日蓮正宗の本義から逸脱した謗法団体(異流義)について

創価学会(そうかがっかい)の概要と破折


【創   立】昭和5年11月18日(創価教育学会)
【創 始 者】牧口常三郎
【代 表 者】池田大作(名誉会長)、秋谷栄之助(会長)
【本   尊】日蓮大聖人が図顕された曼荼羅本尊
【教   典】日蓮大聖人御書全集
【本部所在地】東京都新宿区信濃町32
【信 者 数】国内812万世帯、海外148カ国に136万人
【名称の変遷】創価教育学会(創立時)→ 創価学会(昭和21年)


【沿革】

創価学会は、日蓮正宗の信徒団体であったが、平成2年暮れより顕在化した数々の謗法行為により、平成3年11月28日、日蓮正宗より破門された団体である。


<創価学会の発足>

初代会長牧口常三郎(1871〜1944)は、昭和3年、東京池袋の常在寺の法華講員であった三谷素啓に折伏され、日蓮正宗に入信した。また、2代会長戸田城聖(1900〜1958)も、牧口に続いて入信している。

この頃、白金小学校の校長をしていた牧口は、その教育経験などから、「価値創造」を基とする独自の教育方法を考案し、「創価教育学」と名づけた。これに共鳴する教育者が次第に増え、牧口、戸田両名はそれらを折伏し日蓮正宗に入信させ、昭和12年5月、東京麻布の菊水亭で「創価教育学会」の発会式を行った。

昭和16年、太平洋戦争の勃発に伴い、軍部は国家神道を基とする国体思想の徹底を図った。このようななか昭和18年7月、牧口は治安維持法違反と不敬罪の容疑で逮捕され、続いて戸田ら幹部も同じ容疑で逮捕された。牧口は昭和19年11月18日、獄中において死亡するが、戸田は昭和20年7月3日に出獄し、学会の再建に尽力した。昭和21年1月、その名称を「創価教育学会」から「創価学会」と改めた。

終戦直後の混乱期に乗じた折伏によって入信者は増え、昭和22年に池田大作が入信、昭和26年には戸田が創価学会の2代会長となり、組織の再編成と活発な布教活動を全国的に展開した。


<法人設立>

昭和26年、戸田は「総本山外護」と「布教をしやすくするため」という理由で、創価学会が独自の宗教法人を取得することを宗門に願い出た。

これを受けて宗門は、学会に対し、次の三原則を法人設立の条件として提示した。

  1. 折伏した人は信徒として末寺に所属させること。
  2. 当山の教義を守ること。
  3. 三宝(仏法僧)を守ること。

学会は、この三原則と宗門外護の遵守を確約し、昭和27年8月27日、信徒団体という特殊な形態のため、東京都知事の例外的措置をもって宗教法人の認証を受け、同年9月8日に宗教法人の設立登記を完了した。


<3代会長池田大作就任>

昭和33年4月2日に戸田が死亡し、会長職はその後しばらく空席となっていたが、昭和35年5月3日、池田大作が創価学会会長の第3代として就任した。

その就任式の席上、池田は、「わが創価学会は日蓮正宗の信者の団体であります。したがって私どもは大御本尊様にお仕え申し上げ、御法主上人猊下にご奉公申し上げることが学会の根本精神だと信じます」と述べて、本門戒壇の大御本尊と御法主上人に随順していくことが創価学会の精神であることを公表した。その後、教勢が拡大していくなか、昭和39年4月の大客殿落慶法要を期して、第66世日達上人より池田は法華講総講頭の任命をうけた。これによって池田は、日蓮正宗信徒の中心者として位置づけられた。


<政界進出と正本堂建立>

同年5月に行われた創価学会の第27回本部幹部会において、池田は正本堂の建立寄進を打ち出した。この正本堂建立が、池田の慢心を増長させ、「52年路線」を招き、また正本堂建立に反対する妙信講問題や、創価学会の非法を執拗(しつよう)に攻撃する自称・正信会の派生など、さまざまな波紋が生じる要因となった。

