大白法

昭和37年11月20日号


主な記事

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日蓮大聖人御大会厳修さる


多宝富士大日蓮華山大石寺(総本山)に於て、春の「御虫払い大法会」とともに宗門の二大行事の一つとされている宗祖大聖人御大会は、去る11月8日・9日(旧歴10月12日・13日)の両日にわたって、盛大かつ厳粛に奉修せられた。両日とも、11月にしてはめずらしく暖たゝかく、富士のお山もその雄大な姿を四六時中現して祝するがごとく、御大会にふさわしい好天気であった。

全国法華講員は北は北海道、南は九州各地より総本山了性坊に設置された、全国法華講連合会本部に参集した。全国法華講連合会として割当てられた380名が御登山申し上げ、お練り、三々九度儀式、御申状奉読の儀等に参列させていただいた。また、戒壇の大御本尊様に御報恩謝徳申し上げるとともに、御大会と宗門の発展を慶祝申し上げた。

8日、午後1時、本門戒壇大御本尊様の御開扉内拝を初めとして御大会は開始された。午後7時より、お練(ね)りの儀が始められる。夕闇せまる頃、二天門につけられた3つの提灯の明かりを見ながら石段を上がれば、正面御影堂に飾ざられた、左右18ケづつの提灯が一層くつきりと浮び上っている。午後6時35分、両側のかゞり火に点火された。あかあかと燃え盛るかゞり火、静寂な夜の参道を照らし出していた。

お練りの儀の後に行なわれる御説法、並びに三々九度の儀式に参詣する信者は、すでに御影堂の中にて、御法主上人の御到着をお待ち申し上げている。その際、渡辺慈済尊師より次の如く御説明があつた。

之より午後7時を期して行われる宗祖大聖人御大会、お練り・御説法・三々九度の行事について少々御説明申し上げます。

先程の法要準備を告げる第一号鐘の後、これより午後7時に法要開始の第二号鐘が打ち始められます。この打ち終りと共に、御法主上人には満山の大衆を従えられ、御出仕遊ばされますが、その行列が二天門前より当御堂に向う間に於て篝火の中を粛々とお練りの儀式が執り行われます。お練りとは、仏教に於ては、仏が人々の機根を観察し化導法を思惟しつつ逍遥する所作になぞらへ、仏の深い思惟練磨と緩やかな足の運びに形取ることと考えられます。更に加うるに、我が宗門に於るお練りの儀式は、法華経本門寿量品の深旨に基くのであります。

皆様御承知の通り寿量品の御説法は、その説き出されるに当って、誠におんごん丁重を極めております。大聖釈尊は化導の究竟本懐たる本地の本法を説示されるに当っては、「汝等当信解・如来誠諦之語」と3度までお誡めになりました。之に対し弥勒菩薩を首(はじ)めとする一切の大衆は、只管(ひらすら)釈尊の御説法を請い願って、「唯願説之・我等当信受仏語」と3度誓願し、更にもう1度「唯願説之」と懇願し奉ったのであります。かくて釈尊は、「汝等諦かに聴け」と重ねて誡められ、その後に寿量品の御説法が始まっております。故に之を『三誡三請、重誡重請』と申します。

吾が宗に於けるお練りは、かくの如き寿量説品法の儀式に習い、之より御出仕遊ばす御法主上人に対し奉り、助番僧が古(いにし)への祝儀に形取り、7回、5回、3回づつ三節にお迎え申し上げ、末法の御本仏宗祖大聖人の御名代たる御法主上人より賜る寿量品の御説法を請願し、拝聴信受する心地を表すのでございます。まことに、「一念信解は本門立行の始め」(四信五品抄、新編1111ページ)と申します如く、本日御参詣の皆様には深き信心と大なる歓喜を以て、御法主上人の御説法を聴聞せられることが肝要と存じます。

