大白法

 平成11年9月16日号


主な記事

<1面>

身延離山史 <2・3面>

<4〜6面>

<7・8面>


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いまこそ学会員に真実を伝えよう!


号外配布 悪は多けれども一善に勝つ事なし。池田大作率いる創価学会の宗門への敵対行為が露わになった引き金は、平成2年12月27日に臨時宗会で日蓮正宗宗規の一部改正が行われ、その中で法華講総講頭・大講頭の任期の改正(総講頭は従来の終身制が五年任期に、名誉総講頭は廃止、大講頭は従来の二年任期が三年となる)に伴い今までの資格は喪失したことにある。

これに対し、翌平成3年元旦から、池田大作は、怨念の本性を剥き出しにして学会員を扇動し、全国の末寺に押し掛けさせ、さらに聖教新聞では、御法主日顕上人猊下及び御宗門に対し大キャンペーンを展開して口を極めた誹謗中傷を開始した。

このキャンペーンが平成3年から4年へとますますエスカレートする中、周到な準備を経て鳴り物入りで発表されたのが、でっち上げ「クロウ事件」だった。その他「写真偽造事件」など、違法・不法な、手段を選ばぬ謀略事件が続くが、これらの事件に共通しているのは、御法主日顕上人猊下の猊座からの追い落としを狙った捏造だという点である。現在はどちらも東京地方裁判所において、創価学会の悪事が暴(あば)かれつつあるが、「クロウ事件」は、その悪辣さにおいて一般社会においても類を見ない名誉毀損である。

先の大白法号外でも明らかなように、現在「クロウ事件」の根幹を崩す決定的証拠が発見され、裁判所にも提出済みである。今回の新事実の発見により、「クロウ事件」の裏に隠されていた周到な企みが暴露され、池田創価学会の天をも恐れぬ犯罪性を見ると共に、そこまでしなけれはならない程、窮地に追い込まれている組織の末期的症状が見て取れるのである。

8月の聖教新聞「寸鉄」の欄には、「まず幹部だ、真剣な幹部の組織は幸福。堕落の幹部の組織は不幸」とか「職員は法戦の先頭に立て。気取りや権威を捨去れ」等と掲載されている。今や学会組織内部が、権威主義で腐敗し堕落して、ボロボロの状態であることが一目瞭然である。「悪は多けれども一善にかつ事なし」(御書1390ページ)との御金言のごとく池田大作の卑しい欲望と瞋恚に猛り狂った姿と、それに連なる欲の皮の突っ張った職業幹部や取り巻きが、必ず時を経て凋落の一途をたどることは明々白々である。

この時の動勢を目の当たりにして、今なお目の醒めない創価学会員に対し、さらにまた社会一般に対して、大白法号外を大いに活用して創価学会の真実の姿を知らせていこうではないか。天のお計らいを戴いたこの時を逃さず、全国で鬨(とき)の声を挙げて折伏を推し進めていこう。



支部挙げての折伏座談会

全国で活発な折伏座談会が展開されている。当日に向けて、新来者の名を具体的に挙げてみんなで御祈念するなど、真剣に取り組んだ結果、折伏の成果のみならず、皆の意識改革等、未曽有の闘いへ、着実に成果に結びついている。



○ 東京都大田区・宝浄寺支部


本年初頭、御法主上人猊下は、「三十万総登山の目標に対し、昨年までの四年有余の期間は主としてその準備期間であったのに対し、本年よりの三年有余の期間こそ強力にその推進を計る実践の期間といえましょう。その実践にあたってまさに眦(まなじり)を決すべき年こそ本年であります」(大白法
516号)と仰せになりました。 昨年、我が宝浄寺支部は80世帯の折伏誓願目標を11月の支部総登山前に達成しました。そして、いよいよ「出陣の年」に向かい、御住職である大村寿顕御尊師から御指導をいただきながら検討し、本年の誓願目標を昨年の2倍の160世帯とし、講中一同、いよいよ御法主上人猊下が仰せの「眦を決すべき時」と覚悟を決めたのでした。「出陣の年」の本年は未曾有の闘いであるため、本山の慶祝記念局に傲(なら)い、支部の30万総登山達成実行委員会を設置しました。そして、一月に開催された支部出陣式の場で御住職より任命いただいた常任委員10名・実行委員41名がその任に就きました。毎週火曜日に行われている折伏祈願唱題会の終了後に実行委員会を開き、誓願目標達成に向かってさまざまな角度から話し合いがなされました。

