大白法

平成10年10月1日号


主な記事

<1面>

<2〜4面>

<5・6面>
<7・8面>

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◇法華講連合会理事会、明年『出陣の年』の年間計画等を決定

法華講理事会が、9月15日正午より、東京・吾妻橋の法華講富士会館で行われた。正副委員長をはじめ、26地方部の地方部長(理事)および本部の各部部長(幹事)が出席した。読経・唱題の後、規約に基づき委員長が議長となり、明年平成11年(出陣の年)の年間計画や活動方針が審議された。主な決議事項は以下の通り。

議案は全て終了し、午後1時45分理事会は閉会。その後地方部長懇談会が催された。


◇小説富士 『竜の口』 (10)

大東院日明著

 「日昭殿……」

 聖人は次の間の日昭を呼んだ。

 広くもない草庵のことなので、日昭は「はい」と返事をすると、聖人の居間の板敷の上に両手をついた。秋の陽はようやく長くなりかけ、庇(ひさし)を通り抜けて聖人の膝の辺りまで達していた。


 「只今、日興を問注所に使いに出したが、もはや二度とは帰るまい」

 「日昭も左様に思います」

 「そうか、では、一咋日来から申しておること、すべて用意はよいか」

 「……はい……」

 「何故、返事をしぶる」

 「御聖人様……」

 「なんじゃ……」

 「日昭は悔しゅうございます」

 「何を言われる日昭殿。そんな言葉は若い僧侶が言うことです。日朗より三つも年下の日興が、私の意中を読みとってか、黙って書状と『立正安国論』を持って問注所に行きました。……私の書状はともかく、再び日蓮が性も懲りずに『立正安国論』を献じたとならば、その弟子たる日興は問注所に留め置かれることは明白なことを知っても、日興は黙って出掛けました」

 「日興が問注所に留め置かれるとならば、法華経のため、名誉至極と思いますが、この日昭は、後陣を受けた手前、只今から、皆の者の頭となって逃げねばならんのが残念至極でございます。さだめし後世の人々が、聖人を草庵に只一人にして、僧俗ともに皆逃げ隠れたと申されるのが、50を過ぎたこの日昭にも無念至極でなりません……」

 「すべてが令法久住のためと、日昭殿……よおくお考え下さい。日昭殿が33歳、この日蓮が32歳の、今から19年前の建長5年に、日蓮は先陣、日昭は後陣と互いに約束をいたしたはず…」

 「御言葉返すは失礼ながら、あの時は、師匠一人、弟子一人の時代でございましたが、只今はそれとは異なります。日朗、日興、日向、日頂、日持、日家等の青年僧や三位房、大進房等々の老成あって後顧(こうこ)の憂いはありません。なにとぞ、この日昭をこの草庵にお置き下さい。そのつもりで、弟子たちは、一昨日より御内意を体して、近くは鎌倉の檀越の方々に預けるように手配済みでございます」

 「それは御苦労でした。日蓮厚く礼を言いますぞ。今日か、遅くとも明日は起こる事柄は、先年ここに起こった焼き討ちの時や、弘長元年の伊東配流の時とは事情がまったく違う。あれは文宇通りの不意打ちであったが、今度はすでに問注所に呼ばれておる……」

 「今度はいかような処置がありましょうか」

 「おそらく死罪じゃ」

 「ええっ、死罪っ、まさか、そんな無法なことが……」

 「法華経のためには言葉を飾らぬ日蓮。執権職時宗殿の御父上を地獄に堕ちたと申した日蓮。今を時めく鎌倉の七大寺の僧達の頸を、国難を除くためには由比ケ浜に斬るべしと、二度も三度も諌言した日蓮。おそらく死罪を言い渡そう。軍鼓を叩き喊声(かんせい)を挙げて、今にも、この松葉が谷を取り囲むであろう」

 「事態はそこまで急を要しておりますか」

 「日昭殿、蒙古の襲来を12カ年も前に予言した日蓮が、敵が我が草庵に攻め来るのを分からないでなんとする。先刻、日興に問注所に持参させた手紙には、未萌を知るを聖人というと書いておいたが、どうじゃ。あっははっ、あっははっ」


 聖人は、草庵の屋根をふるわすような声で笑うのであった。

 「ここまで覚悟をした日蓮、日昭殿よろしいか、そうそう案じて駈けつけた人々も、さっそくに連れて一刻も早く立ち退きなさい」

 「御師匠様が死罪の御覚悟をなされたのに、弟子一人も庵室におらぬとは、もっての外でこざいます。日蓮が弟子は臆病にては叶うべからずとは、常日頃の御教訓であります。日昭をおいて外の日朗、日向、日持等々の処置は充分ついております。どうか、日昭だけは、聖人の側にお置き下さいまし」

