大白法

平成10年12月1日号


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 ◇ 平成10年度宗祖御大会

宗門の二大法要の一つである、宗祖日蓮大聖人御大会が、澄み切つた青空のもと11月20日・21日の両日にわたり、総本山大石寺で厳粛かつ盛大に奉修された。この大法要には、総監・藤本日潤御尊能化、重役・吉田日勇御尊能化、椎名日澄・瀬戸日謙・高野日海・秋山日浄各御尊能化、宗会議長・土居崎慈成御尊師、宗務院各部の部長・副部長、大石寺主任理事・八木信螢御尊師をはじめとする御尊師方が多数御参列。また、法華講総講頭の柳沢委員長、大講頭の石毛副委員長、寺族、井手潔・渡辺定元総本山総代をはじめ、法華講連合会及び海外信徒の代表約4600名が参列した。

【御開扉】 御大会は、20日午後1時30分、3時からの奉安殿での御開扉で始まった。御法主日顕上人猊下の大導師のもと、読経・唱題が厳粛に行われたあと、大法要に当たり、本門戒壇の大御本尊・最初仏・宗祖御霊骨について甚深の御説法を賜った。

お練り (10Kb)【お練り】 夕闇迫る午後6時15分、御影影堂の参道にかがり火の炎の揺れる中、お練りの儀式が執り行われた。錫杖(しゃくじょう)の音を響かせて粛然と進む御法主上人猊下の行列は、御影堂正面の参道にかかると、いったん歩みを止めた。ここで御影堂の表向拝(こはい)に「御助番」の提灯を持ってお待ちしていた六人の助番僧が、一人ずつ御法主上人猊下の御前に走り寄り、一礼して戻る。この儀式が7回行われると、行列は少し歩みを進める。続いて5人、3人の一礼があり、そのつど行列は歩みを止めた。最後の一礼が終わると、御法主上人猊下の行列は再ぴ御影堂へと進み、参列者の唱題の声が響きわたる中、御影堂正面から西側を回り、裏向拝から入堂された。

【御説法】 御法主上人猊下は、まず高座南側下手の「上行座」に北側を向かれて御着座された。続いて儀式を司る衣行事(えぎょうじ)が、仏を恭敬讃歎する涌出品の「右繞さんそう」の法式、寿量品の「三誠三請・重誡重請」の格式を以て、仏の登高座を願い奉る儀式が厳かに行われると、御法主上人猊下は御本尊に深く三礼されたのち高座に登られた。御焼香の後、御法主上人猊下の大導師のもと自我偈の読経・唱題と如法に進められ、寿量品の「我が浄土は段れざるに・而も衆は焼け尽きて」から「慧光照すこと無量に・寿命無数劫なり・久しく業を修して得る所なり」までの文の甚深の御説法を賜った。

三々九度御杯の儀 (10Kb)【三々九度御杯の儀】 小憩ののち、大村寿頭教学部最から御大会並ぴに諸儀式の意義ついて説明があり、次いで三々九度儀式が執り行われた。これは日本古来の祝いの儀式にのっとり、御本仏の末法出現と師弟の本有常住、並ぴに下種仏法の一層の興隆をお祝いして御盃を交わす儀式である。


【勤行衆会】(ごんぎょうしかい)  翌二日目は、午前2時30分から勤行衆会(丑寅勤行)が大きな桜花で荘厳された客殿で、御法主上人猊下の大導師のもと執り行われた。

【行列・献膳・読経・申状】 午前9時からは、六壼より御出発あそばされた御法主上人猊下は、錫杖の音が響く中、多数の御僧侶方を従えられて御影堂に御出仕になり、「献膳・読経・申状」の儀が厳修された。御法主上人猊下による懇(ねんスご)ろな献膳の儀が修され、方便品・寿量品の読経に移ると「而説偈言」で馨(けい)が入り、「申状」捧読の儀へと進められた。これは宗祖日蓮大聖人をはじめ、歴代御法主上人が国家諌暁された「申状」を捧読し、真の平和と幸福のため忍難弘通することを誓い、また広宣流布が成就されることを表す儀式である。はじめに藤本総監による『日有上人申状』の捧読に続き、御法主上人猊下が『立正安国論』を捧読。次いで日蓮大聖人・日興上人・日目上人・日道上人・日行上人の「申状」が各御僧侶方により捧読された。そののち自我偏が読経され、最後に引き題目が唱えられて終了した。

【お花くずし・布教講演会】 午後1時からは藤本総監が多数の御僧侶を従えられて御影堂に御到着され、「お花くずし並びに布教講演会」が修された。はじめに藤本総監の導師により、お花くずしの読経・唱題が執り行われた。次いで布教講演会に移り、大村教学部長より挨拶があった。その後全国布教師の水島公正御尊師(所沢市・能安寺住職)が「根本を信ぜよ」と題して、また同じく全国布教師の青山聴螢御尊師(広島市・輿福寺住職)が「唯授一人の御相伝の意義を拝して」と題して講演された。

こうして平成10年度の総本山宗祖日蓮大聖人御大会は厳粛盛大裡に終了した。

※写真は妙教76号のものです



 ○ 猊下御説法、下種文底寿量品(不見因縁・得見因縁)

我が浄土は毀(やぶ)れざるに 而も衆は焼け尽きて 憂怖(うふ)諸の苦悩是の如く悉く充満せりと見る 是の諸の罪の衆生は 悪業の因縁を以て 阿僧祗劫を過ぐれども 三宝の名(みな)を聞かず 諸の有(あ)らゆる功徳を修し 柔和質直なる者は 則ち皆我が身 此(ここ)に在って法を説くと見る 或時は此の衆の為に 仏寿無量なりと説く 久しくあって乃(いま)し仏を見たてまつる者には 為に仏には値(あ)い難しと説く 我が智力是の如し 慧光照すこと無量に 寿命無数劫なり 久しく業を修して得る所なり。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。(新編法華経 441ページ)

本年度、宗祖日蓮大聖人御大会式(ごたいえしき)に当たり、恒例の寿量品説法法会(ほうえ)を奉修のところ、法華講総講頭・柳沢喜惣次氏をはじめ法華講連合会幹部の方々、同じく信徒の方々、さらに遠く海外より12ヶ国の方々が賑々しく参詣せられ、盛大に仏恩報謝の法会を執り行うことは、まことに有り難く存ずるものであります。

さて、本年も昨年に引き続き、自我偈の『三世益物』(さんぜやくもつ)中、未来益物に四項あるうちの三、不見の因縁と得見の因縁、すなわち衆生に関して、仏を見ることのできない者と、仏を見うる者との双方の因縁を、仏の見地より述べられたのが本日拝読の文であります。


