大白法

 平成11年5月16日号


主な記事

<1面>

<2・3面>

<4・5面>全国で地方部総会行われる


<6〜8面>


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新説免許・補任式

4月27日、総本山客殿において、平成11年度の教師補任式が厳粛に執り行われた。教師補任式は、新説免許の儀式とも呼ばれ、僧侶が出家得度以来、仏祖三宝尊への御奉公と共に、たゆまヌ仏道修行と教学研鑚に精進されてきた成果を、御法主上人猊下の御慈悲のもとに抜露するものである。また、新説者はこの日より正法正義に基づいた説法を行うことを許され、四恩に報うべく、僧侶としての新たな出発となる重要な儀式であり、古来より「三世の大願」とされている。

新説者は、23日に着山し、24日から26日までの間、山崎慈昭・佐藤彦道御尊師の両指導役のもとに厳格な所作の練習を重ね、宗務院教学部より説法の講本指導を受けた。27日午前8時、まず前座として山崎指導役が登高座して説法を行い、続いて第一説者より順次説法が始まる。

説者は、会行事の先導によって柄香炉を携え、唱題の中をゆっくりと内陣に歩を進める。中央内陣、三宝尊の御前に至り、五体を仰ぎ折ること三度、御本尊を拝して三礼し、向きを変えて高座へと進む。登高座すると説法の準備を整え、焼香・散華と所作を行った後に鈴三打。唱題が止み、厳かに法華経の要文を拝読し、説法が始められる。

こうして、19師全員の高座説法が終了した午後3時半前、後座として御法主日顕上人猊下が登高座された。方便品・自我偈の読経、唱題の後、御法主上人猊下は各説者の説法の内容についての講評を仰せられ、続いて『薬王菩薩本事品第二十三』の御文について甚深の御説法をなされた。この後、御法主上人猊下より、高座説法を免許する旨の補任状が各説者に授与され、最後に大村教学部長より挨拶がなされた後、客殿前にて記念撮影が行われ、教師補任式は滞りなく終了した。また新説者一同は、翌28日、総本山での立宗会に参列された後、山梨県下部町杉山の有明寺へ参詣された。



慈法寺創立25周年 御宝前荘厳・山門建立法要


4月25日午前11時より、茨城県境町の慈法寺において、同寺の創立25周年記念法要が盛大に奉修された。

同寺は、観妙院日慈上人の寄進により、昭和49年4月23日、総本山第66世日達上人の御親修を賜って落慶入仏法要が奉修された。その後、10周年を記念して墓地開苑、平成2年には、御法主日顕上人猊下の大導師を賜り、本堂・庫裡新築落慶法要が奉修された。そして今回、創立25周年を迎えるに当たり、御宝前の荘厳と山門の新築がなされ、同日の法要を迎えたものである。これには、茨城布教区内外の御僧侶方が多数御出席。また多数の信徒が参列した。

法要に先立ち、山門・山号額の除幕式が行われた。続いて法要の部が、住職・田島寛応御尊師の導師により献膳、読経、唱題と奉修された。

引き式の部に移り、斉藤昭治副講頭の経過報告、蛯原操講頭の祝辞に続いて、法悦院主管・浦上然道御尊師より祝辞が述べられた。次に、祝電が披露され、全員で「唱えてゆこうう妙法を」を合唱した。ここで、工事関係者に感謝状が贈呈された後、田島住職より参列の各位に対して丁重な謝辞が述べられた。小憩の後、布教講演が行われ、最後に新築なった山門前で記念撮影をして、法要の一切は滞りなく終了した。




離脱僧・吉川雄進に対し善興寺明け渡し命令(地裁)


長野地方裁判所松本支部は4月21日、自ら離宗したにもかかわらず、依然として日蓮正宗所有の善興寺不法占拠し続ける離脱僧・吉川雄進に対し、善興寺建物明け渡しを命じる判決を下した。

吉川は、平成元年8月3日、御法主日顕上人猊下の御任命により善興寺初代住職に就任した。その後、平成2年末からの創価学会問題の最中、地元布教紙の編集にも携わり、積極的に創価学会を破折しているかのごとく思われた。平成3年初頭には不審火により自家用車が全焼するという出火騒ぎもあった。しかるに吉川は、平成4年2月2日に至り、突如、工藤玄英や兄・吉川幸道らとともに、日蓮正宗に対し宗派離脱する旨通知した。

