大白法

平成10年4月10日号(特別増刊号)


主な記事

<1〜3面>

本門戒壇大御本尊 新奉安殿に御遷座

<4面>

総本山客殿新築落慶大法要より

客殿前広場(31Kb)

<5〜7面>

<8面>


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『日蓮一期弘法付嘱書』にのたまわく、
国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せられべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。 (新編1675頁)

(題目三唱)


当客殿の新築落慶慶祝法要は、第1日より本日に至る10日間、宗門史始って以来の大盛況裡に、滞りなくその全てを執り行うことが出来ました。これ誠に仏祖三宝の御照覧のもと、大慈大悲の御加護によるものであり、その大恩を篤く奉謝つかまつるものであります。そして更には、本宗僧俗の方々が異体同心の団結のもとに、正法護持の志を持って積功累徳(しゃっくるいとく)の行業に励まれた結果によるものであり、顧みて10日間・20回の法要の最後に当たり、心より厚く御礼を申し上げる次第であります。

さて初めより本日の午前の部まで19回の法要における野衲の登高座においては、宗祖大聖人の御書の中で、主として本尊と題目の意義に関する10文を、それぞれほぼ2回にわたり拝講してまいりました。そしてこの20回目の最後の慶祝法要に当たりましては、ただいま拝読いたしました『日蓮一期弘法付囑書』の戒壇建立の御文について、本仏大聖人の大慈大悲による末法万年の衆生救済の大業における正しい信条を拝するとともに、これに関して、宗門の過去より当面、乃至将来を展望し、その破邪顕正の具体的実践に関する、私の見解並びに方途について、少々申し上げたく思うものであります。


さて、『一期弘法付囑書』における戒壇建立は、実に宗祖大聖人一期の御大事であり、三大秘法の御化導における究竟の御指南であります。そして、この御文の戒壇建立については、国主が『此の法』を立てられる時が条件となっております。その『国主』とは、時代の推移はあっても、仏法と世法の道理の上に、常に仏智を根幹として拝し奉ることが肝要であります。国主でない者や、国主の意義に値しない者が、仏法上の『国主』を僭称することは大謗法であります。またこれに関連して、戒壇建立に関する歪曲・専断の解釈を弘める者は、戒壇の大事への反逆であり、本仏大聖人の御化導に弓を引く者であります。そしてその専横が、創価学会第3代会長・池田大作の過去の所行であったことは論を俟ちません。

蓋(けだ)し、『一期弘法抄』の「国主此の法を立てらるれば」の文、『三大秘法抄』の、

王臣一同に本門の三秘密の法を持(たも)ちて。 (新編1595頁)

の文、そして

時を待つべきのみ。 (新編1595頁)

の文によるも、より重大な仏法弘通の実現に示されており、過去に池田や一部の創価学会幹部などが、軽怱の解釈をしたことは、大きな誤りと言うほかありません。日達上人も深く御聖文の容易ならざる御意を体され、かつて日本国中の三分の一が純信にして確実な信徒になった時を、ひとまずの目標とされました。故に末法万年の衆生救済の意を含む戒壇建立は、大聖人の御金言による如実の実相を拝すべきであります。この基本を一往申し上げた上で、この度の客殿建設に関する事項より、逐次申し上げる次第であります。

まず当客殿の立て替え工事が行われた最大の理由は、阪神淡路大震災の教訓による耐震安全設計の検討の結果であります。しかしこれは物理的な、表面上の考察によるものと思います。宗祖大聖人の説き給う正嘉の大地震、文永の大地震等の故事に準じ、仏法上の深い因縁果報の鏡をもって、かの阪神淡路大震災を見る時に、これまさに真の主師親の三徳の本仏に背き奉る一国謗法の現証であるとともに、特にその仏法上の極悪非道をもって直接にこの惨事をなした、池田創価学会の大謗法の結果であります。その他にも、平成2年11月16日の池田大作による宗門誹謗の翌日より起こった、かの雲仙普賢岳の大噴火といい、宗門要路者に災禍の呪詛をなした奥尻島の大津波といい、その他あらゆる多くの不思議な罰の現証といい、悉く池田創価学会の仏法上の大謗法の所為は明らかであると断ずるものであります。故にこそ、その池田創価学会が発願して構築したところの前客殿が、願主の不純な信によって、自ずから除却される命運に立ち至ったものと思われます。そしてこの新しい客殿の落成は、

大悪をこれば大善きたる。 (新編796頁)

の金言そのままに、大聖人の仏法を正しく護持する日蓮正宗の僧俗和合の功徳の結晶として顕れたのであり、真実の広宣流布への盤石の基礎となり、未来への跳躍台となる無限の意義を具えるものと確信するものであります。