まず、「我浄土不毀」とは、前に仏の常住不滅の国土を説かれたのを受けて、我が所有の国土は究竟(くきょう)の善業によって得る処で、清浄にして、いかなる時にも毀(やぶ)れないものである、と述べられるのであります。浄土には、方便土、実報土、寂光土の区別がありますが、一切を寂光土と開くところにその真意があり、その本仏の知見する浄土は毀れることがないと示され、それに対比して、次の悪業の衆生の不幸な因縁を示されております。

故に、次の「而も衆は焼け尽きて 憂怖諸の苦悩…」以下は、衆生が煩悩と悪行の業火に焼かれ、その災害の果報は、生活、環境乃至、劫の尽きるまでの至る所に及び、憂いや怖れ、さらに、あらゆる精神的、肉体的な苦悩が充満することを身に感ずると示しております。しかし、この苦悩の一番の元は、衆生が自分を世の中心とする我見・我欲、際限なき心的・物的の所有欲たる我所見、因果の厳然たる法理を無視する邪見、あるいは貪り、瞋(いか)り、愚癡等の煩悩と悪業に執われる結果なのであります。これについて、次の一偈には「是の諸の罪の衆生は 悪業の因縁を以って 阿僧祗劫を過ぐれども 三宝の名を聞かず」と説かれております。

この「罪の衆生」という、その罪とは罪障のことで、現在および過去の悪事が善心の発動や仏法を聞く縁を妨げるのであり、これに3つの障(さわ)りがあります。一に煩悩障とは、貪り・瞋り・愚癡等の煩悩が正しい道を障(ふさ)ぐことであり、二の業障は、身口意の三業によって作る十悪・五逆等の悪業の障りであり、三の報障とは、衆生が無始以来の悪業の報いとして、現在に受けた劣悪な身の果報において様々な苦悩を感じ、それが正道を妨げるのであります。

この具体的な苦悩の生命相の理由を、次の文に「悪業の因縁を以て」と言われるのであります。この衆生は、自らの迷いを自覚せず、あらゆるところに執われて、自らを空しく苦しめております。


故に、正しい道理を説き示し、衆生を救い給う本仏が常住し、その仏法僧の三宝がいますにもかかわらず、これらの衆生は自らこれを否定し、その教えを聞こうとしません。いわんや、見ることもできない、と説かれるのであります。ここで、「不聞三宝名」と説かれる、三宝について少々申しますと、仏と法と僧の三つは、世の中において希有(けう)尊重の義、明浄(みょうじょう)の義、大勢力(せいりき)の義、荘厳の義、常住不変の義ある故に、一切のなかに在って宝として尊重され、三宝と称されるのであります。

また、一代仏教においては、その教えの段階にしたがって、小乗の三宝、大乗の三宝、実教の三宝等、爾前迹門の三宝や仏法受持流通の上からの小乗、大乗等の住持の三宝がありますが、いずれも、仏説による正像末三時流通の次第より決判するとき、今日に在っては無益のみならず、正法の三宝を弊害する謗法を成ずるのであります。

これに異なり、この自我偈に示す三宝とは、本門寿量品に始めて説き顕された、久遠常住の三宝であります。この三宝にも、在世釈尊の化導を中心とした本門の三宝は、多宝塔中の釈迦・多宝が仏宝であり、法華一部が法宝、上行等の四菩薩が僧宝であります。そして、神力結要付属の正意よりするも、この三宝はあくまで在世の衆生のための出現であって、末法万年の衆生を導く三宝ではありません。しかして、他の日蓮門下は、いまだにこれに執われて、真の末法の三宝に闇いのであります。

これに対し、真実の寿量品の久遠常住の三宝とは、「我本行菩薩道」の文底に、久遠元初の仏法僧がおわしますのであります。いわゆる五百塵点の当初(そのかみ)以来、法界に常住され、大悲願力をもって末法に出現し、不惜身命、もって三大秘法を衆生に授け給う宗祖日蓮大聖人こそ、久遠元初即末法の真実の仏宝であります。

また、久遠元初即末法の法宝とは、本地難思・境智冥合・事の一念三千の本門の大御本尊であり、久遠元初即末法の僧宝とは、この大法を正しく結要伝受し末代の衆生に授与し給う二祖日興上人であり、ここに末法出現の下種三宝が明らかであります。故に、我ら末法の衆生は、小乗・権教・迹門の三宝、本門脱益の三宝への執着を改め、最高・究竟の下種三宝を敬信(きょうしん)すべきであります。

この三宝の名を聞かざる衆生は、常に六道の迷路を彷徨(ほうこう)し、暗きより暗きに入って、あらゆる苦悩に沈み、娑婆即寂光の浄土の遊楽を知りえないのであり、このために我ら正法の僧俗は、仏祖三宝の大慈大悲を拝して、一心にこの大法を弘通することが肝要であります。


次の「諸の有らゆる功徳を修し 柔和質直なる者は 則ち皆我が身 此に在って法を説くと見る」以下「為に仏には値い難しと説く」までの二偈八句は、仏道に因縁あって仏を見、その教えを聞く衆生を説かれるのであります。

この衆生にも、その機のいかんによって、仏の寿命が無量であるという三身の不生不滅を説く場合と、それに反し、仏の出現ははるかに遠くして値い難しという生滅を説く場合があります。この内容は、前の長行(じょうごう)に詳しく述べられた義を、重ねてこの自我偈に説くのでありますが、この二説は共に真実にして不虚妄なのであります。

この前者、すなわち、仏寿の無量を説く衆生は、脱益の釈尊の化導から見ますと、久遠以来の種々様々の説法内容として、蔵・通・別・円の四教を基とする教えや法理、修行やその位等、そして感応、神通等の化導を受け、これらを諸仏に値って学び、徳を修したことを「諸の有らゆる功徳を修し 柔和質直なる者」として、三法の行、すなわち、功徳と柔和と質直が説かれたのであります。

この三法中の第一の「功徳」とは仏の大慈悲をもって我が身とすることであり、次の「柔和」とは、仏の正法正義に対し身命を惜しまずこれに順い忍辱(にんにく)を行ずることであり、三に「質直」とは、正法正義を持つに当たり、いかなる迫害・誘惑にも諸法空に座して屈せず・執われず、正直に大法を守護することであります。

久遠以来、諸仏に値って徳を累(かさ)ねた者は、おのずからこの意によって、身と口と誓願の行を成就したのであり、この善業の衆生をもって、前句の罪業の衆生に対比しております。これらの衆生は、よく深く広い心をもって、悪業の衆生の見ることのできない、仏の法身・報身・応身等の実在を見て、その説法の内容たる仏寿の無量を信解し、自ら本仏同体の悟りを極めるのであります。

