<2〜5面>
<6〜8面>
○ 上級教学試験テキストを配布
明年、1月24日(日)に実施が予定されている、法華講教学試験(上級試験)のテキスト(宗務院作製)が、受験資格者へ配布された。出題範囲は、『経典結集』・『竜樹菩薩』・『伝教大師』・『三妙合論』・『本因妙』・『人法一箇』・『当体蓮華』・『自受用身』・『日目上人伝』・『富木常忍』・『金沢法難』・『真言宗』・『御書要文』など、計62項目で、分野も宗義・宗史など、多岐に渡っている。各自、末寺御住職のもと教学の研鑚に励み、行学の増進に努められたい。
日蓮正宗宗務院から、『法華講員の心得』が出版された。内容は、「法華講員の心構え」・「年中行事」・「冠婚葬祭」・「誰にでも出来る折伏」などの基礎的な内容を、御書や歴代上人の御指南を拝しつつ、平易に解説した良書で、創価学会から脱会された方はもとより、古くからの法華講員にも基本を確認する意味で、精読をお薦めしたい。育成にも使用可。一冊200円、133ページ。
◇ 創価学会の誤りを糾す(3) 〜池田大作は法華経の行者に非ず〜
次に、「在世滅後の法華経の行者」についてはどうでしょうか。釈尊在世と滅後の正像
2000年間における法華経の行者として、日蓮大聖人は『法華行者値難事』に、「夫れ在世と滅後正像二千年の間に法華経の行者唯三人有り。所謂(いわゆる)、仏と天台・伝教となり」(御書 719ページ)と、釈尊と天台・伝教の3人を法華経の行者として御教示あそばされております。
では、いよいよ「末法の法華経の行者」についてですが。法華経の行者には総別の二義が存します。そして、日蓮大聖人こそが別しての真実の法華経の行者にましますことを、『種々御振舞御書』には、「今日蓮は日本第一の法華経の行者なり」(御書 1059ページ)と仰せられています。また『開目抄』には、「日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん」(御書 541ページ)と御指南あそばされております。すなわち、これらの御指南からも、日蓮大聖人こそが、別しての末法真実の法華経の行者にましますことが明らかなのです。
なお、この「法華経の行者」の総別の二義について、御法主日顕上人猊下は、
そして、法華経の行者には、大難が必ず現れるのであり、もし大難がなかったならば法華経の行者とは言えません。このことを日蓮大聖人は『椎地四郎殿御書』に、「末法には法華経の行者必ず出来すべし……大難なくば法華経の行者にはあらじ」(御書 1555ページ)と仰せられています。そして、日蓮大聖人が度重なる大難により経文を証明されたところの真実の法華経の行者にましますことは、その御内証が末法の御本仏にましますことを意味するのです。
故に日蓮大聖人は『御義口伝』に、「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(御書 1773ページ)と仰せられるのです。すなわち、日蓮大聖人の御一身こそが即御本尊の当体にましますのです。これは日蓮大聖人ただ御一人が、末法の一切衆生を救済あそばされる、人の本尊なることを述べられた重要な御文です。
池田創価学会は、昭和35年から10年ごとに三類の強敵を呼び起こしたことによって、「経文通り『法華経の行者』になった」などと呆れ果てた妄言を述べています。すなわち、俗衆増上慢は妙信講問題・言論問題であり、道門増上慢は正信会問題、僣聖増上慢は今回の宗門問題であると・・・。彼らの言い分を引いてみます。
このような不正直な池田大作ごとき者が日蓮大聖人に比肩(ひけん)する法華経の行者というのですから、仏罰をも恐れぬ大慢心というほかありません。御法主日顕上人猊下は、
