大白法

平成10年8月1日号


主な記事

<1面>

<2〜4面>

<5面以下>
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◇全十期にわたる夏季講習会が終了(記事抜粋)

平成10年『革新の年』の法華講連合会第四回夏期講習会登山第10期が、7月30日(木)・31日(金)の両日にわたって行われた。(中略)・・・なお、夏期講習会参加者には、全員に修了証をいただけることになっている。

この夏期講習会は、平成14年・立宗七百五十年・法華講三十万総登山に向かって、法華講員一人ひとりの信・行・学の倍増のために、正しく仏道修行に励み、功徳を戴けるようにとの御法主上人猊下の深い御慈悲と御構想のもと、宗門挙げて開始してくださったものである。特に本年の夏期講習会は、新客殿の落慶に対して、全国の法華講が、3月〜4月の十日間にわたり、様々な困難を克服し、慶祝記念大法要・十万総登山を見事に完遂し、御法主上人猊下の御指南にお応えすることができたこと、さらに、本門戒壇の大御本尊様が新装なった新奉安殿に御遷座あそばされる最重要事があったことなど、四年後の平成14年に向かって新たな出発の態勢が整えられてくる中で迎えた、大変重要な登山であった。

全国の法華講は、十万を完遂した信心の感激と確信をもって、今回の夏期講習会への参加・啓蒙に励んできたのである。私たちは、講習会で御法主上人猊下の御指南、各御尊師の講義で学んだ信・行・学の確信と喜びをもとに、決意も新たに「革進の年」の後半を、「三十万総登山の実現は講中の法統相続、各家庭の信心の確立であること」の自覚に立って、御法主上人猊下の御指南どおりに折伏に励み、僧俗一致して平成14年の三十万総登山を目指し、一層の前進をしていこう。

四年後の三十万総登山実現に向かって、それぞれの各講中は、自らの講中としてどれぐらいの世帯・陣容をもって平成14年を迎えるべきかを、御住職の指導をもとに、支部講頭をはじめ、幹部が一致結束して具体的な折伏・育成の目標を立て、それを組織の隅々に伝えるべく家庭訪間を重ね、毎年の夏期講習会や支部総登山を節目としながら、講中の充実・発展のために具体的に大きく前進していかなければならない。その出発が八月なのである。

講習会登山を終えた今こそ、唱題に次ぐ唱題、折伏に次ぐ折伏を実践していこうではないか。今、世間は、参議院選挙での自民党惨敗の結果、日本の進路を巡り、ますます混迷の一途を辿っている。政治不信、金融破綻、急激な円安等、不況に拍車がかかっている。その根本に、創価学会の暗躍等、魔の眷属の故に、未だに解決の道を見出だせずにいることを見抜いていかなければならない。そこに、我等正法を受持する法華講のみが社会を浄化するのであるとの自覚に立ち、創価学会はじめ謗法の業報に苦しむ有縁の人々を折伏し、救っていくために、破邪顕正の大折伏戦を全国一斉に開始していこうではないか。


◇アメリカで最高裁判決 クロウ・創価学会の訴えを完全に否定

○アメリカ・クロウ裁判、宗門の全面勝利が確定。聖教新聞は頬かむり。

 華子 この前の『大白法』に載ってた「クロウ裁判」の記事なんだけどね。アメリカの裁判所で、御宗門が勝ったというのは判ったんだけど、最高裁判所って書いてあったでしょ、もう少し私にも判りやすいように教えてよ。

 法夫 ああ、7月1日号に一面で大きく掲載してあった「アメリカ・クロウ裁判宗門の全面勝利が確定」という記事ですね。

 華子 それなのよ、「創価学会の国際的大陰謀砕けるとか」とか「クロウ側連邦最高裁に上告できず」って、書いてあるでしょう。これ見たら、すごいことになってるわけじゃない。それなのに、学会では何にも伝えてないみたいなのよ。どういうわけ。

 法夫 私も学会員のところを折伏に回ってみて、驚いたんですけれど、今回のアメリカの裁判結果は、みんなに全然知らされていませんね。

 華子 だから私ね、どんどん教えてあげようと思っているのよ。最初から、私に判るように話してちょうだい。

 法夫 大役ですね。ひとことで言えば、アメリカの「クロウ裁判」というのは、ヒロエ・クロウが平成4年に起こした、日米創価学会の強力な後押しで始まったもので、今年でもう6年経つんですよ。では、何をしたくて訴えたのかというと、御法主日顕上人猊下を罠にかけて陥れようとした事件なんです。もともとクロウが御法主上人猊下に対してありもしないスキャンダルを発表したところから始まるんですが。もう何度も聞いて、知っていると思いますけど、昭和38年の第一回海外出張御授戒において、当時教学部長だった御法主上人猊下がシアトルで買春をし、警察につかまったという、とんでもないスキャンダル報道です。

