大白法

平成10年8月16日号


主な記事

<1面>

<2・3面>

<4・5面> 少年部大会より

<6〜8面>


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第4回鼓笛隊コンクール・第8回少年部大会

(抜粋)

法華講連合会第4回鼓笛隊コンクール(合宿)が7月31日から8月2日に、また少年部合宿が8月1日から2日にわたり行われた。鼓笛隊合宿には、全国23地方部から25チームの鼓笛隊員1020余名と付添い等の310余名が参加した。また少年部合宿には、全国の少年部員570余名と付き添い・鼓笛隊員の家族等の1350余名が参加し、夏の総本山大石寺において、思い出に残る二日間を過した。8月2日には鼓笛隊合宿と少年部合宿の合同で、法華講連合会第8回少年部大会が盛大に開催された。



少年部員・体験発表


◇順正寺支部(広島県東広島市) 六年生 西條倫世

私は、小学校に入って一・二年生のとき通学班で登校中に後から飛びげりされたり、悪口を言われたりしていじめにあっていましたが、もう学校へ行くのがつらくなり、思いきって母に言ったところ、御本尊様にお願いして、母は学校に私をつれて行き、校長先生・たんにんの先生と三人で話し合い、その日のうちにかいけつして下さいました。

三年生になり、こてきたいのいちいんとならせていただき、一しょうけんめい、勤行・唱題・練習にはげみ、コンクールでは、金賞というすぱらしい賞をとらせていただきました…が、こてきたい二年目になってコンクールに出発する日に、御本尊様の前にすわり、「行ってきます」のあいさつをしていると、自分でもわけがわからないのに、なみだが出てきました。でも御本尊様とのおやくそくですから「コンクールでがんばります」と、お題目さんしょうし、参加させていただき、とても気持ちよく演奏できました。

年末から、高熱をだし病院へ行きけんさしたところ、じんうえんと分かり、1月1日の元日に入院しました。次の日、さっそくご住職様がおみまいに来て下さいました。6日に退院することになっていましたが、とつぜん熱が40℃ほどに上がり、また退院がのびてしまいました。今度ははいえんで、二週間ほどして退院することができました。御本尊様の前にすわり、心からお礼を言いました前には、「一度入院してみたいなあ」と思っていましたが、やはり御本尊様のいらっしゃるわがやが一番いいと感じました。

五年生になってキャンプに行きました。秋には東広島市りくじょうきろく会に、100メートルきょうそうと、400メートルリレーの選手にえらばれ、一カ月前から毎日朝、練習していました。六年生になり、入学式に全校を代表しておむかえの言葉を言わせていただき、とてもきんちょうしたけど、あとで先生にほめられました。5月17日の地方部そうかいに、こてきたいとして演奏するのが急にこわくなり「行きたくない。今日だけは休ませて」と、母に言うと、ふく少年部長さんと母が話しあい、ふく少年部長さんが、「あとからでもおいで」と言ってくださり、ベッドで少し横になったあと、母と二人で唱題していたら、「やるぞ」と勇気が出てきました。

今は、しみんスポーツ大会の選手として、朝の練習と、学校のこてきたいのトロンボーンと、ほっけこうのこてきたいのアコーディオンの練習をがんぱっています。これからも勤行・唱題をかかさず、練習もがんばっていきます。



◇常生寺支部(埼玉県浦和市) 六年生 菊池原恭兵

みなさんこんにちは。埼玉地方部、常生寺支部の菊池原恭平です。毎日の生活を振り返って発表させていただきます。

ぼくの、仲のいい友達が二人で遊びに来た時のことです。ご本尊様のある部屋で、プラモデルのおもちゃで遊んでいた時、友達の八木沼君が「恭平ちゃんの家にはご先祖様があるんだね」と言いました。ぼくは「ご先祖様じゃなくてご本尊様だよ」と言いました。もう一人の友達の笠井君が「南無あみだぶつ?」っと言ったので、「南無妙法蓮華経だよ」と言いました。

「えー何、南無妙ホウレン草?」と言って笑ったので「何言ってるんだよ。日蓮正宗で南無妙法蓮華経と唱えるんだよ」とぼくはおこって言いました。お母さんはぼくたちの会話を聞いていたようでニヤニヤしていました。それからお母さんが夜の勤行を始めました。ぼくの家では、お寺の夜の勤行の時間に合わせていつも六時に勤行をします。でもぼくは、まだ友達がいたし、てれくさかったのでお経をあげずに遊んでいました。「友達がいるのに何で勤行を始めるんだろう。友達が帰ってからすればいいのに」と心の中で思いました。

ぼくは、友達と楽しく遊んでいたけれど、勤行はしなくちゃいけないと、頭の中で色々考えていました。だからお題目が始まった時に、ご本尊様の前に座りました。一緒に遊んでいた八木沼君と笠井君に「一緒に唱題をしよう」とさそって、ぼくたちはご本尊様の前に座り唱題を始めました。と中でみんなは、笑いはじめましたが、ぼくは(笑っちゃいけない)と思いました。友達は、はずかしそうにしていたので(どういう気持ちで一緒にお題目を唱えているのかな。ぼくと一緒にお寺に行けたらいいな)と思いました。

