大白法

平成10年10月16日号


主な記事

<1面>

<2面>御法主上人猊下御言葉

<3〜5・8面>

<6・7面>信心篤き地涌の友(体験発表)


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創価学会に司法の鉄槌(要約)

徳島地裁・広島高裁岡山支部・山口地裁岩国支部


  1. 遺骨を無断で処分・紛失されたとして、創価学会員4名が損害賠償を求めて弘法寺を訴えていた、通称『骨壷スリカエ事件』の判決が9月25日、山口地方裁判所岩国支部で言い渡された。判決は学会員の賠償請求を棄却するもので、寺院側の全面勝利である。

    田中裁判官は判決文の中で、原告の供述は不明確であり、不合理な点が存在すると指摘した上で、さらに「いずれも昭和40年代の記憶であるということを考慮すれば、にわかに信用出来ない」として、学会員の訴えを斥けた。この事件は聖教新聞に大々的に報道され、寺院攻撃材料にされていた。



  2. 墓地埋葬法の許可を受けずに納骨業務を行っていたとして、創価学会員20人が妙霑寺を訴えていた事件、9月29日、広島高等裁判所岡山支部で判決が下った。判決は創価学会員らの請求を棄却するもので、地裁に引き続き寺院側の全面勝訴である。

    妹尾裁判長は判決文の中で、妙霑寺の納骨堂経営は、国民の宗教感情や公衆衛生その他公共の福祉に何ら反するようなものではなかったと認定した上で、「日蓮正宗と創価学会の対立状況及び控訴人らが創価学会に所属していることに照らすと、右各種証拠をにわかに採用することはできない」として、学会員らの訴えを斥けた。一連の墓埋法訴訟は、これまですべてのケースで宗門側が勝訴している。



  3. 創価学会副会長・平井武夫および、その指示に基づいて敬台寺日比野住職の保管する宗門内部情報を不法に通報していた離脱僧(学会僧)・宮川雄法に対して、9月29日、徳島地方裁判所は、住職の訴えを認め、平井・宮川の両名に対してそれぞれ80万円の損害賠償を命じた。

    判決は離脱僧・宮川の行為に対して、「情報入手の方法として、信書の開披、原告日比野の寝室への侵入等違法な手段を使っていた」と違法性を認定した上で、「被告平井もこれを了知していたことは明らか」として、現職の学会副会長・平井の関与を認め、両名に賠償金の支払いを命じた。

    ※ところで、宮川らが日比野住職等を訴えていた事件では、逆に住職側に賠償金の支払いを命じる判決が下っており、この事件は引き続き控訴審で争われる。



◇御法主上人猊下御言葉 全国教師指導会の砌

宗務院の企画により、特別に時間を割いて全国教師指導会が執り行われる次第であります。過般、私が平成6年の六万総登山の時の言葉のなかで「平成14年、宗旨建立750年において30万総登山を行う」という提案を申し上げました。それについて、宗務院の総監以下の要路の方々が非常に大きな責任感をもって遂行を志してこられ、本日はまた、このような全国教師指導会が開催されたものと思うのであります。

宗門の本来の在り方が、御本仏大聖人様の大仏法を正しく広宣流布していくことであるということは、我々宗内の僧俗が共によく理解をしておるところであります。しかし、この大命題を、つまり必ず広宣流布していかなければならないのであるということを、よりしっかりと、切実に肝(はら)にいれておる方と、その入れ方がやや浅い、あるいはゆるいというような人との差違が、宗内においても存するように思うのであります。しかし、宗祖大聖人様の仏法を正しく伝えてきておるのは日蓮正宗のみである。その日蓮正宗以外に、大聖人様の仏法を真に広宣流布し、一切衆生を真に救っていくところの仏法、宗教は絶対にないのである。我々はそこを改めてよく考えたいと思います。

さらに、今日に至る経過において、実に不思議な現証が次から次へと起こってきておるということを、私はしみじみと感ずるのであります。ある時期に創価学会が出来てきたのも、一つの不思議な現証なのです。また、それに対して、その謗法を様々な角度から誡めた僧侶の立場、信徒の立場、あるいは様々な意味の今日までの経過のなかで、学会を破門し、そして純粋なる仏法の護持を計るとともに、さらにその立場からの広布への前進を行ってきた宗門の姿も、実に不思議な現証だと思うのであります。まして平成6年の30万総登山の提案の時には、平成6年から14年までの8年間においては、宗門として特に挙げるべき行事予定はなかったのであります。それが不思議なことに、阪神の大震災という大惨事が、あの地域における『ニセ本尊』の徹底した配布という大謗法の形と裏合わせになって、まさしくその大謗法の現証とも思われる姿が起こりました。そして、そのようななかから、あのコンクリート造りの大客殿を造り替えるという必要性が、はっきりと出てまいりました。その成果が本年度の10万総登山となってきたのであります。こういう流れをずっと考えてみると、私は実に不思議でしょうがないのであります。

これは一にかかって、700年来の大命題である大聖人様の大仏法を、確実に堂々と、より大きく弘めていく時が、今まさに来ておるということを私は感じておるものであります。その上から、先程も言いましたが、私自身、30万総登山は8年後に行うことと思っていたわけである。あとはなんの理由もありません。ただ30万総登山をなんとか信徒の方々と我々が、僧俗共に御本仏様に御報恩申し上げる、その形をどこまでも心掛けていくことによって、正法の護持興隆、広布への大前進が必ず計られるとの確信はありました。 今日、私のその提案に対して、宗務院の方々、要路の方々が本当に心を砕いて、真剣にこの問題に取り組んでいこうとされておる姿を、私は実に有り難く思うものであります。しかし、要路の方々ばかりでなく、是非ひとつ、ここにおいでになる皆様方、住職・教師の方々一人ひとりが、その覚悟になっていただきたいということを申し述べるものであります。

先程も色々な話がありました。ある大支院長からは、家庭訪問ということが非常に大事で、これをしっかりやっていきたいという話もありました。これは私が前から言っておることでもあります。ここにおいでになる方々で、いやしくも20世帯、30世帯、50世帯、100世帯の檀信徒がいらっしゃる寺院の住職は、まず100世帯以内であるならば、檀信徒一人ひとりについて、どういう名前で、なんという住所で、その家庭の内容はどのような状態になっていて、仏壇はどういう形で、家族はどういう構成であるか、信心はどういう姿であるか、それぐらいのことを全部、知っていなければならないと思います。それが200世帯、300世帯になれば、色々な忙しさも出てくるでしょうけれども、今日、30世帯ぐらいの寺院でも、それをやっていない住職がおります。「さあ、この人はどんな所に住んでいるのか知りません」などという意識でいるならば、本当に情けないことであります。