もとより、善興寺は日蓮正宗所有の財産であり、その教義弘宣のための道場であり、日蓮正宗から離宗した者に不法占拠されるいわれはない。よって宗務院は、吉川に対し、速やかに寺院建物からの退去を通告した。しかし、吉川はこれを拒否し、創価学会に同調して宗門攻撃を繰り返したため、所有者である日蓮正宗が原告となり、吉川に対して建物明渡を請求する訴訟を提起していた。日蓮正宗が所有する非法人寺院に関する訴訟においては、すでに長栄寺、円徳寺の各事件で宗門が完全勝利をおさめており、本日の判決はこれらの先例に続くものである。

太田裁判長は、創価学会による200カ寺建立計画が、「当時原告(日蓮正宗)の信徒団体であった創価学会が原告総本山たる大石寺の開創七百年を記念して全国的な規模で新寺院の建立を発願したものであり、創価学会は、これによって、原告宗派の更なる興隆発展を企図していたもの」と正しく評価し、善興寺不動産の所有権が日蓮正宗にあることを認定した。その上で、「被告(吉川)は、原告(日蓮正宗)の僧侶を辞任したことに伴い住職の地位も当然に失った」として、吉川に対して寺院明渡を命じる明解な判決を下した。これは、日蓮正宗における寺院および住職の位置付を正解したもので、原告日蓮正宗の主張を全面的に認めたまことに正当な判決である。

日蓮正宗所有の非法人寺院における離脱僧への建物明渡請求訴訟は、現在8件が係争中であり、今回の判決は先例となる長栄寺・円徳寺事件判決に続くもので、今後各地の訴訟においても、日蓮正宗の全面勝利へさらに大きな影響を与えることは必至である。



海外リポート ドイツ


 グーテンターク(こんにちは)!ミュンヘンより私たちドイツの活動レポートをさせていただきます。ドイツは1990(平成2)年の東西ドイツ統一により、約8,000万人というヨーロッパで最も人口の多い国になりました。ヨーロッパ諸国の主要な宗教はキリスト教ですが、ドイツにおいては、カトリックとプロテスタントがほほ同じ割合で分布しています。ドイツにある16の州にはそれぞれ、変化に富んだ、その地方特有の風土と方言と伝統があります。ミュンヘンのあるバイエルン地方では、旅行者向けの「十月ビール祭」の催しなどに留まらず、教会と地域社会の活動が結びついた多くの伝統行事が行われています。

 そのような中、私たちミュンヘンのグループは、広宣流布をめざして活動しています。主な活動としては、毎週、メンバー宅を交替して会合を行っており、中には120キロも離れた所から出席してくるメンバーもいます。会合はまず正確なはっきりした勤行から始まります。導師はそれぞれが責任と自覚を持てるように、当番を決めて順番に行っています。そして、宗務院海外部から送っていただく月例の御報恩御講の教材などを使って勉強し、また各自の体験を発表し合い、仏法をより深く理解するよう取り組んでいます。会合はいつも和やかな雰囲気の中で行われ、終了時には必ず次の日程を決め、欠席者には電話で内容を伝えています。

 ドイツ南東部を中心とするミュンヘンのメンバーはまだ10名に満たない少人数ですが、そのうち4人が外国籍を持っております。また北部のベルリンと南西部のシュツットガルトのグループも外国籍のメンバーが共に活動しています。特にシュツットガルトでは台湾出身の方々が折伏に励み、人数も増えてきました。常にみんなで唱題しており、これからの活躍が期待されます。また、ドイツ国内のグループ同士が、年に数回、訪問し合うことによって、互いの成長と異体同心を図っています。私は、この「人種のるつぼ」の中で、メンバーの持つ多様な文化に接することによって、柔軟性が大きく養われたと思います。また、日蓮正宗ニュース等の出版物や教学資料及び、アメリカ・イタリア・日本・北欧・英国への訪問などを通して得た「生きた交流」から多くのことを学ぶことができました。この差別のない暖かい家庭的な雰囲気は、各グループだけに留まらず、ドイツのメンバー全員へと広がっています。特に総本山の二大法要や海外信徒研修会の登山には、必ず数名のメンバーが参加し、御法主日顕上人猊下からいただいた多くの御指南と総本山での貴重な体験を帰国後の会合で参加できなかったメンバーに伝えています。

