大白法

平成9年8月16日号


主な記事

<1面>

<2・3面>

<4・5面>第7回少年部大会

<6面以下>

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=客殿新築落慶法要について(趣旨)=


先に本山内事部より慶祝行事大綱(案)の通知どおり、明年3月25日の客殿新築落慶法要に引き続き、翌26日より31日を除く4月5日までの10日間にわたり客殿落慶記念法要が奉修される。これには、毎日午前と午後の二回に分けて5,000名づつ、計一日10,000名、合計100,000名が御登山申し上げるることとなった。


これについて法華講連合会は8月2日緊急理事会を開催し、「各地方部は僧俗代表者会議を開催して、必要に応じて参詣者数を支部間で調整する事」などの4項目を確認し、議案を満場一致で可決した。



=少年部大会より=

−御祝辞 庶務部副部長 阿部信彰御尊師(抜粋)−
・・・また昨日の鼓笛隊コンクールでは見事な演奏で日頃の練習の成果を競い、鼓笛隊員も見学者も一体となって、三宝様に御報恩申し上げることができ、まことにおめでとうございました。御法主上人猊下には、皆さんのこの度の元気な御登山と、昨日の素晴らしいコンクールを大変にお喜びでございましたことを、ここに謹んでお伝え申し上げます。

さて少年部の皆さん。今皆さんがいらっしゃるここのところ、総本山はなんという名前のお寺でしょうか。判る人は大きな声で答えて下さい。はい、そうです。日蓮正宗総本山大石寺であります。総本山大石寺は、今から707年の昔、日蓮正宗第二祖日興上人様がお開きになったお寺で、御本仏日蓮大聖人様の御生命にまします本門戒壇の大御本尊様と、日蓮大聖人様の教えを正しく受け継がれた御法主上人猊下のいらっしゃる、根本の尊いお寺なのです。また日蓮大聖人様の御教えは、全世界の人々を救う尊い仏法であり、故に御法主上人猊下は毎早朝、丑寅勤行において広宣流布の御記念をなさっていらっしゃるのです。

(中略:『四恩』について)

近年世間では『いじめ』が問題になっておりますが、みなさんの学校にはいじめはありませんか。もしも、いじめで悩んでいる人がいたら、決していじめなんかに負けてはなりません。いじめや辛い事に負ける人は、どうしていじめがあるのか、その原因が判らず、勇気と希望を持つ事が出来ずに絶望してしまうのです。ところがこの仏法では、このいじめや辛い事も、地獄・餓鬼・畜生という三つの苦しみの世界に収まる事、そしてそのようないじめや苦しみを受ける本当の原因は、生まれる以前の遥か昔の自分の謗法に原因があるのですよと教えているのです。謗法とは正しい教えを信じずに謗(そし)ることです。少し難しいお話ですが仏様の教えですから、信じて聞いて下さい。

それではいじめなどの辛い事を解決するにはどうしたらよいのでしょうか。皆さんは毎日、御本尊様に南無妙法蓮華経と唱えていますね。この御本尊様こそ、御本仏日蓮大聖人様が、私達の苦しみの原因をなくして、喜びと楽しみを与えてくださる最高の宝物であり、仏様の尊い命なのです。

南無妙法蓮華経は獅子吼のごとし。いかなる病、障りをなすべきや。(経王殿御返事 新編685)

と御指南あそばされるように、日蓮大聖人様は末法の衆生一切衆生を救済あそばすために、どんな迫害を受けても恐れることなく、自らの命を捨てて仏道修行をあそばされました。獅子王は百獣の王であり、どんな獣も恐れないのです。御本尊様を信じて南無妙法蓮華経と唱える皆さんは、誰もが獅子王である大聖人様の子供なのです。獅子王の子であれば、過去の罪障も消え、勇気と希望の命が湧いてくるのです。

皆さんがいじめや、そのほかの様々な問題で悩んだ時には、必ず御本尊様の前に座って、御本尊様に南無妙法蓮華経と唱える事が大切です。そして御本尊様どうしたらよいでしょうかと、お聞きするのです。そうすると御本尊様は不思議なお力をお持ちですから、かならず教えて下さいます。それはどういうことかというと、信心の先輩方や、お父さんお母さんから適切な御指導やご助力をいただくことができ、さらには世間の色々な立場の人から応援をしてもらえるのです。皆さんはそういう素晴らしい福徳をもっていることを決して忘れないで下さい。

それから次に、世界には皆さん方よりも、ずっとずっと不幸な少年少女が何百万人もいます。皆さんにはそういう仲間を救っていく使命があるということも忘れないで下さい。皆さ今日からは、自分自身とみんなの幸せのために、使命を果たさせて下さいと御本尊様にお願いして、一層勤行。唱題に励み、四恩報謝のためにも、一生懸命勉強に励んで下さいね。