この時に当たって、再び池田創価学会の謗法を検証するとともに、総本山における仏法を歪曲した謗法の遺物を徹底して駆逐し、もって破邪顕正の洋々たる広布の未来を開くことこそ、最も緊要のことと存ずる次第であります。顧みれば、昭和39年6月30日台東体育館において、池田大作の素人丸出しの浅識謗法、それも大聖人御一期の重大事たる本門戒壇建立の大業について、聞くに堪えぬ軽蔑・軽視の発言がありました。すなわち、池田云く、

戒壇建立ということは、ほんの形式にすぎない。実質は全民衆がしあわせになることであります。その結論として、そういう、ひとつの石碑みたいな、しるしとして置くのが戒壇建立にすぎません。したがって従の従の問題、形式の形式の問題と考えてさしつかえないわけでございます。

という言であります。これは、法華経の基本である能開・所開の意義を乱し、三大秘法の大綱を軽蔑し、本仏大聖人の本意に背く空虚・空論であり、本末顛倒の痴見であります。このような仏法軽視の浅識・増上慢より出発する故に、池田大作と創価学会の発願を主とする正本堂建立の『意義付け』に関しては、大聖人御一期の御遺命に背き、これを凌駕し冒涜し奉る不敬の発言が、数多くありました。特に昭和43年10月12日の正本堂着工大法要では、池田云く、

日蓮大聖人の三大秘法抄のご遺命にいわく、「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり、三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下して踏み給うべき戒壇なり」云々。この法華本門の戒壇たる正本堂・・・

という、まさに『三大秘法抄』の戒壇がこの堂であると勝手に独断し、御遺命の達成を強制する不当の言を弄して、宗門全体を誑惑したのであります。


当時はあらゆる面で、広布の名を借りた創価学会の強制的独断の言動が多かったのであります。故に、その後の正本堂に関する定義について、大聖人の御遺命の建物とすることに強くこだわり、日達上人の御本意に背いて、その定義の文中に、『本門寺の戒壇たるべき大殿堂』との字句を入れるように、強制・圧迫してきたのも、池田創価学会でありました。この字句が彼等の徹底した強圧によって入るようになったのちも、宗門ではこれについて、今後の僧俗一致の広布への奮励・精進によって、本門寺の戒壇となりうるような願望を表す意味に解すべきであり、それが宗祖大聖人の御正意に対する背反を免れる所以(ゆえん)と考えておりました。

しかるに、元来、大聖人の戒壇の正義を紊乱(びんらん)する不逞(ふてい)の見解をも持った池田達は、正本堂が御遺命の戒壇そのものの建物であり、その儀式だけをあとで行うものであるから『たるべき』というのであると、強固な信念を持っていたのであります。思うに、先師日達上人は過去からの関係によって、池田らに対する深い慰撫薫陶の慈念により、教訓または誘引されて、その善導と育化を計られたのであります。蓋し、

三箇の秘法建立の勝地は富士本門寺の本堂なり。 (新編1699頁)

の御文より拝するに、正本堂という名称は、大聖人遺命の戒壇に相当する内意においてその意義を含めるお心をもって、当時の広布の進展状況を鑑み、一層、僧俗一致の純真な信心により、さらに真の広布へ向うべき勇猛精進と激励の意から、かく名づけられたものと拝します。

しかるに正本堂建設以後、池田大作や創価学会はその期待を無残にも裏切り、きょう慢にも「創価学会に仏法の本体あり」との、本を忘れ、根を切る大逆非道の執見と、我意によって主張した『広布の達成』という虚言を直ちに容認されなかった怨念より、種々の邪義をもって宗門に違背するに至りました。それらの誤りは、各方よりの僧俗の指摘により、狡猾な池田大作等の弥縫策(びほうさく)をもって形式的な反省謝罪を行うことで、一時的に収まったのであります。それを御覧になった日達上人は、昭和54年5月3日の創価学会本部総会の席上、学会の誤りを許されて今後の正しい広布への尽瘁(じんすい)を要望され、間もなく、その年の7月22日、御遷化あそばされたのであります。


しかし、その後池田大作の我意・我見による広布への邪見や仏法の正義を軽視する邪想は、本質的に全く改まるところなく推移し、しばらくの間表面は後董・日顕ならびに宗門に対して、やや恭順の姿勢を取る形がありましたが、次第に自らの『広布第二章』なる邪念の思惑を中心として宗門の従属を強い、創価学会へ宗門を実質的に併呑(へいどん)し、支配せんとする野望より、長きにわたり衛星放送等の方法をもって、法主と宗門への批判的言辞を繰り返しつつ、会員の洗脳を計ったのであります。

