大白法

平成11年10月16日号


主な記事

<1面>

<2〜4面>

<5〜8面> クロウ裁判特集

<9・10面>

<10・11面>



back      index      next


残り二ヶ月、全支部誓願達成へ


平成14年・宗旨建立750年に向かう「出陣の年」も残り2カ月余となった。今、全国は、御法主日顕上人猊下の御指南のもと、宗旨建立750年慶祝記念局実行委員会による、僧俗協議会・達成推進会の活動を中心に、僧俗一致・異体同心の大前進を実現してきている。

殊に、30万総登山の成就、奉安堂御供養の推進に対して、法華講総講頭・柳沢委員長、大講頭・石毛副委員長、島崎総務部長は、地方部別達成推進会に出席、まさに止暇断眠、全魂を込めての激励行を続けている。その中で、一人ひとりが重大な使命と時を感じ、直ちに折伏の陣列に加わり立ち上がるよう、その決意と行動を促されている。

我ら法華講は、宿縁深厚にしてこの千載一遇の機会に巡り値う身の福運を思うとき、これからの3年間は、多年の信行の30年以上にも匹敵する大功徳を戴けるのだということを忘れることなく、悔いなき闘いを展開していがなけれはならない。


その要点の第一は、残された折伏誓願目標の完遂に向かって支部挙げての折伏を具体的に進めていくことである。本年こそ、どの支部も一つ残らず目標を完遂しなけれはならない大事な使命をもっている。既に目標を完遂し、さらに目標に上乗せしてがんはっている支部もある。その一方で、残りの数だけにとらわれ、もう諦めかけてしまう支部があるとするならば、それは必ず師檀共に厳しくその責を問われることになるだろう。

年初、戒壇の大御本尊様の前に自ら立てた誓願を自らの懈怠で破ってはならない。この2カ月半を、どのように残された折伏をやりきっていくか、そこに指導教師を先頭にした、支部こぞっての唱題と折伏行がある。「安国論」には「蒼蝿麒尾に附して万里を渡る」と説かれる。御法主上人猊下の御もとに、この意義深き本年を一人ひとりの信心の意識改革のもと、折伏・育成に駆け廻り、文字通り「出陣の年」にふさわしい総仕上げをしていこうではないか。


また50年に一度行われる宗旨建立記念大法要は、日蓮大聖人様から金口嫡々の血脈を御相伝あそばばされた第二祖日興上人様以来、連綿と一滴の濁りもなく富士の清流を御相伝あそばされる時の御法主上人猊下によって厳修される大事な意義を持つ大法要である。

故に平成14年の宗旨建立750年は、御法主日顕上人猊下が記念局の総裁として、すべての記念事業が執り行われるのであり、そこに挙宗一致僧俗団結して、脇目もふらずに平成14年・宗旨建立750年の大慶祝記念行事のすべてが満足するために、寸暇を惜しんで懸命に励んでいく時である。

支部が一体となって宗旨建立750年に向かう姿勢とは、折伏誓願目標の完遂のために、「一年に一人が一人の折伏」はもとより、支部挙げての総合的な折伏の態勢を組むことである。さらに、入信した人がまた折伏していけるように育てていくことである。また組織のすみずみにまで目を配り、家庭訪問等により、これまで励めなかった人たちを立ち上がらせ、そこに誰一人として功徳の積めない人がいないよう、みんなで「信心篤き地涌の友」の陣列に加わり明るく歩むことである。

さらに本年12月初旬には、待望の奉安堂建設御供養の第1回目が各支部毎に受け付けられる。家族一人ひとりがそれぞれに応じて力一杯、御供養に参加していきたい。年初よりの積み立てが大きく花開くことを楽しみに、まだ知らない有縁の方々にもこのことを伝え、共にすばらしい功徳を積ませていただこう。


邪教池田創価学会は、陰謀を企て追いつめられた天魔の正体をあら露わにしてきている。そして今や、「シアトル謀略事件」をはじめとして、そのあらゆる邪悪な魔性が徹底的に暴かれ、世間からの指弾にさらされる。我々は、いかなる魔にも紛動されることなく、確固たる信行と団結で、たゆまない実践を重ねていきたい。

本年も残りいよいよ2カ月余。一日一日を大切に、御法主上人猊下の御もと、全国の法華講は僧俗一致・異体同心の大前進をもって、来たるべき明年の「折伏実行の年」を勇躍して迎えようではないか。


指導教師のもと講中一丸で誓願完遂へ


◇小田原市・蓮久寺支部

9月5日、神奈川県小田原市の蓮久寺で、折伏座談会が行われました。この座談会開催の発端は、5月末、関野神奈川地方部長をはじめ、連合会の井手青年部長、川上・岩田の両副青年部長が来寺され、「蓮久寺支部で折伏座談会を開催したらどうでしょう。私たちもできるかぎり応援させていただきます」というお話をいただいたことからでした。

