<2・3面>
<4・5面>全国で地方部総会行われる
<6〜8面>
4月27日、総本山客殿において、平成11年度の教師補任式が厳粛に執り行われた。教師補任式は、新説免許の儀式とも呼ばれ、僧侶が出家得度以来、仏祖三宝尊への御奉公と共に、たゆまヌ仏道修行と教学研鑚に精進されてきた成果を、御法主上人猊下の御慈悲のもとに抜露するものである。また、新説者はこの日より正法正義に基づいた説法を行うことを許され、四恩に報うべく、僧侶としての新たな出発となる重要な儀式であり、古来より「三世の大願」とされている。新説者は、23日に着山し、24日から26日までの間、山崎慈昭・佐藤彦道御尊師の両指導役のもとに厳格な所作の練習を重ね、宗務院教学部より説法の講本指導を受けた。27日午前8時、まず前座として山崎指導役が登高座して説法を行い、続いて第一説者より順次説法が始まる。
説者は、会行事の先導によって柄香炉を携え、唱題の中をゆっくりと内陣に歩を進める。中央内陣、三宝尊の御前に至り、五体を仰ぎ折ること三度、御本尊を拝して三礼し、向きを変えて高座へと進む。登高座すると説法の準備を整え、焼香・散華と所作を行った後に鈴三打。唱題が止み、厳かに法華経の要文を拝読し、説法が始められる。
4月25日午前11時より、茨城県境町の慈法寺において、同寺の創立25周年記念法要が盛大に奉修された。同寺は、観妙院日慈上人の寄進により、昭和49年4月23日、総本山第66世日達上人の御親修を賜って落慶入仏法要が奉修された。その後、10周年を記念して墓地開苑、平成2年には、御法主日顕上人猊下の大導師を賜り、本堂・庫裡新築落慶法要が奉修された。そして今回、創立25周年を迎えるに当たり、御宝前の荘厳と山門の新築がなされ、同日の法要を迎えたものである。これには、茨城布教区内外の御僧侶方が多数御出席。また多数の信徒が参列した。
法要に先立ち、山門・山号額の除幕式が行われた。続いて法要の部が、住職・田島寛応御尊師の導師により献膳、読経、唱題と奉修された。
長野地方裁判所松本支部は4月21日、自ら離宗したにもかかわらず、依然として日蓮正宗所有の善興寺不法占拠し続ける離脱僧・吉川雄進に対し、善興寺建物明け渡しを命じる判決を下した。吉川は、平成元年8月3日、御法主日顕上人猊下の御任命により善興寺初代住職に就任した。その後、平成2年末からの創価学会問題の最中、地元布教紙の編集にも携わり、積極的に創価学会を破折しているかのごとく思われた。平成3年初頭には不審火により自家用車が全焼するという出火騒ぎもあった。しかるに吉川は、平成4年2月2日に至り、突如、工藤玄英や兄・吉川幸道らとともに、日蓮正宗に対し宗派離脱する旨通知した。
もとより、善興寺は日蓮正宗所有の財産であり、その教義弘宣のための道場であり、日蓮正宗から離宗した者に不法占拠されるいわれはない。よって宗務院は、吉川に対し、速やかに寺院建物からの退去を通告した。しかし、吉川はこれを拒否し、創価学会に同調して宗門攻撃を繰り返したため、所有者である日蓮正宗が原告となり、吉川に対して建物明渡を請求する訴訟を提起していた。日蓮正宗が所有する非法人寺院に関する訴訟においては、すでに長栄寺、円徳寺の各事件で宗門が完全勝利をおさめており、本日の判決はこれらの先例に続くものである。
太田裁判長は、創価学会による200カ寺建立計画が、「当時原告(日蓮正宗)の信徒団体であった創価学会が原告総本山たる大石寺の開創七百年を記念して全国的な規模で新寺院の建立を発願したものであり、創価学会は、これによって、原告宗派の更なる興隆発展を企図していたもの」と正しく評価し、善興寺不動産の所有権が日蓮正宗にあることを認定した。その上で、「被告(吉川)は、原告(日蓮正宗)の僧侶を辞任したことに伴い住職の地位も当然に失った」として、吉川に対して寺院明渡を命じる明解な判決を下した。これは、日蓮正宗における寺院および住職の位置付を正解したもので、原告日蓮正宗の主張を全面的に認めたまことに正当な判決である。