それから、意識改革ということも、ある大支院長が言っておられました。これも大事なことだと思います。意識をしっかりと改革し、さらにまた、身体でしっかりと行っていく。住職が身体で示して信徒と共に一体となることが、信徒を導くことであるということを体験の上から述べられておりました。

皆それぞれ、非常に尊い考え方だと思います。どれ一つとしていい加減なことではなく、大切なことだと思います。ただ私の立場から考えますときに、身口意の三業ということが仏法においても常に説かれておりますが、すべては身口意の三業だと思うのであります。悪いことをして刑務所に入ったり、様々な地獄、餓鬼、畜生のような生活に落ち込むのも、身口意の三業が原因なのです。また、人を導いていくことも、立派な人格となって多くの人々を救っていくことも身口意の三業で行っていくのであります。そのなかで、特に大聖人様が「異体同心」ということを仰せであります。すなわち、身体は異なっておっても、心は一つであるということであります。

ところが宗門の僧侶は、まだ完全には一つの心になっていないのではないでしょうか。私はそういう形があるのではないかと思うのです。その心が一つになるための形を一言、述べましょう。是非これを行ってもらいたいと思います。もっとも、このことは既に行っている人が多いとも思います。「そんなことなら私は言われなくても」という人もかなり多いと思いますが、敢(あ)えて申し上げますと、それは朝晩、特に朝の勤行の広宣流布の御祈念の時に「来たるべき宗旨建立750年に当たり、30万総登山を名実ともに必ず成就なさしめ給え」という御祈念を、本当に気持ちの底から真剣に願っていってもらいたいということであります。

この御祈念を行っている人は多いと思います。しかし、ここにお集まりになっている一人ひとりの方が、その御祈念を必ず真剣にするところに、おのずと心が統一されてくるのであります。すなわち、異体同心の本当の元がそこから顕れてくると思うのです。今まで漠然とした広布に関する御祈念をしていたかも知れないけれども、具体的に「来たるべき宗旨建立750年に当たり、30万総登山を名実ともに必ず成就なさしめ給え」という御祈念こそ、大切だと思います。「あとはだれかがやっていくのだろうから、そのうちにだんだんと態勢が整っていくだろう。できなければできないでしょうがないのだ」などという、その程度の意識ではあまりにも時の自覚がないと思います。しかしそうではなく、「自分がやるのだ」という心をもって、自分のこととしてこのことを真剣に御本尊様に御祈念していただきたいのです。そうすることにより、本当の意味の異体同心として、はっきりと根本的な統一の姿が出てくると思うのであります。先程の総監の話にもありましたが、今度はその御祈念を通じて、具体的な形として、毎日毎日のなかで住職が何を行っていったらいいのかということが、おのずとはっきり示されてくると思います。

一人ひとりの方が、自然に正しく願うところに「あれもしなければならない、これもしなければならない」ということが必ず心のなかに浮かび、判ってくると思います。そこには先程の家庭訪問ということも大切になってくるでしょう。とにかく、30世帯、50世帯までのところで「あそこのうちは知らない、そこのうちも知らない」などということが、まだ残っている住職・指導教師は、これは怠慢の至りだと、はっきり言っておきます。この御祈念をしっかりしておれば、「あそこも行かなければならない、これもしなければならない」と、人から言われなくても、それぞれの立場において、おのずとやるべきことが出てくると思うのであります。是非ひとつ、異体同心の元が、今現在の命題となっておる、大聖人様から命ぜられた30万総登山であるということを、しっかり考えていただきたい。「今の猊下が6万総登山の時に言い出したことだ」と思うから駄目なのです。そう思うから真剣な覚悟ができないのです。これは御本仏大聖人様の御命(ぎょめい)であります。そこをひとつ、しっかりと肝(はら)に入れて、「祈りとして叶わざるなし」(日寛上人分段集 443ページ)という、その御祈念を根本に行っていってもらいたいと思います。

身体での行動も大事、口でしゃべることも大事、色々と大切なことがありますが、その元は心なのであります。身は従で、心が主です。その元は信心、つまり広宣流布への信心と前進の気持ちであり、実現のための祈念であります。本当にこの祈りさえしっかりしておれば、創価学会の者どもによるところの、どれだけの誹謗があろうとも、どれだけの妨害があろうとも、そんなものは鎧袖一触(がいしゅういっしょく)のはずなのです。こちらが本当の気持ちにおいてしっかりしておれば、そのような形においても必ず格段の相違が出てくるのであります。まして、教義が違うのですから当然です。創価学会の狂った、理を非に曲げてあらゆる悪口雑言(ぞうごん)をしておるような、実に汚く狂った姿と我々とは、全く境界は違うはずなのです。

あとは本当の信をもって御祈念申し上げるところから出発するということを、ひとこと申し上げて、私の話に代える次第であります。

………(題目三唱後、再度、お言葉を賜る)

先程からここに座っていて、歌が一つ出来ました。手元に書いてありまして、今の話のなかで言うつもりだったのですが、話をしていて忘れてしまいましたので申し上げます。

 「広布への 道に向かいて 常に述べ 常に思いて 友よ進まん」

常に祈念をなすところ、広布への道に正対して、そこから言葉が出てくる。また、そのことを思っていく。それを常に思いつつ、着実に、堂々と進んでいこうではないか、ということであります。これは先程の祈念のことにも通じていると思う次第であります。

# Inputted by Yutaro Wakayama , Tmp. Shorin-ji.


◇海外リポート スイスに法華講の芽生え

皆様も御存知のアルプスと湖の小さな国スイスから活動報告をさせていただきます。スイスは日本の九州ほどの狭い国土に、ドイツ語・フランス語・イタリア語・ロマンシュ語の4ヶ国語が使用される多民族国家で、外国人も多く住んでおります。宗教はカトリックとプロテスタントが半々で、全国民の90%以上を占めています。スイス人気質を一言で言いますと、石橋を叩いて安全と判っても引き返す慎重さ、そして勤勉であり、正直です。車で10分も走ると全く違った景色が現れ、違った人種に違った言葉、違ったお天気というと少し誇張が過ぎますが、全体としてうまく調和がとれ、200年以上もの平和が保たれています。