蓋し、これらの元は、やはり彼等の本門戒壇の正義に関する曲解、したがって正本堂についての俗悪な思い込みにあったというべきであります。正本堂の御遺命に関する悪見解を、いかにかれこれ考えようとも、その後の経過よりの今日の彼等の現状はいかがでありましょう。宗門の血脈と信条化儀に大きく背反することによって、それらは全くの空文・空論と成り果てました。すなわち、自ら総本山へも正本堂へも参詣せず、またできない謗法信徒団体と成り果てているからであります。

今や池田創価学会は、自らの手で自らの主張を破り捨てたのであり、その上から顧みるとき、『御遺命の戒壇』などと言って聖意を凌ぐ一連の問題は、まことに滑稽極まる茶番劇でしかなかったと言えます。これすなわち、宗祖大聖人の一切衆生救済と謗法厳戒の厳正なる仏法を浅識し、軽視した当然の報いであります。また謗法与同と池田の売名でしかない広布第二章も、「御遺命の戒壇を建てた」と誤解することによる、広布第一章が終結したという邪見よりきており、既に池田の思惑の前提が大きく崩れきった以上、すべて空論とならざるをえません。これらの執見は、さらに彼等の宗門僧侶に対する不信と軽視・蔑視となって現れ、過去の形式的な宗門への数度にわたる恭順の言は、全く一時の糊塗(こと)的なごまかしに過ぎなかったことが、明らかとなりました。

特に、池田大作の反意が最も顕著に表われたのが平成二年であり、数々の無礼至極な宗門への誹謗が聞こえてくるなかで、同年11月16日の衛星放送による、法主と宗門に対する批判・悪口が明らかとなりました。これについては、かねて池田の言動に不信と不満を抱いていた心有る当時の学会員より、数本の池田の肉声による正真正銘の宗門誹謗テープが送り届けられました。この声を文章化した上、宗門より『お尋ね』として質問したところ、似せテープだ、あるいは改竄テープだと難癖をつけ、まともな回答もなく、かえってそれ以前の平成二2年度中の宗門への様々な非礼や法主批判等に対する当方の訓戒に対し、不当にも虚偽捏造を交えて「九項目」の理不尽極まる質問をしてきました。これらの経過は、平成3年1月25日発行の、宗門より出版した『大日蓮』号外に記すところであり、池田創価学会がいかに正しい信仰もなく誠意もない、非道かつ我侭勝手な団体であるかが明らかであります。

かかる無慚無愧な池田創価学会の姿に対し、それ以前から宗門内部で改正を考慮しつつあった、法華講本部の役員の任期規定等を思い切って改正し、従前の規則による本部役員・総講頭・大講頭等は、一往全員失格する付則をつけて、これを実施した次第であります。すなわち免職ではなく、宗規改正により資格喪失であって、池田らのその後の反省懺悔いかんでは復職する可能性は十分にありました。しかるに、きょう慢悍馬の如き池田大作およびその一党は、深くこれを怨み、いよいよ反抗・誹謗の態度を露にしてまいりました。故に、平成3年11月、創価学会の解散を命じたところ、全くこれを聞かず反抗に終始したので、直ちに破門処分に付したのであります。さらに、翌年7月通告をもって池田大作の謗法行為を指摘し、弁疏の機会を与えましたが、これに応ずる誠意も勇気もないため、敢えて除名処分に踏み切ったのであります。その後の彼等の宗門誹謗は陰湿を極め、全く根も葉もない、米国における偽証事件によって行っておる執拗な反復誹謗は、彼等がいかに人間性に欠けた、反社会的性質であるかを、自ら暴露するものであります。

蓋し、池田創価学会は、そのあらゆる言動において、上から下までが、自分らの都合のため、また勝つためにはどんな誑かしを行なってもよいという狂信によって洗脳されており、正直を根本とする法華経と大聖人の下種仏法の教旨に、大きく背反しております。彼等の、仏法の正義に背き、社会正義に反する不正直と虚偽と二枚舌の実例を挙げれば限りがありません。すなわち、大聖人の正しい仏法の広布にとおて多大な障害となることが、いよいよ明らかとなってきたのであります。特に先程来述べる如く、その根底における池田大作の、大聖人の三大秘法に対し奉る我意と誹法こそ、一切の邪悪の根源であります。それに関し、先に正本堂を『三大秘法抄』の戒壇と断定して、自ら一言の謝罪もなき大過、戒壇建立を「従の従」「形式の形式」と、大聖人の仏法を蔑視する大悪言を挙げましたが、これに加えて平成5年5月3日の池田の講演において、さらに本門戒壇の大御本尊様に対し奉る軽賎誹謗を行なったのであります。池田云く、

やっぱり曼荼羅はいつかなくなっちゃう。物体だから。久遠元初の法は永遠に残る(乃至)板曼荼羅にこだわっておられない。もっと深い大聖人の仏法の真髄だ。この普遍性、ね、すなわち久遠元初の法だ……