 「日昭殿。一昨日の夜、しかと皆の者に言い聞かせ、そなたが頭となって退散することを承知したではないか。先刻も申したように、先年の焼き討ちは理不尽な念仏門徒の仕業であったから、これと一戦交えても理屈は立った。だが、今度はそうはいかぬ。おそらく、平左衛門尉が総大将となって数千人の兵をもってこの草庵を取り囲むであろう。されば、これに手向かえば皆、日蓮と同罪ということになるであろう。それでは、敵の戦法に我からかかってゆくも同然である。今度は、手向かいせぬのがこちらの戦法。法華経は諸人をたぶらかす秘法とは、今日蓮が示すところじゃ。数千人の人々をもって、この麻衣(あさごろも)の一介の僧日蓮を取り囲んだとあれば、幕府もえらい名誉なことではないか。この辺の道理を、日昭殿が分からぬことはないと思う」


 日昭は黙念として、返事がなかった。

 庭の松の樹に休んでいた山鳩が、一勢にはばたいて急に舞い上がると、四、五十匹の沢蟹がさあっと、時雨でも来たよう音をたてて、庭の面をあたふためいたが、やがて、崖下の穴に向かって姿を消した。何か、地の物音を聞いたに相違ない。


◇創価学会の誤りを糾す(2)

創価学会の誤りを糾す(2)
変質する創価学会
今回は、創価学会の「自語相違」と、「御書根本・大聖人直結」という邪義の破折についてです。 はじめの自語相違については「本尊・血脈に関する自語相違」と、「導師曼荼羅に関する自語相違」に分けて述べます。
本尊・血脈に関する自語相違
かつて池田創価学会は、
  • 「日蓮正宗の根本中の根本は、御存知のとおり、本門戒壇の大御本尊であられる。その大御本尊と日蓮大聖人以来の血脈を代々受け継がれる御法主上人がおいでになり、七百年にわたる伝統法義が厳然とある。この正宗の根本軌道に則った信心こそが、正しき信心であり、無量の功徳があるわけである。みずからの信心の濁りや驕慢から、その根本軌道を失ってはならない」(広布と人生を語る6-41)

あるいは、

  • 「本宗における厳粛なる法水瀉瓶唯授一人の血脈は、法統連綿と、代々の御法主上人に受け継がれて、今日に至っております。あくまでも、御本仏は、日蓮大聖人様であらせられ、唯我与我の御法主上人のご内証を大聖人と拝すべきなのであります」(大白蓮華S54・6-16)
  • 「日蓮正宗における根本は、唯授一人の血脈である。その血脈相承の御法主上人に随順しゆくことこそ、僧俗の正しいあり方である。この一点を誤れば、すべてが狂ってくるのである」(広布と人生を語る3-32)

などと述べていました。そして、これらは皆、外ならぬ池田大作・創価学会が過去に発言してきた言葉です。

これに対して現在の池田創価学会による宗門への誹謗はどうでしょうか。余りに多すぎて選ぶことも容易ではありませんが、その大本は、根源の本門戒壇の大御本尊に対する、

  • 「曼荼羅それ自体は、物体という側面からいえば永遠不滅ではありえない」(聖教新聞 H5・5・5)

との不信謗法にあり、さらには御法主日顕上人猊下に対する、

  • 「針金でゆわえて、あの頭、トンカチでぶっ叩いてね」(全国青年部幹部会 H4・12・13)

などの信仰者にあるまじき、軽善・憎善・嫉善・恨善等の十四誹謗に根ざすことが明白です。

このように、池田創価学会の発言はその時々でまったく正反対の、精神分裂病的症状を呈しています。したがって彼等が、その主張の中で「文証」だとして使用する御書などの引用文献も、すべて切り文(もん)、スリ替えに終始しており、無責任、無節操と言うか、まったく一貫性がないため、当然ながら、その論旨は破綻(はたん)をきたしています。これを自語相違というのが常識でしょう。しかし、彼らは、自語相違と指摘されても、厚顔無恥にも決して認めようとはしません。

導師曼荼羅に関する自語相違
彼らの自語相違の顕著な例が、まだあります。日蓮正宗の葬儀において貸与(たいよ)される導師曼荼羅についての自語相違です。彼らは、日蓮正宗の導師曼荼羅に閻魔法皇・五道冥官が認(したた)められていることについて、

  • 「大聖人の書かれた御本尊とは明らかに異なる」(偽造本尊義を破す74ページ)と言い、それは「偽の経文の悪鬼とも言えるものが書かれている」(同)

からであるなどと言い、さらに彼らがニセものだという本尊、導師曼荼羅で葬儀をしたなら、

  • 「生前に題目をあげて積み上げた功徳を破壊して、成仏の邪魔をされるだけ」(偽造本尊義を破す 81ページ)

