大白法

昭和38年1月1日号


主な記事

<1・2面>

<3・4面>


back      index      next



第66世御法主日達上人猊下 新年の辞


日達上人 昭和38年の新年を迎え、同信の皆様と共に我が日蓮正宗の発展を謹んでお祝い申しましょう。

法華講に於ては我が宗門の初めから、宗門維持と発展の為めに勤めてきたのでありましたが、各講中が独立しておって、個々別々な行動をしておりましたが、昨年春より大合同の気運動いて法華講全国連合会が結成され、折伏弘法の一大勢力となったのであります。此の事は昨年度に於いての宗門史上に重大なる事柄であります。

誠に折伏ということは言い易くして、行い難い修行であります。折伏すれば必ず怨嫉が起り色々な妨害に会うのであります。此等の魔と敢然と戦って、折伏を行じている人々の姿を見る時、私は自然に頭が下り、仏の慈悲を、それ等の人々の身体のどこからともなく身体の全体から感じ得ることができるのであります。

何日の時代にても世を救う人々は、その世に於いては安楽と云うことはあり得ないのでありますが、しかし、そう云う賢者の行為は、いつか世に認められるものであります。況や正法を此の世に広宣流布し、此の世界を真の常寂光の国土にしようと努力する人々には、一層の苦難あることは覚悟しなくてはなりません。これこそ宗祖大聖人様が、常に「如来現在・猶多怨嫉・況滅度後」とお教え下されたゆえんであります。

しかしながら如何に私共が貧弱な一個人であっても、此の折伏行に依って必ず自分は成仏し、他人をも成仏せしめることが出来るのであります。このことは末法の今日に人間に生を受け、宗祖大聖人様の南無妙法蓮華経に遭い奉った御利益によるものであります。

撰時抄に「道心あらん人々は此れを見ききて悦ばせ給え。正像二千年の大王よりも、後世ををも(思)はん人々は、末法の今の民にてこそあるべけれ。此れを信ぜざらんや、彼の天台の座主よりも南無妙法蓮華経と唱うる癩人とはなるべし」(新編838ページ)と説かれている御文をよくよく拝して、自ら末法に生れた身の幸福に感激して、益々折伏に励んで大聖人様の御報恩に供えましょう。



○年賀言上 総監・柿沼広澄御尊師

あけまして御目出度う御座います。

法華講も大同団結をして、第2年目を迎へ、新春と共に本年に期することは多大なものがあろうと存じます。恐らく、あれを企てよう、それは目下計画中だ、そういう事は計算にいれてありますと、即座に御返答の出来ることは沢山あると思います。そして私もそれらの前進的、躍進的な事に多大な希望をよせておるものであります。

然しながら、毛頭忘れてならないものは、お互の信心倍増であります。これなくしては、百の計画をたてましても、なんらの意味がない事は皆様も十分御承知のところでありましょう。

「仏法の根本は信を以て源とする」(日女御前御返事、新編1388ページ)――こんなことは大白法の読者の前では筆にする必要もない事は十分承知でございますが、その信心が、源と言うことを知っていても倍増という動的な事実に注意せねばなりません。池田首相の所得倍増も結構なことですが、私に言わせれば信心倍増があってこそ、所得倍増が出来ると言うものです。

御戒壇さまに初参りなされまして、日達上人猊下より、「各々方、無始以来身口意三業謗法罪障消滅、信心倍増の御祈念を懇ろに申し上げました」との御言葉を頂戴したと存じます。此の信心倍増ということが一番大切なことであります。去年より本年は信心が倍増していなければなりません。

大聖人様の水の如き信心とは、常に不断の信心に解釈されていますが、倍増と言う意味のことを忘れていなければ幸いです。法華講中の人々の信心の水は不断の信心は勿論でございますが、それぞれが倍増して本年の卯年をむかえなければなりません。卯年だからと一休みの信心なぞあったら、それこそ大同団結した意味がありません。