これに先だって創価学会は、昭和36年11月、「王仏冥合」を掲げて「公明政治連盟」を発足させ政界に進出した。翌年11月には「公明党」を結成し、昭和40年7月の参議員選挙では20議席の勢力を有するほどになった。

このようななか、創価学会の「言論出版問題」が表面化した。昭和45年、民社党はこれに関して池田大作の国会喚問を要求し、また共産党は「国立戒壇は憲法違反に当たるのではないか」との質問を提出し、政府に答弁を求めた。これにより池田は、同年5月に行われた本部幹部会において、言論・出版問題に関する謝罪と、創価学会と公明党との政教分離を表明し、さらに宗門の公式決定を受けて「国立戒壇」の名称は使用しないこととした。

また、池田は、未だ広宣流布が達成されていないにも関わらず、自分が広宣流布を達成した証しとして、正本堂を「日蓮大聖人ご遺命の戒壇」とするよう宗門に迫った。しかし日達上人はそれを拒否され、『訓諭(くんゆ)』をもって正本堂を「大聖人御遺命の戒壇に準ずるもの」「現時における事の戒壇」と意義付けられ、昭和47年10月に正本堂が建立された。


<52年路線>

正本堂建立を機に、池田は宗門支配を画策し、宗門に対してさまざまな圧力を加えはじめた。このときすでに池田には大きな野望があった。それは山崎正友(当時の創価学会最高顧問弁護士)、八尋頼雄(やひろ、当時の創価学会顧問弁護士)、さらに北条浩(当時の創価学会理事長、後の四代会長)による、池田への報告書『山崎・八尋文書』(昭和49年4月)、『北条文書』(昭和49年6月)に明白である。

『山崎・八尋文書』には、「一つは本山といずれ関係を清算せざるを得ないから、学会に火の粉がふりかからない範囲で、いつでも清算できるようにしておく方法と、いま一つは長期にわたる本山管理の仕掛けを今やっておいて背後を固めるという方法です」とあり、『北条文書』には、「長期的に見れば、うまくわかれる以外にないと思う」、「やる時がきたら徹底的に戦いたいと思います」などとある。このように池田創価学会は、宗門を実質的に支配して乗っ取るか、それができなければ分離独立するという陰謀を企てていた。

昭和52年には、学会に批判的な僧侶の吊るし上げをはじめとした僧侶攻撃や宗門批判を行うとともに、日蓮正宗の教義から逸脱し、ついには御本尊模刻という大謗法を犯すに至った。これがいわゆる創価学会の「52年路線」である。

このときの教義逸脱の主なものは、

  1. 創価仏法の原点は、戸田会長の獄中の悟達にある
  2. 唯授一人の血脈否定・途中の人師論師は無用・大聖人直結
  3. 人間革命は現代の御書
  4. 池田会長に帰命・池田会長は主師親三徳、大導師、久遠の師である
  5. 寺院は単なる儀式の場、会館は広布の道場
  6. 謗法容認(祭りへの参加等)
  7. 供養は在家でも受けられる

などである。


<52年路線の収束>

これらの謗法行為に対し、宗内僧侶を中心とした学会批判の声が全国的に広がり、脱会者が続出した。池田は創価学会の崩壊につながることを危倶し、日達上人に謝罪して事態の収束を願い出た。

そして昭和53年6月30日、創価学会は聖教新聞に「教学上の基本問題について」と題し、教義逸脱に関する訂正文を掲載した。しかしそれは、訂正内容が曖昧であったうえに、会長である池田大作の責任を明らかにするものではなかった。この頃、創価学会による本尊模刻も発覚し、同年9月28日、学会は急逮、勝手に造った7体の本尊を総本山に納めた。窮地に追い込まれた学会は、同年11月7日、総本山において、幹部2,000名による「創価学会創立48周年代表幹部会」(通称お詫び登山)を開催し、そこに列席した宗内僧侶の面前で公式に謝罪の意を表明した。

