大白法

平成10年9月1日号


主な記事

<1面>

<2〜4面>

<5・6面>
<7・8面>

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◇明年は『出陣の年』 三十万体制への大前進

明年の方針は『出陣の年』と決定。去る8月18日、御宗門より発表があった−本年『革進の年』は、待望の総本山客殿が新築落慶し、記念大法要十万名登山を見事に達成し、この盛儀を慶祝申し上げることができた。また御法主日顕上人猊下の御英断により、本門戒壇の大御本尊様が拡張新装された新奉安殿に御遷座あそばされ、これにともない、用途の消失した正本堂はその役目を終え、解体工事が進められている。これら一連の行事並びに事業は、宗祖日蓮大聖人様の御本意に基づく広布への磐石の基礎を固めたものというべきであり、まさしく本年の「革進の年」の意義にふさわしい成果である。

この本年の重大な意義と成果をふまえ、平成14年・立宗七百五十年の大佳節における法華講三十万総登山を目指して新たなる広布への出発を図る意義の上から、御宗門は明年を「出陣の年」と決定されたのである。そこに、本年の残り4カ月は、全国法華講が猊下の御もとに「出陣」を開始する態勢築き上げる、また大切な4カ月でもある。我等法華講は、御法主上人猊下の御指南の御もとに、創価学会の邪悪なたくらみによる大謗法・宗門攻撃に対し、その一つひとつを打ち破って、意義深き本年の大盛儀を成し遂げることができた。この感激は、全国の法華講員一人ひとりの命に刻まれているのである。そこ今、三十万に向かう「出陣」の号砲が、響き渡らんとするのである。

この三十万の「信心篤き地涌の友」たる法華講員の信心とは、御法主上人猊下の御指南を体し奉り、指導教師の御指導を「如何にすれば実現していけるか」と、日々の信行の中で真剣に取り組むことである。そこに「一年に一人が一人以上の折伏を」との御法主上人猊下の御指南の実践である。役職のある者はその責任の上に、支部の一人ひとりが時に適った信心をしていけるように心を配ることが大事である。今回の紙上対談に出ている草加市宣行寺支部は、平成3年に約70世帯で講中を結成し、昨年(6年間余)で1000世帯を達成した。ここまでに至るのは、まさに御住職に厳しく導かれ、その御指導に一体となって前進する講頭以下講員の「生活すべてが信心」という、6年余の結果である。

信心に休みはない。まして来たる平成14年を目前に、御指南の実現に向かい奮い立って進む時である。今日よりは、平成14年・立宗七百五十年の三十万総登山のその日まで、まさに全力疾走の精進をしていかなければならない。その「信心の誓い」としてまず各支部が、御住職と共に掲げてきた本年の折伏誓願目標を、来月の御会式までに成し遂げていくことである。本年の誓願目標は、講中全員が奮い立ち、真剣な唱題のもとに折伏に立ち上がれば必ず達成できる。そこに誓願を立派に成し遂げ、三十万態勢への大前進を開始しよう。そしていよいよ御法主上人猊下の御指南を体し奉り、「出陣の年」に向かって大前進していこうではないか。


◇総本山で盂蘭盆会(記事要約)

恒例の「墓参の儀」は14日、御法主日顕上人猊下の大導師によって執り行われた。はじめに典礼院にお出ましになられた猊下は、中央・西・東の三師塔前にて読経・焼香・唱題を修され、宗開両祖ならびに日目上人への御報恩謝徳を申し上げた。以下順次、日達上人御墓所・十二角堂・大納骨堂(以下十二角堂裏にて)・旧六万等・大行尊霊墓所・大名墓地・天英院(=徳川家亘将軍夫人・大石寺三門建立時の大施主、五重の塔にて)・敬台院(以下、御影堂裏にて)・熱原三烈士・新六万塔・旧御影堂跡(二天門側)・日禅師(鬼門側)の各墓所にて、読経・唱題が行われた。最後に、客殿に設けられた祭壇において、法界万霊の追善供養が行われ、墓参の儀は終了した。

お盆の御洗米(8KB)