諸流は大海に入ると申しますが、倍増した法華講中の人々の信心の水が大海に入った時こそ、岩をもくだく波もおこせ、新らしい時勢を呼ぶ潮となることが出来るのであります。

新春にあたって、私は、所得倍増の根本、否、資生産業これ法華経というものの根本である。法華講々員各位の信心倍増を願ってやまないものでございます。



○新春を迎えて 重役・高野日深御尊能化

立宗711年の新春を迎え、謹みて御祝詞申し上げます。

今春は法華講全国連合会が結成されて最初に迎える意義深い新年でありますので、この機会に特に一言申し上げたいと存じます。

この法華講と云う名前はまことに名誉ある歴史をもった名前でありまして、戒壇の大御本尊様の脇書にも法華講衆と認められてありまして、熱原三烈士のあの熱烈な信仰に大聖人様が御感あって下された所の名前であります。でありますから皆様はその名に恥じないように信行学に励まなければなりません。

しからばこの法華講衆はどう云う風に進まねばならんかと云うに、我々僧俗の信仰は御本尊中心であり、同時に御法主上人が中心でなければならない。そこに外護の任が生れてくるし、亦折伏行も生じて来るのであります。

そんな事は決まっているじゃないかと云われるでしょうが、それでは御法主上人をなぜ中心にしなければならぬかと申しますと、法主と云う名前はそちこちに沢山あります。本願寺では門主と云います。之は法主に代る名前で浄土宗もそうです。法主と云う名前は身延でもつかっております。しかしそれらのものと混同しては困ります。我々の信仰はそんな事では謗法になります。

皆様に端的に率直にわかり易く申しますと、本宗の御法主上人は日蓮聖人であると云う事です。日蓮正宗聖典をひもといて見まするに、『御本尊七個之相承』と申す題目で御開山日興上人がお書き遺しになっておる中に、「日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給う事如何、師の曰わく深秘なり、代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」(379ページ)の御文がありまして、「嫡々代々と・・・如何」と云う問に答えられて、「日蓮聖人が仰せらるるには代々の上人はすべて日蓮が事であると申す意である」と明らかになされております。

然らば二祖日興上人、三祖日目上人、日道上人、日行上人とずっと続きまして御当代第66代日達上人に唯授一人の御相承が伝わっておりまして、我々が仰ぎ奉る御法主上人は今世の日蓮大聖人を拝するが如き心持を以て御本山にお参りせねばなりません。

之から考えますると御本山の御会式には猊下が僧綱と長絹の御衣をお召しになって、あの高座にお昇りになり、御説法に寿量品の文底の御法門をなさると云う事もよくわかる訳であります。

尚、三三九度と盃の御儀は、末法の今日御本仏日蓮大聖人の御出現をお祝いして行わるる儀式であります。御法主が中央にお座りになるのは大聖人の御姿で、両方に3人づつ6人並ぶのは六老僧を形どったのであります。

でありますから、我々の信仰は御法主上人即日蓮大聖人と云う固い信念を以て、法華講衆は御法主を中心に信仰し、外護の任は御本山を中心に修行せられ、本年は更に一層信心倍増あらんことをお祈りして新年の御挨拶と致します。



◇新春所感 法華講全国連合会々長 平沢益吉

昭和38年の新春を迎え謹んで御祝詞を申し上げます。

近時、日蓮大聖人の御出世の本懐たる三大秘法の正法正義は弥やが上にも顕揚せられて四海を圧せんとし、総本山大石寺に於ては世紀の大客殿の建設工事もとみに進展して落慶も愈々明年春に迫り、大総合計画委員会にては広宣流布への準備大構想を逐次審議せられ、かつて広布の暁を夢の如く脳裏にえがいていた天母山一帯も、ついに昨年本山の所有に帰したことはまことに御同慶にたえません。

歳も改まり森羅万象老若男女すべて清新の気みなぎり、浄く美しく厳粛な正月一日をお互いに心から喜びあうと共に、何人も無言の内に純情且つ善良に立ち戻らしめ、しかも天真爛漫おのづから向上心の湧き起るのを覚ゆることは、昔も今もかわりありません。

かく清新にして明朗な心境にあって、ここにあたかも立宗711年に当る初頭に際して、「正月の一日は日のはじめ、月の始め、としのはじめ、春の始め、此れをもてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく、日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく、とくもまさり人にもあいせられ候なり」(十字御書、新編1551ページ)の御聖訓を拝するに、人は何事も始めが大切であって、まづ発足するにあたって善根を植えることが肝心であることをお諭し給うたように察せられ、つきせぬ妙趣を感得し更に御奉公の重大性を深く認識するものであります。大聖人の広大無辺なる御慈悲に対し奉り、我々信徒の御報恩謝徳の道はただに正法の護持と弘法とにかかるのであります。