創価学会が、ペテン師池田大作を法華経の行者に持ち上げたのは、次に予測される池田の本尊書写の極大謗法を正当化するための布石でしょうか? ともあれ、日蓮大聖人ただ御一人の、別しての意義の上からはもちろんのこと、総じての意義においても、三宝破壊、大謗法の池田大作が法華経の行者であることは、断じてないと言わねばなりません。
池田大作の邪智による仏法破壊の罪状は、数え挙げればきりがありませんが、御法主日顕上人猊下は、これを池田大作の仏法上の6箇の大罪として挙げられています。それは、
このうち、特に3.の血脈相承の否定・三宝破壊のための創価学会の邪悪な策謀こそが、近年のシアトル事件こと、創価学会が御法主上人猊下を陥れんと、日米の組織を挙げて謀議し、捏造し、故ヒロエ・クロウに語らせた「クロウ事件」なのです。しかしながら、いかに巧みに作り上げても、嘘は必ずばれるものであり、ヒロエ・クロウの嘘の証言が次第に破綻してくると、創価学会は、あろうことか、アメリカ合衆国FBIのデータベースに、御法主上人猊下に関する記録があったなどと、意図的に嘘の上塗りをしたのであります。
これらの2つの事件は、現在、東京地方裁判所において審理中であり、まもなく司法の公正、かつ厳正なる裁断が行われるものと強く望まれるのでありますが、それよりも何よりも、これら2つの事件がまったくの捏造の名誉毀損事件であるところの明確な証拠が、去る5月18日に終わった御法主日顕上人猊下の裁判所への、3度にわたる堂々たる御出廷と、その御証言であると申せましょう。
池田大作はどうですか。法華経の行者どころか、国会喚問も、信平裁判も卑怯・未練にも、ただただ恐れて逃げ回るだけ。恥ずるところがなければ、堂々と出廷して真実を開陳(かいちん)すべきではないでしょうか。このような不正直な池田に率いられる創価学会員も哀れですが、仏法破壊を懺悔して改めない以上、彼らの行く手に待つものが無間地獄であることは、近年の様々な天変地夭等の現証が証明していると言わねばなりません。
故にまた、私たちは慈悲の折伏行に励まなければならないのです。未だ不本意ながら創価学会に籍を置く人のいかに多いかは、折伏に回ってみればよく判ることです。怨念のような異常な復讐行為を恐れ、脱会できずにいる方々の臆病を破折し、励ましていかねばならないことを痛感します。
私たち日蓮正宗僧俗は、この重大なる時局に当たり、どこまでも正直を旨(むね)として、大聖人以来の唯授一人・血脈相承を御所持あそばされる御法主上人猊下に信伏随従し奉り、正しい師弟相対の信心に励むとともに、僧俗和合して真の広布へ前進することが最も大切です。
本年「革進の年」に当たり、去る3月・4月の客殿落慶10万総登山を、御教導のもと見事に完遂しました。次はいよいよ平成14年であります。御法主上人猊下より賜った地涌6万の命題たる立宗750年における慶祝30万総登山は、御報恩の上に見事に成し遂げるべき慶祝の行事であると共に、この戴いた御指南を自らのこれからの3年間の信心修行の目標としてしっかりと定め、これを実現できる足腰の強い講中に改革してまいりましょう。
しかし、世の中は、また世界は、平成14年へ御法主日顕上人猊下の御もとに我々の歩む、正法流布と時を合わせて大きく変化していくことを知らねばなりません。立宗750年を目指し、「信心篤(あつ)き地涌の友」による30万総登山実現へ、一意専心、精進してまいりましょう。
私が脱会できたのは、父母のお陰と深く感謝しております。父は私が14歳の時に亡くなりましたが、母はその時より常々「絶対にお寺や住職様をないがしろにしてはいけない」と教えてくれていたからです。
脱会後、学会幹部が何度も家に来て、「絶対に学会員を引き抜くな」とヤクザまがいの言葉で脅したり、夜中に頻繁に無言電話もかかってきました。しかし私は折伏を始め、その結果、母、兄弟、永沢さん、山口さんが脱会して法華講員になりました。このうち、永沢さんは弟さんや御主人の両親を、また山口さんは娘さんや妹さんをそれぞれ脱会させ、兄は友人2人を折伏しました。