グーテンターク(こんにちは)!ミュンヘンより私たちドイツの活動レポートをさせていただきます。ドイツは1990(平成2)年の東西ドイツ統一により、約8,000万人というヨーロッパで最も人口の多い国になりました。ヨーロッパ諸国の主要な宗教はキリスト教ですが、ドイツにおいては、カトリックとプロテスタントがほほ同じ割合で分布しています。ドイツにある16の州にはそれぞれ、変化に富んだ、その地方特有の風土と方言と伝統があります。ミュンヘンのあるバイエルン地方では、旅行者向けの「十月ビール祭」の催しなどに留まらず、教会と地域社会の活動が結びついた多くの伝統行事が行われています。そのような中、私たちミュンヘンのグループは、広宣流布をめざして活動しています。主な活動としては、毎週、メンバー宅を交替して会合を行っており、中には120キロも離れた所から出席してくるメンバーもいます。会合はまず正確なはっきりした勤行から始まります。導師はそれぞれが責任と自覚を持てるように、当番を決めて順番に行っています。そして、宗務院海外部から送っていただく月例の御報恩御講の教材などを使って勉強し、また各自の体験を発表し合い、仏法をより深く理解するよう取り組んでいます。会合はいつも和やかな雰囲気の中で行われ、終了時には必ず次の日程を決め、欠席者には電話で内容を伝えています。
ドイツ南東部を中心とするミュンヘンのメンバーはまだ10名に満たない少人数ですが、そのうち4人が外国籍を持っております。また北部のベルリンと南西部のシュツットガルトのグループも外国籍のメンバーが共に活動しています。特にシュツットガルトでは台湾出身の方々が折伏に励み、人数も増えてきました。常にみんなで唱題しており、これからの活躍が期待されます。また、ドイツ国内のグループ同士が、年に数回、訪問し合うことによって、互いの成長と異体同心を図っています。私は、この「人種のるつぼ」の中で、メンバーの持つ多様な文化に接することによって、柔軟性が大きく養われたと思います。また、日蓮正宗ニュース等の出版物や教学資料及び、アメリカ・イタリア・日本・北欧・英国への訪問などを通して得た「生きた交流」から多くのことを学ぶことができました。この差別のない暖かい家庭的な雰囲気は、各グループだけに留まらず、ドイツのメンバー全員へと広がっています。特に総本山の二大法要や海外信徒研修会の登山には、必ず数名のメンバーが参加し、御法主日顕上人猊下からいただいた多くの御指南と総本山での貴重な体験を帰国後の会合で参加できなかったメンバーに伝えています。
我が法霑寺支部においても、「出陣の年」に相応しく、本年は特に「折伏・伝統の2月」の闘いを4部隊に編成し、全地区挙げて「七百五十年の緒戦を勝利で飾ろう」との合言葉で開始した。その闘いは、まさしく僧俗一致・異体同心しての闘いであり、文字通り“不自惜身命”“止暇断眠”で昼夜を分かたず、熾烈な折伏戦が一カ月続いた。常に題目を唱え、御本尊に祈り、住職指導のもと、在勤者をはじめ、支部一丸となっての闘いの戦果は、支部結成以来初めての、驚異の三桁の成果を挙げることができた。そして皆「やれば必ずできる」との確信を得ることができたのである。その勢いをもって4月「立宗宣言の月の折伏戦」に突入した結果、お陰で現在までで、年間折伏誓願目標の大半を挙げることができた。そして、迎える5月、第5回夏期講習会登山である。結集に主力を置きながら、育成の闘いが始まっている。
「講習会」といえば思い出されるのが、「重須談林」における、日興上人の弟子への厳しい師弟教育、すなわち「日尊破門の逸話」である。日興上人が子弟を集めての御書講中、梨の落葉に心を散らした日尊を呵責して曰く、「大法を弘めんとする者が、説法中に違念を起こし、落葉を見るべき謂れなし。汝早く座を立つべし」と即座に勘当して、12年の間これを許されなかった。この厳格な正法護持・令法久住こそ、御開山日興上人、富士門流の信心における教学への心構えであろう。
「いずくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて、世に立て候わん事こそ詮にて候え。さりともと思い奉るに、御弟子悉く師敵対せられ候いぬ。日興一人本師の正義を存じて、本懐を遂げ奉り候べき仁に相当つて覚え候えば、本意忘るること無くて候」(日蓮正宗聖典 560ページ)と。また、「富士の立義聊(いささか)も先師の御弘通に違せざる事」御書 1884ページ)この謗法厳誡・唯授一人血脈付法、師伝正継の大精神が、愛弟子日尊への勘当の逸話を生んだのである。日尊は19才の時、日目上人により折伏を受けての入門であった。しかし、それまで学んだ「台観の余習」が捨て切れず残り、「神天上の法門」等、本宗の宗義に徹し切れなかったのが真相であり、ついに開山上人の呵責となったのである。
これをもってこれを思うとき、毎年開催される夏期講習会の大事も、ここにあると思う。創価学会破門以来、自ら、または折伏されて、日蓮正宗に入門する数多くの学会員が跡を絶たない今日、これらの多数の入講者が一日も早く池田創価学会よりの悪習を捨て、富士興門流の正統の信心に徹し切り、あの日尊が一念発起して、12年間で36カ寺の折伏を成し遂げ、御開山上人の許しを得たごとく、この夏期講習会登山で御法主上人猊下より唯授一人血脈相伝による、「富士清流の深義」を拝受し、来る7月「立正安国論の大折伏闘争」を共に展開しようではないか。それには第五回夏期講習会登山においては、参加者全員が日尊を教訓として、全身を耳にして、大聖人の相伝仏法を身に付けて、行学増進して「立正安国論の七月」で誓願目標を達成しよう。
大聖人は、「誰人にでも坐(おわ)せ、諸経は無得道墜地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ。三類の強敵来たらん事は疑い無し」(御書 673ページ)と。また、「すでに仏になるべしと見え候へば、天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か」(御書 1591ページ)と仰せのごとく、唯一の幸福、成仏の近道たる折伏行には、迫害、魔が競い起こるのは。大聖人の仰せどおり、正しい信行の証しである。
“伝統の大折伏”を目前にして、「折伏の名手」と言われた一婦人が病魔に倒れた。持病の座骨神経痛が悪化し、激痛のため立つことすらできない状態になったのである。支部全体に与えた影響は大きかった。2・3日して夕刻電話が鳴った。「時間外ですが、御受戒をお願いします。今すぐ行きますので…」と。その病の婦人からの電話である。「『出陣の年』は、猊下様自ら折伏の指揮をおとりになると御住職様から伺っています。その伝統の2月の折伏戦に、歩行困難なために参加できず、十分な闘いができない口惜しさ…でも、この闘いにぜひ参加したいと思うとじっとしておれず、地区の人におんぶしてもらい、やっと一人折伏できることができました」と。
地区の人に背負われ、本堂に入り、受戒をし終わると早速、新入信者に経本を開いて、勤行と折伏の大事を指導する姿は、さすが“折伏の鬼”である。このニュースは、ただちに次々と全部隊に伝わり、支部全体は燃えた。「必死の一人は万軍を制す」と。この一婦人の折伏にかける必死の一念は、「体が不自由な人でも、病気の人も皆、今月の折伏に走っている。それに比べて私は、何不自由ない体なのに皆に申し訳ない」「この闘いは、平成十四年の勝敗を決する闘いだ。これが伝統の二月戦だ」「今立たずしている立つのか」「俺がやらずして、誰がうあるのか」と、四部隊全支部一丸、火の玉となって、唱え・祈り・走った。