しかし、2月・3月・4月と折伏の低迷が続きいずれも一桁の成果の月が続きました。そのような中、連合会の副青年部長でもある岩田副講頭より、御住職の要請により柳沢総講頭が直々我が支部へ折伏の応援に訪れていただけるとの話がありました。早速、三海講頭を中心に折伏座談会の企画を練り、5月16日、宝浄寺支部結成以来初めての『折伏座談会』を開催いたしました。開催にあたって「100名の新来者を宝浄寺に集めよう!」と目標を立て、講員全員に下種先を挙げていただきました。今までであれは、各地区に連絡をして終わりでしたが、今回は実行委員会から壮年・婦人・青年部にも要請しました。その結果、地区の縦のラインと部の横のラインによりすみずみまで徹底され、200名を越す『下種先名簿』が出来あがりました。

柳沢総講頭は530号の「大白法」の座談会の紙面で「やらない者はいくら言ってもやらないと。しかし、そんなことはないんですよ。では、この人たちはどうすればやるのかというと、それは『勢い』ですよ。新時代が来て周りがだいぶ騒々しくなってきたな、俺もじっとしていられないよ、なんていうことになれは、動き出すんですね」と折伏について述べておられます。そして、我が支部もまさにそのとおりで、折伏座談会前日の予定新来者確認数は75名。そして当日、午前と午後にわたって行われた折伏座談会に、実際に出席した新来者数も75名。特にその中には、普段あまり参詣されない講員の方々の紹介による新来者が多く見られました。この折伏座談会の結果は、勧誡4世帯、御本尊下付1世帯、分世帯1世帯、御授戒10世帯、家族入信2世帯と計18世帯の成果でした。それだけでなく、この後、講中に折伏の火がつき、5月の成果は12世帯となり、6月を除いて毎月二桁の折伏を達成いたしました。

そして、8月に第2回目の折伏座談会を開催。前回とは趣を異にして、主に今まで下種を続けてきた方々を中心に誘い、結果14名の新来者を迎えることができました。その中から御本尊下付1世帯、御授戒2世帯の成果がありました。また、御住職からの提案もあり、今後は毎月第一日曜日の『折伏の日』にこのような折伏座談会を定例化することになりました。また、特筆すべき点は、この折伏座談会の開催が、シアトル事件「号外」の発行と重なり、はじめは、折伏座談会の開催に向かって一部の婦人部員から始まった創価学員宅への号外の配布が、次第に支部全体に広がり、昼は婦人部が、夜は壮年部と青年部が中心となり19,000部の号外を創価学会員宅へ配布しました。

この盛り上がりを沈めることなく、後半戦に向かって9月も折伏座談会。婦人部大会とたくさんの催しが開催されることになっております。平成6年、御法主上人猊下より宗旨建立750年慶祝登山に法華講30万人の総登山を、との御言葉を戴いてより、我が宝浄寺支部では毎週火曜日に折伏祈願唱題会を開催してすでに5年が経ちました。はじめは30人〜50人程度の参加者でしたが、今では200名を越す参加者を見ることができるようになりました。この唱題の信をもって折伏を行ずるときただ日蓮正宗のすぱらしさを人に伝えることが以信代慧となり、一つひとつ成果となって現れてきております。

8月の御講において、御住職は『上野殿御返事(竜門御書)』を引用され、本年の折伏誓願目標を竜門の滝に喩え、何としても異体同心の団結でこの滝を登り切り、一人ひとりが竜となり功徳に満ち溢れた講組織に変革をと御講義されました。本年残り4カ月、大村御尊師の御心にお応えすべく、誓願目標達成の意欲を支部に溺(みなぎ)らせ、支部一丸となって遭進してまいります。