次の日また、八木沼君と笠井君が遊びに来ました。お母さんがおやつを出してくれました。ちょうど笠井君が座ったのが、ご本尊様に背中を向けて座ったのです。すると八木沼君が「ご本尊様におしりを向けてはいけないよ。そまつにしてはいけないよ。バチがあたってしまうよね」と言いました。ぼくは、もっとご本尊様の大切さを、たくさんの友達に話していきたいと思います。

そしてもう一つ、朝晩の勤行をかかさないでいきたいと思います。ぼくは、こ笛隊に入っていますが、こ笛隊コンクール合宿の前の日は、友達にさそわれて、花火をしました。家に帰って来て、明日はお山へ行くんだと思ったら、なかなか眠れなくって朝、何度もお母さんに起こされても起こされても起きれなくて、朝の勤行をしないでお山へ行きました。

バスの中でつきそいの人に「今日朝の勤行をしてこなかった人」と聞かれ、ぼくは正直に手を上げました。お山についてから、総二坊で朝の勤行をしました。みんなは、別の部屋でごはんを食べていました。ぼくは、はずかしい気持ちがしたし、勤行をしてきたみんなは、えらいなと思いました。

でも、たまに朝の勤行をさぼって、学校へ行ってしまうことがあります。勤行をしないで学校へ行く時は、朝ごはんはおいしくないし、学校の勉強でわからないと、すぐにイライラしています。勤行をちゃんとしていく時は、起きる時はつらいけど(よし、今日一日がんばるぞ)という気持ちが出てきて、朝ごはんもおいしく食べられるし、元気に「行ってきまぁーす」と学校に行けます。

「朝は、一日のはじまりだから、だい事なのよ。毎日大変でも、勤行はしっかりやろうね」と、お母さんに注意されてしまいます。(うるさいな。ぼくの勝手じゃないか)と心の中で思ってしまいますが、注意されないように、しっかり勤行をしていきたいです。

毎月第二日曜日のお講の日には、十時半から少年部の「円(まどか)の会」があります。この間、ご住職様からお話しがありました。「みなさん、お父さん、お母さんの言うことを良く聞いて、いい子になって下さい。お父さん、お母さんがみんなに注意するのは、いい子になってほしいからなんですよ。注意してくれるお父さん、お母さんは、しっかりと信心をしている人なんですよ。だからしっかりみなさんは、お父さん、お母さんの言うことを聞いて、これからもがんばって下さいね」とお話しして下さいました。

ぼくはこれからも、お父さん、お母さんの言うことをよく聞くことと、朝晩の勤行は必ず、かかさず行うことと、一回でも多くお寺に参詣して、がんばっていきたいと思います。ありがとうございました。



◇妙宝寺支部(山口県下関市) 四年生 井ノ口智美

私は、二年生の夏休みに、お寺の早朝勤行に家族で参加させていただきました。夏休みの最後まで通うことができて、とてもうれしくて、「やればできるんだなぁ。」と、自信がつきました。学校がお休みの日や冬休みもずっとつづけました。早朝勤行にかよって、唱題すると心が幸せな気持ちになります。また、こんな体験をしました。

私は、下関から小倉の福岡教育大学付属小学校へ通っています。小倉駅で男の人が知らない人をナイフでさす事件がありました。私がいつも乗る電車のホームでのできごとでした。この日は学校が少し早く終わったので早い電車に乗って帰りました。もし数分おくれていたら・・・と思うと、ご本尊様が守って下さったのだと思いました。

そして、私は今、早朝勤行に毎日かよっています。そのきっかけは、去年の10月11日の唱題会の時に、ご住しょく様が、「新客殿の唱題行の表に一時間で一マスぬっていき、来年の3月におこなわれる、新客殿落けい記念法要の時までに、全部ぬり終わるようにがんばりましょう」と言ってくださったお言葉に、“がんばるぞ”という勇気がわいてきました。「私も毎日、ちょっとずつでも、唱題行に参加して、一マスでも多くぬっていくようにするぞ!」と決意しました。

私のお姉ちゃんは、今中学二年生で六年生の夏休みからずっと早朝勤行にかよっています。それで、お姉ちゃんの生活を見ると、いろいろなことにチャレンジしていました。合唱コンクールで指きをして、全校でトップ賞になったり生徒会にりっこうほしてえらばれたり、鼓笛隊でも今回は、メジャーにえらばれたりと、良いめぐりあわせになっていることを、私は感じました。今まで私も毎朝、早朝勤行にかよおうかなぁと思っていたのでそれでさっそくやってみました。

朝5時45分に起きて、着替えてお寺へ行き六時半からの勤行に参会します。勤行の後に、15分間だけ唱題をして7時15分にお母さんが車で下関駅へ送ってくれます。朝ご飯は、その車の中で食べて学校に行っています。毎朝かよっていて、ねむたくて、つらい時もありました。でも、毎日できるだけの唱題行をつづけて4日間で一マスぬることができました。学校がお休みの日は、最後まで唱題ができるので一マスぬれて、11時からの唱題行にも参加できるのでもう一マスぬっていくことが、私には、とっとも幸せな気持ちでいっぱいでした。