早速、副御住職・松尾器道御尊師を中心に講頭以下、全役員が集まり話合いを持った中、「はて、折伏座談会といっても今までしたこともないし、新来者がはたして集まるのか。またそこで御授戒に結びつくのか」等々の意見が出されましたが、副御住職より「せっかくいただいた話であるから有り難く受けよう。案ずるより生むが易し、ここで躊躇(ちゅうちょ)することは30万総登山への後退となってしまう。9月の第一日曜=5日を期してやろう」と御指導いただき役員一同も決死の覚悟で臨むことを誓い合うことができました。

それから“蓮久寺支部の熱い夏”が始まりました。まず20名ほどの実行委員・運営委員を決め、実行委員の総括である講頭より、9月5日当日を迎えるまでの綿密なスケジュールが出されました。そして全講員より下種先の名簿をできる限り出してもらうことから始め、役員も毎夜のように家庭訪問に赴き9月5日のことを訴えて廻りました。これによって約130名分の下種先の名簿が集まり、早速、毎日の唱題で御住職・松尾慈人御尊師に御祈念していただきながら、その中で相手をすぐにでも折伏したいという方を募り、当日には必ずお連れするようお願いしました。


この頃、地元の創価学会のほうでも、戒壇の大御尊様に対する疑難のチラシをもって講員宅を廻りはじめ、折伏座談会を阻止するというような情報も入ってきました。しかしかえってこれが善知識となり、スタッフ一同がより結束を固める結果となりました。

支部サイドでは連日のごとく、何回も何回も打ち合わせを行い、誰がどうやって連れてくるのか、相手はどういうことが悩みなのか、何を聞きたいのか、実際にどのグループに入って折伏を進めるか、という具体策を検討し、いよいよ当日を迎えたのであります。


当日は、諸天の加護により天気もよく、朝7時の勤行にスタッフ一同が集まって、午後1時半から始まる座談会の成功をしっかり御祈念し、さわやかなスタートを切ることができました。午前11時に青年部が警備の配置につくと、もうすでに学会青年部も車でお寺の廻りをぐるぐる周っていました。

こうした緊張の中、時間も刻々と追ってきて12時に役員集合、12時半には新来者が来はじめました。開始まで一時間近くもあることから、副御住職を中心にすぐに折伏が始められました。そして午後1時には相手の方の決意ができ、1人の方の勧誡式と、もう1人の方の御授戒を執り行うことができました。


こうして定刻の午後1時半となり、新来者14名が来られ、紹介者を含めた我が支部講員50名ほど、それと関野地方部長、井手青年部長という参加者で行われました。

まず始めに題目三唱の後、岩本講頭の挨拶、続いて副御住職より未入信者に対し、現代の世相からみた宗教の役割、就中(なかんずく)、日蓮正宗でなければならない理由など、約30分ほどの御法話をいただきました。その後、本堂において、新来者を囲んでグループに分かれ、一斉に折伏が始まったのです。

蓮久寺支部始まって以来のことですからみんな真剣で、今まで折伏をしたこともない人が急に体験談をしゃべり出したり、普段、口数の少ない人が汗水たらし人信を勧める。今まで頭を縦にふったことのないような人が、折伏している人の横でうんうんとうなづいて援護射撃を送る。まさに地涌の菩薩の眷属たちがその使命のままに折伏する姿、それが現実に目の前で行われている、この興奮の渦が本堂中に充満し、どの顔を見ても歓喜に輝いていました。

こうした皆の懸命の折伏によって約1時問後には、次々と入信を決意する方が出て、一旦、御授戒・勧誡式等を行い、まだ決まらない方はそのまま折伏が続けられました。最終的には4時頃に、やっと入信の決意ができた方の御授戒・勧誡式が行われ、この日、新たに御授戒を受けられた方は4人、御本尊を受けられた方が2世帯、創価学会や顕正会を脱会して勧誡式を受けられた方が3世帯でした。

とにかく皆がこの日のために一生懸命で祈った、折伏に動いた、また当日は皆で折伏に当たることができた、そうしてこれだけの成果を出せたということで、私たちは「皆でやれば必ず出来る」という確信をつかむことができたのです。一人だけではなかなかできない折伏も、大勢の力が合わされば思ってもみない力が湧いてくる、まさに大聖人様の「異体同心なれば万事を成じ」の御金言のごとく、折伏座談会は歓喜のうちに、大成功をおさめることができたのです。

今後はこの良き経験を30万総登山達成への足掛かりとし、達成率90%まできた本年の支部折伏誓願目標を、何としても御会式までに完遂させるよう精進してまいります。


◇行橋市・要言寺支部

「題目の深さ広さを知り行けば次第にぞ増す自他の行業」御法主日顕上人猊下が、唱題の功徳についてお詠みくだされたとおり、私たち要言寺支部は本年、唱題の功徳により次々と折伏が成就しています。9月末現在、御本尊下付28世帯、勧誡17世帯、分世帯4世帯、御授戒14世帯の計63世帯と、昨年の2倍以上の折伏成果となっています。

