大白法

号外 平成11年8月10日号


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クロウ裁判速報大白法号外
平成11年8月10日
「シアトル謀略事件」総崩れ

これが池田創価学会の正体だ
すべてが真っ赤な大嘘 根こそぎ暴露!!

アメリカの軍人記録局・検察庁/警察の公式記録で偽証が発覚

“現場警察官”―スプリンクル―は軍務で休職中!キューバ危機で空軍に緊急召集

「ウソは必ず暴かれる」とはこのことであろう。池田創価学会は平成4年6月17日以降、創価新報や聖教新聞等の学会メディアを駆使して、日顕上人が1963年(昭和38年)3月20日、第一回海外出張御授戒のためアメリカ合衆国に赴かれた際、深夜シアトル市内で売春婦ともめて警察の厄介になり、現地学会婦人部のヒロエ・クロウに助けられたという虚偽・捏造の「法主買春」虚偽報道を、クロウを証人としてこれでもかと言わんばかりに繰り返し行ってきた。

これに対して宗門は池田大作と創価学会を被告として謝罪を求める名誉毀損訴訟を東京地方裁判所に提訴したが、創価学会は現場に立ち会った警察官であるとして、元シアトル警察官のロナルド・C・スプリンクルを「直接目撃証人」に仕立てたうえ出廷させた。スプリンクルは、学会のでっち上げたストーリーのようなことが本当にあったかのような証言をしたうえ、30年以上もたっているのに、「シアトル事件の現場」にかけつけたとするクロウの顔を「彼女を見た時すぐ判りました」と言ってのけた。

ところが驚くべきことに、宗門が東京地裁におけるクロウ裁判も終盤に近づいた段階で、再度スプリンクルの身辺を鋭意調査したところ、シアトル警察やアメリカ空軍から驚愕すべき情報を入手した。アメリカの情報公開法にもとづいて警察や軍隊から入手したさまざまな公文書を見ると、実はスプリンクルは当時徴兵され、アメリカ空軍に所属しており、シアトル警察を休職中であった事実が明らかになったのである。

1963年3月にスプリンクルがシアトル市内をパトロールしていたことや、クロウの言うような「シアトル事件」に関与することなどあり得ないことが、ここに至って白日のもとに暴露されたのである。このことは取りも直さず、クロウの数々の証言も同じく真っ赤な大ウソであることを明らかに示すものであり、池田創価学会の重大な偽証責任は免れない。



でっち上げ事件と偽証人


これらシアトル警察やアメリカ空軍の公式記録によると、当時アメリカ空軍『予備兵』であったスプリンクルは、1962年10月28日、
キューバ・ミサイル危機が勃発した関係で、急きょアメリカ空軍に緊急召集されたことが明記されている。キューバ危機は短期間で終息したため、その後スプリンクルは通常の兵役義務に戻り、1963年4月26日までの6ヶ月間、アメリカ空軍基地で連日厳しい軍事訓練を受けていた。その間、シアトル警察には「軍務休職」の届けを出し、1963年5月6日に復職するまで、スプリンクルがシアトル警察にいなかったことは、これら各種の公文書により一点の疑問の余地なく明らかにされたのである。

つまりスプリンクルは、いわゆる「シアトル事件」があったとされる1963年3月19日深夜から20日未明にかけては、シアトル警察にはいなかったのである。これでスプリンクルが「事件」当夜、第123号のパトカーに乗ってダウンタウンをパトロールしていたとか、売春婦と口論していた東洋人の男性を一時拘束(検問)したとか、その男がポケットから出して示した電話番号をまわしてヒロエ・クロウを現場に呼び出し、その男をクロウに引き渡した、とかいう証言はすべて真っ赤なウソであったことが判明した。

クロウは「スプリンクルに会ったら、一目ですぐ、30年前のあの時の現場警察官だと判った」と東京地裁の法廷で言ってのけたが、それも全くのウソであったことが暴露されたわけである。この一言で、ただでさえ荒唐無稽なクロウ証言の信用性は一気に地に堕ちた。こうして、クロウ及びスプリンクルを「目撃証人」として使った創価学会の「シアトル事件」立証の企ては根こそぎ崩れた。

スプリンクルは、創価学会側のアメリカ弁護士であるバリー・ラングバーグ事務所から4000ドルもの現金(約50万円)を毎月受け取っていたが、司法の公正を踏みにじった池田創価学会の責任は、日本社会全体の問題として糾弾されるべきである。


記録は真実を語る


東京クロウ裁判も大詰めを迎えた宗門は、このスプリンクルという人物を徹底的に洗い直すべく、ロサンゼルスのクロウ裁判で完勝をおさめたH・ジェイ・カルマン弁護士に、再調査を依頼した。カルマン弁護士は元IRS(国税庁)犯罪捜査官及び元シアトル警察幹部2人を中心とした調査チームを組織した。調査チームは、1970年代初めにシアトル警察内で大がかりな汚職摘発があったことに注目し、スプリンクルの関与の有無を調べた。その結果、スプリンクルは汚職事件を捜査したキング郡検察庁で事情聴取を受けたことがあり、その時に担当検事が作った覚書が残っていることが判った。