とまで誹謗しています。これはどうでしょう。それでは、過去に導師曼荼羅によって日蓮正宗の葬儀を執行(しっこう)してもらった何百万人という会員や、戸田会長をはじめ、北條会長、池田大作の母親や二男、すべての創価学会員が、彼らの言うように、生前に積み上げた功徳を破壊され、地獄へ堕(お)ちたということになるでしょうか。それについては何の説明もありません。追求されたら、今度はどうやって言い逃(のが)れるのでしょう。

さらに言えば、創価学会は、日寛上人書写の本尊をもとにして『ニセ本尊』を作製し、これを販売配布することを正当化するために日寛上人のお徳を特別に取り上げて、日寛上人こそ大聖人直結の正当な御法主としていますが、その日寛上人も、当然、導師曼荼羅を書写されております。もちろん日寛上人御書写の導師曼荼羅にも、はっきりと閻魔法皇と五道冥官が認められているのです。

一方で正統な御法主日寛上人と言い、もう一方で『ニセ本尊』の導師曼荼羅を書いた不当の法主だと言うのでしょうか。あちらを立てればこちらが立たず、一体どちらを立てるのでしょう。誰が見てもハッキリとした自語相違の一例ではないでしょうか。

御法主日顕上人猊下は、この彼らの誹謗に対し、先に発刊された『偽造本尊義を破す』において、

  • 「次に『大聖人が書かれた御本尊とは明かに異なる』とも言っておるが、これは本尊の内証口伝を受けていない者が形式だけを見て、その曼荼羅弘通の規模の広さを知らない偏見であります。冥界へ向かう衆生への化導救済の意義より、天照太神、八幡大菩薩の代わりに閻魔法皇、五道冥官を書かれることは、『南無妙法蓮華経 日蓮在御判』を中心とする一念三千の本尊に在ってはいささかの違法もないのであり、これを『ニセものの本尊』とすることは、本尊相伝のない創価学会の短見・邪見なのであります」(偽造本尊義を破す 75ページ)

と破折あそばされるところです。導師曼荼羅こそが、本宗の葬儀における正式な御本尊なのであります。創価学会は、知りもしないのに、平気で難癖をつけ、自語相違をきたし、破折される恥知らずを延々繰り返しているたくさんの例から挙げてみました。

「御書根本」の邪義を破す
日蓮大聖人様は『一代聖教大意』に、

  • 「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(御書 92ページ)

と仰せです。また日興上人は『日興遺誡置文』に、

  • 「御抄を心肝に染め極理を師伝して云々」(御書 1884ページ)

と御指南くださっております。「御書根本」ということは何も新興宗教・創価学会に限らず日蓮宗各門下教団においても、一様に言うところであって、御書によって宗義を立てることそれ自体は決して誤りではありません。問題は、御書の拝し方なのです。御法主上人猊下が、

  • 「ただしその拝し方が違うから多くの宗派が分かれるのであり、御書に依りつつ、御書の意に背く邪義となるのであります。創価学会も根本の血脈不信によって異解を生ずることは同様です。故に『御書根本』の主張には独りよがりの我見の誤りがあるとともに、御書中の浅深、立て分けを弁えない咎が存しています」(邪難を粉砕す 16ページ)

と仰せのように、凡夫の我意、我見、浅識等による自己中心の考え方で御書を拝することは、山に入って山を見失うようなものであることに、深く注意すべきです。深い信心をもって拝すべき大聖人の尊い御金言を、自己中心の偏った邪義をもって拝しても、御聖意を汲むことはできないのであり、それを「御書根本」とは決して言いません。そこに御本仏日蓮大聖人より唯我与我の相伝を受けられた日興上人以来、唯授一人血脈付法の御法主上人の御指南をもとに、すなわち極理の師伝によって御書を拝することに大切な所以があるのです。つまり、真の「御書根本」とは、御法主上人猊下の御指南を戴く日蓮正宗の僧侶と法華講においてはじめて言えることなのです。

もしも、「極理師伝」がなくとも、単に御書を拝読するだけで仏法の深義が領解できるのであれば、五老僧やその門下が謗法となることもなかったはずです。御書に示される大聖人の御聖意は、その深い元意と義理を「極理師伝」の上から拝することが肝要です。三宝を破壊し、日蓮正宗の師弟相対の上における極理の伝授を軽んじ否定するところの、創価学会の我意我見による御書の拝し方は、大聖人の、

  • 「根源の師を忘れて、余(よそ)へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはひなるべし」(御書 1039ページ)

と仰せの御意に背逆するものであり、御本仏の御言葉によっていると思いつつ、その実体は蜃気楼のごとく空虚であり、むしろはっきりと堕獄の因となる大謗法なのです。  大聖人は、一期(いちご)御化導の締めくくりとして、重大法義を明かされた『三大秘法抄』に、