 ドイツにおいてもヨーロッパの他の国々と同じように、1991(平成3)年当時にSGIを脱会したメンバーによってグループの基礎が出来ていました。はじめはどこも生みの苦しみがありましたが、今は新しいメンバーも加わり、宗務院海外部から担当教師として、石田演道御尊師が年2回ほど出張してくださることになりました。最近では、昨年の暮れと今年の3月の2回、SGIが策動する中にもかかわらず来訪してくださいました。各会合の開催地であるシュツットガルトとベルリンでは御授戒が行われました。また、英語による勉強会を開いてくださり、多くの質問に対して判りやすく答えてくださいました。したメンバー全員が次回の来訪を楽しみにしております。最後に、私たちドイツのメンバーは、昨年の第2回海外信徒総登山での代表決意発表のように、できるだけ多くのメンバーが、値い難い大佳節である宗旨建立750年の慶祝法要に参加できるよう前進してまいります


『一つの獅子王吼ゆれば、百子力を得る』
秋山日浄御尊能化


 白雪に輝く平成11年の新春の霊峰富士を仰ぎつつ、3年後に迎える宗旨建立七百五十年慶祝記念法華講三十万総登山を大勝利せんと、堅き決意を胸に秘め、自信と確信に溢れた“地湧の菩薩”が、全国より御戒壇様存す総本山に続々と馳せ参じ、御法主日顕上人猊下の御もとに勝利への出陣式を挙げ、お互いの検討を祈りながら全国に散っていって、早5カ月が過ぎた。各支部の戦況はどうであろうか。

 我が法霑寺支部においても、「出陣の年」に相応しく、本年は特に「折伏・伝統の2月」の闘いを4部隊に編成し、全地区挙げて「七百五十年の緒戦を勝利で飾ろう」との合言葉で開始した。その闘いは、まさしく僧俗一致・異体同心しての闘いであり、文字通り“不自惜身命”“止暇断眠”で昼夜を分かたず、熾烈な折伏戦が一カ月続いた。常に題目を唱え、御本尊に祈り、住職指導のもと、在勤者をはじめ、支部一丸となっての闘いの戦果は、支部結成以来初めての、驚異の三桁の成果を挙げることができた。そして皆「やれば必ずできる」との確信を得ることができたのである。その勢いをもって4月「立宗宣言の月の折伏戦」に突入した結果、お陰で現在までで、年間折伏誓願目標の大半を挙げることができた。そして、迎える5月、第5回夏期講習会登山である。結集に主力を置きながら、育成の闘いが始まっている。


 「講習会」といえば思い出されるのが、「重須談林」における、日興上人の弟子への厳しい師弟教育、すなわち「日尊破門の逸話」である。日興上人が子弟を集めての御書講中、梨の落葉に心を散らした日尊を呵責して曰く、「大法を弘めんとする者が、説法中に違念を起こし、落葉を見るべき謂れなし。汝早く座を立つべし」と即座に勘当して、12年の間これを許されなかった。この厳格な正法護持・令法久住こそ、御開山日興上人、富士門流の信心における教学への心構えであろう。

 「いずくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて、世に立て候わん事こそ詮にて候え。さりともと思い奉るに、御弟子悉く師敵対せられ候いぬ。日興一人本師の正義を存じて、本懐を遂げ奉り候べき仁に相当つて覚え候えば、本意忘るること無くて候」(日蓮正宗聖典 560ページ)と。また、「富士の立義聊(いささか)も先師の御弘通に違せざる事」御書 1884ページ)この謗法厳誡・唯授一人血脈付法、師伝正継の大精神が、愛弟子日尊への勘当の逸話を生んだのである。日尊は19才の時、日目上人により折伏を受けての入門であった。しかし、それまで学んだ「台観の余習」が捨て切れず残り、「神天上の法門」等、本宗の宗義に徹し切れなかったのが真相であり、ついに開山上人の呵責となったのである。

 これをもってこれを思うとき、毎年開催される夏期講習会の大事も、ここにあると思う。創価学会破門以来、自ら、または折伏されて、日蓮正宗に入門する数多くの学会員が跡を絶たない今日、これらの多数の入講者が一日も早く池田創価学会よりの悪習を捨て、富士興門流の正統の信心に徹し切り、あの日尊が一念発起して、12年間で36カ寺の折伏を成し遂げ、御開山上人の許しを得たごとく、この夏期講習会登山で御法主上人猊下より唯授一人血脈相伝による、「富士清流の深義」を拝受し、来る7月「立正安国論の大折伏闘争」を共に展開しようではないか。それには第五回夏期講習会登山においては、参加者全員が日尊を教訓として、全身を耳にして、大聖人の相伝仏法を身に付けて、行学増進して「立正安国論の七月」で誓願目標を達成しよう。