 華子 そうよ。あの頃、30年前の出来事というわけで、『創価新報』や『聖教新聞』に毎回毎回、「破廉恥僧」だとか「ウソつき日顕」なんて、とんでもない見出しを大きく載せてたでしょう。

 法夫 彼等が、「猊下がスキャンダルを起こした」と大騒ぎしたので、御法主上人猊下ご自身も法華講連合会も、クロウのそんなデタラメを放っておくわけにはいきませんから、「クロウの言っているこうとは嘘だ」と反論したんです。そうしたら、クロウが「私を嘘つきと言ったから、名脊毀損だ」として訴え出た。しかも、損害賠償額は当時のお金にして62億円以上だというんですから、呆れますね。それが、アメリカでの「クロウ裁判」ですよ。(※創価学会ではこれを『極悪日顕、アメリカで裁断へ』などとして、積極的に宣伝していた)

 華子 そんな非常識な。自分から、あんな大それたことを言い出し、それを「ウソ」と言われたら、今度は「62億円よこせ」なんて。ああ、でも「クロウ裁判」というのがよく判ったわ、ちょっと勘違いしてたわね。だけど、学会の婦人部は「猊下が買春事件を起こしたから、クロウさんが訴えた」って私に言ってたのよ。



○永久にくつがえることのない学会の大敗北

 法夫 『創価新報』などは、見出しで御法主上人猊下に悪いイメージを植え付けるのが狙いだったんでしょう。そういう目的で始まった裁判なんですが、6年かけて出された結論は、地方裁判所・高等裁判所でことごとく却下。そして最後のカリフォルニア州の最高裁判所でも、却下。つまり「クロウの訴えは取り上げない」ということだったんです。これが今年の2月18日でした。

 華子 日本の場合は最高載判所っていえぱ、もうその次はないんでしょう。アメリカもそうなの。

 法夫 アメリカでは、カリフォルニア州の最高裁判所の次に、もう一つ、連邦最高裁判所というのがあるんです。クロウ側は、最後はそこへ上告することができます。ところが、クロウ側の弁護士は、「もう、これは勝ち目がない」と判断して上告するのをやめたんです。さらに、訴訟停止中だった日蓮正宗テンブル(NST)などアメリカの現地関係者に対する訴えについても、「訴えを取り下げます」という書類に自らサインをしたんです。

 華子 ええ!自分のほうから、訴えを取り下げたの?

 法夫 ここが大事なところなんですよ。あれだけ大騒ぎしてきた創価学会が、自分のほうから「もう、残っている訴えを取り下げます」って言ったんです、もう少し詳しく言いますと、6月19日(現地時間6月18日午後8時30分、ロザンゼルスの上級裁判所で、「クロウ裁判」の最終情況確認のための会合が開かれたんです。ステータス・コンファランスと言うそうですが、これは日本の、御法主日顕上人猊下、日蓮正宗、法華講運合会、尾林海外部長に対する訴えは、地裁・カリフォルニアの高裁・最高裁で全部却下されたが、残りの現地関係者に対する訴えを、この先どうするのか、はっきりしましょう、という会合なんです。そこでクロウ側のデボラー・ドルーズという弁護士は、残っている日蓮正宗テンブル(NST)、法華講(NSH)及び高橋慈豊御尊師(サンフランシスコ妙信寺住職=当時)の現地関係者三者に対する訴えを取下げますという書面にサインしたということなんです。これで、アメリカで行われていたクロウ事件の裁判は、結局一つ残らず本当の意味ですべてが終結したわけです。

 華子 ちょっと、話が難かしくなってきたわね。でも、アメリカの「クロウ裁判」は、学会の負けということで決定したのね。もう、ひっくり返るこどはないわけね。

 法夫 ええ、もうひっくり返りません。学会の大敗北です。

 華子 でも、ちょっと待って。この『大白法』に、「理論的には90日以内にワシントンDCの連邦最高裁判所に最終上告することはできたわけです」っていうのは、どういう意味なの?まだ学会に道が残ってるってことじゃないの。

 法夫 日本側の人たちに対する訴え却下の判決に不服があるなら、2月18日から数えて90日以内に申し出なさい、これが最後のチャンスですよという意味なんですね。ところがそれも、5月19日で既に期限切れになりました。さっきの「この先どうするのかはっきりしましょう」という裁判所での会合というのは、「他の訴訟停止中になっていた、アメリカの現地関係者の部分については、どうするんだ。やめるんならはっきり『もうやめます』と、そう言いなさい」と裁判所から言われちゃったよようなものですね。