学会員当時は、「これだけやれば、これだけもらえる」「ただ学会の言ったとおりにしていれば間違いない」等と現世利益と他力本願的な話しをしていたように思います。法華講員となってからは、御講などで御住職様の御説法を拝聴しているうちに、正直に真面目に信心していくことや、大聖人様の教えの深さがいつしか身に付き、折伏に行ったときに自然に口に出るようになり、同じ「折伏」という言葉でも、中味は全く別だと感じるようになりました。法華講員として新たなスタートをしてから、正法で先祖供養させていただける功徳を感じ、仕事仲間や主人の会社の方々等、たくさんの方に信心のお話をできるようになりました。
平成7年のこと、私が仏心寺に入っていくところを、仕事仲間の本多さんが見ておられ、「あなたは学会員だと思っていたけれど、違ったのね」と声をかけてくれました。本多さんは、御主人が亡くなったとき学会葬だったので御主人に戒名もいただけなかったこと、回向する場もない学会の、お寺を無視するような行為に対し反感を持ち、悩んでいたのです。しかも『ニセ本尊』に手を合わせていたと伺い、愕然(がくぜん)といたしました。何も知らない人たちを平気で悪縁に陥れていく学会の姿を目の当たりにし、ただただ情けない気持ちでした。本多さんは現在、法華講員として正法を持ち、御主人の追善供養をされております。
平成8年に入信なさったAさんは、毎朝神棚に手を合わせている方でした。奥さんは民謡と詩吟の先生で、連れて行ってもらった練習場所が、なんと学会幹部の家でした。仏壇の横には大きな模造紙に、脱会して法華講に入った人たちの名前が書かれています。何を祈念しているか判りませんが、びっくりいたしました。Aさんは、これまでずいぶん学会員に勧誘され、学会の会合へも何回か行ったとのこと。事ある毎に大聖人様の仏法についてお話し、お寺にお連れして御住職様に御指導いただいて、御授戒を受けられました。その後、折伏にも取り組まれ、Aさんの縁の方も無事に勧誡式を受け、御会式にも参詣できました。未だ脱会できない学会員の中には、「お寺に行ってお塔婆供養をしたい、本当は脱会したい」と言いつつ、学会の脅しを恐れて脱会できない方がたくさんいます。
さて、広宣流布のためという学会の大義名分が優先し、家庭を省みず活動する私の姿を見ていた主人は、共に脱会はしたものの御登山に大反対でした。しかし、今まで染み込ませてきた悪業をお詫び申し上げ、断ち切らせていただきたい一心で7年間、毎月御登山をさせていただき、お寺にも、時間を見つけては毎日参詣させていただき唱題いたしました。
脱会当時、入れ替わり立ち替わり押し掛けてきた幹部たちの身の回りには、その人が一番大切にしていた事や大事な人から失われていくという現証が起こっています。その姿を見るにつけ、脱会していなかったら、私の家庭も崩壊していたであろう、淋しい思いをさせてきた子供たちも、どうなっていたかと思うとぞっといたします。
本年、客殿新築慶祝記念大法要、夏期講習会登山などに家族、身内、友人共々大勢で参詣させていただきましたことを御本尊様、御住職様に感謝申し上げ、御法主日顕上人猊下の「1年に一人が一人の折伏を」の御指南にお応えできるよう、尚一層、がんばってまいります。
◇論苑 『大願ををこせ』 妙喜寺御住職 近山信澄御尊師
第26世日寛上人は『依義判文抄』に、「『勇猛精進』は即ち是れ信心・唱題なり。故に本門の題目と為すなり。中に於て『勇猛』は是れ信心なり(中略)『精進』は即ち是れ唱題の行なり」(六巻抄89ページ)と仰せです。信心の力を奮い起こし、唱題に励まなけれぱ、魔に打ち勝って大願を成就することはできないのです。