(後略:付き添いの父母への指導)


−体験発表−


◇宣行寺支部(埼玉県草加市) 四年生 飯山貴子

宣行寺の子供会は、御住職に「つくしの会」と名前をつけていただき、月に一回、講頭さんから、いろいろとお話をしてもらいます。それは朝と夜の勤行が大切なこと、今、げいか様が一日一時間以上のしょうだいぎょうをなさっていること。だから私は休みの時にお寺朝まいりから一時間のしょうだいぎょうに参加しています。私たちは、一番前の列でしょうだいしています。ときどき、講頭さんのとなりでやる時は、とってもきんちょうして、ちゃんと一時間できます。

それから「つくしの会」では、土曜日に良篤さんから太鼓を教えてもらってます。さいしょは、やりにくかったのですが、だんだんなれてきて楽しくなりました。五月には真教寺とのこうりゅう会で、しょうだいぎょうの時、私たちが太鼓をたたきました。すごくきんちょうしました。真教寺のみなさんはすごくじょうずだったので、私も早くじょうずになりたいと思いました。そのあと、むさしの村で遊んできました。とっても楽しかったです。

そして私はこてきたいに入っています。真教寺や妙本寺の友だちと一緒にれんしゅうしています。私はピアニカをやっています。昨年コンクールで銀しょうだったので、今年は金しょうをとりたいと思ってがんばりました。そして、本当に金しょうがとれたので、とてもうれしかったです。

「つくしの会」で講頭さんから、今年はごくようがあることも話しがありました。私は毎月のおこづかいの中から、なるべく、むだなお金は使わないでどんどんためていきたいと思います。ときには、私はちかくのおかしやさんに買いに行くときがあります。だけど、うちにあるおかしでがまんして、買わないようにしています。お母さんも、ちょきん箱にためています。早く新しいきゃくでんを見たいと思います。

私は今年にはいって、毎日のごんぎょうをきちんとやるようになりました。御住職から朝のごんぎょうで、こうせんるふのお役に立てる大人になること、お父さん、お母さんが元気で長生きすることをごきねんするようにおしえてもらいました。そして幼ちえんからの一番の友だちのあすみちゃんを折伏したいと思います。あすみちゃんおお母さんは、私のお母さんが折伏していましたが、お寺に一回来ただけでした。あすみちゃんは私と一緒にしょうだいしたこともあります。だから一緒に信心していきたいのです。

私は「松伏町の人たち、みんな信心するといいね」とお母さんに言いました。学校のみんが信心していたら、いじめもなくなるのにと思ったからです。ときどき、学校などでいやなことや、にがてなことがあると心の中でおだいもくをとなえています。そうすると、にがてなことなどがちゃんとできます。

だから、これからも、ごんぎょうと一時間しょうだいをつづけて、がんばっていきたいと思います。


◇妙道寺支部(愛知県名古屋市) 五年生 吉田展康

こんにち、妙道寺支部の吉田展康です。ぼくは、男ばかりの四人兄弟の三番目です。信心を始めて三年になります。

信心をしていない頃、一週間に一度は病気やケガばかりして、病院に行く事があたりまえでした。お兄ちゃんや弟も、よく病気をしていたので、ぼくはそれがふつうだと思っていました。ご飯よりもおかしを食べる量が多く、ジュースを飲みすぎて歯がボロボロでした。朝ごはんも、食べずに学校に行く事もありました。ぼくが一年生になった頃、ぼく達の事でお父さんとお母さんが、よくケンカをするようになりました。こわくてねむれない日もありました。

とうとう、り婚をしてしまいました。でも、ぼくは信じられませんでした。学校から一人で帰り、お母さんが戻っているような気がして、しばらく探す日が続きました。二、三ヶ月の間、寝ている時でもお母さんが出ていった時を思い出して、突然大きな声で泣いてしまい、誰がなぐさめても泣き止まず、お父さんが「泣くな、男なんだからさみしくてもがまんしろ」と怒るので、お兄ちゃんや弟は、ふとんをかぶって泣いていました。でも、怒られるのが恐いので、いっしょうけんめいがまんしているお兄ちゃんや弟を見ていると、ぼくもがまんしなきゃと思っても、家の中が暗くなってしまい、いつまでこんな日が続くんだろう、と不安でたまりませんでした。

