大白法

 平成11年3月16日号


主な記事

<1面>

<2〜4面>

<5〜8面>


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平成11年度夏期講習会 カリキュラム

 一 般初 級
対象者参加2回目以降の人初参加の人
1時限(宗史)日蓮正宗史(江戸時代前期)日蓮大聖人伝
2時限(宗義)本迹相対・種脱相対折伏の大事
3時限(信仰)折伏実践法華講員の心得
 4時限 御法主上人猊下御講義



地方別僧俗指導会に参加して


○ 妙本寺支部 秋田勝

 平成11年2月10日午後7時より、神戸市・法恩寺御宝前にて、宗務院より、藤本日潤総監・早瀬義寛庶務部長・阿部信彰庶務部副部長・伊藤書記、法華講連合会より、柳沢喜惣次総講頭・石毛寅松大講頭、兵庫布教区より、宗務支院長・高野顕昇御尊師をはじめ、布教区内各御尊師方並びに、兵庫地方部・西尾憲一地方部長以下、500名を超える信徒が結集し、広い本堂が厳寒の時期だどいうのに、熱気でむんむんした中での指導会でした。

 まず驚いたのは、7時からの指導会に、5時30分から6時30分までの一時間を、藤本総監自ら唱題されており、今回の指導会で御宗門が求めておられることがいかに大事なことかが判り、参加者全員の胸を打ちました。そして指導会が終了して、御尊師方が退席なされた後、柳沢総講頭を囲んでの懇談会にも、大勢の方が参加され有意義な時間を過ごせました。これらの指導会を受けたすべての方々が各支部へ持ち帰ることで、この感激が参加できなかった人々に確実に伝わり、兵庫地方部の全講員が異体同心の絆をより一層強め、勇猛精進されることを確信いたします。

 さて、これより兵庫地方部といたしまして、平成14年・宗旨建立七百五十年の大佳節に法華講三十万総登山を大成功させるべく、唱題を根本に折伏・育成の両輪をフルに回転させ、今年の折伏誓願目標の早期完遂は申すまでもありませんが、各支部共通の課題である育成の問題に、果敢に取り組む所存です。一旦は発心して入信されながら、何らかの事情で御講参詣や地方部・支部の各種行事にも参加されない方々がおられます。この方々の育成に、家庭訪問を重点課題に掲げて、各支部が講頭を中心に、折伏推進責任者が先陣を切って動き、足腰の強い地力のある法華講衆育成に、兵庫地方部では力を注いでいきます、先駆の兵庫の名を汚さぬよう精進・努力を重ねることをお誓い申し上げ、決意といたします。


仏見寺 興妙寺

○ 法楽寺支部 藤田繁

 この度、香川県讃岐本門寺で会場満席の中、四国における地方別僧俗指導会が開催されました。数々の、厳しくも有り難い御指導をいただく中、宗旨建立七百五十年はもう目の前であることを再度実感させられました。この慶事を名実共に完遂するか否かは、まず御本尊様に向かう我々の姿勢で決まるということを感じました。

 私は、実際に人を折伏していこうと思うと、焦りが出てきて自分勝手に結論を出してしまうことがあり、御本尊様の功徳はこのくらいなんだと、知らず知らずのうちに決めつけてしまうことがありました。その後で御住職より「根本から命を変えるための題目なんだ」と御指導をいただき、やはり自分はそこにもどり、我見を捨て、御本尊様を真剣に求めていく唱題で、折伏を実践していかなければならないと思いました。

 私は学会員の家庭に生まれ、平成6年、高校2年の時に高校を中退し、自分勝手に生きたいがために家を出ました。その出先で現在の妻と出会って折伏され、お寺に通うようになり、その後、学会の間違いに気付いた私は、平成9年に脱会しました。それまで信心に全く関心なく過ごしてきた私ですが、長女の誕生をきっかけに発心しました。登山、寺院参詣、朝夕の勤行一唱題を実践する中で、常々御住職に御指導をいただき、宗旨建立七百五十年に登山させていただける因縁、御法主上人猊下をはじめ末寺の御住職や多方面の方々の御慈悲の唱題によって自分がこの場に立っているのだということを心から感じることができました。さらに、この御本尊様のもとで信心できるのは、自分を生み育ててくれた両親がいてくれたからなんだと気付き、この慶祝登山に向けて突き進まなければならないと思いました。この信心を通して親の幸せを本当に願い、学会員である両親を必ず平成14年までに折伏し、共に登山すると心に決め、家族全員で折伏していきます。