などと、大聖人御化導の実体を無視した、わけの判らぬ痴呆的空論を振り回すとともに、大御本尊を「物体」として軽視し、池田の空虚な錯覚による、実体のない我見を大御本尊様より深い仏法の真髄であるかのごとく、大増上慢の邪見を述べております。

皆さん、既に宗門より処分を受けて、いかに脳乱しているとはいえ、この暴言はもはや、日蓮正宗の正義への信仰のかけらも残っていないことを、まざまざと露呈するものであるとともに、大御本尊様への誹法、この上もないものではありませんか。この根本の大法軽視・蔑視は、さらに仏法僧の三宝破壊の具体的謗法に進み、現在は『ニセ本尊』を作製して、相伝の三大秘法の正義と、下種三宝の今日に至る宗門700年の化儀・化導を、ことごとく破壊するという悪事を行ないつつあります。また会員を洗脳する一手段として、池田大作が恐れ多くも、宗祖大聖人より「二人目の法華経の行者となった」などと増上慢の虚言を言わしめていることも明らかであります。

事ここに至っては、池田大作およびその率いる悪創価学会は、日蓮正宗の大法といかなる関係も持つことを許すべからざる団体となった、と断ずるべきであります。特に、池田大作らの発意とその因縁によって造られた、大御本尊様安置の施設たる正本堂こそ、彼らが過去に関与した最大ものであります。しかし既に彼らは、正本堂に関して論ずべき資格も理由もなく、また三箇の秘法建立の意義を示す正本堂の名称は、現状では不適切と思われます。そして従来述べてきた、池田らの大謗法を敢然として破折するためにも、今や正本堂より能(あた)う限り速やかに、大御本尊様を御遷座し奉ることこそ、『革新の年』たる本年に最も相応しいものと思うのであります。すなわち、宗門における今後の広布の段階として、このたび拡張しまいらせた奉安殿に、本門戒壇の大御本尊を御遷座し奉ることが、正法護持と広布へ向かう真実の出発点として、目下の再重要事であり、これを直ちに断行するものであります。今回とりあえず拡張した奉安殿は、全部畳敷きであり、約3000名の収容礼拝(らいはい)が可能であります。池田らがかつて、こよ上なく自慢しながらしかも大聖人の戒壇の本義に背いた正本堂より、清浄なる法華講の皆様の外護のもとに、拡張して明るくなった奉安殿に大御本尊様を御遷座申し上げ、皆様方の信心による御内拝の功徳を、確実にお積みいただきたいと願うものであります。それがまた、仏祖三宝尊、そして御歴代上人、徳に日達上人の御嘉納あそばすところと確信いたします。それは日達上人が、御歴代上人の正法護持のお心とともに、今日の池田創価学会の大謗法を絶対にお許しにならないと信ずるからであります。

日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えない。

との日達上人のお言葉は、何より今日の学会の在り方を指摘あそばすものであります。また山桃の実に法華講を譬えられ、「山桃の実は小さくも身を守り広布の願ひ萌えいづらむ」と詠われ、法華講の成長を深く期待された日達上人が、今日の法華講連合会の隆々たる正法護持、自行化他、広布への前進の姿について、寂光土において御覧あそばされ、どれほどのお喜びでありうかと拝するものであります。さてここで、御戒壇様を御遷座申し上げたあと。既に用途の失われた旧建物は、その徒(いたずら)な巨大さのみの遺物であり、全く無用となる関係上、実情に即した処置を採っていきたいと考えるものであります。


顧るに宗門は僧俗一致団結のもと、平成2年の三万名登山の大成功をきたし、その4年後の平成6年の『地涌六万大総会』の大成功、そしてさらに4年後の本年、新客殿落成慶祝十万登山を大成功裡に終了いたし、大法弘通の実証を明らかに顕してまいりました。これよりいよいよまた、4年後の平成14年、宗旨建立750年に向かい、衆生救済のため、三〇万人の参詣を目標に、法華講の皆様の充実の信心による、僧俗和合の広布への大前進を開始すべき時であると信ずるものであります。この時に向かって、広布への具体的実証として、僧俗一同の志をもって、このたび拡張した奉安殿より、さらに大いなる堂宇としての『奉安堂』建設の要望が、もし地涌の菩薩の澎湃たる出現の如く、涌き上がるならば、これこそ真の信心修行による広布への実相の顕れに当たるものであろうかと存ずる次第であります

要は、これからの時こそ、真の僧俗和合・異体同心の大信力に住し、破邪顕正の発揚をもって本仏大聖人の御高覧に備え奉り、一人ひとりが自行化他の本門戒の実践をもって、即身成仏の本懐を現当二世に顕してまいろうではありませんか。

以上、この慶祝法要の終了に当り一言、現在より未来への方途に関する所懐を発表いたし、結びとする次第であります。


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