700年の歴史をひもとくに宗門はあらゆる迫害圧迫に耐え忍んで、永らくの間、「時をまつべきのみ、事の戒法と云ふは是なり」(日蓮一期弘法付嘱書、新編1675ページ)の御遺訓を奉じ正法護持に専念していた形であったが、今や時機到来しまして、創価学会の鉄の団結と不自惜身命の大折伏によって宗門の内外の情勢は一変し、法華講もまた時代の推移と感覚の洗練等により漸く認識も深まり、広宣流布への途上にある信徒としての自覚も新たに、遂に昨年7月には全体的の協力により大同団結、未だかつて成しとげ得なかった全国法華講連合会を結成した事は特筆すべきでありまして、今年こそ各地区連合会は夫々の特色を生かして機構を整備し、所属支部の総力を挙げて信心倍増、折伏行に勇猛精進すべき年であると信じます。

結成大会に於て全法華講員の要望として、会長が活動方針の一項に打出した機関紙の発行については、種々の障害を押切って直ちに実行に移し、初刊より1万部を発行して、今回最初に迎えた新春にその第5号を、読者の座右に飾ることを得たのは幸甚の至りであります。

本紙は御法主猊下の限りない御慈悲によって「大白法」と云ふ、こよなき結構な紙名と題字の御揮毫を拝受して出発し、更に一再ならず「全国連合会が結成されたからには、お互いに法華講員全体の機関紙であるとの責任をもち、各地区からも寄稿して立派に大成させなさい」と云ふ御言葉を頂戴したのである。まことに有難いことで法華講員は恐懼御思召(おぼしめし)にそい奉るよう努力し、名実共に全法華講員の機関紙としての使命達成に協力せられんことを望むものであります。

また活動方針の第二として挙げられた月例登山会も翌8月度から毎月実行し、漸次軌道に乗りつつありますが、なを一般にはその計画の普及せぬ所があるように思はれる。今年こそは大聖人御在世当時にさかのぼり、阿仏房・千日尼の深い信心に倣い、御登山の意義を広く徹底せしめ、戒壇の大御本尊様に御目通りした歓喜を一人でも多く得られるよう切望するものであります。

この年の始め春の始めにあたり我々は信心の在り方について更に反省して、連合会組織を強化し種々な面を充実し、全国の法華講支部は真の異体同心の真心を以て、常に同一体勢を整え、大聖人様の大願成就に向っての自行化他に亘る修行によっておしみない御奉公の誠をつくし、依って以て相協力して全国連合会の大躍進を期したいと存じます。





東京地区連合会 第1回体育大会


入場行進伸びゆく若人の祭典、東京地区第1回体育大会は、昨年11月18日(日)柿沼総監、佐藤日成尊能師、早瀬尊師、阿部尊師などの諸大徳の御臨席を仰ぎ当日は若干曇りながら無風の好競技条件にめぐまれて、都下東伏見早大グランドで平沢会長先生の下に講員3000名が参加して行われた。

午前9時、大会はまず、この日の為に連日の猛訓練を重ねたという、全員真白いユニホームの本行寺「鼓隊」の鮮やかな行進と勇壮なリズム隊を先頭に、大会役員、大会旗、日章旗、連合会旗、女子部、男子部と堂々、整然とグランドを一周する選手入場に始った。

若人の逞しい力あふるる入場行進を見れば、観覧席は早くも熱を加えて新しく胎動して来た法華講の若き力に、殊に御老人方は感激ひとしおの感があった。法道院ブラスバンドの『君が代』吹奏にのって三旗の掲揚があってプログラムに入った。

開会宣言、開会の挨拶、選手宣言、競技上の注意、『日蓮正宗の歌』と、式次第は次々とスムーズに進行し、競技に入る。


 1 青年部男子     100米
 2 青年部女子     100米
 3 小学4年以上(男) 100米
 4 小学4年以上(女) 100米
 5 青年部男子    1500米
   青年部男子     走り高跳
   青年部女子     走り高跳
 6 小学生3年以下    50米
 7 小学生3年以下    50米
 8 一般男子    スモーク競技
 9 一般女子    スプンレース
10 青年部男子      1万米
11 対抗リレー   所化さん対青年部