二年生になった時、お父さんが今のお母さんを連れて来てくれました。お母さんが信心をしていたので、ぼくたちは、意味がわからないままお寺に連れて行かれ、その時に家族全員ご授かいを受けました。その日からごん行をはじめました。朝は6時30分からはじめます。夜も、6時30分からはじめます。今まで、本山にいって帰りがおそくなった日や、四国のおばあちゃんの所に行った日以外は、ごん行は欠かさずやっています。

最初はなれず、すごくつらかったです。お寺ではおとなしくしなさいと言われるので、お寺に行くのは楽しくありませんでした。そのたびにお母さんは、色々信心の話をしてくれました。今では友達もいっぱい出来て、楽しい事もふえてきたので、だんだんお寺に行くのが好きになりました。ご飯も食べる量がふえて、病気やケガもあまりしなくなり、学校も休まなくなりました。

二年生になるまでは、学校と家の区別がつかず、担任の文子先生にお母さんみたいに甘え、先生も特別に許してくれるので、自分の思うようにならないとすねてわがままを言って、まわりの人たちにやつあたりして手がつけられなかったぼくが、三年生、四年生の時に、「展君、下級生のめんどうをよくみる、やさしいお兄ちゃんになったね。本当に別人みたい」とたくさんの先生から言われます。その時、とてもうれしい気持ちでいっぱいになります。お母さんが「信心をしたら、いい事がいっぱいあるよ。」と言った言葉が少しだけわかってきました。

信心をするまでのお父さんは、いつも怒ってばかりいて、とてお恐かったけど、今はやさしいお父さんになりました。仲のいい両親をみていると、とてもうれしくなります。夜も安心して眠れるようになりました。今では明るい家庭になりました。御本ぞん様にいただいたのだと、ぼくは思っています。

ぼくが今一番望んでいる事は、ぼくたちを生んでくれたお母さんに、この信心をしてもらう事です。そのためには、ぼくがしっかりとごん行を出来るようになって、お題目をあげなければ、出来ないと思います。一日でも早く信心の話をしてあげれる人に成長して生きたいです。

ありがとうございました。


◇安住寺支部(大阪府茨木市) 四年生 西仲真美

こんにちは。私は、去年はじめて少年部の合宿に行きました。ご開ひの後、こ笛たいのパレードとコンクールがあって、とても感動しました。そして私は、去年の10月からこ笛たいに入りました。初めは音ぷが読めなくて、手もぜんぜん動かなかったけど、今はなんとかついていけるようになりました。練習の時は、安住寺に来て、しばらくして菅野ご住しょく様といっしょに朝のごん行をします。今は、他のお寺の友達もできて練習の日がくるのが楽しみです。


話しはかわるけど、この間学校であった事を書きます。一年生の時からずっと同じクラスのMさんが、二年生くらいからいじわるをするようになってきました。一年生の時はとても仲がいい友達で、いつもいつもいっしょだったけど、だんだんとはなれて行ってしまい、私は人にしゃべりかけるのが苦手だし、仲よくできる友達がいなくなってしまいました。Mさんは私がだれかと話そうとすると、その相手の子に「西仲さんが、あなたの悪口を言ってるよ。」とウソを言って近づいて、Mさんとその子と二人でいじめてくるのです。上ぐつをひっくり返したり、目の前で三人かたまって私の方を見ながらコソコソと話をしたり、わけもないのに後ろからドンとせ中をおしてきたり、ほけん室にとじこめられたりしました。「私はMさんと仲よくしたいのに、なんであんな事をするんやろう?」と、とてもかなしい気持ちでした。

半年くらい前の事です。ほうか後、教室でMさん達が、「はい、これ!」と手紙をくれました。その手紙には「あんたとはもう友だちやめる。バイバイ」と書いてありました。私はびっくりして泣きながら先生に言って家に帰りました。私のお母さんは、はたらいているので、帰ってから夕方まで一人でるす番をしています。その事をMさんは知っています。家に着いてしばらくして、コンコンとだれかが来ました。「だれだろう?」と思ってドアを開けると、Mさん達が「あんたなんで先生にちくったん?赤ちゃんちゃうねんから、一人でかいけつしーや!こんどから先生とか、あたしらのお母さんにちくったらしょーちせーへんで!」とどなってきました。私はなみだが止まらなくて、一人で泣いていました。


その時、ぐうぜんにお母さんから電話がかかってきたのでその事を言うと、「ご本ぞん様にほう告するんやで!あんたの宿ごうやで!負けたらあかんで!」と言いました。私は「お母さん、何言ってんねんやろう!」と思って、電話をきりました。その時はあまり意味がわかりませんでした。後でゆっくりと、話しをしました。