今でも、毎日早朝勤行に参加させてもらっています。そして、いつもご祈念していたことがかないましたそれは、お母さんのお父さんとお母さんが、5月23日に入信できたのです。お母さんは、12年間ずっとしゃくぶくしていたので、家族で大喜びでした。群馬県の前橋へお母さんと妹の和実といっしょにご本尊送りに行きました。ご本尊様を仏だんにご安置してみんなで勤行ができて心よりうれしく思いました。

おじいちゃんは病気があることが分かり、6月2日に入院して、9日に大きな手じゅつをしました。その前に、ご住しょく様のおはからいで夏期こう習会登山第一期にご登山させていただけたのです。そして、御開扉の時猊下様より病気が早く治るようにと、ご祈念していただき、ごひふをいただけました。うしとら勤行にも参加できたのです。ご本尊様のごかごがぜったいにあると思っています。

これからも早朝勤行に参加して「おじいちゃんが元気になってみんなでご登山させてください」とご祈念していきます。「入院しても、毎日朝晩の勤行ちゃんとしているよ」と言っていました。

私のゆめは、お医者さんであるお父さんのあとをついで女医さんになって、苦しんでいる人を助けたいと思っていました。でも今は、国さい線のスチュワーデスになりたいです。そして、世界中の人達とお友達になって、しゃくぶくさせていただきます。それで、妙宝寺支部海外班を作りたいと思っています。

この目ひょうに向かって、これからもご住しょく様、こうとうさんのご指どうを守って、信心に鼓笛隊に勉強にがんばっていきます。今日はおじいちゃんおばあちゃんも元気にご登山することができて心より、うれしく思います。ありがとうございました。



◇本行寺支部(東京都墨田区) 五年生 金子麻美

みなさん、おはようございます。私は東京第一地方部・本行寺支部の金子麻美です。弟の病気のことを発表します。

去年の5月、私の弟は急性の白血病にかかってしまいました。白血病は、すぐ死んでしまう病気だとお母さんから聞きました。今まで元気だった弟が突然そんな病気にかかって、ショックでした。私は「大変だ。どうしてなんだろう」と思いました。弟は、2歳になったばかりでした。弟の病気が治るように、いっしょうけんめいにお題目を唱えなければならないと思いました。ちりょうが2年間かかり、最初の1年は、入院だと聞いてとてもかわいそうだなと思いました。お父さんは弟の病気のことをご住職に、ご報告に行きました。その時、「弟の病気は、絶対治る。しっかり、ごき念をしていきなさい」と、ごしどうをいただきました。また、その時「ごひふ」をいただきました。その夜、みんなでご本尊様に、ごき念をしました。私は、がんばらなければと思いました。お母さんは、弟のつきそいで病院に行ってしまい、家に帰ってこれなくなってしまいました。私は、妹もいるので、妹のめんどうも見なければならないし、自分のことは自分でやらなければならないから、「できるかな」と心配でした。とてもさみしかったです。

6月のおわりころ、弟は初めて外はくができました。お母さんから、こんなに早く外はくができるのは、とてもめずらしいことだと聞きました。私は弟と、ずっと会えなくて、さみしかったので、きっとご本尊様が、私の願いをかなえてくれたんだと思いました。久しぶりに、弟が帰って来てうれしかったです。弟は歩けないほど太ってしまい、かみの毛も全ぶなくなってびっくりしました。それは薬のせいなんだそうです。でも、とてもうれしかったです。三日間だけ家にいられました。家族みんなでくらせることは、すばらしいことだと思いました。

8月、総本山大石寺で、こ笛コンクールがありました。その時、「だれも、見にきてくれないのかな」と思っていました。その時また、ご本尊様に願いが通じて、おじいちゃんと、お母さんと妹が、見に来てくれました。とても、うれしかったです。

12月には、客でんのごくようがありました。この時、弟は注しゃをがんばって、一日だけ外はくさせてもらい、参加できました。私は、またびっくりしました。ご本尊様は、とってもすごいんだなと思いました。私たちも、たくさんごくようができました。とても、よかったです。

お正月、弟は今までで一番長く、外はくができました。はつ登山にも、家族全員で参加できました。今までで、最高に楽しいお正月でした。

でも2月になって、弟が病院でインフルエンザにかかってしまいました。一週間で治りました。やっぱり、ご本尊様が守って下さっているんだなと思い、安心しました。一ヶ月以上家に帰ってこられませんでした。とてもさみしかったです。

3月には、客でんの法要登山がありました。私はその時までに弟が無事、退院できますようにとお題目を唱えていました。そしてまた、私の願いがかない、弟は3月25日に退院できました。その日は本山で、客だんの、らっけい法要があった日でした。その日に退院ができたのは、とっても不思議です。3月28日に、私達家族も全員登山できました。新しい客でんは、とってもりっぱできれいでした。

今は、弟は毎週、通院をして注しゃをしています。薬を飲むのも、大変です。私と妹も、してはいけないことが多くなりました。でも、お講だけは行っています。家族で、お寺に行けてうれしいです。お母さんは、弟の病院の、お友だちのことをいつも心配して、お題目をいっしょうけんめい唱えていました。そして7月になって、お母さんはしゃくぶくができました。その時は、私と妹と弟も、いっしょにお題目を唱えました。お手つだいもいっぱいしました。