○ 神奈川県川崎市・持経寺支部


掲載準備中



○ 北海道札幌市・大慈院支部


8月25日、札幌市清田区にある我が大慈院で、支部総合折伏座談会が行われました。大慈院は、日正寺の第4代御住職であられた常義院日誉贈上人の御寄進によって21年前、札幌の中心から車で20分ほどの場所に建立されました。そのとき常義院様のお弟子である上地広暁御尊師を御住職にいただき、また神谷地方部長が日正寺より移って初代講頭となり、42世帯から「折伏」の二字を旗印に出発したのです。現在では610余世帯を有する、北海道で4番目の規模となりました。

今回の座談会には、2日前の23日より北海道地方部の「30万総登山達成推進会」への出席のため来道されていた、総講頭の柳沢委員長、大講頭の石毛副委員長、島崎総務部長に御出席を願いました。これは、各地で総講頭のお手伝いをいただいて折伏座談会が行われて、成果があがっているとのお話を神谷地方部長より聞き、御住職と難波講頭が「当支部にもぜひおいで願いたい」と要請して、実現したものです。

支部の本年の折伏誓願目標は80世帯です、しかし、7月末現在で、まだ17世帯しか成就しておりませんでした。御法主上人猊下が「眦を決すべき年」と仰せあそばされた、この大事な「出陣の年」に目標が達成できないようなことがあってはなりません。何としても目標を達成しようと、月に一度の10時問唱題会、毎日総出で、折伏にも動きました。しかし、なかなか成果に結びつかず、折伏の座談会を開催しようということになり、すでに一度実施しておりました。ですから、今回は2回目となります。

当日は平日の日中にもかかわらず、講員128名と新来者19名の参加がありました。また、地方部役員の応援もいただきました。午後1時からの開催となり、初めに、御住職の導師により勤行・唱題を行いました。講頭の挨拶があり、次に柳沢総講頭が新来者のために、「日蓮正宗とは」ということを、日蓮大聖人様が民衆救済のため末法に御出現されたこと等、『立正安国論』を引いて判り易く説明されました。また上地御尊師は、仏様の役割について、また身につけている袈裟・衣の説明等をとおして、日蓮正宗と他宗の寺院の違いや信仰ということがどういうことであるか、その大切さ等について話されました。

御尊師のお話が終わると、すぐに数グループに分かれて、新来者を囲んでの折伏が始まりました。御住職が折伏されている輪、柳沢委員長が入られた輪、石毛副委員長が話されている輪、島崎総務部長の入られた輪、神谷地方部長が入られた輪等々、本堂いっぱいに広がってみんなが参加しての折伏。約2時間ほど経った頃でしょうか、4人の方の御授戒が始まりました。この日に新来者をお連れした婦人部の知野さんは、後日、「委員長が来てくださるとお聞きしてから、このチャンスを逃すわけにはいかない、座談会まであと何日と、毎日気が焦るはかりでした当日は、私と、私が2年ほど前に折伏した方2人で協力して、3人の新来者をお連れできました。委員長の眼力と大確信の折伏、そして御住職の御面接をいただき3人揃って御授戒を受けられ、9月1日には御本尊様を御下付いただきましたあの日は、嬉しい、嬉しい、お寺に来てよかったと、とにかく嬉しさに溢れていて、私たち3人は、新来者3人はきっと入信するとそれが当たり前のように思えてなりませんでした残る4カ月も毎いなくがんはります」と語つています。この思いは、当日の参加者が等しく持ったものです。