こんな中で信心をする私たちスイスグループも、色々な国籍のメンバーからなりますが、年令や国籍に関係なく家族のような親しみのあるグループです。私たちは創価学会問題が起きたときには、まず各々が毅然たる態度をもって脱会しました。その後、各自が連絡を取り合い、自然に現在のグループが出来上がりました。全員で18人という小人数ですが、一人ひとりの信心は純真そのものです。皆仕事と家庭を持ち、全体をまとめることに大変苦労がありましたが、当初から宗務院海外部との連絡役になっていただいているアーノルド・ミチコさんと共に、過日退職されたチューリッヒのマリーサ・ワルターさんが、全体をまとめる役を引き受けてくださり、さしずめスイスのお母さんといったところです。

さて、会合は月に1回ずつチューリッヒとベルンで開いております。はじめに勤行を行いますが、その時に全員が中心者を勤められるように、導師は交代で行っています。勤行の後は、御講の御法話の勉強や、海外信徒の機関紙である『真要』『日蓮正宗ニュース』の記事の読み合わせなどを行います。また、私は『大日蓮』・『大白法』を参考に、1つのテーマを用意して皆で学び合います。その後、家庭的な雰囲気の中、持ち合ったケーキ等でコーヒータイムになります。このときのほうが、かえってリラックスするためか、信心の核心に触れる会話に花が咲いて、帰る時間を忘れるほど、いつも名残り惜しんで会場を後にします。過日、私たちの地道な活動を聞きつけて会合に参加してきた若い女性がおりましたが、彼女は2年もの間、正しい信仰を求めて1人で信心を続けてきたそうです。私は彼女の見事な勤行と、その信心姿勢に接し、感動しました。

また、日本から年に2回、宗務院海外部の石田演道御尊師に出張していただいて、直接御指導を受けられるようになってからは、皆が一同にその時を心待ちにしております。今は、まだほんの小さなグループですが、本門戒壇の大御本尊様への正しい信心の道筋を違(たが)えることなく、1歩1歩しっかりと正しい仏法の道を歩んで行きたいと思います。


思えば脱会する前は、SGIによって次々に打ち出される指導が、矛盾していようが、それが180度方針が変わって正邪が入れ替わろうが、とにかく学会についていくのが信心だと言われ、自分を欺(あざむ)き、また指導と称して他をも欺き、己に正直な信心からはかけ離れたものとなっておりました。また、学会によって巧妙に仕組まれた悪宣伝に翻弄(ほんろう)されながらも、遠い日本よりの正しい情報を求めようと必死の毎日でした。それに比べ、総本山に連なることのできた今の安心感、絶対感は他にたとえようもありません。こうして正直に素直に生きることの幸せを得て、本当に泥沼から這(は)い出た気持ちです。本門戒壇の大御本尊様のもと、御法主日顕上人猊下の御指南を仰ぎ、正法を実践することの何と素晴らしいことでしょうか。

さて、このたびの第2回海外信徒総登山が、32ヶ国の参加を得て大成功のもとに終えたというニュースが届きました。平成6年の第1回海外信徒総登山のときに比べ、ヨーロッパからは新たに北欧のノルウェー・スウェーデンなどが加わり、計10ヶ国のメンバーが参加し、総本山での諸行事をはじめ、宿坊での交流を通して大変有意義な時を過ごすことができ、一同大歓喜の中、各国へ無事帰国したとのことです。

またスイスでは6月末、ベルン近郊のメンバーで当初から活躍されてきたロッティさんが亡くなられたという知らせが入り、彼女の追善のため各自が唱題をしておりました。そういう中、総登山期間中の8月22日、御法主日顕上人猊下より満山供養で海外信徒物故者一同の御回向を賜り、参加の海外メンバー全員が御焼香をさせていただいたということをお聞きし、大変有り難く思っております。ロッティさんも、さぞかし霊山から笑顔で私たちを見守ってくれていることでしょう。


スイスのメンバーの大半が私を含めてドイツ語圏に住んでいる中で、先日、フランスのメンバーによる折伏で、ジュネーブに住む2人の方が入信しました。スイス全体の広布と発展を考えるとき、ジュネーブをはじめとするフランス語圏のメンバーと、旧来からのドイツ語圏のメンバーとの連携をはかり、折伏を進めていくことが重要であり、これからの相互の交流活動を楽しみにしております。

また、今後、スイスが2002年の立宗750年の大慶事に向かっての素晴らしい出発をなし、全ヨーロッパの地理的中心地としての役割を果たしていけるよう願っております。そして、その時を目指して皆の新しい決意のもと大きく飛躍し、全員が揃って総本山へ参詣できるように大前進を開始いたします。(スイス信徒 ドゥバハ・アキエ)

# Inputted by Yutaro Wakayama , Tmp. Shorin-ji.


信心篤き地涌の友 (体験発表)


◇寝たきりの父と共に報恩感謝の日々 本修寺支部 松本生久美

皆さん、おはようございます。今日は、父の介護を通じて得た折伏の悦びを、一生懸命、お話させていただきたいと思います。

私の家は、平成3年5月に創価学会を家族6人揃って脱会し、法華講に入講いたしました。そして家族揃っての御登山が叶うようになりましたが、入講して3年目、転機が訪れました。平成6年3月20日、父が家で脳内出血を起こし、救急救命センターへ入院しました。一命を取り止めましたが、医師より「一生寝たきり」と言われました。心臓が弱く10数年前から何度も発作を起こしていた母は、ショックと看病疲れから入院し、7月23日の早朝、亡くなりました。どんなにつらい状況の時も、馬鹿がつくほど素直で正直な、入院中も安心立命として折伏を欠かさず、真っ直ぐな信心を貫き通した母の臨終の顔は半眼半口で、まさに御書の通りに、色は白く、体も柔かく、若返り、帰宅した時には、御本尊様の元に帰れたうれしさから、いつの間にか笑顔になっていたのです。地涌六万大総会に行く承諾を病院からもらい、出発直前に亡くなったにもかかわらず、母の臨終の相は本当に晴れやかでした。母の死後、従兄妹や伯父、伯母たちが次々と学会葬で送られることに出会い、私は亡くなった方と対面すること等がありましたが、この母の臨終の姿は、日蓮正宗の正しさ、女人成仏の功徳を教えてくださるものでした。そしてまた母の臨終は、父への介護のきっかけになりました。

