<4・5面> 少年部大会より
<6面以下>
記事の要点(創価学会破折のポイント)
- メモとは個人的な覚書であり、他人が勝手に解釈し云々するものではない。
- メモを書いた本人(※河辺御尊師)が、戒壇の大御本尊への疑難に対する破折方法を相談されたときのものであり、創価学会が解釈しているような意味ではないと明言している。
- 創価学会がやっきになって、このように無意味な誹謗中傷を繰り返すのは、『シアトル事件』の崩壊を受けて動揺している証拠である。
- 戒壇の大御本尊に対し奉り、単なるメモをもって、しかも悪意に満ちた解釈して議論を展開すること自体が大謗法である。
※記事は、妙音編集でまとめたものであり、大白法紙の通りではありません。
“幸せ”さんが、3軒の家へ「幸せ」を届けに行くという話であります。“幸せ”さんが始めから「幸せ」な格好をして、「幸せ」を届けに行きますと、本当の人の心が見えませんから、“幸せ”さんはみすぼらしい、乞食のような服装をして訪ねて行きました。そして、「どなたですか」と尋ねられると、「貧乏です」と答えることにしました。
最初の家を訪ね、「お前は誰だ」と尋ねられましたので、「自分は貧乏です」と答えました。すると家人は、「うちは貧乏はお断りだ」と、ものすごい剣幕(けんまく)でにらみつけ、ドアをぴしゃりと閉め、飼われていた犬までも、“幸せ”さんを追い立てるように吠(ほ)え続けました。“幸せ”さんは、この家に「幸せ」を置いて帰ることができませんでした。
2軒目の家へ行きました。この家には「にわとり」が飼われていました。ここでも「私は貧乏です」と来意を告げると、この家の人は、“幸せ”さんを疑い、にわとりを盗んで行くのではないかと警戒しました。そしてにわとりまでもが、用心深く鳴きながら、“幸せ”さんの足もとを口ばしで突ついて追いたてました。?幸せ″さんは、ここでも「幸せ」を置いて帰ることができませんでした。
3軒目の家を訪ねますと、この家では「貧乏です」と名乗っても、少しも嫌(いや)な顔をせず、暖かく迎え入れてくれました。しかも、炊き立ての御飯でおむすびを作り、黄色い、色あざやかなたくあんまでつけて、ごちそうをしてくれました。また、この家で飼われていた兎(うさぎ)は、高いびきで楽しそうに昼寝をしていました。“幸せ”さんは、この兎を飼っている家に、そっと「幸福」を置いて帰りました。
藤村の童話はたったこれだけの話で終わっているのですが、一体これは何を意味しているのかということを考えて見ますと、幸せは決して幸せの顔をして、幸せの格好をして訪ねて来るのではないということです。常に「貧乏」か「病」か、「悲しみ」か、「苦しみ」か、「災」か、何か「不幸」のよそおいを持って訪ねて来て、それをいとわず、あるがままに受け入れて、「苦」と共に生き、「苦」をしのがんとする人の所に、「幸せ」はそおっと置いて行かれるものなのです。何よりも最勝の御本尊を信じて、しっかりとした信心をもって災いを幸いへ転換せんと励む皆様方の身の上に、本当の揺るぎない幸せが訪れ、築かれることを知っていただきたいと存じます。
これは何を譬えられているかと申しますと、妙法蓮華経の功徳はまず冥益(みょうやく)として、しっかりとした根を張り、最も大事な時、大変な時、本当に事きわまった時に、厳然として大功徳として顕れることを教えておられるのです。皆さんはどうか、そのことを固く信じて、御題目を唱え、しっかりと勉強をしてください。
こうした生理学上の意味からも、正しい信心が大切であり、勉強も、スポーツも、またどんなに苦しい、つらいことでも、積極的に取り組んで、乗り越えていくことが大切なのです。
四月からごん行表がくぱられ、「妙」という字を見て大きな声でこん行と三十分以上の唱題ができた日はシールをはることができます。この表がくぱられる前は、声が小さいとよく言われていましたが、今はあまり言われません。毎日のこん行と唱題の中で30万総登山が達成できますように、仏様のおつかいをさせて下さいとご本ぞん様にごき念をしています。だんだんと折伏をしてみたいと思うようになりました。「折伏とは本当の友だちをふやしていくこと。みんなといっしょに幸せになっていくことだ」と言われたのを思いだしました。