○学会員にも今さら真実を言えず・・・

 華子 そう言ってくれれば私にもよく判るわ。すごいことじゃないの。私が折伏した学会員には、「クロウ裁判」で学会が負けたら、自分は脱会すると言っていた人が何人も、何人もいたのよ。それくらい、彼らは自分たちが「勝利」すると聞かされてきているわけ。こんなに大事なことを知らされていないなんて、気の毒だわ。

 法夫 私も学会員のお宅へよく折伏に行きますが、大事なことほど知らないんですよ。特に裁判についてはそうですね。

 華子 本当にそうだわね。今の話を聞いただけでも、近所の学会員に話していけるわね。

 法夫 しっかり教えてあげてください。

 華子 そうするわ。それじゃ、もう少し要点を教えてよ。

 法夫 では、何点かにしぼって。まず、この裁判は、クロウが御法主上人猊下及び御宗門を訴えたとなっていますが、実際には創価学会が、御法主上人猊下を陥れるためのワナだったんですね。

 華子 それは聞いたことがあるわ。

 法夫 ええ、『聖教新聞』等での秋谷会長の発言なんかを見ていれば、はっきり判りますね。“私どもはますます自信と確信をもって断固、鉄槌(てっつい)を下す戦いを一歩もゆるめず進めてまいりたいと思います”なんていうことを言っていますから、彼らもそのつもりなんでしょう。

 華子 つまり、クロウを学会が全面的に応援したということかしら。

 法夫 まあ表向きは、そういうことになりますが、実際には、学会がクロウを利用して裁判を起こしたわけですね。アメリカの裁判の中で日米の学会員弁護士たちが、クロウが訴える一年も前から御宗門を陥れる策をいろいろと練っていたことが判ったんです。

 華子 つまり、学会の御宗門への悪巧みが、アメリカの裁判官にも判ってきたということ?

 法夫 そういうことです。アメリカの裁判官は、これは「創価学会が御法主上人猊下を陥れるために仕組んだワナだ」と、認めています。

 華子 でも学会は、あの判決が出た時に、管轄権が理由で、実質的な中味の審議は行われていないとか言っているって。

 法夫 それは、この裁判そのものが、「日本の創価学会が、日本の日蓮正宗に対して起こした裁判である」と、アメリカの裁判所にするどく見抜かれてしまったからなんですよ。

 華子 謀略が見抜かれたということね。その後、学会は日本で訴えなおすということはしなかったわけでしょう。

 法夫 そうです。それから後は、アメリカでの裁判について、『聖教新聞』尻すぼみになっていくんですよ。そうして平成5年12月に東京地裁へ御宗門が、池田大作と創価学会を訴えました。こちらの裁判の証人として、学会員にとって正義のために立ち上がった英雄であるはずのクロウが、証人尋問に出ましたが、最後の反対尋問を残して平成8年に亡くなった時も、学会の新聞ではほとんど扱っていない。あれだけ学会にとって重要人物であるはずの人が亡くなったんですから、せめて一面に載せてお悔やみの言葉の一つも載せるのが普通ではないでしょうか。(※一応の死亡記事は出た。しかし何の見出しも無く、学会の福島弁護士による『信平信子さん裁判』の説明の中で唐突に掲載されたので、よっぽど注意して読まなければ気が付かない。)

 華子 そうね。都合が悪くなったら、知らんぷり。トカゲの尻尾切りみたいね。クロウもかわいそうな人ね。

 法夫 そう言えぱ、元警察官のスプリンクル証人という人もいましたね。

 華子 あの人も、大きな見出しだったわね。でも、いざ登場してみると、クロウの証言の肝心の部分を、みんな「いいえ」とか「そういうことはありません」と、否定してしまったのよね。

 法夫 そうなんですよ。この人は、クロウの言う“買春事件現場に立立ち会った警察官”という話だったんですが、クロウの話にあった売春婦の取り調べはしていないなど、大幅に食い違う証言をしたんですよね。しかもこの証人に、クロウ側弁護士は、毎月4000ドルも払っていたんですね。名目上は、調査員として弁護士事務所で雇っていたということになっているんですけどね。

 華子 そんなことは、許されることなのかしら。

 法夫 こんな具合に、今回の裁判では、非常識なこと・異常なことがたくさんあるんですよ。



○クロウ事件の奇々怪々

 華子 三年前の正月に、学会の秋谷会長が、シアトル事件の「決定的証拠」が見つかったという発表をしたのに、結局何も出なかったっていうことも。

 法夫 その通りです。学会は、あれもその後、ダンマリを決めているんですね。

 華子 そう、だいぶ判ってきたわ。それじゃ、もう一つ、猊下様が御出廷なされた日本の裁判も、このアメリカの裁判の結果でアメリカと同じように終わっていくのかしら。

 法夫 日本の「クロウ裁判は、御法主上人猊下と御宗門が、池田大作らを訴えたものです。

 華子 こっちの裁判については、私も結構知ってるわよ。猊下様は原告代表者なのよね。

 法夫 そうです。昨年暮れから今年にかけて三回にわたって御出廷されました。御法主上人猊下は、学会側の悪意の尋問にもまったく動じられず、完膚無きまでに学会の捏造を打ち砕かれました。これは御法主上人猊下が、御自ら真実の御証言をなされていますので、もうこれ以上長引くことはないと思いますよ。創価学会だって、この裁判がどちらに向かって進んでいくかは判っていることでしょうしね。アメリカであれだけの大恥をかいたんですから。