次に「久しくあって乃し仏を見たてまつる者には 為に仏には値い難しと説く」「久しくあって乃し」とは、久しい間、仏法を見聞しなかった者であります。すなわち、その思想見解も官能感情の欲望も、その生命や生活もすべて、濁りの世の中に在って堕落し、久しく仏の教えを見ず聞かざる薄徳の衆生が、たまたま仏に値って道を聞くことを得た者について言われるのであります。

この者は、まだ、直ちに仏寿の無量を聞いて信解することができないので、やがて、これを悟らしめる方便として、仏は、無量劫にひとたび生じ滅される故に、仏に値うことは非常に難しいと説き、その仏の徳に対し衆生が恋慕の心を生じ、仏を渇仰して道を聞き、得道せしめるという次第が、この自我偈にはごく簡略に説かれております。


さて、最後の一偈は「我が智力是の如し 慧光照すこと無量に 寿命無数劫なり 久しく業を修して得る所なり」の文であります。

この「智力是の如し」とは、前の衆生を導くため、根本的な生命の深奥の本質に立って、そのところから機に随って衆生を導く智慧の総称であります。長行(じょうごう)の経文に、

「如来は如実に三界の相を知見す…実に非ず、虚に非ず、如に非ず、異に非ず、三界の三界を見るが如くならず。斯の如きの事、如来明らかに見て、錯謬(しゃくみょう)有ること無し」(新編法華経 432ページ)

と説かれる知見であり、空に非(あら)ず、仮に非ず、中に非ず、而(しか)して空、而して仮、而して一切を包含する中道一実の妙智であります。この微妙(みみょう)広大の妙智をもって、横には十方法界に遍く、縦には過去・現在・未来の三世を貫いて無量無辺の理を照らされるのであり、故に「慧光照すこと無量」であり、「寿命無数劫」と説かれるのであります。

要するに、凡夫の智慧で到底、計り知れない、境智の実体を示されております。故に、この仏身の常住を信解することによって、分別功徳品に説く如く、多くの衆生が十信・十住乃至、等覚の利益を得、その文底の元意よりしては、等覚一転して名字妙覚の悟りを開いて久遠元初下種の妙法蓮華経を覚知し、その身のままに本仏同体の悟りに至ったのであります。


さて、本日拝読の最後の一句たる「久修業所得」の文は、以上の過去・現在・未来の三世を一貫する、仏身常住の根本を示す文であります。この「久しく業を修して得る所」とは、長行において、

「我本(もと)菩薩の道を行じて、成ぜし所の寿命、今猶(なお)未だ尽きず。復(また)上(かみ)の数に倍せり」(同 433ページ)

と説かれて、久遠五百塵点のさらに以前に菩薩道を行じ、その功徳によって得たところの寿命は、本果妙の仏身を成じた今もなお尽きることなく、さらに、上の倍数の量である、と述べられております。

天台大師は、これについて光宅法師が「無常」と解釈したのを否定し、これは「常住」であるとして、因をもって果を況す文とされました。すなわち、

「経は因を挙げて果を況するなり…仏は円因を修し初住に登る時、己に常寿を得たまへり、常寿尽き難し、己に上の数に倍す、況(いわ)んや復(また)果をや」

と述べており、妙楽大師はさらにこれを敷衍(ふえん)し、

「故に知りぬ。尽きざる因寿を以て尽きざる果寿を況し、因果倶(とも)に常なるを明 かす」

として、久遠の昔、初住の菩薩の位に在って中道を分証して得た常寿と、本果の仏と成った時の常住の寿命を並べて、本因本果の常住を示すものと説きました。

これを要するに、天台も妙楽も迹化の菩薩の分際として、本門の極々の本地実体を割ることは許されませんので、初住分証常住と本果の仏身常住を共に修得に約して、過去の実成には始めが有り、未来は尽きずして常住不滅である、と言うのであります。すなわち、報身有始(うし)の見解であります。

これに対し、末法出現の本化・上行の再誕、内証・久遠元初の証得を示し給う宗祖大聖人は、『開目抄』に本門の本因本果について、

「九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備はりて、真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし」(御書 536ページ)

と示され、無始常住の仏身と判釈あそばされました。天台の前の解釈では、性得すなわち、仏性の常住を悟る点においては無始無終と言えますが、修得すなわち、仏果を成就したところでは無始にあらず、有始無終であって、ただ、その終わりなき未来の時に向かい、かつ、これを尽くして常住不滅を述べるのであります。

しかし、大聖人様は、さらに一段と深い文底寿量顕本の正義の上から、天台の有始の義に対して、無始の本因本果をお示しであります。『御義口伝』に、

「己(い)とは過去なり、来(らい)とは未来なり。己来の言の中に現在は有るなり。我実(じつ)と成(ひら)けたる仏にして己も来も無量なり、無辺なり」(同 1766ページ)

と、寿量の文底真実の仏身は、過去・現在・未来の三世にわたって、無辺常住なることを御指南であります。これは、大聖人の証得の仏身は久遠元初にして、「はたらかさず、つくろはず、もとの侭(まま)」なる仏身であり、「無作の三身なれば初めて成ぜず」、また「三十二相八十種好を具足せざる」故に、まことに三世を通じて本有常住の仏であります。これを、また『総勘文抄』に、

「釈迦如来五百塵点劫の当初(のかみ)、凡夫にて御坐(おわ)せし時、我が身は地水火風空なりと知ろしめして即座に悟りを開きたまひき」(同 1419ページ)

と、実修実証の修得に約して示されました。この凡夫即極(そくごく)のところに、無作常住の本仏がましますのであります。故に、久遠元初の本仏は、本果の仏身よりも、さらに一段と深奥なる寿量品の本源、本因妙名字に存するのであり、修得即性得、性得即修得なる故に、真の無始無終・本有常住の仏であります。

これが自我偈の「久しく業を修して得る所なり」の文の文底実義であり、ここに末法出現の久遠元初自受用身の再誕たる、本仏日蓮大聖人の真の仏身がおわしますのであります。我らは、本仏大聖人の大慈大悲が常恒(じょうごう)に大御本尊の当体として、我らを守護し、広大なる教導撫育(ぶいく)の恩徳を垂れ給うことを感拝し、いよいよ信行に励み、自行化他に邁進することが肝要であります。


時あたかも、末法万年の衆生救済の元意よりして、今日の世界における混乱・迷走を鑑みるとき、自他倶安同帰寂光の大信念による大法の弘通興隆こそ必須であり、この重大な時に当たり、本月13日をもって「訓諭」を発令した次第であります。