しかし実際には、それらの逸脱はいっこうに改められず、宗内から池田大作自身の責任を問う声がいっそう激しくなった。昭和54年3月31日、法華講連合会は緊急理事会を開き、法華講総講頭の職にあった池田に対して辞任勧告を決議し、その書を送付した。

これらのことから池田は、同年4月22日、日達上人に法華講総講頭の辞任を申し出て、同月24日に創価学会会長を、26日には法華講総講頭をそれぞれ辞任した。

これをうけて日達上人は、同年5月3日、創価大学における本部総会の席上、創価学会が日蓮正宗の信徒団体としての基本を、今後、忠実に守ることを条件とされたうえで、学会問題の収束を宣言された。また、池田の辞任後、4代会長には北条浩が就任した。

その後、同年7月22日の日達上人の御遷化(ごせんげ)に伴い、第67世に日顕上人が登座され、日達上人の方針を引き継いで学会の善導に心を砕かれた。しかし、その方針に従わない一部僧侶が「正信会」を結成して活動を続け、やがて日顕上人への血脈をも否定するに至り、擯斥処分に付された。

この間、昭和56年7月18日には創価学会会長であった北条浩が急死し、5代会長に秋谷栄之助が就任した。


<平成の分離独立路線>

平成2年11月16日、池田大作は全国の学会員に対し、衛星放送を通じて、法主上人への誹謗と宗門蔑視のスピーチを行なった。その内容は、「猊下というものは信徒の幸福を考えなきゃいけない。権力じゃありません」、「50周年、敗北の最中だ。裏切られ、たたかれ、私は会長を辞めさせられ、ね。もう宗門から散々やられ」というものである。この内容は法華講総講頭(昭和59年再任)にあるまじき発言であるばかりか、「お詫び登山」(昭和53年11月)における反省懺悔の言辞をすべて反故(ほご)にするものであった。

平成2年12月13日、宗門は学会との「連絡会議」の席上、「お尋ね」文書をもって、この池田スピーチの真意を確かめようとしたが、学会は文書の受け取りを拒否した。そのため宗門は16日、同文書を学会本部に送付した。これに対し学会は、誠意ある回答を示すどころか、敵意を露わにした「お伺(うかが)い」という詰問書を送りつけてきたのである。


<法華講総講頭の資格喪失>

このような経過のなか、宗門は同年12月27日に宗会を開き、かねてからの懸案であった総講頭等の法華講本部役員の任期に関する「日蓮正宗宗規」の一部改正を行い、これにより池田は総講頭の資格を喪失した。


<教義・信仰の逸脱>

平成3年初頭から創価学会は、全組織を挙げて法主・宗門僧侶への誹謗・中傷・嫌がらせを開始し、日蓮正宗の信仰の命脈である下種三宝や血脈相伝の否定、僧侶不要の友人葬の執行など、日蓮正宗の教義・信仰から大きく逸脱する謗法を犯すに至った。

これに対して宗門は、日蓮正宗本来の信仰姿勢に立ち還るよう訓戒を重ねたが、創価学会はまったく聞き入れず、さらに宗内に対する誹謗を繰り返した。宗門はまず、平成3年3月、これまでSGI組織(創価学会インターナショナル)に委任してきた海外信徒の教導を直接行うこととし、また同年7月、創価学会組織を通じて許可してきた従来の登山方法を、本来の方式である所属寺院による「添書(てんしょ)登山」に切り替えた。


<宗門から創価学会への解散勧告と破門>

謗法行為を重ねる創価学会に対し、平成3年10月、宗門は「通告文」を送って強く反省を促したが、学会はこれに反発し、法主上人及び宗門に対する誹謗・中傷をますますエスカレートさせた。そこで宗門は同年11月7日、日蓮正宗の外護団体としての姿を失った創価学会に対し「解散勧告」を行ったが、学会はこれを無視し、いっそう反発を強めた。