○今こそ真実を知らせ、マインドコントロールからの解放を

 華子 猊下様は、堂々と東京地裁に御出廷されたんでしょう。それに比べて学会は、アメリカの「クロウ裁判」一つとっても、本当のことを『聖教新聞』で書くこともできないじゃない。逃げ隠れしたり、つまらない工作をしたり、学会員をこれ以上騙すのはやめなさいと言いたいわね。

 法夫 はじめは創価学会員も、この「クロウ事件」については、全組織を挙げて、日本とアメリカにまたがる国際的な陰謀を仕掛けてきたわけですからね、それがいよいよ終結に近づき悪行のすべてが明らかになるとすれば、どうでしよう。

 華子 このままではいかないわね。私、どんどん学会員の家を回っていくわ。こんな大事なことを知らされないで、池田大作や学会幹部にいつまでも踊されていたんじゃ、可哀相でしょうがないもの。「いい加減に目を覚ましなさいよ」って折伏していくわ。

 法夫 この大事な時を、私たち法華講員は「大事には小瑞なし、大悪をこ(興)れぱ大善きたる。すでに大謗法国にあり、大正法必ずひろまるべし」との御金言をしっかり受けとめて折伏していきましよう。

 華子 ちょうど今年は、夏期講習会で「創価学会破折」を学んだから、私、学会の間違いをどんどん破折していけるわ。そうだ法夫さん、これから2・3軒回るから、一緒に行きましょうよ。

 法夫 はい、行きましょう。


◇やさしい教学 母を救った目連(もくれん)尊者

昔、インドのマカダ国のある婆羅門(ばらもん)の家に目連という人がいました。この目連には、幼いころから仲のよかった舎利弗という親友がいました。ある時、二人は出家を決意して、六師外道(ろくしげどう)の一人、サンジャヤの弟子になりました。そして、二人はサンジャヤのもとで外道のあらゆる法門を学びました。

しかし、サンジャヤの教えが真実の法門ではないと気づいた二人は、ある時、お釈迦様の仏法の話しを聞いて、「これこそ真実の法門だ!」と確信し、サンジャヤのもとを離れてお釈迦様の弟子になりました。それから二人は、お釈迦様のもとで一生懸命修行に励みました。そうして二人はみるみるうちにその頭角をあらわし、とうとう阿羅漢(あらかん)という小乗の最高の位を得て、お釈迦様の弟子を代表する十大弟子の中でも、「智慧第一の舎利弗」「神通(じんづう)第一の目連」と言われるまでになりました。


ある時、目連は亡くなったお母さんである青提女(しょうだいにょ)が、今どのような果報を受けているのかと思い、得意の神通力を使って三千大千世界を見渡したところ、なんと餓鬼道(がきどう)というところに堕ちて苦しんでいたのです。この目連のお母さんがいる餓鬼道というところは、食べる物も飲む水さえもろくになく、みんな飢えに苦しんで痩せ衰え、わずかな食べ物をみんなで奪い合う、非常に醜い苦しみの世界だったのです。

この苦しみの世界で、目連のお母さんも変わり果てた姿となっていました。その姿はというと、皮膚は鳥の羽をむしったあとのようにボツボツになり、痩せこけた体からは骨が丸い石を並べたようにゴツゴツと見え、さらに頭は髪の毛がどとんど抜け落ちて毬(まり)のようになり、首も糸のように細く、なぜかお腹だけは太鼓のように出っ張って弛(たる)んでいるという、それはそれは見るも無惨な姿でした。そして、目連のお母さんは、その醜い姿で、「だれか水をくれ〜、だれか食べる物をくれ〜、苦しい〜」と、必死にものを乞(こ)うていました。

それを見た目連は、「なぜ、私のお母さんがこのようなことになったのだ」と、悲しさで胸が張り裂けそうになりました。そして目連は、すぐに気を取り直し、「これは、すぐに何か食べる物を差し上げなくては!」と思い、得意の神通力を使って、お母さんへ茶碗に盛ったご飯を送りました。すると、お母さんは、痩せこけた体であるにもかかわらず、すごい勢いでそのご飯に飛びつきました。そして、左手に持った茶碗を他の者に見つからないように、そそくさと後ろに隠し、右手に握ったご飯を慌てて口の中に放り込もうとしました。