ふと、てん入してきて、登校はんがいっしょの谷口さんのことを思いだしました。クラスはちがいましたが、遊んでいるうちに仲良しになって折伏したいと思い、お母さんにその話をしました。その日からお母さんと二人で唱題をしました。そして次の日、学校から帰ってお母さんと二人で3時に折伏しに行くよていでしたが、お母さんはおくびょうになっていました。
お母さんは私に「いつも、大事なことをあとまわしにしてはいけない」と言っているのに、お母さんはあとまわしにしていました。そこで私はお母さんに「いつもと言っていることがちがうじゃない。折伏が一番大事でしょ」と言いました。これを聞いたお母さんは、急いで食事の用意をして、唱題をしたあと谷口さんの家へむかいました。私は、唱題をしてまっていました。しばらくして、ぶじご安置できたよと言って帰ってきました。本当にうれしかったです。
そして学校の友だちの平川さんに信心の話をしました。「私は信心をしているんだよ」と言ったら、平川さんに「信心てなあに」と聞かれたので、お寺で南無妙法蓮華経と唱えることだよとつたえました。私は「平川さんもいっしょにやろうよ」と言ったら、「お母さんに聞いてみる」と言っていましたが、まだ返事はもらってません。今度は、お母さんといっしょに折伏へ行きたいと思います。
地ゆの菩薩の一員という自覚をもって、自分と私の周りにいる人のためにお題目を唱えていきたいと思います。平成14年には、三人以上の人を折伏して、いっしょに本山に行きたいと思います。
しかもその後、私のおばや、母の親友で、私達のことをとてもかわいがってくれるおばさんも、入信したのです。その時私は、母がおばさんに電話で一生けん命お寺のことを話しているのを聞いていたので、母がどれだけ苦労したか、そしてしゃくぶくというのを知りました。
でも良いことばかりは続きませんでした。4月15日に祖父がなくなりました。火そう場で焼かれてお骨だけになった祖父を見た時は、思わずなみだが出ました。そしておそう式を、はじめて日蓮正宗でやることになりました。家ぞくみんなでお経本を持って、お経をとなえている時に心の中で「近所の人や親せきの人達が何かいやなことを言わないかな」と、とても心配しました。祖父のおそう式から、とつぜん宗教をかえたからです。でも、だれからもいやなことは言われず、入信をしていない、いとこ達もお経本を見ながら、一生けん命お経をとなえているので私は、いとこ達も入信してくれるといいなあと思いました。
そして、祖父のことやいろいろなことがおちついた時、学校である男の子が私に何やら不思議なことを言ってきました。「オレは、死んだり、ねたきりだったりする人のことをたたせられるんだぜ」と言ってきたのです。その言葉にびっくりして「本当に」と聞きました。すると、自信まんまんに「うん」と答えたので、死んだ祖父をたたせてよと言いたかったのですが、その男の子の家は他宗教なので、祖父が地こくへ行ってしまったらと思い「あなたとほ宗教がちがうから、たぶん無理だと思うよ」と言いました。そうしたら「お前の所の宗教の名前は」とえらそうにいぱって言ったので、私はとても頭にきて「何だっていいでしょ。あなたには関係ないことでしょ」と大声で言いました。
しかしそれがきっかけなのか、この男の子がまたいやがらせをしてきました。じゅ業中に他宗教のお経をとなえてきたので私が耳をふさぐとわざと大声で言ったりします。まるで、私につきまとって、おいまわしているようです。こんないやな性格なので一生なおらないんじゃないかと思います。でも、もし私がこの男の子をしゃくぶくして宗教を日蓮正宗にかえさせれば、きっといい子になると思います。でもこんないやな人をしゃくぶくしようとしても、しゃくぶくをしたくなくなってしまうと思います。
