11 70年代CMソングコレクション

70年代CMソングpart-1

since 1999.5.13

update 2004.10.16
TADさんより コカコーラCMソングに関するのコメントを入手、追加。



【明治製菓のチョコレートのテーマ】

★一番印象に残るCMソングは「明治製菓のチョコレートのテーマ」です。演奏はボサ ノバで有名な「セルジオメンデス」です。特番で1分版のCMが流れて いたですが、あるレース場で緑のフォーミュラーカーが靄が掛かっって、ゆっくり走り ながらの映像でした。「チョコレート、チョコレート、チョコレートはメ イジ」とシックな調子の唄をバックに 非常にメルヘンチック映像のCMでした。ビデオがある今なら是非 録画したくなるCFかな。

【コカコーラ】

★コカコーラで、有名なのは1983年の矢沢エイちゃんの「YES,My Love」です が、1970年の「君の微笑が、、パパパヤパー、、」という出だしの曲 (ディークエーセス唄)とか 1972年の 「Real Life 」とか、 1973年の「ほんとのひととき、ほんとの 人生〜」と西郷輝彦が歌っていた曲もなかなかいい出来した。。
★最近、古めのカセットを発掘。その中でFM東京で日曜の午前中に放送 していたコカコーラ提供の番組でのCMソングが色々入っておりました。
「ほんとのひととき」
朱里れい子
ビリーバンバン
森山良子
青い三角定規
「うるおいの世界」というものあって、
朱里れい子
ビリーバンバン
森山良子
かまやつひろし
と結構なバリエーションがあったのです。
ぽせいどんさんより コカコーラ・アイテムの画像を頂きました。
★(情報提供:mamiさん 2003.6.27) こんにちは、mamiです。 コカコーラCM(特に70年代モノ)を求めてウン十年。SDTMさんをはじめ、皆様の掲示板 にいつもたいへんお世話になっています。
70年代といえば、私mamiは、小学校高学年。コドモでありました。 しかし、当時のコカコーラのCMはなぜか強烈なインパクトがあり、子供心に「大人へ の憧れ」?を感じさせられた名作です。
今でも見たいと思っているのは、いろんなバージョンがあった「誰も自由だよ〜パパ パパー」とか「コークの世界」。
確か女の人が、コークを片手に田んぼでかかしと並んでポーズをとっていたり、若者 たちが海でこれもコーク片手にはしゃいでいたりする画像だった気がします。 このCMが流れるたび、「そうか!コーラを飲むとこんなに楽しいオトナになれるんだ !じゃコーク飲もう!」なんてヘンなコドモ。
でも、現在流れているコーク以外のCMでも、こんな気分にさせてくれるCMってあるで しょうか?
昔のCMって、コークはもちろんお菓子でも車でも、思わず買ってみたくなるような気 分にさせられますよね。
「ケンとメリーのスカイライン」だって、「早くオトナになって、スカイラインに彼 と乗りたい!」なんてCMのケンメリになりきってましたから。 残念ながら、これはかないませんでしたが・・・あーあ。
もちろんCMではコークが最高。キャッチフレーズもやっぱりコーク最高。「No  Reason] なんか夏を感じさせますよね!
最近のCMでは、クリスマスバージョン、街を列車が走っていくものがオキニだったの に、去年くらいからやらないなー。どうして?
「I FEEL COKE」も本当にいい出来でした。
今一番の願いは、コークの歴代CMが見たい!です。 そうそう、十数年前にコカコーラ誕生100年記念番組というのをやっていて、そこ で流れたんですけど、ビデオデッキなどありませんでしたから、記録に残っていませ ん。
どなたか持っているかたいらっしゃいませんか?コカコーラボトリングで、そんなテー プ販売してないよね。 ああ、見たいよお。 誰かかなえてー。
情報、お待ちしております!