ところがその時、目連が送ったご飯が、突如、炎に変わって燃えはじめ、大事なお母さんの体をゴウゴウと焼きはじめました。驚いた目連は、「これは、大変だ!」と、慌てて再び神通力を使って、たくさんの水をお母さんに送り、その燃え盛る炎を消そうとしました。ところが、目連が送ったたくさんの水は、今度は薪(たきぎ)へと変わって、お母さんをさらに激しく焼きはじめ、苦しみました。


これを見た目連は、「なんということだ、もう自分の力ではどうすることもできない」 と、茫然(ぼうぜん)としてしまいました。そして、「これはもう、お釈迦様に助けていただくしかない」と思い、急いでお釈迦様のもとへ走り帰り、教えを乞いました。目連は、お釈迦様のところへ行くと、「お釈迦様、私は餓鬼道に堕ちた母を救おうと一生懸命に努力いたしました。ところが、それがかえって母を苦しめることになってしまいました。私は、いったいどうしたらよいのでしょうか。教えてください」と懇願(こんがん)しました。

すると、お釈迦様は、「目連よ、お前のお母さんは、仏への供養を惜しんだ『慳貧(けんどん)の科(とが)』{ものをおしみ、むさぼること}という深い罪によって餓鬼道に堕ちてしまったのである。だから、お前一人の力ではとても救うことはできまい。もし、お母さんを救いたいのであれば、七月十五日<夏安居(げあんご)〜{インドの雨期の修行期間}の最後の日>に、十方の聖僧を集めて、百味(ひゃくみ)の飲食(おんじき){いろいろな食べ物や飲み物}を供養しなさい。そうすれば、お母さんは、きっと救われるであろう」と目連に教えました。

目連が、お釈迦様に教わったとおり、七月十五日に十方の聖僧を集めて百味の飲食を供養したところ、その功徳によって目連のお母さんは、餓鬼道の苦しみから一劫(いっこう)の間、脱することができました。後に目連は、それまで持っていた小乗の低い教えを捨てて、最高の教えである法華経を受持したことによって、多摩羅跋栴檀香仏(たまらばつせんだんこうぶつ)という仏に成ることができ、この時、目連の父・吉懺師子(きつせんしし)と、母・青提女も、共に仏に成ることができたということです。



このお話は『仏説盂蘭盆経(ぶつせつうらぼんきょう)』という教典に説かれており、大聖人様も『盂蘭盆御書』(御書1374ページ)の中に詳しくお説きになられています。目連が、お釈迦様の教えにしたがって盂蘭盆の供養を行ったことが、今日の盂蘭盆会(うらぼんえ)が行われる起源になったとされています。

このお話の中で、私たちが注意すべきことは、目連の母・青提女が「慳貧の科」によって餓鬼道という惨めなところに堕ちてしまったということです。「慳貧の科」とは、仏様への供養を惜しみ、また物を惜しんで他の人たちに施そうとせず、それでも飽き足らず貪り求めることを言います。つまり、たいへん欲が深く、他の人のことを少しも考えてあげないことを言うのです。このことは、ややもすれば私たちにも言えることで、ついつい自分が得をすることだけを考えがちですが、他の人たちへの思いやりをいうことを常に忘れないよう心すべきです。

また、大切なことは、目連が一生懸命に努力をしても自分の母・青提女を餓鬼道から救うことができず、仏様の教えを正直に実践して、はじめて救うことができたということです。

さらに最も大事なことは、目連やその父母が、その根本のところにおいて、最高の教えである南無妙法蓮華経を受持することによって成仏することができたと大聖人様が教えになられていることです。私たちもこの目連のように、自信の心にとらわれず、仏様の意を根本として、恩ある父母の対して親孝行をすることを日頃から心掛けて行きましょう。

同様に、私たちが真の幸福を得るためには、末法の御本仏日蓮大聖人様の教えである南無妙法蓮華経を受持する以外にありません。この大聖人様の教えを持つことによって自分や家族、さらには世界の人々が幸せになれるのです。このことを、しっかりと知って、一人でも多くの人に大聖人様の仏法のお話ができるよう、精進してまいりましょう。

※この原稿の掲載に当たって、深遠寺の一ノ瀬さんに御協力をいただきました。


◇体験発表 『亡き母の想い通じ、正法の家となる』 大慈院支部 小菅昌子
私は、何代も続く禅宗の家系に生まれ、中学からはキリスト教の学校で教育を受けました。わがままな私を百パーセント見守ってくれる両親とどうしても離れることができず、厳しい現実社会から逃避しており、35歳になったときこのままではだめだと思い、友人を通して保険会社に就職しました。そして会社の上司であった仲保さんから、初めて日蓮正宗のお話をお聞きしました。宗教に全然興味がなかった私ですが、「人として成長するには、この信心しかない」と言われ、昭和62年8月30日御授戒を受けさせていただいたのです。