なにとぞ宗内僧俗各位には、この趣旨をよく諒解せられて、宗旨建立750年の佳節に向かい、一層の護惜建立(ごしゃくこんりゅう)、自行化他の御精進をなされますよう、お祈りいたし、本日はこれをもって失礼いたします。



 ○ 布教講演 『唯授一人の御相伝の意義を拝して』 青山聴瑩御尊師

本日は、「唯授一人の血脈相伝」厳護の御姿を拝して、日蓮正宗の本義をお伝えくださる、歴代御法主上人の御苦心の一端にふれ、私共の信心の在り方を考えてみたいと思います。今回御登山の皆様は、池田大作の権威のシンボルだった正本堂が姿を変え、また総門の跡には歴史ある「黒門」が移築され、昨日は海外の方々も参加されまして、御法主上人の通り初めが行われ、伝統ある総本山の雰囲気が、また大きく変わったのを感じられたと思います。

御戒壇様にお詣りできる。これは日蓮正宗の僧俗にしか許されていない、大きな功徳・福運であります。それは皆様方が、大聖人様から選ばれた地涌の菩薩の一員であるからだと、強い自覚を持っていただきたいのであります。そしてその使命に生き抜いていただきたい。人生最後の最後まで御奉公できたら、これ以上の満足はないと思います。


かつて御先師日達上人は、「日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは、広宣流布とは言えないのであります」(大日蓮 342号)と、創価学会が日蓮正宗と違う点を指摘されました。日達上人のこの御心は、正本堂落慶の翌々年に学会が、日蓮正宗の上に国際センターSGIを作るから、宗門もそこに加入をしてと言ってきたのを、日達上人が、はっきりと拒否なさった御姿によく表れています。

当時の様子を、その年、昭和49年7月27日に、次のように御説明なされています。

「私ははっきり断りました。日蓮正宗は大聖人様の遺命によって、広宣流布を全うしなければならない、只一つの宗旨である。その上にまた一つ国際センターというものが出来れば、(日蓮正宗としての)意味がなくなってしまう。また、御戒壇の大御本尊様をお守りするのも出来なくなってしまう。その意味からはっきり断りました。『私はどこまでも日蓮正宗は大聖人の教義を守って、たとえ、小さくてもよろしいからやっていきます。今、皆様方(創価学会)のお陰で大きくなっているけれども、もっと小さくなっても、どなたか、また大きく手伝いしてくれる人があるかもしれない。だから私はどこまでも大聖人の仏法を守る』と言って、はっきり日蓮正宗の上につく国際センターというものを、お断りした訳でございます。(趣意)」(指導会)
と仰せられています。これは、唯授一人の御立場に立たれる本宗の御法主として、大聖人の仏法厳護の立場をはっきりと示され、その責任の重さ、使命の重大さを、次の4点にしてお述べになったと拝します。すなわち、

このように、日達上人は血脈相伝の法主が中心となり、大聖人の仏法を守り弘めていけば、それを守護し、広宣流布を手伝ってくださる真の法華講衆が、未来に必ず出現してくると信じて、今日の皆さんに大きな期待をお寄せになっておられたことが、よく判ります。学会の態度次第によっては、たとえ宗門が小さくなろうと、信仰上敢然(かんぜん)と手を切って日蓮正宗を守る決意をなされたのは日顕上人だけではなく、最初は御先師日達上人であったことを、今回の学会問題で法華講に入られた方々は、まず頭に入れて学会員に話をしていただきたい。日達上人の時から、もう学会は悪くなっていたんです。


御先師日達上人のこの重大な御決意は、唯授一人の御相伝の中で日顕上人に受け継がれ、宗門支配を企んだ邪宗教は、破門によってその夢を砕かれ、代わりに御法主上人の御指南に応える立派な法華講が出現し、そして成長していることに、皆様方は今、大きな誇りと自覚を持っていただきたい。日顕上人御指南の「祖道の恢復」は、ここから始まっています。

本宗の唯授一人の御相伝は、このように前御法主上人の御意志を、次の御法主上人が確実に受け継ぎ、日蓮大聖人様の正法正義の広宣流布に向けて、僧俗一致で着実に前進していく中に、御相伝の大事な意義が実現されるのであって、そこには「本門戒壇の大御本尊様」に名前を刻まれた「法華講衆」に対する、歴代御法主上人の大きな期待が込められていることを、皆様方は嬉しく拝し、報恩感謝の折伏行に、より一層強い決意で邁進(まいしん)していただきたいのであります。

この唯授一人・血脈相伝の根源は、『一期弘法抄』に大聖人様が、「血脈の次第 日蓮日興」(御書 1675ページ)と仰せられたところにあることは、正宗信徒なら誰もが承知していることであり、判ってないのが学会員です。さらに日興上人が『日興跡条々事』に、「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし」(同 1883ページ)とお示しのように、大聖人様の御魂である「本門戒壇の大御本尊様」は、歴代の御法主上人によってここ総本山に厳護され、国内は申すに及ばず、世界各地からの登山参詣者に内拝を許され、御本仏の大慈悲を戴けるのは、日蓮正宗に大聖人・日興上人以来の血脈相伝と、この御大会の「三々九度の盃(さかずき)」の儀式に象徴される、御本仏日蓮大聖人様の三世常住不滅の仏法が厳然と存在するからであり、今、破門されて邪宗教となった創価学会には、信仰の根本たる大事な大御本尊と血脈が無くなったために、「曼荼羅はいつか無くなっちゃう。物体だから」とか、「2人目の法華経の行者が出現」などと自称して、御戒壇様と唯授一人の血脈を否定し、身延の波木井実長の如く、代わりの本仏を造ろうと躍起(やっき)になっているのが、御法主上人を誹謗中傷する哀れな池田創価教の裏面であります。

また日興上人は、「本門寺建立の時、新田卿阿闍梨(にいだきょうあじゃり)日目を座主と為し」(同 1883ページ)と仰せられていますが、彼等在家団体では、日目上人はどうなるんでしょうか。因(ちな)みに、日蓮正宗で教えられている血脈相伝とは、

であります。創価学会はこの中で、大聖人様が示された「生死一大事の血脈」の言葉だけにしがみついて、会員の確保と洗脳教育、信仰の独立を図っているのがその実態であります。

また彼らは、正本堂の取り壊しで必死に御法主上人攻撃をしていますが、355億円の御供養に132億円の利子を加えた総額487億円の正本堂御供養のうち、288億円で建設された正本堂の他、富士美術館や扶桑文化センターなどの学会施設も正本堂建設費に含まれており、さらに355億円の御供養に関しては、「あの他に100億はやったよ」という池田大作発言、あれは一体何を意味していたのでしょうか。

