<2〜5面>
<6〜8面>
既に戒壇の大御本尊様に背き、歴代血脈の法主上人にも悪口三昧の限りを尽す下種三宝破壊の池田大作以下創価学会の者共が、寸言のメモを根拠として、日蓮正宗宗旨の大事について論ずる事自体僭越の極みであり、資格なき者の戯論である。一顧の価値もない邪論と断ずる。従って、前に宗務院より発した通知で充分その意を汲まれるものと思量したのであるが、河辺メモと称するものが不正確な記述の為、聖教新聞等の邪説の誹謗を見た宗内僧俗の中に、万一にも不透明感を持つ者があるやの事を考慮し一文を草する。
そこで此の際はっきりしておくことは、本門戒壇の大御本尊様と日禅授与の御本尊とは全く相違しているという事である。よく拝すれば中尊の七字の寸法と全体からの御位置においても、明らかに異なりが存し、また御署名御花押の御文字及びその大きさや御位置、各十界尊形の位置等にも歴然たる相異が存する。そして勿論模写の形跡などは存在しない。
したがって御戒壇様と日禅授与の御本尊とを類推すること自体が全くの誤りであり、この事をはっきり、述べておくものである。
この教義信条に基いて一器の水を一器に移す如く、宗祖大聖人本懐の三大秘法の深義が伝承されており、その根本の御本尊として格護されて来たのが本門戒壇の大御本尊である。
故に野衲も先師日達上人よりの付法に基き、登座以来二十年、身命を捧げて御護り申し上げて来たのである。否、それ以前の宗門教師の時より已来、変わらざる信念と覚悟を以て執筆、言論等にこの教義信仰の大事を陳べて来たものである。
宗内の諸賢には、このような為にする創価学会の罵詈讒謗の根底を見抜いて、ますます信心の志を強く持ち、仏敵に対する破邪の剣を磨かれることを祈る次第である。
私は、昭和55年、主人との結婚を機に入信しました。初めは学会員に誘われて座談会等に参加していましたが、心を打たれるものがないため、自然と行かなくなりました。しかし御本尊様への御給仕と朝晩の題目三唱だけは、毎日欠かさず行っていました。結婚後10年間は大阪府泉南郡に住み、平成元年に和歌山県に移って来ましたが、家の新築に際し、主人は御本尊様を御安置する仏間を第一に考えて設計しました。この引っ越しで主人の職場は遠くなり、片道2時間半という通勤が始まりました。睡眠時問4時間程度の日々が続き、次第に疲れもたまり、平成9年12月には体調不良から朝起きられず、車の運転もできない状態になり、とうとう出勤できなくなりました。
平成10年はちょうど主人の厄年に当たっていましたので、厄払いをしていただこうと覚法寺へ参詣すると、御住職より「学会員の方は、平成9年11月30日で破門されています」と言われ、何も知らなかった私たちは驚き力が抜けてしまいました。御住職にその理由を教えていただき平成10年2月15日に一家4人揃って勧誡式を受けました。
しぱらくして、学会員が家に来たり電話がかかってきましたが、幸い私たちは全く学会活動をしていなかったので、嫌がらせもありませんでした。学会員が「会館にまた来てください」と言ったので、私は、「お寺に来てください」と返事をし、以来何も言ってこなくなりました。
脱会後は、とにかく主人に早く元気になってもらいたいと思い、御本尊様に必死で御祈念しました。短い睡眠時間の中、初めのうち、夜は勤行できましたが、朝は題目三唱で精一杯でした。しかし不思議に朝の勤行もしなけれはいけないという気持ちになり、自然にできるようになりました。子供も眠い目をこすりながら朝は6時から、夜は主人が帰宅してから一家揃っての勤行が始まりました。主人は、「晩の勤行を4人揃ってすると不思議に身体が楽になり、勤行が楽しみになってきた」と言うようになりました。
しぱらくして主人が20数年ぶりに御登山したいと言いだしました。それも元気だったときのように車で行きたいというのです。体調を考えると無理だと思いましたが、主人の強い意思により3月に車で御登山することを決め、無事に御登山できるように御祈念しました。そして、普通なら6時問で行けるところを12時間かけて御登山いたしました。御登山するときは三障四魔が競うと主人が言いましたが、本当に起こってきました。高速道路で大型トラックに接触されたのです。幸い誰もけがをせず、ミラーに傷が入った程度で、これも御本尊様がお護りくださったのだと感謝いたしました。
