インターネットの大衆化とは

2001年11月に、携帯電話にインターネットから送られる電子メールの84%が、実在しないアドレスへのメールだと、NTTドコモが発表しています[nikkeibp]。このほとんどが、じゅうたん爆撃的に送られた勧誘メールであるというのが発表の趣旨ですが、残りの16%の中にも、たまたま相手にヒットしたメールがあるわけですら、携帯電話へインターネットから送られる電子メールの、ほとんどは勧誘メールであると言う異常な事態になっています。もし、こうした迷惑なメールを通信料金を払って受信してしまったとしたら、あなたは下のどちらに近い意見を持つでしょうか。

  • 無駄な使用料金を取られるのが問題なのだから、携帯電話会社がメール受信を無料にすれば解決する。
  • 相手がいるかどうか分からないアドレスに、多量の電子メールを送信する業者がいる限り解決しない。

    ここに書いた二つの考え方には、インターネットに対する認識の違いがあります。最初の考え方はインターネットを水道のように金を払えば自由に使えるものと思っているのに対して、後の方は農業用水のように自分も含めた利用者が上手に共有すべきものであると考えています。例えば、個人利用でプロバイダーと契約してインターネットに接続すると、水道型の使い方になります。定額接続になれば蛇口を全開にしたくなる(^_^)。それによって他の人の水の出が悪くなるかも知れないが、それはプロバイダーの責任という考え方です。一方、会社や大学のLANでインターネットを使う場合は、農業用水的な使い方を求められます。下手な使い方をすると、システム管理者という怖いおじさんから、お叱りの電話がかかってくるかもしれません。十年くらい前のインターネットは、こういうシステム管理者の教育のおかげで維持されていました。プロバイダーにもシステム管理者はいる筈ですが、お客様がルール違反をしたとしても叱りつけることはしません。問題は、この先インターネットが普及すると、利用者の増加に反比例してネットワークを守るという発想が消えていくということでしょう。

    勧誘メールの問題は、それぞれの電話会社がサーバー側で実在しないメールのブロックをする方向で対処をしています(NTTドコモ[cnet]KDDI[cnet])。しかし、電子メールの歴史において、サーバーでブロックしなくてはいけないほど多量の受信元不明メールが流れることは、前代未聞の異常事態ではないでしょうか。相手がいるかどうかわからないメールを多量に送ることは、相手のメールサーバーやネットワークの負荷となるので、してはならないことです。ですから、本当は、自分たちのネットワークを乱された利用者の怒りを、メールの発信者に送るべきなのです。しかしマスコミは、無駄なメール受信に課金されるという問題の方に注目して、利用者保護のために通信業者が何らかの対処をすべきだという論調が主でした。どこかのニュース番組のコメンテイターなども、「メールの受信に課金するドコモがけしからん、なんで発信者に課金せんのだ、まったくドコモはけしからん」などと発言していたっけ。もしかして、この人は、本気で全世界のメールサーバーに送信時に課金するシステムを付けることができると思っているのかな。敵は、海外のサーバーからだって迷惑メールを送れるのに。コメンテーターって、インターネットの仕組みを予習することもなしに発言しても出演料がもらえるのですね。でも、「馬鹿かおまえは」などと、テレビに毒づいていても仕方ない。あと4年もすると3000万世帯が高速インターネットを利用できる[soumu]時代になるのだそうです。この時期には、インターネットは、まさに駅前商店街さながらに、一般大衆の通り道になります。迷惑メールの問題と同様に、想像を絶する使われ方をされるかもしれません。そうした時代にネットワークを守るには、ボランティアが基本であったインターネットから、水道や道路と同様のインフラストラクチャとしてのインターネットへ、社会的な位置づけを変える必要があります。

    ストリーミング、バーチャルLAN、IPv6と、新しい技術が増えることで、データの種類や速度は変わっても、基本的に信号の流れる道や経由点を共有するという、インターネットの仕組みは変わりません。共有するものを自分勝手に使ったら、仕組みが壊れるのは上下水道のような公共のインフラと同じです。マンションの10階から多量の汚水を流して、下の階のお勝手から噴き出すような使い方をすれば、誰でもお叱りを受けるでしょう。それに近いことがインターネットでも起きる(下水道料金を払っていてるから叱られないというわけでもないよね)。すると、まずはインターネットの公共心というものを子供の頃から叩き込まなきゃいけませんね。つまり、10年前のシステム管理者がやっていたような教育を小学校からやる。そうすれば、少なくとも10MBもある添付ファイルを付けた電子メールを多量にインターネット経由で送ったり、メールをいつまでもサーバーに残す設定にして、メールサーバーのハードディスクをパンクさせるような人は減ることでしょう。ただ、いくら小学校で教育しても、中学生になると言われたことと反対のことをしたがるもので、これも避けようがない。さらに、大人になると、道に空き缶やコンビニ弁当のごみを投げ捨てるようなりますから、ウイルスメールをばら撒いても知らん振りというおっさんやおばさんが増えることも予想されます。つまり、使う人が増えれば、日常見かける、一部の(?)しょーもない人たちがインターネットを乱すのは目に見えているし、実際そうなってきているということですね。