今、いろんな事がまわりでおこっているのは、自分のやってきた事の結果だという事、ほけきょうというかがみにてらされると、そこにはいろんな事がうつって、私が生まれる前にやってきた事もうつるんだそうです。かがみにはうつっても私には見えないので、相手が悪いと思ってしまうけど、本当はそうじゃなくて、その原因はみんな自分にあるんだそうです。だから相手をにくんだり、やられたらやり返すという事はいけない事だと言われました。前世があるという事を聞いて、「私が前世でMさんをいじめてきたのかなー」と思うと、そんなにはらが立たなくなりました。

前に少年部会で、菅野ご住しょく様が、「つらい時にこそ、御題目を唱えるんだよ」とおっしゃっていたので、そのばんからねる前に十分間、御題目をあげる事にしました。ねる前はあくびが出たりして、少ししんどいけど、もういじめられるのはいやなので、がんばろうと思いました。


一週間くらいたって、Mさん達が朝、学校で急にあやまってきました。先生が私の事を心配してくれて、Mさんたちに注意をしてくれたそうです。「先生に言うたらリンチすんで!」と、言ってたけどその後、そんなにひどいいじわるはしなくなりました。学級会で私達の事をみんなで話し合いました。その事がきっかけでMさん達とはべつのグループの人達と、いろいろ話せるようになって、今はMさん達より他の人達と仲よくなれました。Mさんは今でもたまにいじわるをしたそうだけど、私はもうこわくありません。お母さんは「仏様にまもっていただいたんやね」と言いました。

ご本ぞん様におねがいをしてかなえてもらったから御題目をやめるという事はいけない、いい時も悪い時も唱えるんだよ、と聞いたので、これからも10分間の御題目をしていきたいと思います。かなしい気持ちがとても大きかったので、今はうれしい気持ちがとても大きいです。

「おなかの底からのよろこびはどちらにあるのでしょうか。きびしいかもしれないけれど、かならず仏様のじひにまもられるかんきょうに身をおいた方がいいのではありませんか。」と、早瀬ぎゆうごそんし様がおっしゃっておられました。“おなかの底からのよろこび”って、今のような気持ちかな、それともおこうの帰り道のがんばろうと思う気持ちかな、それともお山に行った時、なぜだかわからないけどウキウキしてうれしくてたまらないという気持ちかな、私はまだちょっとしかわかりません。でも3月23日の少年部大会で、「おなかの底から声を出して心から唱えればかならず、その声は仏様に届くのです。」とおっしゃっておられたので仏様に届いた時にそのよろこびがわかるのかな、と思います。

私は、これから苦しいことがあっても負けないで御題目を唱えてがんばりたいと思います。ありがとうございました。


◇法道院支部(東京都豊島区) 五年生 山田慶子

みなさん、こんにちは。法道院支部の山田慶子です。私は、今五年生ですが、四年生だった時のクラスでは、がっかいの人が五人いました。その中の一人の誕生会によばれていたので、前にお寺にきたことがある、大沢さんと一緒に行ったのですが、家の中には三色旗があったり、三色のシールがあったりしました。大沢さんと二人で、「ここって、のろわれてるかもしれないね。」と、話しをしていました。ほかのがっかいの人の家も、きっと同じ感じなぁ〜と思い、かわいそうな気がしました。私の家は、以前がっかいでしたが、平成三年に脱会して法華講に、入こうしました。日蓮正宗に入っていて、良かったと思います。友達も早くがっかいを、やめればいいのになぁ〜と、たまに思います。

私は、いつも努力することが、とても大切だと、思っています。勉強でも、スポーツでも、何でも一生けん命努力していくとその結果が、きちんと出ます。勉強では、テストで百点が、とれるし、私は一輪車が好きで、一人でも一生けん命練習して、今は発表会にでられるようになりました。

今、私が目標にしている事は、手話を覚えて、耳の不自由な人と話しをする事と、きょ年から始めたこてき隊で、もっとうまくえんそうできるようになることです。手話を覚えたいと思ったのは、クラスの中に、耳のあまり聞こえない友達がいて、手話で話しができたらいいなぁ〜と思ったからです。学校で、教えてもらえたら、みんなもならえると思い、校長先生に手紙を出して、お願いしてみました。そうしたら、先生がたと、相談してくださり、手話のできる先生がいらしたので、手話クラブを作ってくださいました。

最初に、その話しを聞いたときは、すごくうれしかったのですが、クラブができても、何人の人が集まるか心配でした。もし少なかったら、先生一人ひとりにお願いして見ようと思っていたら、二十人の人がクラブに入ったので、すごくうれしかったです。今は、週に一回練習しています。私の学校は、今年で創立八十周年をむかえましたが、八十年間、手話のクラブはありませんでした。これからずっと長く、続いてほしいと思います。