宗門は、もはや創価学会は本宗の信徒団体として認められないと判断し、同月28日、海外組織である「SGI」とともに「創価学会」を破門した。これは、あくまでも組織そのものに対する処置であり、個々の会員については日蓮正宗信徒としての資格を残す、というものであった。


<池田大作の信徒除名と「ニセ本尊」作成>

創価学会は勤行時における観念文を改変し、独自の過去帳を作るなどして、独立路線を露わにしていった。そこで宗門は、実質的責任者である池田大作個人に対して、弁疏の機会を与えたうえで、平成4年8月11日、信徒除名処分に付した。

翌年、9月7日の本部幹部会において会長の秋谷は、浄圓寺(平成4年11月12日に日蓮正宗より離脱)所蔵の日寛上人御書写の御本尊を、コピーして会員に授与する旨を発表し、ついに創価学会は『ニセ本尊』を販売するに至った。


<創価学会員の信徒資格喪失>

宗門は、創価学会の組織破門より約7年後の平成9年9月30日、「宗規」の一部改正を行い、「本宗の檀信徒が本宗以外の宗教団体に所属したときは、その資格を喪失し除籍される」こととした。そして2カ月の猶予を設けた同年12月1日を期限とし、創価学会にそのまま籍を置く者は信徒資格を喪失する旨、学会員に通告した。しかし学会は、会員がこれに応ずることのないように指導し、ついに多くの会員が日蓮正宗信徒の資格を喪失し、除籍されるに至った。これによって創価学会に所属する会員は、すべて日蓮正宗とは無縁の身となった。


<「規則」「会則」の改変>

創価学会は、平成14年3月に文部科学省の認証を得て「規則」を改変し、それを受けて「会則」を変更した。

その内容は、本尊や教義の裁定はすべて会長が行い、実質的には池田大作を「永遠の指導者」に定めるというものであり、本来、日蓮正宗の信徒団体として認可されながら、日蓮正宗と完全に分離した集団に改変するものであった。

かくして創価学会は、日蓮正宗とはまったく無縁の新興宗教集団となったのである。



【破折の要点】

<池田創価学会の本尊観>

創価学会では以前から、御本尊を「幸福製造機」といっていたが、宗門においてはこれを一般信徒に御本尊の功徳を説明するための方便としてうけとめてきた。しかし、ここにきて池田は、「御本尊といっても物体にすぎない」(平成5年5月3日スピーチ趣意)、「妙法の体である自分自身、人間自身が大事なのです。その胸中の妙法を顕すためにこそ、御本尊が、こよなく大切です」(聖教新聞平成4年7月5日付)、「御本尊といっても、大切なのは信心である」(平成5年9月7日本部幹部会スピーチ)などと発言している。

これは御本尊を物と見なし、仏界涌現の単なる手段や道具と見下し、御本尊よりも自分たちの心を中心とした己心本尊を正意とする邪説である。

かつて創価学会では、「富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である」(折伏教典321)、「戒壇の大御本尊を離れて、われわれの信仰はありません」(特別学習会テキスト56)と会員に教え、池田自身も、「絶対なるものは大御本尊のお力である」(広布と人生を語る3−53)、「日蓮正宗創価学会の根本は、一閻浮提総与の本門戒壇の大御本尊であることはいうまでもない。しかもその大御本尊は、日蓮正宗に厳然とおわします。そして宗祖大聖人より第二祖日興上人、第三祖日目上人と代々の御法主上人が法水瀉瓶・血脈相承され、現在は、日顕上人猊下に一切受け継がれているのである」(広布と人生を語る1−131)と指導していた。