私の父は、正直に申し上げるならば家庭を顧みず、その鬼畜のような振る舞いに、何度「父を殺して私も死のう」と思ったか判らないほどひどい人間でした。入講して父が変わり折伏するようになっても、私は素直な心からの信心ができませんでした。救急車を呼ぶ前など、一瞬「あんな家庭を苦しめ続けた父など、死んでしまえばいい」とさえ思いました。しかし、母は亡くなる前に「愛するお父ちゃんへ」という手紙を残し、御題目で結ばれた夫婦の不思議を教えてくれました。そして私は否応なしに、実家の役割りと、お母さん代わり、病院・役所の手続き等、父の世話一切を引き受けることになり、素直に信心できなかった罰で、筆舌に尽くし難いつらい3年間を過ごすことになりました。『妙心尼御前御返事』の「病によりて道心はおこり候か」(御書900ページ)の御金言のごとく、父が変わっていく姿を見て、父を本当に許し、学会の魔の手から守ってくれた父に感謝の念と、「行いの悪かった父に何としても、御本尊様のもとで御題目を唱えて罪障消滅し、母のように成仏してもらいたい」と慈悲の心が起こるようになりました。人の振る舞いばかり見て、家族で一番信心をしなかった私が、やっと御本尊様の前に少しずつ座れるようになりました。これを縁として、「絶対に信心を辞めさせる」と言っていた婚約者を折伏することができ、さらに父を許せなかった彼も、入信したことにより、今では私と同じように「お寺へ行けるのも、お父さんのおかげですよ」と父に告げ、感謝の気持ちで、兄妹よりも一生懸命、尽くしてくれるようになるという功徳を戴きました。

たった一人で介護することに不安もありましたけれど、「父にどうしても家で御題目を唱えてもらいたい」との一念で、「20代で結婚前のあなたに介護なんて無理」との周囲の反対を押し切りアパートの1階へ引越し、住宅改造もしました。リハビリをしてくれる病院を探し、3年半のリハビリを経て、平成9年10月1日、右半身麻痺に気管切開をし、言葉と目の障害に、ミキサー食に車イスと、たくさんの障害を抱えた父との在宅生活が始まりました。大変ながらも、念願叶って御会式等の寺院参詣、支部総登山に初登山と、父にとっては4年振りに2度の登山も叶い、うれしくて涙が止まりませんでした。座っているだけでリハビリになる父が、5時間・6時間と車イスで毎日唱題に励むのです。大日蓮や、大白法も真剣に読んであげられます。私は本当に幸せでした。

ところが在宅して4ヶ月後、脳梗塞というたくさんの爆弾を抱えていた父は、節分会から帰宅後、再び脳内出血により入院しました。御秘符を戴き命は助かったものの、ある程度自立していた前とは違い完全な寝たきり状態となりました。意識がはっきりしているのは救いでしたが、体はほとんど動かず、水さえ飲めなくなり、話しをするとき口に装着する補装具も使えず、片言のおしゃべりはおろか御題目さえ唱えられなくなりました。再発は覚悟していたつもりでしたが、こんなに早いとは思わず、それまでのつらかったことが次々と胸に押し寄せ、父が居たときのように打ち込めず、信心が疎かになってしまい、私は悲しみに暮れていました。そこへ、4月に従弟に当たる御僧侶より、三世の大願と言われる補任式にお招きいただき、参加させていただくことになりました。この御報恩には折伏しかないと奮気し御祈念していると、その御登山前に不思議と突然、私の以前の家と同じように、家庭を顧みない御主人に悩んでいるSさんが現れたので下種することができました。また、母の葬儀で6万総登山には行けなかった私も、10万総登山には婚約者と無事に御登山できました。

そのころ父は、もう在宅介護は無理だと言われ、同じ法華講で親代わりをしてくれている、埼玉の叔母は私をとても心配してくれていました。そこで彼とも話し合い、来年の結婚を決め、病院を探してもらっていましたが、なかなか見つかりません。私は「お父ちゃんの分もがんばる」と父に告げて夏期講習会に真剣に臨み、丑寅勤行の折に「広宣流布のお役に立てる人間に成長させてください。どうかSさんを、折伏させてください」と、これまでになく強く祈り、父に良い病院が見つかるよう御祈念しました。下山した次の日のこと、父の在宅介護を諦めきれない私のもとに、在宅介護支援センターより、協力するとの朗報が入りました。1週間後、往診・訪問看護・訪問歯科・リハビリ指導と、以前と同じサポート内容で、大聖人様が『立正安国論』を奏進あそばされた7月16日に、父はまた我が家の御本尊様のもとに帰ってくることができたのです。交替する人もなく、今度は24時間体制で老犬性痴呆となった愛犬と、胃に管を通し、床ずれもある、寝たきりの父と二重の介護で、睡眠も短く、布団で眠れない厳しい状況でしたが、父と信心できる悦びがありました。このような中、お寺の御本尊様へ渇仰恋慕の心が生まれ、お寺の御本尊様に「介護で家をあけられません。お寺の朝の勤行に来るのがやっとです。どうか御報恩のためにSさんを折伏させてください」と願っていると、父が帰宅して2日目の夜、彼女は悩みを抱え、2人の子供を連れて家に来てくれたのです。「折伏をしたい」と願う父の前でこれまでの私の家のこと、本当に幸せになれることを一生懸命話しました。そのとき、父の折伏への願いは叶えられました。父は声は出ないながらも、一心に御題目を唱えながら、その姿をもって「無言の折伏」をしたのです。次の日、お寺の奥様にも折伏していただき、講中の方が温かく尽力してくださり、不思議なことに、彼女と2人の子供は7月23日、私の母の祥月命日忌に御授戒を受け、御本尊様を下付していただき入信することができました。