昨平成10年「革進の年」にあたり、御住職・園田司道御尊師は、「講中組織の改革」「信心の意識改革」を事ある毎に御指導され、今一度、初心に立ち返り、法華講30万総登山に向かい大前進していくよう促されてまいりました。振り返るに私たちは、長年の創価学会の習気(じっけ)が身に付き、なかなか抜けきれず、我が儘(わがまま)勝手で愚癡を言い合い、まとまりのない信心を続けていました。

最悪の状態が続いていた平成9年1月、御住職がかねてより尊敬されていた宣行寺御住職・村上節道御尊師が要言寺までお出でくださり、折伏指導会が開催されました。村上節道御尊師は、悪いところを一つひとつ厳しく指導されると共に、「大聖人様、猊下様の仰せのままに信心をしていきましょう」と激励をくださいました。後で御住職よりお聞きしましたところ、この日は、私たちが解散した後も朝方まで、村上御尊師より講中建て直しのためのアドバイスをいただいたとのことです。これを機に宣行寺支部との交流会が始まり、毎年何人もの講員が専行寺に行き、法華講の信心を身に付け、学んだことをできるところから実行いたしております。


そしていよいよ「眦(まなじり)を決すべき」出陣の年、講中は折伏55世帯という未曾有の誓願に向かって歩み出しました。講中は、3年後の法華講30万総登山を見据えて支部総登山を4月に実施することになっていましたので、昨年11月より家庭訪問が行われ、宗旨建立750年の意義、支部総登山の大事等を話していきました。

その支部総登山を大成功裡に終え、腰を据えて折伏に取り組む体制を整えることになりました。4月末に行われた役員会の席上、大石講頭より、優しい口調ではありましたが、「5月末までに25世帯をやりきって7月の大折伏戦で残りの30世帯を達成していきましょう」と、今年できなければ平成14年は迎えられないとの意気込みが伝わってくる挨拶がなされました。実際、今年の支部総登山参加者数は、30万総登山目標数の39%であり、これから早急な講員数の増加と、登山率を少しでも上げていかないことには絶対に達成できないのです。

今までの私たちでしたら「そんな無理を言っても」という愚癡と諦めが出るところですが、今年は違いました。役員をはじめ、誰もが危機感を持っていたのです。我が支部ができないことによって全国の支部へ迷惑がかかり、また、何よりも大聖人様の御命である法華講30万総登山が達成できないのです。それを思うとき、「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」(御書 1242ページ)との大聖人様よりの、仏法弘通の任の重さを感じずにはおれませんでした。

そして御住職が、異体同心し、誓願完遂へ向けて講中が一結して折伏に取り組んでいけるようにと、7月の大折伏戦に当たり、「某(それがし)不惜身命の御奉公をなさしめ給へ」との御祈念と、御法主上人猊下が時の自覚について御指南くださった箇所をワープロで打ってくださり、これを全講員に配布しました。また、地区御講をはじめ唱題会等において、『弁殿御消息』や金沢法難をとおして異体同心が大切であること、唱題の励行、未曾有の誓願を立てたからには未曾有の闘いをしなければ完遂していかないこと等、適切な御指導で講員の意識を徐々に高めていかれました。


6月5日、25世帯目を達成し、7月・『立正安国論』奏呈の月、大折伏戦が開始されました。本堂横には折伏成果が一目で判る方面別成果表が作られ、達成するたびに、薔薇の花がつけられるようになっていました。これには当初、「折伏はノルマではないし、成果にこだわるのはよくないのでは」との話も出ましたが、折伏ができて薔薇の花が増える度に、折伏をしていく喜びと元来の負けん気がよい方向へと変わっていきました。

6つあった地区を3つの方面に分け、各方面長として御住職・講頭・婦人部長が責任者に就かれました。1方面が約70世帯あり、1ヶ月に1方面で10世帯を折伏する計算になります。活動者が5人くらいしかいない方面もあり、そこには御住職が方面長として入られ、心強く思いました。

お寺で毎日2時間の唱題行が行われ、さらにこの方面別に座談会、唱題会を行いながら、6月中に準備した下種先を一軒一軒訪問したのです。そして7月末日、残り3世帯となったこの日、「もうどこも回る所がない」と途方に暮れていた私たちに「僕は最後まで諦めない、皆も諦めずに唱題しなさい」と御指導くださった御住職の確信どおり、午後10時少し前、遂に30世帯が達成しました。

今月1日よりさらにきめ細かな連絡体制に再編成をし、今、私たちは、11月に3度目の大折伏戦を迎えようとしています。

※この原稿は昭倫寺支部の若山さんのご協力で転載いたしました。



教学用語解説


☆異体同心(いたいどうしん)