 仏様の御慈悲にお応えし、御報恩謝徳申し上げるために、私の家では家族全員で折伏に取り組もうと、揃って、お寺の勤行の始まる朝6時に合わせて我が家で勤行を始め、御住職と共に平成14年に向かって御祈念していこうと思います。法楽寺支部青年部主任である私は、支部一体となって同じ目標を持ち、絶対に叶うんだと確信の唱題をし、青年部員と共に家庭訪問・折伏を実践していき、御報恩の心を持って、宗旨建立七百五十年・平成14年の法華講三十万総登山に臨んでまいります。皆さん、共にがんばりましよう。

※写真は妙教より、記事の僧俗指導会とは関係ありません




海外ニュース


▼ 翻訳委員会活動報告

海外布教を進めていく上で、もっとも大事なことは、文化・歴史そして言語の違いを乗り越えて、いかにして日蓮正宗の教義を正しく伝えていくかということにある。特に、正式な御書の翻訳は、必須の要件である。

宗務院海外部では平成7年5月より、海外サポートスタッフに登録している法華講員の中から、英語の実力のある強信の方々に集まってもらい、尾林海外部長の御出席のもと海外経験のある御僧侶方と僧俗一致協力して、英語の「御書翻訳委員会」を毎月開催している。さらに平成10年6月よりは、関束と関西の二班に分かれて翻訳を進めている。

御書の翻訳は、まず日蓮正宗の正義に照らして日本語の現代語訳を作ることから始まり、さらに御書原文の一語一句を詳細に調べつつ、議論をしながら、ふさわしい英文訳を検討し、進めていく。英語という言語自体がキリスト教の教義と歴史の影響を受けており、日本語とは異なる発想を持っている。まして仏教用語であり、700年前の日蓮大聖人の教えを翻訳するということは容易ではない。このため、一回の約4時間にわたる会議で数行しか翻訳できないということも度々ある。現在までに、『聖人知三世事』を翻訳し、南条時光殿への御消息4編の翻訳を終えている。

まさに今、宗旨建立750年に向けて着実に発展している日蓮正宗の僧俗和合の姿と、世界広宣流布への熱意が翻訳委員会の原動力となっている。なお、韓国語翻訳委員会も平成10年5月に発足し、尾林海外部長の御指導のもとに、現在、韓国語テキスト等の翻訳が順次進められている。



▼ フィリピン仏教会第2回信徒総会

去る2月24日、日蓮正宗フィリピン仏教会の第2回信徒総会がマニラ近郊の信徒宅で行われた。1997(H9)年7月に行われた設立記念総会以来となったこの総会には、宗務院海外部より海外部長・尾林広徳御尊師、海外部主任・石橋頂道御尊師、宗務院書記・舟橋信清御尊師が御出席された。

総会に先立って午後3時から責任者指導会が行われ、その席上尾林海外部長は、本日の総会をフィリピンの出陣式と心得て、責任者がまず異体同心し率先して折伏誓願の目標達成に向け邁進してほしいと御指導された。その後質問の場があり、メンバーから、「アフリカのガーナでは日本からも遠く離れ、厳しい条件の中でも寺院が建立され御僧侶が常駐している。フィリピンにおいても、一日も早く御僧侶に常駐していただきたい」との要望が出るなど、求道の熱気あふれる指導会となった。

続いて午後5時半から信徒総会が行われ、平日にもかかわらず、フィリピン全土から100名を越えるメンバーが参加した。総会は、読経・唱題・御授戒・御本尊下付・勧誡式に続いて式の部に移り、第一部では「地涌讃徳」の合唱の後、湯川哲司さん/シェリル・サブラオンさん/スーザン・ヘロンガイさんの3名から体験発表が行われた。次いで尾林海外部長より、一人ひとりがこの妙法の功徳を受けて真の幸福を築き、フィリピン社会における模範の人材となるようにとの御指導があった。最後に辻律子さん/ラモン・ヘロンガイさんの2名より、2002(H14)年に向けたフィリピン広布の前進と、早期の寺院建立を目指し、一層努力していく旨の決意発表が行われた。その後第二部に移り、各地域の少年少女部によるダンスと、婦人部によるコーラスが技露され、この日の総会に花を添えた。次代を担う子供たちの頼もしい姿に、場内の雰囲気も明るくなり、フィリピン広布への期待が大きく膨んだ。最後に「広布に生きる」を一同で合唱し、総会は成功裡に終了した。