彼と、お寺へ行けなくなった父にとって初めてのお盆行に、お寺よりお所化さんが御足労くださいました。先祖供養をしていただき、温かい励ましと御法話をいただくこともでき、父は涙を流して喜んでいました。このとき、彼が私と一緒に、生まれて初めて仏壇と仏間の掃除をしてくれました。その姿を見て、法統相続できた喜びで父は本当にうれしそうでした。そして8月31日、菌が出たため再度入院。潰瘍が破裂し、危険な状態でしたが御秘符を戴き小康を得ました。今、父は心の中で一生懸命、また御本尊様のもとへ帰りたいと、唱題しながら病と闘っています。9月3日、長年の夢が叶い、以前御授戒だけ受けていた彼も、悦びをもって御本尊様を御安置することができました。そして、「また折伏させてください」と祈っていると、9月5日、父が昔折伏した、父の弟にあたる叔父から20年振りに「会社が倒産したので助けて欲しい」との連絡が入りました。聞くとまだ学会に籍があるというので、兄妹で協力して折伏しました。叔父は次の日の朝、勧誡を受け、兄たちが主体となり育成に励んでいます。

相手の幸せを心から願い、強い一念をもって願っていくならば、御本尊様は折伏を必ず叶えてくださるということを教えていただきました。妹夫婦は赤ちゃんを連れて毎日、朝・晩お寺の勤行に行きます。週末になれば兄夫婦も赤ちゃんを連れ参詣します。お山で、お寺で兄妹や、叔父や、叔母一家に会え、共に折伏にがんばり祈り合える幸せをかみしめています。そして、いつも「謙虚に明るく御題目を唱えなさい」と温かく迎えて指導してくださる御住職様と奥様と、責任感に溢れる3人のお所化さん。ちっとも偉ぶるところがない講頭さん・区長さん・班長さん、折伏を皆、自分のことのように「良かったね」と喜び合える講中。菩提寺に縁することにより、あんなに真っ暗だった家が、こんなに明るく幸せになれました。あの苦しさの中で唱題する父には本当に励まされます。寺院参詣・御登山が叶い、折伏に歩ける五体満足の私たちは、折伏に動けない訳がありません。今では、法統相続してくれた両親と、親代わりの叔母に感謝しない日は1日もありません。これからも、平成14年・30万総登山目指し、折伏・育成・未来の法統相続・一家和楽の信心ができるよう、がんばってまいります。

# Inputted by Yutaro Wakayama , Tmp. Shorin-ji.



◇学会幹部の迫害を払い除け友人が脱会 仏心寺支部 塩畑かおる

みなさん、おはようございます。この総本山において体験発表させていただけることに、身の福運を感じております。私は、昭和47年に生まれ、その一ヶ月後、横浜市鶴見の妙寿寺様で御授戒を受けました。家族全員が創価学会に入会し、池田を先生と呼び、広宣流布に向かっての闘いと信じて学会活動に励んでおりました。ところが、今回五十二年路線のときと同じ問題が起きたため、平成3年、家族揃って脱会し法華講に入講いたしました。支部では現在、副女子部長をさせていただき、毎週の唱題会、家庭訪問等、支部活動に励んでおります。また、身の供養をさせていただきたいと、3年前より整理班として任務をしております。そんな中、今回の折伏を成就させていただくことになりました。

私の家は飲食店を経営しているため、仲の良い友人が5人から多いときは8人くらいで食事に来てくれており、その中に中学の同級生だった野口信一さんがおりました。野口さんの家が創価学会ということは知っていたのですが、この関係が崩れてしまうことを恐れ、敢えて信心の話しにはふれませんでした。しかし、昨年の11月、母より「この仏法は慈悲の仏法なのだから、大切な友人ならなおさら、信徒資格がなくなる前にきちんと話しをし折伏するべきでしょう」と言われました。『御講聞書』の中の、「日蓮が弟子臆病にては叶うべからざる事」(御書 1855ページ)との御金言を拝し、自分の慈悲のなさを深く反省し、野口さんが学会の大謗法に気付き一日も早く脱会し、共に信心していけるよう真剣に唱題をいたしました。

私は野口さんに学会は破門されて日蓮正宗の信徒ではなくなってしまうこと、学会の誤り等々の話しをしたところ、野口さんは、この問題が起きてから学会は変わってしまって『聖教新聞』では連日宗門の悪口ばかりが目につき、同時放送でも「追撃の手をゆるめるな」とか「息の根を止めるまで戦う」とかおよそ平和・文化・教育の団体とは思えず、学会に嫌気がさしていたとのことで、母と私の話を真剣に聞いてくれました。しかし野口さんは、学会がおかしいと思いながらも、お母さんが強盛な学会員のため、なかなか脱会するまでには至りませんでした。この時知ったのですが、野口さんは子供のころ勤行を一日も欠かさずしてきた方だということ、また野口さんは母親から、私の家が脱会していたため、店に食べに来ることや電話で話すことさえ反対されていたそうです。そういう事情がありながらも、ずっと変わらない友人関係でいてくれた野口さんを、なんとしても救いたいという思いから、今年の3月より家族全員で朝詣りをさせていただいております。

仏心寺にて勤行、唱題し、御住職・白井浄道御尊師に御指導をいただきながら野口さんに信心の話しをし続け、母や姉からも学会が間違っていること、このままでは罪障を積んでいくばかりであること等々話してもらいました。本当に家族一丸となっての折伏でした。そして野口さん自身も渡した新聞や本は必ず読んでくれ、だんだんと話しにも理解を示すようになり、お母さんや学会の人に、脱会して自分の目で確かめたいとまで言うようになりました。しかし、案の上、学会幹部・婦人部・青年部が毎日、時には5・6人で野口さんの家で待ち受けていました。絶対に脱会させまいと、部屋の真ん中に野口さんを座らせ、机をバンバン叩きながら大声をあげ、泣きながら怒る壮年幹部と周りで一緒に泣いてうなずく学会員たちや、「野口家から学会を取ったら何も残らないんだよ」と言い切る学会青年部長等、「地獄に堕ちるぞ」「罰をうけるぞ」と毎夜遅くまで怒鳴られ、泣かれ、脅かされ、かえって野口さんは脱会届を出す決意をしました。