初めは東に向かって勤行していたのですが、いつしか御本尊様を求める気持ちが強くなり、お寺で、朝の勤行をさせていただくようになりました。朝5時半に出かける私に両親は驚き、たいへん心配しておりましたが、宗教が昔から大嫌いな父にはどうしても信心の話しをすることができなかったのです。しかし、最高の親孝行はこの信心をしてもらうことだと教わり、今まで親不孝をしてきた私が恩返しできるとすれば、もう折伏しかありませんので、毎朝御祈念しておりました。入信して3ヶ月、姉に信心を勧めたところ、すぐに「判った、やってみる」と素直に入信し、それから間もなくお寺で法華講の皆さんに姪も折伏していただきました。次の年、母が父には絶対内緒でとの約束で入信。次に甥がと、全員が内得信仰ではありますが、信心してくれるようになったのです。


当時の大慈院では、7月の法華講連合会夏季総登山会までに必ず折伏完遂させていただくため、初代神谷講頭を先頭に一丸となって折伏が行われており、私自身御本尊様を御下付いただけない状況でしたが、友人・知人にはいつも下種をしておりました。座談会などで講頭さんから、「信心の根本は総本山、登山をさせていただかなければだめだ」といつもお聞きし、平成元年から始まった月例登山会には毎月のように参加しました。これによって、信心の基本を肝に銘じていったような気がいたします。平成元年母が初めて登山させていただいたとき、ちょうど竜の口の御難会の日でしたので、思いがけなく御影堂における法要に、御法主上人猊下の真後ろで参詣ができたのです。このときの猊下様のお声が、それからの母を支えてくださったのでした。

総本山から戻って間もなく、父に、母が信心していることが判ってしまい、「家は禅宗だ、お前が他の宗教を信じることは絶対に許さない。もし信心したら離婚だ」と、すごい剣幕でした。結婚して50年、母は父に一度も逆らったことがありません。だんだん母は信心に消極的になってしまったのです。その年の御講の日、母が「お寺に行きたい」と父に勇気を出して頼みましたが、大反対して怒ったまま外に出た父は車にはねられてしまいました。母はこのとき、恐怖心で一杯になり、「あんたよりお父さんの方が大事、ごめんね」と私に言い、母は夫と娘の間で苦しい立場になっていきました。

このような両親がいつも心配でしたが、私は御本尊様をお受けしたいと強く思い、家を出て、4年間願い続けた御本尊様を、御下付いただくことができたのです。


しばらくして、信心より生活を優先させていた母に病魔が忍び寄りました。大腸ガンの宣告を受けたのです。手術を受けたのですが、あと半年の命とのことでした。母は、病気になったことで、前よりも信心を大切に考えてくれるようになり、朝晩の勤行も、お寺への参詣も積極的に行ってくれるようにもなりました。そしてついに、石にかじりついても平成六年の『六万名総登山』に参加したいと心に誓い、痛み止め・抗ガン剤を使いながら、3年間病魔と闘い、父の反対を押し切って離婚覚悟で、あの『地涌六万大総会』に出席することができたのです。この時の母は、お腹にたくさんの腹水を抱え、本当に命がけの登山でした。総本山より戻りすぐ入院し、それからどんどん衰弱しはしめたのです。

父は、母がいなくなる恐怖で血圧が異常に上昇し、少しでも興奮させると危険な状態でした。しかし私は、母が生きてるうちになんとか御本尊様を受けさせてあげたいと思い、 母と共に、父に何とか二階に御安置できるように必死で頼み、11月1日母は無事に御本尊様を御下付いただくことができました。このとき、初めて父は御本尊様の前に座ることができ、母は夢のようだと感激しておりました。入信して7年、御本尊様のお力をいただいて、母を含めて6世帯の方々が御本尊様を御下付いただくお手伝いをさせていただけました。

明けて平成7年、容態が急に悪化し死を感じた母が、絶対に大慈院に連れていって欲しいと私に頼んできました。私はいよいよ正念場だと思い、どんなことになっても母を日蓮正宗の葬儀で送らなくてはと、父や兄に私の話を聞いてくれるよう頼みましたが、「禅宗でする」と一歩もひきません。御本尊様にすべておまかせするしかないと思い、唱題をしようとするのですが、涙があふれ、身体が震え、なかなか思うように唱えられないのです。

その頃お寺では、御住職をはじめ講中の皆様が唱題してくださっていました。いよいよ母が臨終を向かえようとするとき、母に遺言を書いてもらうため、姉は泣きながら母にペンを握らせました。「一人で書ける」と言って母は、自分のお葬式の願いを書いたのです。その夜、親戚一同が集まった時、母がスッとベッドの上で起き上がり、皆に遺言書を見せ、大慈院での葬儀を納得させて、2日後、入院時に御住職のお計らいでお寺よりお借りしたお守り御本尊様を胸に、御題目を唱えながらとても幸せそうな顔をして、大聖人様のもとへ旅立って行ったのです。