 大聖人は、「誰人にでも坐(おわ)せ、諸経は無得道墜地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ。三類の強敵来たらん事は疑い無し」(御書 673ページ)と。また、「すでに仏になるべしと見え候へば、天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か」(御書 1591ページ)と仰せのごとく、唯一の幸福、成仏の近道たる折伏行には、迫害、魔が競い起こるのは。大聖人の仰せどおり、正しい信行の証しである。

 “伝統の大折伏”を目前にして、「折伏の名手」と言われた一婦人が病魔に倒れた。持病の座骨神経痛が悪化し、激痛のため立つことすらできない状態になったのである。支部全体に与えた影響は大きかった。2・3日して夕刻電話が鳴った。「時間外ですが、御受戒をお願いします。今すぐ行きますので…」と。その病の婦人からの電話である。「『出陣の年』は、猊下様自ら折伏の指揮をおとりになると御住職様から伺っています。その伝統の2月の折伏戦に、歩行困難なために参加できず、十分な闘いができない口惜しさ…でも、この闘いにぜひ参加したいと思うとじっとしておれず、地区の人におんぶしてもらい、やっと一人折伏できることができました」と。

 地区の人に背負われ、本堂に入り、受戒をし終わると早速、新入信者に経本を開いて、勤行と折伏の大事を指導する姿は、さすが“折伏の鬼”である。このニュースは、ただちに次々と全部隊に伝わり、支部全体は燃えた。「必死の一人は万軍を制す」と。この一婦人の折伏にかける必死の一念は、「体が不自由な人でも、病気の人も皆、今月の折伏に走っている。それに比べて私は、何不自由ない体なのに皆に申し訳ない」「この闘いは、平成十四年の勝敗を決する闘いだ。これが伝統の二月戦だ」「今立たずしている立つのか」「俺がやらずして、誰がうあるのか」と、四部隊全支部一丸、火の玉となって、唱え・祈り・走った。

 大聖人は、「一つの師子王吼ゆれば百子力を得」(御書 1290ページ)と。この一婦人の折伏への捨て身、必死の情熱は、全支部をはじめ、地方部までも折伏への蘇生せしめたのである。「伝統の2月」「4月立宗会闘争」そして講習会でさらに力を得て、7月「立正安国論大闘争」で、本年の誓願目標達成を目指そう。特に5月は、総本山開基大檀那・南条時光殿の御祥月である。日興上人への信伏随従しての正法護持、そして熱原法華講を指揮しての大折伏戦を我が鑑として、御法主上人猊下の御もと、宗旨建立七百五十年の三十万総登山を目指し、お互い精進し「出陣の年」を勝利で飾ろうではありませんか。

※この原稿は自得院支部の河野さんの御協力で転載いたしました。



体験発表 『正しい宗教の功徳を実感』
敬台寺支部 田部輝子


 皆様、こんにちは。私は、昨年の8月に御授戒を受け、8カ月の月日が経ちました。その間の体験をお話させていただきます。

 私は主人に折伏してもらいましたので、最初に主人のことをお話させていただきます。主人が入信させていただくきっかけとなったのは、自らの病気のことと、主人の父親が度重なる手術で苦しんでいたことによります。主人の父親はわずか8カ月の間に、大きな手術を5回も受けていました。それまでは元気で病院にかかることなどほとんどなかった父ですが、一昨年の9月、まず膀胱に初期の癌が見つかり手術を受けました。しかし、それから一週間も経たない間に、膀胱で他に癌が見つかり膀胱を切除しました。そして誰もが安心し、退院できると信じて疑わなかった矢先に危篤状態となり、生死を賭けた時が流れ、緊急手術の間に二度も心臓が止まり、そして蘇生しました。手術後の面会では、体中に無数のパイプを付け、人工呼吸器なしでは呼吸すらできない状態でしたが、2カ月後には、普通食を食べ、ベッドに座れるまで回復していました。

 ところが、片方の腎臓にまた癌が発見され、腎臓を一つ切除し、今まで命をつなぎ止めるためにバイパスしてあった腸管を元に戻すための手術を終えました。そんな四月のある日、肝臓にも癌が転移していると病院より説明があり、肝臓の3分の2を取り除く必要があると言われました。