「異体同心」の「異体」とは、十人十色といわれるように、顔形から性格・才能など、人それぞれの個性や特質が異なることをいい、「同心」とは目的観や志を同じくすることをいいます。「異体同心」とは、多くの人がそれの個性・特性を持ちながら、心を同じくして行動する姿をいい、そこには一個人では果たせない偉大な力が発揮されるのです。

日蓮大聖人が『異体同心事』に、「日本国の人々は多人なれども、同体異心なれば諸事成ぜん事かたし。日蓮が一類は異体同心なれば、人々すくなく候へども大事を成じて、一定法華経ひろまりなんと覚へ候」(御書1389ページ)と仰せのように、大聖人門下の皆が命を惜しむことなく法華経を弘めよとの思いで「異体同心」するならば、はじめは人は少数でも、必ずや流布を成し遂げることができるのです。

すなわち、本門戒壇の大御本尊を信じ奉り、大聖人以来の唯授一人血脈付法の御法主上人猊下の御指南を体し、僧俗一体どなって団結して広布に邁進することこそ「異体同心」の姿であり、この「異体同心」を常に心がけ、唱題を根本にして折伏に励むことが広宣流布への源流でなけれはなりません。

『生死一大事血脈抄』に、「総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく、水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり。然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり」(同514)と仰せのとおり、この僧と俗が「異体同心」して唱える題目こそ大聖人の御意に適(かな)う題目であり、「生死一大事の血脈」が流れ通っていくのです。

しかし反対に、「同体異心なれば諸事成ぜん事かたし」(同1389)とあるように、外見では講中が団結し、一体のようであっても、一人ひとりの信心がばらぱらで皆が違うことを考え、自分の我見で動いている「同体異心」であるならば、広宣流布はおろか何事も成就することはありません。

桜梅桃李それぞれに特性があるように、法華講員一人ひとりに個性や才能の違いがあることは当然のことでしょう。大切なことは、その個性や才能の違う一人ひとりが大聖人の弟子檀那としての使命を感じ、御法主上人猊下の御もとに一結して広布へと前進していくことなのです。その自覚と信心に立って、自分の持っている能力を精一杯発揮し、御法主日顕上人猊下から賜った宗旨建立750年・30万総登山の御命題を達成するために、唱題・折伏を日々、実践してまいりましょう。



☆勇猛精進(ゆうみょうしょうじん)

勇猛精進とは、勇ましく強い心をもって苦難に向かい、進んで妙法受持の修行に精進することをいいます。

法華経の『見宝塔品』に、「此の経は持ち難し 持つ者は 我即ち歓喜す 諸仏も亦然(しか)なり 是の如きの人は 仏の歎(ほ)めたもう所なり 勇猛なり 是れ則ち精進なり 戒を持ち頭陀を行ずる者と名づく 則ち為れ疾(と)く 無上の仏道を得たるなり」(法華経354ページ)と、法華経を仏の滅後において受持することは大変難しいが、その困難至極とされる法華受持は、三世の諸仏の歓喜し褒め給うところであり、それを成し遂げる者を勇猛とも精進ともいうのであると説かれています。

この「勇猛」と「精進」の二句について、天台大師は『法華文句』に、「能(よ)く持ち難きを持てば、即ち勝行を成ずることを明す。勝行に自他有るなり」と、持ち難き法華経を受持することは、あらゆる修行の中で最も勝れており、その勝行には自行と化他があると釈しています。

その勝行とは、日蓮大聖人が、「三世の諸仏の大事たる南無妙法蓮華経を念ずるを持つとは云ふなり・・・天台大師の云はく『信力の故に受け念力の故に持つ』云云」(御書 775ページ)と仰せのように、末法においては妙法を信ずること、仏の万行万善の功徳を納め、「三世の諸仏の大事たる南無妙法蓮華経」の御本尊を信じ奉って題目を口唱えすることなのです。

すなわち、第26世日寛上人が、『依義判文抄』に「此経難持」の文を挙げて三大秘法に配し、「応に知るべし、『勇猛精進』は即ち是れ信心・唱題なり。故に本門の題目と為すなり。中に於て『勇猛』は是れ信心なり。故に釈に曰く『敢(いさ)んで為すを勇と曰い、智を竭(つく)すを猛と曰う』云云、故に勇み敢んで信力を励み竭すを勇猛と名づくるなり。『精進』は即ち是れ唱題の行なり。故に釈に曰く「雑無きの故に精、問(ひま)無きの故に進』云云」(六巻抄89ページ)と説かれているように、「勇猛精進」は信行具足の本門の題目です。

つまり「勇猛」とはあらゆる困難迫害を打破し、妙法こそ即身成仏の大法であると固く信ずることをいい、「精進」とは余事を雑(まじ)えず、ただひたすら唱題することをいいます。

この信行具足の本門の題目こそ『三大秘法抄』に、「末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(御書1594ページ)と説かれる一切衆生を救済する自行化他の題目です。私たちは、信心を根本にする真剣な唱題行を実践し、その功徳をもって折伏に励み、本年の誓願目標を必ず達成してまいりましょう。