私と妹は、犬を飼いたいけれどがまんしています。弟のめんどうも見ています。このままずっと家族みんなでくらせるようにしっかり勤行、唱題をしてがんばっていきます。


◇大宣寺支部(東京都国分寺市) 六年生 安斉貴弘

こんにちは、僕は東京第二地方部、大宣寺支部、六年、安斉貴弘です。僕は、小学三年生の時、二回の頭の手術を受けました。今日はその体験をお話します。

初めて症状が現れたのが幼稚園の頃です。突然足がもつれて転んでしまいました。でも一瞬の事なのでその時は、あまり気にもしませんでした。念のためお母さんと病院に行きましたが何でもないと言われました。ところが小学校に入って、熱い食べ物にふーふーといきを吹きかけたり、ハーモニカを吹いたりする時に、意識がずーっと遠くなるような気がして、とても気持ちが悪くなりました。プールに入った後も、手足がだるくなって体の力が抜けてしまったこともよくありました。食事の時、持っているお茶碗を、落としそうになることも、よくありました。


平成7年ごろ、学校の授業中に手足の感覚がなくなり、動きにくくなりました。そしてある日お父さんと一緒に机に向かって勉強をしている時に、急に体の力が抜けて椅子から何度もずり落ちそうになりました。お父さんは、最初、僕がふざけているのかと思っていたようです。でもその時に、僕の顔に麻痺が起きていたのです。両親はびっくりして八王子の病院へ行き、僕はそこで検査を受ける事になりました。頭のCT検査、血管撮影検査と、色々な検査をしました。とてもつらかったです。僕はその時、一生懸命、御題目をとなえていました。

検査の結果、頭のレントゲンを見せてもらうと、僕のは普通と違って、全体に白っぽくもやが有って、頭の中の血管が細くなっていて、そのせいで血液の流れが悪くなっていたそうです。それで脳に障害が出始め、色々な症状が出ていたのです。病名は正しく言うと、「ウィルス動脈輪閉塞症」というむずかしい呼び方の難病です。普通にはよく「もやもや病」と言われています。脳に血が足らないので手足が動きにくくなったり、言葉がしゃべりにくくなったり、目が見えなくなったり、色々な障害が出てくる恐ろしい病気で、両親は医学書を読んだり、人から話を聞いて病気の恐ろしさを知ったそうです。

その時僕は、何も知らされず両親からは、「心配することないよ」と言われていました。でも『治るのかなあ、学校にはいつ行けるのだろう』と色々なことを考えて、不安がいっぱいでした。後で聞いた話しだと、この病気は10万人に1人の割合の発病で、僕が住んでいる小平市では、3人目の患者だったそうです。両親は僕の前で、涙は見せませんが、病室から出ると、涙があふれて止まらなかったそうです。僕が不安そうな顔をしていると、お父さんが「家はおじいちゃんおばあちゃん、家族の皆が信心しているのだから、皆で一生懸命題目を唱えよう、必ず御本尊様がお守りして下さる」と言いました。それからは家族皆で、一生懸命、題目を唱えました。


入院して3日たった時の事です。お父さんが「大阪にある専門の病院へ行こう、そこで手術を受けよう」と言いました。僕は、何でそんな遠くの病院に行くのだろうと、不安でいっぱいでした。それからすぐ、お寺に行きました。お寺では御住職様に御祈念をしていただき、さらに御秘符もいただきました。そのあと御住職様から「心配ないからがんばりなさい」とやさしく言われました。僕はことことで、とても勇気が湧いてきました。

次の日、僕と両親と3人で、大阪の病院へ行く事になりました。その時僕は、左手左足に、麻痺が起きていたので、両親に支えてもらい、やっとの思いで病院に着きました。病院の先生から手術を12月5日と言われました。その日まで一生懸命、唱題を続けました。

12月5日、手術の日の朝、病室に床屋さんが来て、僕は髪の毛を全部剃られてしまいました。とても恥ずかしくて悲しかったです。その時お母さんが「病気を治すためだし、髪の毛はすぐ生えてくるからだいじょうぶ、だいじょうぶ」と励ましてくれました。後で聞いた事ですが、手術の日、東京の家で、おばあちゃんと留守番をしていた、その当時、小学一年生の妹が、手術の間中、おばあちゃんと御題目を唱えていてくれたそうです。とてもうれしかったです。

手術が無事に終わって3日位で歩ける様になり、手足の麻痺もとれて、いつも通り動ける様になりました。でも、2ヶ月後にまた手術を受けなければなりませんでした。始めから、手術は2回と決まっていたのです。2回目の手術も成功するように、初登山の時、御祈念してきました。


その手術も無事に終わり、元気に学校に通えるようになりました。御本尊様のおかげで、普通に動ける様にもなりました。大好きな体育も図工も出来ます。運動会の時は、リレーの選手にもなりました。今僕は、週6日間、中学受験のための塾に通っています。4時に学校から家に戻り、それから九時まで塾という、とても忙しい毎日です。くじけそうになる時もあります。でも最後まで目標に向かって頑張っていきたいと思います。