しかし、野口さんのお母さんが息子を心配するあまり寝込んでしまったことで悩み「今は脱会できない、待ってほしい」と言いました。私は祈りとして叶わざるはなしの御本尊がいらっしゃる、絶対に折伏させていただくんだと必死の題目を唱えました。 そして5月13日の御講の日、一緒に早目にお寺へ行き、婦人部長や私の母に、「お母さんの体を心配して脱会できないのなら、いつまでたってもお母さんを救うことはできない。まず自分が脱会して正しい信心をしていくことが、何よりの親孝行なのだ」と話しをしてもらいました。野口さんの気持ちは固まり、晴れて勧戒式を受けることができました。

その夜、私の家で野口さんのお母さんを、野口さんと母と私で折伏しました。少しでも正しい信心のことを判っていただきたいと話しをしている最中、学会の婦人部が突然押し掛けて来ました。夜の10時過ぎにもかかわらず大声で騒ぎ、収まりがつかない状態になり、話しの途中でしたが、野口さんのお母さんは婦人部に連れていかれました。野口さんは、「塩畑さんの家に迷惑をかけてしまい申し訳ない。昔から知っている婦人部のおばさんがあんなに変わってしまうなんて、邪宗の害毒は恐ろしい。非常識にもほどがある」と言っており、私は御本尊様の御計らいで、このような学会の姿を見せていただけたのだと思いました


勧戒式を受けたその日から、野口さんは今まで続いていた頭痛もその日を境にピタッと治ったそうです。そして翌朝より毎日、一日も欠かさず、仕事に行く前にお寺に寄って唱題させていただくようになりました。仕事の面でも、四月より変わった職場での環境が整い、さらに昇給もあったそうです。野口さんから「折伏してくれて本当にありがとう」と言われて、とてもうれしく勇気が湧く思いでした。

家族の反対が激しい中、つらかったことと思いますが、6月2日、野口さんは私たちと一緒に総本山へ御登山することができました。御法主日顕上人猊下の大導師のもと、御開扉を受けさせていただきました。野口さんにとって、10年ぶりの登山でした。そして、学会が言っていることが全く事実と違うことを確信したそうです。また、御開扉において御法主上人猊下の御供をさせていただけたことに、とても感動しておりました。いろいろなことがありましたが、野口さんと一緒に信心できたことがとてもうれしく、本当に幸せなことだと感じました。

『可責謗法滅罪抄』に、「湿れる木より火を出だし、乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」(御書 718ページ)とあります。現在では、野口さんと二人で時間を合わせて唱題し、中学時代の同級生の所へ、共に折伏に出かけております。また、野口さん自身、職場にいる学会員に本を渡したり話しをしたりと、この日蓮正宗は知れば知るほどすごい仏法だと、信心に励んでおります。

いつでも御住職様や法華講の方々、家族に支えられながら信心させていただき、感謝の思いでいっぱいです。平成十四年・三十万総登山の達成に向けて、できる限りの折伏をさせていただくことをお誓い申し上げ、私の体験発表とさせていただきます。

# Inputted by Hiromi Orimoto, Tmp. Houn-ji.


◇平成14年には皆で御登山を、将来の夫が入信 久遠寺支部 関野悦子

皆さん、おはようございます。今の私自身に至るまで御本尊様から戴いた功徳はたくさんありますが、本日は特に堀口儀彦さんを折伏させていただいたことを主に話させていただきます。

私が生まれた時には、既に両親また親戚のほとんどが日蓮正宗の信心をしておりました。そのため、特に父からは、小さなころから朝夕の勤行、毎月1度の御報恩御講参詣、年に3回の総登山会のことは厳しく言われておりました。そのころは、なぜこれらのことを厳しく言われるのかよく判りませんでしたが、これらのことに関してだけは父に逆らえない迫力のようなものがあり、今思えば父の一念の強さだったのだと思います。このような言われるからやるといった信心の状態が高校3年生の時まで続きました。しかし、浪人したころから自分の宿業というものを考えざるを得ない状況になり、それをきっかけに、両親にさせられる信心から、自分から御本尊様を求めていく信心へと変わっていきました。

そして大学へ進学し、成人式を迎えた平成3年から、久遠寺支部の女子部長、また整理班の任務をさせていただくようになり、それを境に、自分の生活は自分のためだけにあるのではないと強く思い、それまでの生活を改め、信心根本の生活に変えるよう努力しました。先輩に助けていただきながら女子部の方たちと共に唱題会、家庭訪問、折伏育成などを通していろいろと学ばせていただきました。そして、それまで自分のことしか考えていなかった私が女子部、特に自分よりも年下の部員のことがいつも心配になり、皆が少しでもお寺に参詣できるようにと強く思うようになりました。

平成6年「地涌六万の年」は、5月末から7月20日まで、仕事が終わってから毎日富士会館に通わせていただき、また総会の3日前から着山し、整理班として地涌六万大総会の運営のお手伝いをさせていただきました。精神的にも体力的にもかなりきついものがありましたが、その日々の中で一緒にお手伝いに来ている方たちの振る舞いに接し、自分の信行の甘さを反省し改めるきっかけになりました。そのように迎えた地涌六万大総会では任務上、法華講事務所のテレビモニターで参加させていただきました。御法主日顕上人猊下は総会の砌に、「これからの広布に向かっての法華講の使命こそ、まさに重大であります。・・・これからは、1年に最低一人が一人の折伏を敢行することを目標に、しっかり前進してまいりましょう。・・・大法広布は御仏意を拝しつつ、1歩1歩、確実に進展することが大切と思います。その一つの目標として、宗門は今より8年ののち、すなわち、平成14年の4月に宗旨建立750年の佳節を迎えます。その時、今日の集会の6万人の5倍、ないしそれ以上の信心篤き地涌の友が輩出すれば、1日1万人の参詣として、1ヶ月以上にもわたるであろう大法要を修することが可能であります」(大白法414号)と御指南あそばされました。私はこの御指南を拝聴した時、「平成14年には、今の久遠寺支部の5倍の人数で御登山させていただくんだ」とまず思い、「その中に自分も入らせていただきたい。自分が折伏させていただいた方や、その他久遠寺の信徒でありながらも今現在御登山されない方も、この時はみんな一緒に御登山させていただきたい」と、とても強く思いました。