それによれば、スプリンクルはキューバ・ミサイル危機のころに六カ月間空軍予備役として徴兵されていたと、スプリンクル自身が語ったことが記されていた。いわゆるキューバ危機は1962年10月後半に勃発している。そうであれば、スプリンクルは学会のいう「シアトル事件」が起こった1963年3月にはシアトル警察にはいなかった可能性が高い。調査チームは、スプリンクルが軍隊にいた時期をさらにはっきりさせるべく、シアトル警察を再度調査した。

するとシアトル警察の年金局にスプリンクルの勤務日数カードが残っていることが判明した。年金局は、退職した警察官の年金を計算する上で、在勤中の勤務日数を正確に記録し保管していた。スプリンクルの勤務日数カードには、1962年10月30日付で「軍務休職開始」とあった。つまりスプリンクルはこの日から、兵役のために警察を休職したのである。そして1963年5月6日付で「軍務休職より復帰」とあり、スプリンクルが軍隊からシアトル警察に復帰したのはその日であったことがはっきりした

創価学会の言う「シアトル事件」の一九六三年三月二十日には、まだ警察に復帰していなかったのである。また当然のことながら、この勤務日数カードによれば、スプリンクルにはこの期間は給料も支払われていないことが認められた。



一九六二年十月二十八日付アメリカ合衆国第97
兵員輸送中隊よりの特別召集命令書

キューバ・ミサイル危機のため、即日の出頭を命
じている。

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特別召集令状




まさに「天網恢々」 記録は残っていた


さらには、シアトル警察人事部にも雇用記録が残っていた。記録の保存期間はその警察官の退職後7年と定められており、記録係も最初は、7年以上前の記録はないと回答していたが、よくよく調べてみると、現実には廃棄処分に手が回らなかったためか、残っていたのである。この雇用記録でも、スプリンクルは同じ時期に軍務休職となっていたことが記載されていた。

それだけではなく、スプリンクルは1962年4月から、警察の射撃練習場の係官として配属されており、パトロール勤務に配属されたのは、軍隊から帰ってきた1963年5月6日であることも書かれていたのである。同年3月には、まだパトロール警官ですらなかったのである。


バッジ、ピストルのない警官がパトロール?

シアトル警察の資材室は、警察官に支給する警察バッジやピストルを管理する部署であるが、そこにもバッジやピストルの出し入れの古い記録が廃棄されずに倉庫の片すみに眠っていた。膨大な記録をくまなく探すと、スプリンクルは軍隊に行っていた右の期間、バッジもピストルも資材室に返納していたこと、軍隊から帰ってくる際に、あらたにバッジとピストルを支給されたことが、きちんと記されていた。

制服警官であれば必ずバッジを着用しなければ職務につくことはできない決まりになっている。ピストルもパトロールには必須のものである。バッジもピストルも持たない警察官がパトカーに乗って深夜のシアトル市街をパトロールすることなど、誰が考えてもあり得ないことである。


シアトル警察資材室 銃器記録カード

シアトル警察資材室に保管されているピストルの
貸与・返納に関する記録。スプリンクルは、軍務
に就くに当たり、1962年10月31日付で資
材室にリボルバー(回転式拳銃)38口径を返納
し、警察に復職する直前の1963年5月1日に、
新たにピストルの貸与を受けている。

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資材室銃器管理






裁判史上 空前絶後の大偽証

ねつ造事件に決定的証拠 池田創価学会の大悪辣




続々と決定的証拠


その他、警察の人事記録の中には、当時アメリカ空軍からスプリンクルに宛てられた召集令状の写しもあった。最初の令状は1962年10月5日付でアメリカ第六空軍予備役部隊からスプリンクルに対し6カ月間の兵役を命ずるもので、11月8日に部隊に出頭せよというものであった。これは予備役の兵士としての基礎訓練のための召集であった。

ところが、その後にいわゆるキューバ危機が発生した。当時の新聞によれば、10月27日マクナマラ国防長官は、14,000名余りの空軍予備兵に召集令を発したことが報道されているが、スプリンクルも日を繰り上げて10月28日に出頭せよとのあらたな命令を受けていた。この特別召集令状の写しも人事記録中に残っていたのである。

また、シアトル市役所が発行した軍務に関する証明書の写しも残っていた。これはスプリンクルが右の6カ月間、アメリカ空軍で兵役を終えたことを証明する書類で、警察への復職届けに添付されたものであった。


ダメ押しの証拠も入手

調査チームはここまでの調査により、スプリンクルが1962年10月末から翌1963年5月初めまでの6カ月間は、軍隊にいたのであって、警察にはいなかったことを確信したが、念には念を入れるため、空軍の記録についても照会をした。軍の記録は全米人事記録センターの軍人記録局というところが保管していた。

その回答はまさにシアトル警察の記録にピッタリと一致するもので、スプリンクルは右の期間は空軍予備役として召集を受け、テキサス州ラックランド基地やワシントン州ペイン・フィールド基地で軍事訓練を受けていたことが、ここでも裏付けられた。スプリンクルは当初はキューバ危機に備えて長期軍役を命じられていたが、キューバ危機が短期間に終息したため、まもなく本来の軍事訓練に戻され、6ヶ月で除隊になったことが示されていた。