★(情報提供:TADさん 2004.10.15) 日本のコカコーラ情報を集めたサイト 「YES COKE」 を主宰しているTAD様より 1970年代前半のコカコーラCMソングに 関わる情報を頂きましたので、以下に示します。

●1970年・デュークエイセス「Big New Life」
   「Big New Lifeキャンペーン」でコカコーラ世代の定 着を図ると共に、新しい若者の世界とその中にある「コカ コーラ」というテーマを追求した。テレビCMではヨット・ サーフィン・グライダーなどが映された。  またこの年「EXPO'70」の協賛もした。

●1971年・青い鳥「The Real Life」
   「The Reil Lifeキャンペーン」で前年の「Big New Life」 を一歩進めてさらに精神的な爽やかさを強調した。 テレビでは前年から続くスチールフォトを生かした映像も新鮮だった。

●1972年・スクールメイツ「愛するハーモニー」

●1972年・西郷輝彦「コークの世界」
   「このひとときコークの世界キャンペーン」で人間らしさを表 現した。テレビではキャンプをする若者などが映された。

●1973年・朱理エイコ「うるおいの世界」
●1974年・森山良子「うるおいの世界(広場編)」
●1974年・かまやつひろし「うるおいの世界(友達編)」
●1974年・ビリーバンバン「うるおいの世界(街編)」
 「コカコーラうるおいの世界キャンペーン」で色 々なうるおいがテーマになる。 当時フォーク歌手がオリジナルソングを歌ったのも話題を集めた。

【松下電器 ステレオ・テクニクス】

★これは、吉田拓郎の歌う初めてCMソングです。曲名は 「僕の旅は小さな叫び」で、これは彼の作詞/曲ではありません。しかし、 あの拓郎節で歌ってくれるエネルギッシ ュな曲です。これはFM東京でナショナルがスポンサーになっていた 番組の中に1分版を滅多に掛けてくれないので、苦労して録音しました。ラジオ での録音はTVと違って、いつ始まるか分かりにくいのかなり緊張しつづけ ることを強いられるので大変でした。

★(情報提供:ニャンちゅうさん 1999.5.13) 拓郎のテクニクスのエピソードをひとつ。ギョーカイではギャラを決める とき(税金の関係で)「並び」という云い方をします。例えば55万5千5百 55円を「5並び」と云います。テクニクスのCMの話を取ってきた後藤氏 (現フォーライフレコード社長)は、「2並びなら」ということでギャラ を交渉したのだが、振り込まれた金額は22、222円だったということです。 いまだに拓郎は「安い仕事をしてしまった」とぼやいています。

★(情報提供:Tさん 2002.10.30) 昔、TVで聴いた曲は、ボーカルが始まるまでのしびれるようなアコーティス ティックサウンドがあったのを憶えてます。20うん年間捜し求めて、某オークションで 非売品EP(*) を競り落としました。それを聴いたのですが、自分のイメージと違っているの にちょっとがっかりでした。
*:Tさんより譲って頂きました。Tさん、貴重なものを有り難う御座います。

【明治チョコレート・エクセル】 CM画像

★このチョコレートが世に出たとき、「エクセル、エクセル、、、」と連呼 するだけのCMソングでしたが、次の CMソングは最初奥村チヨが唄っておりまし た。 曲名は「愛するために」詞もなかなか良くて 「めぐり合う日は、、(途中略)愛するために、 生まれてきたよ〜」とチョコの 誘惑がヒシヒシと伝わってきます。TV登場の際には男性の唄で若干アップ テンポ、映像も「風に靡く笹の草原(だったと思う)」とちょっとシュー ルなものでした。後日、レコードが出て、松原真二さんが歌っていましたが、 CMの感じとちょっと違うようです。

その後、外人の俳優さん( ビョルン・アンドレセン: 映画”ベニスに死す”でスターへ)が「永遠にふたり」を唄い、CFにもで ていました。 この曲は短命で、すぐさま、アンドレセンが 「愛するために」を唄い始めました。