様々な弾圧を受けた当時の法華講衆に、第31世日因上人は次のように御指南されました。
江戸時代末期、強信の徒であった久保専朴は、病床において子孫に次のように言い遺されています。少々、長文になりますが先人の信心を称え、全文を紹介させていただきます。
○ フィリピンで出張御授戒
10月4日、マニラで34名の御授戒と2名の勧誡式、4体の御本尊下付が行われた。続いて指導会・質問会に移り、活発な質疑応答が行われた。翌5日には、セブ島で10名の御授戒と3体の御本尊下付が行われた。セブ島ではこの日を迎えるに当たり、毎週金曜日に10時間の唱題会、土曜日に近隣の島での会合、日曜日にはセブ島内での会合が重ねられた。マニラ・セブ島の両御授戒の後には、少年部による歌・ダンスが披露された。特にマニラでは父親の入院という苦しみを乗り越えたシェリル・サブラオンさんを中心に、日頃から少年部の勉強会や唱題会に励んでいる。フィリピンでは、平成14年に向けての活発な折伏と少年部の充実がなされており、今後もさらなる広布への飛躍が期待される。
一行の27名は24日、ペナンを経由してクアラルンプールに到着。中高等部員たちのほとんどが初めての海外であり、真新しいパスポートを胸に、マレーシアはどんな国なのか、自分たちの英語は通じるのか、そしてマレーシアメンバーの日常の信行の様子はと、不安と期待で胸を膨らませながら空港に到着した。空港並びにホテルでは、遅い到着にもかかわらず、前日にマレーシア入りされていた御尊師方と大勢の現地メンバーが一行を温かく迎えた。
翌朝、日蓮正宗グループの会館にて交流会が持たれた。会館入口では、マレーシアメンバー鼓笛隊の素晴らしい演奏により、歓迎に花が添えられた。到着後、直ちに勤行・唱題、交流会の後、会食をしながらパフォーマンスの交流となった。現地メンバーは、半年前からこの日を心待ちにして準備をしており、心のこもった素晴らしいパフォーマンスが披露された。そして日本からも、日本の歌を三曲紹介するなど、和やかに楽しく時の経つのを忘れて交歓は続いた。午後からは場所を移し、妙蓮グループとの交流会を行った。ここでも、中高等部の残りの13名と、現地の妙蓮グループのメンバー13名が、英語で交互にスピーチを行った。そして、現地メンバーの歓迎の返礼として、日本の歌を全員で歌った。ここでも、現地メンバーと一体となっての交流となった。
中高等部員たちは、マレーシアの子供たちがきちんと正座をし、同じように勤行・唱題をしていたことに強く驚いていた。また、かたことの英語ながら住所を交換したり、写真を撮ったりして、たくさんの友だちができた様子であった。感想を聞いてみると、「マレーシアメンバーのがんぱっている体験を聞き、自分ももっとがんぱっていきたいと感じた」、「想像した以上に温かく迎えられて感激した」等、中高等部員たちは口々に述べていた。こうして海外での初の交流会は、総本山から遠く離れた異国の地に、同じ御本尊様に同じ思いで唱題しているメンバーがおり、さらに心が通じ合うことができたという得難い体験を通して、参加した一人ひとりの胸の中に、世界広布への使命に対する自覚と決意をさらに燃え立たせるものとなった。
私は平成3年、学会問題が起こったとき、婚約者(現在の主人)と一緒に迷わず脱会を決意し、1月のうちに晴れて法華講員となりました。そして、まず私がやるべきことは、家族を全員脱会させることだと思い、家に帰るとすぐ、父と叔母に私が脱会したことを話し、一緒に脱会するよう勧めました。しかし叔母は、「学会は好きではないけれど、このままでいい」と言い、反対に父は激怒し、親子の縁を切ってやると言いました。学会の謗法の姿をいくら話しても判ってもらえず、「学会が地獄に堕ちるのなら、自分も池田先生と共に地獄の果てまでついていく」などと言い出し、「本当にそうなるよ」と私が言うと、「それでも構わない」と、父は断言しました。私は、いつか必ず判る時がくる、それまでしっかり御題目を唱えようと心に決めました。そして、このとき私と一緒に暮らしていた祖父、そして父のもとにいた兄と弟は、学会への執着がなかったため、すんなり脱会することができました。