かつて、昭和52年の学会問題より少し前にあったアメリカ創価学会内の覇権問題に巻き込まれて、学会から追い出された人々がおりました。この人々が、一昨年の10月創価学会員の信徒資格喪失が報じられた頃から、三々五々と法華講に入講してきました。この人々は、今までの法華講の役員とは広宣流布への捉え方が違いました。今までの法華講の役員は、過去にアメリカ創価学会が街頭折伏をし、安易に御授戒と御本尊下付をした反動から、折伏に対する嫌悪感が強かったのです。このためにどうしても勤行と寺院参詣のみで満足する風潮が強く、積極的な折伏を敬遠しがちでした。
しかし、新たに入講した人には、折伏に対しての嫌悪感はなく、むしろ日蓮正宗から信徒除名された哀れな学会員をも含め積極的に折伏しようという意欲が旺盛です。一昨年の11月、私と在勤者は、この新しい人々と共に、思い切ってマンハッタンに出陣し、法華講員の家を拠点にして週2回の折伏唱題勉強会を始めました。これは、午後7時から9時までの間、仕事を終えたメンバーが新来者を連れてきて折伏する会合です。この行事は大変好評で、今では週5回(平日の毎日)行うようになりました。また、この活動を通して人材も育ってきています。
折しも昨年は、講頭・副講頭をはじめとする支部役員の改選に当たり、広宣流布を推進する法華講として、新しい組織作りに取り組みました。これまでは地区、班体制の導入には抵抗が強かったのですが、あえてこの体制を導入しました。こうして昨年の夏には新しい体制が発足しました。新しい講頭となったデニス・ハガティ氏は、夫婦で率先して毎日折伏に歩きました。この波動が講中に広がり、その結果、今までは月に5世帯程度の折伏数だったのが、今では毎月10世帯以上できるようになりました。このように妙説寺支部にとって、昨年は文字通りの「革進の年」となりました。
本年は、出陣式に10名の代表が御登山・参列し、宗旨建立750年・酉暦20002年へ向かって、心新たに御戒壇様に出陣を誓いました。新しい体制もすっかり定着し、ニューヨーク方面は順調に活動しており、この勢いは地方に波及しつつあります。特にボストン、バッファロー、トロント市等に顕著です。ボストン方面は、今まで男性の活動者が少なく、力不足でした。今年に入って新進気鋭のビジネスマンのジョン・ダン氏が新たに世話人となって活躍されており、折伏にも勢いがついてきました。バッファロー市では芸術家一家のフィリツプ・バーク夫妻が世話人となり、その幅広い信頼関係をもとにして多くの友人を教化しています。またトロント市では、インドからの移民であるスーメンドラ・グプタ氏が世話人となり、トロントのインド人移民グループの友人等に対して折伏を進めております。
さらにニューヨーク方面においては10の地区に分割され、僧侶が出席して毎月2回それぞれの地区において座談会を開いています。御承知のようにニューヨークは世界中の文化、民族等が雑居している町です。たとえば当支部講員のタチアナ・マタノさんは、ユーゴスラビア出身の方で、祖国に法華講支部を作るべくがんぱっています。今回の空爆で荒廃した祖国やコソボ地方の人々を気遣い一日も早く祖国を広宣流布できることを祈っております。
今、世界は、核兵器の拡散による戦争の脅威、人種および民族間の深刻な対立、大量消費型社会による環境破壊と、相次ぐ天変地夭、新しい難病の出現とその蔓延、国家間における貧富の拡大、各宗教間の骨肉の争い、人口の爆発的増加による食料難等の深刻な問題に翻弄されています。これらの問題を根本的に解決し、幸せな世界を作るために、私たちは一日も早い世界広布の実現を目指しがんぱってまいります。
※写真は妙教66号所載のものです。
○ 御祝辞 宗務院海外部長 尾林広徳御尊師
平成11年度、「出陣の年」の法華講連合会、第9回少年部大会がここ総本山の広布坊において盛大に開催され、まことにおめでとうございます。恒例の昨日の鼓笛隊のコンクールの熱気といい、ただ今の全国法華講支部代表の方々の体験発表の数々を伺い、また皆様方の健(すこ)やかな信心に裏打ちされた姿を拝見させていただき、大変にうれしく、頼もしく感じました。まことにありがとうございました。