御説法

更に少憩の後行なはれる三々九度御盃の儀式は、之亦寿量品の真意に基く本宗独自の儀式であり、末法の御本仏宗祖大聖人様の御出現をお喜び申し上げる式であります。

大聖人様は弘安5年10月13日池上の館に於て御入滅になりましたが、是は常住の御寿に於て滅に非ざる滅を表されたのであります。故にその御魂魄は本門戒壇の大御本尊様に、また末法万年の人々を導く仏法の根本法体は、唯受一人血脈御相承の御法主上人に受け嗣(つ)がれ、厳然としてましますのであります。則ち信伏随従の衆生の前には、常に明らかに形声の二益を垂れ給うのであります。

三々九度

故にこのお会式に於ては、御本仏様の御出現をお喜び申し上げ、御法主上人を仰ぎ奉りて本六僧が御相伴申し上げ酒を汲み交(かわ)すのが、古式豊かな三々九度御盃の儀式であります。

以上簡単ではごさいますが、之より行なわれる、御練り、御説法並に三々九度御盃の儀式の解説といたします。

と分かりやすく説明をされた。

午後7時、号鐘、出仕太鼓が打たれれば、先導として錫杖の響きが聞こえ始めてくる。すでに御影堂前には、6人の助番僧は提灯をもって待機せられている。御法主上人におかせられては、満山大衆を随えさせられて、行列を整えて、参道両側に埋めつくす信徒が合掌してお迎え申し上げる中を、静かに二天門前まで進まれた。

助番僧が7回、5回、3回、と三節に分けて大聖人様の御名代たる御法主上人様を丁重にお出迎え申し上げた。御一行は御影堂裏向拝より、御入堂に入られ、御宝前に三礼されて高座に登られた。

自我偈読経、唱題ののち満堂の参詣者に、如来寿量品の甚深の御説法をなされた。続いて助番僧の御給仕により、古式ゆかしく三々九度の儀式がはじめられた。御法主上人をはじめ、本六僧のお祝の御盃もめでたく納められるや、恐れ多くも檀信徒へのお流れ頂戴もあって、午後9時15分、8日の行事は滞りなく終了した。

9日は午前2時から客殿(大講堂)に於いての勤行衆会に始まり、午前9時、御影堂に於いて、献膳読経の後御申状奉読の儀が執り行なわれた。この儀は本宗独自の儀であって、他宗では行なえない重要な意義のあるものである。

大聖人様の御一生涯は、立正安国論に始まって、立正安国論に終ると申される如く、邪法邪義を破折し、広宣流布せんがために、国家諌暁遊ばされた御先師方の御精神を偲び奉り、広布への決意を新たに堅める重要な儀式なのである。

大聖人様の「立正安国論」を御法主上人、第9世日有上人申状を柿沼総監、大聖人文永5年の申状を高野重役、日興上人申状を観心院、日目上人申状を観行院、日道上人申状を理境坊、日行上人申状を久成坊、それぞれ御宝前に御奉読申し上げられる。参詣者一同、まさしく大聖人様の血脈相承厳然たることを、目の当たりに身を以て拝し奉り、法悦の歓喜と共に愈々破折顕正の大折伏戦を展開し、広布実現へと勇猛精進することを御誓い申し上げた。

午前11時より客殿(大講堂)に於て満山供養が行なわれ、続いて午後2時より、御影堂に於て柿沼総監による「立正安国論」の御書講並びに御大会布教会大講演会が次の順で行なわれた。

一、開会の辞 教学部長 阿部信雄師
一、御会式の行体 布教研修生 渡辺慈済師
一、報恩の誠をつくせ 布教研修生 豊田広栄師
一、711年を迎える我等の自覚 布教研修生 有川岳道師
一、日蓮は今、時壱得たり 布教師 渡辺日容師
一、閉会の辞 教学部長 阿部信雄師

その後、お花くずしがあって、2日間に亘って奉修された御大会は滞りなく終了した




日蓮正宗法華講要旨
沿革と趣旨


全国法華講連合会の実現以来、早や4ヶ月を経過した。あの結成大会に於て、平沢全国法華講連合会会長より次の如き宣言が発表された。「我ら全国の法華講信徒は、本結成大会に於て、歓喜のうちに日蓮正宗法華講全国連合会を結成した。いよいよ大聖人様の御聖意を奉戴して、異体同心の実を挙げ、不自惜身命、広布の達成に邁進することを期する」と。