  • 「予年来(としごろ)己心に秘すと雖も此の法門を書き付けて留め置かずんば、門家(もんけ)の遺弟等定めて無慈悲の讒言(ざんげん)を加ふべし。其の後は何と悔ゆとも叶ふまじきと存する間貴辺に対し書き遺(のこ)し候」(御書 1595ページ)

と仰せられています。すなわち、大聖人の弘通あそばされる御法門とは甚深の秘法であり、当時の弟子たちですら、その深義を領解できておらず、むしろ大聖人の御法門を汚す恐れすらあったことを慮られての周到なる御用意であられたと拝されます。このように私ども凡夫の浅識、凡智をもってすれば、えてして我意、我見による信解の狂いを生じるであろうとの、滅後の衆生を慮かられての大慈大悲が、先程の大聖人様の「口伝法門」の大事に関する御教示であり、また血脈相承による「極理師伝」の大切なることについての二祖日興上人の御指南であり、さらには歴代御法主上人の「師資相承」の肝要に関する諸御指南なのです。

池田創価学会は日蓮正宗の信徒団体に過ぎなかったその分を忘れて、本宗の根本宗是たる血脈を誹謗・冒?する大謗法を犯し、御書を曲解して大聖人の御聖意に背く邪義を構築し、独りよがりの我見による素人法門を展開しています。御法主日顕上人猊下は、

  •  「御書は大聖人御化導の全体のなかで分々の主意が存し、それぞれの義が分かれているのであります。それらの全体を総合した大綱の上から、それぞれの御書の義を拝し、それぞれの文に及ぶべきであります」(邪難を粉砕す 92ページ)

と、大綱と綱目の筋目をわきまえた上での御書の拝し方が大切であることを御教示くださり、さらにまた、文・義の上から、文の表面になくとも義が具わっている場合、反対に文の趣意はそれぞれに明らかでも、さらに深い義までは具していない場合等さまざまであって、表面だけの文や語に執(とら)われて聖意を見失うことのないようにすることの大事を御指南くださっています。この当家古来の御書拝読の基本姿勢の上から、創価学会が、手前勝手に、恣意(しい)的に引用して「御書根本、御書根本」と言いながら摧尊入卑(さいそんにゅうひ)し、「文証、文証」と莫迦の一つ覚えよろしく切り文やスリ替えでつつき回すことを「ねずみ法門」というのです。私たちは、この創価学会の狡猾なトリックを見破っていくことが大切です。

「大聖人直結」の邪義を破す
日蓮大聖人は『四恩抄』に、

  • 「仏宝・法宝は必ず僧によりて住す」(御書 269ページ)

と仰せられています。これは、下種仏法の深義は必ず僧宝によって正しく伝持されるとの御教示です。本宗における下種三宝とは、仏宝は宗祖日蓮大聖人であり、法宝は大聖人出世の御本懐として御図顕あそばされた三大秘法総在の本門戒壇大御本尊。そして僧宝とは「血脈の次第 日蓮日興」と、大聖人より唯授一人の血脈相承を直授せられた日興上人を随一とし、以来三大秘法の法体と金口の相承を承継あそばす血脈付法の御法主上人です。

この下種三宝について、本宗第26世日寛上人は、内体と外相の上から論じられ、

  • 「若し内体に約さば実に是れ体一なり(中略)若し外相に約さば任運勝劣あり」(歴全 4-392)

と示され、外相においては三宝に勝劣次第がありますが、内体においては三宝は一体であると教示せられています。すなわち、僧宝たる血脈付法の御当代御法主上人の御内証に下種三宝の御法体がましますと深く拝信して、信伏随従申し上げることが本宗信仰の肝要です。創価学会も、かつてはこの三宝義に則り、御法主上人に随順していたのであり、池田大作自身も、

  • 「今日において、歴代上人を日蓮大聖人と仰ぐのが日蓮正宗の信心であり、学会の伝統である。御法主上人を『軽しむ』ようなことがあれば御書に照らしても堕地獄は疑い無い」(聖教新聞S55・12・26)

と述べていたのです。しかし、平成2年以降、池田の御法主上人に対する驕慢・非礼な言動が顕著になり、

  • 「『大聖人直結の信心』こそが『成仏への信心』なのである」(聖教新聞 H4・4・30)
  • 「成仏は自分自身の『信心』で決まるのであって、『聖職者』の介在によって決まるのではない。『直接』こそ仏教本来の在り方である」(聖教新聞 H6・6・5)

などと、本宗の血脈相承を無視した「大聖人直結」という、52年路線と同じ血脈論を、再び展開するようになったのであります。このような池田大作・創価学会の信心の変節こそ、彼等には本宗信仰の肝要である下種三宝義と唯授一人の血脈の信解が全くなかったということを示し、かつ、御法主上人に対する随順も、上辺だけの面従腹背であったことを如実に物語るものです。この「大聖人直結」が大いなる邪義であることは、すでに日興上人が『佐渡國法華講衆御返事』において、