その後、平成3年10月に結婚、平成7年に、私たち夫婦は待望の子供を無事授かることができました。孫が出来れば父も少しは変わるのではと期待しましたが、それどころかどんどんと距離があき、約1年半もの間、音信不通となってしまいました。また、叔母に対する折伏のほうも、私自身だんだんと惰性になってしまいました。
平成9年10月、御宗門より、11月30日までに学会を脱会しない者は信徒資格を失うという知らせが届いたのを機会に、私は心を入れ換え、叔母の一家3人を必ず脱会させると決意しました。ちょうどそのころ、平成10年の法照寺移転新築落慶法要へ向かって、1000名大結集の唱題行が始まりました。お寺での10時間唱題会の日、家族3人で参加し、必ず叔母の一家3人が脱会できるよう真剣に御題目を唱え、その足で叔母の家へ向かいました。そしてその折伏の場において、約3時間の間に、叔母たちは怒ったり、泣いたり、また信心に関係のない話に広がったり、様々な姿を見せましたが、ようやく3人共脱会することができました。そして叔母は、一緒に脱会した娘と共に今年3月の法照寺移転新築落慶法要に参詣させていただくこともでき、皆で喜び合いました。さて次は父だと思いましたが、連絡がとれないまま月日が経ってしまいました。
私はまず「祖父が亡くなったら、学会員であるうちは日蓮正宗の葬儀はできない」ということを話し、それでもなお他人事のような顔をしている父に、「お父さん、7年前、地獄に堕ちても構わないって言ったよね。本当にそうなったね。それでもまだ学会にいたいの」と言うと、「今は信心のことなど考えられない」という返事でした。こんな状態になってもまだ脱会できない業の深さに、ただ悲しくなり、またそれは、私自身の宿業でもあると感じずにはいられませんでした。日を改めてもう一度父と会おうと決意し、御住職様に御指導を受けました。御住職様は、「喪主をするための脱会ではなく、あなたがもう一度、誠心誠意を込めて話をしなさい。そしてお寺に連れて来なさい」と、言われました。
正直言って、そのときの私は、話をするのが精一杯で、今の父をお寺に連れて行くなんて無理なのではないかと思ってしまいました。そのことを副地区長の加藤さんに話すと、加藤さんは、「御住職様がお寺に連れて来なさいと御指導されたのなら、必ずお寺に連れて行くと肚を決めなさい。以前に御住職様が、『自分の所へ指導を求めて来る人はたくさんいるが、指導どおりにやろうとしない。だから結果がでない』と話されていたけれど、指導を受けたのなら、御指導どおりに、きちっとやらなければ駄目じゃないの」と注意されました。御指導を受けたのにグズグズしていた自分を反省し、意を決して唱題し、もう一度父に会いに行きました。
父に会うとすぐ、「まず、お寺に行こう。そこで話しを聞いて、どうするか決めればいいでしょう」と誘うと、父はやっと「判った」と言ってくれたので、そのままお寺に連れて行くことができました。今までいろいろと学会に吹き込まれていた疑問が、お寺で話を聞くことによって、全部嘘だったと判った父は、脱会を決意し、御住職様から「よかったですね。これからは大聖人の仏法に傷をつけないよう、しっかりとがんばってください」との激励を受け、無事勧誡式を受けることができました。
さらに、先日御住職様より、平成14年・30万総登山に向けて掲げられた「一地区100世帯の折伏を」との目標に対する、我が地区第1号の折伏が父だったということも、大変うれしく感じています。また、この日1日唱題してくださっていた地区の皆さんには、心から感謝しております。一時はどうなることかと思った父も、とても明るくなり、仕事にも行きはじめ、少しずつではありますが、良い方向に進んでいると感じています。