と進み男子部の豪快な棒倒しで午前の部が終了。優勝をめざして各支部の応援合戦は益々白熱の度を加えた。

昼休みに入りまず、180名からなる青年男子部が鮮やかに集団の美を示すプロムナードを演ずれば、続いて青年女子部も軽快なテンポでリズム体操をいかんなく団結の美を示し、午後の部への興味を更にそそいだ。午後の部は、


14 一般部女子      宝探し
   来賓競技 
   青年部男子      走り巾跳
   青年部女子      走り巾跳
15 一般部男子    パン喰い競争
16 青年部男子        200米
17 青年部女子      200米
18 青年部男子対抗リレー 400米
19 青年部女子対抗リレー 400米
20 青年部男子対抗リレー 800米
21 青年部男子騎馬戦

と続き、最後の親子リレーに決勝が持ち越された。全員総立ちの応援の下に行われ、本行寺が1位に、2位に法道院が入り、その結果総合で法道院が優勝した。総合得点は、1位法道院22点、2位本行寺21点、3位常在寺9点、4位妙国寺と蓮成坊実習講7点(同点)、6位妙光寺5点、7位妙縁寺4点、8位白蓮院2点、9位全関東1点、十位常泉寺0点、以上であった。

かくて午後4時30分全競技を終了し閉会式にうつり、得点発表、賞状授与、会長挨拶、閉会の挨拶があって会場上空にひるがえっていた黒獅子の大会旗、日章旗、連合会旗が降下され、つづいて“鼓笛隊”奏ずる中を元気一ぱい闘いきった地区青年男女が堂々と退場し、本大会は始めて体育大会を行った東京地区講員の喜びとともに、有意義な大会の幕を閉じた。

この日の為に全力を注いだ東京地区連合会企画部と、よくそれに応えて懸命の努力を続けた青年部の力がこの大会成功となって実を結んだのである。本紙11月号論苑にあった、新しい集団の在り方の三原則の具体化が行われて来た様な体育大会であった。

特に印象に残るのは、来賓競技として行われた柿沼総監をはじめとして、各御僧侶方による当世はやりの、ハンドフープによる競技をはじめ、1万メートル競争にて最後まで走りつづけるあの闘志、また本行寺鼓隊の大活躍等僧俗一致した和合と団結による大会であった。



◇鼓笛隊育成経過 本行寺支部

私達本行寺支部には、丁度10ヶ月前に発足致しました鼓笛隊があります。支部の柳沢講頭さんが、今後の社会及び教育面に文化の占めることの大きさ、又、その中でも音感の重要さに目を向けられ、この訓練を受けておかねば後日他から破られてしまう事を見通され、みんなが訓練を受けられる様に、おつくりになったものです。

入場行進そして、11月18日東京地区連合会入場行進にあたり鼓隊編成をもって出場との命を受け、9月末より本格的に訓練を始めました。この大会の意義の深さ大きさを支部講頭さんより御指導戴き、隊員もわからないながら、只、万が一にも失敗したら、講頭さんをして企画の苦心を水の泡に到らしめたらそれこそ一大事と自覚し、昼は学業で謗法に負けまいと精を出し、夜は鼓隊の練習に連日連夜励みました。

微熱が続き倒れる者等と、全員が顔を揃えた事のない日も何日かありましたが、子供達は寝ていても考える事は鼓隊の事だけなのです。その努力があり、休んでいても遅れをとる隊員はおりませんでした。只、子供達は、隊員としての自覚、鼓隊の任務というものが常に頭と身体にあった事、又隊員として生活していく事に、自己の我がままを捨て、しかられても、それを素直に直していき、途中で投げ出す事をせず、伸び伸びと励んでいく信念があり、技術面に於ても日管の大野先生を師としておりますが、大変忙しい先生で、直接指導を受ける事はあまりなく、担当員を共に、その担当員は、正規の音感教育を受けておらず、指導にも欠点だらけでありました。隊員全員が音楽や楽器が好きで、始めたのではありません。

これらの欠点だらけの実際の指導の中に子供達は、子供達により実践、工夫、反省、又実践と、たゆまぬ努力とたくましく育つ息吹があったから、実現したのです。我々にも、目的を定め、真に自覚し、共に協力していくなら、何一つとして、実現しない事はないと確信致しました。




back      index      next