毎年、夏休みには、大阪の病院へ検査に行きます。毎回先生に言われることは「何の問題もない」と言われて、安心して帰って来ます。これもすべて御本尊様のおかげだと思います。三年生の時にこの病気になってことは、僕にとって、とてもつらく苦しかったけれど、今考えてみると家族皆で、御本尊様のすばらしさ、信心の大切さを体験できたことは、とても良かったと思います。これからもこの事を忘れず、朝晩の勤行唱題を欠かさず実践していき、信心していない人達にも、御本尊様のすばらしさを話して行きたいと思います。これで僕の体験発表を終わらせていただきます。ありがとうございました。


◇大円寺支部(神奈川県大和市) 五年生 鶴永広宣

去年の11月ごろのある日、お父さんとお母さんが、お寺から帰ってくると、中学校一年だったお姉さんと、四年生だったぼくに、「来年の1月に初級教学試験があるから、二人とも受けなさい」と、言いました。ぼくとお姉さんは「えーっ」と言って、いやがりましたが、「もう受ける事に、決まったからね」と、勝手に申し込まれてしまいました。ぼくは、「ぜったい落ちるよ」と、お父さんに言うと、「落ちてもいいんだよ。一生けん命、勉強する事が大切なんだから」と、言われました。お母さんは、「合格しなくても、はずかしい事じゃないから、気にしなくてもいいよ」と、最初は言っていましたが、いつのまにか、「やる以上は、合格しなさい」と言うようになっていて、ぼくは、「だまされた」と、思いました。だけど、教学試験を受けて、いろいろな事を学びました。

最初に学んだ事は、お寺の勉強会の大切さでした。最初ぼくは、勉強会に行かなくても、だいじょうぶだと思っていましたが、お父さんとお母さんに言ったら、「勉強会に行ったほうが、家で勉強するよりも頭に入るし、受けるんだったら受かりたいでしょ」と、言われました。そしてぼくは、お寺に行って勉強ました。ぼくは今まで、全然わからなかった事が、わかるようになりました。ぼくはその時、すこくうれしかったです。

もう一つは、ご住職佐藤伴道ご尊師の、優しさでした。ご住職は、勉強会に行くと必ず「がんばってね」と、声をかけてくださいました。そして、試験のテキストの字に、習っていない字がたくさんあってなやんでいた時に、お母さんに、「読めなければ、字を勉強しなさい」と言われて、おぼえようとしましたが、なかなかおほえられないでいると、ご住職が、「お題目をあげた後に勉強すると、ご本尊様が読めるようにしてくれるよ。だから、一生けん命がんばるんだよ」と、言ってくださいました。すると本当に字をおぼえて、読めるようになりました。ぼくは、「このちょうしでいこう」と思いましたが、日蓮大聖人様のごじせきから、ぺースが落ちてきました。このままでは、受からないと思った時に、ご住職が「がんばってね」と、何度も言ってくださいました。お所化さんの佐藤正悌さんも、日蓮大聖人様のごじせきを、わかるまで何度も教えてくださり、「がんばりなよ」と、言ってくださいました。ぼくはそう言われて、一生けん命勉強しました。

試験の当日は、ドキドキしました。合格の紙をもらった時は、試験を受けて本当によかったと思いました。お姉さんも合格して、二人で「よかったね」と、よろこびました。最後に学んだ事は、お題目をあげてがんばれば、パワーが出るという事でした。これで、ぼくの体験発表を終わります。


※このコーナーの掲載にあたって、法雲寺支部の折元さんの御協力をいただきました。



教学用語解説


○自解仏乗(じげぶつじょう)

「自解仏乗」は、「自ら仏乗を解(げ)す」と読みます。他から教えを受けることなく、自ら仏法の義、また仏の境智を悟ることです。『法華玄義』の「私記縁起」の段に、「大法東漸してより僧史に載する所、豈に幾人か曾(かつ)て講を聴かずして、自ら仏乗を解する者あらんや」とあるように、章安大師は、師伝を受けずに自ら法華の義を悟った天台の「自解仏乗」の徳を賛嘆しています。

これを日蓮大聖人は、『妙密上人御消息』に、「聖人と申すは、師無くして我と覚れる人なり。仏減後、月氏・漢土・日本国に二人の聖人あり。所謂天台・伝教の二人なり。此の二人をば聖人とも云ふべし…道場にして自解仏乗し給ひぬ、又聖人なり」(御書967頁)と仰せです。ここでは、一念三千・一心三観の法門を証得した天台を「自解仏乗」の聖人といわれています。また、真言・止観を師なくして悟り極め、天台法華が他の六宗・七宗より勝れていることを悟った伝教大師もまた「自解仏乗」の聖人であることを説いています。ただし、大聖人からすれば、『百六箇抄』に「脱益の述門の自解仏乗」「下種の自解仏乗」等と説かれているように、釈尊および天台・伝教の「自解仏乗」は熟脱の仏法の範疇にあることが理解できます。

大聖人は末法に御出現され、日蓮と称して末法下種の御本仏であることを「自解仏乗」されました。『寂日房御書』に、「一切の物にわたりて名の大切なるなり…日蓮となのる事自解仏乗とも云ひつべし」(御書1393頁)とあるように、「日蓮」の御名は、久遠元初の御本仏の「自解仏乗」を表されています。