総本山では、私たちはすばらしい体験をしました。そのころ新客殿の工事中で、ちょうど私たちが前を通かかったとき、『客殿』と大きく書かれた額をクレーン車で取り付けているところでした。しばらくすると御僧侶と工事関係者の方が何人か客殿のほうへ向かって来ました。私たちの目の前で一人の方が笑顔で会釈をしてくださいましたが、何とその方は御法主上人猊下だったのです。さらに私たちを客殿の前に呼んでくださり、表向拝の竜の彫り物の御説明を親しく賜りました。私たちはこのとき無理をしてでも御登山してよかったと、嬉しい気持ちで一杯になり、また大聖人様がこれからがんばって信心していきなさいと仰せられているように思われました。その後、総本山から帰ってから、主人の体調が少し良くなっていることに気付きました。
主人はこの体験から御本尊様の功徳について確信を持ち、学会員である自分の両親を、一日も早く正しい信心に帰させなければならないと思い始め、朝晩の勤行のとき御祈念をし、この体験を話しました。主人の母は耳を傾けてくれましたが、父はもう一つその気になれず、3月の御講の日に義母だけ勧誡式を受けることになりました。しかし当日、義父も一緒にお寺に行くことになりましたさらに勧誡式の直前になって、義父も一緒に受けることになりました。これも主人の気持ちが御本尊様に通じたのだと感謝いたしました。
今、私はパート勤めをしていますが、私と同じ日に職場に入り友達になった人が、学会員だということを知りました。学会活動に参加しておらず、御本尊様は大切にしているとのことで、私が脱会して法華講員になったこと、御登山したこと身の周りの変化などをその都度、話していました。今年になってから、その方を何とか正しい信心に戻してあげなければと強く思うようになり、朝晩の勤行で、また仕事が休みの日にお寺で唱題行に参加し、一心に御祈念し続けました。忙しい方で休みの日も外出が多く、なかなか話をする機会もありませんでしたが、昼の休憩時問に話したり、電話で折伏し続けました。
ある日職場で、2人で仕事をすることになりました。今まで一度も2人で当たったことがなかったので、これは、御本尊様が折伏をしっかりとしなさいと機会を与えてくださったのだと思い、「あなたの大切にしている御本尊様は、もう総本山に在(ましま)す戒壇の大御本尊様には通じていないので、再入信して幸せになってもらいたい」と強く訴えました。主人や私の体験も交えて2時間ほど、精一杯折伏しました。その結果、本年3月1日に覚法寺で勧誠式を受けることができました。
話は去年に戻りますが、6月に私の父の体調が悪いという連絡が入りました。父は丈夫な人でしたが、8年前に一度、脳内出血で倒れたことがあります。大手術をし、約3カ月の入院生活の後、退院しました後遺症も本人の努力でよくなって仕事を長男に譲り、自分は畑を借りて野菜を作るぐらい回復していたのです。それがまた調子が悪くなったとのこと。検査の結果、口腔ガンとのことでした。そして7月に夏期講習会登山に参加した主人が、偶然に職場の人に出会い、その人の身内が医者も見離すほどの口腔ガンだったけれど、信心で克服し元気になって夏期講習会に一緒に参加しているという話を聞いてきました。私はびっくりしました。御本尊様が「父を救ってあげなさい」とおっしゃっているように思われ、私たちは私の実家を折伏しようと決心しました。
私の実家は真言宗でした。この日蓮正宗のことをどう言えば判ってもらえるかと、たいへん頭を痛めました。以前から母には、自分たちが学会員ではないこと、御登山した後主人の体調がよくなってきたことなど、話していました。父の病気は謗法の報いであり、このままでは兄や兄の子供までもが同じように苦しみ、やがて家が滅びてしまうと確信し、実家へ折伏しに行き、また電話でも折伏し続けました。一応聞いてはくれますが、またかという顔になっていました以前私の祖母が真言宗をやめて日蓮宗の信仰をし、真言宗に戻してほしいと遺言して他界したため、両親がやっとの思いで真言宗に戻したという経緯があり、再び宗旨を替えるなどできないというのがいつもの返事でした。とうとう父の手術の日がきました父は、10時問の大手術を受けました。いつ再発するか判らない病気です。本人も、家族も、絶えず気を配っていなければなりません。一日も早く折伏しないと後悔すると思い、仕事が休みの日は朝から唱題行に参加して御祈念し、その後すぐに実家へ折伏をしに行ったことも何度かありました。