そのような中、入院をしていた祖父が、息子である父の脱会を待っていたかのように、6月27日、息を引き取りました。そのときは、ちょうど父一人が付き添っており、祖父は息子の題目を聞きながら手を合わせて亡くなったそうです。ここで父が喪主として挨拶した言葉が、とてもよかったので原文のままご紹介させていただきます。
これからも、決して油断することなく、御住職様の御指導のもと、法照寺支部800世帯の折伏目標達成を真剣に祈り、親戚、友人を一人でも多く折伏し、平成14年・30万総登山に向かって、元気に明るく精進してまいります。ありがとうございました。
* Inputted by Yutaro Wakayama , Tmp. Shorin-ji. (11/05)
○ 『法華講員の心得』発刊
○ 本山大石寺、墓地事件訴訟で勝訴(要旨)
大石寺の墓地の一部が墓地埋葬法に違反するとして、近江衆議院議員(近畿・比例)ら、創価学会員の墓地使用者30名が大石寺を訴えていた、通称『大石寺墓地事件』の一審判決が、10月21日大阪地方裁判所で下された。判決は、創価学会員の訴えを全て棄却するもので、総本山の完全勝利である。
大石寺墓地は、正本堂の建設に伴い、御影堂北から現在の場所へ移転され、必要に応じて拡張された。しかし、一部に許可未申請の区画があることを知った学会員は、これを理由に、総額一億4千万円余の損害賠償を求めて、大石寺を訴えていた。
水野裁判長は、環境・管理状況等において、墓地の使用になんら支障を来すことはなかったとして、墓地は適切に管理されていたとする大石寺の主張を認め、原告の訴えを斥けた。創価学会の司法を利用しての訴訟攻撃は、また一つ粉砕された。
創価学会の誤りを糾す(3) 末法で2人目の法華経の行者??
最終回の今回は、創価学会が最近、「末法で『2人目の法華経の行者』を破す」と題して、仏法の破壊者である池田大作を指して「末法に入って以来、大聖人に続く2人目の『法華経の行者』になった」などと途方もない、恐るべき発言をしているので、これについて徹底的に破折を加えてまいります。
そもそも「法華経の行者」とは、法華経を説の通りに行ずる人をいいます。過去における法華経の行者についてみますと、不軽菩薩という方がおります。この方は、威音王仏(いおんのうぶつ)という仏様の時代に、その像法年間に出現して、「我深く汝等(なんだち)を敬う。敢えて軽慢せず。所以(ゆえ)は何(いか)ん。汝等皆菩薩の道を行じて、当(まさ)に作仏することを得べし」(新編法華経 500ページ)との24文字の法華経を説き、一切の人々に仏性があるとして礼拝したのです。この不軽菩薩こそが過去の法華経の行者です。故に日蓮大聖人は「日蓮は是れ法華経の行者なり。不軽の跡を紹継(しょうけい)するの故に」(御書 748ページ)と仰せられております。
と、正しく日蓮正宗の信仰に励む僧俗も、総じての法華経の行者の一分に加えられることを御指南あそばされるところです。私どもは、そこに我が身の成仏があることを確信し、勇猛精進いたすべきです。池田大作は法華経の行者に非ず
見出しをつけて論じるのもはばかられるほど、池田や創価学会が法華経の行者でないことは当たり前のことですが、池田大作の身から出た錆を利用して創価学会がこう宣伝していることは、創価学会員の折伏に回られている皆さんが御存知のとおりです。もちろん、学会に留まっている皆が皆、信じているわけではありません。迫害が恐くて仕方なく身を置いていると実情を吐露(とろ)する方もかなり多く、これについてはまた、「邪義は必ず御仏智で成敗されるのであるから、勇気を持って脱会しなさい、皆が通ってきた道ですよ」と破折、激励していきたいと思いますが、邪義極まってこのようなことを堂々と言っている以上は、ここで、名聞名利の池田大作などは、まったく法華経の行者に非ざる所以を述べたいと思います。