全国法華講信徒は、この宣誓に副(そ)い奉るべく、信心の情熱を燃やし、大聖人様の御在世当時の法華講信徒の信心に立ちかえって、大先輩に負けない立派な信心に励まねばならない。各講員一人一人は、「日蓮正宗法華講要旨」をよく肝に命じ、自覚を新たにして、広布への駒を進めていこうではないか。

日蓮正宗法華講は、日蓮正宗の信徒全体によって日蓮大聖人の正法を護持し、各自の信行増進と相互の親睦を計り、異体同心の実を挙げるために結成せられておる講中であります。

抑(そもそ)も法華講の名称は日蓮大聖人が御在世に於て、大聖人の御法を正しく尤も熱心に信仰し修行せられた信徒の集りに、直々御付けなされたものであります。

日蓮大聖人が此の世に出現し給い衆生を御導きなさるのは、末法の時に適った唯一の正法を以て地獄の道を塞ぎ、一切の人を成仏せしめらるるにあったのであります。その正法と申すのは、三大秘法といって、本門の御本尊(大曼荼羅)と本門の題目と本門の戒壇とであります。御一代の仏教はこの3つに帰せられるのであります。

大聖人はこの3つの法を御立てなさるのに、始めに本門の題目を、次ぎに本門の御本尊を御顕しなされ、終りに本門の戒壇について宣示し給わったのであります。而してその終窮至極のところは、本門戒壇の御本尊を御建立遊ばされるにあったのであります。何故かように次第して御立てなされたかと申せば、化導を受ける衆生信者の機根の如何ということがあるからであります。乃ち導きをなされる方と導きを受ける側との関係に於て、教えが立てられるべきであるからであります。

大聖人は佐渡の時迄に、末法の御本仏としての行証を完(まっと)うせられたのでありますが、衆生信者の方には猶未だ御教導が浸透しておりませんでした。そこで大聖人は佐渡から御帰りなされてからは、いよいよ御弟子や、信徒の人々の化導に勤(いそ)しまれたのであります。

時恰(あたか)も弘安2年、加島地方を中心とする信徒に対して法難が起ったのであります。それは、日蓮大聖人の信者の信仰を阻止しようとする謗法の者達が種々迫害を加え来たり、果ては讒言を構えて鎌倉幕府に訴えたのであります。それがため、信者の主だったものは幕府に連行せられまして、種々の責苦にあいました。

此の時此の人々弥四郎を始め一同は、大聖人の正法以外に正法なしと深く理解し信受致しておるので如何なる事にも屈せず、ただ一途に一心欲見仏・不自惜身命・我不愛身命・但惜無上道といって、息の絶える迄題目を唱え豪も信仰を曲げなかったのであります。

大聖人は此れを御覧になって、御化導が漸(ようや)く実を結んだことを、非常に御感あって、此等の人々を法華講衆と称せられて、弥四郎殿を頭とし先達とするこの法華講衆を対告衆(法を受ける相手)となされ、また此の人々が願主となって、ここに出世の御本懐である本門戒壇の大御本尊を顕示遊ばされたのであります。

大聖人は、弘安2年の10月の「聖人御難事」と申す御書に、「余は27年にして本懐を達す」という御意を記述遊ばされたのでありますが、それは此の事を御指しなされたのであります。

由来仏は世に出現遊ばされても、説くべき相手がないときには法を御説きになりません。時が至り機があって始めて法を顕示し給うのであります。大聖人も法華講衆によって、遂に御本懐を成就し給ったのであります。

大聖人が「一心欲見仏不自惜身命。日蓮が仏界此の文によって現わすなり」と仰せられた御大法は命をかけて、御教導を願い法を護持する信徒があって建立されるのであります。まことに法華講衆こそは、大聖人が建立し給い、またそれを仏宣し給うに主伴をなす尊き地涌千界の一類と申すべきであります。私共はこの間に於て能所相呼応し感応道交施化を完うし給うことを拝すべきであります。