15日、猊下の御名代である瀬戸日謙御尊能化導師によって、盂蘭盆会法要が厳粛に奉修された。

※写真(御洗米)は、大日蓮(昭和57年9月号)より


◇総本山大石寺 恒例の寛師会を奉修(趣旨)

恒例の寛師会が、8月18日・19日の両日にわたって、御法主日顕上人猊下の大導師のもと、総本山大石寺において厳粛に奉修された。18日は客殿にて御逮夜法要が営まれ、登山者全員が参列し、読経・焼香・唱題申し上げ、大石寺26世日寛上人様に御報恩謝徳申し上げた。引き続き、日寛上人ゆかりの常唱堂(石の坊)においても法要が修され、代表者が参列した。布教講演会では、妙住坊の御住職・新井契道御尊師が「日寛上人と唱題の大事」と題して、日寛上人様の御事績を織り交ぜながら題目の功徳について述べられた。

一方、塔の原のグランドでは、日寛上人様が好まれたと伝えられる相撲大会が奉納され、また夕闇迫る頃より恒例の花火大会が催され、登山者や地元の見物人の目を楽しませた。

翌19日は、御法主上人猊下の御導師のもと御正当会が、客殿・常唱堂にて奉修され、引き続き墓苑において墓参の儀が執り行われて、一切の法要が滞りなく終了した。


◇御書解説 『御衣並単衣御書』

本抄は、建治元年(1275)9月28日、大聖人様が54歳の御時、身延の地より下総国若宮(現在の千葉県市川市)に居住しておられた富木常忍の奥方、妙常尼に対して与えられた御書です。御真蹟は中山の法華経寺に格護されています。


対告衆

伝承によれば、富木殿の奥方妙常尼は上野郷の隣、宮士重須の人です。初め同地の橘定時という人に嫁し、二男一女をもうけましたが死別してしまいました。その後、縁あって富木殿と子連れで再婚しました。この時、一緒に養子として入った長男が、後に六老僧の一人となった伊予阿闇梨日頂です。また次男も出家し、初め民部日向を師匠として大聖人様の弟子となりましたが、日興上人が身延離山された折日向の諸法に気づき、以後日興上人の弟子となりました。それからは水を得た魚のごとく興学布教に励み、日興上人の片腕となり、重須談所の初代学頭に任命されました。すなわち寂仙房日澄です。

こうして富木家は強盛な信仰に生き、妙常尼自身も内にあっては夫をよく助けると共に、老母にもよく仕えていました。それは大聖人様が、『富木尼御前御書』に、「矢のはしる事は弓のちから、くものゆくことは竜のちから、をとこのしわざはめのちからなり。いま富木殿のこれへ御わたりある事、尼ごぜんの御力なり」(御書955頁)と賞賛され、その老母が死去した時にも、「富木殿の御物がたり候は、この母のなげきのなかに、臨終のよくをはせしと、尼がよくあたり、かんびゃうせし事のうれしさ、いつの世にわするべしともをぼへずと、よろこばれ候なり」(前同)と、夫からも感謝されていることからも拝されます。晩年は、故郷の富士重須に帰り、日興上人のもとで亡くなっています。


背景

富木殿一家は、大聖人様に対して精神的にも経済的にも、あらゆる面で数々の外護をなされています。その中にあって、ことに金銭と衣類の多さが目につきます。金銭は、大聖人様一門の生活費や書籍や仏具等必要なものを購入したり、弟子の育成や布教のための旅費等、あらゆる面で必要不可欠であり、それを支援していたのが富木殿であったことを考えれば容易に頷(うなず)けますが、衣類にまで心を配ることは男性にはなかなかできるものではないと思います。

ここに妙常尼ならではの心配りが拝せます。ちなみに、御書に見る富木家からの衣類の御供養を列挙しますと、<文永10年4月に帷(かたびら)一つ>。<同年11月に白小袖一つ>。<文永11年に帷一領>。<文永12年に帷一領>。<建治元年9月に衣の布並びに御単衣>。<同年11月に厚綿の白小袖一つ>。<弘安2年に白小袖一つ並ぴに薄墨染の袈裟・衣一つずつ>。等々となっています。当時の衣類は、大変高価で貴重であったといいます。しかし、そのような中で富木殿、とくに妙常尼や90になる老母から毎年のように袈裟・衣や衣類の御供養をいただいた大聖人様は、大変に感謝なされています。