  • 「あんのごとくしやう人の御のちも、すゑのでしどもが、たれはしやう人のぢきの御でしと申やからおほく候。これらの人はうぼうにて候也」(歴全 1-184)

と仰せられ、血脈の次第を無視して、勝手に大聖人の直弟子(大聖人直結)を名乗る者はすべて謗法であると厳しく戒められているところです。すなわち創価学会が言う「大聖人直結」は、「僧宝」にまします日興上人が仰せられた戒めを破る師敵対の邪義であると同時に、日興上人、及び御歴代上人を飛び越えて「大聖人に直結」すること自体、下種の僧宝を否定する仏法破壊の大謗法なのです。このことは、かつて昭和52年路線においても、宗門から厳しく注意され、創価学会は反省を誓ったはずの事項です。

御法主日顕上人猊下は、この創価学会の僧宝否定について、

  • 「日興上人をも否定しておるくせに、日興上人は僧宝として立てるというのですから、もう彼等の主張することは支離滅裂で、全く一貫性がないのです」(大日蓮 H4・11-56ページ)

と御指南せられ、「大聖人直結」という邪義の矛盾と欺瞞(ぎまん)を指摘あそばされています。創価学会は、「大聖人直結の血脈」「大聖人直結の法主」「直結の師弟感応」などと、邪悪な「直結信仰」を正当化しようとしていますが、その狙いは、下種三宝と唯授一人の血脈を否定し、御歴代上人との師弟相対に関わる法義を「池田直結」「創価学会直結」に改変しようとするところにあるのは明らかです。

創価学会の「直結信仰」は、仏法破壊の誑惑の邪義であることを知らなくてはなりません。大きく変質をしてきた不正直の団体の存在を許すことは、社会悪を放置することになります。我々は折伏を続けてまいりましょう。

* Inputted by Yutaro Wakayama , Tmp. Shorin-ji. (10/01)


○法華講で学んだ教学の原点 妙宝寺支部 植村成文

私は昭和35年に母を縁として創価学会に入会し、30年間在籍してきました。平成3年に法華講に入講させていただき7年間。ただただ、御住職様の御指導を素直に実践していこうとだけ心に決め、無我夢中の期間でした。

本宗本来の法華講という組織に入講した当初は、30年間で体に染み込んでいる学会流の考え方、及び学会での教学そのものが、いかに異質であるかを身をもって知らされました。それは、信心の根本である、御法主上人猊下に信伏随順していくことの大切さ、信徒としての姿勢、また末寺の御住職様に対する接し方が、いかに本末転倒であったかということです。過去の30年間は、日蓮正宗の信徒であったという錯覚であって、実は創価学会の一会員でしかなかったことが、大変残念です。夏期講習会登山で御法主上人猊下の直々の御講義を拝聴することができ、改めて間違った教学を学んでいたことをはっきりと思い知り、またいかに自分が慢心であったかを感じることができました。

日蓮正宗の根本・肝心である大聖人様と南無妙法蓮華経について、創価学会では、「南無妙法蓮華経とは、宇宙法界のリズムで、大聖人様はそのリズムを解き顕わさんがために、御出現あそばされた」のだと、その因果関係を学び、私自身が過去には、「大聖人様が何故に偉大な仏様かと言えば、私たちが成仏する上での根本である南無妙法蓮華経を末法に残されたからである」と解釈しておりました。創価学会員のほとんどの方々が、同じように池田流教学に汚染されているのです。

創価学会では、人と法とがバラバラな教義解釈であったこと、それを自分も学んでいたことに大変なショックを感じました。このようなことを教えているのですから今日の創価学会の行動が狂乱するのも当たり前です。池田流教学では、日蓮大聖人様、また御法主上人猊下の御指南に対する感謝など微塵もなく、南無妙法蓮華経を、単に全ての法則であるリズムとして解き、そのリズムのみが最も肝心要のごとく一人歩きしているように思われます。洗脳され続けているほとんどの学会員は、その一点が解らないからこそ、離れられないのだと私は感じます。日蓮大聖人様即南無妙法蓮華経の仏様の御当体であり、御本尊様(仏身)であられることを本当に知らないから、「本山に行かなくてもよい」「家でお題目さえ唱えていれば成仏するからよい」。また、「あれは物体だからいつかは無くなる」と簡単に信じられるのではないでしょうか。

私は、法華講に入講させていただき、御法主上人猊下より直々に御講義を拝聴できる身の福徳を深く感謝申し上げると同時に、原点に立ち返り、平成14年の妙宝寺支部1000名登山に向け、いざ出陣してまいります。