日蓮大聖人に帰依された信者は数多くありまして、富木殿、太田殿などと有力な人々もありましたが、その中でも尤も純信に、而も熱烈に大法を信受せられたのは、この法華講衆でありまして、従って大聖人の御思召に尤も適った信仰をされた方々であります。

法華講衆は、大聖人の御入滅後も二祖日興上人を大導師として崇め正法を護持して、上人が富士に法礎を確立するに非常に貢献したのであります。まことに信者の代表的集まりであり、亀鑑とすべき講衆であります。

法華講の名称の起因来歴、精神等以上の如くでありますが、大聖人の信仰を致さるる人は、皆この法華講衆の如くでなければなりませんし、また法華講衆でなければなりません。若しまた真に正しく信行せられる方は、当然法華講衆と大聖人から呼ばれるのであります。本宗に於て法華講衆を結成して、一切の信者の方々に、その講員となって信行に励んで頂くのは、大聖人の御本旨にもとずくところであり、真の仏弟子の一類として正統の信仰を継ぎ大法広布に寄与せられたいからであります。




投稿 『宗教とマルクス主義』
宗教は果たして阿片か


マルクス主義者は常に宗教は阿片であると定義づけている。然も、現今一般の人々特に知識人と自称する者程多いのであるが、阿片とまではゆかないまでも、宗教は我々にとって無縁のものであると割切ってしまって、考えてもみないのが一般の世相だと云ってよかろう。

ところで果して宗教はマルクス主義者の云うように、人間の意識を朦朧とさせてしまう阿片のようなものであろうか。また一般世相の如く無関係のものであるとか云ってそれで済ませられるものかどうか、お互いに考えてみたいと思う。

そこでこれからマルクス主義の宗教に対する見方を主体において説いてゆきたい。宗教は無縁とする考え方も、自(おのずか)らそこで了解されるであろう。


さてマルクスは何故この様に宗教を阿片と定義づけたのか。マルクスの生存していた当時を振返ってみることが理解に便利である。

当時マルクスの生存していたドイツでは、一握りの封建領主と資本家の飽く事のない重税と利潤追求とによって、大部分の農民と労働者とが苦しめられていたのである。マルクスはこのように、その日の生活にも困る労働者達をみて資本家からの自由の獲得の為労働者は、団結して闘争に立上がらなければならないと考えた。

然も実際において、このように団結して容易に資本家に立向かわないのは何故であろうか。つまり宗教がこれを邪魔するのであって、実に彼等労働者の闘争意識をはばむものは、他ならぬキリスト教なのであると断定した。現世の不幸をそのままにして来世の幸福のみを説き、現世へのあきらめ、神へのすがりのみを説くキリスト教こそは支配階級の利益のためのものでしかないのだ。従って神こそは民衆の敵であり阿片にすぎないのである。

彼の宗教に対する見方は大凡このようなものである。然し果して宗教はマルクスの云うように阿片的存在であろうか。こゝでマルクスの哲学的思想について一見しておく必要があろう。

マルクスが社会現象を理解するために利用した哲学的思想は、一般に知られている唯物論を基礎におく唯物弁証法・唯物史観である。これによれば歴史を動かす根本は物質即ち経済だと観て、これが弁証法的論理に従って展開してゆくものだとするのである。つまり社会生活の基礎を物質生活即ち経済生活におき、宗教・道徳・芸術・法律等の精神生活は社会を動かすものではなく、これらはむしろ経済生活に必然的に支配され決定されてゆくものであって、歴史の動きもこれに従うものであり、そして経済そのものも弁証法的論理に従い、階級闘争を根本として展開してゆくと説くのである。

マルクスの思想の立場はこのように唯物論である。一切が物だとしたなら宗教は否定せざるを得ないだろう。

キリスト教の天国逃避思想、そしてこれこそは自己の生命を萎縮させ、ひいて人類を滅亡に追いやる病的宗教以外の何ものでもないのであるが、マルクスが曲りなりにもこの点にふれ唯物論に走ったのではなかろうか。