本抄の大意

最初に、衣の布並びに単衣を頂戴したことを記されています。そしてその御供養の志に対して、過去の鮮白比丘尼の例を引かれながら、法華経並びに人法体一の御本仏たる日蓮大聖人様に御供養された功徳の大きさを示されています。すなわち、鮮白比丘尼は生まれた時から衣を身に着けていたといいます。そして、鮮白比丘尼が成長すればそれに応じてその衣も大きくなり、出家すれば法衣となるという不思議な徳を身に具えた人でした。そして、ついには法華経の座で、一切衆生喜見如来という記別を釈尊から授かったのです。その由来は、過去に衣を仏法僧の三宝に供養したからであるとされています。

そして今、法華経を信仰し折伏する人にも、凡夫の目には見えないけれども、柔和忍辱衣という衣が具わっているし、具えなければならないことを示されています。次に法華経に供養する功徳の大きさを、一粒万倍となる種の例や、わずかな水から大雨を降らす竜のこと、そして小さな火から大火事にしてしまう人間の姿などから、たとえわずかなものであっても、その功徳は計り知れないと仰せです。なぜならば、法華経は一字が一仏であるから、六万九千三百八十四の仏様に供養したことになる。ゆえに、法華経に供養する功徳は莫大であることを教示しています。

さらに真の仏とは、爾前経では絶対に成仏できないと打ち捨てられた二乗をも救うことを眼目とし、そのために『寿量品』では久遠実成を示して三身が常住していることを説き、一切衆生にも元来仏性が具わっていることを証明しています。そしてこの仏性を開くには法華経の修行以外には絶対になく、それを正しく教示された方こそ真の仏様であると仰せです。

また衆生の機根に合わせて出現する三十二相八十種好の仏は真の仏ではなく、これらの仏を仏たらしめたところの法華経こそが真仏であるとも仰せです。なぜならば釈尊在世の時においては、釈尊を信じても仏には成れなかった人もいます。それは真実最高の法華経を聞くことができなかった人もいたからです。しかし滅後の衆生にとっては、有り難いことに、この法華経を信ずる人は一人として成仏できない人はいないのです。ゆえに釈尊より法華経の方が功徳が大きいと言えるのです。

さらに文底の立場から見れば、釈尊とは無縁の末法の衆生を救済するために、大聖人様が釈尊から結要付嘱を受けられた上行菩薩の再誕として末法に御出現あそばされ、文底秘沈の妙法を顕されたのです。その大聖人様の信者となり衣を御供養されたということは、インドの釈尊に供養することには比べものにならないほど大きな功徳があり、成仏することは間違いないと仰せられているのです。


拝読のポイント

まず鮮白比丘尼の先例からも、末法の今日においては、下種三宝に対する純粋な御供養には計り知れない大きな功徳があり、必ず成仏の因となるということを銘記しましょう。そして、この御供養が純粋にして強盛なる信心の表れであることは言うまでもありません。次に、私たち大聖人様の弟子檀那となった人は、すでに柔和忍辱衣を身につけていることを自覚しましょう。この柔和忍辱衣は、一切衆生を救済せんとする折伏の大慈悲心であり、あらゆる困難にも負けないで前進する強盛な信仰心です。この信仰心こそが自他共に成仏へ導く鍵であり、大きな功徳の表れであります。

次に、三十二相の脱益の仏は迹仏であって本仏ではないということです。それはインドの釈尊さえも例外ではなく、久遠元初の自受用報身・人法一箇・凡夫即極の日蓮大聖人様こそが真の仏であることを銘記しましょう。インドの釈尊は、本未有善の末法の我々衆生を救うことはできません。真の仏は、すべての人を救うことができるし、とくに一番罪障が深く、苦しんでいる人を慈しんで救ってくださるのです。


結び

文永8年(1271)9月12日は、竜の口において大聖人様が発迹顕本なされた日です。大聖人様は本仏であるにも関わらず、なぜ三類の強敵をはじめ、様々な法難に遭われたのでしょうか。それは、文証・理証・現証を大事とする仏法において、大聖人様の出自を証明するためです。また、釈尊からの正当な血脈相伝を証明するためでもあります。