この度折伏させていただいた堀口儀彦さんとは、平成8年、ほとんど毎週、夏期講習会登山の任務につかせていただいているような時期に出会いました。とても好感の持てる方だと思いましたが、素直には喜べませんでした。それは、その1年前、地涌六万大総会が終わり平成7年にかけて、それまでずっと姉妹のように一緒に活動してきた当時の副女子部長が、信心していない方と縁し、折伏しきれないまま結婚することになってしまったからです。本当に半年ぐらいの間に、宿業に流されるようにどんどん御本尊様から遠ざけられるような事態になってしまい、それを一番近くで見ていた私は、何とかくい止めていただきたいと御本尊様に御祈念しましたが、何を言っても以前のようには彼女の心に入っていかないようで、一緒に御題目を唱えても心はどこか違うところにあるようでした。そして平成7年、結婚と同時に御主人の遠方への転勤が決まり、久遠寺には参詣できなくなってしまいました。私は本当にこのことがショックで、それからは、自分も含め、「いつどんな縁で退転するか判らない」と心に深く置くようになりました。また、その当時、信心していない方とお付き合いしている女子部の方たちが多かっただけに、私が女子部長の代にみんながこのようになってしまったら、大変申し訳ないと思うと同時に「再びこんな悲しい思いをするのは絶対に嫌だ」と心底思うようになりました。

堀口さんと出会ったのはちょうどこのようなことがあった後だったので、早目に御本尊様のことをお伝えし、それで離れていってしまう人ならば縁がないんだと心に決めてお会いすることができました。出会って2ヶ月たち9月に入ったころ、初めてこの日蓮正宗のことをお話し、10月の支部座談会にお誘いしました。座談会終了後、壮年部や男子部の方たちに折伏していただきましたが、彼は「どうして生活と宗教が結び付くのか判らない」と言っていました。私もうまく伝わらないのをもどかしく思いました。そして、その月の第4講区の青年部唱題会に、なぜか、急に行きたくなくなってしまい、自分でも不思議だなと思いました。でも、「もしかしたら、この唱題会に行けば逆に何かつかむことができるから魔が強いのかもしれない」と思い参加してみると、唱題中に自分の堀口さんに対する折伏の一念が間違っていることに気付かせていただきました。

それまで私は、「堀口さんが信心してくれなければ困る」と強く思っていたのです。こんなおごる気持ちで信心の話を伝えられても彼は嫌だったろうし、伝わるわけがないと深く反省しました。それからは唱題がとても楽しくなり「堀口さんが御本尊様に帰依させていただくにはどうしたらよいですか」と御本尊様に教えていただくように唱題しました。すると、私が彼に信心の話をしたときの反応が明らかに変わってきたのです。

11月には大石寺を見学することができました。初めて久遠寺に参詣したときから御本尊様に題目三唱することができていたので、12月に入り「せっかく素直に御本尊様に御題目を唱えることができるのだから、きちんと謗法を払い、御授戒を受けた方がよい」と強く勧めましたが、「御経を唱えるのは抵抗はないし一生続けてもよいけれど、御授戒だけは絶対に受けられない」と言われました。それをそのまま父に伝えると、年内に彼を家に呼ぶように言われました。12月の暮れに家族全員で折伏をし、父が「この信心は自分でやってみないといつまでたっても判らない。1月末までに、御授戒を受けるのかどうか決めなさい」と彼に言ってくれました。それから平成9年の年も明け、1月中旬になっても彼からは連絡が全くなく、私の中でもいろいろな葛藤がありましたが、唱題をするといつも「信心を一緒にしていくことができない人は、やっぱり駄目だ」というところに落ち着きました。また、この1ヶ月間は、後で悔いが残らぬよう、休みなく家庭訪問、会社の同僚への折伏の予定などを入れ、精一杯やりきりました。すると1月28日、2月1日と電話が入り「やはりやってみないと判らないから」と御授戒を受けることを決意してくれ、平成9年2月16日、大聖人様の御誕生会の日に無事に御授戒をお受けすることができました。

彼はその日から御本尊様を思い浮かべて、朝夕に方便品・自我偈を読むようになり、御報恩御講、総登山会、今年の客殿新築慶祝記念大法要にも、その都度、魔は用(はたら)きましたが、何とか参詣させていただいてきました。彼の中では、少しずつですが生活と日蓮正宗の信仰が結び付いてきたようです。しかし、両親と一緒に生活している彼は、御本尊様を御下付戴くことには抵抗があり、すぐには御下付戴けませんでした。そのため、いろいろな方々の御協力をいただき、御授戒をお受けしてから週に1度は御本尊様に縁し、一緒に勤行することを続けてきました。そして、今年に入り6月20日、堀口さんの御両親に、御本尊様御入仏のお話をする機会を持つことができ、反対を覚悟で一生懸命お話させていただきました。すると、堀口家には代々継いできている信仰が全くなく、お墓もこれから探すところだったということで、彼が信仰することに関して一言の反対もなく承諾してくださいました。早速、平成10年7月5日、御本尊様を御下付いただき、続いて7月19日、執事・木村道昭御尊師のもと無事に御入仏式を執り行うことができました。


この件に関しまして、講中の方たちだけでなく整理班の先輩方、その他いろいろな方々にアドバイスまた、御祈念していただき、本当にありがとうございました。この堀口さんの折伏が進む中、とても心配だった、女子部員のお付き合いしている方への折伏の結果も出てきました。御授戒をお受けした方、離れていってしまった方など結果は様々ですが、どちらにしても「御本尊様を一緒にお護りさせていただける方でなくては駄目だ」という強い一念を持つ女子部の方たちが多くなってきました。

地涌六万大総会の砌に御指南戴いた平成14年・宗旨建立750年が、3年後に迫ってまいりました。久遠寺支部、登山目標2590名以上の達成を目指して、御法主日顕上人猊下の御指南である「一人が一人以上の折伏を」と、朝夕の勤行、唱題を欠かさず実践し、御住職・木村真昭御尊師の御指導のもと、石渡講頭を中心に精一杯精進させていただく決意です。それにはまず本年の女子部折伏誓願目標を、10月18日の久遠寺の御会式までに必ず完遂させていただきます。そして堀口さんの御両親、御兄妹が入信して一緒に、平成14年・宗旨建立750年の30万総登山に参加させていただくことを本日御宝前でお誓いし、必ず実現させていただけるよう、なお一層精進してまいります。