御授戒の行われている御宝前を少し広く空けて、御授戒の間もまだまだ折伏は続けられましたその後、また30分ほどして、石毛大講頭の話されていたグループの方が御授戒となりました。こうして、折伏が始まってから約3時間で、5名の方が決意して御授戒を受け入信され、1名の方が勧誡を受けられました。まさに、大折伏座談会となり、大きな歓喜に包まれて終了しました。私たちはこのたび、僧俗一致して、本堂に御安置される御本尊様の御前で折伏をさせていただくことの大切さを、改めて学はせていただきました。今年の残る一日一日を、この折伏座談会での歓喜を糧に、総力を挙げて誓願80世帯達成にがんばってまいります。





韓日青年部交流研修会(於下関市・妙宝寺)

8月21日、22日の2日間にわたり、「韓日青年部交流研修会」が下関市・妙宝寺で盛大に開催された。これには、海外部長・尾林広徳御尊師、西中国布教区支院長の興福寺住職・青山聴螢御尊師、同副支院長の妙宝寺住職・今福永明御尊師をはじめ、海外部、韓国担当教師、同布教区内の御尊師が多数御出席。また西中国地方部よりは湯野地方部長が出席した。また韓国の青年部員110余名、西中国地方部より青年部員120余名、その他通訳を合わせて合計260余名が参加した。

20日夜、釜山港を出発した韓国からの参加者は、翌21日午前8時半に下関港に到着し、妙宝寺に移動した。午前11時からは本堂で勤行が行われ、その際、35名の韓国メンバーが待望の御授戒を受けた。午後1時からの開会式に引き続き、尾林海外部長による「一心欲見仏・不自惜身命」と題する講義を受けた。小憩の後、韓国担当宗務院書記・佐藤正俊御尊師より、「世界広布の展望」と題して韓国語による講義が行われた。記念撮影をはさんで発表会が行われ、韓日両背年部より2名ずつが体験発表を、また1名ずつが決意発表を行った。

勤行、夕食の後、午後6時半からの交歓会では、初めに、先の全国鼓笛隊コンクールで最優秀賞に輝いた西中国地方部鼓笛隊の演奏が披露された。次いで海外部作成のビデオが上映され、南米における広布の現状を視聴した。続いて、妙宝寺支部青年部有志による寸劇「熱原の三烈土」が上演され、その返礼として韓国青年部員による4種類の「民俗舞踊」が披露され場内を魅了した。最後に「広布に生きる」を韓国青年部が韓国語で、「大法流布の時来たる」を日本の青年部が日本語でそれぞれ合唱した後、「地涌讃徳」を全員が日本語で大合唱し、互いの友好を深めて交歓会の幕を閉じた。

翌22日ば勤行、朝食の後、午前8時半より、順正寺住職・森茂道春御尊師による「青年と信仰」についての講義が行われた。続いて、研修会の締めくくりに、韓国青年部員全員による1分間スピーチが行われた。短いスピーチの中で、今回の交流会の感想、また2002(平成14)年に向けた韓国広布の在り方や、今後の目標について述べ、あっという間の2時間であった。閉会式に移り、挨拶に立たれた青山支院長は、「韓日両国間において、このように盛大な交流研修会が開催されたことは、妙法の未来広布に向けての画期的な出来事」と述べられ、これを機に両国広布の未来を担う青年部が有為な人材として成長するよう、大きな期待を寄せられた。

午後零時半過ぎには日本の参加者全員が見送る中、韓国青年部員はバスで妙宝寺を後にした。一行は引き続き市内を観光して、午後5時半に、下関港から韓国へ向け帰国の途についた。このたびの韓日青年部交流研修会は、3年前より計画に着手、今年に入り海外部と妙宝寺を中心とする西中国布教区、そして韓国側の実行委員が綿密な打ち合わせを積み重ねて実現に至ったものである。21世紀の広布を担う。両国の青年部員は、今回の交流研修会の成功をもとに一層友好を深めつつ、宗旨建立750年に向け大きく羽ばたいていくことであろう。





信行を磨く 『身を飾るとは』
妙栄寺住職・高野法雄御尊師

真夏の暑さも遠のき、時折の涼風が心地よい候となりました。この夏休みを利用して海外へ出たお方、子供を連れ懐かしい故郷でのひとときを送られたお方と、いずれも折伏に結びついた意義ある夏であったと思います。