インドの釈尊は、大聖人様こそが真の仏であることを証明するために先に出現せられ、法華経の上に「数数見擯出」等の王難や「猶多怨嫉」等の迫害があること、さらには「結要付嘱」等をもってそれらを予証されたのです。そして、その予言を身に当てられて、自らこそが本仏であることを証明したのが、真の法華経の行者たる宗祖日蓮大聖人にほかならないのです。私たちは、この文証・理証・現証の上から大聖人様を末法の御本仏と深く拝し、大聖人様からの唯授一人の血脈の御内証を所持なされる御法主上人猊下の仰せのままに仏道修行に励んでまいりましょう。


◇創価学会の誤りを糾す(1)

創価学会の恐るべき本尊偽造の大悪事
−ニセものたる所以(ゆえん)−
創価学会が作成した『ニセ本尊』が、なぜニセものなのかということについて四つの理由を挙げてみます。『ニセ本尊』とは、御承知の通り、栃木県浄円寺蔵の総本山第26世日寛上人御書写・大行阿闇梨本證坊日證授与の御本尊を、創価学会が離脱僧と共謀して、その授与書きを抹消し、勝手にコピーして会員に販売配布したものです。
許可なき故に偽造である
理由の第一番目は、「許可なき故に」ということです。日蓮正宗の御本尊について、日寛上人様は『文底秘沈抄』に、

「本尊とは所縁の境なり・・・境若し正しからざる則(とき)んば、智行も亦従って正しからず」

と示しておられます。正境たる正しい御本尊によってのみ、一切衆生の成仏が叶うという御指南です。本宗の信仰における正境とは、総本山第56世日応上人が、

「故に開山上人より目師への付属書に云く、『日興が身に宛て給はる所の、弘安2年の大本尊は日目に之を授与す』云々。此の法體相承を受くるに付き、尚唯授一人金口嫡々相承なるものあり。此の金口嫡々相承を受けざれば、決して本尊の書写をなすこと能はず。」(弁惑観心抄 212頁)

と御指南されるように、御本仏日蓮大聖人の一期御化導の究極・本門戒壇の大御本尊にましますことは、申すまでもありません。そしてこの戒壇の大御本尊とその法体(法體)は、血脈相承により歴代の御法主上人に受け継がれてきたのです。ですから、日蓮大聖人の「御内証」を御本尊に書写される権能を持たれるのは、血脈相承を受けられた御法主上人御一人に限られるのです。すなわち日応上人の御指南のように日蓮正宗においては、御本尊に関する一切の権能は御法主上人に属することが古来の宗是なのです。

創価学会はこの宗是を無視して、『ニセ本尊』を作製したわけです。その理屈として、御本尊書写は単に御本尊の文字を書き写すことだから、血脈が無くとも、法主の許可を得なくても本尊書写はできるとし、さらに今回の創価学会作成の本尊(ニセ本尊)は、書写ではなく形木として(印刷して)作られているのでまったく問題はない、と説明しています。このような血脈否定の学会の考え方は、御本尊を単なる品物と捉える誤った思想からくる邪信であり、また大誘法の極みです。なぜなら日蓮正宗においては、御形木御本尊といえども、必ず時の御法主上人の允可を得て下付されてきたからです。未だかって日蓮正宗の僧俗の中で、御法主上人の允可・許可を得ずに、御法主上人に背いて御本尊を書写したり、御形木御本尊を発行した者は一人もおりません。どのような時代・状況であれ、御本尊に関してはすべて御法主上人の允可・許可が必要なのです。したがって御法主上人の許可なく、創価学会が勝手に作製したものは御本尊ではなく、あくまでも『ニセ本尊』なのです。

作成の資格なき故に偽造である
第二番目は「作成の資格なき故に」です。創価学会は、総本山第59世日亨上人が、「世界広布の時は本尊下付の法主独占を禁止」しているから、学会が御本尊を作製してもよいくと、これまた勝手な解釈をしています。しかしながら、「法主独占を禁止」などという文言は、日亨上人の著された『有師化抄註解』のどこにうもなく、まったく彼らの捏造なのです。日亨上人の仰せの趣旨は、信徒が飛躍的に増加するであろう世界広布の時代において、特に御本尊書写における御法主上人の御一身の、時間的制約などに対する配慮の上からの仰せです。