論苑 『折伏目標の完遂』
北近畿地方部長・河原昭太郎


「出陣の年」も、残り2カ月半の終盤戦となった。全国各支部は、寺院で終日題目の声が絶えない日々であろう。本年の折伏目標をすでに完遂した支部が続出しているとのこと、同慶の至りである。なお、完遂の見通しのついた支部、あと一歩の支部等こもごもなれども、本年は絶対完遂せねばならぬ「出陣の年」である。

未だ目標未達成の支部は言い訳無用、12月31日までやり切らねばならぬ。もし完遂ができなかったならば、明年の「折伏実行の年」の新春をどうして迎えることができようか。本年の目標を放棄するなら、その支部の僧俗懈怠の責任は重大であり、どのようにして御本尊様にお詫びするのだろうか。本年の折伏誓願目標の設定は、必ず支部指導教師のもと講中一同で平成14年・30万総登山の勝利を目指し、不自惜身命でやり切る誓願数であったはずだ。故に失礼ながら、指導教師も知らぬでは通らぬ。なお講頭以下幹部一同も、頬被りをして持つ卑怯と臆病は避けねばならぬし、指導教師、師匠に対する不知恩者の汚名を残すなり。

誓願とは、大御本尊様に必ず折伏をさせてくださいと願い、実践を誓った尊い決意なり。故に新春早々御法主上人猊下の御もと、宗門僧俗代表が総本山に結集し、「出陣式」が挙行され、地涌の菩薩の自覚も新たに大折伏戦が展開されたのだ。以来全国各支部は僧俗一致で唱題を根本に御法主上人猊下の「一年に一人が一人の折伏」の御指南にお応えせんと尽力中ではないか。

折伏誓願成就は、唱題の信力と足を使った行力で必ずできるのだ。そこで、未だ折伏のできていない人は、やろうとしなかったのか、あるいは唱題の的が外れていたのではなかろうか。旧態然たる信心と決別し、御本尊様への絶対の確信を以て、勇気を出して、支部折伏成果の列に漏れてはならぬ。今なら間に合う。過去に下種したが、折伏できなかった人、身近な親族、友人等、再度記憶を辿り、洗い直し尋ねて御覧ぜよ。あなたを待っている人は必ずいるはずだ。


折伏は御宗門のため、あるいは支部のために行っているのではない。一切衆生の謗法故に、曠しく苦悩する人々を救済せんがために、仏様のお使いとしての尊い慈悲行である。故にその行業は、やがて自らの功徳善根となり、喜悦快楽の境地が開かれるのだ。

『如説修行抄』に、「天台云はく『法華破折破権門理』と、良に故あるかな」(御書672ページ)また、「法華経の御敵を責めずして山林に閉じ篭りて摂受の修行をせんは、豈、法華経修行の時を失ふべき物怪にあらずや」(同673ページ)と御妙判されている。

宗旨建立750年の大佳節を目前にして、「一年に一人が一人の折伏」をやらぬ者は、この大事なときを失う物怪(化け物)であると、大聖人は厳しく仰せである。また山林に閉じ篭りとは、「自分は御本尊を持って静かな信心をしたい」との心根があり、御報恩御講・登山参詣もせず、折伏もしない一人信心の者なれば与同罪免れがたしであり、講中同士の家庭訪問をして、急ぎ救うべきである。


思い起こせば平成の日蓮正宗、大聖人御在世以来未曾有のまことの時を知り、邪宗教をはじめ大謗法池田創価学会員がうようよしている時、破邪顕正・正法厳護に毅然と障魔の矢面にお立ちの御当代日顕上人のお振る舞いを拝し、その直々御教導の下に法華講員として公布の御供ができることは、なんと人界最高の幸せではないか。また止暇断眠の総講頭・柳沢委員長を先頭に、日蓮大聖人の御命令、平成14年の30万総登山達成に邁進できる身の歓喜を、よくよく知らねばならぬ。これ程の果報を思うとき感涙押さえがたき只今なり。

信心篤き地涌の同志が結集する日まであと900日余り、刻々と過ぎ去る時を惜しむ者の中に、誰か折伏をしない物怪があろうか。余生を3年に凝縮しての法戦であるからには、苦しいこと、泣きたいことは覚悟のうえ、尋常一様のものではないはずである。しかし成仏・不成仏のここが分かれ目。歯をくいしばり、石に齧りついてでも、全法華講員が立ち上がり、地涌の誓いを証として確かと示そう。

さて、待ち遠しい奉安堂の建立工事も近づき、12月1日より第1回御供養の受付が始まる。老いも若きも、30万の一人残らずが千載一遇の孫末代に輝く功徳善根と参加し、以て折伏目標の完遂と共に、「出陣の年」の掉尾を見事に飾ろうではないか。