★(情報提供:なおさん 2001.5.10) きゃあぁぁぁ〜〜〜〜〜!!! もうもうもう、感動です! 大好きなアンドレセンの幻のCMがっ! 「見たい見たい」と切望していたCMの画像も載せて下さっていて、 本当に感激しておりますっ!泣 『愛するために』という曲は、アンドレセンのために書かれた曲じゃなかったのですね。 先にCMで他の方が歌われていたとは。 初めて知りました。

なおさんのサイトではアンドレセンの詳しい情報があります。

【不二家チョコレート・オーレ】

★不二家提供の番組は日曜午後7時半〜8時までの「日曜ファミリー劇場」 です。この中では1分という長いCFは流すことはありませんでした。 特番で、この「オーレ」の1分版を見たときは、残念ながら録音の準備 が出来ておらず、涙を飲んだ思い出のCFです。最後に「ウ〜ン、ショコラ、オレ」 というフレーズが耳に残っています。
★(情報提供:フリーマンさん 2003.12.13) 以前、不二家チョコレートオーレのCMソング歌詞を一部変えて、 ポップスの曲に作り替えて歌っておりました。最近、GS音源によるオーケストラアレンジ 版を作成してみました。
 この曲は私が中学生の頃にコマーシャルで聴いた物で、 もともとダニエル-ヴィダルというフランス人の歌手が歌ってい たと思います。
 この曲は、当時、日本で流行したフランスのポップスのメロディーラインでしたので、 ずっと興味があり、アレンジはしてあったのですが、演奏ができずにいました。 これは数年前にGS音源を手に入れた時に打ち込んだものです。 チェンバロの音だけは打ち込みではなく実際にひいています。
また、当時はフランスのポールモーリアやレイモンルフェーブル・フランクプールセル等の オーケストラが来日してそれらの出すバイオリンにPAやエコーを通した音やチェンバロ の音がとても新鮮で、私もこんな音を出してみたいと思っていたのですが、 もちろん電子楽器も、オルガンくらいしかなく、オーケストラのアレンジが できるなんて考えられませんでした。

★(情報提供:SDTM 2003.12.20) チェンバロの響きが非常に懐かしいです。1分もの、、これが 実に感動です。 当時のCMで出てくる女性は「ティナ・ラッツ」というモデルさん です。当時のCM映像を思い出しますと、アルプスの麓みたいな場所で 女性が白樺の木立に手を掛けながら、回る、、そんな映像でした。 『愛の花〜今日も開くの〜……愛しながら〜いくの〜♪ ショコラ・オーレ』という歌が流れておりました。

★(情報提供:フリーマンさん 2003.12.24) 私が個人的に歌っていた歌詞は ほとんどCMソングのオリジナルですが、一部変えたのをお見せします。

あの人に会える
喜びをむねに
いつのひも私は生きる

愛があるかぎり
生きてゆけるのよ
人はだれでもみんないつも

愛の花
今日もひらくの
いつの日もみんな
愛しあいながら
生きてゆくのよ
Mon ami, oui je t'aime
 
その後、フランスのオーケストラにもっと近い音の音源(SD90)が入手できまし たのでもう一度打ち込みをしてみようと思っています。

【日産チェリー】

★日産初のFFファミリーカーで、当時かなりリキの入った宣伝を展開して おりました。「当ったり前だなぁ」、「超えてる」というキャッチコピー でガンガンやっていました。その CMソングは「赤い鳥」が歌う「行こう自由な〜」は 歯切れのよい好感の持てるものでした。これを録音するには、いくつか 日産スポンサーの番組があったのですが、1分版を放映する確率が高い 土曜東京12チャンネル(現TV東京)にて 午後9時から10時に放映されていた「大江戸捜査網」にて ゲットしました。杉良太郎が出ていた奴ですよ。