この前クラブの先生から、手紙をもらいました。「すばらしい心のもち主、山田さん。山田さんが、校長先生にお手紙をくれたことが、きっかけとなって、このクラブができました。あなたのやさしい気もちを、大切にぜひ育てたいと思います。たくさんの手話を知っていますね。これからも、たくさんおぼえて、いろいろな人に、手話を伝えていきましょう。本当にありがとう」と、書いてありました。みんなと一緒に、一つでも多く覚えて、こうせんるふのお役に立てるように、頑張っていきたいと思います。

きょ年から、こてき隊のいち員になりました。今は、リコーダーを、ふいていますが、もっといろんな、がっきをえんそうできるようになりたいし、なんでもできるこてき隊員に、なりたいです。今年のコンクールは銀賞でした。来年は、最ゆうしゅう賞をとれるように、みんなで頑張ります。

去年のコンクールのビデオを、親友の大沢さんに見せてあげたら、私もやりたいと言っていたので、一日も早く一緒に参加できるように、御本尊様に、お願いしています。これからも、いろいろなことに、ちょうせんしていこうと、思います。本日は、ありがとうございました。


◇興福寺支部(広島市東区) 六年生 国広あゆみ

皆さん、こんにちは。私は西中国地方部、興福寺支部の国広あゆみです。私が、教学試験をやってみようと思ったきっかけは、二つあります。一つは、お母さんに「今度、教学試験の初級が有るから、受けてみない?」と言われたことです。もう一つは、私は漢字が得意なんだけど、ご書は、上手に読めません。だからもうすこしでもわかるようにと思って、受けようと思いました。

初級は、どうにか合格しましたが、書けないところもありました。だから、すごくうれしかったけど、心残りがありました。そして、一月に中級試験を受けることにしました。私は、中級も初級と同じ位に考えていました。ところが、世の中はそんなに甘くはありませんでした。私は、初級試験からずいぶんたって、覚えが悪くなっていたので、「老けてしまったのかなあ。」と思っていました。

でも、「合格したい」と思い、一生懸命勤行、唱題しました。試験勉強もしました。特にご書は、夜の勤行の後、必ず読んでいたので、すっかり暗記しました。勉強は、むずかしくて、あまりできなかったけど、一回だけお母さんとお寺の勉強会にも参加しました。もぎテストもやりました。お昼の勉強会にお母さんが出てくれて、夜私に家で教えてくれましたが、あまりわかりませんでした。初級とは、ぜんぜん違って、すごくむずかしいと思いました。

そして、一月二十六日になりました。試験について説明がありました。私は、あれだけ勉強したんだから、多分できるだろうと思いました。そして、「初級試験のように余白を残したくない」と思ったら、自然と手が動き、全部書けたので、すごくうれしくなって、試験が終わるなり、お父さん、お母さんのところへ行き、「全部書けたよ。」というと、お父さんが「よかったなあ。」と言ってくれました。次に、勲兄ちゃんが来て「あみちゃん、どうだった?」と聞かれ、私は「全部書けたよ。」と、自信たっぷりに言うと「へえ、すごいなあ。ぼくは、ご書の穴のところしか、覚えてなかったから、ご書のところ書けなかったよ。」と言いました。そして、試験が無事終わったからと、サンデーサンにパフェを食べにつれて行ってくれました。試験が終わった後のパフェの味は、最高においしかったです。

そして、ついに合格発表の日が来ました。その日まで、勤行、唱題を欠かさずがんばった私は、御住職様に呼ばれるのを今か今かと待っていました。「国広あゆみさん。」「はい。」と言ってから、自信がなくなりました。もしかしたら、落ちているのではないか、と心配しながら通知を取りに行きました。そして、みんなの前で大声で泣きました。落ちていたのです。あんなにも自信があったのに・・・・・・。

泣いていると、教学部長の久野さんがやって来て「あゆみちゃん、がんばったのにね。」となぐさめてくれました。大久保さんも、そばに来てくれました。いろんな人がはげましてくれました。家に帰ってから、お母さんが、「あゆみちゃん、落ちたから、もう試験受けない?」と聞かれ、私は「やる。だって、落ちたままやめるのはいやだもん。」と言いました。だから、次の試験もがんばりたいと思います。

私は、試験に落ちてすごくかなしかったけど、今になって、落ちてよかったと思います。なぜかというと、落ちたことをバネにして、またがんばることができるからです。これからも、信心や勉強などいろんなことにチャレンジして、できなくても、あきらめずにがんばっていく人間になりたいと思います。ありがとうございました。


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