○唱題行の充実で次々開ける縁の不思議 宣行寺支部 杉本時彦

私共の講中では、平成3年3月に結成以来、折伏第一義の信行を展開してまいりました。当初は、学会員への折伏が2に対してそれ以外が1、次年度は1:1の割合、3年目は学会員の折伏1に対してそれ以外が2という比率に変わっていきました。そして池田学会の破門、『ニセ本尊』の作製・販売、それから学会員の正宗信徒として資格喪失、一つひとつ区切りをつけ、御法主上人猊下の御指南、御宗門の指針に従って、その都度縁の見直しを計り、まだ脱会していない人はいないか、見落としている縁はいないかと唱題する中で、新たな縁が開けました。

ある婦人部員の息子さんが脱会はしたものの、御本尊様を持っておらず、遠く離れて暮らしていました。婦人はずっと御祈念をしてこられ、それが成就して御本尊様を御下付していただきました。またある人は客殿新築落慶大法要登山への参加を機に一変し、寺院参詣も積極的になり、夏期講習会登山を契機に姪の折伏を成就されました。次いで弟の折伏も誓願され、弟さんも脱会、入講されました。このように御法主上人猊下の御指南である家庭訪門を地道に続けていく中、まさしく育成の中に折伏の縁が広がり、その折伏した人の育成が新たな折伏につながっていくという、凡夫では計り知れない御仏智を感じております。

それとは裏腹に、未だに脱会できないでいる学会員は交通事故・ガン・ノイローゼ・一家離敵等悲惨な生活へと転落していくという、罰の現証が次々と現れてきております。一日でも早く一人でも多くの人を救おうと唱題行もさらに充実させています。そして今年の8月から、今までの壮年・婦人・青年の三部体制による折伏と併行して、地域毎に拠点を設けて三部一体となって、『拠点折伏座談会』が開かれるようになりました。そこには御住職様が御出席くださり、折伏・御指導と細かく廻ってくださいます。

昨今は、学会員の折伏が成就した場合、縁ある人を急いで救わなければならないことを話して、すぐにその人と縁のある学会員を共に折伏していきます。特に、その人の家族・親類から縁者へと折伏の縁は広がっています。それから3年程前から、御住職様と因縁のある御僧侶と、その講中の人たちと交流会を持っております。共に唱題し、折伏・育成に共に動き、座談会を開き、共に信心の研鑚をしております。北は北海道から南は鹿児島、さらに海外のマレーシアのメンバーと交流を計り、その数は延べ数千人となっており、僧俗一体となった真の広宣流布の一端を見る思いがします。平成14年・立宗七百五十年・30万総登山を目指し、さらに精進してまいります。


◇30万へ向け、いざ出陣!

○住職を先頭に「止暇断眠」の闘い 岩手県盛岡市感恩寺支部

感恩寺支部は昨年に引き続き、本年も折伏誓願目標を達成しました。現在は目標を3倍に修正し、一丸となって折伏を推進しています。

さて、この一年間を振り返りますと、大変貴重な経験を積ませていただきました。私は昨年4月12日、前講頭・佐々木昇氏の逝去に伴い、後任として6月に講頭に任命されたものの前半期の折伏成果は「ゼロ」であり、8世帯の誓願目標が大きな負担となっていました。加えて7月3日には38年間お世話になった諏訪御住職の後任として、大沼御尊師が赴任されることになり、活動方針も定まらず、不安な気持ちで入院式を迎えました。しかし、それも着任当日までのことでした。入院式の終了直後の歓迎座談会で、御住職夫妻の人柄にふれると不安は消え、講中に新感恩寺支部建設の息吹が伝わり始めました。

御住職は直ちに幹部と協議を重ね、赴任1週間後には下半期の活動目標として、次の3つの方針を打ち出されました。

  1. 朝6時から8時までの早朝勤行の実施
  2. 全講員の家庭訪問の実施
  3. 折伏誓願目標8世帯の達成

さらに、年末までに「本堂・庫裡の増改築工事」を行い、12月には「感恩寺開創145周年記念法要」を奉修しようというものでした。そして7月中旬、真夏の暑い日から御住職の「止暇断眠」の闘いが始まりました。また、その真剣さに幹部も奮い立ちました。低血圧で朝に弱い私も、朝5時半に起床し、妻と共に早朝勤行に参加。朝食のために一度家に帰って、その日の仕事(畳店)を職人に手配すると御住職を案内してお盆のお経回りを兼ねた家庭訪問に、2ヶ月間にわたり連日のように歩きました。

お経回りでは御住職はまず仏壇の安置状況を点検し、お経の後、対話を通し、家族構成、信心、健康面等を聞き帳面に記録されていました。この時、多くの講員が多くの悩みを抱えて指導を受けている姿を見て、家庭訪問の重要さを改めて知らされました。また、本堂の改修工事中の3ヶ月間は、寒い旧本堂で震えながら早朝勤行を続け、昼は折伏を展開していきました。こうした悪条件の中でも闘いが進む喜びは大きく、寺院整備が進むにつれ、自発的に御宝前の仏具の御供養を申し出る人が続出し、菩提寺意識の芽生えに、心から感動を覚えました。

