インターネットの夜は明けたか

インターネットの夜明けは終わったのだろうか。ここ6年くらいの急速なインターネットの普及で、ここに繰り出す人の数は増える一方ですが、まだ私たちの足元は十分に明るいとは言えないように思います。

私の手元に、インターネットマガジンの第2号があります。これは1994年12月号で、値段は1980円。すでにCD-ROMが2枚おまけでついています。思えば、この本がインターネットサーフィンを始めたきっかけだったかも。表紙には、「Mosaicで21世紀のマゼランになれ」とある。モゼークですもんね。現在のインターネットマガジンの宣伝のほとんどはプロバイダーですが、この号には、IIJとリムネットくらいしか宣伝を出していない。(ほかにも、InfoWebやBEKKOAMEなどが営業していた。)この頃はまだ、家庭からインターネットにつなぐのはオタクな時代でした。普通の人は、職場や大学からつないでいた。いわば、ハイエンドな技術者が中心になってインターネットを使っていたのです。だから、広告もサン・マイクロシステムズのワークステーションとか、50万円を超える「低価格HUB」だったりします。もちろん、マイクロソフトの広告もありますが、これがなんと、Windows NT 3.5が発表されるという予告広告というところが、なんか別世界のようです。

ワールド・ワイド・ウェブ(WWW)の概念自体は、1989年にスイスの研究機関CERN[cern](ヨーロッパ粒子物理学研究所)が、ネットワーク上で研究情報を共有する方法として考案したものでした。しかし、アイディアはできても、現在のような印刷物のようなページを表示して、その中に埋められたリンクをクリックして情報をとりだす形になるまで、4年が必要でした。最初のWebブラウザは、イリノイ大学NCSA[ncsa](National Center for Supercomputing Applications)から1993年の秋に発表されたMosaic(モゼーク/モザイク)です。これが、今のWWWブラウザの原型であって、これを開発したメンバーが商用のブラウザとサーバーを開発して売り出したのが、今のネットスケープの始まりなのです。Mosaic型のブラウザが出たとたんに、アメリカの通信回線を流れるWWWの情報量が150倍に増えたと、インターネットマガジンには書いてあります。それから1年後、この雑誌が発刊された時点では、複数の会社がMosaicの技術を使ったブラウザを出しています。でも、今ではマイクロソフトのインターネット・イクスプローラが主流で、それをネットスケープが追っているという形になっています。

こうした経緯を見るとき、インターネットの最初は、あくまで研究者の情報通信手段であったということを、忘れるべきではありません。そして、当時のインターネットにおけるモラルは、インターネットという仕組みを誰もが維持することを最優先にすべきであるという考え方がベースになっていたと思います。ですから、インターネットを混乱させるような行為を、徹底的に非難して矯正するという面もあった。でも、きびしい一方で、多少はめを外して、エッチ画像をホームページに並べても許されていたように思います(^_^)。Mosaicがまだ1才だった頃は、こういう古きよき文化が残っていました。しかし、それも、アメリカの上院が、インターネットで公開される情報を制限する法案を通した[cnet:英文]1996年頃から、一気に変わってしまいました。セクシー画像はネットワークの海の底か、会員制サイトの中に隠れてしまった。こうした、アダルト情報を規制するかしないかという議論は、今も続いています[wired]。とはいえ、Mosaicの出現から数年で、WWWは巨大なメディアとして認知され、インターネットを愛してやまない研究者の手から離れていったのです。で、離れていった先は、商業主義の世界ということになりますね。