# Inputted by Yutaro Wakayama , Tmp. Shorin-ji.



◇一家団結の唱題で学会時代の宿業を転換 大歓寺支部 柳田百合子

私の家族は、やさしい主人と、高校3年の長女、高校1年の次女中学1年の長男の、5人家族です。創価学会の誤ちに気付き、平成3年6月に入講させていただいてから、早や7年になります。その間にいろいろなことがありました。御書の一節に、「金はやけば弥色まさり、剣はとげば弥利くなる。法華経の功徳はほむれば弥功徳まさる」(御書969ページ)との御金言に接して、つたない体験ではありますが、発表させていただこうと思いました。

私の主人は「看板屋」です。この道30年のとても腕のいい看板屋です。14年間、社長と築き上げ大きくしてきた会社をいろいろな事情でやめ、独立したのは平成3年3月、法華講に入講する3ヶ月程前のことでした。気楽な社長夫人としての生活を考えていた私でしたが、現実は経理兼雑用係で、そんな甘い物ではありませんでした。最初の1年位は順調でしたが、時期も悪く、バブルがはじけ株価暴落に伴い、仕事が極端に減り始めました。また仕事があっても、お客様からの入金が少しずつ遅れるようになりました。どんなに仕事が少なくても主人を頼りに前の会社から来てくれた2人の社員には、きちんとお給料を払わなければなりません。個人といっても事業となると入ってくるお金も出て行くお金も大きくて、結婚してからずっとサラリーマンの妻でお給料日になればきちんと決まったお金の入る生活をしてきた私にとって、それは大変なことでした。また、得意先の倒産も続き、200万、300万と立て続けに売掛金ももらえなくなってしまい、たくさんあった預貯金もあっという間に底をついてしまい、とうとう、社員にも辞めてもらわなければならなくなってしまいました。

あの謗法だらけの創価学会をやめて正しい法華講の信心をしているのだからとのあせりもありました。『開目抄』の中に、「過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ」(御書 571ページ)とありますが、原因が自分にあることを忘れて私は主人に「お金がないよ」「どうしてくれるのよ」と追いつめていきました。主人はストレスから血尿が出るようになり、激しい腰痛に見舞われるようになりました。その様子を見て、副方面長の井上さんに「ご主人を責めたら駄目よ」「ご主人には仕事のことだけ考えられるようにしてあげなさい」「何の兵法より法華経の兵法よ」と励ましてもらったことも1回や2回ではありません。

さらに追い討ちをかけるように、毎晩のように言い争いをしている私たちの影響もあったのでしょう。小学校でもクラス一番の人気者で誉められたことしかなかった自慢の次女が、中学へ入学してからクラブ活動で先輩からいじめられ、同級生からもいじめられ、とうとう1年の2学期から学校へ行くのを拒否し始めました。夜になると「明日のことを考えると怖くて眠れない」といって一晩中起きているのです。そして登校時間を過ぎるともう学校へ行かなくていいと思うのでしょう、安心したように眠るのでした。私は子供の寝ているそばで2時間、3時間と御題目を唱えました。娘は唇や手を痙攣(けいれん)させながら、寝言で「ごめんね」「もうやめて」と叫ぶ日もありました。その姿を見て「もう学校なんか行かなくていいよ」と言ってあげたい衝動に駆られたりもしました。子供と一緒に勤行をしたり、1時間唱題をしながら登校拒否が始まって1ヶ月くらい経ちました。さすがに私も疲れきっていました。


そんな時、講中の連絡に行って月村さんご夫妻に「今、御本尊様の前に座って御題目を唱えさせてもらえることに心から感謝している」と言われ、私はハッとしました。さらに月村さんは、「御本尊様の前で心を真白にして、きれいな気持ちで御題目を唱えることが大切だよ」と励ましてくださいました。それまでの私は、入講してからも創価学会時代の生命が抜け切らず、常に「がんばりますからああしてください」「こうしてください」と願い事しかしてこなかったのです。月村さんの話を聞いてから私の祈りが変わりました。戒壇の大御本尊様に御内拝戴く時には、まず御内拝戴けることに感謝申し上げ、我が家の御本尊様の前では御本尊様に巡り合えたことに感謝申し上げ、喜びや感謝の気持ちがふつふつと込み上げてくるようになり、不思議に主人にも感謝できるようになりました。

すると主人は一大発心をしてお寺での早朝勤行に出かけ始めたのです。一家の大黒柱が発心すると本当にすごいものです。お客さんがお客さんを呼び、さらに地元のしっかりとしたお客さんを連れてくるようになり、今まで閑古鳥が鳴いていた事務所が、電話が鳴りっぱなしで私が手伝っても間に合わないくらいに仕事がどんどん増えていきました。一時は夜逃げまで考えた程の苦しかった資金繰りも、銀行の融資担当者が上司を連れて融資のお願いにわざわざやって来るまでになりました。本当に不思議なことです。「ああ、これが本当の法華講の清らかな信仰の証なんだなあ」と心から感謝いたしました。その後、仕事のほうも順調でこの3年間、年ごとに売り上げを伸ばしてきております。この平成大不況の中で、小さいながらも夫婦二人で忙しい忙しいと楽しく仕事をさせていただいていることに、心から感謝いたしております。

娘の登校拒否も、最初、学校の先生方は娘が悪いと考えていたようでしたが、そうではないことに気付かれ、娘自身もまたいろいろなことを考え、体験し、一緒に題目を唱え、少しずつですが、自身が強くなることの大切さを感じてくれました。1年の3学期からは一切トラブルもなく、今年の4月、無事に近くの県立高校に入学し、たくさんの友達と高校生活を楽しんでいます。


法華講に入講して7年、何かある度に大歓寺に参詣して、早朝勤行・夕勤行・唱題会と大歓寺の御本尊様にお話して解決してまいりました。そしてその姿をいつも畑山御住職様と奥様に見守られながらの7年間でした。本当にありがとうごさいました。今振り返ってみて、あの大謗法で自分で物事の善し悪しを考えることの許されない閉ざされた創価学会をやめることができて、本当に良かったと心の底から叫びたい気持ちでいっぱいです。これからも平成14年を目指し、御法主日顕上人猊下がお話しくださいますように「正直な信心」を根本に感謝の心を忘れずに、まずは我が家の法統相続をしっかりやり、自分らしく明るくはつらつと生き抜いていきたいと思います。

# Inputted by Yutaro Wakayama , Tmp. Shorin-ji.


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