截断」に求める。彼らの存在が注目されるようになったのは、1950年代半ばだという。同時に、50年代の日本は、戦後国の劣等感から脱して、ナショナリズムが再燃した時代でもあった。「わだつみのこえ」がベストセラーになり、特攻隊再評価の機運も高まる。こうした特攻神話が罷り通る時代に、真犯人の中の「怪物」は胚胎する。真犯人の犯行と心理を跡付け、「特攻隊という「神々」の〈青春図〉を戦後の時空に模倣することで、その〈神性〉を地に墜とす〈神殺し〉」を観てとる氏の分析は、一種名状しがたいような読後の感興をうまく掬い取っているように思われる。そして、『太陽黒点』が、「忍法帖の季節」に書かれたことに再度触れ、「歴史から〈截断〉されたヒーローへの共感に支えられた忍法帖の領土」と地続きの世界として読まなければならない、と結んでいる。
拙い紹介になってしまったが、多彩な資料の引用も含め周到かつ説得力に富んでいて、興味のある向きには、是非手にとっていただきたい論考だ。
・自分は、『太陽黒点』については、笠井潔の大戦間ミステリ論があてはまるとしたらこの作をおいて他にないと思うし、中期以降のクイーンがとらえられたマニュピレータ問題的観点からも詳細に論じられていいと思っているくらいで、ミステリプロパー的にも極めて魅力ある作品だと思うのだが。
6月24日(木) 寝ぼけ署長VS不可能犯罪
・ウィリアム・ゴールドマン『殺しの接吻』、ロバート・ファン・ヒューリック『紅楼の悪夢』(ポケミス)購入。
・アーネストさんからいただいた 初「密告」を二月以上も、ほったらかしにしてしまいました。誠に、申し訳なし。以下、引用させていただきます。
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今回の用件はなんと、密告であります。私もとうとう、密室系の密告できるまでになったか。と思うと、非常に感慨深いのであります。
今回お知らせする物件は二つあります。ひとつめは坂口安吾『明治開化安吾捕物帖』より「幻の塔」。『安吾捕物帖』からはすでに「密室大犯罪」「赤罠」の二つがそちらのリストに挙がっていますが、今回ちくま文庫版を読んでみて、「幻の塔」にも密室が出てくることが判明しました。
この話は、ある武芸道場主が隠し持っていると噂されている金塊を巡る話ですが、その道場主の新築の台所の床下の物置に二人の男の血みどろの死体がある。物置の四囲は石塀で塗り固めてあって出入りは不可能、しかし、台所には一滴の血もないので、その中で殺されたとしか思えない。という密室が出てきます。ちくま文庫版全集では13巻(下巻)に収録。
二つ目は山本周五郎『寝ぼけ署長』より「我が歌終わる」。派手な遊蕩で知られる佐多子爵が厳重に鍵のかかった書斎の中で、短刀で心臓部を刺して死んでいた。ほかに疑わしいところがなかったので一度は自殺と判定されたが、庭からもう一本短刀が発見され、にわかに他殺説が浮上してきた…というあらすじ。これ以上言うとネタバレになるのでいえませんが、変な期待はしないほうがいい、ということは言っておきましょう。なお、僕が読んだのは新潮文庫版です。
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どちらも、恥ずかしながら、初読でごさいました。「幻の塔」は、密室殺人と著者も云っているものの、抜け穴の存在が最初から明かされているため、密室の方の興味はあまりなく、表題になっている金の延べ棒の隠し場所の方が面白い。というより、謎の人物の回りに、不具者が絡んだ曰くありげな構図が、ちと面白い。「我が歌終わる」、『寝ぼけ著長』は、人情推理っぽいのかなと思っていましたが、少なくとも、この作は、謎の提出が堂にいっていて、ちょっとした驚き。トリックが単純すぎて、アンソロジーには向かないかもしれないけれど、寝ぼけ著長が文学や哲学を解し、洞察力に富んだキャラクターであるのも、発見でありました。
bss.rule