思い上がるにも加減を知らないようですが、邪義は団体維持のため、必要に迫られどんどんと教義をひねり出していかなければならないのでしょう。これに対して御法主上人猊下は、
と、また言論問題に対しては、
で、また正信会問題は、
と御指摘の、まったくそのとおりであります。また、
と簡潔明快に喝破せられておられます。
ここで、池田大作が法華経の行者に非ざる理由を考えると、「法華経の行者」には必ず大難が起こるのです。先にも述べたように、日蓮大聖人は流罪、死罪、刀杖瓦石、数々見擯出(さくさくけんひんずい)等の大難を受けられ、法華経の行者としての実証をお示しあそばされました。しかし池田大作には法華経の行者として受けるべき大難など一切起きていません。それどころか、己の犯した悪業を追及されると臆病風にふかれて逃げ回っています。また信仰者は必ず正直でなければなりませんが、平気で嘘をつきます。そして最大の悪業は、仏法の破壊者であることです。
と厳しく破折されております。また総本山第65世日淳上人も、
と御指南されているのです。すなわち末法において、『法華経の行者』が何人も出てくる道理はまったくないのです。邪義を破し学会員を救済
謗法は不幸の根源なる故に
以上、創価学会の邪義邪説と仏法破壊について、破折を加えてきました。今日の創価学会は、善悪の判断など一切持ち合わせず、その上、因果の道理を無視した外道の集団と化してしまったことが明らかです。そしてその背後には、自らを大聖人に比肩せしめて仏法を私物化せんと企(たくら)む、僣聖増上慢の池田大作の存在があることを知らねばなりません。
以上の6箇の大罪を挙げられ、この仏法破壊の所業は、ことごとく池田大作の「不正直」の邪念に起因していると厳しく御指摘されています。
去る4月5日、客殿新築慶祝記念大法要の最終法要において、御法主日顕上人猊下には、『日蓮一期弘法付嘱書』を拝され、邪悪な大謗法者と化した池田大作が願主となって建立された正本堂から、法華講員の強信によってその姿を顕した清浄なる新奉安殿へ本門戒壇の大御本尊を御遷座申し上げることが、日蓮大聖人の御本意に適う重大事であると御指南あそばされ、同日、直(ただ)ちに御遷座法要が執り行われた次第です。
現代は、貪・瞋・癡による「他人より得をしたい」「ちょっとでも、人より損するのが許せない」「うま味がなければやらない」という、欲の受け皿のある、不正のはびこりやすい時代だからこそ、創価学会のような、不正直な団体が生き延びてこられた土壌があったのでしょう。
◇ 創価学会破折体験記 仏心寺支部 久野朋子
私は、平成元年に創価学会を一家で脱会いたしました。それまでB担という役職を持っていた私ですが、御講をはじめお寺の行事についてよく知りませんでした。また、総本山の御大会には幹部しか参詣できないことや、広布基金で百万円単位のお金を集めなければならないこと、選挙活動や池田写真展への人集め、書籍や新聞を一軒の家に何部も啓蒙するなど、並べるときりがない程の矛盾を感じておりました。疑問を感じつつ活動しているのが苦痛になり、決意して平成元年に、学会本部に脱会届を提出したのです。
「我が弟子筆大願ををこせ(中仮)。かりにも法華経のゆへに命をすてよ」(御書1428)、大聖人様の「大願を発こせ」の一文が、胸に強く響いてきます。今私たちは、御法主上人猊下が「大聖人様の御命」と御指南あそばされた、立宗七百五十年を慶祝する30万総登山の目標を賜っており、その目標の達成を大願とする時です。そこには必ず、様々な形で三障四魔が粉然と競い起こりますが、勇猛精進の心をもって闘い抜くことが大事です。