   時を同じくして、その頃より主人も体調が悪くなり、子供の頃に悪くした腎臓の機能が低下し、夕方になると体にむくみが生じ微熱が出るという状態で、薬なしでは生活できなくなっていました。お医者様からは、「このままでは、先に行って必ず透析が必要になる」と言われ、父の病のことと自らの病に苦しみ、先々の不安を感じているときに、主人は職場の同僚の方より折伏を受け、5月に御授戒を受けさせていただきました。  それ以後の主人は、熱心に御題目を唱え、後日、御本尊様を御安置する頃には、奇跡とも思えることが次々に起こりました。まず、父の肝臓にあった癌細胞が次第に小さくなり、最後は水膨れのような状態となり、消えてしまったのです。あれだけの大きな手術を受けたにも関わらず、普通の生活を送れるようになりました。また、主人のほうも入信以後、何度検査しても全く異常がなく、薬も全く必要としなくなりました。以上が、主人の父と主人が病気を克服した話です。


 主人は、自分のことが落ち着いてから、私に信心をするように勧めてくれたのですが、父と主人の病気が治ったことに対しても、私は半信半疑で、とても信心をする気になれずにいました。というのは、私は幼い頃より、母親にあっちの宗教、こっちの宗教と連れて行かれたことがあり、祖母と母は今でもそれぞれ違う宗教を熱心に信仰しているのですが、この二人の姿を見たり、他の宗教を信仰する人を見て、信仰では人は決して幸福になれないと思いました。心の苦しみも、身体上の苦しみも救われることがなく、むしろだんだんと悪い状態になってしまい、人への憎しみがあおられ、より一層、家庭が不和となるという状態を自らの目で見てきました。祖母と母が熱心になればなるほど、家には居ることが少なくなり、二人の間の憎しみ合いがひどくなるばかりでした。私の大好きな二人がなぜ、どうしてこんなにも傷つけ合わなくてはならないのかと涙を流し、自分は一生無信仰でいようと固く心に決めていました。

 そんなこともあり、主人が信心すると聞いたときには、とてもショックでした。またこれで、独りぼっちになったり、つらい涙を流すことになるのかと思い、主人が信仰をすることでおかしな状態になったら、そのときは荷物をまとめ、子供と共に家を出ようと思っていました。

 入信前の私は、ただただ時間に追われて、子供に対して常に腹を立て、「早く、早く」とせき立てるばかりで、私の思いどおりに動いてくれないと手をあげ、くどくどと叱り飛ばしていました。また、主人に対しても不満ばかりつのり、真剣に離婚を考えていました。このままでは、家族も自分もだめになってしまうと、育児書や哲学書を読み漁り、子供たちと主人の幸せを自分の幸せと思うことにしよう、という考えに至り、表面では良妻賢母を努めてまいりました。しかし無理やり自分の気持ちを抑えているという思いと、自分を犠牲にしているという不満がたまっていくばかりでした。心が病むと体にも出て、そのうちいくら睡眠をとっても、1日中だるく感じるようになりました。すると余計にイライラして、子供を叱ることや主人に当たることが多くなりました。

 こんな状態でしたので、最初は主人の話を全く聞くことができませんでしたが、主人は、実に熱心に、ひたすら仏法の話や御住職様の御法話のことを優しく話してくれました。私が台所仕事をしていると横に来て、手伝ってくれながら話をしたり、「自分が床拭きや洗濯物を干すから、その空いた時間の分だけで良いから一緒に勤行をしないか」と言って私を御本尊様に近づけてくれました。

 すると私も自然と、いつの日からか、御本尊様に手を合わせて御題目を唱えられるようになりました。主人のこんな姿に感動しましたし、信心するまでとは全く変わって、主人がとても生き生きと生活を楽しみ、子供たちを今まで以上に可愛がってくれるようになりました。この信仰のすばらしさを心より感じとることができて、私は自らの意志で、子供と共に御授戒を受けました。家族の幸福のためにと、がんばってくれた主人に、心より感謝しています。