    さらに事態を悪化させるのが、ネットワークを使ったビジネスです。街角でキャッチセールスして、無駄遣いさせるような商法がネットワークにも入り込んでくる。すでに入っているか(^_^;。こと、ビジネスが絡むと何でもありで容赦なくなるのが、世の中の仕組みというものです。携帯電話への勧誘メールの嵐も、これですね。私も、その手のメールを受けています。でも、こういうのに、抗議の返信メールを出してはいけないのだそうな。「つまらんメールを送るな」という内容は、相手には「このアドレスは使われている」という風に読めるらしい。かくして、精度の高いメールアドレスのリストは転売されて、いろんなとこからメールの嵐がやってくる。しかし、自分に送られてくる不要なメールやファイルを、受け取る前に取り除くことは容易ではありません。欲しくないものは、人によって異なるし、同じ家族の中でも一人一人異なるでしょう。子供へのアダルト情報を制限するように、なんとか情報をフィルターしようという試みもありますが、オールマイティーではない。少しは効果を出しているのは、不正アクセスを防ぐファイアウォールとか、ウイルスチェックつきのメールサーバー程度ではないでしょうか。でも、必ず技術には抜け道があるものです。金儲けのためなら、いくらでも抜け道は利用されるでしょう。それなら、しょーもない奴は法的に取り締まればよいか。

    この点については、多分、法律の専門家の皆さんの意見はいろいろでしょう。少なくとも、なんらかの法律で被害者の救済をする必要はあると思います。ただ、社会の状況を見る限り、かならず法の抜け穴を使う奴は出てくるものです。どんなに立派な法律を作っても、インターネットを通して「合法的に」私たちに損害を与えるビジネスが現れるでしょう。過半数の世帯がインターネット接続するような時代に入ったとき、獲物を狙ってインターネットを悪用するビジネスが群がるようになる。携帯電話の迷惑メールの割合から言って、インターネットに流れる電子メールの80%は、アダルトネタの勧誘メールになるかも。こいつは、ヘビーですなぁ。私のメールアドレスには、毎日の様に宣伝メールが入ってきます。電子メールのフィルター機能で、ゴミ箱に直行させますが、敵もさるもので、タイトルや送信元を少しずつ変えて、フィルターに引っかからないようにするのです。私は、迷惑メールをゴミ箱に直行するフィルター定義を40件まで作ってあきらめました。受信トレイで選んでデリートキーを押す方が簡単だったりして。例えば、意味のあるメールの10倍も迷惑メールが来たりしたら、もはや電子メールの機能が損なわれていると言えませんか。迷惑メールが、電子メールサービスという長い歴史を持つインターネットのサービスを破壊するのも時間の問題か。

    私からみれば迷惑メールであっても、そのメールを待っているエッチなおっさんが一人でもいれば、それは「おじさんにも大人気の」案内メールになる。そのメールを配信しているプロバイダーに抗議したとしても、その利用者からのメールの送信を全て停止させることは容易ではないでしょう。仮にプロバイダーのメールサーバーから締め出すことに成功したとしても、メール配信のルートさえ確保できれば、自前のメールサーバーを立ち上げることは難しくはない。この場合、迷惑メールを止めることができるのは、メールの配信経路にある中継サーバーだけです。でも、迷惑メールを配信する私設サーバーからのメールを、中継サーバーの管理者が止めることはできるだろうか。迷惑メールを探して、たくさん通り過ぎていくメールの中身を検閲したら、別な問題がおきそうですね。大衆化にともなう、インターネットのモラル低下に対しては、明快な解決策はありません。正直者が馬鹿をみる現世が、利用者の良識が頼りだったインターネットにまで入り込むとすれば、落としどころなんかありゃしないのかもしれない。しかし、なんだかなぁ。むしろ、高度な技術力で不正侵入するクラッカーの方がまだ話が通じるような気がしてきた。彼らは、自分たちの住処であるインターネットを破壊しようとはしませんから。

    少なくとも日本においては、インターネットは無法地帯だと誤解している利用者がいるようです。いや、法的につかまらなければ何をしてもよいと思っているのかも。法律が完備されるまでに、一儲けしてやろうってことか。こうなると、もはやカルチャー(文化)の問題ではないでしょうか。長い歴史の間、基盤を壊して滅んだ文化も多かったかもしれない。そこまで大げさでないにしても、ネットワークが文化の基盤となりうるか。これが21世紀の日本の課題ではないでしょうか。

  • 2001.12.22
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