さらに疑惑が深まっている点は、何10億円か判りませんが、沖縄を含む当時の海外の人々の御供養は、総額を集計した昭和40年10月に、「後日発表」すると言ったまま、その後計上された気配は全くなく、7年後の正本堂決算報告でも、御供養の総額は355億円のままで報告され、海外の方々の真心は、どこかへ消えてしまって、全く行方不明となっていることを、学会幹部は説明ができません。(正本堂建設記録 昭和50年5月3日)今学会員は、このような事実を知らずに、正本堂に関して御法主上人攻撃を繰り返していますが、竹入元公明党委員長に対する、『聖教新聞』や『公明新聞』の集中的な個人攻撃の勢いで、このように不明瞭な学会本部の、正本堂会計を徹底的に追及したらいかがでございましょうか。

竹薮(たけやぶ)の金庫から出てきた1億7千万円だって、山崎元弁護士は、お金を包んでいた風呂敷から見て、八王子の土地買収での業者からのリベートではないか、と言っているではないですか。(続社長会の解読・2)今、竹入氏への攻撃も、「言論問題の再現だ」と非難されるくらい猛烈ですが、これは竹入氏が真実をありのままに述べたことにより、池田創価学会が、社会に隠してきた公明党支配の実態が、世間に判ってしまったからでしょう。宗門攻撃と同様、学会が組織を挙げて人権無視の非難、集中攻撃をするときは、池田や幹部にとって「知られてはまずい隠しごとが、たくさんあるからだ」と判断できます。竹入氏も正宗信徒として、今は強い決意をする時だと思います。


このように学会の悪口誹謗中傷は、幹部指導という口コミと機関紙の『聖教新聞』や『創価新報』、さらには広告や印刷費など、合法的に資金提供している、テレビ・新聞・ラジオ・出版社などの一般マスコミを使って行われていますが、先般、山口地方裁判所岩国支部は、学会員が末寺に預けていた遺骨が、湯呑み茶碗に入れ替えられていたと訴えていた遺骨訴訟の判決で、原告の学会副婦人部長や圏本部長らの『聖教新聞』における住職誹謗記事などは、まことに不合理不自然で、信用できないとして、原告4名の請求を全部棄却しました。この件は川崎市・持経寺のコーヒーカップ訴訟と同じです。さらに先日18日に山口地方裁判所は、同じく山口県の防府市・覚正寺の納骨に関し、お寺が、願主である学会員に無断で規格壺に入れ替えて、お骨の一部を勝手に処分したと訴えられた遺骨訴訟に関し、学会員ら原告8名の主張を、全部棄却する判決を下し、『聖教新聞』や『中外日報』、また怪文書や会合指導での宗門僧侶への誹謗悪口と、悪意に満ちた捏造(ねつぞう)記事や彼等の発言が、裁判官によって全部否定されました。

これは非常に重大なことで、つまり学会大幹部たちのこの種の聖教座談会記事は、信用できない嘘のすり替えやでっち上げだと裁判所が判断したわけで、一を聞いて十を知るという世間の諺(ことわざ)からいけば、『聖教新聞』は、このように幹部である原告らが造った嘘の記事を掲載し、御法主上人や宗門僧侶誹謗の宣伝をした、人権無視の反社会的・悪質な新聞だという動かぬ証拠のレッテルを、裁判所によって貼られたわけでありまして、幹部と聖教新聞社の責任はまことに重大です。この弘法寺及び覚正寺の判決をはじめ、中国地方8件の訴訟のうち、高裁の1件を含め、判決のあった7件全部に完全勝訴を勝ち取っております。まことに大御本尊様の御加護を、私共はありがたく感ずるところであります。しかし提訴のときには大宣伝した『聖教新聞』は、学会員のこの敗訴を一つも報道しておりません。これは正確公平な報道の責任を自ら放棄したというものです。

この幹部指導の嘘と聖教記事を徹底的に批判していくことが「動執生疑(どうしゅうしょうぎ)」、学会に対する会員の信頼と執着を打ち破り、幹部指導への疑問を起こさせる突破口ですから、学会員の折伏には、『聖教新聞』の僧侶誹謗記事は、嘘ばかりだったことに話題を絞り、徹底的に破折して下さい。


正本堂取り壊しに関する悪口誹謗も同じでありました。しかし一番大切なのは、正本堂という建物ではなく、御開山日興上人以来、歴代の御法主上人によって厳護されてきた戒壇の大御本尊様です。建物は取り替えができますが、大聖人様の御魂は取り替えはできません。故に歴代の御法主上人は、この信仰の根源である御戒壇様と、大聖人・日興上人以来の血脈相伝を中心とした日蓮正宗の法統を、厳然と守ってこられたではないですか。

故に、昭和49年の時に日達上人は、御戒壇様御遷座について、「正本堂は、その時の日蓮正宗の信心をする人の集まりとその供養によって出来た建物である。だから若し学会が来なくなったら、御本尊は御宝蔵へおしまいして良いと私は覚悟を決めました。(趣意)」(指導会)とお話され、国際センターSGIの話の他に、大石寺の会計まで調べさせろという、横暴な学会の宗門支配の姿勢に強く反発され、創価学会が参詣しなくなったら、御戒壇様は御遷座すると表明しておられました。現在のような謗法団体に堕落した創価学会を見るとき、日達上人のこの御言葉のように「その時代の日蓮正宗を信ずる人の集まりと、御供養による建立の建物」が、総本山に今、一番必要だということがお判りだと思います。

日蓮正宗の歴史を振り返ったとき、日興上人は大聖人様9ヶ年御在住の身延を棄てて、富士に移られました。「地頭の不法ならん時は我も住むまじき由御遺言には承り候えども不法の色も見えず候」(日蓮正宗聖典 555ページ)と『美作房御返事』に仰せのように、はじめは不法、すなわち謗法の色も見えなかった地頭の波木井実長が、唯授一人の血脈を御相伝なされた、初発心の師匠である日興上人の指導を聞き入れず、最後は謗法に堕落しました。

「身延沢を罷り出で候事面目なさ本意なさ申し尽くし難く候えども、打ち還し案じ候えば、いずくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて、世に立て候わん事こそ詮にて候え」(同 560ページ)の『原殿御返事』の御言葉の如く、大聖人様の正法正義を守ることに、最大の御苦心をなさった日興上人は、謗法者の領地である身延からの絶縁を決断し、清らかな信仰の聖地を求めてこの富士に移られたのは、皆様御承知の通りであります。

「日興一人本師の正義を存じて、本懐を遂げ奉り候べき仁に相当って覚え候えば、本意忘るること無くて候」(前同)との御言葉に、大聖人様から血脈相伝をお受けなされた唯授一人の責任の重さが、すべてこめられていると拝することができるのであります。