結果として後半の6ヶ月間で誓願目標8世帯を超える15世帯の折伏を達成し、12月22日には、新装なった本堂で「感恩寺開創145周年記念法要」が盛大に奉修され、講中一同晴れやかな気持ちで参詣いたしました。当日、他支部の方々から「寺院がきれいになったばかりか講員が明るく自信に満ちている」と言われた時は、苦しかっただけに心から喜びが込み上げてきました。

明けて本年「革進の年」は、「支部蘇生の年」と位置づけ、折伏を第一義として各種行事を成功させ、支部・区・班組織の構築のための人材育成に力を入れました。そして、1月の初級試験には12名中11名が合格。また、記念すべき3月の客殿新築慶祝記念大法要・10万総登山には、折伏誓願目標9世帯を完遂した上、割当て人数を上回る64名が歓喜でご登山しました。続く6月の夏期講習会登山も参加目標を上回る47名が参加し、確実に力をつけてきました。そして支部総会において、支部の総意で折伏目標を3倍の27世帯に修正し、9月現在16世帯と順調に推進しています。

新住職からは「この1年は準備期間でしたが、これからが本番です」と明年の「出陣の年」から平成14年までの年度別目標が示されており、残る3ヶ月は折伏と人材育成に全力を尽くし、来年につなげていきたいと思います。

最後に感恩寺支部は、「祈り・語り・動いて築く感恩寺支部」「感謝と喜びで日々前進の感恩寺支部」のスローガンを掲げ、平成14年・立宗750年の30万総登山を目指し、ますます折伏に邁進していくことをお誓い申し上げ、決意とさせていただきます。(講頭 細田 栄司)


○切磋琢磨で、功徳の戴ける信心を実践 愛知県春日井市安明寺支部

私たちの所属する安明寺は、昭和63年2月24日に建立され、今年で満10年を迎えた新しい寺院です。平成2年の暮れより起こった創価学会問題を機に、正しい信心を求めて数名の志ある方が寺院の門を叩き、学会の謗法を指摘し、平成4年2月27日付けで、54世帯をもって、法華講安明寺支部結成の御許可を賜りました。

御住職のもと、初代講頭、加藤辰市さんを中心に、御法主日顕上人猊下の御指南に少しでもお応えすべく、役員を中心に活動に励みました。しかし、経験不足と組織の未熟さもあり、思うような結果が表れませんでした。そのような状態でしたが、当初集まった方々は、学会の誤りを知って自発的に脱会されてきた強信な人たちでしたから、爆発的な数字は残せませんでしたが、着実に折伏は進みました。昨年は御法主上人猊下の御英断で、「創価学会のみなさんへ」と題しての文書をもって、最後の御教導がなされましたので、私たちの講中も今まで以上に折伏に力を注ぎ、その結果、目標の3倍を上回る結果を出せました。また本年も8月現在で、目標の数を12世帯越えております。

折伏は、学会員を対象にした活動が主で、御住職より、過去に寺院に参詣していた人で、話しをして理解してくれそうな方をリストアップしていただき、その方の脱会入講に全力を尽くしております。このような活動の源は、「講員一人ひとりが功徳のいただける信心をしよう」との情熱から湧き出る純粋な求法の一念心であり、また大聖人様の御教示の「大願とは法華弘通なり」との御聖訓を身・口・意の三業にわたり、各自が常に心に拝して実践しているところにあると思います。

さらに目標を早期に達成できたのは、近隣の支部がお互いに激励し、切磋琢磨し合える良い環境があったからであると思います。安明寺のある場所は、愛知県の西、尾張地方といわれ、宗史の上でも有名な、尾張法難が起きた地域であり、その末裔の方々が興道寺様などの支部で大勢、現在も信仰に励んでおります。また、寺院としては比較的新しいのですが、尾張地方の中心的な存在の法来寺様、いつも折伏目標を達成されている浄顕寺様、御信徒の寺院参詣が素晴らしい普宣寺様、登山参詣にいつも力を入れられている妙典寺様、法遍院様等、どの支部も立派な活動をされております。このような支部を目標として、追いつけ追い越せとの意気込みもまた目標が達成できた要因であったと思います。とにかく布教は宗教の命なのですから、大聖人様の弟子として恥じない信心を心がけようと講員一同の指針としております。

さて、平成14年・宗旨建立七百五十年、慶祝法華講30万総登山もいよいよ三年半後となりました。御法主上人猊下は、「30万総登山は、大聖人様の尊い大慈大悲の御加護によって、また、(中略)僧俗の方々の折伏実践によって、必ず成就する」(第5回講頭・副講頭指導会より)と仰せられました。また「朝の勤行の砌、来るべき宗旨建立七百五十年にあたり、30万総登山を名実共に必ず成就なさしめ給えと御祈念していきなさい」(趣意)と御指南あそばされたということ、そして、今後具体的折伏目標を今までの世帯数の1割から、2割に増やしていくようにと御住職よりお聞きいたしました。これで新たな目標ができました。