母無き後の父は、毎週お寺に参詣してくれましたが、信心が大嫌いな兄に父を禅宗の寺に連れて行かれ、母に戒名まで付けられ、挙げ句にお骨まで持って行かれてしまいました。お骨はすぐに取り返せましたが、この一件で、代々続いた禅宗の罪障から抜けられない父を見て、母の苦しみを感じた私は、死んでも信心しないという父を絶対救っていただきたいとの思いで、毎日お寺で唱題を重ねました。

さらに折伏活動も積極的にさせていただこうと、学会員の名簿と破折のための新聞を持ち、地区の皆さんと一緒に一軒一軒、回ったのです。あるときは、ドアに手を挟まれたり、罵声をあびせられたり、新聞をたたきつけられたりしましたが、お話していくほど、学会の方は怒り、私たちは心がうきうきします。何度も訪問するうちに、数人の方たちが話しを聞いてくれるようになり、平成8年には御住職のお力添えがありまして、3世帯の学会員の折伏をさせていただきました。

母の三回忌が過ぎる頃には、父は母を失ったショックでまったく生きる力をなくしておりました。今こそ父に信心してもらうときだと思い、毎晩お寺の唱題会に参加し、早朝勤行にも通い始めて70日目を過ぎた頃、私の目にものもらいができて車の運転ができなくなってしまいました。すると父が自ら運転して朝早く、私をお寺に連れて行ってくれたのです。

御住職はその都度、父に支部総登山に行くよう勧めてくださり、ついに大慈院の御会式の日、念願の御授戒を受けることができました。まもなくの支部総登山にも参加し、戒壇の大御本尊様の御開扉をいただいたときは最高の感動でしたが、父は御開扉の間、一度も手を合わすことができず、「南無妙法蓮華経」と唱えることもできなかったのです。

昨年の2月頃から父の様子が一変し、訳の判らない言動・行動が続き、自分の家も娘のことも判らなくなり、老人性痴呆症と診断されました。でも、「御題目を唱えよう」と言うと、本当に素直に手を合わせ唱題します。姉や孫・曾孫と一緒に御本尊様に向かうときはとても楽しそうな顔をして、あまりお寺に行きたがらない父でしたのに、「皆と一緒に行く」と唱題会にも行ってくれるようになったのです。お寺にいると心が楽になるのか落ち着いていますが、家では片時も目が離せません。

私は、父が良くなるには総本山に参詣させていただくしかないと思い、家族全員で3月末に登山いたしましたが、総本山から戻っても父の状態はますます悪くなる一方でした。言いたい放題、やりたい放題の父に、私も姉も振り回されてしまい、病気だと判っているのですが、私も疲れはてて父を叩こうとしている時もありました。毎日が辛く苦しいのですが、毎朝お寺へ勤行にまいりますと、御住職と奥様がいつも励ましてくださり、一日一日を乗り越えることができたのです。


5月、父にとって3回目の登山をしたとき、父は初めて戒壇の大御本尊様に手を合わせ、御題目を唱えることができました。御開扉を終え、正本堂から出てきたとき、父の顔が元気だった頃の表情に戻っており、姉も私も本当に驚き、今までにも増して御本尊様の不思議なお力を感じることができたのです。そしてすぐ、禅宗の寺を離檀し、晴れて日蓮正宗の家になりました。今では父は、毎日お経を読み、御題目も大きな声で唱え、御講の参詣も素直に行けるようになったのです。本当に私にとって夢を見ているように嬉しく、これからも長生きして皆と一緒に御本尊様に感謝し続けてほしいと思います。『祈祷抄』に、

白烏(はくう)の恩をば黒烏(こくう)に報ずべし。聖僧の恩をば凡僧に報ずべし。とくとく利生をさづけ給えと強盛に申すならば、いかでか祈りのかなはざるべき。 (御書630ページ)

という御文がございますが、入信して10年、念願の家族への折伏を機に至らない私に仏力法力をお示しくださいました御本尊様に、これからの人生常に御奉公させていただきたいと願うばかりです。まだまだ唱題が足りないことを反省しながら、尚一層努力し、早朝勤行も自分で決めた1,000日間を目指して、大慈院支部の折伏誓願目標完遂のため、精一杯がんばりたいと思います。

この度の客殿新築慶祝祈念大法要には父をはじめ、姉たち家族並びに以前折伏させていただいた方と無事参加できました。来る平成14年の『宗旨建立七百五十年』の佳節には、大勢の法華講員の方々と登山し、もって御法主上人猊下の御慈悲にお応えし、広宣流布のお役に立てる一人となれるよう成長していきたいと思っております。