フィリピンは、異なる文化を持つ7,000千余の島々からなる国であるが、そうした中、信徒間での異体同心による折伏が進んでいる。前回の総会から一年半の間にも折伏や信心活動が活発に行われ、宗務院海外部からの出張の度に、必ず御授戒・御本尊下付・勧誡式が行われてきた。またフィリピン広布の新たな試みとして、昨年11月には中華民国・本興院信徒との交流も行われている。本総会を契機にフィリピン信徒が一層団結して、2002年に向けた大いなる前進が期待されている。



小説富士 依智の里(一)


 文永8年9月13日、鎌倉の竜の口から相州の依智に大聖人は移られた。依智に着いたのは13日の正午であった。佐渡の領主武蔵守宣時の代官人の本間六郎左衛門の屋敷である。

 この依智に着く道中が変わっていた。警護の武士が大聖人を取り巻いていたが、はっきりした引卒者はおらず、大聖人が一行の主人のような様子で依智に到着した。竜の口の処刑場で、大聖人斬首の直接の命令者であった平左衛門は、刑場での異変に驚くと、相模の依智に大聖人を届けよと命令して、その場より姿を消してしまった。

 それよりもっと悪いのは、大聖人を斬首せよと強い命令を出して、時宗までも動かした武蔵守宣時(佐渡の領主)が、大聖人の頸が竜の口で斬れぬと知ると、13日の朝早々に熱海に入浴と称して、これまた鎌倉を逃げ出していったのである。恐らく責任を回避するのと、大聖人斬首のことが鎌倉中の人々にいろいろな噂を生んだのを恐れてのことであったろう。しかし熱海にほとぼりを逃れたとはいえ、この宣時は大聖人斬首の考えは捨てなかった。かえって竜の口の命令者であった平左衛門が、眼前に大聖人様の威に打たれて、その後流罪説を取るようになったのだが、宣時はあくまで斬首を主張して止まなかった。自分の主張を通すために、熱海から念仏門徒に命を発して、鎌倉の街に火をつけるとか、殺人事件なぞを起こして、これは日連の弟子がお上をうらんでの仕事であると流言して、日連の弟子は全部首を斬らなければいけない、あるいは遠島にしろとか、鎌倉から日連の弟子は追い払え等々の命令を発したのだが、犯人を捕えてみるとこれが律宗や念仏宗の人々であったのは皮肉であった。しかしこの流言のために、日郎・坂部入道・伊沢入道等々が、土の牢におし篭められたのは有名な話しである。

 さて、直接の命令者が、以上のような次第なので、依智に来た大聖人は、護衛の侍に取り囲まれていたとはいえ堂々たる態度であった。依智の本間の屋敷に着くと早々に「やあ、ご苦労だった。昨夜の夕方から、この昼まで、なかなか大変であったろう、一杯飲んでくれ……」と、その労をねぎらったのは、他ならぬ大聖人であったのだから驚く。「さけ(酒)とりよせて、ものゝふどもにのませ(飲ませ)てありしかば」(御書1060ページ)と『種々御振舞抄』にあるのがこれである。恐らく、大聖人と同行した四条金吾が直接の世話に当たって、護衛の人々に酒を振る舞ったのであろう。


 護衛の人々の頭の中に浮かんだものは何だろうか。松葉ヶ谷の草庵では、平左衛門尉頼綱に向かって、「今、日本国の柱を倒すものは平左衛門尉なり」と叱咤し、頼綱を「犯人なり」と言い放った人。鎌倉八幡宮の社頭では、「八幡大菩薩こそ起請を用いぬ神である。急ぎ急ぎ約束を果たせ」と、神にその使命をせまった人。馬の口にとりすがって泣く鎌倉武士に、「これ程の喜びを笑えよかし、この数年が間願いつることこれなり」と斬首を眼前にして人を励ます死身弘法の精神。刑場に至っては、「夜明けなば見苦し、頸斬るべくは急ぎ斬るべし」。こんな言葉を刑場で、古今東西言った人があるであろうか。