「故郷に錦を飾る」と諺にあります。功成り、名を遂げ、出世して故郷へ帰ることでしょうが、多分は一代で富を築いたとか、高い地位に登りつめたとのイメージが強いようです。大聖人は、衣食の乏しい厳冬の佐渡にありましても、御自らを、「日本国に第一に富める者は日蓮なるべし」(御書562頁)と『開目抄』に仰せられると共に、『崇峻天皇御書』には、「蔵の財(たから)よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり」(同1173)と、蔵の金銀財宝や名聞冥利、さらには健康や我が子など、数え切れない財のある中で、何にもまして価値あるものは心の財であり、仏に帰依渇迎する心、求道の心に勝る財はないとの仰せであります。

また『阿仏房御書』には、「今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、この五大は題目の五字なり。然れば阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、此より外の才覚無益なり。 聞(もん)・信(しん)・戒(かい)・定(じょう)・進(しん)・捨(しゃ)・慚(ざん)の七宝(しつぽう)を以てかざりたる宝塔なり」(同793)と、聞・信等の七徳を金銀の七宝に譬え、七徳をもって純信に身を飾った阿仏房を愛でられると共に、とかく財宝に目を奪われやすい凡夫を戒め、道を求める者はかくあるべしと努力精進を促された御慈悲と拝して日々の信行を磨いていかねばなりません。


今月は身を飾るということについて考えてみましょう。一般に金、銀、瑠璃(るり)、硨磲(しゃこ)、瑪瑙(めのう)、真珠、玫瑰(まいえ)を七宝といいますが、信心における聞・信・戒・定・進・捨・慚の七徳は、七宝に譬えられて特に七聖財と呼ばれております。

さて七聖財の第一の「聞」とは何かといいますと、聴聞の聞で正法を聞くという徳であります。私たちの周りは、新聞、雑誌、テレビ、電話、インターネットと多くの情報で囲まれております。しかし、どうでもよいというものも多くあります。そういうものに心を奪われて一喜一憂することなく、正法を聴聞するように心がけると共に、人にも正法を聞かしめ、また尋ねるという意味もありますのでそのような場に連なるように働きかけていくことも大切であります。

次の「信」とは信じること、正法を聴聞したら聞き流すことなく信受することであります。『阿仏房尼御前御返事』には、「信ずる者は成仏をとぐ、謗ずる者は無間大城に堕つ」(同905)と仰せのように、何よりも疑わず正直に素直に信受することであります。

次に「戒」とは、防非止悪をいいます。諸戒は無数にありますが、大御本尊を唯一絶体と信じ、不受余経一喝、謗法厳誡を旨とする本門の大戒です。『教行証御書』の、「此の五字の内に豈(あに)万戒の功徳を納めざらんや。但し此の具足の妙戒は一度持って後、行者破らんとすれども破れず。是を金剛宝器戒(こんごうほうきかい)と申しけん」(同1109)や『曾谷殿御返事』の、「謗法を責めずして成仏を願はば、火の中に水を求め、水の中に火を尋ねるが如くなるべし」(同1040)を併せ拝して御本尊絶体と妥協を許さず、一心に信行する、これが末法の戒であります。

次の「定」とは定めるということです。心を不動にして散乱させない禅定の定です。あれもこれもではなく、大聖人を御本仏と仰ぎ、人法一箇の大御本尊を根本に心を定めること、これが定まらないと心が揺れ動いてしまいます。何ものにも翻弄されない決定心をより堅固なものと培っていくことが大切です。

次は「進」です。精進、前進の進です。勇猛精進とは、倦(う)まず弛(たゆ)まず懈怠(けたい)なく着実に努力することであります。『御義口伝』には、「一念に億劫の辛労を尽くせば、本来無作の三身念々に起こるなり。所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」(同1802)と仰せのように、行く手にいかなる障害があろうとも退する心なく、より強い一念を込めた唱題によって前進していくことです。