これが本宗の御歴代の御法主上人の御姿であり、御先師日達上人も、また日達上人の御相伝を受けられた御当代日顕上人も、御開山日興上人と同じ御精神で、大聖人様の仏法をお守りくださったから今日の宗門があるのであり、私共があるのであります。日顕上人は、この点を本年の教師講習会で、

「700年という長い宗門の歴史のなかにも、様々な時代があったけれども、その時々における御法主上人が身命を捨てて、また、御自分のお立場・名誉・面子(めんつ)など、そういうものをすべてかなぐり捨てて、大聖人、日興上人の相伝の大法を、どこまでも世の中に正しく立てまいらせなければならないというところのお心が700年、伝わってきて、今日、身延派等の邪義が蔓延しておる色々な形のなかにおいて、ただ一つ、大聖人の正法が本当に純粋に持(たも)たれておるのであります」(大日蓮 632号)

と仰せくださっておられます。皆様が今この席に座られて、この大聖人様の御尊顔を、また御戒壇様を拝することができるのは、この日興上人以来の御歴代の御法主上人、中でも御当代日顕上人が、国家権力をも左右しかねない現代の強大な邪宗教・創価学会を破門し、増上慢の謗法者・池田大作から大聖人・日興上人の正法正義を護って日蓮正宗を世に立て、広宣流布に向け、私共の想像もつかない御苦労を重ねてきてくださったからであり、この正法広布への御苦心を、私共は夢にも忘れてはなりません。この意識を強く持って御報恩の折伏行に邁進していただきたいために、本日はこのお話をいたしております。

そのためには、10年前の法華講の方々が、学会員の誹謗中傷の中を必死に自行化他に励み、日顕上人の御命題だった平成2年の3万総登山を達成した大折伏をまた再現し、平成14年・30万総登山に向け、今度は皆様方が大聖人様の御命令として、大折伏に取り組んでいくことが不可欠であります。


では、どう取り組んでいくか。御法主上人は、それは身口意の三業、すなわち身に折伏を実践し、口に唱題を重ね、意(こころ)に「30万総登山を名実ともに必ず成就なさしめ給え」(大白法 512号)との御祈念を、しっかりと心の底から願っていくことだと御指南くださっておられます。この御祈念を一人ひとりが真剣にやれば、そしてみんながやれば、自ずと心が統一され、本当の異体同心が必ずできます。大聖人様が、「一人の心なれども二つの心あれば、其の心たが(違)いて成ずる事なし。百人千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず」(御書 1389ページ)と仰せのように、今、広宣流布への前進は、日興上人以来、大聖人様の仏法を厳護なさる唯授一人・血脈相伝の御法主上人のもとに心を一つに合わせ、総講頭・柳沢委員長殿を先達に、全国・全世界の法華講の同志が、唱題に折伏に、覚悟と勇気を持って邁進していくのが、御法主上人御指南の「異体同心の確立」と「広布への前進」であり、必ずや御本仏の御加護があると信じて疑わないものであります。

「悪は多けれども一善にかつ事なし」(同 1390ページ)の御言葉のように、悪の学会員がいかに多くても、戒壇の大御本尊様の一善には勝てません。皆さんも、自分の唱題と折伏に、もっともっと自信と確信を持ってください。必ず目的は成就していけます。そう信ずるのが最高の人生観でありましょう。今、波木井にも勝る大謗法で、第六天の魔王と化した池田大作が、『三大秘法抄の本門戒壇』を前もって建立すると称して、宗門支配の道具に使おうとした正本堂を取り壊し、創価学会の広宣流布ではなく、大聖人様の仏法を弘める日蓮正宗の広宣流布のために、そして日本及び世界各地から登山参詣される法華講員のために、「法華講衆」と御文字を刻まれた戒壇の大御本尊様を御安置申し上げる「奉安堂」を、「法華講衆の信心」で建立し、未来広布へ磐石の基盤を築くのは、至極当然のことであると思いますが、皆さんはいかがでしょうか。

血脈付法の御法主上人が、熟慮に熟慮を重ねて、最終決断を下されたときには、その御方針に僧俗皆、信伏随従していくのが本宗の異体同心・僧俗和合であり、信心の基本姿勢であります。今般、御発令の「訓諭」において御法主上人は、「下種本仏宗祖大聖人ノ大慈大悲ニ対スル報恩ノ為 宗旨建立七百五十年慶祝記念ノ法要ト 必要ナル諸事業ノ貫徹ニ邁進スベキナリ」(大白法 514号)と御指南されました。

折伏・正法弘通に精進し、生涯に2度と合えない立宗750年の佳節に向け、我々の真心を積み立て、真心を積み重ね、僧俗全員で御奉公させていただこうではありませんか。以上をもちまして、まことに粗略な内容でございますが、私の講演を終わらせていただきます。御静聴、ありがとうございました。 



◇ 総門開通式

 ○ 猊下御言葉

ただいま総本山総門のテテープカットを執り行いました。御大会に参詣の信徒の方々、またはるばる海外より御参詣の信徒の方々、たいへんお忙しいなかをこの開通式に御出席をいただきまして、厚く御礼申し上げます。有り難うございました。

この「門」いうことにつきましては、仏法上の意義におきましても、非常に大事なものがあります。皆様方も御承知の如く法華経の品に、「其智慧門、難解難入」とありますが、これは「其の智慧の門は難解難入なり」と読むのであります。この御文は法華経の上からしても非常に深い意義がありますが、要するに御戒壇様のまします寂光の霊地である総本山に、世間の謗法充満のなかで生活される方々が道心を発(おこ)してここに参詣をせられる。そして総本山に第一歩を印してくぐられる門が、この「総門」という意義であります。

そのような点からも、これから皆様方が御参詣の時に、この門をくぐって霊地である総本山において信行に励まれるという深い意義があると存ずる次第であります。その意昧をもちまして本日これから皆様と共にこの門をくぐって開通式とする次第であります。どうぞよろしくお願いをいたします。

 ○ 主任理事挨拶 八木信瑩御尊師

一言、御挨拶を申し述べます。さわやかな秋晴れに恵まれた総本山御大会の佳き日、ただいまより御法主日顕上人猊下のお出ましをいただき、総門の移設開通式を執り行います。

この総本山の表の入り口としての、総門の歴史をさかのぼりますと、第12世日鎮上人の代・戦国時代の大永二(1522)年の建立が、最も古い記録のようです。その後、百年余り経って、寛永十五(1638)年、17世日精上人が再建され、のちの御歴代上人が折々に修復を加えてこられました。明治になって、55世日布上人が大聖人の第六百遠忌ならびに日興上人・日目上人第五百五十遠忌を迎えるに当たり、御報恩のため、明治十三(1880)年に再建・新築された記録が残っていますので、おそらくこの門がそれに当たるであろうと思われます。そうすると、今から118年前の建立であります。