   た 託   罰 上  
 御 上 し 尊 の  `既
 法  `て い 現 そ に
 主 写  `日 証 の 学
 日 真 本 寛  `本 会
 顕 版 宗 上 謗 尊 の
 上 と 本 人 法 に 本
 人 し 来 の の 対 尊
 猊 て の 御 罪 し 下
 下 頒 血 本 苦 て 附
 御 布 脈 尊 と の は
 講 す の を な 純  ┐
 義 る 法  ` っ 粋 ニ
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 創 こ に 本 長 信 本
 価 ろ 背 山 劫 心 尊
 学 に 反 か に の└ 
 会  ┐し ら 流 あ と
 の ニ て 離 れ ろ な
 偽 セ 手 脱 る う っ
 造 本 前 し こ は て
 本 尊 勝 た と ず 無
 尊 └  手 謗 と が 限
 義 の に 法 思 あ の
 を 所 授 僧 い り 誤
 破 以 与 と ま ま り
 す が 書 邪 す せ が
└  あ き 教  ゜ん 伏
 よ り を 集    ゜在
 り ま 削 団   必 す
   す 除 が   ず る
    ゜し 結   仏 以


*等幅フォントでご覧下さい*
同『註解』中には、どこにも信徒が御本尊を勝手に作製してもよいなどとは書かれてはおらず、むしろ逆に、

「曼荼羅書写の大権は唯授一人金口相承の法主に在り」

と誡められているので 。ゆえに資格が無い創価学会が作製したものは『ニセ本尊』なのです。

開眼なき故に偽造である
三番目には「開眼なき故に」です。創価学会は、御本尊の開眼は必要ないし、宗門では古来、御本尊の開眼はして来なかったなどと悪態をついております。そしてその理由は、日蓮正宗の『教師必携』という書物の中に開眼のことが書かれていないからというのですから、その浅智慧には呆れるばかりです。『教師必携』には、その名のとおり、日蓮正宗の一般教師(末寺住職等)が心得るべき内容が書かれております。ところが御本尊の御開眼ということは、一般教師が取り行うべき事柄ではありませんから、『教師必携』には書かれていないのが当然です。

すなわち、本宗における御本尊の開眼は、本門戒壇の大御本尊の功力と、大事至極の極意の相伝を相承された御法主上人によってのみなされているのです。御当代御法主日顕上人猊下は御本尊の開眼について

「総本山においては、歴代上人より現住・日顕に至るまでこと御本尊に関する一切はことごとく、かたじけなくも諸仏成道の刻みである丑寅の勤行において、下種本因の四妙たる妙境・妙智・妙行・妙位の正義をもって、事の一念三千の御本尊に対し奉り、開眼草木成仏の深意により、妙境妙智一体不二の御祈念を申し上げておるのであります。この行事は、書写本尊、形木本尊その他、一切を含めていささかの例外もありません」(偽造本尊義を破す 59頁)

と御指南をなされております。この御指南をよく拝すべきなのです。したがって、開眼の大事からも創価学会が作製したものは『ニセ本尊』なのです。

授与の資格なき故に偽造である
次に、四は「授与の資格なき故に」であります。御承知の通り、創価学会は平成3年に宗門より破門され、すでに日蓮正宗とは無関係の団体であり、また日蓮正宗信徒であった個々の創価学会員も、昨年12月1日以降、本宗信徒の資格を失っています。すなわち、日蓮正宗と創価学会とは無縁であり、謗法団体たる創価学会の『ニセ本尊』作製、会員への販売配布などは、すべてが邪宗教団の謗法行為でありますから、本宗とは関係のないことです。

本節で論ずる「本尊授与の資格」とは、その授与する本尊が真正な場合おいて諭じられるぺき問題であり、『ニセ本尊』の配布を本尊授与とは言わないのですが、創価学会は未練がましくも、未だにその自らの宗教法人規則から日蓮正宗との関係を抹消しておらず、また『ニセ本尊』の販売についても、あたかも日蓮正宗の本尊授与と同義であるかのように欺瞞しています。そこで本節では、与えて創価学会には一切、本尊授与の資格がないことを明確にするものです。