次の「捨」は喜捨の捨です。喜んで捨てるということは、惜しむ心なくということです。『佐渡御書』には、「身命に過ぎたる惜しき者のなければ、是を布施として仏法を習えば必ず仏となる」(同578)と、三千世界の財宝より大切な、たった一つの我が命にさえ執着せず喜んで仏に捧げ奉る。たとえ身命に及ぶようなことがあっても、文字どおり正法のためには不自借身命の精神を貫いていくということです。

次は「慚」です。慚愧(ざんき)の慚、増上慢を戒め慚(は)じる心です。自らの信行を常に省みて「まだまだ至らぬ信心だ」と、さらに精進していく心です。これら七聖財たる信心の七徳をもって身を修める阿仏房は、あたかも七宝で光り輝く宝塔さながらとの有り難い仰せを賜りました。


承久の乱の後、順徳天皇の佐渡流罪に伴い供奉したと伝えられる阿仏房としては、不遇なご主君の亡き後は、その菩提を弔うことを生き甲斐としたものの、悠々と人生を楽しむにはほど遠い、まことに侘(わび)しい晩年であったでしょう。妻の千日尼も同じ境遇であったでしょう。それが思いもよらぬ大聖人の佐渡御流罪を縁として正法に巡り合い、仏に仕えるという真の喜びを教えられたのであります。さらに言えば、大聖人を仏敵と誤解し、御命をも亡きものにせんと塚原三昧堂へ趣(おもむ)いたにもかかわらず、期せずしてその御威徳にふれ、正法聴聞の機となり、その後の阿仏房の生涯を眩いほどに飾った因ともなったのであります。

すなわち、大聖人の御法門を素直に我が身に聞き留め、その御法門を正直に信受し謗法厳戒、純一無雑の証として旧来の念仏を捨てて正法に帰依し、御本仏大聖人にお仕えするを不動と定め、いかなることが起ころうとも心を動揺させず、ただまっしぐらに精進していく。たとえその行く手に地頭をはじめとする官憲の圧迫があろうとも、命をすてても喜びとする覚悟のもとに衣食をまいらせる。このような命がけの御奉公は、やがて大聖人から阿仏房上人とまで称されるにいたりましたが、これでよしと慢じる心さらになく、逆にまだまだ至らぬ信心と慚愧の思いで、また前進する。このひたむきな精進行をもって、大聖人の大慈大非に対し奉り、一分なりともお応えできるのも生あればこそと、一心欲見仏の思いはさらに止み難く、齢(よわい)八旬九旬にしてもなお壮者を凌ぐ熱い求道心は、数度の御登山をも企てております。


まことに阿仏房の神々しいまでの信心は、その一端を拝しただけでさえ、私たちには遠い存在のように映ります。しかし大聖人は『御義口伝』に、「七宝とは聞・信・戒・定・進・捨・慚なり。又云わく、頭上の七穴なり。今日蓮等の類南妙法蓮華経と唱へ奉るは有七宝の行者なり」(同1752)と仰せです。私たちの信行は、たとえ至らないにしても、ただ本門戒壇の大御本尊を絶対と信じ、血脈法水の御法主上人猊下の御指南のもと正直に信行を磨いていけば、いつとはなしに我が身の輝きが周りを明るく照らすことでしょう。

天魔外道は仏法の繁昌を憎み嫌うがゆえに、行解を勤めれば競い起こるのが道理です。今、創価学会が日蓮正宗の発展を阻害せんと流す虚偽・捏造も、正義の前にすべて崩壊しております。金山の輝きを憎むイノシシが体当たりまでしてその輝きを消そうとしますが、かえってその度毎に金山は光り輝くのです。

さあ、私たちは誉れある法華講員です。いかなることがありましょうとも一丸となり、当面の大目標である平成14年に向かって精一杯信行を磨いていきましょう。

※この原稿は法雲寺支部の折元さんのご協力により転載いたしました。


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