日蓮正宗の本尊は、『日蓮正宗宗規』に、「本宗は、宗祖所顕の本門戒壇の大漫荼羅を帰命依止の本尊とする」(第3条)と定められており、この正しい本尊を対境とし帰命することによって衆生の成仏が叶うのである。大聖人以来、一貫して変わらない日蓮正宗の本尊義を、自分たちの都合によって変える池田及び創価学会に、成仏など決してあろうはずがない。


<創価学会作製の『ニセ本尊』について>

平成5年9月7日、本部幹部会において秋谷会長は、日蓮正宗より離脱した浄圓寺所蔵の日寛上人の本尊を複写して会員に授与すると発表した。この日寛上人の本尊は、亨保5年に本證房という僧侶に授与されたものであるが、創価学会では勝手にこの授与書き等を削除して改鼠し、一枚刷りに印刷した本尊を作って会員に配った。

この本尊作製は、たとえば精巧なカラーコピー機で紙幣をコピーして「ニセ札」を作る行為とまったく同じである。いかに本物の紙幣と似ていても、政府の許可もなく、日本銀行の発行でもない、自分で勝手に作ったニセ札を使えば、当然、法的に罰せられるのである。

学会の作った本尊はこれとまったく同じ道理で、日蓮正宗法主の許可なく、総本山から下付されたものでもなく、学会が勝手に作製したものであり、『ニセ本尊』であることは明白である。

御本尊については『本因妙抄』に、「此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり」(新編1684)と示されているとおり、歴代法主上人の血脈相承に関わる一大事である。

創価学会では「自分たちが和合僧団だから資格がある」と主張しているが、では一体、その資格は誰から受けたというのか。もし「広布を願う一念があれば資格が具わる」というのであれば、広布への一念さえあれば、誰でも勝手に本尊を作れることになる。

創価学会2代の戸田会長は、「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから、仏立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから、力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている。だからコワイ」(大白蓮華昭和34年7月号)と指導しているとおり、『ニセ本尊』は魔の栖となり、それを拝めば仏法破壊の大罪として現罰をこうむることは必定である。


<池田ファシズム>

創価学会は近年、しきりに「人間主義」を強調し、『聖教新聞』の紙面にもその言葉が溢れている。創価学会の月刊誌である『大白蓮華』にも次のような記載がある。「人間主義の潮流を社会に」(平成5年7月号)「連続勝利と人間主義の旗を」(平成8年1月号)

また、池田自身も、「仏法は人間主義である。私は人間主義である。人間。ただ人間。ひたすら人間を見つめる」(大白蓮華平成5年7月号)と述べ、仏法は「人間主義」であるといい切っている。

その意図は明白である。つまり、人間主義を標榜することによって、創価学会は社会に開かれた宗教団体であり、人間社会の平和を基調として活動しているという印象を学会員や世間に与えるためである。

しかし創価学会の実態は、この人間主義に反し、学会に少しでも異議を唱える者をすべて敵と見なし、組織をあげて徹底的に攻撃を加えるという独善体質である。特に脱会者に対しては、「死ぬまで追いつめろ」などの指導を行い、尾行や盗聴、暴行を加えるなどさまざまな嫌がらせを行っている。これで「人間主義」「平和主義」を叫んでいるのであるから、これほどの偽善、欺瞞(ぎまん)はない。

また会員には、「池田先生は絶対である」との指導を徹底し、「池田先生のため」「池田先生のお陰」を連呼させ、「池田先生=仏」と洗脳している。

まさに創価学会の体質は、池田ファシズムそのものである。

学会は、このような池田ファシズムの思想に染まった学会員を、政界・法曹界・警察・マスコミなど、社会の中枢機関に送り込み、日本はもとより全世界を池田の思いのままにあやつろうと目論んでいる。これを学会では総体革命といっているが、世の人々は社会のこのような危機的状況を認識し、池田の野望を粉砕しなければならない。