古来日蓮正宗では、御本尊の授与は、すべて御法主上人の允許のもとに行われてきたのです。それを示すものが、日亨上人の『有師化抄註解』における、

「曼茶羅書写・本尊授与の事は、宗門第一尊厳の化儀なり」(富要1−112頁)

との御指南です。すなわち、御本尊に関しては書写と共に、御本尊を授与する資格も、唯授一人血脈付法の御法主上人以外にはあり得ないということが、日蓮正宗の宗是なのです。日本、乃至全世界の末寺において、住職は所属の御信徒に御本尊を下付いたしますが、これは住職に御本尊授与の権限があるのではなく、御法主上人の允可のもとに、御本尊の御下付をお取り次ぎしているものです。したがって、同様に創価学会が過去に本宗の信徒団体であったある時期に、会館で特別御形木御本尊を下付したことがありましたが、これも決して創価学会に本尊授与の権限があったわけではありません。特別に御法主上人の允可のもとに、御本尊の下付を取り次がせていただいていただけのことです。

御法主上人猊下に反逆敵対し、すでに平成3年に宗門から破門され、謗法団体と成り果てた創価学会に、日蓮正宗の御本尊を授与する資格があるはずがないのです。創価学会は『ニセ本尊』の配布について、

「今回の学会による御形木御本尊の授与は、由緒正しい『本門戒壇の大御本尊』を、中興の祖である日寛上人が『書写』して『特定の人に授与した本尊』を、『末寺の允可に基づいて』『形木』にして『開眼せず』に『不特定多数』に授与するもので、『一機一縁の本尊』を同じようにして授与することよりはるかに素晴らしいではありませんか」

と述べていますが、この言い分もまったくのいい加減な出たら目なものです。・・学会は、この文中において『ニセ本尊』を「『不特定多数』に授与」したことを自ら宣言しています。これについて御法主上人猊下は、

「『不特定多数に授与する』の言、これが一番間題です。この『授与』という語こそ、最も重大な謗法である。いわゆる『授与』とは、だれが不特定多数に授与するのか。池田か秋谷か、はたまた創価学会の事務機関内の役員等の決定なのか。いずれにせよ、血脈付法の尊厳なる御本尊を、これら在家の者どもが勝手に授与する資格を、だれから与えられたというのか(乃至)このような大聖人を悪用する、邪心・魔心によって作られた本尊は魔性が入ったものであり、形は日寛上人の本尊ながら、その心に魔が入っておること、邪神の神社における神札と同じであります」(偽造本専義を破す 146頁)

と、本尊を授与する資格の無い者が、これを授与することは大聖人を悪用する大謗法であることと、そのような悪心によって作られた本尊は、形は日寛上人の御本尊に似ていても、魔性の入った恐ろしい『ニセ本尊』であると明確に御指南あそばされているのです。

私たちは、この『ニセ本尊』の恐ろしさを、はっきりと創価学会員に教えてあげることこそが大切です。
(以下次回)


◇学会員宅への訪問活動にうろたえる学会幹部 大慈院支部 阿部英樹

遅ればせながら、この度多くの学会員の方とお話させていただくことができました。「折伏のない唱題は観念の唱題である」−上地御住職の、この叱咤激励により懈怠という深く恐しい眠りから目覚めた私は、講頭はじめ青年部の方と学会員宅を訪問させていただきました。中でも稲葉さんという方と地域を4軒程訪問したとき、そこの御主人が家に入れてくれましたので、折伏させていただいておりました。すると、そこの奥さんがあちこちに電話をかけ出し、あっと言う間に十数人がやって来ました。中でも教員職の副男子部長と約2時間の問答の末、相手方は聖教新聞販売所で御住職も交じえての問答対決を申し込んできましたが、御住職と相談し、相手の策略と感じましたので断りました。