【トヨタ・セリカ】

★セリカがデビューした時は、「格好イイ!」と本当に思いました。 フルチョイスシステムということで世界で1台しか無い「セリカ」に 乗れるという「売り」でした。 なかなかCFでは、女性のセクシーな声で「あなたも変えたら」と 誘うのも印象的。曲は 「恋はセリカで」という曲名です。 英語と日本語のチャンポンの詞で外人さんが歌ってました。 モータショーでもセリカの前で流れていました。

★(情報提供:友人T氏 1999.5.28) カリーナと同時デビューでしたね。セリカのフロントマスクは、 コロナそっくりでした。フルチョイスシステムといって、インテリア とエクステリアを別々に選択できましたね。但し、1970年当時、 トヨタは板金技術は優れていましたが、懸架装置とエンジン設計は 技術がなく、圧倒的に日産(というよりもプリンス)に水をあけら れてました。OHCエンジンが造れなかったし、後輪独立懸架は 2000GT以外なかったですからね。有名な2T-G(1600DOHC) は、ヤマハの設計ですからね。

★(SDTM)このセリカは4輪独立懸架?

★(情報提供:友人T氏 1999.5.28)残念ながら、違います。前輪はストラットですが、後輪は4リンク+ラテラル ロッドです。 そういえば、(セリカ+ギャランGTO)/2のような格好したセリカ リフトバックが後から発売されましたね。現スープラのルーツとも言える 車種ですね。ヤマハ製DOHCヘッドを付けた2T-Gエンジンは、セリカ1600GT の他に、カローラとスプリンターに搭載され、レビン、トレノが出来上がり ました。2T-Gのシリンダーブロックは、オリジナルの2T(OHV)と共用 なので、シリンダーブロックにはOHV駆動用のプッシュロッドが通る穴が 開いてました。肉厚のあるシリンダーブロックだったので、ボアアップで 排気量増大が簡単だったようです。レース用エンジンに使われてましたよね。

【日産ローレル・ハードトップ】

★日産とプリンスが合併して、はじめて世にでたセダンが「ローレル」です。 4ドアタイプは、当時のブルーバードと酷似しており、なかなか販売台数 が上がらなかったと聞いてます。これを打開するべくクーペタイプの ハードトップが出たのです。このときのCMソングがなかなか良い曲で、 「そんなに〜すべてが〜うつくしい〜ローレル〜」と良い響きでした。 これも1分版を録音できずに涙を飲んだものです。。そうそうキャッチコピ ーは「ロングホイルベースの足長ローレル」でした。。

★(情報提供:友人I氏 1999.5.27)初代ローレル・セダンは実家の初代 マイカーでした。 エンジンは当時のスカイラインと同じG18(1800cc)で、 4輪独立懸架、カーステレオ付き、内装も結構豪華なのに、 今ではどの車にもついているエアコンがなくて、夏は乗る のがとてもつらかったです。ロングホイールベースが売り 物なため、車長が長く、かえって取り回しが不便でした。 以来、実家の車のサイズは代々小さくなる一方でした。

★(情報提供:友人T氏 1999.5.28) 昔から、疑問に思っていたんです。ブルーバードP510とほぼ同時の デビューですよね。外観も似たボクシースタイルで、4輪独立懸架も 同じシステム。P510は日産のベストセラーになったにもかかわらず、 ローレルは全然ダメでしたからね。両車種とも、殆どの設計は、プリ ンスの技術なんですね。P510開発当初は、後輪リジッドだったんです。 社長が「うちは、独立の技術がないのか!」とカツを入れて、セミトレ 独立になったらしいです。 プリンスは、代々スカイラインで熟成してきたG型エンジンを持って いて、日産はL型を熟成途上だったんです。しかし、なかなかL型 がG型の性能を超えられないので、戦略上G型を製造中止にしてし まったらしいです。

CMソングの資料の一部

CMソングのソノシート&EPレコード

コカコーラの広告

松下電器 ステレオ・テクニクス

日産チェリー

トヨタ・セリカ


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