<創価学会と公明党の政教一致>

創価学会と公明党の政教一致ぶりは目を覆うばかりである。創価学会は、党の方針や人事にはまったく関与していないというが、平成4年、公明党の連立政権入りがほぼ決まった直後の第69回本部幹部会の席上、池田は、「そのうちデェジン(大臣)も、何人か出るでしょう、もうじきです。明日あたり出るから。みんな、皆さん方の部下だから、そのつもりで。日本一の創価学会ですよ」(平成5年8月8日)などと放言している。

しかし池田自身、『人間革命』の中で、「権力と手を結ぶ宗教があった。だが、一時は権力と共に栄えることはあっても、やがて権力の滅亡と共に滅んでゆくであろう」(6−55)と述べており、まさにこれは創価学会の辿(たど)る道を予言したものといえる。

また平成7年11月、宗教法人法改正論議のさなか、公明党議員らが肉弾戦をもって池田の参考人招致を阻止した事件があった。このようななりふりかまわぬ池田擁護の姿勢は、まさしく公明党が池田の私党であることを証明するものといえよう。


<創価学会の反社会的行状の数々>

創価学会は、言論出版妨害問題や選挙時の替え玉投票事件、また共産党宮本委員長宅電話盗聴事件や池田のスキャンダルをもみ消そうとした「月刊ペン」事件等々、さまざまな反社会的事件を起こしてきた。

さらに近年に至っても、学会員が身代金6億円を要求した本宗住職誘拐事件、公明党議員たちによるリクルート事件や砂利運搬船汚職にからむ贈収賄事件、1億7千万円入り金庫投棄事件、ルノワールの絵画取引疑惑、墓地造成による脱税事件、株売買による損失補填等、巨額の金にまつわる不正疑惑事件が頻発している。

また、平成11年5月14日に起きた立川文化会館内での不倫殺傷事件などは、創価学会の組織内部の乱れを象徴する出来事である。

これらは氷山の一角である。日蓮大聖人が、「日蓮を用ひぬるともあしくうやまはヾ国亡ぶべし」(新編1066)と仰せられたとおり、大聖人の仏法を悪用する創価学会が蔓延していけば、やがては日本乃至全世界が荒廃していくことは火を見るよりも明らかである。


<宗教法人「創価学会」規則及び会則の改変>

平成14年4月26日、宗教法人「創価学会」の規則が大幅に変更された。なかでも、「『三代会長』は、広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の永遠の指導者である」(新会則第3条)という条項がある。しかし、「永遠の指導者」と崇める初代・2代と、3代の池田の会長指導には矛盾が生じている。すなわち初代牧口は、「御開山上人の正しく御伝へ下された、日蓮正宗大石寺の御法義に従ひ奉って…」(大善生活実証録第5回総会報告5)といい、2代戸田は、「わたくしたちは、無智な人人をみちびく車屋である。(中略)大御本尊様の御もとへ案内して行くのが、学会の唯一の使命」(戸田会長講演集上31)と、2人は日蓮正宗の法義に従うことや、学会の目的を明確に述べている。これに対して3代の池田は、「日顕宗の言う『血脈』などは本当にナンセンスな話です。本来、宗教には、『仏と自分』との関係の信仰が重要であって、権威主義の『血脈』などは、信仰的には何の意味もない」(聖教新聞平成5年5月5日付)「“総本山に参詣しなければ功徳がない”という宗門の主張は、道理からいってもまったく意味をなさない」(聖教新聞平成4年2月29日付)などと、宗門誹謗の言辞をもって、血脈・法義への尊信と総本山参詣の大事を説いた牧口・戸田の両会長に反逆する指導を行っている。

すなわち、牧口・戸田両会長の指導と池田のいい分は、まったく異なっており、「三代会長」の指導には一貫性がない。「三代会長を永遠の指導者」と謳(うた)うのであれば、会員は3代会長のどの会長の指導を「永遠」に守っていくというのか。対極する会長の指導を忠実に実行することは不可能である。



出典:諸宗破折ガイド158−168/宗旨建立750年慶祝記念出版委員会編