黒塗りであるところから、「黒門」という名称で今日まで親しまれてきました。近代に至り、昭和47年に、この位置に新たにコンクリート製の総門が建立されて、旧来の黒門は、その総門としての役割を譲り、静かにこの東の林に囲まれて保存される形になりました。たしかに、かつて一之坊から五之坊に至るまで、五ヵ坊もの鉄筋コンクリート造りの総坊が、びっしりと建ち並んでいたその当時としては、同じコンクリート造りの近代的な総門も相応していた観がありました。しかし、その後、それらの五ヵ坊が取り壊されて、和風様式の総一・総二坊が出来、地涌六万大総会を機に、この7500坪余の「広布の広場」が整備されて周りが広々とし、真正面に青く緑青(ろくしょう)をふいた屋根を頂く朱塗りの三門がよく見通せる状況になりましたので、この際、日鎮上人以来、500年になんなんとする伝統を受け継ぐ由緒ある黒門が、再び正規の総門として復帰することになった次第であります。

果たせるかな、この位置に移設したところ、御覧のように周囲の大建築物に、けっして引けを取らない堂々たるたたずまいを見せています。さすが、総本山の表の顔として長年の風雪に耐えてきた門だけに、厳然とした風格が備わっていると感ずるのであります。大御本尊様の奉安殿御遷座、そして正本堂の解体撤去と、仏敵・池田の謗法汚染を浄化し、真の僧俗一体による広布への前進を図って着々と祖道の回復を目指す今日、当黒門の移転開通もまた、大いなる意義が存するものと確信いたします。

いよいよ「出陣の年」を目睫の間にし、私どもは本日のこの意義深い慶事を機として、今般御発令の「訓諭」にお応えすべく、異体同心の実を挙げ、一層の精進を誓い合いたいと思います。終わりになりましたが、誠心誠意、移転整備工事に当たってくださった株式会社川俣組に、心から感謝いたしまして御挨拶とします。


 ◇ 覚正寺遺骨事件、創価学会の策謀を悉く粉砕

覚正寺(山口県防府市・細川明仁住職)は、納骨願主である創価学会員8名から、遺骨を無断で処分されたとして、平成4年5月2日に損害賠償請求訴訟を提起されていたが、平成10年11月18日、山口地方裁判所(石村太郎裁判官)は、原告ら創価学会員の訴えを全て棄却し、覚正寺完全勝訴の判決を下した。

覚正寺の規格壷方式を狙った学会の策謀 覚正寺では、昭和35年創立以来、学会員らが今回異議を申し立てるまでは、遺骨に関するトラブルは全くなかった。ところが、平成4年3月27日から4月15日の僅か20日間に、原告ら学会員が集中的に遺骨を引き出し(原告1名を除く)、自分たちは規格壷にすることは聞いていない、細川住職が無断で遺骨を処分したとして提訴してきた。さらに原告の中には、預けた遺骨をそのまま返されたにもかかわらず、骨壼を小さくされて遺骨を処分されたとして訴えた者もいた。

学会の場当たり的主張の破滅 学会員らは遺骨処分の時期を、当初、昭和59年に行われた遺骨整理の際に、細川住職が願主に無断で遺骨を処分したと主張したのであるが、覚正寺側の証言やその当時の写真によって反論されるや、一変して先代住職の時代に遺骨が処分されたと主張を変更したのである。さらに、原告ら学会員の供述も、訴状等で納骨したと主張した骨壼の大きさ、材質、色について覚正寺の調査した弾劾証拠を突きつけられると、場当たり的に供述が変遷するなど、全く信用できないものであった。

山口地裁、覚正寺の主張を全て認める 裁判長は、覚正寺から返された遺骨は原告らが預けた遺骨に間違いなく、覚正寺が昭和59年8月に無断で遺骨を処分したという原告らの主張は認められないとした上で、原告らの供述は一番肝心な部分で変遷があり、真実と異なる部分が多く信用できない、また学会が作成した各書証もいずれも信用できないとして排斥し、覚正寺側の主張を全面的に認める判断をした。

今回の判決により、覚正寺の遺骨安置は適正に行われており、覚正寺を狙った創価学会丸抱えの訴訟の不当が山口地裁でも明らかにされた。


 ◇ 御書解説 『松野殿御返事』(十四誹謗抄・御書1581頁)

本抄は、建治2年(1276)12月9日、大聖人様が55歳の御時、身延においてお認(したた)めになられた御書です。内容から別名を『十四誹謗抄』ともいわれています。

本抄に、「此の三位房(さんみぼう)は下劣の者なれども、少分も法華経の法門を申す者なれば、仏の如く敬ひて法門を御尋ねあるべし」とあるように、三位房に遣(つか)わしたと思われます。御真蹟は現存しません。

<背景>

文永11年(1274)4月8日、佐渡からお帰りになられた大聖人様は、幕府の評定所において平左衛門尉以下幕府の最高首脳陣に対して三度目の国家諌暁をされました。しかし、幕府の理解するところとはならず、1カ月後に身延へ向かわれ、5月17日に波木井実長の館に入り、その後粗末な草庵を結んで6月中頃に入室されました。

その下旬頃より、日興上人による本格的な甲州・駿河地方の折伏弘教が開始されたのです。日興上人は御幼少の頃、四十九院(現在の静岡県富士川町中乃郷あたりと推定される)に登られた後、須津(すど)の庄において漢学や書道・歌道を習得され、さらに仏教一般の学問を修学されるべく岩本の実相寺(現在の富士市岩本)に登られました。実相寺は、天台宗延暦寺系の名刹(めいさつ)でした。

大聖人様は『立正安国論』御述作のため、正嘉2年(1258)から約3年の間、実相寺の経蔵に入られましたが、日興上人は、この経蔵で熱心に大蔵経を閲読(えつどく)される大聖人様の尊容を拝し、入門を願い出て御弟子になられました。そして、大聖人様が鎌倉へお帰りになられた後も、実相寺において学問に励まれました。

また大聖人様の、弘長元年(1261)の伊豆御配流や文永8年(1271)の佐渡御配流の際には、師の身を案じ、自らも赴いて常随給仕あそばされ、またあるいは近隣を折伏弘教されたのでした。

大聖人様が身延に入山され、粗末ながらも折伏の拠点ができたことによって、弘教の熱意はさらに燃え上がりました。縁のある四十九院や実相寺、滝泉寺等の僧侶や、在家の方々を折伏され、次第に教線は拡大していったのです。