※この原稿は、平安寺支部の河原さん、日正寺支部の福原さんのご協力で転載いたしました。



体験発表 『一人の決意が波を起こし渦に』
立正寺支部・周宝洪基


◇決意の唱題で折伏ゼロの自分から脱皮

私は立正寺支部の周宝と申します。平成14年の30万総登山に向かって、折伏が叫ばれて久しくなりますが、私は心にあせりを感じるばかりで、一向に折伏成果をあげることができずに悩んできました。年初に2時間・3時間の唱題を決意したのですが、何日かすると必ず扁桃腺が炎症を起こし体調を崩して挫折してしまうということの繰り返しで、2カ月が経ってしまいました。

しかし、よく考えて見ると、「私は本気で折伏をする決意があったのだろうか。いろいろな理由をつけて逃げているのではないだろうか」と厳しく反省し、今度こそ自分に打ち克って折伏をしていくと決意し、誓願を立てました。2月26日のことでした。1日3時間以上の唱題と一年に3世帯以上の折伏成就を誓願し、炎症によるのどの痛みと闘いながら、「何としてもやっていくぞ」と、必死になって唱題を続けました。

そして2カ月後の4月29日、家内の姪の分世帯と、その知り合いへの折伏が成就し、2世帯の御本尊下付が叶いました。心の底から涌き上がってくる喜びを感じました。それからさらに17日後には、4月29日に入信した人の縁で3所帯目の折伏が成就致しました。

誓願を立ててできた折伏は、私にとって大きな強い確信となりました。本気で決意して誓願を立てれば願いは必ず叶うという確信が生まれました。そして気がつけば、あれほど悩まされた扁桃腺の炎症が、すっかりよくなっていました。

「叶い叶わぬは御信心により候べし。全く日蓮がとが(咎)にあらず。水す(澄)めば月うつ(映)る、風ふけばき(木)ゆ(揺)るぐが ごとく、みなの御心は水のごとし。信のよわ(弱)きはにごるがごとし。しんじんのいさぎよきはす(澄)めるがごとし」(御書1519ページ)の御金言のとおりだと思いました。


◇誓願に導かれて立正寺支部が出陣

5月21日の折伏推進会で体験発表するようにとのお話でしたので、折伏に対する確信をもてたこと、新たに3世帯以上の折伏成就の決意を述べました。さらに10日後の6月1日の支部唱題会を期に誓願の更新を決意しました。と申しますのは、自分個人の折伏だけでなく、地区全体の折伏を推進して、高宮地区が、立正寺支部各地区の先陣を切って折伏を推進していこうとの使命感に燃えた不思議なほどの確信が出てまいりました。そうすれば必ず地区全体へ波動を起こし、立正寺支部の活性化につながると思いました。そのために、まず自分が立ち上がる決意をいたしました。

30万総登山ということは、単純に計算して昨年の10万総登山のときの世帯数を3倍にすればよいのであって、いろんな難しい計算の必要はないと思いました。高宮地区は10万総登山のとき100世帯で、昨年の折伏が世帯数の10%に当たる10世帯でした。今年は15世帯を目標にしておりました。しかし、それでは世帯数が4年間で3倍にはなりません。そこで、今年の目標を35%以上にしてはどうかと思いました。それを完遂したならば、その確信をもって来年再来年には、50%〜70%と増やしていけばよいのではないかと思い、地区長とも相談いたしました。それには唱題も2倍〜3倍にし、一日最低5時間、力あれば6時間〜7時間とやっていこうと心に決めました。そしてまず、30世帯以上を支部総登山前の10月までに完遂し、残りの11月・12月までに支部で35世帯以上を達成すべく誓願を立て、御住職・岩瀬永学御尊師の前でお誓い申し上げました。

法華講連合会第36回総会の砌、御法主上人猊下は、「一人がまず立ちあがるの決意をもつことであります。そこに3人が立ち、5人が立つでありましょう」(大白法522号)と御指南あそばされております。自分がまず高宮地区で立ち上がろうと強く決意しました。その後地区では、今までがんばってきた方々の折伏が次々と成就しました。6月13日に2世帯、7月9日に1世帯、7月11日に1世帯と、7月中に最初の目標であった15世帯を完遂しました。これにより折伏の気運が高まり、あまり会合に出てこなかった人たちまで折伏の縁を出すようになりました。

3人5人と立ちあがり、8月に入っても勢いは衰えず、8月1日に1世帯、8月7日に1世帯、8月8日に1世帯、8月13日に1世帯、8月16日に1世帯、9月1日に1世帯、そして9月3日に1世帯、9月8日に1世帯、9月16日に2世帯と、1カ月半で11世帯という、すばらしい成果をあげることができました。昨年1年間での折伏を、わずか1カ月半で成就できたのです。

この勢いでいくならば、本年中に35世帯の折伏目標を超えて、45世帯、乃至50世帯の折伏成就も不可能ではないとの確信が生まれました。これほどまでに次々と成果があがっていくということは、ひとえに仏天の加護、そして御本尊様の御導きがあってのことです。