妙喜寺は、金沢法難の地です。御本尊を安置することができず、筒の中に納めたり、天井や、壁をくりぬき役人の目の届かぬ所で命がけでお守りしたのです。また、隣人が寝静まってから真剣に唱題し、その中を折伏に励んだのです。
様々に苦しみ悩む法華講衆は、この日因上人の御指南によって信心を奮い立たせたであろう姿が思い浮かびます。幾多の試練が起ころうとも、「無疑曰信に南無妙法蓮華経と喝へ奉る事尤も大切なり」の御言葉を思い起こし、勇猛精進されたのです。法華講衆は、加賀藩領内に寺院が無いというだけで御禁制という不当な弾圧を受け、見つかれば投獄や追放、あるいは死罪に処せられる恐れがあっただけに、「臨終の事は平生忘るべからず」の御言葉を自然に実感として受け止め、異体同心に信心に励んだのです。数百年に及ぶ長期の法難に耐え忍ぶには、文字どおり異体同心に結束する以外に方法はなかったことでしょう。互いに支え合い、励まし合い、苦楽を分かち合いながら、共に苦難を乗り越えていったのです。
この御文に、法統相続(ほっとうそうぞく)を願う久保専朴の信心の赤誠が溢れています。今日の正法流布は、このような先人の築かれた歴史の上に成り立つことを忘れてはなりません。私たちもまた、先人の死身弘法の精神を良き手本として、大願のために勇猛精進することが肝要です。<P>
大聖人様は『諸法実相抄』に、「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と喝へしが、二人・三人・百人と次第に唱へ伝たふるなり。未来も又しかるべし」(御書666ページ)、と仰せられた広宣流布を目指し、その大きな節目となる30万総登山を大成功させようではありませんか。10月3日から7日にかけて、フィリピンで本年5月以来の出張御授戒が、海外部主任・石橋頂道御尊師と宗務院書記・舟橋信清御尊師により奉修された。
○ マレーシアで信徒交流会9月25日、マレーシアのクアラルンプール市において、中高等部員を中心とした日本の法華講員と、現地メンバーとの交流会が催された。これには、海外部主任・中本代道御尊師、マレーシア担当教師の宣行寺住職・村上節道御尊師、真教寺住職・塚越雄導御尊師、マレーシア担当教師の隆妙寺住職・上野道武御尊師をはじめ、宣行寺と真教寺の中高等部員を中心とした27名が参加した。
○ 『鳳凰』の陶壁が広布坊に復元さる
◇体験発表 法照寺支部 猪俣美千代 『住職の御指導のもと父を折伏』
皆さん、こんにちは。私は法照寺支部の猪俣美千代と申します。今日は私が創価学会を脱会後、家族を折伏した体験をお話いたします。
そのような中、今年の5月、約2年前から老衰や病気のため入院をしていた祖父が、急に容体が悪化し、「覚悟しておいてください」と医者に言われ、親戚が集まることになりました。もしこのまま祖父が亡くなるようなことになれば、父が喪主となっての正宗での葬儀は出せません。そんな思いを抱えながら、1年半ぶりに父と再会してみますと、父は言葉にできない程、悲惨な状況に落ちていました。生きる気力もなく、仕事もせず、何日も食事もできず、止められていた電話もついに外され、水道も止められ、家賃も払えないで、何かに怯えながら、ふとんをかぶって息を潜めている状態でした。
あれ程学会に執着し、聞く耳を持たなかった父ですが、勧誡式の後は気持ちが明るくなり、お寺に連れて来られたことを、とても喜んでいる様子でした。私は、7年半かけてやっと父が脱会できた喜びで胸がいっぱいでした。
という挨拶でした。御法主上人猊下は、「ありとあらゆる善いこと、悪いことのすべてを、大聖人様のお心を拝しつつ、大聖人様の御教えに順ずる心をもって、お題目を唱えてごらんなさい。必ず解決するはずです」(大白法 502号)と御指南あそばされています。