松野殿の入信の時期は明らかではありませんが、建治2年(1276)から御書を賜っていることから、あるいはこの頃に入信されたものと思われます。

これに先立って、四十九院で修学していた松野殿の子息である日持が、文永7年(1270)に日興上人の教化によって大聖人様の弟子となりました。また本抄に名のある日源も、日興上人の教化によって大聖人様の弟子となり、松野殿はこの日源によって教化されたようです。


二、本抄の大意

はじめに松野殿よりの種々の御供養に対してのお礼を述べられ、身延山の様子を述べられます。

次に、実相寺の学徒・日源の帰伏のことと、名聞名利を捨てたその道念堅固なる信心を賞されています。

そして、松野殿よりの「御題目の功徳に勝劣がありますか」との質問に答えられ、智者の唱える題目も、愚者の唱える題目も、その功徳に勝劣なき所以(ゆえん)を述べられ、法華経修行において留意すべき「十四誹謗」を挙げて、これは在家出家にわたる謗法として留意すべきことを訓戒されています。

さらに、雪山童子(せっせんどうじ)が求法のため、鬼神に身を投じた死身求法の例を詳述されて、信心修行における出家と在家の心得を御教示されます。

そして出家には、遊戯雑談(ゆげぞうだん)の態度は法師の皮を着たる畜生、法盗人であると戒められ、経文を引かれて不惜身命の修行、折伏弘教を勧誡されています。

また在家には、唱題と御供養の大切さを説かれ、さらに力に随っての折伏弘通を勧められ、信心倍増して得られる無上の成仏の境界を明かされ、本抄を結ばれております。


三、拝読のポイント

はじめに松野殿は、「聖人の唱へさせ給ふ題目の功徳と、我等が唱へ申す題目の功徳と、何程の多少候べきや」と、、唱題の功徳勝劣を質問されました。これに対して大聖人様は、「其の差別なきなり」と、題目に差別のないことを示されます。しかしながら、「但し此の経の心に背きて唱へば、其の差別有るべきなり」と、経の心に背いて唱えるならば、そこには差別があることを明確に示されます。

そして、さらに十四誹謗の訓戒を示されます。十四誹謗とは、『法華経譬喩品』を依文として、妙楽大師の『法華文句記(ほっけもんぐき)』の五に、悪道に堕ちる因業として十四の謗法が挙げられています。

すなわち、

  1. 驕慢(きょうまん)=驕(おご)り高ぶって正法を侮(あなど)ること
  2. 懈怠(けだい)=仏道修行を怠けること
  3. 計我(けいが)=自分勝手な考えで仏法を推(お)し量ること
  4. 浅識(せんしき)=自らの浅はかな知識で、深く広い仏法を判断しようとすること
  5. 著欲(じゃくよく)=欲望に執着して正法を軽んじ、求めようとしないこと
  6. 不解(ふげ)=仏法を正しく解ろうとしないこと
  7. 不信(ふしん)=正法を信じないこと
  8. 顰蹙(ひんじゅく)=正法を非難すること
  9. 疑惑(ぎわく)=仏法を疑い、迷うこと
  10. 誹謗(ひぼう)=仏法を謗り、罵(ののし)ること
  11. 軽善(きょうぜん)=根本善である正法を受持する者を軽蔑し、莫迦(ばか)にすること
  12. 憎善(ぞうぜん)=正法を受持する者を憎むこと
  13. 嫉善(しつぜん)=正法を受持する者を怨嫉(おんしつ)すること
  14. 恨善(こんぜん)=正法を受持する者を恨むこと
の十四です。

大聖人様は、 「此の十四誹謗は在家出家に亘(わた)るべし」と仰せられ、さらに過去の不軽菩薩の礼拝(らいはい)行を例に挙げ、法華経(三大秘法の御本尊)を持(たも)つ者をお互いに謗ってはいけない。その理由は、法華経(御本尊)を持つ者は皆仏であって、仏を謗れば罰を受けるのは当然だからである。このように心得て唱える題目の功徳は仏の唱える題目と等しいと御指南されています。

また、松野殿が名聞名利や我慢偏執(がまんへんしゅう)の心なく、御法門のことを尋(たず)ねたことをお誉めになり、師弟相対の信心を御指南されています。

私たちは、宿縁深厚にして大聖人様の大白法に縁することができた尊い広布の同志であります。ですから、謗法厳誡の御指南を肝に銘じ、なお一層の異体同心の団結をもって、共々に精進することが肝要です。


次に、不惜身命・死身求法の信心です。本抄で、大聖人様は雪山童子の不惜身命の修行を例として挙げられました。雪山童子の故事は諸御書にしばしば引用されますが、ここに大聖人様の不惜身命・死身求法の御精神を拝することができます。『佐渡御書』に、「雪山童子の身をなげし、楽法梵志(ぎょうぼうぼんし)が身の皮をはぎし、身命に過ぎたる惜しき者のなければ、是を布施として仏法を習へば必ず仏となる」(御書578ページ)と仰せです。

不惜身命とは自らの欲望を捨て、命を懸けて妙法に捧げる修行のことです。命の惜しくない人はいません。命はかけがえのないものです。その大切な命を懸けた修行があってこそ成仏するということは、それだけ成仏の境界が素晴らしいということなのです。「遊戯雑談」に明け暮れる暇はないのです。お互いに戒め合い、励まし合って余念なく唱題行を充実させていきましょう。


最後に、御供養の精神です。御供養は、仏法僧の三宝に対して、崇敬(すうぎょう)の真心から捧げるものです。仏法僧の三宝が具わってこそ私たちの成仏が叶うのです。

本年3月には待望の新客殿が落成し、私たちも真心からの御供養をさせていただきました。それは偏(ひとえ)に令法久住・広宣流布のためです。私たちは正法を信仰できる自らの福徳に報恩感謝し、仏法僧の三宝を全力でお護り申し上げ、随力演説のほど折伏をさせていただきましょう。その強盛な信心によって「現世安穏・後生善処」は疑いないと、大聖人様は御指南されているのです。


四、結び

このように、私たちが成仏する道は、正法正師の正義に随順する、強盛で真剣な信心の実践以外ありません。御法主上人猊下は、本年の「革進の年」に相応(ふさわ)しい御指南をもって、正法の姿を顕揚あそばされています。私たちは、御法主上人猊下の御指南に信伏随従し奉り、本年の有終の美を飾り、その勢いを明年の「出陣の年」につなげていこうではありませんか。


※この記事は修徳院支部の川人さんの御協力で転載いたしました。


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