この原稿は法雲寺支部の折元さんの御協力で転載いたしました。(W.M. 98/08/16)


◇夏期講習会登山に参加して 覚王寺支部 飯塚輝子

新客殿の建立・慶祝記念十万総登山の大成功・大御本尊様の新奉安殿への御遷座という、まことに意義深い「革進の年」の夏期講習会第五期に、私たちの支部はいただいた目標以上の人数で参加することができました。そして、平成14年の三十万総登山を目指し、折伏と育成の決意新たに、歓喜にあふれての下山となりました。

私は第一回夏期講習会から家族5人で、そろって参加させていただいてきました。小学三年生だった長女が今年は中学一年生となり、初級コースを受講できました。今年1月の初級の教学試験に合格した姉妹が、御法主上人猊下のテキストを目にして、「法華経の七譬の中の、化城宝処の譬のことだね」等と話し合っていました。総坊で走り回っていた昨年までのことを思うと、非常に感慨深いものがありました。

私自身は、五重相対の講義を拝聴していて今までも偶然論が外道義であることは理解していたつもりですが、無意識のうちに偶然論の考えで生活しているのではないかと、深く反省させられました。また、宿命論も外道義であることを知り驚きました。「宿命だから」という言葉をよく耳にしますし、私自身も使っていたからです。日常生活での意識とともに、適切な仏教用語の使い方も、充分に注意していくことの大切さを学ぷことができました。さらに、御法主上人猊下の御講義では、『種・熟・脱の三益』についての御指南を賜ることができ、「末法の下種益」の尊さを御教示していただくことができました。今こうして、日蓮正宗の信徒として、戒壇の大御本尊様への御内拝が叶い、猊下様の御講義を直接拝聴できることに、心から感謝せずにはいられませんでした。

夏期講習会登山は、平成14年まで残すところ後三回です。家族5人がそろって、その三回に参加させていただき、一年一年地涌の同志(とも)にふさわしくなるよう成長し、平成14年の宗旨建立七百五十年における三十万総登山に臨む決意です。今は、「革進の年」に決して悔いを残すことがないように、一日一日を大切にして折伏と法統相続にご奉公させていただきます。


◇夏期講習会登山に参加して 本土寺翠松講支部 水口須美江

私は本年初めて夏期講習会登山に参加させていただき、第四期の初級コースを受講させていただきました。初日は、連日降り続いていた雨が止み、まばゆいばかりの晴天に恵まれ、翌日は、私の帰宅を待ちわびていたごとくに天候が悪化して雨が降り出しました。また、講師の御尊師の熱意あふれる御講義に、身振いするほど感動いたしました。

しぱらく登山から遠ざかっていた私ですが、主人が本年5月12日に法華講本広寺翠松講支部の幹事になったのを機に、少しでも自覚し、お手伝いをしたい一心で登山を決意したのです。店を経営しているため、忙しい、忙しいで時間が取れず、昭和60年に創価学会を脱会してからは、87歳になる父が私たちに代わって種々の会合に出席してくれておりました。これからは自分たちも一生懸命にやっていきます。

登山して最初に目についたのが、新築なったばかりの落ちつきのある見事な客殿の雄姿です。その素晴らしさに目をみはりました。外見ばかりでなく内部も広く木の香り、木の温もり、美しい内装の中で丑寅勤行に参加、そして御法主上人猊下の御講義を拝聴することができました。しかも御講義では、普段ではとても座ることのできない中央の一段高くなった所(※内陣)で、まさに御法主上人猊下の「目と鼻の先」と言ってよく、笑顔で楽しく少しでも判りやすく、細やかにとお心をくだかれていることが伝わってまいりました。

「自分が今ここにあるのは、誰かから折伏されたからなのだから、今度はは自分が折伏してあげなさい」(趣意)、本当に誰にでも判りやすい御指南ですが、私には、できそうで、なかなか難しいことです。しかし、一生懸命がんぱります。

下山後、自分だけ登山したのではもったいないと、帰宅早々本年は諦めていた主人に一泊二日の登山の素晴らしさを話し、主人の参加を御祈念しました。そして主人も申し込みができました。こんなに本心から熱の入った唱題をしたのも久々でした。登山したことによって、普段お寺で顔を合わせる人だけでなく、見知らぬ人たちとも会話がはずみ、親しみも増し、輪が広がりました。歓喜・歓喜の二日間でした。

創価学会の人たちにも話をして、折伏をしてあげたい。聞く耳を持たない人が多く、たいへんだとは思いますが、毅然とした御法主上人猊下のお姿に、破邪頭正の精神で真剣なる大折伏戦に臨んでいかなければならないと改めて思います。平成14年の三十万総登山の大成功を目指してがんぱっていこうと誓っています。


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