元来哲学思想には古代から唯心論と唯物論の2つの潮流があった。然もマルクス時代を含めた近代哲学の潮流は、唯心論がその殆どを占めたのである。カントやヘーゲル等皆然りである。そして唯物論の物質が唯一根本の実在であるとするに対して、唯心論は精神を根本に立てる。従って唯心論は、必然的に何等かの形でキリスト教に結びつくのである。

最もカントの如きは、神を想定した方が善意即ち良心を考える場合に好都合だとして神についてはその本質を究明することをさけているが、このように唯心論においても、カントのみでなく神について其の存在を突き止めたものはなく、また実際に言って突き止めるものでもないのである。

こゝに、唯物論、唯心論の欠点を一言にして云うならば、物質から精神は発生するものではなく、この反対に精神から物質が発生する理由もないということにある。


さて西欧には仏教はない、キリスト教だけである。然もキリスト教的思想は仏教からみるとお話にならない低級なものがある。神の絶対を説き因果を完全に無視したキリスト教の如きは、仏教の初歩を一寸でも紐解いた人ならその下等さに気付く筈である。

マルクスは勿論仏教は知らない。だから、因果の教えなど知るわけがない。然も彼をして唯物論に走らせたものは、浅薄なキリスト教思想に対する反感によるところが大きいといえる。

若しマルクスが、大乗仏教の極度である日蓮大聖人の御法門を拝していたならどうであろうか。まさか宗教は阿片であるとうそぶく筈もあるまいし、唯物論も姿をみせなかったことは確かで、彼も敬虔な日蓮正宗の信徒として其の悪説を吐くこともなく、正法流布に邁進したであろうと思われるのである。これは唯心論の哲学者達についても同じことが云えよう。

さて此の世の中は唯物だけで成り立っているのでもなければ、またその反対に唯心だけで成り立っているのでもない。物と心とがあって初めて、成立しているのである。

仏教ではこれを色心二法という。一切は皆色と心との二法に帰するのである。色とは物質或は身体を云い、心とは精神のことである。然もこの両者が融和した状態を色心不二と云い、これを本質としているのである。そしてこの色と心とは因縁の和合によって仮に存在すると説くのが法華経以前の諸大乗経の教えであるが、日蓮大聖人の御教えよりこれを拝するときは、真実の意味で色心不二、物心一如の構成となり、無始本有の生命観、過去・現在・未来に亘る三世常住の生命観となるのである。

差し当り人間についてみると、現在の我々各自の精神と肉体とは、その自ら成せる過去世の業作によって決定づけられたのである。そして現在の業作はそのまゝまた未来の果報を決定してゆくのである。

このように三世の生命観からこの色心をみてゆく場合には、自分の現在を誰にうらむでもなく、ここに自ら反省し自覚して正しい信仰を持つことが大切となるのである。

正しい信仰とは、日蓮大聖人の己心そのまゝ一念三千十界互具本門戒壇の大御本尊様に向い奉って本門の題目を修行する信心である。然る時は御本尊の光明に照されて凡夫の当体即仏身となり、常寂光の境界に法楽し得らるゝのである。

今や近代社会をみるに社会自身が極めて唯物的である。誰もが物質即ち経済のことしか考えない片寄った社会になっている。そして宗教には無関心の人が如何に多いことか。

これを打開克服する為には、三大秘法の大御本尊様を信じさせるより外ない。一切の諸法は色心の二法に帰する故、我々色即ち身体と心即ち精神の正しい信仰による浄化はそのまゝ此の世の中の浄化を意味しており、この為末法適時の大白法を一日も速に全世界の人々に及ぼすように、大折伏に邁進すべき時であることを思わねばならない。

世界平和の招来による人類最上の幸福は、正にこの大折伏に結びついているのである。 

※資本主義については第3号を参照のこと。




登山会に当たって注意事項


多宝富士大日蓮華山大石寺、これは、日蓮正宗総本山の正しい名称である。私達は、正宗に帰依し、御授戒を受けてはじめて、大聖人様の信者となれるのです。信者であるが故に、総本山に詣でて、本門戒壇の大御本尊様に、自から直々におそれおゝくも猊下の御慈悲によつて御目通りが、広布の前に、許されるのである。