この「日蓮」の御名について、第26世日寛上人は、『観心本尊抄文段』で、一に、世界の中でも別して日本国が大聖人の出生される国であること。二に、弘められる本門の法を日に譬えるゆえ。三に、縦二横三の「日」文宇の五点は妙法蓮華経の五字であり、一切衆生の成仏の種子である、との意義を挙げられています。そして「蓮」について、一に、蓮が汚泥の中にあってその汚れに染まらない特性。二に、華と実が因果同時に具わる特性、三に、種子は亡失なぐ永遠性を持つ、(以上趣意)との三義を示しておられます。

つまり、『百六箇抄』に、「久遠名字已来、本因本果の主・本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕・本門の大師日蓮」(御書1685頁)と御相伝のように、「日蓮」の御名自体が、外用上行菩薩の再誕、内証久遠元初自受用身の御本仏の名称であり、文底下種の「自解仏乗」を表しているのです。


○因行果徳(いんぎょうかとく)の二法

「因行果徳の二法」とは、因位(いんい)の万行と果位(かい)の万徳の二法をいいます。因位の万行とは、九界の行者が五十二位や六即の次第を経て修する種々の行法で、その一つに菩薩の六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)があります。果位の万徳とは、仏界に具わる万徳であり、仏の十号等の功徳相をいいます。

釈尊の過去の因行を爾前・迹門の意から見るならば、釈尊は過去世において能施太子・尸毘王(しびおう)・あるいは薩垂王子(さったおうじ)となって、三祇百劫、動踰塵劫、あるいは無量阿僧祇劫、または三千塵点劫の間、諸仏を供養し、その功徳が満じて今日教主釈尊になることができたことが拝されます。また、本門の意から見るならば、釈尊は五百塵点劫に成道した仏であり、因位もまた五百塵点劫の成道以前、本因初住(しょじゅう)にあり、已来長時に亘り菩薩の行を修されたことが説かれています。このように、「因行果徳の二法」には釈尊仏法の広い修行と深い功徳が含まれますが、釈尊は『無量義経』に、「未だ六波羅密(ろくはらみつ)を修行することを得ずと雖も、六波羅蜜自然(じねん)に在前す」(新編法華経43頁)と、また法華経の『方便品』には、「具足(ぐそく)の道を聞きたてまつらんと欲す」(同97頁)というように、六度等の煩瑣(はんさ)な修行を経ずとも、法華経には釈尊の六波羅蜜の因位も万徳もすべてが具足されていることを説き、在世滅後における法華経の流通を勧進されています。

しかし、この法華経は熟脱の衆生に対する教法であって、末法の衆生には下種の妙法こそが成仏の直道であることを知らなけれぱなりません。日蓮大聖人は『観心本尊抄』に、「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五宇に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ」(御書653頁)と説かれています。この御文を、総本山第26世日寛上人は『観心本尊抄文段』で、「『因行果徳の二法』というは即ち前(さき)に難ずる所の権迹本の教主釈尊の因行・果徳の二法なり。『妙法蓮華経の五字に具足す』というは即ち前に引く所の開結二経の本地難思の境智の妙法なり。前に難ずる所の権述本の因果の二法は即ちこれ所生なり。前に引く所の本地難思の境智の妙法は即ちこれ能生なり。所生は必ず能生に帰し、権は必ず実に帰し、迹は必ず本に帰し、脱は必ず種に帰す。故に彼の釈尊の因行・果徳の二法は妙法五字に具足す。故に『具足』というなり」(日寛上人文段集484頁)と釈されています。

すなわち、釈尊が説かれた権実・迹本の「因行果徳の二法」は、大聖人が顕された仏法の根源・能生の種である本地難思の境智の妙法にすべてが具足されているのです。したがって、私たち末法の凡夫は、久遠元初の因果の功徳を摂(おさ)めた妙法五字の御本尊に向かい、唱題に励むとき、受持即観心の義が直ちに相成り、久遠元初の本仏大聖人が証得された因果一念の功徳を、自然に得ることができるのです。



パナマ法華講創立五周年 ラテンアメリカ広布へ前進


日蓮大聖人の仏法を正しく学ぶため、SGIの一切の活動をやめて独自に会合を開いてきたパナマのグループが、1993(平成5)年4月に脱会しました。

その後、アメリカ・ロサンゼルスの妙法寺に連絡を取り、日蓮正宗信徒として信仰を続けていくことができるようお願いしました。その結果、同年5月に法華講グループを結成し、6月12日に第一回法華講ミーティングを開催しました。パナマの真の広宣流布は30名のメンバーで始まり、法華講発足から5ヶ月後には入講者が急増し、当初より会合場所として使用してきた小さな部屋が、100名を越すメンバーと新来者で埋め尽くされたことがありました。12月、ロサンゼルス妙法寺住職・高野泰信御尊師の初のパナマ訪問によって、正法に対する確信の息吹が沸き上がり、法華講ミーティング並びに御授戒・御本尊下付が盛大に執り行われました。

1994(平成6)年、私たちは各種グループ単位で折伏を推進するとともに、地域毎に勉強会、唱題会、宅御講を実施しました。さらに青年部を発足させ、勤行の仕方や基本的な信仰姿勢を学び、また、少年部の楽しい座談会も始めました。パナマ法華講第一回総会に際し、再び御僧侶のご出席をいただき、御授戒・御本尊下付、そして6組もの結婚式を奉修していただきました。