今、高宮地区では皆の目の色が変わり、異体同心の大歓喜の渦の中にあります。使命を感じたものから誓願を立てて御本尊様を信じて進むとき、これほどまでに地区の中が変わっていくものかと、感涙あふれる想いでいっぱいです。


◇平成14年の法華講30万登山に向かって

6月16日付の『大白法』に掲載されていた、東北第2地方部総会での宣行寺住職・村上節道御尊師の布教講演の中に、「私は、まず決意したところにおいて、これは『なるほど誓願は、決意すればもう既に成就の方に向かっているんだな』『決意すれば、大方は仏様に導かれて、達成に向かっての確かな動きになるのだな』ということを、今は実感として強く感じているわけであります。」(同527号)とあります。決意して誓願を立て唱題をしていけば、いかなる願いも叶うものと確信しております。

「いかに申す事はをそきやらん。大地はさゝばはづるゝとも、虚空をつなぐ者はありとも、潮のみ(満)ちひ(干)ぬ事はありとも、日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りのかな(叶)はぬ事はあるべからず。(中略)とくとく利生をさづけ給へと強勢に申すならば、いかでか祈りのかな(叶)はざるべき」(御書630ページ)の御金言のごとく、深く仏天の加護を信じ、異体同心の信心を強く推し進めていくならば、いかなる目標をも成就するものと信じます。

また、『四条金吾殿御返事』に、「弘決第八に云はく、『必ず心の固きに仮(よ)って神の守り則ち強し』云云。神の護ると申すも人の心つよきによ(依)るとみえて候」(御書1292ページ)の御金言を強く信じて、我こそ地涌の菩薩の眷属なりとの自覚と使命感を持って、「千万人と雖(いえど)も吾れ往(ゆ)かんとの烈々たる気魄」で大折伏戦を展開し、もって御報恩謝徳の誠を尽くさんがため平成14年の法華講30万登山には、10万総登山の3倍以上の地区の皆さんと共に御登山することを固くお誓いいたします。

この原稿は平安寺支部の河原さんのご協力で転載いたしました。
※中見出しは妙音で付けました。



クロウ裁判報告 9月28日東京地裁
反論不能の創価学会、スプリンクル本人の弁明すら出せず


クロウ事件裁判はいよいよ大詰めを迎えた。既にこれまで報道してきたように、事件現場に立ち会ったと称するシアトル警察の元警察官スプリンクルが、実は当時アメリカ空軍に召集されており、警察には軍務休職届を出して、警察官として勤務していなかったという驚くべき事実が最近になって判明した。宗門側はこの事実を裏付ける多数の証拠を8月初めに東京地方裁判所に提出し、さらにその後も鋭意調査を継続し、ますますこの事実を明確にする証拠を次々と入手し、これらを9月28日に開かれた東京地裁における口頭弁論において提出した。


[強がりの聖教報道だったが何の有効証拠も出せず]


これまでに提出された証拠は、シアトル警察の記録、シアトル市の記録、アメリカ空軍関係の記録などの公文書に加え、シアトル警察の元副署長の宣誓供述書など多数に及ぶが、いずれもスプリンクルが6カ月間の兵役のため、1962年10月末から1963年5月初めまでシアトル警察を休職していたこと、したがって、1963年3月、いわゆる「クロウ事件」の「現場パトロール警察官」などではあり得なかったことを、疑問の余地なく立証している。

これに対し学会側は、裁判期日の前に、「今後の口頭弁論で当然、種々の証拠を東京地方裁判所に提出することになり、そうなれば宗門側の主張こそがまったくの虚偽であることが法廷で明らかになる」(8月14日付聖教新聞)「確かにスプリンクル氏が1962年(昭和37年)10月末から一時期軍務に服していたことは事実であるが、事件当時はもともとの本職であるシアトル市警の警察官としての任務を遂行していたもので、この間のことは既に調査済みのこと」(同月27日付同新聞より要旨)などと強がりを述べていた。

しかし、9月28日の口頭弁論期日には、そういう「調査済み」の「種々の証拠」を何も出せず、スプリンクル自身の弁明書すら提出することができなかった。既に調査済みのことであったなら、どうして軍務休職を取って空軍に行っていた人物が、事件当時にシアトル市街をパトロールしていたのか、その理由をきちんと説明できたはずだ。少なくとも、スプリンクル自身は自分のことなのだから、その理由を簡単に説明できるはずである。

しかし、当日の法廷で、宗門側の弁護士が学会側に対し、「スプリンクルは軍務休職を取ったが、早期除隊になって警察に復帰していたというのか、それとも軍務に就くかたわら、警察官としても勤務していたというのか、一体どちらか」と問いただしたのに対し、学会側弁護士は、「次回に答える」と述べて、逃げるだけだった。こんな簡単な質問に即答できないこと自体、不自然きわまりないというべきである。学会側は宗門側の動かぬ証拠を突きつけられて、反論不能に陥っていることは明らかである。次回までに何とか、反論の筋書きをでっちあげたいと、やっきになっているものと思われる。