そうしているうちに父に変化が現れました自分から私たちの話を聞くようになって、真言宗はよくないのではないかと疑いはじめ、日蓮正宗に替わる気持ちになってきたのです。兄たちも両親の決断に任せるというように変わってきました。あとは御本尊様に導いていただくしかないと思いました。そして今年の6月、主人と私は、「今日は絶対に日蓮正宗に入信してもらおう」と決意して折伏に行きました一つ間違えれば縁を切られるかもしれないという思いもありましたが、そうなったら、また折伏し続けたらいいと思い直しました。
ところが行ってみると、今までとは打って変わって、入信を決めていたようでした。どうやら、家族で話し合いをしていたのでした。私たちの一念が御本尊様に通じたのだと確信しました。そして御住職に私の実家まで御足労を願い、宗旨替えに当たっての詳しいお話をしていただき、翌週の日曜日、御講の日に御授戒を受けることになりました。長年置いていた真言宗の仏壇を処分し、謗法のものをすべて捨て、新しく日蓮正宗の仏壇を購入して平成11年6月13日の御講の日に、一家6人全員が御授戒を受け、御本尊様を御下付戴くことができました。本当に夢のようでした。私たちは、上品の孝養ができたことを御本尊様に感謝しました。御住職もたいへん喜んでくださり、「真言宗から一家全員、誰一人抜けることなく入信されたのは、私自身も初めての経験です」とびっくりされていました。御本尊様が導いてくださり、御住職のお計らいもあり、また主人と私が一体となって御祈念し続けた結果だと思います。
不思議なことに、同じ日に主人の父の友人も勧誡式を受けることができました。大聖人様は、「病によりて道心はおこり候か」(御書900ページ)と仰せです。主人の病がきっかけで日蓮正宗に戻ることができ、この一年間で私たち一家4人、私の友人1人、主人と私の両親4人、私の兄の一家4人と主人の父の友人1人、合計14人が日蓮正宗に入信することができました。
折伏とは、慈悲の心でその人のためを思い、強い一念で御本尊様に御祈念していけば、いつかは誰にでもできるということを確信しました。これからも信心を根本に精進し、宗旨建立750年・平成14年の法華講30万総登山へ参加していきたいと思います。
※中見出しは妙音で付けさせていただきました。
最近、宗内僧侶河辺慈篤房が書いたというメモが、本人の承諾なく、盗人の手によって創価学会に流れ、それを悪用した創価学会が、機関紙聖教新聞・創価新報等にその記事が真実であるとして、野衲日顕の本門戒壇の大御本尊に対する不信不敬なりとする悪口誹謗の記事を掲載している。
いわゆる河辺メモは、客観的な言旨を極めて自己の主観的な形に書き変えた慈篤房の記録ミスである。則ち主として創価学会の存在によって生じた日蓮正宗に対する種々の批判中の一環として、御本尊と血脈等に関する疑難悪口があることの内容について、ある時に慈篤房と客観的な話しをしたような記憶は存する。しかし学会で発表したあのメモのような諸件についての主張をしたことは断じてないのである。
次に教義信条の面より拝するに、宗祖大聖人御化導の正義は仏像の造立に非ず、大曼荼羅本尊の顕発と弘通に存する。その御正意は弘安元年以降の御本尊境智の究竟人法一箇の上の三大秘法の整足、即ちその御当体は本門戒壇の大御本尊にましますのであり、故に古来、三大秘法惣在の御本尊と拝称し奉るのである。この三大秘法の究極の法体こそ宗祖大聖人の御正意であると共に御書全体の正義であり、また大聖人日興上人の唯我与我の血脈の本旨である。
蓋し、創価学会の行為たるや、仏法尊重の念は寸分もなく、いよいよ御本仏日蓮大聖人、下種の大法に違背する仏敵たる本性を暴露しているのである。
9月8日、長崎県郷ノ浦町において法成院(旧法敬院壱岐出張所)の入仏式が、御法主日顕上人猊下の御名代である総監・藤本日潤御尊能化の御導師のもと、厳粛かつ盛大に奉修された。法成院は、平成4年11月、壱岐法華講員の熱望によって法敬院壱岐出張所として出発し、本年3月に対馬の法敬院支部から独立して法敬院壱岐講支部が結成され、御法主上人猊下の格別なる御慈悲を賜り、この度の慶事を迎えるに至った。
◇創価学会破門の事実をお寺で知り脱会
◇脱会後はじめての御登山で御本尊様のお力を確信
◇自身の体験を通じて職場の学会員を折伏
◇折伏の功徳で実家が真言宗から改宗果たす
◇夫婦和合で平成14年・立宗750年に向かって