 これは人ではない、仏様だ。仏様でなければ振る舞えないことである。しかも、あれほど苛酷に当たった我々に、ご苦労であったと今、酒を振る舞ってくれているのは大聖人である。我々の直接の命令者だった平左衛門尉は、昨夜の刑場での異変に驚いて、その後、姿を見せぬではないか。そのまた上司は熱海までも逃げ去っている。

 警備の侍は、四条金吾の、大聖人様の意を帯した酒の振る舞いに、すっかり酔ってしまった。緊張の度がほぐれて警備の人々は、やがて庭先でがやがやと言い出したが、誰かが大きな声で「南無妙法蓮華経」と唱え出すと、三、四十人の侍が両手を合せて、部屋の奥なる大聖人に向かって一勢に題目を唱え出すのであった。題目の声が高くなるにつれて感激が共鳴していった。

By Kouno (Jitoku-in).




体験発表


☆ 娘の足が必死の唱題と折伏で回復 開徳寺支部 多田禎子


 私の入信は、主人の転勤で東京より埼玉へ引っ越して来るときでした。「お願いだから協力してくれ」と主人の兄に勧められ、日蓮正宗の教義も勤行の仕方も知らないまま、昭和38年5月、品川の妙光寺様で親子4人、御授戒を受けました。その後次男である主人が多田家を継ぐことになり、父親の葬儀のときから邪宗の先祖代々の寺と縁するようになりました。何も知らなかったとはいえ大聖人様の仏法に背く謗法の限りを尽くしてしまいました。その罰の現証が20年後に出てしまったのです。昭和61年10月、長男を交通事故で一瞬の問に亡くしてしまいました。23才の若い命でした。息子の死によって発心し、謗法の懺悔をと朝夕の勤行・唱題に励み、私の母と兄を折伏し、平成2年11月、次女が結婚する相手の中川氏を折伏させていただきました。これが、学会員としての最後の折伏となりました。

 その後、学会問題が起こり、あらぬ宗門誹謗、中傷の攻撃が始まったのです。平成3年、御法主日顕上人猊下の、「たとえ将来、本山の参詣者がなくなって粥(かゆ)をすするようなことがあっても、私は正義は正義として立てていこうと思って、今回、この問題に踏み切ったわけである」(大白法340号)との御言葉に、とめどない涙を流し、猊下様に信伏随従の決心をいたし、母と兄、中川氏と私たち家族全員、創価学会を脱会いたしました。

 当時、華光寺の御住職様より御書と日蓮正宗の歴史を学び、御指導をいただきました。一泊登山では、広宣流布御祈念の丑寅勤行に猊下様のお供をさせていただき、日蓮正宗の740年の歴史と正しい清流を肌で感じ、地域の学会の方たちに、お寺と本山へ一緒に参詣することを勧めて歩きました。そのことが学会の組織に知れ、あらゆる学会の人たちが毎日のように、御宗門、猊下様、御僧侶の悪口を言ってきました。その度に、猊下様がおっしゃられた「即応折伏」をいたしました。昨日まで友人だった人たちまで、「邪宗の寺に行った多田さんに、誑(たぶら)かされるから口をきかないほうがいいよ」と言って買物で会っても隠れる有様でした。学会の会館では、脱会者の名前を書いて、幹部が悪口を言い合っていたそうです。


 私たちの心はどんなことがあろうとも猊下様から離れませんでした。「なにの兵法(ひょうほう)よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(御書1407)の御金言を信じ、毎日3時間、4時間の唱題をしているときです。外出していた長女が事故に遭って病院へ運ばれたと連絡が入ったのです。心の中で御題目を唱えながら、「死なないで、生きていて、今死んだら猊下様に申し訳ない、学会に何を言われるか判らない」と祈る気持ちでかけつけました。御陰様で命は助けていただきました。「下半身はメチャクチャで特に右足は手術の方法がないので、切断する外ないし、寝たきりになるか、もし良くなったとしても歩けないかも知れない、一生車イスの生活になるでしょう」との医者の言葉に、主人と私は「もし動かないとしても切らないで、どんな形でもいいですから」と強くお願いし、「御本尊様、どうぞ娘の足を広宣流布のお役に立つ歩ける足にしてください」と主人と二人、毎日10時間の御題目を唱え、総本山の本門戒壇の大御本尊様への御開扉を戴き、謗法罪障消滅の御祈念を申し上げました。