[苦し紛れの言いのがれに終始する池田学会]


10月6日付の創価新報では、スプリンクルは1963年2月に結婚し、カナダに新婚旅行をしたことなどから、スプリンクルが「基地で完全拘束されていた」との宗門の主張は崩れたなどと訳の分からないことを言っているが、そもそも宗門は、同人が刑務所にいたかのように、完全拘束などとは一切言っていない。

スプリンクルが「フルタイムで軍務に服していた」とは言ったし、それは事実であるが、フルタイム(full time)どいうのはパートタイム(part time)の反対語であり、フルタイムのサラリーマンが会社から一歩も外へ出られないなどとは誰も思わない。フルタイムの軍務であっても、休日もあれは、結婚もできるだろうし、親族の葬儀に出席できたとしても何の不思議もない。ちなみに、カナダとはいっても、シアトルからはすぐ近くで、一泊二日の旅行でもゆとりのある距離である。

ともあれ、学会としては、大してあてにもならない新聞記事を鬼の首でも取ったように騒ぎ立てる前に、どうして軍務休職中の者が警察官として現役パトロール勤務していたというのか、納得のいく具体的な理由を説明すべきである。

しかし、この創価新報でも、その他でも、学会側はいまだに何の説明もなし得ず、肝心の答えをはぐらかすことしかできないでいるのである。そのために、関係のないことばかりを並べ立てて、宗門を非難しているが、真相を知る者の目から見れば、見苦しいこと、この上ないといわなければならない。



[焦点をすり替えて虚報に徹する「聖教」「新報」]


ところで、学会はアメリカにおける裁判所の最近の決定についても、事実を歪めた報道をしているので、これに惑わされることのないよう、少し説明をする。

宗門は、8月26日、ワシントン州シアトルにある連邦地方裁判所(ドワイヤー判事)に対して、スプリンクルが3年前、アメリカにおいて行われたデポジション(証言録取手続)の際、1963年当時、軍務休職中であったことを隠し、現場パトロール警察官であったと証言したのは明らかに偽証であり、司法秩序を乱した行為であるとして、スプリンクルに対する制裁の申立てを行った。

これに対し学会側とスプリンクル側は、「東京地裁の裁判は年内に結審することになっており、アメリカの裁判所が、今、スプリンクルに対して偽証の制裁を行えば、それは東京地裁の判断に不当な影響を及ぼすことになり、裁判干渉にあたる」と主張し、強硬に反対した。

ドワイヤー判事は事実調査に深入りすることを避け、スプリンクル証人が偽証したかどうかは、事件本体が係属している日本の裁判所が決めるべきで、アメリカの裁判所が決めるべきではないとして、宗門のスプリンクルに対する制裁申立てを却下したこの決定は、日本の裁判所に対する敬意から、少しでも裁判干渉になる恐れのある行為は差し控えたいとの配慮を示したものと解される。

ドワイヤー判事は詳しい事実調べはせず、スプリンクル本人から直接弁明させる措置も取らず、宗門側が提出した証拠も東京地裁に提出したものに比べると、そのごく一部にとどまっている段階で、それ以上に審理を進めず、この段階では真偽は十分明らかではないが、あとは日本の裁判所が審理を尽くして最終判断すべきものであるとして、自ら判断を下すことを避けたのである。

この点につき学会側は、9月30日付聖教新聞などで、「今回、ワシントン州連邦地方裁判所は、スプリンクルが偽証をしたとは認められないとして、宗門側の主張をすべて斥ける決定を下した」などと宣伝しているが、真相は以上のとおりであり、学会側の報道はためにする虚報である。



[「人」と違って「書証」−35年前の公文書−はウソをつかない]


右に述べたように、宗門は、日本の裁判所においては、スプリンクルの虚偽を確証する記録や公文書を十分に提出済みである。東京地裁がこれらの記録を精査すれば、スプリンクル証言の真偽は疑問の余地なく明らかになるだろう。

「人」とちがって嘘を言わない「物」、つまり35年前に作られた公記録・公文書と、今作ったストーリーを35年前の記憶のごとくよそおった供述書と、どちらが信用に値するかは、裁判所でなくとも誰の目にも明白だ。

宗門は人事を尽くし、今や東京地裁の公正な判断をまつのみである。ところで宗門では、今回の東京地裁における裁判にアメリカから駆けつけてくれたカルマン弁護士に、同弁護士が中心となってスプリンクルの虚偽をあばく証拠の数々を発見したいきさつや、これらの証拠のもつ意味について、じかに話を聞く機会を得た。6・7面に、そのインタビューの要旨を掲載する。一読すれば、宗門の主張の正しさと、学会の虚報体質が、余すところなく理解できるだろう。

学会の最後の悪あがきを敢然と打ち破り、最後の勝利に向けて大前進をしようではないか。



[宗門側弁護団 カルマン弁護士に聞く]


※長文のため、別のページに掲載いたします。




back      index      next