私は本日の総会に当たり3つのお話をしたいと存じます。その第一は、ここに列席していらっしゃるお父さん、お母さん方はどなたも御存知だと思いますが、明治・大正・昭和と、三代にわたって活躍された日本が生んだ文豪の一人に「島崎藤村」という人がおられます。「若菜集」「一葉舟」等の抒情(じょじょう)詩集の外に「破戒」「春」「家」「新生」「夜明け前」等の小説で知られ、日本の自然主義文学を確立した人でもあります。その島崎藤村が若い時に書かれた童話の中に、「幸福(しあわせ)」という、作品があります。
次にもう一つ申し上げたいことは、皆さんの中にも、御本尊を信じて、御題目を唱えているのですが、なかなか功徳が戴けない、少しも良いことがないと嘆(なげ)いている人はいませんか。日蓮大聖人は『一代聖教大意』の中で、『大智度論』に出てくる「好堅樹(こうけんじゅ)」の譬えを引いておられます。『大智度論』によりますと、「好堅樹」という木は、地中に100年間とどまって縦横に根を張り巡らせ、枝葉を整えてじっくりと時を待ち、ひとたび地上に姿を現すと、1日で高さ100丈にまで枝を延ばし、大樹のすごさを現出すると言うのです。
最後に最近の医学の研究によりますと、強盛(ごうじょう)な信仰を持ち、題目に挑戦し、何事にも前向きに積極的に取り組んで生きていく人の肝臓から、「エピネフリン」という酵素が分泌して、血液の循環や呼吸の機能等を促進する働きがあると言われています。この酵素は、ひとたびやる気を失い、怠(なま)け心を起こし、勤行が嫌い、御題目を唱えるのが嫌だ等と、後ろ向きの、弱気の信心や生き方に陥(おちい)りますと、たちまちにして出なくなってしまうと言われています。
さらに、これからは世界広布の時代です。海外の御信徒がどんどん増え、法華講の皆さんの信心をお手本として、がんばっています。皆さんも大きくなられたら、ぜひ英語、フランス語、中国語、スペイン語、ドイツ語、韓国語等の修得を目指して、海外へも留学し、海外の御信徒と大いに交流できるようになってください。そうして世界の広宣流布を考え、世界の広宣流布に役立つ人材へと成長していってくださることを願っています。
☆ 体験発表 宣行寺支部 渡辺彩 (小4)
こんにちは。宣行寺少年部の渡部彩です。私は毎週土よう日、日よう日には、必ずお寺に行っています。そしてタ方のごん行にまに合う時は、お寺でやります。第一日よう日は、つくしの会に出てこう頭さんの話を聞いています。前にご供養の話を聞きました。こう頭さんは「毎日少しずつおこづかいをためてご供養をしていくように。そうしたらぜったい幸せになれるよ」と言っていました。いつも、行動してから考えなさいと言われているので、その話のとおりにやってみました。不思議なことにおこづかいが多くなっていました。ご本ぞん様、ご住しょく様、こう頭さん、お母さんによろこんでもらえるような信心をしていきたいです。
☆ 体験発表 妙道寺支部 朝田萌 (小5)
みなさん今日は。私は、去年の3月に入信しました。私は以前にも体験発表を書いたことがあります。その時私は、父にもいつか入信してもらい、家ぞくみんなでお寺に行けたらいいのにと思いました。そうしたら、去年の12月に、父も入信することができて今では月に一度は必ず家ぞくでお寺に行っています。父の入信がきまった時、私は母に「いまから大事な話をしてくるからおりこうにまっててね」といわれ、とても心配になってきました。しかし、父が入信すると聞き、うれしくてたまりませんでした。いまでは、父もお経が上手にあげられる様になりました。
本年1月3日の出陣式から早くも半年が経ちました。法華講妙説寺支部は、ニューヨーク州をはじめとする、アメリカ東北部の10州、及びカナダの東半分の広大な地域の広宣流布を目指して心新たに再出発いたしました。昨年「革進の年」は、当支部にとって大きな転機の年になったのです。