バナー広告という、派手に瞬くネオンサインがホームページに登場してきたのはいつの頃からでしょうか。私がこのホームページを始めた1997年には既にあったように思います。あとは、ダイレクト電子メールも、いつの間にか爆発してSPAMという名前で問題視されるようになりました。商品情報を安くばら撒く方法として、インターネットは安易に使われ始めたのです。安易だという証拠に、毎日、興味の無い宣伝メールが私のメールソフトのごみ箱に自動振り分けされているし、見たくも無いバナー広告を表示するために無駄な接続時間を浪費しなくてはいけません。バナーがあるから無料で情報を得られるという考え方もありますね。でも、それはインターネットの常識ではない。研究機関生まれのインターネットでは、無料で情報を提供するのが当たり前だったのだから。もちろん、時代が違うと言われるでしょうし、私も、全ての情報の値段が無料である必要は無いとも思います。とはいえ、昔からの利用者の懐古をよそに、インターネットはビジネスの場になりました。今や、日本経済の救世主ですからね。

ネットビジネスが儲かるかどうかは、まだ結論が出ていないと思います。でも、儲かるためには、ただ単にネットワークに商品情報をばら撒いているだけではだめで、個人情報を元にした狙い撃ちが必要であることが分かってきたようです。おかげで、今では個人情報が危機にさらされています。先日、某出版社の子供向け雑誌サイトを訪れて驚いた。しっかり、アンケートページがある。名前、住所、電子メール、年齢(学年)、、通信速度、自分専用の電子メールの有無などなど。これって、情報先進国のアメリカだったら許されない[cnet]と思いますよ。さらには、ネットワーク上で料金を払える便利さも必要だということになって、ネットワークで個人を認証する方法が公認される。インターネットの特徴は、距離が無いことだと、以前も書きました。その恐ろしさが分からない人たちが、これからもネットワークに入ってきます。この世界では、地球の裏側の悪者が、あなたの財布から金を掏り取ることができるのです。近所の商店に渡したアンケート用紙が、関係ない1000kmも離れた企業の名簿に明日ファイルされてるかもしれない。最初に守られるのが企業で、最後に守られるのは一般の個人になりかねないのが、いまのインターネットだと思います。

インターネットの夜は明けていない。それなのに、まだ暗い明け方の道にたくさんの人が繰り出して騒いでいる。それが、今のインターネットではないでしょうか。これまで、私たちは何十年も紙幣や契約書、納品書レシート、あるいは手紙、はがきといった、主に紙ベースのメディアで日常生活をしてきました。多少のトラブルも、これまでの蓄積してきた慣習や、法的なバックアップで回避できるようになっています。しかし、その影には、多額の損失をして馬鹿を見た先輩方の失敗があるのではないでしょうか。それを、何十年、何百年経験して、今の社会のシステムができている。一方で、インターネットを使った商取引や、コミュニケーション文化は、たかが5〜6年の歴史しかないのです。まだ、このメディアに生じうる全ての問題が見えているとは思えない。こうした、枯れていないメディアを生活の一部にするとき、その危険性を、心のどこかで感じながら使うべきではないでしょうか。IT革命のはじまりにしては書いていることが暗すぎるって?でも、最初の被害者にならないために、十分にセキュリティに注意して、相手を疑いまくって、この革命を切り抜けましょう。ここでは、誰も守ってくれません。(じきに、インターネット保険が売り出されるから大丈夫って?)

2000.12.22
おまけこの頃欄
回想:キラーだったソフト(killer.soft)
R-Type(あーるたいぷ)は、PC Enginと呼ばれたNEC-HE製ゲーム機のキラーゲームソフトであった。私もR-Typeを遊ぶがために、これ(初代と言われてるらしい白いやつ)を購入。ソフトはスマートなICカード(Hu-Cardといった)で場所をとらないし、もしかしてPC9801とつながるかも知れない拡張ポートも付いていたし。これって、PC9801の愛用者として当然の選択だったよね。その後、ジョイパッドポートが1つしかないPC Enginで、ストリートファイターの対戦ゲームをしたいとせがむ子供のために、ジョイパッド分配器?も購入。我が家唯一のゲーム機として数年使っていたが、基本に戻るつもりで買ったR-Type2(中古)のクリアをまたず、我がPCエンジンは力尽きた(壊れた)のだった。
ひとつ戻る HOME つぎに進む