1995(平成7)年、法華講事務所を開設しましたが、半年後には手狭となり、以前の二倍の広さの施設へ移りました。この年、『日蓮正宗マンスリー』(スペイン語版)の出版を始めるとともに、種々の教学教材を翻訳・刊行しました。私たちは、スペイン語の教材をアルゼンチンやアメリカ合衆国にも郵送し、メンバーの信仰の基盤を固めるために役だっています。法華講入講以来、私たちはたくさんの功徳をいただきました。メンバーは大学卒業検定や、結婚、出産、新居取得など多くの目標を成し遂げてきました。これらの功徳は、私たちの信行をさらに成長させる発奮材料となり、一大目標である即身成仏への確信となります。パナマのメンバーは、御法主日顕上人猊下の御指南に基づく海外部と妙法寺の御指導を、御僧侶方によるパナマ訪問によっていただいています。御僧侶の訪問のたびに、日蓮正宗の伝統法要・御法話・個人指導・パナマやコロンビアなどの地域別会合、そして一番重要な家庭訪問をしていただいています。この年の7月2日に開催されたパナマ法華講第二回総会では、日蓮正宗海外部長・尾林広徳御尊師、宗務院書記・黒沢糾道御尊師(当時)、高野御尊師の訪問をいただきました。

1996(平成8)年8月の第三回総会には妙法寺在勤(当時)の舟橋信清御尊師にご出席していただき、楽しい総会になりました。この年の11月8日、ラテンアメリカの正法広布の本拠地として非営利法人・日蓮正宗テンプル・パナマが創立されました。私たちの目標である広宣流布達成の礎が築かれたのです。

1997(平成9)年5月に再び尾林海外部長と高野御尊師、そして宗務院書記・中野道賢御尊師(当時)をお迎えして、法人設立法要並びに第四回総会を開催しました。日蓮正宗の信仰の基本の一つは登山と寺院参詣で、私たち信徒の根本の修行です。1994年にパナマから9名、ドミニカ共和国から1名のメンバーが第一回海外信徒総登山に参加しました。また、今までに多数のメンバーが妙法寺と共に、御霊宝虫払大法会、御大会、海外信徒夏期研修会などの登山会に参加してきました。本年8月の第二回海外信徒総登山には、パナマ、コロンビアのメンバーが参加の申し込みをしています。また、私たちは妙法寺の様々な法要にも参加しています。その中でも1996(平成8)年5月、御法主日顕上人猊下大導師のもと奉修された妙法寺移転落慶入仏法要への参詣は、特に重要な意義をもつものとなりました。パナマからは、この法要に13名のメンバーが参加しました。

本年(1998)1月、高野御尊師が再びパナマへ訪問され、新しい事務所を視察され、御授戒と御本尊下付をしていただきました。6月13日、8カ所の地域において35名の新入信者を含む239名の参加をもって、パナマ法華講創立5周年記念総会を開催しました。今後とも、御法主日顕上人猊下の御指南に信伏随従して、パナマのみならず、ラテンアメリカ全土における法華講大家族の幸福と繁栄のために、信行学のさらなる増進に全力をあげ、今年を真の「革進の年」とするよう、決意を新たに前進してまいります。

(パナマ信徒 ルース・トレス)

※この原稿は法雲寺支部の折元さんの御協力で転載いたしました。



信行を磨く 『力の出し惜しみは慳貪の失』

興福寺住職 青山聴瑩御尊師


「盂蘭盆会」とは御書に、「其の母の慳貪の科(けんどんのとが)によて餓鬼道に堕ちて候ひしを、目連尊者のすくい給うより事をこりて候」(御書 1374ページ)と仰せのように、目連の母親・青提女(しょうだいにょ)が、生前の慳貪の罪により、餓鬼道に堕ちて苦しんでいたのを、目連自身が法華の正法に帰依し、自身が成仏して母を救ったのが始まりです。その慳貪の罪とは「自分だけ得たものを他に与えないこと」だと言われています。日蓮大聖人様の信心をしている私たちも、このことは知りつつも折伏に励まず、自分が慳貪に堕しているとの意識が殆どありません。『方便品』に、「若し小乗を以て化すること乃至一人に於いてもせば、我則ち慳貪に堕せん。此の事は為(さだ)めて不可なり」(新編法華経 110ページ)とある通り、大乗の法華経を説いた後で小乗の法を説くのは、法の出し惜しみであり、仏自身が慳貪の罪に堕ちると明言なされました。同様に、末法の一切衆生を救う正法たる三大秘宝に縁しながら、自分だけその幸せに浴しているのもまさに慳貪の罪であり、ここに化他行の大事な使命があります。

大聖人様は『刑部左右衛門尉女房御返事』に、「父母に御孝養の意あらん人々は法華経を贈り給うべし。教主釈尊の父母の御孝養に は法華経を贈り給ひて候」(御書 1506ページ)と仰せられ、法華経を説き両親を救った釈尊は、「最低」ではなく「最高」の孝養を尽くしたと、末代の我等にお示しなされました。折伏化他の大行業もこの教えと同様、師子の如く常に全力で、「最高」の目標を目指して取り組むのが大聖人様の信心の在り方です。