 「業(ごう)に二あり。一には定業(じょうごう)、二には不定業(ふじょうごう)。定業すら能く能く懺悔すれば必ず消滅す。何に況んや不定業をや」(同760)の御金言です。今までの謗法の罪が今さらのごとく身に染みました。子供たちから真の信心を教えられているのだと、邪宗教に執着している親戚や友人宅へ御書を持って訪問し、私たちの体験を語り、折伏しました。また学会の友達には御宗門より出された印刷物や『大白法』号外を持って、なぜ破門されたのか、池田創価学会の教義逸脱、宗門の正しさを説明し、三大秘法の大御本尊と唯授一人の血脈から離れ、正しい仏法を御指南くださる御法主日顕上人猊下に矢を向けて、大謗法を犯した団体になってしまったことを訴えて回りました。病院の中でも縁した人たちに大聖人様の仏法を下種することもできました。

 そうしている中、医者がさじを投げてしまった娘の足を、不思議なことに、御本尊様は歩けるようにしてくださったのです。六カ月かかっても神経がマヒ状態だから、排尿排便も一生自分で管を入れて出すようになると言われ、管を入れる練習をして退院してきました。手術してくださった先生も看護婦さんたちも、不思議だと首をかしげて「よっぽど運が良かったんだね」と驚いておりました。娘も先生にお礼を言い、「私たちは日蓮正宗の信者なので富士の大石寺にお詣りしているのよ」と話しました。


 平成6年、静かな所でリハビリと信心生活を送りたいと不動産屋に依頼しておりましたところ、縁あって桶川より東松山へ引っ越してまいりました。息子のお墓にも近くなり、一番大切な正宗の寺院・開徳寺がすぐ近くにあるのには驚きました。これもすべて御本尊様のおはからいと有り難く思い、お世話になることにし、華光寺より開徳寺へ移籍させていただきました。中村御住職様にもいろいろと御指導をいただきながら信心とリハビリの結果、神経もすっかり通って、トイレも自分の力でできるようになり、本山に行くのも自由に歩ける、丈夫な足にしていただきました。

 大聖人様の、「日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず」(同874)の御金言ごとく信じて行じてまいりました。御法主日顕上人猊下の御指南、御宗門が、いかに正しいか、実証させていただくことができました。平成9年「充実の年」猊下様より不思議の妙法の実践と、「一人が一人以上の折伏を」との御指南を戴きました。

 今世に一生成仏の大仏法に巡り合いながら、聖教新聞、創価新報等の誹謗中傷の報道に洗脳されて、正しく判断できない可哀想な学会の人たちを思うと、じっとしてはいられません。3時間の唱題をし、一昨年『慧妙』を持って一度話に伺った竹井さんが気になり、班長である主人と一緒に班員さんの家庭訪問に合わせて折伏に行きました。竹井さんは初めて聞く話に驚き、なかなか信じられない様子でしたが、大石寺のビデオや、地涌六万大総会の写真集、『大白法』を見せながら、何度も繰り返し繰り返し根気よく説明いたしました。どうしても救ってあげたい一心で、御題目を唱えながら8カ月ぐらい通いました。あと一歩というところで、御住職様に一緒に行って破折をしていただき、その場で竹井さんは脱会の決意をされました。

 活動日に倉林副講頭(当時)と共に訪問してお話ししているうち、8月12日に一緒に本山に行くことになりました。竹井さんは10年ぶりの本門戒壇の大御本尊様への御内拝が叶い大変感激され、学会で言っていることが嘘だと判り、涙を流されたそうです。その功徳で、親子三人が13日の御講の日に脱会され、無事に勧誠式を受けられました。脱会後、学会員が押し掛けてきたり、いろいろ大変なこともありましたが、それを乗り越えてくれました。今では、寺院参詣、折伏、登山会と、法華講の信心に精進され、御奉公されております。

 今年は「出陣の年」であります。不自惜身命の信心で、いかなる障魔が競い起ころうとも、唱題根本に折伏に邁進し、御法主日顕上人猊下の御指南にお応え申し上げられますよう、中村御住職様の御指導のもと、平成14年・法華講三十万総登山達成を目指し、孫も含めて家族共々一緒に精進させていただきます。本日は大変ありがとうございました。

By Fukuhara (Nissho-ji).