私たち安明寺支部は、この御指南をなんとしてでも達成していくべく、加藤昭夫講頭を中心にがんばってまいります。

* Inputted by Hiromi Orimoto, Tmp. Houn-ji. (10/09)


○講中一丸の唱題・折伏で2000世帯へ向って 大阪府枚方市経王寺支部

我が支部は、「革進の年」を迎えて、「一に一切が含まれ、一切が一に顕れてくる」との御法主上人猊下の御指南を、役員自らが体験すべく平成8年1月から今年にいたるまで実践していることがあります。それは毎週日曜日に午前10時から午後5時までの8時間、役員を4班に分け、交代制で連続唱題をする支部唱題会を行ってきたことです。そして、毎月25日には折伏推進会を設け、各地区長はその月の折伏活動状況を発表し、来月の折伏に対する推進状況を確認し合って進めてきました。

経王寺のある地域の特徴は、大阪の都心より20キロ程北へ離れた、古都京都と商都大阪の中間に位置する丘陵地に広がる新興住宅地です。高級住宅も数多くありますが、有数のマンモス団地も多数あります。したがって、創価学会員の数も多く、中には住民の6割が学会員という団地もあります。さらに、創価学園が枚方市と交野市にあり、創価学会の関西本部とまで言われる地域です。抵抗もすさまじいものがあり、脱会者への嫌がらせは想像を絶するほど陰湿で反社会的です。そのような状況の中で『大白法』の号外の配布を行ってきました。最初の号外の配布は、学会員との攻防戦といった感じで、配布のたびにどこから情報が入るのか、すぐに妨害に来て行く手を阻まれました。支部のみんなの力を借りて一斉に配布してみると配布はできるようになりましたが、ほとんどが回収されて、まとめてお寺へ送り返してくることの繰り返しでした。しかし、ここまで必死になって妨害するのはそれだけの効果があるということに気付き、郵便で送付することにしました。これは効果があったようで、その後、お寺へ尋ねてくる学会員が増えてきました。

これまでの入信してくる形はいろいろです。平成3年の創価学会問題が起きる以前から来寺していた人が、昨年の宗門の処置により脱会するケース、法華講員が親類・知人の学会員を折伏、葬儀を縁としての脱会、寺院参詣時に謗法の供養は受け付けられないことを話し折伏して入講した人、学会員以外の折伏等があります。どこの支部でも行われているような折伏です。方法はいろいろありますが、基本は御法主上人猊下の御指南を役員が中心になって、講中のみんなが唱題を重ね、あらゆる機会を通じて、折伏をすることに一念心を燃やし、がんばり続けたことが3年連続で支部の誓願目標を達成した第一の要因と確信しています。特に大きな成果の例を挙げれば、正月、御彼岸等、寺院行事に参詣してくる学会員に必ず声をかけ、信徒資格を失ったことと、学会の謗法の姿を時間をかけて話し、入信するケースです。この場合、大半は即座に決意しますが、決意できない場合は、講員が訪問して話します。去年から今年へかけて最も多い折伏の結果です。これも、講中が一丸となって唱題し、団結して号外の配布に智慧をしぼり、実践し続けた結果であると思います。

現在までの結果を見て思うことは、創価学会の大部分の人は真実を知らされていないということです。学会活動に参加している人はマインドコントロールされています。少しずつではありますが、自分の周囲や生活上に頻繁に起こっている悲惨な事件を見て、創価学会の異常さに気が付き始めている人も多いようです。しかし、脱会しても日蓮正宗のお寺に所属するわけでもなく、我見に陥っている人がかなりの数に上っています。それは組織への嫌悪感が先立っていることと、法義の間違いに気付かず、創価学会にいて功徳をいただいてきたという執着です。しかし、根気強く、創価学会の誤りを説き、正しい信仰の在り方を説くことで、心を改め入信してくる人も多いようです。

折伏は日蓮正宗の宗旨です。であれば常に続けていくものでなければなりません。それは、一人でも多くの講員が、日蓮正宗の信心をして本当に良かったと報恩感謝できる信心を身につけていくことであると確信しています。折伏は、仏様への報恩の心が起こさせる行為であることを、支部の折伏の根本精神としてまいりたいと決意しています。平成14年の30万総登山まで後3年半。2000所帯を目標に御住職・堀寿妙御尊師の御指導のもと御法主上人猊下の御命題にお応えすべく、講中団結して前進してまいります。(講頭 米丸 和昭)

* Inputted by Yutaro Wakayama , Tmp. Shorin-ji. (10/03)


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