「一心欲見仏 不自借身命」(新編法華経 439ページ)の経文を拝する私たちの日常は、大聖人様の、「法華経を余人のよみ候は、口ばかりことばばかりよめども心はよまず、心はよめども身 によまず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ」(御書 483ページ)との御言葉のように、大聖人様そして御法主上人の御心を「色心二法で実践」してこそ、「我が身に読む」と言えるのです。

それには我々が、自己のすべての力を傾けて「随力弘通(ずいりきぐづう)」に励まなければならないのに、一人ひとりの意識は従来の流れと惰性のままで、猊下の願いに応える「意識改革」がまだ充分に出来上がっていないと言えます。互いに意識改革を徹底し、慳貪に堕せず、努力の出し惜しみをせず、法のために全力を尽くし、最大の努力で活動に励むときです。大聖人様の時代に比べ、我々は今日の平和日本の生活に慣れてしまって、その中で広宣流布の叫び声だけを上げつつも、宗門全体としてはまだまだ活動力の浸透に欠けている現状です。僧俗一同、猊下の御心にお応えするために、「全力」での化他の実践が不可欠です。

先般の『大百法』で報道されたごとく、国際的な謀略を巡らした池田創価学会の邪悪な正体は、御仏智の働きにより、今その全貌が皆さんの前にさらけ出されました。アメリカの「クロウ事件」は、今回、学会側弁護士が連邦最高裁判所に上告できず、宗門に対する訴訟を全部取り下げて決着し、学会側の全面敗訴が確定しましたが、学会はこのことを会員に何等報告していません。この卑劣で反社会的な体質を、徹底的に学会員に追及していかねばなりません。「正法治国・邪法乱国」の通り、平成2年の邪教・池田創価教「十一・一六」の翌日、雲仙・普賢岳の爆発に端を発した「平成大不況」は、今その極に達しています。これは宗教団体である創価学会が、池田大作の名聞名利の奴隷と化して政治集団化し、「デージン」の利欲に溺れて権力と密着し、正しい信仰を捨てたところから起きて来た現実と、仏法上は見ることができます。「邪法乱国」の御文の通りです。

しかし、このような池田創価学会の本質を見分けられず、その餌に化かされて針を呑む政治家たちがいかに多いことでしょうか。これが五濁悪世の名聞名利の浅ましさです。ただし、池田大作に結びついた政治家は、やがてその「権力の座からの転落」という哀れな結末を迎えるのは、言葉では言えない不思議です。これは御仏智であります。今回の参議院選挙でも、「レイプ訴訟」を起こした信平夫婦に対し、自民党が創価学会の一方的な抗議を受け入れ、信平夫婦の提訴が「虚偽」であるかのような学会に対する「謝罪コメント」を「自由新報」紙上に掲載し、橋本龍太郎・総裁首相(当時)が二度にわたって学会本部に詫びの電話をしたことは、参議院選挙の票欲しさ以外の何者でもないと批判されても仕方がありません。結果は、歴然として明らかになりました。池田大作に頭を下げた結果は「還著於本人」(げんじゃくおほんにん)で、その仏法の厳しさは、自民党惨敗・首相退陣の悲惨な結末でした。今後も池田大作と手を結ぶ政治家は、肝に銘ずべきであります。さらに池田創価学会の手先となって、正本堂の取り壊しや奉安堂建設に圧力をかけるような銀行やゼネコンが出たら、橋本自民党と同じ運命を辿ることになるのを「覚悟しておくべし」と警告しておきます。

建立を発願した池田創価学会が正本堂に参拝したのは、わずかに19年間。以後7年間、彼等はまったく参拝すらしていません。今、取り壊しに当たって学会は、非難の嵐を猊下に集中していますが、参拝もしない建物がそんなに大事なのか、戒壇の大御本尊様が最も大事ではないのか。でも学会の『聖教新聞』では、日寛上人の『ニセ本尊』の話しは出ても、本門戒壇の大御本尊様への参拝の話しは少しも聞かれなくなりました。以前の指導は間違いなのでしょうか。この一事を見ても、学会は建物が大事で、御本尊に対する信仰心がないことが良く判ります。

『新池御書』の冒頭で大聖人様は、「うれしきかな末法流布に生まれあへる我等、かなしきかな今度此の経を信ぜざる人々」(御書 1456ページ)と仰せです。哀れな不信の学会員に対し、宗門・法華講は、御戒壇様と血脈相伝の御法主上人をお護りし、広宣流布に歓喜を持って全力で前進していく幸せがあります。苦しいとか大変だとか言っていては、毎日、丑寅勤行をなさる御法主上人にまことに申し訳ありません。しかも、時代の流れの中で、御法主上人が熟慮を重ねて決定された最終的な御決断には、宗門僧俗は個々の想いを捨て、意義なく信伏随従し、この信仰の基本姿勢に立ち、唱題を原点に立宗七百五十年を目指し、各自が歓喜を持ち、全力を尽くして折伏化他に励み、広布への大きな前進の渦を起こしていこうではありませんか。宗内僧俗御一同の一層の自覚と実践を、心より念願いたします。

※この原稿は法雲寺支部の折元さんの御協力で転載いたしました。


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