ここまでくれば、どこをどう考えても、スプリンクルが創価学会のいう「シアトル事件」当時には、シアトル警察にいなかったことは、動かしようのない事実である。スプリンクルの天をも恐れぬ大偽証の事実は、以上にあげた決定的証拠の数々で余すところなく立証された。

シアトル市人事局の軍務に関する覚書


シアトル警察人事部に保管されている写しであり、
スプリンクルが1962年10月28日から19
63年4月26日まで軍務に服していたことを証
明する公文書である。

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人事局覚書




ゆるせぬ意識的偽証


しかも、もうひとつ見過ごすことのできない重大な事実も、この調査の過程で暴露された。実は、シアトル警察の人事部は、スプリンクル本人の要請により、1996年5月31日、レイヴン調査事務所の調査員アンダーソンに、先の雇用記録などの人事記録のコピーを渡していたという事実である。シアトル警察のコービン人事部長は、はっきりとその旨を証言している。レイヴン事務所はラングバーグ弁護士ないし創価学会の依頼で活動をしていた調査事務所である。

1996年5月31日という日はスプリンクルがアメリカでのでポジション(証言録取手続)や東京地裁での証言をする数ヶ月前である。つまりスプリンクルの証言は思い違いなどでは決してなく、当時徴兵されて警察にはいなかったことを確認したうえでの、意識的・意図的な偽証であったのである。


語るに落ちる

スプリンクルは東京地裁における証言の中で、クロウに会ったのは30年ぶりであるが、一目で判ったなどと平然と述べた。他方、クロウも同じ東京地裁の法廷で、30年ぶりにあったスプリンクルを、「お互いに30年の年輪を重ねておりますので、体型も少々変わっておりましたが、私はあったとたんに、すぐ彼だということが判りました」とヌケヌケと証言している。

現場にいなかった人物を判るも何もあったものではない。ウソも休み休みにしてほしいものである。クロウの証言もスプリンクルと同じく大偽証であることは、今や疑いを入れる余地はない。

全米人事記録センター軍事記録局文書


スプリンクルが1962年10月28日から19
63年4月26日まで空軍予備役として軍務に服
していたことなどが記載されている。なお、原本
には公印(国立公文書・記録管理局職印)が押さ
れている。(※一部妙音編集でモザイクを掛けま
した)

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軍人記録文書




全てが真っ赤な大嘘


クロウの証言は、もともと一見してでたらめな話であった。クロウは、当時の阿部信雄(しんのう)教学部長(日顕上人)が売春婦とのトラブルで警察官に一時拘束されていた現場にかけつけ、教学部長の身柄を自分が引き取って、ホテルに送り届けた後、教学部長の代わりに警察署に出頭して、4通の書面に署名したという。

しかし警察が、本人から調書を取らないで、事の経過を知らないはずの人間から、何の書面を4通も取ったというのか。また警察が、本人の身元を確認するのにパスポートも確認せず、クロウの言うままに「ノブオ・アベ」(パスポート記載の氏名はシンノウ・アベである)との名前で書類を作ったというのであるが、日本でもアメリカでもそんな馬鹿げた処理をする警察はない。

クロウは性懲りもなく、警察署でもスプリンクルに会ったというが、その会ったという場所は警察署であり、 スプリンクルのいた空軍基地ではない。世迷事(よまよいごと)もいい加減にしろといいたい。全くの愚にもつかない大嘘と言うしかない。


誰が仕立てた作り話なのか

ところで何も知らず、これまで創価学会とも何の関係もなかったはずのスプリンクルが、どうして1963年3月20日未明、シアトル市の7番街とパイク通りの角で、東洋人男性と売春婦が口論していたなどという証言をすることができたのであろうか。誰かがクロウの物語を教えこまない限り、クロウのでっち上げに一部でも符合するような証言をすることなどできるはずはない。

スプリンクルは、ラングバーグ弁護士の事務所から、毎月大枚4000ドル(約50万円)もの支払いを受けていた。「クロウ物語」の背後に大陰謀の影が見え隠れすると感じるのは、誰しも同じではあるまいか。


中立厳正な判断を待つ

宗門は、8月6日、以上に述べたさまざまな公的記録を、スプリンクルやクロウの犯した偽証の決定的証拠として東京地方裁判所へ提出した。池田創価学会の手段を選ばぬ卑劣な陰謀を暴露・糾弾し、いよいよ満天下に創価学会の正体を知らしめ、これを完膚なきまでに粉砕して、真実と正義の勝利の実証を示す日も間近に迫ってきたといわなければならない。裁判所の中立厳正な判断を期して待つものである。

最後に、スプリンクルの偽証、ひいてはクロウの偽証をあばき出してくれた、日米の宗門弁護団、特にカルマン弁護士とその調査チームの御尽力に深く感謝する。





こんな池田が今、日本を狙っている

聖教新聞・創価新報



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