その日、例の学会副男子部長から私の自宅に電話があり、約束が違うと喚(わめ)きだし、「とにかく学会員宅を訪問するな、訪問しないという念書を書くまでは、明日の夜から毎日でも男子部員30人を連れて行くぞ」と脅し文句を言われましたので、警察へ連絡して相談し、「創価学会による被害者の会」に相談。そして翌日、御住職と講頭に内容を報告し、御住職の御指導のもと、講頭と二人で学会副男子部長の職場に行きました。校長と面談し、一応警察には告げてあるが、大勢で家に押しかけるようなことはしないよう、注意して欲しい旨を告げたところ、本人には会えませんでしたが、校長は謝ってくださいました。その後は何事もなく学会員宅を訪問させていただいております。

また、以前私が折伏させていただいた武田さんという方の紹介で、学会の男子部地区リーダーのIさんを折伏させていただきました。武田さん、稲葉さん、講頭と共に何度も訪問し、ようやく大慈院へお連れして御尊師に会わせることができました。そして「ニセ本尊」の謗法払いをした後、入信を決意したIさんですが、残念なことに母親をはじめ学会幹部にそそのかされ、退転してしまいました。しかし、Iさんの縁で脱会、入信した鹿谷さんは御本尊を御下付いただきがんぱっております。今後も、常に御住職とよく相談し、講頭を中心に、一人でも多くの学会員を大慈院の御本尊様の御前にお連れできるよう、折伏のための唱題、折伏のための登山を力の続く限りさせていただきます。創価学会員を正宗寺院へお連れできるのは、私たち法華講員しかいないのですから。


◇目を開き、真実を見ることを願って 正見寺支部 尾内勇

宗教には正法と邪法の二種類あるということを、私は昭和33年に創価学会員から教えられ、入信しました以来三十余年、創価学会員として折伏に、座談会にとがんばり、青年部の隊長まで務めました。しかし入信5年目くらいから信心に張りがなくなり、勤行も次第に疎かになりました。というのも、私が行っていた事業が悪化し、とうとう解散する羽目になったからです。学会幹部の指導は、「功徳がないのは信心が足りないから、会社が倒産したのは罰だ」とか「もっと題目を唱え、題目貯金をしなさい」とか、「聖教新聞を5部とれば貧乏が直る」という内容ばかりでした。

平成3年、学会問題が起きたとき、聖教新聞で毎日のように、御法主上人猊下への口汚い中傷誹謗を繰り返していましたので、私は正見寺へ行き、御住職・光久御尊師からいろいろとお話を伺いました。帰りには添書登山を申し込み、8月18日に登山しました。以来、日寛上人御正当会には毎年参加させていただいています。総本山に着いて周辺を見て回りました。が、聖教新聞で言う野犬もいなければ、草も生い茂っていません。ウソとでたらめの創価学会ということがはっきり判りました。

平成3年10月、創価学会本部に脱会届を送り、名実共に日蓮正宗正見寺の信徒として再出発しました。御報恩御講をはじめ、お寺の行事に参加させていただき、総本山中心の師弟相対の信心を御住職から教えていただいています。法華講員として6年学んだことと、学会での三十余年では雲泥の差です。


脱会届を送って二日目に家に来た学会の大幹部4名のうち、一人が「信仰というのは手を替え、品を替え、色を変え、味を変えていかなければ時代に遅れ、宗教は廃れてしまう。皆さんが、飽きずについて来られるようにしているのが池田先生だ」と言ったのです。仏法を勝手に変えては正法は消滅してしまうと言ったら、「それは昔の話。あなたはうらしま太郎だ」と。学会の間違いにも、自分の間違いに気付かない学会大幹部は高慢にも、自分たちこそ地涌の菩薩だと言って帰りました。

総本山では夏期講習会登山において御法主上人猊下御指南、各御尊師から教えていただけることは、人生最高の宝であり、最高の功徳だと感じています。講習会の講義で「たとえ時代が変わろうとも、絶対に変わらないのが日蓮正宗の教義です」とのお話がありました。私は声を大にして言いたいです、創価学会の皆さん、私も創価学会員でした。今、創価学会が配布している本尊は『ニセ本尊』です。池田大作の言葉に騙されないでください。三大秘法の大御本尊は総本山大石寺に御安置されています。正しい心の目を開いてください。


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