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☆ 来日して、正しい宗教と巡り会う 久遠寺支部 郭明洋

 私は神奈川地方部久遠寺支部の郭明洋です。私の出身地は中華人民共和国の遼寧省です。現在27歳になります。私は平成5年に大学を卒業し、コンピューターエンジニアとして5年間働いていました。平成10年、世界のことをもっとたくさん知りたいと思い、また日本の文化にも興味がありましたので日本に来ました。早いもので、まもなく11カ月になります。平成10年4月から横浜の日本語学校で、日本語の勉強を始めました。しかし、日本語を話した経験が全くなかったので、自信もありませんし、日本の生活にも慣れませんし、「これは大変なことになった」と思い慌てていました。そんな時、友人の紹介で小牧グループ長と知り合い、小牧ソフトウェアーに入社できることになりました。しばらくして日蓮正宗の仏法の話を聞きました。最初は何も判らないので、あまり気が進みませんでしたが、小牧グループ長が判りやすく説明してくださいましたので、私も次第に関心を持つようになり入信しました。

 日蓮大聖人様の教えを信じ、朝晩の勤行唱題を行うようになりました。最初は、正座も辛いし、時間もないし、口も回らないし、大変辛く思いました。でも幸せになるために自分自身と闘わなければならないと思い、御本尊様を賛嘆し、報恩の気持ちで勤行をするように心掛けました。さらに、家に御本尊様を御安置し、その御本尊様さえ拝んでいればよいという信心では功徳は少ないと教わりました。総本山や久遠寺に参詣しなくてはなりません。入信後、久遠寺の御報恩御講・唱題会・青年部の唱題会に積極的に参加し、登山もできる限り参加してまいりました。本日は5回目の登山となります。初めての登山の時、総本山の風景をすばらしいと感じました。富士山を間近に感じ、塔中内の清流に心洗われ、桜の美しさに感激しました。登山をさせていただく度に、私はますます日蓮正宗のすばらしさを強く感じてきました。丑寅勤行に参加させていただいた時には、とても厳かな気分になり、唱題をしていると、気持ちがどんどん素直になっていきます。

 私は、日蓮正宗のすばらしさに驚いています。日蓮正宗は本当に正しい宗教だと思います。勤行・唱題によって御本尊様の仏の生命をいただくことができ、そこから功徳がこんこんと涌き出してきます。入信後、「信・行・学」を実践していく中で、最近では生活もだんだん慣れ、仕事も順調で、日本語の勉強も次第に判るようになり、面白くなってきました。日本語学校では、一気に上級に上がることができました。また、慶応義塾大学の大学院の受験にも合格することができました。しかし、自分だけが信心をしているだけでは、本当の幸福を得ることはできません。それで、私はよく周りの友達に、日蓮正宗のすばらしいことを話すようにしています。

 昨年、日本語学校で、同じ中国人の解さんと知り合いました。しばらく付き合うようになって、その人と縁があると思いました。それから、私は何度か解さんの家に訪問し、私を折伏してくださった小牧グループ長から教えていただいた仏法の話をいたしました。人間としてなぜ宗教を信じるのか、どういう宗教を信じたほうがよいか。また、正しい宗教として、日蓮正宗は妙法の功徳によって、必ず悩みや苦しみを解決し、乗り越えていくことができるということを次々に説明しました。解さんは大変興味を感じるようになりましたので、お寺に誘い、青年部の皆さんに、日蓮正宗についてもっと詳しい説明をしていただき、海外信徒総登山のビデオも見ていただきました。解さんは日蓮正宗のすばらしさを理解してくれ、今年1月9日に入信しました。二人で青年部の唱題会にできるだけ参加しています。さらに3月の春季総登山会で初めて登山することも決めました。私はもっとたくさんの友達を折伏して、皆さんと宗旨建立750年・平成14年の法華講三十万総登山の目標に向かって、がんばりたいと思います。ありがとうございました。




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