 入信させていただいてからは、イライラすることがすっかりなくなり、毎日が楽しくてしかたがありません。何をしていても嬉しくて、自分の中からあふれる生命力とエネルギーを体一杯に感じています。また、10年前に椎間板ヘルニアを患って以来のひどい腰痛もすっかりなくなりました。以前は朝起きたとき、何かにつかまらないと起き上がれず、睡眠中もひどい腰の痛みで目を覚ますことがよくあったのです。  御本尊様のお陰で心を清らかに、体をすっかり元気にしていただきました。主人や子供に対しても、心に全く無理がなく、いとおしく、可愛く思え、子供たちと主人を前にすると自然と笑みがこぼれてしかたありません。御本尊様の偉大なるお力により、家族の信頼関係も絆も深くなり、本当の意味での家族に、そして夫婦になれた思いです。この事せをかみしめる度に、御本尊様に対して感謝の涙があふれて止まりません。

 以前、子供たちは「ママ、今日は怒ってないの、しんどくないの」と言って私の顔色を伺いながら行動していましたが、今では「ママ、優しくなったね、可愛いね。私もママのような人になりたい」と言ってくれるようになり、自分たちの思いのまま、伸び伸びと遊んだり、ふざけ合ったりしています

 また、以前とは見違えるほど活発になり、消極的な性格だったのが、積極的に行動できるようになりました。「学校も家もつまらない。友達もいないし、先生が何を言っているのかぜんぜん判らない。家に帰ってもすることがない」と泣いていた子が、「今日はとっても楽しかったよ。お友達といっぱい遊んだし、算数のテストで百点だったよ。家では、本をいっぱい読みたいし、お手伝いもしたい」と言ってくれるようになり、笑顔が絶えなくなりました。

 そして、私もやっと、それぞれの子供たちの良いところや性格が見えてきました。以前は良いところさえ見る余裕もなく、なんて悪い子だろうか、解決策はないものかと思い悩むばかりでした。私も苦しみましたが、それ以上に子供と主人を随分と苦しめてきたと深く反省しております


 話は変わりますが、私は高校を卒業するまで広島の実家にいました。実家では、先に申し上げましたとおり、母と祖母の仲が悪く、嫁姑のいざこざが絶えず、今もお互い、罵り合っています。父は父で、酒乱で浮気をし、飲んでは暴れる毎日でした。物を壊し、私たち姉妹を「殺してやる」と追いかけ回し、私たち姉妹はいつも父の暴力に脅え、母と祖母の罵り合いに涙していました。母から離婚の話を聞かされる度に、これから先どうなるんだろうと、不安な毎日を過ごしていました。私は、とにかくこの家から出て、心穏やかに過ごしたいと思い、高校を卒業と同時に、尼崎の福祉関係の学校に進んだのです。

 かつて御住職様から、「孝養の仏子たれ」との御法話をいただいたことがあります。それから御祈念を続け、唱題を重ねるうちに、必死で助けを求めていた母の辛さ、欲望に走る父の心の弱さ、我を張って強がっている祖母の辛さがひしひしと伝わってきて、自然と心の底から、祖母、両親の幸せを願う気持ちが湧き出てきました。これから正法の教えを話して折伏することで、孝養に代えたいと思ってがんばっています。

 また、私は、他に何人かの方にお話させていただいたのですが、ただ相手の方を怒らせたり、理解を得られないまま終わっているので、基礎の教学を身につけると共に、その方を折伏したいという慈悲の一念をもって御題目を唱え、自分自身の姿を見ていただいた上で、この信心は本当にすばらしいと思っていただけるように成長していきたいです。

 敬台寺では、多くの方と出会えました。すばらしい信心の先輩方、ヤングミセスの方々、そして鼓笛隊の方々、皆様にお会いでき、心より嬉しく思い、いろいろな活動に楽しみながら参加させていただいて、折伏をどのようにすればいいのか勉強させていただいておりましたところ、昨年の11月に新田華子さんを折伏することができました。

 入信間もない新田さんは、一人でも多くの方に信心のすばらしさを話したいという一心で、次々に知り合いの方に話をされたところ、ある人からお寺に行ってみたいという御返事もいただけました。私も新田さんの折伏のお手伝いをできる限りさせていただきたいと思っておりますし、何よりも優先して新田さんの御主人が信心できるように、カの限り応援していきたいと思っています。

 この意義ある「出陣の年」から3年後に迫る宗旨建立七百五十年の三十万総登山に向かって、家族共々これからもがんばります。御本尊様、どうか講中のお役に立てるようにがんばらせてください。そして、今後とも皆様の御指導、御協力を賜りたく思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。本日はありがとうございました。

※この原稿は日正寺支部の福原さんの御協力で転載いたしました。



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