いかに地位があり、名誉があり、財産があっても、御開扉を受けることは出来ない。今ここに、御開扉をうけられる私達は、如何に幸せな者であるかと言うことを、深く心に刻みこもうではないか。

旧御宝蔵に於いて、間近かに大御本尊を拝した同志の方も多いことであり、今思えば当時の思い出が蘇ることであろうが、しかし、広宣流布への途上にあって、同志も多く今や、5千人の同志が一同に御開扉を受ける時代である。一人でも多くの同志が正宗に帰依し、大御本尊様を拝することが出来ることは本当に喜こばしいことである。

法華講信徒としては、すでに発表されている日程によって、月例登山が行なわれている。奮って参加し、登山会の充実と相まって、信心倍増して行こうではないか。

総本山に登山して、お互に交わす挨拶は、「御登山おめでとうございます」―――これが合言葉である。初登山の方はちょっと不審顔をする人もあるであろうが、本当に御登山出来たことは、おめでたいことなのである。


さて、御登山に際して注意せねばならぬ事項を、具体的にここに列挙してみよう。

<丑寅の勤行>

我々講員は特に許されて勤行衆会に参列させていたゞくのであるから、勤行の際、御法主上人猊下の御導師によく速さを合わせなければならない。御開扉の時も勿論である。勤行の途中で猊下がチンと鐘を打たれることがあるが、これは揃っていない時の御注意であり、このようなことが絶対あってはならない。その他御導師のもとに勤行する場合も同じである。

時々見受けるのであるが、自分勝手な速さで大きな声を出している人があるが、大いに自重すべきである。また勤行の途中で速さが合わないと感じた時は、速やかに声を小さくして、御導師の速さをよく聞きすまして合せて行うように。

<御登山中の飲酒>

登山中の飲酒は絶対に止めなければいけない。本山としての行事、特殊な行事による場合は別として、物見遊山的気分による飲酒は、少くとも講員としてとるべき態度ではない。

<服装>

本門戒壇の大御本尊様にお目通りするのであるから、各自服装はよく注意せねばならぬ。破れた着物とか、あかで汚れていたりしたものではなく、清潔でサッパリした服装をして御登山しよう。特に立派なものを着なさいと云う訳ではないが、各自の持つている物の中で、一番良いものを着ていきましよう。

色シャツは止めた方が良い。白いシャツを着よう。特に夏などは、汗をかき汚れ易いから、御開扉前に着換えられるように、替わりを持参することもよいことである。

<団体行動>

登山会は、勝手な一人登山とは異なって団体行動として行なわれる。行事の次第に従って、輸送班、整理班等の指示によって行動しなければならない。身勝手な行動は、団体行動を乱すもとであり、他の人に迷惑をかけることであるから、よく慎まねばならない。団体行動それ自体が、信心の訓練であると心得ていこうではないか。

<宿坊に於ける協力>

各宿坊に御世話になるのであるが、各講員は一人一人が、お互に協力し合つて事に当っていこう、食事の準備・床をとること、その他不要物の処理等は所定の場所に必ず捨てるように。特に下山の際には、よく掃除をし、庭・便所も忘れないで清掃して下山しよう。青年部男女はこの点よく心してもらいたい。

以上気の付いた点を挙げてみたがこれら以外にもあってならば、お互がよく注意し合つて、自からが卒先して実行していかなければならない。




編集室だより


大白法発送部では、現在1万部を、全国の皆様にできるだけ、少しでも早くお届けいたそうと、発送日になると、臨時発送員動員でおおわらわであります。発刊、3度をもって大分慣れてきまして、一同ますます早く正確に発送したいと思っております。

次々梱包されていく大包小包、その中に我々の取り扱う中では、最も大きな包が特別3つ造られる。それは、世田谷区の砂原ヒサさんに送るものです。砂原さんは、本山上野村出身の方で、是非、お山近所の人達に配りたいと、発刊以来毎月1千部を、独力で発送いただいております。

我々も発送の仕事を少しでも経験しているので、その御苦労は大変なものと推察申し上げるとともに、全国法華講同志の皆様にもなりかわって、心から感謝する次第です。



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